大判例

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福岡地方裁判所 昭和28年(れ)515号 判決 1957年2月04日

本籍

小倉市大字富野七百二十六番地の一

住居

右同所

職業

共栄企業組合理事長

森原春一

明治四十三年二月十四日生

本籍

大分県日田市三本松町百七番地

住居

小倉市菜園場不動町十丁目二番地

職業

共栄企業組合役員

木下仙友

大正十年二月二十一日生

本籍

鹿児島県阿久根市多田三千五百七十七番地

住居

福岡市大字住吉字過上田千五百八十五番地

職業

共栄企業組合専務理事

上野盛雄

大正三年九月二十日生

本籍

大分県大野郡犬飼町大字下津尾

住居

熊本市新町一丁目九十六番地

職業

共栄企業組合理事

渡辺実信

大正四年二月一日生

本籍

延岡市大字恒富北二千六百八十四番地

住居

同 市祇園町三千五百五十八番地

職業

共栄企業組合役員並びにラジオ電気器具販売業

馬場卯三郎

明治三十五年七月三日生

右被告人等に対する昭和二十八年(れ)第五一五号、第五八一号、第六三四号所得税法違反事件につき、当裁判所は、検察官、某出席の上審理を遂げ次のとおり判決する。

主文

被告人森原春一を徴役一年に処する。

同木下仙友、同上野盛雄、同渡辺実信、同馬場卯三郎をそれぞそ徴役八カ月に処する。

同木下仙友に対し未決勾留日数中三十日を右本刑に算入する。

同馬場卯三郎に対し本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴証費用中、国選弁護人辻丸勇次、同練山博に支給した分は同木下仙友、同渡辺実信の連帯負担とし、その他の費用は証人西村正信、同市原為四郎、同渡辺忠雄に支給した分を除き、被告人等五名の連帯負担とする。

公訴事実の中訴因変更前の別表第一の四七、同第四の七〇、変更後の別表第一の一五同二三、同三八、同四九、同じく第四の二三、同三七、同四三の各事実については、被告人等はいずれも無罪

犯罪事実

被告人森原春一、同木下仙友は、昭和二十四年七月一日法律第一八一号を以つて中小企業等協同組合法が制定施行せらるるや、同年十一月頃から同法の中の企業組合に関する項を利用して、組合としてはなんらの事業も営まず、組合員に対してはその加入前と全く同様に自己の計算と危険負担において各自の個人営業を営ましめ、その営業から生ずる一切の損益を実質的に各組合員個人に帰属せしめながら、恰も、組合員は加入に際しては、その所有にかかる営業用資産並びに負債をすべて組合に引継いで企業を合同し、組合加入後は組合から給与を受くる単なる給与所得者となるものの如く仮装した右同法所定の実質をなんら具備しない企業組合を設立して、組合員個人の事業所得に対する所得税を免れしめようと企図し、その頃横尾弥平太、貝島彦一に対し、情を明し、その同意を得て、ここに被告人森原春一、横尾弥平太、貝島彦一、牧野渡が発起人となり、被告人木下仙友も終始参劃して、

(イ) 名称を共栄企業組合 (ロ) 主たる事務所を小倉市米町二八番地。(ハ) 目的を、製粉、製麺、製菓、精米、醸造、農水産物加工、燃料、その他の化工及び製造。食料品一切、金物、履物、化粧品、石けん、医薬品、衣料品一切、その他の販売。機械器具の製造及び修理、被服の仕立及び補修、その他の修理。以上の事業に附帯する事業。(ニ) 出資口数を十四口 (ホ) 払込みたる出資金総額二万八千円。(ヘ) 代表理事、理事長を被告人森原春一、専務理事を被告人木下仙友、理事を横尾弥平太、貝島彦一、牧野渡として同年十二月九日福岡法務局小倉支局において設立登記をなし、以つて前示意図のとおりの企業組合の実質を全く備えない共栄企業組合を成立せしめ、爾来、昭和二十七年秋頃に至るまで、その実態はなんら変らなかつたものであるところ、被告人森原春一は、右設立より同年秋頃に至るまで継続して同組合代表理事、理事長の地位にあり、被告人木下仙友は右設立より専務理事となり、昭和二十五年五月八日までその地位にあり、なお理事としては同二十七年五月二十五日までその地位にあり、その間同二十五年十一月二日頃から同二十六年十月十二日頃迄常務理事をつとめ、一方同二十五年九月頃から同二十七年三月未頃迄同組合北九支部長の地位になり、被告人上野盛雄は、右組合の実態を諒知しながら、同二十五年四月未頃同組合の事務員に雇れ、同二十六年二月一日頃同組合に加入し、同月二十日頃同組合理事に就任し、同年七月四日頃専務理事の事務取扱となり、同二十七年五月二十五日頃専務理事となり、同年秋頃に至るまでその地位にあり、被告人渡辺実信は右組合の実態を諒如しながら同二十五年六月一日頃同組合に加入し、同年十月頃から理事として行動し、同二十六年二月二十日頃理事に就任し、その間同年三月一日頃同組合代表理事、副理事長となり同二十七年五月二十五日頃までその地位にあり、また同年六月二十八日頃常務理事となり、同年秋頃にいたるまでその地位にあり、一方同二十五年十月頃同組合熊本支部事務局長となり、ついで同二十七年四月一日頃熊本県支部事務局長となり同年秋頃に至るまでその地位にあり、被告人馬場卯三郎は右組合の実態を諒如しながら、同二十五年五月中旬頃同組合に加入し、同年七月末頃一時的に事実上理事の事務を執り、同二十六年二月二十日頃同組合理事に就任し、爾来同二十七年秋頃迄その地位にあり、また同二十五年十二月頃同組合延岡支部長となり、ついで同二十七年四月一日頃宮崎県支部長兼延岡出張所長となり、同年秋頃に至るまでその地位にあり、いずれも同組合の組織の拡大強化並びに課税当局に対する税闘争に努力して来たものであるが、被告人等は右組合を利用して組合員を給与所得者なる如く装わしめ、組合員個人に対する所得税を免れる目的を以つて、

第一、被告人等五名は

(一) 昭和二十五年分の所得に関し

(イ) 犯罪表第一記載の四宮種美ほか五十三名と各別に共謀して、同人等の同年分の総所得金額が同表各(ヘ)欄記載のとおり合計金千七十九万千二百四十一円で、その税額が同表各(チ)欄記載のとおり合計百八十八万四千七百九十円であつたにかかわらず前記の如き組合利用の方法により同表各(リ)欄記載の年月日頃各(オ)欄記載の所轄税務署受付を以つて政府に対し、故らに同年分の総所得金額が同表各(ヌ)欄記載のとおり合計金五百二十五万七千九百八十一円でその税額が同表各(ル)欄記載のとおり合計金二十一万八千四十六円なる旨各虚偽の所得税確定申告書を提出し、以つて五十四回の詐偽の行為をなし、よつて同表各(ワ)欄記載のとおり、昭和二十五年分所得税額の一部たる合計金百六十五万七千六百円の所得税を免れ

(2) 犯罪表第二記載の中山澄夫ほか三名と各別に共謀して、同人等の同年分の総所得金額が同表各(ヘ)欄記載のとおり合計金七十四万七百円で確定申告をなすべき義務があつたにもかかわらず、前敍の如き組合利用の方法により確定申告義務がないものとして、昭和二十六年二月二十八日までの確定申告書提出期限内に確定申告書を同表各(チ)欄記載の各所轄税務署に提出せず、以つて四回の不正の行為により同表各(リ)欄記載のとおり之に対する所得税合計十三万千百七十円を免れ、

(二) 昭和二十六年分の所得に関し

(1) 犯罪表第三記載の木下一美ほか四十八名と各別に共謀して、同人等の同年分の総所得金額が同表各(ヘ)欄記載のとおり合計金千七百十九万六千八百九十六円でその税額が同表各(チ)欄記載のとおり合計金三百四十五万二千三百五十円であつたに拘らず、前敍の如き組合利用の方法により同表各(リ)欄記載の年月日頃各(オ)欄記載の所轄税務署受付を以つて政府に対し故らに同年分の総所得金額が同表各(ヌ)欄記載のとおり合計金七百九十五万六千八百九十五円で、その税額が同表各(ル)欄記載のとおり合計金七十三万百五十二円なる旨各虚偽の所得税確定申告書を提出し、以つて四十九回の詐偽の行為をなしよつて同表各(ワ)欄記載のとおり、昭和二十六年分所得税額の一部たる合計二百七十二万二千二百二十円の所得税を免れ

(2) 犯罪表第四記載の四宮種美ほか八十名と各別に共謀して同人等の同年分の総所得金額が同表各(ヘ)欄記載のとおり合計金二千六十四万三千五百六十三円で確定申告すべき義務があつたに拘らず、前敍の如き組合利用の方法により確定申告義務がないものとして、昭和二十七年二月二十九日までの確定申告書提出期限内に確定申告書を同表各(チ)欄記載の所轄税務署に提出せず、以つて八十一回の不正の行為により同表各(リ)欄記載のとおり之に対する所得税合計金三百十二万三千五十円を免れ、

第二、被告人等五名は共謀の上、宮崎県延岡市祇園町でラジオ電気器具等の販売修理業を営んでいる被告人馬場夘三郎の所得に関し、

(一) 昭和二十五年分の総所得金額が十六万九千六百五十四円でその税額が一万七千四百十円であつたに拘らず、前記の如き組合利用の方法により、昭和二十六年二月二十八日頃所轄延岡税務署受付を以つて、政府に対し、故らに昭和二十五年分の総所得金額が九万九千六百円で、その税額が千五百十円なる旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、以つて詐偽の行為をなし、よつて昭和二十五年分所得税の一部たる一万五千九百円の所得税を免れ

(二) 昭和二十六年分の総所得金額が十八万七千二百六円で確定申告をなすべき義務があつたに拘らず、前記の如き組合利用の方法により確定申告義務がないものとして、昭和二十七年二月二十九日までの確定申告書提出期限内に確定申告書を提出せず、以つて不正の行為により之に対する所得税一万三千二百円を免れ

たものである。

犯罪表第一

<省略>

犯罪表第二

<省略>

犯罪表第三

<省略>

犯罪表第四

<省略>

証拠説明

凡例

一、証拠となる証人に対する公判更新前の当裁判所の証人尋問調書を本判決においては単にその証人の「証言」と称する。

二、証人又はその他の者に対する検察官の供述銖取書を本判決においては単にその者の「調書」と称する。

第一款 総論

第一目 企業組合理論

第一節 「企業組合」の立法趣旨

第一項 法条

企業組合は、昭和24、6、1法律第一八一号を以つて制定公布された、中小企業等協同組合法第五章第七八条乃至第八二条によつて本邦で初めて立法化された法人である。

右中小企業等協同組合法は、その後昭和25、3、31法律第五七号、昭和26、4、6法律一三八号、昭和27、4、8法律第一〇〇号、昭和30、8、2法律一二一号により順次改正され、現行法においては、条文の体裁を一変し、旧第七八条は第九条の一〇、旧第七九条は第九条の一一、旧第八〇条は第一〇条第六項、旧第八一条は第二三条の二になつている。

ところで、本件起訴にかかる事案は、昭和25年度、昭和二十六年度の所得税逋脱に関するものであつて、その適用をみる法律は、昭和26年度の所得税の確定申告書提出期限である昭和27、2、27迄に公布施行されたものに限られるので、右企業組合の法律的性格についての規整もまた右中小企業等協同組合法の昭和27、4、28の改正以前の法律の適用をうけるだけであつて、その後の改正にかかる分は本件事案については直接的な関係はないといえる。

よつて本件判決では以下前叙の旧法条の条文を掲記することとする。

第二項 中小企業等協同組合法の立法趣旨

(1) 立法の経過としては、その前駆をなすものとし、早くも明治33、3、7に法律第三四号を以つて産業組合法が制定されており、その後右法を母体として大正14、3、30法律第二八号工業組合法、昭和7、9、6法律第二五号商業組合法がそれぞれ制定公布されたが、昭和15、3、12法律第五三号では右二法を廃止し、統制組合法にある商工組合法を制定した。ところが終戦後、昭和21、11、11法律第五六号において右統制組合法である同商工組合法を廃止し、商工業協同組合法が制定施行された。

(2) ところで

(A) 「終戦後統制組合を廃止し、民主的組合法の必要がみられた。つまり民主的な組合法制をつくる」ために、(証人小笠公韶の証言)

(B) 「以前の法律は官僚統制的な色彩が多分にあつたが、この法律はそういう統制的な面から離れ中小企業の自由な立場から、いわゆる民主々義の原則に基き立案された」(証人杉山茲郎の証言)

(C) 「中小企業等協同組合法の立法精神は、第一条に規定されているとおり、経済的に非常に弱い中小企業者のための相互扶助の精神に基いて、経済活動を促進し、かつその経済的地位の向上を図ることを目的として」(証人国井秀作の証言)

(D) 「中小企業者は個々では資本力信用力が弱いのでそれらが協同して相互扶助の下に組織化して大きなものに対抗し、個々の力では出来ないことを協同してやろうということで型にはまつたものには法人格を与え、政府は之に保護を与え育成を図ること」(証人遠山長雄の証言)

等の理由の下に、右商工業協同組合法を廃止し、前項のように中小企業等協同組合法が制定施行されたのである。

(3) 右法第一条には「この法律は、中小規模の商業、工業、鉱業、運送業、サービス業、その他の事業を行う者、勤労者その他の者が、相互扶助の精神に基き協同して事業を行うために必要な組織について定め、これらの者の公正な経済活動の機会を確保し、もつてその自主的な経済活動を促進し、かつ、その経済的地位の向上を図ることを目的とする」と、その立法趣旨を明確に定めておるが、その歴史的背景は右(1)、(2)のとおりである。

第三項 企業組合の立法趣旨

(1) 企業組合は右法の第五章として規定されているところから、右法の立法精神は企業組合の制定についてもまた同一であることは明らかなことであるが、次に判断するように企業組合は右法に同時に制定されている。事業協同組合、信用協同組合、協同組合連合会とは、法律的性格が全く異質のものである。かかる企業組合が制定された立法趣旨は

(2)

(A) 「零細業者の立場を守り、大資本の企業に対抗させるため」「零細業者の資本を集めても、必ずしも大資本に対抗出来る内容を持つ企業体を期待出来るわけがない。それよりも、中国の生産合作社のように働く人達の人権を中心にお互に励まし合い働ける制度にしようという気持からそういう制度が考えられた」(証人杉山茲郎の証言)

(B) 「零細な中小企業者が多く、経営体というよりその日暮しの職人的なものが多い。この中小企業者をして経営事務をやらせるためには、一つのまとまつた企業体を作らせる必要があつた。」そこで

「法人組織である株式会社やその他商法上に規定されている法人を組織させることは適当でない。中小企業者をして組合としての経営形体をつくり、それによつて組合員の財力と労務者を結集させようとして定めたものであり、

「中小企業者というものは自己が一つの独立の企業体であることに誇りを感じているがそれが株式会社に入れば単なる株主になつてしまう。一方企業組合に入れば組合員という名誉が与えられ組合の中に入つて一つの経営をやらされるようになる。そうした零細企業者の気持にぴつたり合うような新らしい型の組合を呈示した」ものであるが、しかし「中国の生産合作社が参考資料になつたが、それをモデイフアイしてつくつたとか、又は生産合作社をモデルにしたということはなかつた」(証人小笠公韶の各証言。)

(C) 「会社は作つても作り甲斐のあるものでないと効果ありませんが、企業組合は作つただけでも金融ベースにのれるので、それだけでも大きな特色がある。それに企業組合は組合員が四人以上であれば作れるので、使用人とでも親族とでも作れるわけで会社よりも簡単につくれて、しつかりやつてゆけば非常によいので、そういうことからできたもの」であるが、

「本来の組合とは違つておりますので、その企業組合を中小企業等協同組合の中に規定するのがよいかわるいかの議論は当時あつたようでありますが、企業組合は零細な企業が合同することによつて、弱い中小企業を強化してゆく上には一番よいと思つて企業組合を同法の規定の中に入れることに賛成した。」(証人豊田雅孝の各証言)

(3) 右各証言及び次の企業組合の法律的性格を併せて考えると、その立法の趣旨は、

零細事業者又は無職者が互に資力を集中し、技能を活用し、労働力を結集し、そのすべてを企業組合に投入することにより、零細企業の合同形式による企業体として、その組織を通じて経営規模を引上げ、経営を合理化し以つて公正な競争に堪えうる経済的地位を自ら確保せしめんとするものであり、しかもそれが経済単位、経営単位としては勿論、法律的性質においても、既存の株式会社、合資会社等と実質的には異ならないに拘らず、之等に対し、別個の企業形態として独立の存在価値を主張しうるものは、単なる構成員の資力のみの結集ではなくて組合員相互の扶助を目的とした人的な組合原則によつて支配されるところに、「零細企業者の気持にぴつたり合うような新らしい型」として組合にすべてを投入した組合員の権利の擁護に役立つからである点にあるというこができる。

第二節 企業組合の基本的性格

第一項 基本的性格(以下中小企業等協同組合法の旧法を単に組合法と称する)

(1) 企業組合を規定する法条は前示のように組合法第五章に規定されている各法条であるが、同時に第八二条第一項によつてその適用を排除される条項を除き組合法の他の条項が適用されることは明らかである。

(2) 組合法第七八条は「企業組合は、商業、工業、鉱業、運送業、サービス業、その他の事業を行うものとする」と規定している。この「企業組合は」とは「企業組合自ら」の意味であつて、之を「企業組合は組合員のために」とか「企業組合の名において組合員が」などとは決して解釈できないのである。すなわち企業組合自体が所定の事業の事業主体となるのであり、この点において、いわゆる各種会社がそれ自体企業主体となることとなんら異るところはない。従つて、当然企業組合の組合員は、加入すると事業主体としての人格を喪失し、事業から生ずる利潤の直接的帰属の地位を離れ、企業組合の従業員となつて、その中に「没入」しなければならないのである。

このことは、事業協同組合の組合員が事業主体である人格を喪失することなく、各自が経営単位としての法律上経済上の独立性を保持して、組合法第七〇条第一項所定の各事業や共同施設を利用することによつて、自らの経営する事業に対し組合を寄与させることは、大いに法律的経済的性格を異にしており、また信用協同組合、協同組合連合会の各構成員の性格も右事業協同組合の組合員と同様に、人格を喪失するものでないのであるから組合法に規定された四個の「組合」のうち企業組合は他と比較して異質な組合があるということができるのである。

(3) 右のような企業組合の法的性格なればこそ、組合法第七九条第三項乃至第五項の、営業禁止介入権の規定もまた、意義があるのであつて、右規定は、商法第四一条(支配人について)同第七四条(合名会社の社員について)同法第一四七条(合資会社の無限責任社員について、)同法第二六四条(株式会社の取締役について、)有限会社法第二九条(取締役について、)の各営業禁止介入権の規定と介同趣旨であることが認められ、いづれも、事業主体たる「法人」ととの構成員との間における営業関係を規整したものであつて、その「法人」が事業主体であるところにかかる規定が必要であるわけであり、その法人が事業主体とならない限り、無意味な規定であり、現に事業協同組合の組合員については、かかる規定は存しないのである。

(4) また企業組合に対する適用を、組合法第八二条第一項によつて排除された同法第一二条第三三条第一項第八号第五一条第一項第四号の各規定は、組合の組合員に対する経費の賦課の規定であり、同法第一三条は組合が組合員から使用料及手数料を徴収するについてはこの規定であるが、企業組合が事業主体であつて組合員は単なるその従業員である限り、組合員に組合の運営のための経費を賦課したり、手数料や使用料を徴収したりすることはありえないから適用を排除しているのであつて、これも又企業組合の性格よりすれば当然のことなのである。

(5) 証人国井秀作は「中小企業等協同組合法の中には、事業協同組合法、信用協同組合法、協同組合連合会、企業組合が規定されていますが、組織を構成する組合員、出資の方法、地域の問題は関連条文で規定されてをりまして、企業組合はこういう組合でないといかんとか、事業協同組合はこうでないといかんとかいつた様には独立した規定ではなつていないと思う。」と証言し、企業組合の法律的性格を二様に解釈しうる余地が残されているかの如く述べているが、企業組合が前叙のような法律的性格を有し、他の三組合とは異質な組合とあることは組合法を卒直に読めば、容易に理解されるのであつて、右法条は瞹眛でも難解でもないのである。従つて右国井証人の証言による解釈は考慮の限りでない。

第二項 企業組合の特異性

組合法の他の三組合及び商法、有限会社法所定の諸会社と比較し、企業組合の特異性につき論ずる。

第一点 企業組合は営利法人である。

(1) 組合法第三条は「組合は法人とする」と規定している。企業組合も本条により一個の法人格を附与されているわけである。

企業組合は組合自体が組合員の出資により、それを基礎として一個の企業体として、経済活動の機会を確保し、経済活動を行い、組合員の地位の向上を図ると共に、組合自体の利潤を獲得することを目的として、事業を経営するのであるから営利法人である。このことは、出資者である組合員自身が相互扶助の目的を以つて、組合の従業員として事業に従事し、且つ平等に一個の議決権しか持たないことの故を以つて、中間法人であるとか、公益法人と営利法人の性格を併用する特殊法人であるとかに解するべきではない。このことは明らかに、事業協同組合と異る点の一つである。

(2) 企業組合は法人であるが故に、法人税法第一条により、当然に組合の所得につき法人税を納める義務があるところが同法第一七条第一項第一号、第九条第六項により中小企業等協同組合法、所定の前示三組合については法人税の税率は、低率の三五%であるが企業組合については右適用から除外され、株式会社等一般営利法人と同率の四二%を課せられている。このことは企業組合の所得は純然たる事業所得であるためである。つまり組合法の他の三組合の所得と、企業組合の所得とは、法律的にも経済的にも性格を異にしているところからくる規定の相違と解せられるのである。

第二点 企業組合における従業組合員の所得は所得税法の給与所得、及び退職所得である。

(1) 組合員が企業組合から受取る所得のうちで、剰余金の配当のうち年一割を超えない範囲において払込済出資額に応じてなされるものは、本来利益の配当であるから、所得税法第九条第一項第二号により組合員の配当所得であり、なお余つた剰余金で組合の事業に従事する。程度に応じて受ける所得も、組合利益処分になる組合事務の従事組合員に対する賞与の性質を持つものであるから、所得税法上、前項同様配当所得である。

(2) ところで、組合法第八条には組合員が組合の行う事業に従事したことによつて受ける所得のうち、組合が組合員以外の者で組合の行う事業に従事する者に対して支払う給料、賃金費用弁償、賞与及び退職給与、並びにこれらの性質を有する給与と同一の基準によつて受けるものは、給与所得又は退職所得とする。」と規定されている。

(3) 企業組合はそれ自体一個の企業体であつて、その事業に従事する従事組合員は、経営主体たる独立性を消失して、右組合に没入しているのであるからその従事していることによつて組合から支払われる給料、賃金、費用弁償、賞与、退職給与は、従事組合員の非独立的労務の提供に対する報酬であつて、所得税法第九条第一項第五号に規定する給与所得に相当するのである。従つて組合としては右支払はすべて必要経費に組入れられる性質のものである。かかることは当然なことであつて、前示組合法第八一条は、組合員のかかる所得につき、更めて創設的に給与所得、退職所得の性格を給与したものでなく、確認的にこのことを規定したものにすぎないと解するべきである。

(4) ただ右法条に非組合員従業員のそれと「同一の基準によつて受けるものは」と規定されているため、「非同一」の場合は組合員個人の事業所得となると解する余地があるように考えられるが、従業員たる資格において労務を以つて従事する限り、組合員たると非組合員たるとを問わず、非独立的な組合内の地位における労務に対する報酬としての給与所得であることに変りはないのであつて、それが同一性質の基準に基くならば、外形的な額の高低、給与基準の緩厳等を以て軽々に同一でないと論ずるべきではなく、ただ、その基準の規定の仕方や額の決定に際し、組合員である資格を不当に加味したり、組合員が担当する事業所の出来高や取扱量に専ら基準を求め、その規定の仕方から非独立的労務の提供ではなく、実質的なその事業所の利益が相当する組合員の所得となり、非組合員従業員には、異質の基準を課するなど同一性質ではない基準によつてそれぞれが算定されるような場合に初めて「同一の基準」でないというべきである。従つて所得税法施行規則第七条の四第一項の「企業組合員が当該組合から受ける金額のうち、組合の生産量、販売量、その他取扱量を基準として受けるものは、給与所得、退職所得以外の総収入金額とする。」との規定は、単にかかる基準を以つて給料を規定したら直ちに組合法第八一条の適用を排除する趣旨にとるべきではなく、給与の規定の仕方が当該企業組合の全般的兼合において従事組合員と非組合従業員との間が同一性質の基準に基いており、かつその規定が非独立的労務の報酬と考えられる限り、右規則によるような点が規定に加味せられていたとしても之を以つて給与所得や退職所得でないというべきではないのである。

第三点 組合員の議決権、選挙権は出資口数のいかんにかかわらず一個である。

(1) 組合法第四条第一項第三号は「組合員の議決権及び選挙権は、出資口数にかかわらず、平等であること」規定しており、同法第一一条第一項は「組合員は、各々一個の議決権及び役員の選挙権を有する」と規定され、同第八〇条は「組合の総出資口数の過半数は、組合の行う事業に従事する組合員によつて保有されなければならない」と規定されている。

すなわち、企業組合においては、従事組合員が資本口数の過半数を出資しなければならないのであるが、組合運営のための組合員の重大な権利である議決権、選挙権は出資による資本額にて規定せず、企業組合が人的構成の面を強く保有しているとの端的な現われとして、各組合員に一個しか与えられていないのである。

(2) このことは企業組合が対外的及び経済的には株式会社等と異ることのない営利法人であるにかかわらず、その内部的構成、運営の面においては資本本位ではなく、あくまで人的本位であることの現れであつて、さればこそ、株式会社等に対し、企業体としての独自な存在価値を法律上主張しうる点があるのである。

その故に企業組合においては、零細業者がそのすべてを組合に投入して、その一従業員になつても、なお組合経営に平等に参加し、自らの技能や労力を自らの欲するところに従つて発揮せしめることが出来る運用に密接に接着しているのであつて立法趣旨もまたここにあるのである。

(3) 企業組合の右議決権、選挙権が一人一個であることと、事業協同組合の組合員のそれらが同じく一人一個であることとは大いに趣を異にしている。けだし、その差異は企業組合員にあつては一企業体内部における非独立的構成員のそれであり、事業協同組合員にあっては独立的企業主体者の相互関連的組織体に対するそれであるところにあるのである。

(4) だから議決権か一人一口の故を以つて、組合員が企業組合の中にあつても経営主体として独立性を保持しうるということの根拠には毫もならないことは明らかなことである。

第三節 綜合企業組合の適法性

第一項 法律的規定

(1) 組合法第七条第四項は「企業組合の組合員たる資格を有するものは定款で定める個人とする」とのみ規定されていて、個人であることを要する以外に事業協同組合法の如くその資格に法律上の制限はない。

(2) 組合法第三三条第一項第三号の地区の制限は、同法第八二条第一項により適用を排除されることにより、企業組合には地区の制限もない。

(3) 組合員数については、組合法第二四条により設立に際し、最少四名の組合員を必要とする以外には、その最大数の制限はない。

(4) なお、その経営すべき業種については、組合法第七八条で包括的に規定されているだけであつて、すべて定款に定めるところに委任されてをり。右第七八条には、業種の二種類以上の兼業を禁止していないところから、二個以上の事業を一個の企業組合で経営できると解することができる。

(5) 之を要するに、企業組合については、法律上、組合員の資格の制限、地区の制限、業種の制限、組合員数の制限がいずれもないところからその組合せにより企業組合の形態には各種各称の形態が存することが認められる。

第二項 綜合企業組合の形態とその適法性

(1) 右第一項のような法的規整から企業組合の形態としては、次の様式が考えられる。

(A) 同一業種の事業者が、事業所を一個所に集中して組織するもの。

(B) 同一業種の事業者が、事業所を分散して組織するもの。

(C) 関連のある異業種の事業者が、事業所を一個所に集中して組織するもの。

(D) 関連のある異業種の事業者が、事業所を分散して組織するもの。

(E) 関連のない異業種の事業者が、事業所を一個所に集中して組織するもの。

(F) 関連のない異業種の事業者が、事業所を分散して組織するもの。

(G) 右(A)~(F)が各種複合的に組織されるもの。

(2) 右の各形態は、形態以外の点で適法である限り、実際上の運営に難易はあつたにしても、形態自体から直ちに之を法律的規整を冒した組合であるということはできない。右いずれの組織によつても適法であるということができる。

(3) 右の(1)の中(E)(F)形及びそれを含む(G)の各形態は、いわゆる綜合企業組合と称せられているものであるが、右のような理論からすれば、綜合企業組合といえども、充分に適法に組織しうる企業組合の一形態であることを失わないといわなければならない。

第二目 実質課税の原則

(1) 所得税法第一条は、所得税の課税主体は同法の施行地に住居を有する個人であり、同法第二条はその課税物件は、その個人の所得であることを規定し、法人税法第一条は法人税の課税主体は同法の施行地に本店又は主たる事業所を有する法人であり、同法第二条はその課税物件はその法人の事業の所得であることを規定している。ところがこの「所得」及びその所得の帰属については明らかに定むるところがない。

この「所得」の概念については、租税法上の概念としては勿論、経済学上、財政学上においても種々論じられておるところであるが、この「所得」の概念とは別個に、ある「所得」が存する場合その所得税法、法人税法上その課税物件を誰に「帰属」させるかについては、所得の概念とも絡り、問題が生ずる。とくにその所得が、外見上は全く名義人である者、または法律上の帰属者と目されるが単なる名義人にすぎないのに反し、別個にその経済的収益を享受する者が存する場合、その「所得」はいずれの「帰属」として課税するかが問題になる。

(2) そこで按ずるに、国家経費の費用負担としての租税は、国家目的に合致することを前提として何よりもまず第一にその負担は、社会正義に則つて、公平であり平等でなければならない。このことは、租税法における条理であり。所得税法、法人税法は、国家にあつて、個人又は法人がその経済的活動による経済的利益の享受の程度を端的に表現している所得そのものを租税負担の基準として、公平、平等の条理に立ち、それに種々国家目的からの社会政策的、経済政策的、立法政策的な諸条件を加味して立法せられているものであつて、担税力に即応すべき「所得」を課税物件とするところに、負担の公平、平等の原則に最も適合することを目的として規定されているということができるのである。このことは所得税法、法人税法を貫く最も大きな条理であるといわなければならない。

(3) 従つて一定の「所得」が存在する場合に、その所得の帰属者は誰であるかということも各所得税法、法人税法の右条理に基礎をおいて解釈されねばならない。

そうであるならば、右二法における所得とは、終局的には特定の個人又は法人に帰属した支配可能な経済的利益であるとして把握され、立法の過程において前後のように社会政策的、経済政策的な要素が加味せられていたとしても、少くとも同一法定条件の下では、公平の原則から同一の負担であることが要請される限り、所得の帰属者と目されるものが、事実上、法律上単なる名義人であつて、経済的利益を終局的には収得しない場合に、その者に対し租税を負担せしめることは、名目的な「所得」により国家費用を不当に負担せしめることとなるのみならず、その所得の実質的な帰属者が不当にその負担を免れるという不公平な結果を招来するに至るのであるから、その所得を実質的に収得する者を租税法上「所得」の帰属者として課税主体にすることが公平、平等負担の原則に最も合致し、妥当な帰結を得るものであるといわなければならない。

(4) もつとも具体的にその帰属者を決定するにあたつては、私法各法に充分に依拠しなければならないと共に、租税実体法の趣旨に鑑み、慎重に決定されなければならない。この「所得」の帰属はあくまで租税法上の概念であるところから、私法上の権利関係に更に租税法上の経済的収得の享受の点を加味して判断する以上、必らずしも私法上の権利者が常に所得者になるとは限らないところに右原則が租税法上の独自のものであることが認められるのである。

(5) 右のことを本件当時施行されていた所得税法(昭和25年度分については昭和26、2、28迄に、昭和年度分については、昭和27、2、29迄に公布施行されたもの)について考察すると、同法第四条は個々に課税することが困難である合同運用信託の場合を除いて、信託財産の法律上の所有者ではないが、信託財産から生ずる所得につきその所得を信託の利益として受くべき受益者、つまり実質的に該所得の帰属する者を所有者とみなして、その実質的に帰属する所得についての課税主体としているのである。之は正に所得の帰属は、私法上の名義人とは別に実質的に、その経済的利益の享受者とすることを明文を以つて規定したものであるというべきである。しかも右条文は大正11、4、17法律第四五条を以つて、当時の所得税法第三条の二として規定されて以来、昭和15、3、29法律第二四号による同法の改正において、第六条として右同文が維持せられ、さらに昭和22、3、31法律第二七号の同法の大改正においても、第四条として従前の条文がそのまま維持せられて規定されているのであり、従つて、所得税法にあつては、右のような実質所得者に対する課税の原則は、早くから明文化されて顕出されていたのであり、かかる条文を一つの現れとして右原則は所得税法、法人税法に潜在する条理であつたのである。

また、所得税法上の課税物件である株式配当金の帰属を定むるにあたつては、株券及び株主名簿の名儀によるべきではなく、その実質により決定すべきであるとした行政裁判所の数次の判例、昭和7、1、30(行政裁判所判決録第四三輯一〇頁)昭和10、7、19(同第四六輯六〇〇頁)昭和16、3、13(同五二輯六九頁)は、いずれも、実質所得者に対して課税する原則に則つたものであると解することができるのであつて、当然裁判所も右判例の趣旨を是認するものである。

(6) 本件事案の後、すなわち昭和28、8、7法律第一七三号の所得税法の一部を改正する法律により、同法第三条の二として資産又は事業から生ずる収益の法律上帰属するとみられる者が単なる名義人であつて、当該収益を享受せず、その者以外の者が当該収益を享受する場合においては、当該収益については、所得税は、その収益を享受する者に対して、これを課するものとする」と規定し、また昭和28、8、7法律第一七四号により、法人税法においても、同法第七条の三として右と全く同趣旨の条文が設けられた。右二ケ条は正に実質所得者に対する課税の原則を明文化したものであり、従来条理として所得税法、法人税法に潜在していた、右原則を確認的に顕在ならしめたというべきであつて、右法条の規定を以つて右原則が初めて、創設的に設けられたと解するべきではないのである。

第三目 企業組合と実質課税の原則

第一節 企業組合における所得と実質課税の原則

(1) 実質所得者に対する課税の原則は、所得税法、法人税法に通ずる原則であることは前叙のとおりである。ところで、企業組合における「所得」が、企業組合自体の所得、つまり法人の課税物件となる営業所得であるか、右組合を構成している組合員の個々の組合員個人の事業所得であるかが問題となる場合、すなわち所得税法と法人税に亘る場合にも当然右原則は適用されるというべきである。

(2) ところで企業組合は組合法第三〇条、第三一条によつて明らかな如く、主たる事務所の所在地において設立の登記をすることによつて成立し、その日から二週間内に行政庁に役員名簿を添えてその旨を届出するだけで、比較的簡単に法人格を取得することができる。しかしながら、その成立をみた企業組合にして、法律上法人格を取得しているものの、企業組合自体はなんら法人として事業活動を営なんでおらず、該組合を構成している組合員が個々に企業組合の名の下に事業を営みその事業から生ずる収益は、一切実質的には当該組合員が享受しているような場合には、法人としての企業組合は右収益のたんなる名義人であつて、法人課税の対象となる課税物件(所得)は存在せず、却つて右収益は実質的に帰属する組合員個人を課税主体とする所得税の対象とする課税物件(事業所得)が存在しているというべきであつて、かかる場合当該組合員から右収益を事業所得として所得税を徴収しなければならないのである。

(3) しかしながら、一定の所得につきその課税主体を前叙のように判定することは、その企業組合が法律に基いて設立されたことにより附与せられている法人格までも、税務官庁が否認するのではなく、その一定の「所得」についての「帰属」関係を、租税法上の右原則に基いて、法人としての企業組合に帰属することを否認し、之を構成する組合員個人に帰属すると判定し、所得税法によつて当該組合員から徴税するというにすぎないのであるから、かかる判定をなすということと企業組合が法律上の法人であるということとは直接的に相矛盾することではないのであり、また法人格を否認する必要もないのである。

(4) ところで本来的に個人企業を継続し、従来どおり営業も生活も自己の店舗や工場から生ずる売上金で賄い、その営業上の一切の損得の危険を負担し、収益一切を実質的に享受する意志を有しながら、企業組合の法人であることを利用して、之を設立し、または設立された企業組合に加入し、恰も組合が事業主体となつて事業を経営しているかの如く装い、真実は個人営業を個々の組合員が行い、以つて実質的には当該組合員の事業所得でありながら之を右企業組合の営業所得又は給与所得と目することにより、租税負担の軽減を図るとすれば、右企業組合の設立は単なる脱税のための手段であつていわゆる仮装法人というべく、かりにかかる企業組合も法人格を有するとしても、かかる場合はもはや前叙の実質課税の原則の問題ではなく、またかかる原則をまつまでもなく、当該組合員個々の事業より生ずる収益は当該組合員に帰属する事業所得であることは当然であり、ただかかる仮装法人の設立は所得税法違反の問題として論じなければならないのである。

(5) そこで所得税法違反となるか否かの立場からではなく、企業組合の育成とその具体的な運営につき指導の立場にある中小企業庁のとつた態度と、企業組合とその組合員に対し専ら課税の立場から行動した徴税官庁の態度とにつき以下ふれることにする。

第二節 企業庁の態度

第一項 中小企業庁の指導

第一点 企業組合指導指針

(1) 中小企業庁振興部協同組合課長である証人遠山長雄の証言によれば、組合法成立を契機として、企業組合の保護育成の立場から、その主務官庁である中小企業庁としては、企業組合が従来からあつた組合と性格的に異つている点から、その趣旨の徹底を期する為、企業組合の直接の指導機関である都道府県の係官に役たたせる為の指導指針を作成し昭和25、5、23「企業組合指導指針」として地方に流したことが認められる。

(2) 右企業組合指導指針は

「一、組織化の目標

二、組織化の方針

(一) 組合員について、 (二) 組合の事業について (三) 組織化を適当とする環境について、 (四) 組合の規模について (五) 組合の出資関係について (六) 組合の形態について、

三、運営の方針

(一) 組合の経営管理について (二) 組合役員について (三) 組合員の給与及び配当について

の各項目からなつており、企業組合の適正な形態とその運用方法を例示して企業組合に関する組合法の簡単な法条の趣旨を明白にしていると云うべきである。

第二点 企業組合経理指導要領

(1) 証人遠山長雄の証言によれば、その後企業組合の経理の点が重要視されたのでその趣旨徹底のため昭和26、2、15通達「企業組合経理指導要領」が発表されることが明らかである。

(2) 右経理指導要領は

前点の指針に加えて具体的に企業組合の経理を確立する上に留意すべき点として

「一、設立の際における資産関係について、 二、事業所管理について

三、仕入管理について 四、販売管理について

五、商品等たな卸資産の管理について 六、事業用施設について

七、給与について 八、一般会計管理について」

の各項目に別け、詳細綿密に、経理につき指導しており、特に給与の決定については、国税庁通達九、(昭和25、10、24直所一―九八、直法一―一一四)に適合することに留意するように指導していることが認められる。

第三点 企業組合基本指導要領

(1) 証人遠山長雄の証言によれば、当初予測し得なかつたケースも分つたので法律施行後の経験を取り入れて業種別も加味された指導指針が作られ昭和28、12、23通達「企業組合基本指導要領が発表されたことが認められる。

(2) 右基本指導要領は、前示のような作成趣旨に基き

「第一、基本方針

第二、組織

一、企業組合の設立に必要な諸条件及び留意事項

1、環境 2、規模 3、構成

4、形態 5、出資 6、資産等

二、企業組合に適応する業種業態

1、製造業 2、物品販売業 3、建設業 4、サービス業 5、綜合事業

第三、運営

一、総務

1、組合員 2、役員 3、職員等 4、給与 5、労務管理

6、会議(総会、理事会等) 7、定款及び規約 8、事務

二、経営

1、事業所管理 2、仕入管理 3、販売管理 4、物品管理

三、経理

1、勘定科目 2、帳簿及び帳簿組織 3、記帳経理及び内部統制 4、一般会計管理

5、自治監査(附財務諸表)」

の各項目からなつており、その指導は懇切叮寧であつて細部に亘つて詳細に記されていることが認められる。

第二項 中小企業庁の育成と税務諸官庁との関係

(1) 証人遠山長雄の証言によれば

(A) 企業組合には、とにかく税の関係があるので国税庁が企業組合に対する理解を深める様に、また企業組合の特殊性について国税庁の担当官の理解を深めるための諸措置をとつた。前示企業組合指導指針を作成するにあたつては、国税庁の担当官の賛同を求めて、また、一般の組合と同じく経営を合理化するため新規の施設をとり入れるときは、政府が助成し、金融面では、商工中央金庫に企業組合をも参加させたこと。

(B) また税の面では、要望としては企業組合を特別法人扱にし、保護育成するため、税の逓減を図る様にということで関係官庁と折衝したこと

(C) 企業組合の税の関係から国税庁の担当官の理解を深めるため、中小企業庁としては、国税庁が後述するように「九原則」を出した際にその趣旨の徹底を期する目的で外廓団体である日本中小企業団体連盟の主催で、右証人等も参加し、国税庁の村山所得税課長も参同し、その趣旨を説明したことがあるが、その際に右証人の前任者である組合課長が、企業組合の本来の趣旨からいつて、健全な組合までが不健全な組合と同じ取扱を受けない様に国税庁としては企業組合本来の趣旨を末端の税務署まで徹底して欲しい旨を要望したこと。

(D) 改正所得税法第四六条の三の規定の運用に関する三長官の覚書を取かわした趣旨とするところは昭和28、8、7の所得税法の改正が健全な企業組合の発達を阻害するものではなく、すでに、立派に経営されて税法上承認された組合まで遡つて適用しないということを末端まで滲透させること、将来とも企業組合に対する通達については相互に緊密な連絡をとること、中小企業庁としてももつと積極的に企業組合に対する指導をする点にあつたこと。

(E) 右昭和28、8、7の所得税法の一部を改正する法律には附帯決議が附せられ、それに基き、企業組合等課税懇談会が設けられたが、それにつき、右会には、中央では、中小企業庁の振興部長が参加し、各出先の通産局の商工部長が各国税局単位に懇談会の委員として参加し、右改正による法律の運用が円滑になるようにしたことが認められる。

(2) なお、中小企業等協同組合法は前叙の如く、昭和30、8、2法律第一二一号を以つて大改正され、旧法とは条文の体裁を一変してしまつたが、その改正の要点とするところは、

(A) 証人小笠原公昭の証言によれば

1、定款に認可制をとり

2、監督規定を強化し

3、中央会を作つた

ことであつた。

(B) このことは、同証言によれば、当時設立されていた三万の企業組合の中で睡眠組合が非常に多すぎる。これは届出制の法律の制定の時期が早すぎたことによる。従つて現状からみて許可制にし、定款に対する監督、並びに監督官庁の組合に対する指導の必要性が痛感された一方、多数の組合を指導してゆく為には、行政庁のみでは不充分なので、相互に監査指導してゆくため中央会が設けられたのである。旧法は自由にして民主的な経営形体を与えたが行きすぎがあつた。つまり法制化が先走り過ぎたので現状に合わせるため定款の認可制に逆戻りしたものであることが認められる。

(C) しかしながら、証人遠山長雄の証言によれば、右改正によつても立法当初の内容と改正によるものとは根本的には相異はないことが認められる。

第三節 税務諸官庁の態度

第一項 いわゆる「九原則」について

第一点、九原則通達が出された経緯

後記九原則の出された当時の国税庁直税部所得税課長補佐であり、九原則の立案に参劃した証人久田重次郎の証言によれば

(A) 企業組合の中には名前許りのものが尠くないということが問題となり、国税庁で検討の結果、個人で営業していることが明らかな場合は、法人名儀であつても、個人として課税するといういわゆる実質課税の原則により九原則の通達をだした。

(B) そのようなことは下級官庁から報告があつたり、或は新聞で書かれたりしたのでその通達を出すようになつたものであり、

(C) その作成については相当の期間を費し、昭和25、8末にひらかれた全国の直税部長会議において、その案を検討し、昭和25、10、24に出されたものである。昭和25、8、30附として正式に通達はだしてはいない。しかしながら、どうせ公表することになるのであるから、別に厳重な秘密扱とする程の扱ではなかつた。

(D) 業者としては関心があつたので通達をだす前に色々質問があり、それに対し証人から説明した。

(E) なお、この通達を出すについては中小企業庁と協議し、その諒承も得た。

(F) 右通達の実施については、それを出した直後の昭和25、11月か12月にひらかれた全国直税部長会議においてその通達について詳しく説明すると共にその運営についても打合せした。

(G) 国税庁においては、当時の課長や私などが組合関係の会合に呼ばれたとき、その通達の趣旨を良く説明したが、各地でもその通達に書いてあるような配意をした。

ことがそれぞれ認められる。

第二点 九原則の内容

前叙のような経緯で、昭和25、10、24当時の国税庁長官高橋衛の名を以つて「企業組合員等が当該組合から受ける所得に対する所得税等の取扱について」(直所一―九八、直法一―二四)が通達として出された。関係部分を掲記する。

企業組合の組合員が当該組合から受ける所得に対する所得税等の取扱方について

(昭25、10、24)

首題のことについて、次のように取扱方を定めたから通達する。

なお中小企業等協同組合法は、昭和二十四年六月の制定にかかり、同法に則る企業組合は、その後設立されたものであるから、設立後日なお浅く、記帳経理等についても必ずしも整備しないものが少くないように見受けられるのであるが、同法本来の趣旨に則り、相互扶助による経営の改善合理化を図ろうとする真面目な組合に対しては、記帳の指導援助等について十分配意するように努められたい。

一、企業組合又はその組合員について、左の各号に掲げるような実質上法人たる企業組合の存在と相容れない事実があるときは、その事実が組合員の一部の者にあるに止り全体としては、当該企業組合が法人としての事業活動をなしていると認められる場合を除き、当該企業組合の計算に帰属せしめられている取引から生ずる所得は、これをそれぞれ当該組合員個人の事業所得等として課税するものとし、二から一三までの取扱いによらないものとする。

(一) 組合の計算に帰属せしめられている取引が組合員個人の名儀でなされている事実。

(二) 組合の計算に帰属せしめられている取引のために要する資金が組合員個人の名義で銀行から借入れられている事実。

(三) 組合の計算に帰属せしめられている取引から生じた資金を組合員の個人名儀で銀行に預金している事実

(四) 商品等のたな卸資産の所有が組合に属さず、組合員がこれを販売した等の場合において、その取引の結果だけを組合計算に振替経理している事実。

(五) 組合の計算に属する商品等のたな卸資産を、組合員が予め組合の承認を受け、且つ、組合に対する自己の債務勘定をたてることなくして自家消費等の処分をなしている事実。

(六) 組合員が予め組合の承認を受け、且つ、組合に対する自己の債務勘定をたてることなくして、組合の計算に属する商品等たな卸資産の販売代金を自己の家計のために使用する事実又は組合の承認を受け、且つ、債務勘定をたてている場合においても、当該販売代金を自己の家計のために使用することを常例とする事実。

(七) 従前の組合員の事業の用に供する固定資産で組合に対して出資していないものを無償で組合の事業の用に供している事実。

(八) 組合員がそれぞれ従前の自己の店舗等において、組合の事業に従事する如き企業組合において一の店舗における資金の不足を他の店舗における余裕金で賄うことなくして銀行等から借入れをなす等の事実。

(九) 組合員がそれぞれ従前の自己の店舗において、従合の事業に組事する如き企業組合において組合員が当該店舗において、従前の自己の商号のみを使用する等当該店舗における事業が組合員個人の経営に係るものと誤認せしめる事実。

二―一三 省略

一四、企業組合が組合員又はこれと生計を一にする親族に対する給与について、この通達後昭和二十五年中に、その給与を九の取扱に適合するよう同年の年初に遡つて改訂した場合においては、九により取扱うも妨げないものとし、一に掲げる事実のある組合が同年中にその事実を是正し、法人たるの実を具えるに至つたと認められる場合においてもまた同様とする。

右通達の中「一の(一)~(九)」がいわゆる「九原則」と称されているものである。よつて本件においても、右を、「九原則」と称し、右通達の中「一の前文」を「九原則の前文」と謂うことにする。

第三点 通達の意義

税務官庁において、訓令、指令、示達、通牒、通達、回答などの名称を以つてだされるいわゆる取扱通達は、税務官庁の系統的組織内において、租税法規、財政会計法規、行政組織法規と共に、具体的な執務の基準を示すことを目的として出されているものとであつて、法令として上級機関から下級機関を拘束するものとして出されているものに属しないから一般の第三者に対しては勿論法的拘束力を有することはない。しかしながら純然たる税務官庁自体の事務規程としての取扱通達はともかくとして、右通達は一般に公用されており、官庁内部の秘密事項ではないのであつて税務諸官庁は一応その通達に依拠して実務を処理する現状である以上、納税者その他外部関係者との交渉をもつ事項、特に租税法規の具体的解釈を内容としているものなどについては、租税法規の補充として、それ自体事実上規範的性格を有する面があることは認めざるをえない。

第四点 九原則と実質課税の原則

第一、前文について

(1) 九原則はその発表当時まだ成文化されてはいなかつたが、租税法の中に条理として潜在していた実質課税の原則に基き、企業組合の形態における所得が法人の営業所得であるか、それを構成する組合員個人の事業所得であるかの判定につき、その基準となるべき事項を列挙した。いわゆる租税法規の具体的解釈を内容とした取扱通達である。

(2) この前文では、九原則に該当する運営を行つている組合員が一部であつて、全体としては、当該企業組合が法人として事業活動をしているときは全体として法人税を課税し、之を個人課税の対象とはしないことを定めている。(もつとも当該組合員が右通達二一三の判定を受けることはありうる)

(3) この前文にいうところの一部と全体との関係は、簡単に数字を以つて示しうるものではなく、結局具体的企業組合の具体的事象につき、具体的に判定する以外にはないと云える。

第二、九項目について

(1) (四) 項

(1) 既に認定したように企業組合にあつては之を構成する組合員が組合組織に没入して、従事組合員は完全に一従業員であることを要する。従つて、その従事する事業は当然に組合を主体とする事業であるから、商品等の棚卸資産は組合の所有物でなければならない。組合員が従来個人にて営業を営んでおり、その店舗又は工場を組合の事業所として運営する場合には、個人の所有にかかる商品等の棚卸資産は、それが引続いて営業に組入れられる限り組合に売渡するが、贈与するか、現物出資する等により、その所有権は当然に組合に移譲されなければならないここにこそ企業組合が一個の合同した企業体たる所以があるのであり、販売、製造にかかる商品等が組合の所有に属することは企業組合にあつては、本質的根本的要件なのであつて、之を欠くことは絶体に許されないのである。

(2) そこで、九原則(四)項に当該する事実、すなわち、所有権が組合には属さない商品等を販売し、その取引の結果である数字だけを組合計算に振替え組入れている場合は、その売上金の実質的帰属者は通常組合ではなく、その商品等の所有者であることは当然であり、かかる商品等の所有権が販売した組合員に存する場合それより得られる収益は組合員に実質的に帰属することも明らかである。

(3) この(四)項は実質課税の原則を企業組合形態の法人の所得の判定に適用するに当つては、之のみでは本質的要件をなすものであり、九項目中最も重要な事項であるといえる。

(2) (五)、(六)各項

(1) (五)項は商品を勝手に自家消費する場合、(六)項は売上金を勝手に自己目的に使用し、且つそれを常例としている場合である。右(四)項の事実が存する場合は、(五)、(六)の各事実が生じたとしても当然の帰結といえる

(2) (四)項に該当しない場合には、(五)項の事実があつたとしても、それは有力な個人所得の証左となることはあるが、それのみでは必らずしも、その所得が個人にのみ帰属するとは直ちにいえない。蓋し業者の営業は反覆継続されるから、(五)項の事実が偶然的にまたは、一回的に生じたとしてもその事実のみを以つて営業全体の収益がその個人に帰属するとはいえない。(六)項の前段についても、全く同様なことがいえる。故に、この(五)項、(六)項前段に該当する事実が実質課税の原則を基礎づける事由となるというためには、かかる事実が各組合員に反覆継続的に生じ、之を常例としている場合に限られるというべきである。

(3) (七) 項

(1) 無償で固定資産を組合の事業の用に供することは通常一般的には稀なのだから、かかる事実があればその事業による収益が無償で提供している組合員個人の収益に帰属することの証左になるというのであるが本項はかかる事実があつとしても、本項のみを以つて右の如く直に結論づけることのできる事項ではない。

(2) 他の事由と相俟つてその所得が個人に帰属することの事由になりうるにすぎない。

(4) (一)、(二)、(三)項

(1) 右は取引、銀行等の預金、借入金の各名儀が組合員の個人名義によつてなされている場合であるが、一般に取引名義、預金、借入金名義は、それらの帰属主体の推定となりうるのであるから、取引における個人名義の使用や個人名義の借入金の使用が、反覆され、預金名義も長期間に亘り個人名義であるから同一通帳が営業にも個人生活費用のためにも使用されているような場合には、その事業が個人営業であることの有力な推定事実にたりうる。

(2) しかしながら之等はあくまで推定事実にすぎないのであつて、本質的要件をなすものでないことは明らかである。

(5) (八) 項

(1) 本項に該当する事実は資金の回転が当該事業所のみでなされていて、他事業所との間に現金の流通のないことは、その事業所の事業が之を担当する組合員個人の責任と危険負担においてなされていることの証左となりうる。ことに運転資金のみならず給料についてもその所定額の多寡にかかわらず、全然当該事業所のみの売上金及びその担当組合員個人が他から工面した借入金のみによつて賄われている場合は、給料額の決定のいかんをとわず、当該事業所の収益は一切その担当組合員に帰属することの有力な推定事実たりうる。

(2) 勿論かかる場合でも組合全般が名義のみの法人で所得がないというためには、事業所の大部分がそれぞれ事業所毎に運営資金及び給料等の資金の運用につき孤立している場合である。

(6) (九) 項

本項は附随的事象であつて、本項の事実の存在は一般的推定事実の一つにすぎない。

(7) 全般

右九項目は、企業組合の所得と目されるものにつき、その組合への帰属を否認して、個人の所得であると判定するにあたつての主たる事象を例示列挙したものであり、その事象間には右に判断したように判定基準として自ら性格や程度に相違がある。よつて、右の判定をするには右各項目によつて企業組合の諸事象を個々に判定した上、更にそれらを比較検討して、充分慎重に綜合的に判断しなければならないと云うべきである。

第二項 実質課税の原則の成文化について

(1) 昭和28、8、7法律第一七三号「所得税法の一部を改正する法律」によつて、その第三条の二として「実質所得者に対する課税の原則」が明文化に規定されたことは前叙したとおりである。

(2) ところで右改正によつて、同法第四六条の三(昭和29年法律第五二号による同法の改正により、同法第四六条となる)が規定され、右原則の法人の営業所の所長に対する適用についての推定が設けられた。

(3) 右二個条については、衆通院、参議院両院の付帯決議がなされたが、その趣旨とするところは右二箇条の施行は中小企業法人の組織と発達に重大な影響を及ぼすものであるから、政府はその実施に当り、十分慎重を期すること。第四六条の三の適用に当つては、当該地方における所轄官庁、当該法人の所属する団体の代表者並びに学識経験者よりなる諮問機関の意見を徴した上、当該地方国税局長が決定することとし、中小企業法人の発達を阻害することのないように厳重留意されたいというにあつたことが認められる。

(4) よつて企業組合等課税連絡懇談会ができ、民間人を加えた諮問機関により、その運用の公平適正をはかる制度となつているのである。(以上証人広瀬時江、遠山長雄の各証言)

(5) なお右第四六条のことについては三長官(中小企業長官、国税庁長官、大蔵省主税局長)の覚書が出されたことは前叙したとおりである。

(6) 右改正にあたり、国税庁では、昭和29、1、5「昭和28、8月改正所得税法の取扱方について」と題する取扱通達を出して、右二箇条による取扱についての細部を定めた。

第三項 いわゆる「三六原則」について

(1)

(A) 昭和29、4、20「所得税法第三条の二及び第四六条の規定の運用について」と題する通達

(B) 昭和29、4、20「法人名義を仮装して社員等が個人で事業を営んでいるかどうかの判定について」と題する通達

が発表され

後者の通達の別紙として判定調査要目が掲げられているが、その調査細目が三六項目あるところから、この通達を通常「三六原則」と称している

(2) 証人久田重次郎、広瀬時江の各証言によれば

(A) 九原則による調査の経験を生かして、所得税法第三条の二の法律解釈として、いわゆる「三六原則」がつくられ

(B) 右原則は、九原則の趣旨を具体的に表示したものであつて、形式的には、九原則の項目が少いので更に精密な判定をするように右三六項目をつくつたのであり、九原則は、形式的には廃止されたが、発展的に解消し三六項目の中に生きており、

(C) この三六項目は、単に企業組合だけではなく、法人名義を仮装して社員等が個人で事業を営んでいるすべての事項を調査の対象としているものである。

第一目 共栄企業組合の実態

第一節 序論

第一項 企業組合の基本的機構

第一点

企業組合にあつては組合員となるべきものが経済的力労働力を組合に没入し、その一従業員となつて組合自体の事業に従業することを最要のかつ最低の本質的要件とするものであることは第一款において詳論したとおりである。そして組合自体が組合の行う営業の主体であり損益の最終的帰属者であることの一点において、その外形的外観的な酷似にもかかわらず事業協同組合その他の協同組合と事実的にも会計原則的にも同位において論ずることのできない決定的な面がある。しかして、組合が事業の主体であり、損益の帰属者であることは、論理必然的にその販売する商品、製造する材料、消費する消耗品は組合の所有でなければならないし、使用する機械器具什器備品は組合の所有であるか、適法に賃借り又は使用貸借しているものでなければならないことも既に論じたとおりである。従つて組合員となろうとする者がその従来の営業を組合に没入せしめて一従業員となり、従来の個人事業をすべて組合の事業とし、その店舗や工場を継続して組合の「事業所」として営業しようとし、かつ従来の個人営業の商品、材料、消耗品を組合の「事業」に供しようとする限り、それらの物品は個人から組合に売渡すか、現物出資するか、贈与するかしなければならないし、また、使用しようとする機械器具什器備品は組合に前同様な方法がとられるか、若しくは適法に賃貸借、使用貸借の関係を締結しなければならないのである。

以上のことは再言すると、第一款第三目第三節第一項で述べたとおり企業組合の最要且つ最低の根本的要件であつて、この一点を離れて企業組合としての実態は零に等しいとも云えるのである。よつてこのことは、企業組合を法的、社会的、経済的、歴史発生的、イデオロギー的経理的にいかように規整し、理論付けしたとしても、すべてこの点を大前提としない限り空理空論に堕するほかはないのである。

第二点

そうであるとすれば、組合員となろうとする者が組合に出資金を出資して組合員となり従来の個人の営業を組合に没入したと称して、継続して組合の「事業」を担当していると称したとしても、根本的前提として第一点において述べた点がつまり商品、材料、消耗品が組合の「所有」でない限り、(什器、備品、機械、器具については、理論必然的に組合の所有でなければならないわけではないのでこの場合は前者に比べて稍々異る)そのような組合員よりなる組合が他の点においていかに組合として統一規整されていたとしても、つまり帳簿に日々の収支を正確に反映せしめ、役員を正当に選出し、会議を真剣且つ民主的に運営し、現金の管理を正しくやり、名称を企業組合と称し、仕入販売を厳格に規整し、共同仕入、販売を実行したとしても、個人の所有の商品を販売し個人の所有の材料で製造販売した、収支の帰属が個人でなくて組合であるということは、到底いえるものではないからである。換言すれば右のような場合は、いかように之を粉飾したにせよ収支の帰属は組合ではなく、その組合員という個人にあることは明白なことである。

そうであるからして、或る組合員の営業による収支の帰属がその組合員個人にあるか、組合自体にあるかの判断は何よりも先ず第一点に述べた点から究明されねばならないと解せられるのである。

勿論、第一点に述べた点が満足されていて、つまり組合員がその「所有」の商品、材料、消耗品により営業されていて、その収支損益の最終帰属者が組合である場合において、その営業自体の現実的在り方がどうなければならないか。また給料と称して支給される報酬の具体的内定からしてその組合員の受ける「金額」が税法上どのような規範に属するものであるかについては、問題は自ら別である。しかしながら第一点に述べた点が満足されていない限り他を論ずる余地はないのである。

第二項 共栄企業組合の実態判断の基本的論点

第一点、組合員加入時の組合側の組合についての説明

個人営業を継続しておる(たとえ休業していたにしても)業者が企業組合に加入する以上浅深の差はあつても組合の実体につきなんらかの認識と理解がなくては加入する筈がない。なんとなれば、企業組合は幾度も繰り返すように「個人営業を廃業し組合に没入する。」体の組合であり、このことが何にましても加入決意の対称になるべき筋合の組合であることを本旨とするからである。そうであるから本組合の組合側である被告人四名を含む役職員が加入希望者等に対して、本組合の実態につき、どのように説明していたかを究明することは、被告人をはじめとする役職員の本組合についての認識を知ることができると共に、組合員が本組合をどのような実態のものであるとの認識と理解の下に加入したかを判断するに何より必要なことであると解せられるのである。

第二点 組合員の営業用資産の組合に対する譲渡について

第一 資産の譲渡

既に論述したとおり組合員が加入して、従来の店舗又は工場を組合の事業所とする限りその所有にかかる営業用資産(商品、材料、消耗品、機械、器具、備品、什器、本組合では全部買受の方法によつているので、貸借関係の場合はしばらくおくとする)は組合に譲渡し、組合の所有としなければならないことは根本的要件であるし、先ず第一に究明されねばならないことである。

第二 営業用資産の譲渡が真実になされたかどうかの判断の方法

ある組合員が加入にさいし、その所有にかかる営業用資産組合にどのように関係づけたか。つまり売渡したか、現物出資したか、贈与したか、はその組合員と組合との間の一回的個別的行為であるから、その一個の行為をただちに本組合の組合員全員のかつ数年に及ぶ間のすべの資産処理の行為の基準とすることはできない。しかしながら本組合と資産の譲渡関係に立つたすべての組合員及び脱退者を全員調べなければ本組合の資産処理の実態が判明しないわけではない。諫山弁護人は、この点につき、「典型」に属する行為を調ぶれば諒とされるが、本件では典型を調べていないから資産処理の実態は証明されていないと主張する。「典型」を調ぶべきであるとの主張は所論のとおりである。

ところで、それが形式的のみにせよ実質を備えていたにせよ一個の組織を有し、団体的にその行為を規整していた本組合にあつて、年代的、地域的に多少の差異はあつても、その資産処理の手続を含め加入手続が制度化され、統一され類型化されていたことは、各被告人の論述を初めとして第二節以下に詳述するところから明らかなように資産棚卸表、貸借対照表、買上証、信用証を画一的に作製していることに徹しても充分にいいうることである。であるから、ある地区のある年代にとられていた資産処理の方法は、それが明白に特異なものでない限り、少くとも同日時頃の同地区の他の資産処理の方法についての類推の有力な証拠たりうるし、さらにある地区においてという年月日にとられていた資産処理の方法と、その後のBという年月日にとられていた資産処理の方法が基本的な点において同一である限り、AとBとの間の期間の資産処理の方法も他に特段の事情がない限り基本的な点においてA・Bのときにとられた方法であると推認するについての充分の論拠となりうるということができるのである。

よつて、第二節以下において、本件において取調べた組合員の資産処理の方法が諫山弁護人の主張するように「典型」であるかないかを究明することにする。

第三、右以外の点の判断について。

〔一〕 債権債務の処理について、

業者が営業を組合に没入して組合の「事業」を担当するに際し、従来の個人営業のときに有していた債権、債務を組合に譲渡、引渡しなければならないかどうかについては、諫山弁護人、森原被告人の主張のとおり、それは組合員たるべきものと組合との間で適当に処理されればよいことであつて資産の処理のような本質的内容をなすものでない。しかして資産の処理とは、必らずしも関連のあることでもない。もつとも、加入に際し、資産の処理と同時に債権債務の引継が行われる機構になつている場合には、自ら関連を持つに至り、特に営業全部の組合に対する譲渡の場合は、資産勘定、負債勘定として資産の処理と同一の法律関係の下におかれるに至る。よつてこの場合には、資産の譲渡が適法に行われたかということと債権、債務が適法に組合に引継がれたかということとは同一の関係にあることになる。この見地にたつときは、債権、債務の引継ぎが適法になれていなかつたことは資産の組合に対する譲渡も適法に行われてなかつたことの有力な証左になりうるといえるのである。

〔二〕 固定資産(土地、店舗、工場、大きな機械設備)の処理について、

この点も組合が固定資産の所有権を取得する方針でない限り本質的要件をなすものではないので資産の譲渡に関連する程度において論ずる。

〔三〕 名義の変更について、

資産の譲渡にあたり、名義を変更するもの、たとえば電話、自転車、リヤカー、オート三輪などについては、真実に所有権が組合に譲渡されている場合には、通常譲渡に際し名義を変更することは当然であるが、各義を変更せず又は後れてしたとしても、そのことにより所有権取得の有無を左右されるものではない。また真実に所有権が組合に譲渡されていなかつた場合には、名義を変更しなかつたことは当然であるし、名儀を変更したとしてもその変更のみでは、却つて所有権の仮装譲渡の証憑となることになる。よつて右の名義変更の有無は、全く各組合員の個別的な資産処理にあたつての間接的事実として個々的に判断されるべきであつて、画一的、名義変更の有無のみが独立して判断の対称となるものではない。

また営業種目による免許可の名義、たとえば、酒類、塩の各販売、たばこ小売、飲食店の名義変更についても右と同様なことがいえるが、免許可の名義の如何は、資産の処理とは直接的な関係はない。よつて、その程度においてのみ論ずることにする。

〔四〕 仕入、販売の統制、規整について

資産の処理と、営業の規整、つまり、仕入、販売の統制や規整の関係については、資産の譲渡が適法におこなわれて、資産が組合の所有となり、譲渡した組合員が一従業員として組合の「事業」に従事している場合においては、それが総合企業組合であるにせよ、その組合員が従前の店舗でそのままそこを「事業所」として営業しているにせよ、その仕入、及び販売の統制は全く組合の内部的な問題であつて、各事業所毎の全責任において仕入販売が行われていたとしても、「企業組合」ではないための事実とはなりえないのである蓋し、組合をいかに巧みに指導し又は経営するかということはその組合の根本的存立の性格の問題ではなく単に経営技術の問題である。よつて前述の場合仕入、販売等の事業の規整が厳格綿密であることは、組合が経営面において積極的であることになるし、全く放任的だつたとしてもそれが企業組合でないとの証左にはならないというべきである。之に反し資産が組合の所有でない場合には、その営業に厳格な規整を与えうることは、真実は組合の名の下に行われている個人の「営業」を何等かの意図の下に対外的な外観を装うために行われているものと断ずる外はないと言うべきであろう。然らざれば、個人の営業に対する統制や規整ということは無意味であるからである。つまり、事業において仕入、販売の統制や規整があつたかどうかということも資産の譲渡が真実に行われていた場合のみ「企業組合」の在り方としてその巧拙緩厳が意味を持してくるにすぎないのである。だから本件においてはその程度において論ずることにする。

〔五〕 日報等の記帳について

本組合において各事業所毎にいわゆる日報を記帳していたことは明白である。(証拠については後述する)しかしその日報の記帳がその事業所の営業の収支を記帳することを目的としていた限り、日々の各営業の収支を正確に記帳されていたかどうかが問題とされる。しかしながら、日報は所詮帳簿の一種であつて記載事項の実態又は性格を左右しうるものではない。つまり資産が組合のものでなく、販売される商品が個人の所有であり、又製造販売された材料が個人の所有である場合には、その売上をいかに正確に日報に記帳したとしても日報に記帳したことによつて、その売上金の性格が組合の所有となるものではないのである。その売上金は、記帳の如何にかかわらずその個人の所有であることに変りはないのである。だからその売上金によつて仕入れた商品、材料も又個人の所有にほかならない。つまり、資産の所有権が個人にある場合には日報を正確にかくことは単にその個人の行つた営業の正確な収支の記帳ということ以外に特別な意義は認められないのである。之に対して、資産が組合のものである場合には、その収支を日報に正確に記帳することは当然に組合の営業の日々の収支の反映として履行されねばならないことである。日報を正確につけなかつたということは、特別な目的の場合を除き、個人の資産である場合は単に営業を正確に証拠だてるものがないということに帰し、組合の資産である場合には、組合との関係において、別途の法律関係を生ずるだけである。そのことが「企業組合の事業」でなくて個人営業だとの直接的事実になるわけではないのである。

であるからして、日報の記帳の正確、不正確の点についても右のように資産の譲渡と関連する程度において論ずることにする。

〔六〕 会議等について

本組合においては上は総会、理事会から末端は班会議に至るまで多くの会議が持たれていたことは後述のとおりである。ところでこの会議において決定し、実行されたことで、資産の譲渡に関する点については、当然に重要な実事といえるが、資産処理の根本問題にふれない点については、それが個人の所有の資産の下に営業されている限り、いかなる民主的な、建設的な、厳格な会議であり、その決議や討論が共同仕入、販売、監査、記帳、規約、融資などに関する事項であつても、その厳格さの故に、またその内容の豊富さの故に、個人の営業であることが企業組合の事業に変質することはありえないのである。之に反し組合の資産の下に「事業」を経営している組合にあつてはそれらの会議の一つ一つが組合の運営に直結する重要な意味を持つ。だからといつて、それらの会議の在り方が客観的に望ましくなく、低調であり非建設的であつたにしてもそのことから直ちにその企業組合の「事業」は組合員個々の個人営業ということにはならないのである。よつて会議についても資産の譲渡と関連する程度において論ずることにする。

〔七〕 監査について

事業監査、帳簿監査ということが本組合において行われていたことは後述のとおりである。監査を行つて来たことは直ちに組合の事業であつたからであるという単純な結論にはならないことは、前述各場合と同様である。

この監査についても資産譲渡と関連する程度において論ずることにする。

第三 現金の管理、流通、還元のあり方について

本組合は後述するように総合企業組合であり広範な地域に多数の組合員を擁していた組合である。その本組合の各事業所で生じた売上金等の現金が、どのように管理され、その組合員と組合、組合員相互、組合員と第三者、組合と第三者との間を流通、還元しており、その実態が組合の各種帳簿書類にどのように表示されていたかということは、その事業が組合を主体とする事業であるか、組合員個人の事業であつたかということの最も有力な証拠たりうる。

資産の組合に対する譲渡が先決的要件であることは勿論であるが、組合が企業を合同したと称し組合員や従業員に給料額を決定し、組合が主体となつて各事業所より生ずる売上金等を掌握し、各事業所に運転資金を融通し、組合員等に給料を支給したかの如き型態をとつていながら、その実態において各組合員が担当する事業所(従来の店舗又は工場)から生ずる売上金は当該事業所のみで還流し、借入金もその組合員の個人の信用と負担において工面されており、実質的に全く一切の収益がその組合員に帰属している場合、しかして各種記帳において、統一計算がとられていたかの如く偽装されている場合は、正に組合の実態は個人営業の単なる集団であるのみならず、かかる組合は偽装法人と推断することができるといわねばならないのである。

かつ、その実態は各種の記帳に基づき画一的統一的客観的に判断することができるので本判決でも第二節以下に最も詳しく、この点につき審究することにする。

第二節 小倉出張所

第一項 組織

第一点 本組合設立について

証人仰木実、横尾弥平太の各証言及び調書、証人貝島彦一の証言、並びに登記関係書類(証一七〇〇)二週年座談会記事(証一七〇一)共栄新聞第三号(証三〇九四)「組合創立以来昭和27、3月迄における組合の経過報告」と題する書面(証二九四九―一〇)の各記載によれば、

(1) 被告人森原春一は、被告人木下仙友と意思を通じ、本組合を設立せんことを計画し、賛成者を募つたこと。

(2) しかして数度の会合でその設立についての研究や準備をしたこと。

(3) 昭和24、10、18、小倉市米町二八番地横尾弥平太方で、被告人森原春一、及び貝島彦一、横尾弥平太、牧野渡が発起人となり発起人会を門き、組合の事業並に組合員の資格に関する目論見書を作つたこと。

(4) 昭和24、11、15、右同所において、被告人森原、同木下以下一五名が出席して、設立準備会を開き、目論見書を検討し、定款作成の基本となる事実を決定し、定款作成委員に、被告人森原春一、横尾弥平太、貝島彦一牧野渡がなつたこと。

(5) 定款は実質的には、昭和24、11、中旬頃被告人木下仙友が作成したこと。

(6) 昭和24、12、2右同所で本組合創立総会を開催し、被告人森原、同木下ほか七名の者が出席して定款の制定役員の選任、各種規約の制定等を議決したこと。

創立に参加した組合員は一四名であり、出資口数は一四口、払込んだ出資金は、一人二、〇〇〇円で総額二八、〇〇〇円であつたこと。

(7) 右制定された定款は、

「第二条、本組合は左の事業を行う。

一、製粉、製麺、製菓、製米、醸造、農水産物加工、燃料、其の他の加工及製造

二、食料品一切、金物、履物、化粧品、石鹸、医薬品、衣料品一切其の他の販売

三、機械器具の製造及修理、被服の仕立及補修その他の修理

四、前各号の事業に附帯する事業

第三条、本組合は共栄企業組合と称する。

第四条、本組合は事務所を小倉市に置き必要な地域に支部を置く。

第七条、本組合の組合員たる資格を有する者は左に掲げる個人とする。

一、本組合の事業を行うべき有経験者である者

二、本組合の事業を推進する熱意を認められる者

第九条第二項、前項本文の加入者からは加入金を徴収することができる。

第十一条、組合員はあらかじめ組合に通知した上で事業年度の終りにおいて脱退することができる。

前項の通知は、事業年度から九十日前までにその旨を記載した書類でしなければならない。

第十三条、組合員が脱退したときはその持分の全額を払い戻すものとする。但し除名による場合はその半額とする。

第十四条、出資一口の金額は金五千円とする。

第十五条、出資第一回の払込金額は一口につき金二千円とする。第二回以後の出資の払込は総会の議決を経て定め書面を以つて各組合員に催告するものとする。

第十七条、組合員の持分は本組合の正味財産(未払込出資金、納税引当金、退職給与引当金を除く。)につきその出資口数に応じて算定する。」

などであつたこと。

(8) 右創立総会において、被告人森原春一、同木下仙友、貝島彦一、横尾弥平太、牧野渡が理事に就任し、仰木実、藤原義光が監事になつたこと、なお同日同所で開かれた第一回理事会で被告人森原春一は代表理事理事長に、被告人木下仙友は専務理事になつたこと。

(9) 右総会で事務所を小倉市米町二八番地と定めたこと。

(10) 昭和24、12、9、福岡法務局小倉支局において、右設立登記を了し、同日その成立にかかる旨を福岡県知事と、小倉税務署長に届出をなし、いずれも受理されたこと。

がそれぞれ認められる。

第二点 組織

〔一〕 沿革

前点掲記の各証拠、被告人上野盛雄の証言、北九支部長木下仙友より森原理事長宛昭和27、3、6、附報告書(証一七四一―二〇)組合員名簿(証一四一九―二)北九支部名義のビラ(証一七四一―二一)の各記載、並びに第三節第一項、第四節第一項、第一五節第一項の各認定事実を総合すると、

(1) 本地区では前点のような経過で成立をみたが、当初小倉地区協議会と称し、昭和24、12月頃から昭和25年初めにかけて設立された行橋地区、椎田地区の組合員をその管轄下におき、昭和25、10、1支部の設置により北九支部と称するようになり、右二地区を包含するほか、昭和26、3月頃に設立された田川地区を含み、その田川の中には飯塚、嘉穂地区を含み、また昭和26、暮から昭和27初めにかけて門司、八幡、戸畑、若松の各地区から加入した組合員を管轄下に置き、昭和27、3、6頃は、北九支部の管轄下に、小倉西部、同中部、同東部、行橋、築上(又は椎田と吉富)田川、門司の各出張所を擁していたが、昭和27、4、1の機構改革により、右小倉西部、同中部、同東部の各出張所が合体して福岡県支部小倉出張所となり、他の各出張所はそれぞれ独立して福岡県支部に直属したこと。

(2) 創立当時の事務所は、前掲のように小倉市米町二八番地に定めたが昭和26、3月初め頃同市大門町八三番地に移転し、昭和27春頃、同市大門町五五番地に移転したこと。

が認められる。

〔二〕 役員

(1) 被告人森原春一、同木下仙友については後記第一八節本部第二項被告人等の地位のところで認定した事実を引用する。

(2) 右〔一〕掲記の各証拠、及び証人貝島彦一の証言によれば、

(A) 創立当初は前叙したような役員を選出したこと。

(B) 昭和25、5、8第二回通常総会において、前示の役員は一応辞任し、中山栄三郎、南綱治、藤原義光が理事に、中山澄夫、横尾弥平太が監事に重任したこと。

(C) 昭和26、2、20第四回臨時総会において、中山澄夫は監事に重任し、昭和27、5、25迄その地位にあつたが右(B)の他の役員は辞任したこと。

(D) 貝島彦一は、昭和27、5月頃小倉出張所長となり、解散までその地位にあつたこと。

が認められる。

〔三〕 職員

右〔一〕掲記の各証拠及び証人木村善一、西島権一郎、三日月弘之、森高殖、筒口善見の各証言、並びに福岡県支部報告(証一七〇九―三~七)の記載によると、

(1) 横尾多須子は事実上は、昭和24暮から、正式には昭和25、2月から本組合の事務員となり爾来本地区において一斎捜査当時迄事務をとつていたこと。

(2) 三日月弘之は昭和25、4月初頃本地区の事務員となり主として京築地区の事務を担当しており、まもなく行橋に移り、京築地区の専任事務員となつたこと。

(3) 森高殖は昭和25、4月頃本地区の事務員となつたが、昭和25、5月初めに本部が福岡市に移転すると共に福岡における本部の事務の処理を担当したこと。

(4) 西島権一郎は、昭和25、11月頃本地区の事務局長代理となり、昭和26、2月までその地位にあつて主として経理事務を処理したこと。

(5) 木村善一は、昭和26、2、1本地区の事務局長となり、昭和27、1中頃までその地位にあつたが、その後は本部勤務となり昭和28、3月頃迄在職していたこと。

(6) 筒口善見は、昭和27、1頃本地区の経理担当の事務員となり、昭和27、5月頃事務局長となり、昭和28、2月頃から解散まで本部事務員であつたこと。

(7) 昭和27、10月頃には本地区の事務員には右掲記の者のほか、木村善人、生駒延之助、加来新作、上野チカ子、古野鞆子、中村孝子がいたこと。

が認められる。

〔四〕 組合員

右〔一〕掲記の各証拠及び組合拡大状勢一らん表(証四二四―五)の記載により、本地区の組合員数を次のとおり認める。

<省略>

第二項 組合役員及び事務員等の組合内容の説明

第一点 創立以前の被告人森原、同木下の本組合の内容についての説明

〔一〕 証人仰木実の加入に際し受けた説明について

(1) 証人仰木実の証言によれば同人は昭和二十四年十一月頃本組合の創立以前に横尾弥平太から本組合が設立されることを聞き、十一月の末か、十二月の初頃、右横尾方の二階の六畳か八畳の部屋で本組合設立前の本組合の説明を聞く会が開かれ、その会においては主として被告人森原が一人で説明し、被告人木下も発言していたことが認められる。

(2) ところで右仰木がその席で被告人森原及び木下から受けた本組合についての説明は、証人仰木の第二回調査によれば今度中小企業者の組合を小倉につくる。これは法律で認められた法人の組合である。この組合は中小企業者を助ける為の組合であつて、会社組織の

ようなものであるから加入する者は営業用の資産を組合に移管し、組合員の店は組合の事業所となり、組合員は月給取りになるのである。それで税金は、月給額に対する源泉所得税だけ納めればよく、営業所得税や事業税は納める必要はないのである。しかし、之は法文で決めてあるので左様な形式をとるだけで営業用の資産(商品、備品、什器)は組合の資産として組合の帳簿に上げるが本当に買取るのではないから代金の授受もしない。営業は従来通りあなた達の営業で売上もあなた達のものであるが、月給額以外の金は運転資金という名目になる。組合に加入するには加入金五百円と出資金一口五千円の中二千円を出して貰わねばならぬ。又組合の事業所ということになるから毎月の仕入や売上を組合が渡す日報に記載してもらわねばならぬ。組合への加入、脱退は自由であつて脱退する際に加入金五百円は還さないが出資金二千円はそのまま返す。脱退のときに組合は組合員の店にある営業用資産はそのまま組合員のものであるから脱退してもその後の営業に差支えるようなことはない」旨であつたことが認められる。

(3) 右に認定した森原及び木下の説明内容は、証人仰木が昭和二十八年三月二十六日福岡地方検察庁小倉支部で検事吉永透に対し申し述べられたものであり、その際に仰木は自筆でその説明会の座席の見取図を作成し明らかに添附したことは右第二回調書自体により明らかである。しかして同証人は、昭和二十八年十二月九日福岡地方裁判所小倉支部における当裁判所の証人調べにおいて証人として出廷し、証言しているのであるが、右証人の証人調は、小倉出張所所属の組合員でその後昭和二十九年四月、同年十二月、昭和三十年七月にそれぞれ証人として取調べた三十二名の中で第一番に取調べた証人である。その証人調べにおける証言において証人仰木は前記説明会における森原、木下の説明として「各商人が合同すると云うこと、合同するとは例えば会社組織の様なものだという話から組合に加入すれば個人々々が組合の従業員で組合の月給取りになる。組合は法人税を納めるが個人は組合からもらう月給に対する源泉徴収を納めればよい。店舗や営業に関するものはすべて一応組合のものにせねばならぬ。(組合のものにせねばならぬとは)一応所有権を組合のものにするということで名義を組合の名義にするということである。(それは組合に無償でそうするのか一応組合が買上げるなり借用するなりするということだつたかその辺のところははつきり記憶しない。(組合のものにするというのは組合に売るかどうするのか)それはどうなるのか私にはわからない。組合からの脱退は自由である。(脱退のとき)出資金は期末に清算して渡すということで商品その他はそのまま元に返えすということであつた。加入後の営業は組合に加入する迄の個人の店は組合に加入後は組合の営業所になり私は組合の食糧品店の責任者になり組合加入前の私の店は私がすつかりやるということだつた。」旨述べている。

(4) この同証人の証言は、前示同証人の調書に比し資産の譲渡に関してはその供述するところは極めて不明瞭である。勿論年月の経過によつて記憶が薄れることは充分考えられるが同証人は、個人の営業を廃業し、一切の有形無形の資産を組合に没入して組合員となり一月給取りになる筋合の組合の創立に参加し、かつ同証人の証言から明らかなように監事に就任した一人である。その組合参加に際し、商売人である仰木にとつて今迄個人の所有であつた資産が、明確に組合の所有物に一切なるということを前提としている筋合の組合に踏切つて加入する決意をし、現に加入していた以上、他のことの説明は忘れたにしても資産が組合の所有になるのか、個人の所有であるのか、外形的だけ組合の所有として実質は個人の所有のままですごすごとが出来るかの認識を持たずに、つまりそのことについて明確な説明を聴かずに、明確でなくても納得のゆく結論を与えてくれる説明を受けずに軽々に加入するはずはないと思料するのである。かつそのことも、従来個人の所有なのであるから、個人の所有のままでよいのであれば(そのことが外形的に契約書を書いたり、棚卸をしたり代金のかわりに借用証を貰つたり、備品、什器に組合の所有物を明示する証票を貼付したり、名義を変更したりしたとしても)、そのような納得に落付く説明であれば本質的な所有権の移転はないのであるからその上に粉飾されるいろいろな説明は忘れてしまうことも考えられる。忘れたとしても実質上の損害はなんら生じないからである。しかしながら本質的に所有権が組合に完全に移転するのであれば、(適法な企業組合であれば第一目に述べたように当然そうでなければならない筈である。)そこには納得のいくその譲渡についてその説明、つまりそれが売買であるか、現物出資であるか、贈与なのか明確な認識を持ちうるに足りる説明、それも単に漠然とした売買とか、出資とかではなくて、売買ならば売買についての的確な妥当な細部についての説明なり、出資ならば出資について同様な、説明なりがなされる筈だし、加入する方も苟しくも所有権を譲渡する以上そこまでの認識がなされる筈である。そう考えるのが最も普通な社会常識である。このことは仰木が説明を受けたのが創立前であつて当時企業組合について明確な智識を誰れも持合せていなく、かつ、創立に参加した者全員が同志的情熱に結ばれていたという主張を斟酌したとしても、そのことによつて右論述がかわるものではない。なぜならば企業組合とは組合が主体として事業を行い、業者が加入するに際して従来の営業を組合の事業とする限り、その資産を組合に没入せねばならないことは、企業組合設立のアルフアであり、最も明確簡単な企業組合論の第一歩だからである。このことは同志的情熱で覆い切れる事柄ではないのである。なお仰木は説明を単なる説明として聞いたのではなく同証人の証言によれば、同人は創立に参加し、監事に就任しまた一従業員として本組合の「事業」に従事し、昭和27、5、30に脱退しているのであるから、二年半に亘る本組合の組合員であつたわけであり、その踏切りの第一歩は前示の被告人森原、同木下の説明にあつたことは疑いのないところである。

(5) ところで、同証人の証言は資産の処理の点の説明については、前示したように真実に組合に明確に所有権を譲渡するのかどうするのかについては瞹昧であつて確答を避けている。記憶していなかつたとは(3)に詳論したような点から推しても考えられない。之に反し、(2)に認定した同証人の調書によればこの資産の処理について被告人森原、同木下の説明がどのようであつたが明瞭である。もつとも、同証人は前記の証人調ではこの調書の内容につき弁護人、被告人の反対訊問に対し調書の内容を否定している点もあるが、同証人の証人調における全証言及びその法廷における態度に徴し、同人の調書が架空な内容のものであり、検事の違法不当な取調べの下で作成されたものであるとは認められない。却つて右資産の処理についての供述は証人調においては前述したとおり明確な供述を故意に避けていることが窺われるに、調書においては筋のとおつた供述をしていることが認められるので、証言よりは調書の方が信用するに足りるということができるのである。

(6) よつて、証人仰木実が本組合の創立前である昭和24、11月末か、昭和24、12月初め頃に、横尾弥平太方で被告人森原、同木下から聞いた組合の内容についての説明は前示(2)のような内容であつたことが認められるのである。

〔二〕 証人横尾平太、証人貝島彦一の加入に際し受けた説明について

(1) 証人横尾弥平太の証言によれば、同人は家屋の明渡しのことで被告人森原を知り、昭和24夏又は秋頃に被告人森原から企業組合の話を聞き、その後本組合の設立についての会合には同人宅を提供し同人も設立の発起人となり、設立迄にしばしば同人方で開かれた説明会、設立準備会にも出席し、その際に被告人森原らの本組合についての内容の説明を聞いたことが認められるが、同人の証言からは被告人森原の説明の内容特に資産の処理についてその内容を認定することはできない。かつ、前示、仰木実が聞いた被告人森原、同木下の説明に反する事実の証言もない。

(2) 証人貝島彦一は、既に認定したように同人も本組合設立に際しての発起人の一人であり創立総会において理事に選任された者であるが、同証人の証言によれば、「同人は、森原から企業組合の話を聞き、昭和24、9月頃からその研究会、準備会が開かれたのに三回位出席し、その場所は前示の横尾弥平太方であり、それらの会合に出席したのは森原、木下、牧野、仰木実、辻、横尾、常岡等であり、そのリーダ格は森原や木下であり、昭和24、11上旬頃発起人会とか準備委員会とかいうものが開かれ、それには前述の人々も含めて十人以上出席し、その会合で組合の発足についての手段や将来の運営方針、組合の骨子等がはつきり決められた。つまり、個人の商売は廃業し、企業組合の事業所責任者として組合から給料を貰つて生活するということだつた。なお個人の商売を廃業するには廃業届を出すということだつた。(その店の備品、什器等は)組合が買上げる。実質的に買上げるということだつた。(代金は)出資が少くて今は金がないから一応買上げるという事だけしておくということだつた。なおその代金は買掛にしておくということだつたが今払うという詳しい話はなかつた。」旨が認められる。

(3) この証人貝島彦一が被告人森原の説明を聞いた時機は前述のとおり昭和24、11中旬頃のようであるが、その会合には仰木も横尾も出席していたことが認められるから、同様なことを仰木も聞いたことが推認される。しかして仰木が聞いたのは前述のとおり昭和24、11末か昭和24、12初頃であるから既に認定した創立総会(昭和24、12、2)であるか、その直前である。この仰木の供述による説明会と貝島の証言による説明会が同一の会合であつたかどうかということは直ちに断定はできないが、いずれにしても、同じく横尾方で、同じような顔ぶれで、いずれも被告人森原達から創立しようとする本組合の具体的内容について説明を受けているのである。そこからすれば仰木の聞いた内容と、貝島の聞いた内容は略々同じであつたことが推認される。そこで、その被告人森原の説明の中で資産の処理についての説明につき勘案するに、貝島証人の証言からすれば、実質的に買上げるが出資が少くて今は金がないから一応買上げる事にだけしておく、その代金は買掛にしておくというだけで、その支払についての詳しいことは説明や論議はなかつたことが認められる。このことは、既に認定した仰木の調書による森原の資産処理の説明とは一見矛盾するようだが本質的に相容れない内容のものではない。結論的には本組合創立前における被告人森原、木下等の設立せんとする組合に対する認識の具体的内容は前認定のとおり仰木の調書により認められる仰木等に対する説明により充分に之を認めることができるのである。

第二点 被告人森原の本組合の内容についての説明

〔一〕 証人末田精に対する説明(昭和二十五年七月頃)

(1) 証人末田精の証言によれば同人は、「昭和25、7、14に加人し、それについて吉田方で理事長森原の説明を聞いた。(そのとき)組合の内容についての説明はあつたかもしれないが頭にのこつていない。」旨が認められるところ、同証人はその証言によれば、同証人の調書を是認しており、調書の右被告人森原の説明部分の記憶喚起のための読みきけに対し、その調書の内容を多少の附随的供述はあるが全般的に肯定していることが認められるから、同調書による右被告人森原の本組合内容の説明は信用性があるということができる。よつて、同証人の調書によれば、森原の本組合内容についての説明は、

「共栄企業組合は、零細資本の業者を大資本の業者の圧迫から救うために作られたものである。

組合に加入するには廃業届を出して組合に加入金を五百円及び出資金一口五千円を納めて貰う。出資金は一口五千円ということになつているが、三千円だけ納めて貰えばよい。組合員になれば月給額を決めて月給取りということになり組合の従業員となることにする。そうすると税金は会社等の月給取りと同じ様に月給と決めた額に対する原業所得税だけで良い事になり、今迄皆にかかつて来た営業税、事業税はかからぬ様になる。このため組合員は自分の営業用資産を組合に売渡すことにしなければならない。組合に売渡すといつても品物は各組合員の手許に残しており、それで商売して貰うのであり、組合としては形式的に帳面だけで買取つた事にするだけだ。そして組合員に対しては買上証を渡し代金を支払わない代りに代金の借用証を渡しておく。この買取つた事にした資産はやめる時帳面上各人に売戻す事にするので、実際の代金のやりとりはしない。右のようにすれば営業は皆さん自身で今迄通り組合と関係なく続けて行き、然も税金は月給と決めた額に対する源泉所得税と市民税だけ納めれば良いことになる。組合員は各自の営業の日報を毎日書いて出して貰らう。それから組合の役職員の給与、事務費用を賄うために積立金を出して貰う。これは売上高に応じて歩合で出して貰う。組合の加入脱退は自由である。」旨であつたことが認められる。

(2) なお被告人森原の右話しぶりは同証人の第一回調書によれば「右の事の外にまだ細い事を色々話されましたが今では記憶しておりません。右の説明も私の言う通りではなく、巧みな話し振りでありましたが、私達聞く者にはそうと判る様に説明して呉れたのであります。」なる状態であつたことが認められる上に、右第一回調書の意味は、同証人の第三回調書によれば、「(第一回調書の言葉の)意味は、森原は話が上手で同人が説明した通りの言葉で森原の話を再現することはできないが、森原の話の内容は私がいつた通りに間違いないという意味であります。森原が私達が推測して聞けば同人のいう趣旨が判るように言葉を濁して説明したという意味ではありません。」なる旨が認められる。以上認定したところからすれば、被告人森原の右の加人に際しての組合内容の説明は極めて巧みであつて、その意味するところの趣旨内容が説明を聞く者にちやんと理解ができるように、それでいて資産の処理などの最も重要な事項については、外形的には合法的な粉飾の下に説明がなされており、かつそのことは説明者側のみならず、説明を受ける者にも説明者の意図が確実に通ずるような話しぶりによつてなされていたものであることが認められるのである。

〔二〕 証人中原嘉一郎に対する説明(昭和二十五年二月頃)

証人中原嘉一郎の証言によれば同人は「昭和二十五年二月頃小倉市旭市場で森原の組合内容の説明を一人で聞いた」ことが認められるが、その具体的な内容についての証言はなされておらない。よつて、同証人の証言からは森原の説明がいかなるものであつたかは之を認めることができない。

ただいいうることは、証人藤井春雄の調書によれば、藤井は昭和25、2、3頃、右中原嘉一郎と相談した上で本組合に加入しており、その加入に際し、藤井は後述のとおり藤原義九から組合の内容について説明を受けその認識の下に加入しているところ、その藤原の説明内容は前叙した森原の説明内容と全く同趣旨であることが認められるので、藤井の加入当時の本組合に対する認識の内容は、右被告人森原の説明の内容と略同一であつたことが推認しうるのである。そのような認識を持つていた藤原と相談して略同時に加入した中原の組合に対する認識がその程度に濃淡はあつたにしても、藤井の認識と本質的に異つたものでないことは之を推認することができるのである。(彼等二人の各証言からすれば脱退も略同時頃の昭和二七年春頃であり、二人とも小倉企業組合に参加していることが認められる。つまり脱退時の行動も一緒である。)それであるから、森原が中原には、前示認定と異つた説明をしたことは到底考えられない。

〔三〕 結論

よつて、昭和二十五年七月頃において被告人森原は先に認定した仰木に対して説明したのと同一趣旨の組合内容の説明をしていたことが認められる。

第三点 被告人木下の本組合内容についての説明

〔一〕 証人横山好雄等に対する説明(昭和二十五年二月末頃)

(1) 証人横山好雄の証言によれば同人は「昭和二十五年二月末から三月初頃本組合の事業所で被告人森原や組合事務員も出席しているところで、他の税金に困つている十人位の人々と共に被告人木下と税金の対策についてお互に相談しその際に被告人木下から本組合の内容についての説明を聞いた。」ことが認められる。

しかして、同人の証言における被告人木下の右説明は不明瞭であつて意味が明確でないところ、同証言によれば「同証人の調書は「いづれも私が正直に供述してその後で読み聞けられて供述したのと書き方の表現にいくらかの違いはありましたが趣旨は相違なかつたので署名押印又は指印したものであることが認められる。よつて同証人の調書による右被告人木下の本組合についての説明は証言に比し信用性があると認められる。

(2) そこで同証人の調書によれば、木下の本組合についての説明は、

「共栄企業組合は中小企業等協同組合法という法律に基いて設立された組合で税金で苦しめられている中小企業者を、その税金が安くなる様にしてやる等して守るためにつくられた組合である。それで組合に加入している組合員は勿論であるが、組合に加入していない中小企業者でも依頼があれば税務署との交渉ごと等やつてやる。皆さんから今相談のあつた税金のことについては、組合が皆さんの味方になつて少しでもそれが安くなるように税務署と交渉してやるが、交渉するについては皆さんの営業についての資料が必要であるからその資料として収支明細書を作つて出して呉れ。しかし今後皆さんがこのままで営業を続けてゆくと今年度も明年度もこれまでと同様に納得のゆかない税金をかけられていつまでも税金に苦しまなければならない結果になることは明らかである。それで今後は、中小企業者が団結して一つの企業体を組織し組織の力で税務署と対抗して行けばこれまでの様に苦しまないで済むことになる。現在我々が組織している共栄企業組合はこの様なところから生れたもので、この組合に加入すれば税金のために滅亡寸前にある中小企業者は救われることになると思う。それで組合に加入すればどういうことになるかというと、組合に加入して組合員には加入前通りの組合員個人の営業としてその営業を続けて貰うのである。しかしこのままでは税金は安くならぬので、税金が安くなるようにするため組合加入後組合員の営業場を組合の事業所ということにし、組合員は表向きでは組合から月給を貰つて生活をしている形にする。そうすれば実際には組合員が自分で営業をやつていても表向きは組合の事業所の従業員で月給取りであるという形になるので税金は加入前かかつていた事業所得税や事業税はかかつて来ないことになる。組合員は月給と決めた金額に対する源泉所得税を納めればそれで済むことになる。しかも、組合員の自分の営業による利益は加入前通り組合員のものであり、ただその中から毎月僅かな金額の積立金というものと、月給と決められた金額に対する源泉所得税に当る金額を組合に納めて貰いさえすれば良いことになるから非常に得だ。組合員の営業場を組合の事業所ということにする為には加入の際組合員が持つている商品、備品、器具等の営業用資産を一応組合が買上げた形にする。組合からの脱退は組合員の自由で脱退の際組合員が持つている営業用資産も、加入の際組合員が持つていた営業用資産を本当に買上げるのではなく買上げた形にしておく丈であるから、そつくり組合員のものであることは勿論である。共栄企業組合は斯様な組合であるから、今後これまでの様に税金に苦しみたくないと思うならば、組合に加入されたがよいと思う。」なる旨であつたことが認められる。

〔二〕 谷本三郎方説明会における説明(昭和26、11、20頃)

(1)(イ) 証人谷本三郎の証言によれば「昭和26、11、20前後か25日前後、三萩野の組合に加入している看板屋に組合の話を聞いてみようとしていたところ、党勢拡張のこともあり他にも二、三人話を聞きたい人があるから懇談するのに席を貸して呉れといわれ、私の店(お菓子屋で同日の午後七時頃から木下から話をきいた。その他にも組合に加入した人から話をきいた。」ことが認められ、なお同証人の調書によれば、右の看板屋は今井良一であり、懇談会は、昭和26、11、20であり、組合側は右の(木下、今井の)ほか、榎木、末田精、横山好雄、加来某が、未加入者としては、佐竹正雄、柴田喜一、細田勇喜、渡辺呉服店の主人が出席していたことが認められる。」

(ロ) また証人渡辺幸緒の証言によれば「昭和26年秋頃私方裏側のお菓子屋で寄合があり、今井良一、石田某が出席していた。組合から二人出席し、そのうちの三十歳位の男から組合の内容の話を聞いたことが認められる。なお同人の調書によれば(同証人の証言によれば、同証人は説明会の話を聞いて、疑惑を抱き加入を断つた者であることが認められ、なお証言と調書につき「検事から調べられる時の方が今日のように沢山おられるより落ついて出来ました。気持もその時の方が動揺しませんでした。検事のしらべられたときの方がありのままで趣旨は調書にかいてあるとおりで正直に述べた。」旨の供述からすれば同証人の調書は信用することができる。)「その時機は昭和26、11月頃であり右の外佐竹正雄、末田精が出席していたことが認められる。

(ハ) また、証人末田精の調書によれば「昭和26、11下旬頃木下から頼まれて小倉市黄金町の菓子屋(のち谷本某方とわかつた。)であつた共栄企業組合の内容についての説明会に出席した。それには榎本徳久、横山好雄、今井良一、加来某の組合員が出席した。組合からは、北九支部長の木下仙友と事務員が出席し、木下が説明した。」ことが認められる。

(2) 以上の認定したところからすれば昭和26、11、20頃、お菓子屋谷本三郎方で本組合の内容についての説明会があり、それに組合員である今井良一、末田精、榎本徳久、横山好雄、加来某が出席し未加入者として谷本三郎、佐竹久雄、柴田喜一、細田勇喜、渡辺幸緒が出席し、北九支部長の木下仙友が説明したことが認められる。(渡辺証人は被告人木下と面対して否定しているが同証人はその説明会で被告人木下に会つているだけであることが窺われるのでそのことのみをもつて同証人が説明を受けたのが被告人木下仙友でなかつたとはいえない。)

(2) 右会合における被告人木下仙友の組合内容の説明は、

(イ) 証人谷本三郎の証言によれば「売上の〇・〇一をなんとかいう名目で組合に納めれば事業税も所得税もかからぬ。加入金五百円出資金二千円を払つて棚卸をして加入すると月給取りになり、毎日日報を書いてそれを組合に出して月末に現金プールする。商品その他私の店では菓子等を棚卸してそれを組合が買上げるという事であつた。(買上げる形にするという話ではなかつたか)そういうことだつたと思う。

私もそういう形式をとるのだと思つていた。売る買うの話は聞いていたが名実共にそれは売り買いするのではなく書類上の手続だけをとるだけだと私は感じていた」ことが認められるし。

(ロ) 証人渡辺の証言によれば「組合に加入すれば法人になるから個人事業を廃業して月給取りになり源泉徴収税をおさめる。商品、備品等の営業用の資産は加入すると一応組合のものになる。(実際になるのか)組合に加入すれば組合の名義になる。加入するとき書類にして書類上組合のものにする。(それは)加入するとき棚卸して決算し備品、什器は組合に登録して組合のものにする。脱退は各人の自由で又営業用の資産は個人に還える。加入すれば法人になるので組合の給料とりということになるから個人の営業を廃業すると同時に組合に加入してゆく。加入者は組合の給料とりになるがその場で働き売上は個人の勝手に出し入れしてよい。(店の売上と生活はどうですか)今までどおりでよい」旨の説明があつたことが認められ、さらに、

(ハ) 証人末田精の調書によれば、「木下仙友が説明した内容は要するに、吾々零細業者は大資本業者に圧迫されているからこの圧迫に対抗しなければならない。その為には零細業者が団結して組合を組織しなければならない。この零細業者を救う為に中小企業等協同組合法という法律ができた。それで吾々は共栄企業組合を設立して零細業者が一丸となり大資本に対抗して生きて行かねばならない。だから皆さんも共栄企業組合に加入されて最低生活を保証されたらよいと思う。組合に加入すれば組合の営業用資産を組合に売渡し、月給取りという事になるので源泉所得税だけ納むればよく所得税や事業税は納めなくてすむ。もつとも組合員は本当に月給取りになる訳でなく、従来通り個人営業をやり売上も自分のものにしてよいのであつて、営業用資産も組合に売渡した形式をとるにすぎず、本当に売買するのではない。従来どおり組合員のものであるから代金の授受はしない。商品の仕入や販売も自由であるが組合には毎日の売上や仕入を日報につけ出してもらう。組合は経費がいるので売上の一歩程度を組合に出してもらわねばならない。組合への加入脱退は自由である。脱退の時組合員の店にある営業用資産は全部組合員のものであるから脱退の際には全部還す事になる。従つて脱退してもその後の営業には何にも差支がない。組合に加入するには加入金五百円と出資金一口五千円の中二千円だけを出し、廃業届も出してもらわねばならない。脱退の際には加入金は還さないが出資金は全額返還するということでありました」なる旨が認められる。

(ニ) 結論

そこで以上の渡辺、谷本、末田の各人が聞いたそれぞれの被告人木下の説明の内容を綜合すると、右谷本方の説明会においてなされた被告人木下の本組合の内容の説明は先に認定した横山好雄に対してなされた説明の内容と根本において同趣旨のものであることが認められる。特に加入の際の資産の処理の方法については、一応形式上書類上は組合が組合加入者の従来所有していた商品、備品、什器を買受ける様にするが、真実の売買をする意思はなく、従つて代金を払う意思もなかつたとが充分に認められる。

〔三〕 その他の証人に対する説明

(1) 証人佐藤松造の証言および調書によれば、同証人は、昭和25、8、15頃同人宅(小倉市大正町)で一人で、

(2) 証人門岡正登の証言および調書によれば、同証人は昭和25、7、10日頃小倉市米町の本組合の事務所で一人で、

(3) 証人上野辰夫の証言および調書によれば、同証人は昭和26、4、1日頃小倉市大門の本組合の事務所で横尾事務員のいるところで一人で、

(4) それぞれ被告人木下仙友からその加入に際し本組合の内容の説明を聞いており、なおその受けた説明の内容は、その用語の簡複、内容の広狭に多少の違いはあつたにせよ、説明を聞いた者が、加入するにつき直接的に影響と変化を受ける根本的問題に関して先に認定した横山好雄に対し、また谷本三郎方説明会においてなされた同被告人の説明とその内容において全く同趣旨であつたことが認められる。

〔四〕 結論

本点において認定したことろからすれば、昭和25、2月頃から昭和26、20日頃に亘り、被告人木下の本組合の内容についての説明は、日時、相手、場所により多少の差はあつても加入についての根本的本質的問題点については同一趣旨の説明が繰返えされており、とくに加入時の資産の処理については、本組合は、個人の営業用資産を買受けるが之は真実に買受けるのではなく唯形式上、書類上買受けたよりにするだけであるから、従来どおり個人の所有である旨の説明がなされて来たことは充分に之を認めることができるのである。

第四点 本組合の役員、事務員の説明

〔一〕 本組合の組合員のうち先に認定した被告人森原、同木下以外の役員又は事務員の説明を聞いて加入した者も次に認定するように多数に達している。そこでこれらの役員、事務員が組合の内容につきどのような説明をしたかを次に審究する。(後述のように藤井に対する藤原の説明は本組合設立早々になされたものであり、かつ藤原は、本組合の創立に参加し、監事となつた人物であるので、同人の説明については之を省略せず掲記することにするが、その他の者の説明は資産処理の方法の説明に重点をおき論述することにする)

〔二〕 証人藤井春雄に対する藤原義光の説明(昭和24、12、25又は同26日頃)

(1) 証人藤井春雄の証言によれば自宅で「本組合の人」から本組合の話を聞いた旨認められ、その「組合の人」は事務員であるか組合員であるか、また名前も憶えない旨述べている。しかして同証人の証言によれば同証人の調書については一寸事を大きくいつたこと、またいわないことやいつたことと違うことが若干あつた旨述べているが証言の全趣旨と、調書の内容の検討からすれば調書は信用性があると認められる。

(2) そこで、同証人の調書によれば、同人は「昭和24、12、25又は同26日小倉市朝日市場内吉井八十方で小倉市足立の履物商藤原某の説明を聞いた」ことが認められ、かつその藤原は、先に認定したように「企業組合設立登記申請書」(証一七〇〇―二)により明らかな如く、藤原義光であり、創立当初から組合員であり、創立総会で監事に就任した人物であることが認められる。

ところでその藤原義光の説明は、「共栄企業組合は中小企業等協同組合法に基く組合である。すなわち法人である。井筒屋や小倉製鋼の大きな法人は二重帳簿三重帳簿をつけて脱税し、税務署は之を黙認しているのです。だから共栄企業組合でも各組合員を従業員とし、その営業を事業場ということにしてその事業場の売上を正直に報告しようと抜いて報告しようとそんなことは問題なく日報を組合に出して組合で事業場の売上げを一本にまとめた形にして井筒屋と同じ様な帳簿をつければ脱税しても税務署で認めてくれる。このため的合に加入する人は形だけ月給というものを決めて月給取りということにする。然し之は後で説明するが月給だけで生活しなければならないわけではない。こうすると、組合員にかかつて来る税金はその月給と決めた額に対する安い税金ですむ事になる。それで月給とりということにするのだ。それから組合の事業所とみせかけるために、組合の営業用資産を形だけ組合で買つた事にして、組合の資産ということにしておく。然しこの資産はやめる時そつくり返すので代金は支払わない。こうすると形式上は組合員は組合の従業員で月給取りということになるので、今迄かかつて来た営業所得税、事業税はかからなくなる。その上組合で一本にまとめた帳簿をつけて他の税金は一銭もかからぬ様にするので組合員は月給と決めた税金以外は一銭も負担しないで良いことになり税金が安くなるのです。組合に加入するには廃業届をだし、組合に加入金五百円出資金二千円を納めて貰う。出資金は一口五千円であるが二千円納めれば良いことになつている。出資金はやめる時は二千円そつくり返すが加入金は返さない。組合員は毎日営業の日報を出して貰う。この日報はどうでもよいのであるが組合の統制上成るべく正確に書いて貰いたい。又組合の役職員の給与、事務費を賄うため月の売上額の一歩二厘の割で積立金を出して貰うことになつている。この積立金は組合の費用を賄う組合費であるが共栄企業では積立金と名をつけて取つている。(中略)。日報は五日毎に組合から組合員の家に取りに行く。又積立金、月給と決められた額に対する税金は毎月始めに集金に行くことになつている。右のようにすると、組合に加入した許りに、営業は個人でやれて僅かの組合費と税金ですますことができる。しかものこりの金は自由に出来る。組合の加入脱退は自由です」なる旨の説明であつたことが認められる。

(3) なお同証人の証言によれば「商品、什器は組合に移管し組合のものにするといわれた。組合で買上げることにするという話はききました。(すると売つたのですか)売つたのですけれど組合は零細業者の集りで金がないから一先ずあずかろうということであずけたと思う。」旨の供述から推認すれば本組合は個人の資産を真実に買受けるのではないことが窺われるが、その説明は2に認定したような内容であつたと認めることができるのである。

〔三〕 証人阿部清に対する藤原義光の説明(昭和25、5、31頃)

(1) 証人阿部清の証言、並びに商業登記簿抄本(証一七〇〇―五九、六〇)により、同証人も藤原義光から昭和25、5、31頃本組合の説明を受けたことが認められる。

(2) しかして同証人の証言によれば、その説明の概要は、「個々の組合員が合同して一個の法人体として営業をやり、収支と一切を企業合同の様な形式でやると聞いた。合同のような形式とは実際に合同してやる。一切の営業上の資産は全部組合の資産にしないといかんと聞いた旨」が認められる。しかしながら、同証人の後述するような右説明にもとづく資産処理の実態とそれに対する認識とから判断すれば右供述の趣旨は真実に企業を合同するものではない旨てあつたことが推認てきるのてある。

(3) よつて、阿部証人に対してなされたと窺われる前記藤原の説明が、右の証言があるからというて、前叙藤井証人に対してなされた藤原の説明と全く矛盾するものであり、引いては藤井に対する前示説明は、信用性がないということにはならない。

〔四〕 その他の役員、事務員の説明

第一、証人横内光隆に対する木村事務員の説明(昭和26、9、10日頃)

(1) 証人横内の証言によれば「近藤剛から共栄企業組合のことを聞き一緒に加入しようと話合い、村田に聞きにいつたが、その話ではなつとくせず、それから四、五日位して組合事務員が来て話してくれた。」旨認められ同証人の調書によれば、それは「昭和26、9、5日又は6日から四、五日たつたころであり、来たのは本組合の事務員木村某であつた。」ことが認められる。なお、証人木村善一の証言によれば同人は「昭和27、2、1日に当時小倉にあつた北九支部の事務所て事務局長という仕事をするようになり、昭和27、1月中旬頃本部に転勤した」旨が認められるのて前示横内が説明を聞いた木村事務員は木村善一であつたことが推認される。

(2) しかして、その横内に対する木村の説明は、横内証人の証言によれば、「そのとき印刷物をもつて来て組合の要領の様なことを話した。加入すれば月給取りになる。営業用資産は一応組合に加入するとき棚卸してそれを組合に譲り渡す。それは一応組合が買う様な風にして組合から脱退するときにはそれを買戻すような風にする。が、今は組合に金がないので組合の年度末に金はやるという事であつた。(買戻すときと売つたときの価格と違つたらどうなるか)脱退するとき棚卸をして、その代金は加入する時の代金と私は帳消するつもりでいました」なる旨が認められる。なお右の意味するところを同証人の調書(調書は正直に述べたことは同証人の証言により認められる)により明確にすれば、「資産の売渡しは名目だけであるから個人のものであることに変りはない。従つて組合が勝手に処分することはない。代金は払わないから脱退するときはそのまま本人のものとなる」旨であることを認めることができる。

第二 証人近藤剛に対する木村事務員の説明(右同日時頃)

(1) 証人近藤剛は、同人の証言及び証人横内光隆の証言により明らかな如く、右同日時頃、横内方で木村事務員の説明を聞いたことが認められる。

(2) しかして、証人近藤の証言によれば、木村の説明は、「商品や什器備品等の営業用資産は一応組合に買上げてそれを営業者に貸してやるということだつた。在庫の商品は組合に買上げて貰つた形になつた。(右に対する森原被告人の反対尋問……それについて買上げて貰う形をとるとのべたがそれは形式ですか組合の方で買取るといわれたのではありませか)。最初はそう言われましたがそれで私の方は組合で買取ると言われてもそれをされては困ると木村に言いました。すると木村は本当にそうするのではないといいました。(検察官…税務署が認めてくれるかどうか質問しましたか)しました。すると共栄企業組合は中小企業等協同組合法という法律に基いて出来た法人だからそういうことは絶対ないといわれました」なる旨が認められるし、さらに、被告人森原が同証人尋問の最終に重ねて「営業用資産は組合に売つたことに相違ありませんか」と質問したのに対し、同証人は、「それは売つたことの形にしたのです。私のような商売(鮮魚商)ならともかくも、乾物屋等の在庫の多いところは何うするでしようかときくと組合の脱退は自由ですからその時は返えすので一応買上げた形にするということですねと言われるのをきいて居りました」と証言し、木村の説明は本当に組合が資産を買受けるのではなく、形式上だけ買受けたようにする旨であつたことを断言していることが認められる。

第三 証人加茂武雄、同中条元吉に対する木村事務員の説明(昭和26、10、31頃昭和26、12、1頃)

(1) 証人加茂武雄の証言及び調書並びに証人木村善一の証言によれば、加茂証人は昭和26、10、31同人の隣家の組合員であつた榎本徳久方での常会で、木村喜一から、五、六人と一緒に、証人中条元吉の証言及び調書並びに証人木村善一の証言によれば、中条証人は昭和26、12、1小倉市大門の組合事務所で木村善一から、一人で、

それぞれ組合の内容の説明を受けたことが認められる。

(2) しかして、右両証人の各調書によれば木村の組合内容の説明は前示横内、近藤に対する説明と同趣旨であり、殊に加入時の資産処理の方法としては、真実に組合は買受けるのではなく形式上買受ける旨であつたことが認められる。

第四 その他

(1) 証人白井貞子の証言及び調書によれば、同証人は「昭和25、3、27小倉市米町三丁目の組合事務所で三十歳位の男の事務員から一人で、(同証人の証言によれば、右説明の内容は、「昨年この事件で検事に詳しく述べて調書を作つて貰いました。それを見て貰えば判ります。」と述べているところから同証人の調書は特に信用することができる。)

(2) 証人広岡金槌の調書によれば、同証人は、「昭和25、7中旬頃右同所の組合事務所で三十五、六の男の事務員から一人で、

(3) 証人木田輝政の証言及び調書によれば、同証人は「昭和26、10中旬頃、小倉市大門の組合事務所で四十歳位の男の事務員から一人で、

(4) 証人竹永繁子の証言及び調書によれば、「同証人は、「昭和26、10、20昼頃同人宅木下(この木下が被告人木下と同一人であるかどうかについては、同証人は証人尋問の際に被告人木下と面待しているのに同証人のいう木下は被告人木下と同一人であることは否定しているので、被告人木下であるとは認め難いがその男が本組合の小倉の事務所の事務員であつたことは同証人の証言から認められる。)から一人で、

(5) 証人山本保〓の証言及び調書によれば同証人は、「昭和26、10頃小倉市朝日新聞九州本社前にあつた組合の東部出張所にゆきそこで組合事務員から一人で、

(6) それぞれ組合の内容につき具体的に説明を聞いたことが認められる。

しかして、右各証人の各掲記の証言及び調書によれば、その説明の内容は、多少の差異と、簡複広狭はあつたにせよ、加入時の資産の処理についての説明は、その本旨とする点において、つまり、本組合は個人の資産を真実に買受けるのではなく、書類上、形式上買受けたような形を整える点において、既に認定した被告人森原、被告人木下、藤原義光、木村善一の説明と全く同一であつたことが認められる。

なお、右認定は本組合の小倉の事務所に右認定の数だけの事務員がいたという意味ではなく、右認定の各事務員が木下であるか、木村であるかまたは別の事務員であるか具体的な特定はできないが、いずれにしても小倉の本組合事務所の事協員から本組合の内容の説明を受けたことは間違いないことが認められるのである。

第五 以上のほかに、小倉出張所に所属していた他の証人においても加入時の組合内容の説明を受けていることが各証言により認められるが、右認各定と相反する証言をなした証人はいない。

ただ、証人中山澄夫の証言によれば、同証人は加入に際し木下より説明を聞き、資産の処理につき、「(組合が買うという話はなかつたか)そんな話を聞きました。(代金は)組合に利益が挙れば払うという事でした。(組合に利益が挙るような話があつたか)はいと供述するが、この供述は以上の認定に徴し信用し得ない。かりに右のごとき説明がなされたと仮定しても、右証言の内容は、先に認定した木下の組合内容の説明と必ずしも矛盾するものではない。

第五点 結論

以上詳論したところからすれば、小倉出張所関係においては、本組合の創立以前から被告人森原、同木下を初め、役員であつた藤原義光、事務員木村善一その他の事務員は、本組合の具合の具体的内容につき右に認定したような説明を一致して行つており他の点はしばらくおくとしても、加入時の資産の処理につき、本組合は従来の個人の営業用資産を買受ける手続をするが、之は真実に買受けるのではなく、ただ書類上、形式上買受けたようにするにすぎず、実質は個人の所有である旨の説明がなされて来たことは充分に之を認めることができるところである。かつ、右認定からすれば、被告人木下、同森原は加入時の資産処理については右認定にかかるような内容を認識していたものと断定することができるのであり、木村善一も同様に同証人のした説明内容は之を認識していたことには間違いと認められるところであり、右のような説明を聞いて加入した証人達(ただ渡辺幸緒証人のみはそのような説明に本組合の合法性について疑問を抱き、加入を拒絶していることは同証人の証言により明らかである。)も他の点はともかく、その営業用資産につき本組合側の真実の意志が前原認定のようなものであることを、知つて加入したことは充分に之を認めることができるのである。

第三項 現金の管理、流通、還元

第一点 序論

第一、本節第一項において本組合及び事務員等の組合内容の説明につき論述したのであるから、論理的、歴史事実的には、加入手続の一つとしての資産の処理について認定を進めるのが順序であるが、先に本款第一目序説において述べたように、本組合の実態の判断にあたつては、本組合の組織内の現金がどのように管理され、流通され、還えされていたか、そしてその動きが本組合の制度機構内でどのいうに帳簿、伝票等に記録されて来たかを明確にすることは資産の処理と同様に重要なことである。しかして、現金の管理、流通、還元を資産の処理よりも先に判断するのは、後者は組合員と組合との間の一回的個別的行為であるのに比較して、前者は継続的相互関連的行為であるし、その記帳は本組合が一つの組織体である以上、制度的類型的なものであるとの推定(後に証拠を挙げて立証する)が成立つので全体としての実態を認定するのに前者より容易であるし、なおその上に、組合員自体に資産の処理にあたつての「代金」を支払うだけの利益金を生ずる余地があつたかどうかについての最も、有力な事実の存否を決定しうるからである。

第二 本組合においても、普通一般の企業組合と同様に組合員及び事業所従業員の給料を決定し、之を支給していた。(それが実質的であるか、形式的であつたかは後に詳述する。)こと及び組合事務所に積立金又は運営費と名づけられた金員を徴収していたことは既に認定した被告人森原、同木下の説明の中にも認められるし、次に挙示する各証言、証拠物によつても明らかである。そこでこの給料と積立金(運営費)の二者をまず前提として、(給料の決定の基準、決定の仕方、給料に対する組合員の認識態度及び積立金(運営費)の意義、決定の仕方等についてはいづれも後に詳論する。)現金の管理、流通、還元の実態を審究する。

第二点 本組合設立当初より昭和25、9月迄の実態

第一、現金の管理、給料の支払、積立金徴収の一般的実態

〔一〕 被告人森原春一の証言

同被告人の証言によれば「(経理の処理)は創立当初のやり方と昭和25、10以降のやり方とは若干の違いがある。(はじめの間は)売上金全部を組合員に管理させ、月末に組合員の事業所に事務員が行き現金と日報とを監査し、そこで給料を払い運転資金を事業所に渡しておりました。即ち当初は現金管理を組合員にさせておつた。(こんな方法は)皆なで討議した結果、理事会で結論としてそういう考え方が出た。(組合員の生活は)給料でやつていた。(或る事業所の売上が給料より多いときはどうなるのか。)運転資金の絶対量が足りないので当時頭を痛めていた問題で、それでその事業所の運転資金として廻していた。(逆に売上が給料より少いときはどうしていたか。)当初、少なかつたという例を知らなかつた。(或る事業所で売上がうんとふえた時は、組合本部に吸い上げないで事業所の運転資金がふえていつたのか)、昭和25、10迄は事業所に全部残す方針で理事会は対処していた。(そういう経営が続くと思つていたか)外形では従来通りのものが続くでしようが、内部的には本部で統轄していた。」旨が認められる。

〔二〕 組合員であつた証人等の証言

(Ⅰ)(1) 証人貝島彦一の証言によれば「自分が管理している店の売上の中から給料は前借りの形で貰い、事後に組合の承認を受けた。給料を引いた残りは事業所の運転資金として動かした。設立当初から管理費及び法人税引当の為積立金を出していた。」旨の供述。

(2) 証人仰木実の証言によれば、「(組合に加入した頃)積立金は月一回組合から取りに来るか、取りにこなければ私の方から月一回組合に持つて行つた。」旨の供述。なお同証人の調書中、「組合に加入して昭和25、10頃迄組合事務所には積立金として売上の一分を毎月納めるだけであつた。この積立金は当時の仮事務所である横尾方から納入期日及び納入額を伝えて来るのでその期日に納めた。組合は積立金を納めると月給袋に明細だけを書いて呉れた。」旨の記載。

(3) 証人横尾弥平太の調書中、「昭和25、10九原則がでるまでは売上金を組合に持つていつたことはなかつた。」旨の記載。

(4) 証人門岡正登の証言によれば、「(現金プールの始まる前は日報上の本日現金在高は)私の家にそのままおいていた。積立金は組合事務所に持つていつて払つていた。(また)積立金は組合事務所から組合事務員がとりに来た。給料は日報上経費としておとして私の月給に当てた。給料支払明細書は組合に積立金を払えば組合が呉れていた。」旨の供述、さらに同人の調書中、「私が組合に加入した頃(昭和25、7、10)はまだ現金プールは行われていなかつた。翌月の初頃組合の事務員が廻つて来て仕入帳、売上帳、現金出納簿及び日報などを計算して集計し、売上高の〇・〇一にあたる金を積立金として徴収していただけだ。それで残りの金は私の月給や店の残金ということにし、積立金は日報の積立金欄に記入し月給は経費欄に記入し残金だけが当日よりの現金残高に加算されてゆく仕組になつていた。積立金は組合の経費や法人税の引当金だから必らず納めて呉れと言つて組合員から徴収していたが、残りはただ日報上の操作にすぎないので日報上の現金残高と実際の現金残高とはいつも喰い違つていたが別になんともいつていなかつた。」旨の記載。

(5) 証人藤井春雄の調書によれば、「私が組合に加入してからは毎月初め頃組合から私方に積立金と月給と決めた額に対する源泉所得税を集金に来ていた。その当時は私の売上額と積立金の額とを書いた紙を持つて来ており、それにより積立金を取り立てていた。月給と決めた額及び運転資金の事については何も申していなかつた。」旨の記載。

(6) 証人末田精の証言によれば「私や娘二人の給料を仮払として適当に私が売上の中から経費として落して使つていた。」旨の供述。さらに同証人の証書による前示証人藤井春雄の調書と全然同趣旨の記載(ただし、月給袋も月給の明細書も何も呉れていなかつた旨の異る記載が存する。)

(7) 証人中山澄夫の証言によれば、「最初のうちは(給料は)、売上金から貰つていたかも知れない。売上は店に保管し、維持費は組合の事務員が集めに来ていた。」旨の供述。

(8) 証人横山好雄の調書によれば、「私の営業による利益も全部私のものとなりただその中から毎月一日頃に、組合から決められた丈の積立金と源泉所得税に当る金額の合計額を組合に納めるだけでことが済みました。」旨の記載。

(9) 証人臼井貞子の証言によれば、「(始めのころは給料という金額は、日報の給料欄に書くだけではなかつたか。)初めの頃はそういうこともあつた。」旨の供述。さらに、同証人の調書によれば、「現金は私が管理していた。組合からの指示によつて、日報の月末現金残高を現金は店において印章と日報だけを持つて組合に行きます。組合ではメモに月給として決められた額、積立金、源泉課税を記入して渡し、積立金と源泉課税計五百円位を別に持つている金で支払う、積立金と源泉課税はキチンと払つていたが、月給として決められた額をもらつたことはなかつた。しかし、自分の売上が自分のものになるので別に不満もなかつた。」旨の記載。

(10) 証人佐藤松造の証言によれば、「積立金と源泉所得税に相当する金を、小倉市京町にある本組合の事務所に持つて行つた。(その額は)組合で計算し通知して来た。(それを届けると)源泉所得税の計算書を貰つていたと思う。(給料の明細書も)貰つていた。(給料は明細書だけで現金は)貰わなかつた。」旨の供述。

〔三〕 本組合事務員であつた証人の証言

(1) 証人森高殖の証言によれば、「本組合に昭和25、3から勤め、本組合の本部が昭和25、5頃福岡市対馬小路に移転すると同時に福岡の方に転勤した。それまで小倉市の横尾弥平太方の事務所に勤めていた。(もつとも、本組合の事務所は当時小倉以外にはなかつたが)小倉の事務所には、被告人木下は役員で、事務員としては私のほかに三日月弘之と、横尾多須子がいた。」旨の供述、同証人の第二回調書中、「組合の本部が小倉にあつた際には、木下仙友、横尾多須子、三日月弘之の三名が組合員のところを廻つて、積立金や日報を集めて居りました。積立金は月一回集金し、日報は一週間に一度分十日に一度位集めに行つておりました。それで売上の中から積立金を差引いた残金は月給と運転資金となる訳であります。もつとも積立金を集める際に月給に対する源泉所得税額と日報代は差引いていました。このような状態だつたので組合員と組合員の間に資金の融通が行われることは全然なかつた。」旨の記載。

(2) 証人三日月弘之の証言によれば、同人は「昭和25、4から昭和25、11頃まで本組合の事務員として最初小倉の事務所に勤めて、行橋、椎田の方を担当し、行橋町に京築出張所ができてからは同出張所に転任した」「(積立金を集めに廻つたことが)ある。(小倉の組合事務所にいた頃行橋に積立金を集めに来たこと)ある。」旨の供述。

〔四〕 認定

(1) 以上挙示の各証拠は、昭和24、12月の設立から昭和25、9月迄の本組合の組合関係者の一部の証言、供述にすぎないかもしれない。しかしながら右には理事長である被告人森原や、当時の事務員であつた森高殖、三日月弘之又は設立当初からの組合員であり役員であつた仰木実、貝島彦一の証言も含まれているのであるから、右挙示の証拠により充分に本点の実態を推認することができるものといえる。

(2) 以上挙示の証拠からは、昭和24、12月の組合設立から昭和25、9月迄の現金管理の実態は、

(A) 現金は、終始各組合員につまり事業所に保管させていたこと。

(B) 月一回事務員が各組合員の事業所を廻り積立金と給料に対する源泉徴収税額の相当額を集金したこと(ときには組合員の方から事務所に持つていつたこともあつたようである。)

(C) 右金額を組合員が支払うと、その組合員に対して給料明細書と源泉徴収票を渡したこと。

(D) 右集金以外の現金(それは営業の収支によりて生ずるもの)はそのまま事務所に保管させていたことつまり、組合事務所に対する組合員からの入金は積立金と源泉徴収税額相当額以外には、なかつたこと。

(E) だから給料明細書は渡すが之に相当する現金を事務員の方から支給するわけではなく、その組合員の事業所の営業より生ずる現金から給料相当額を控除させていたこと。

(F) そしてその(B)の額を控除した以外は、全額その事業所の運転資金という名目にしていたこと。

などが認められる。

(3) よつて、結論的にいうならば、組合員個々の事業所の営業から生ずる現金は、全くその組合員の事業所内で(勿論観念的には、組合員個人と組合の事業担当者=事業所責任者とは、別人格であるといえるが)還流しており、組合と組合員の関係では組合員の事業所の方から積立金と源泉徴収税相当額を支払う以外組合の方からその事業所に流される現金はなく、又組合員相互間(事業所という意味においても)でも本組合の名においてする現金の流通関係は全くなかつたことが認められる。

(4) 勿論右にのべたような現金の流通、管理の形態から直ちに本組合は個人の営業にほかならないとの結論することはできない。この点被告人森原は前示したように、「外形では従来通りのものが続くでしようが内部的には本部で統轄していた。」と主張している。そこで外形的には全く従来通りの個人営業とかわらない右のような営業形態が真実に個人営業にほかならなかつたか、それとも非常に不満足ではあるが企業組合としての経営といえるかは、他の点の判断と相俟つて論ずることにする。

第二 現金の記帳関係と、売上金が給料相当額よりも少額である場合の実際と記帳の実態。

〔一〕 積立金、給料相当額と日報の記帳

(Ⅰ) 証人横山好雄について

(1) 日報の記載

(A) 日報の昭和25、4、10(証九〇六―一―三四)の「経費の明細」の中「給料横山好雄九、〇〇〇円」同「積立金四四四円」の記載。

(B) 昭和25、5、10(証九〇六―二―一六)「経費の明細」の中「横山好雄一〇、〇〇〇円」「積立金七四五円」の記載。

(C) 昭和25、6、10(証九〇六―三―五)の「経費の明細」の中「給料及仮払費一〇、〇〇〇円」支出の項の中「積立金六四三円」の記載。

(D) 昭和25、7、10(証九〇六―四―七)の「経費の明細」の中「給料一〇、〇〇〇円」支出の中「積立金六八四円」の記載。

(2) 以上の各記載は、同証人の証言によれば、右のように日報に記帳して、月給は、同証人が貰い、積立金は事務所に支払つたものであることが認められる。

(Ⅱ) 証人中山澄夫について

(1) 日報の記載

(A) 昭和25、3、7(証九三三―二―七)「経費の明細」の中「給料二名分一〇、〇〇〇円」の記載。

(B) 昭和25、4、11(証九三四―一―一二)「経費の明細」の中の「給料欄」の「中山澄夫五、〇〇〇円、中山成代三、〇〇〇円」の記載。

(2) 証人中山澄夫の証言によれば「(今示した日報によれば給料は売上から経費として出しているようだがどうか)最初のうちは、売上から貰つていたかも知れません。」「(給料の前取りという事をしていなかつたか)金がないときはそんな便法をして貰つたと思う。」旨が認められる。

〔Ⅲ〕 証人末田精について

(1) 日報の記載

(A) 昭和25、7、14(証一五四五―一―一)「経費の明細」の中「給料仮払五、〇〇〇円」の記載

(B) 昭和25、7、20(証一五四五―一―七)同じく「給料仮払五、六四九円」の記載。

(C) 昭和25、7、23(証一五四五―一―一〇)同じく「給料仮払二、五〇〇円」の記載。

(2) 証人末田精の証言によれば右の各記載につき、「それは私や娘二人の給料を仮払として適当に私が売上の中から経費として落して使つておりました」旨が認められる。

(なお同証人の昭和25年7、8、9各月の日報(証一五四五―二―四)の中にも給料内払、給料仮払の記載は所々に認められる。)

(Ⅳ) その他の日報の記載

臼井貞子名義の昭和25、4月~8月分(証一五三三―一~五)、富島昌義名義の昭和25、6月~9月分(証一五八六―一~四)、、広岡金槌名義の昭和25、8月、9月分(証九三六―一~二)、、成末アイ子名義の昭和25、7月~9月分(証一六一三―一~三)。門岡正登名義の昭和25、7月~9月分(証一五三八―一~三)仰木実名義の昭和25、3月~9月分(証一五三六―一~五、一二)、中原嘉一郎名義の昭和25、2月~9月分(証一六〇八―一~八)、阿部清名義の昭和25、6月~9月分(証九四五―一~四)等の各日報の中にも、給料、給料内払、給料仮払、積立金の記載が多数認められる。

(Ⅴ) 認定

右挙示の各証拠の記載とこれに対する前示証人の証言とから明らかなように、積立金及び給料の徴収、支払については、日報に右のように記載して、給料については各事業所毎に組合員がその事業所の売上金から差引いており、積立金は組合事務所に支払つていたことが認められる。このことは、前掲日報がすべて印刷した同一様式のものであり、記載自体より三、四、五月頃から使用したと認められる。日報には経費の中に「給料」又は「給料及仮払費」の欄が予め印刷してあるところからみても、全事業所を通じ画一的に同一様式で記帳しており、そして同一様式で売上金から給料を差引き、運営費を支払つたものと認められる。

〔二〕 給料支払明細書、源泉徴収票の記載について

(Ⅰ) 証人横山好雄について

(1) 記載内容

三月分源泉徴収票(証九〇六―一―二七)には、支払者として「共栄企業組合 理事長森原春一」として組合員と森原の印を押捺し、給料「合計九、〇〇〇円、徴収税額六二四円」と記載され「昭和25、4、10」付で出されている。そして欄外に鉛筆で「積立金四四四円」と、たんに「一〇六八円」なる旨の記載が認められる。

(2) 証人横山好雄の証言によれば「(右の記載は)日報上から積立金四四四円をおとしてそれを組合に払つた。」「(一〇六八円は、六二四円と四四四円の合計は一、〇六四円になるがどうしたのか)この日にその金額だけを小倉市米町横尾乾物商方にあつた組合事務所に私がもつていつて払つた。そしてそのときにこの源泉徴収票を組合からもらつた。」旨が認められる。

(3) また、昭和25、4月分給料支払明細書(証九〇六―二―一五)は日報の昭和25、5、10(証九〇六―二―一六)分の上に貼布されており、同五月分(証九〇六―三―四)は日報昭和25、6、10(証九〇六―三―五)分の上に、同六月分(証九〇六―四―六)は日報(証九〇六―四―七)の上にそれぞれ貼布されており、前段(1)同様の内容の記載がある一枚の紙であり、下端に「切取」の字の上半分が存するものであることが認められる。

(4) 同証人の証言によれば「この日月給を貰つた(切取線以下には)積立金とか源泉所得税が書いてあつた部分がついていたのを憶えている。」旨が認められる。

(Ⅱ) 証人中山澄夫について

(1) 同証人の証言によれば、同証人に展示された証人中原嘉一郎分の昭和25、4月分「給料支払明細書」並びに「本日の実績」(証一六〇八―三―一、二)及び昭和25、5月分(証一六〇八―四―一~四)、中原嘉一郎、同寛子分」と同様のものを貰つたことがあると認められ、

(2) また同証人に展示された証人上田虎象分昭和25、1月分源泉徴収票(証六六四―一)同二月分(証六六四―二)、同三月分(証六六四―三)と同様なものを貰つたことがある旨認められる。

(Ⅲ) 右証人上田虎象分の源泉徴収票、給料支払明細書について

(1) 証人上田虎象は、本組合の組合員であり京築地区に所属していたものであることは同証人の証言により明らかであり、次節で述べるように京築地区が当初から小倉の事務所に所属し、その事務内容も同地区が出張所として独立するまでは全く同一様式であつたことは明らかである。よつて上田証人に交付された源泉徴収票及び給料支払明細書と同一のものが(証六六四の該票等と先に掲記した、横山好雄、中原嘉一郎の該票等とが同一月において全く同一であることは単に照合しただけで認めることがきる)小倉地区の組合員にも交付されていたことは充分に之を認めることができる。

(2) しかして、証人上田虎象の前示給料支払明細書中六、七、八月分(証六六四―六、七、八)は中央に「切取」の点線があり、上部は「給料支払明細書」、下部は「本日の実績」となつており、積立金、所得税の金額は下部にだけしか書いてないことが認められる。之は前に掲記した中原嘉一郎、同寛子の二枚についてもいえることで同人等の分は二枚に分離して月報に貼布されているが上田の分と同様に之は一枚の紙片であつたことは充分に推認しうるし、前掲横山好雄の分についても「本日の実績」がその下部にあつたであろうことは容易に之を認めることができる。

(3) そして証人三日月弘之の証言によれば前示上田の一月分源泉徴収票(証六六四―一)は女の横尾事務員の筆跡であり、二、三月分源泉徴収票(証六六四―二、三)は被告人木下仙友の筆跡であることが認められる。つまり被告人木下も右の業務にたずさわつていたものであることを認めることができる。

(4) ところで前掲の、源泉徴収票の一月~三月分はガリ版で刷つたものであり、給料支払明細書の中四月分はガリ版刷りであり五月分以降は、違つたインクの印刷であることが認められる。)いずれにしても、一定の様式の下に印刷された紙片(袋ではない)であるから右三人以外の他の組合員に対しても同一紙片が使用され同様趣旨の記載がなされたものであることを推認することができる。

〔三〕 日報、源泉徴収票、給料支払明細表の記載と現金の流通

(1) 先に掲示した、証人門岡正登、同臼井貞子の各証言、並びに証人仰木実、同佐藤松造の各調書によれば「積立金、源泉徴収税相当額を組合に支払うと源泉徴収票、給料支払明細書を呉れた。給料支払明細書だけで現金は貰わなかつたことが認められる。

(2) 既に認定したところから論ずれば、給料は日報上に経費として之を記入し、それぞれの事業所の売上金の中から控除していたことが認められる。しかして積立金は同じく売上金の中から経費としておとして集金にくる事務員に渡すか、事務所に持つていつたこと、その際に昭和25、1月~3月分は源泉徴収票を、昭和25、4月~9月分間は前掲のような給料支払明細書を組合員は貰つていたことが認められる。

(3) そこで、右の認定からすれば源泉徴収票、給料支払明細書の記載は給料相当額の控除の事実を表示していないということができるのである。なるほど前示した横山好雄の場合、源泉徴収票又は給料支払明細書の貼布してある日の日報に給料と運営費とが記帳されているので、それからすればその日に給料を経費としておとして之を取り、積立金を組合に支払つて右票や明細書を貰つたように認められる。しかしながら同証人についても、昭和25、8月分明細書(証九〇六―六―八)が貼布されている日報の昭和25、9、10(証九〇六―六―九)には積立金一、二一八円の記帳があつて給料の記帳がない。同証人は之はつけおとしである旨称するが、昭和25、7月分の給料を控除したと同証人が称する(日報上にその記帳はない)昭和258、12以降昭和25、9、10迄の日報(証九〇六―五―八~三八、証九〇六―六―一~九)の現金の入金、現金の支払を計算してみると昭和25、9、10には到底一〇、〇〇〇円の給料を控除できる手持現金高ではなかつたことが認められるから、右証言は措信し難く横山証人においても給料支払明細書と、日報の記帳と実際の現金の流通は一致していないことが認められる。

(4) さらに前に挙示した証人の各日報の記載内容を精密に検討するに、運営費を記帳した日と給料を記帳した日の異るのが相当多数認められる。ということは前に認定したように「給料支払明細書等は、積立金を払うと呉れた。」ことからして、積立金を支払つた日に給料の記帳のないことは給料支払明細書は貰つたが(前示横山の昭和25、8月分がその例である。)、組合から給料を貰わなかつたことは勿論のこと、事業所の手持現金残高からも控除できなかつたことを示すものであり、その他の日に給料の控除の記帳があることは(仮払ではない)、必要な都度または、手元現金残高がきめられた給料額を超えたときに(之は日報上のことである。現実の現金高が日報の記帳額と一致していたかどうかは別題題であるから)給料支払明細書とは無関係に控除していたことの証左である。

(5) さらに、そのことは、初めに認定したように、その事業所の現金はその事業所において還流し、組合事務所から流入されない。つまりいかなる名目(給料、運転資金)においても融通をうけない(第三者からの借入金はその事業所毎の個別的事情であること後述)のであるから、その月の売上金がその組合員の給料と定められた額に達しない場合には必然的に給料相当額の控除はできない仕組になつていることが認められる。勿論前示した日報の記帳にも認められるように仮払(末田精の場合)内払(貝島彦一の場合)の方法により売上のできたときに控除している例も認めることができるが、一月、二月と営業不振が続き、または休業した場合は給料支払明細書はたとえ貰つても、それに記載してある給料相当額の実際の現金は受取ることはできない。つまり仮空の給料支払明細書を貰うことになる仕組になつているといえる。その場合実際の現金売上からの控除と明細書の交附との間には何等の関連もないことは、前に認定したとおりであるので、右のような仮空の明細書を交附することは充分にありうることである。(後述現金プールのところで詳細に論ずる。)

(5) 反面明細書をも交付しないことはその組合員には給料(形成的ないみで)も支給しないことの外形的な表示であり、既に認定したように現金はその事業所においてのみ還流する前提においてみれば全く、かかる場合は個人営業の有力な事実になりうると解せられる。けだし、支給されないのが事業資金である場合はともかく(本組合がかりに法人の実態ありとせば法人内部の流通にすぎない事業資金と、法人と第三者との関係に立つ給料とは本質的にそのもつ性格は異なる。)組合に対し、ある月においてある組合員に給料を支給し、かつその担当する事業所に充分に現金がある場合に、他の組合員の給料をその現金で賄うことなく放置することは、その事業所より生ずる損益はすべてその事業所を担当する組合員に帰属することを事業所自体が承認した証左にほかならないからである。この点からいつて、証人末田精の調書によれば、「月給袋も給料支払明細書も何も呈れなかつた。」旨の証言は右のことを証する一斑として認められるのである。

〔四〕 組合事務所から事業所に現金が流通したことはないことについて

(1) 事業所出納個人別日記帳(証一六六二)によれば、同帳簿には「事務所出納」として昭和24、12、5より昭和25、4、30迄は継続的に、五月と六月は一部分、組合事務所の現金出納が記載されていることが認められる。よつてその内容を精査するに、昭和25、2、3と昭和25、2、5に事業場よりとしての入金がありいずれも同日給料として支払われている以外には、事務所から各事業所に対する現金の支払は右の期間全くないことが認められる。また右二つの入金、出金の記帳も現実に現金が流通したものでないことは被告人森原の証言からも明らかである。

(2) 入金についても各事業所より事務所に対しては、出資金、加入金、積立金以外の金(源泉徴収税を預り金としているのはあるが)は納入されていないことが認められる。

(3) よつて事務所の右のような記帳からも現金は各事業所毎に還流するのみで各事業所は事務所には加入に際し、出資金、加入金を支払つた後は積立金(源泉徴収税相当額を含む)を払うだけであつたことが認められる。

第三 結論

(1) 本点において右のとおり詳論した結果からすれば、その現金の管理、流通、還元の実態は本点第一の〔四〕において認定した(A)~(F)のとおりであり、その組合事務所、組合員の事業所における帳簿の記帳は本点第二の〔一〕と〔四〕のとおりである。かつ、給料については右に認定したように日報上経費として処理して事業所の売上金からその事業所相当の組合員及び従業員の給料相当額を控除する機構になつていた以外に、右実際の給料の控除とは関係なく給料支払明細書(昭和25、3月分迄は源泉徴収票)を交付しておるが、それは実質的には給料の支払を裏付けるものではなく、その明細書の切取線以下の「本日の実績」が示すように、その事業所の組合員から組合事務所に実際に支払われた積立金と、源泉徴収税相当額に対する領収書の性格を濃厚に有するものであつたにすぎないのであつて、給料の支払自体については単なる形式的な明細書にほかならなかつたことが右の認定事実から認められるのである。

(2) そこで次に問題になるのは、事業所における現金が事業所内で還流しておるところ、観念的には組合の雇人としての組合員個人に対して支払われるとみられる給料と、組合の事業所担当者としての組合員がその資格において出金、入金する運転資金との区別が明確につけられていたかどうかである。この点について被告人森原は「内部的には本部で統轄していた。」と証言している。この点については本組合の規約等などよりは既に本節第二項において認定したところの各被告人等が組合員の加入に際しどのように説明していたかを顧みれば自ら明らかである。

その説明についての既に挙止した証拠を再度要約的に述べれば

(A) 本組合創立以前の被告人森原、同木下の説明は、証人仰木実の調書によれば、「営業は従来通りあなた達の営業で売上もあなた達のものであるが月給額以外の金は運転資金という名目になる。」であり、

(B) 被告人森原の昭和25、7頃の説明は、証人末田精の調書によれば、「営業は皆さん自身で今迄通り組合と関係なく続けてゆき、然も税金は月給と決めた額に対する源泉所得税と市民税だけ納めれば良いことになる。それから組合の役職員の給与、事務費用を賄うために積立金を出して貰う。」旨の説明がなされており、

(C) 被告人木下の昭和25、2頃の説明は、証人横山好雄の調書によれば「組合加入後組合員の営業場を組合の事業所ということにし、組合員は表向きでは組合員から月給を貰つて生活をしている形にする。そうすれば、実際には組合員が自分で営業をやつていても表向きは組合の事業所の従業員で月給取りであるという形になるので税金は加入前にかかつていた事業所得税や事業税はかかつて来ないことになる。組合員は月給と決めた金額に対する源泉所得税を納めればそれで済むことになる。しかも組合員の自分の営業による利益は加入前通り組合員のものでありただその中から毎月僅かな金額の積立金というものと、月給と決められた金額に対する源泉所得税に当る金額を組合に納めて貰いさえすれば良いことになるから非常に得だ。」なる旨の説明がなされたことが認められる。

(D) また本組合の役員であつた藤原義光の説明も証人藤井春雄の調書も全く同趣旨であることが認められる。

よつて以上の本組合の役員等の説明の内容と右認定した現金の管理、流通、還元の実態とを併せ勘案すれば、右に掲記した被告人森原の「内部的に統轄していた。」との主張は、直ちに信用することができないものであることがわかる。

(3) さらに、現金の管理、流通、還元の実態(それは給料支払の実態であり、営業の実態であり、収益の実態である。)が右のようなものである認識に立つたと推認される本組合の幹部としては、その実態を加入希望者等組合外の第三者にどのように表現していたであるうか。この点を

「共栄企業組合に加入しましよう」と題するビラについて論究する。

(A) 同題名の多数あるビラの中

(a) 証一七六〇―八七(同文同紙、証六三三―一九、証二六一七―三、証二五六二―三、証二五六四―二五)

(b) 証一六七―九(同文同紙、証五八八―八)

の二紙は、末尾の「共栄企業組合」の肩書にある小倉、熊本、宮崎の事務所所在地の表示につき(a)は「地区協議会」を(b)は「地方協議会」を表示しており「事務所」として「福岡市対馬小路」を表示しているものである。

被告人上野の証言によれば「協議会」の名称を使つたのは昭和25、9月末迄であることが認められるし本部事務所が小倉から福岡に移転したのは、第五節で述べるように昭和25、5、20(登記簿上)頃であるから右(a)(b)はいずれも昭和25、5月頃~同9月頃の間に作成されたものであることを認めることができる。

(B) また証人森高殖の証言及び調書によれば、同証人は証一七六〇―八七のビラを見たことがあり、それを同じようなものを光印刷所に印刷を頼みにいつたことがある。枚数については一、〇〇〇枚位(調書では二尺の厚さ位というが、いずれにしても一、〇〇〇枚位はあつたといえる。)であり、そのビラは、常任が持つて出て配布したり被告人森原、同木下、同上野等が出張したりするとき持つて行つて配布したりしていた旨のことが認められる。

さらに証人貝島彦一の証言によれば、同証人は証一六七―九につき「之かどうか憶えないがこのような種類のビラは見たことがある。この中の“この組合の特色は”という点については記憶がある。みたのは小倉の事務所だつた。貰つた記憶もある。」旨述べている。

(c) ところで、そのビラの内容のうち、本点に関係する事項をみると

(a) 証一七六〇―八七の「この組合の特色」の中

「(一―二省略)

三、従来の工場又は店舗は単位経営体として独立採算制で従前通り運営される。

四、組合員が工場又は店舗で能力に応じて得た所得は全部給料として支払われる。

(五―八省略)

要するに(中略)しかも組合員の所得はそのまま給料として支払いを受ける所に大きな意義がある」の記載。

(b) 証一六七―九の「この組合の特色は」の中

(一―二省略)

三、この場合いままでの工場または店舗は単位経営体として独立採算制でいままで通り運営される。

四、組合員は組合から給料の支払をうける。

五、だから組合員の税金は給与所得税一本になり税金の負担は半減する。

(六―八省略)

要するに(中略)しかも、組合員の所得はそのまま給料として支払いを受けるところに大きな意義があります」の記載。

が認められる。

(D) そうであるならば本組合としては、加入る勧誘するに際してのビラの中に「組合員の所得はそのまま給料」として支払われることを明確に表示しており、被告人森原、同上野、同木下等は加入時の説明に際して本組合の実態につきこのような表示のあるビラを配布していたものであることを充分に認めることができるといわねばならない。つまり給料額の決定などは無意味であつて、その事業所(それは従来どおりの個人の店舗又は工場であること右記載より明らかである。)よりえられた所得はそつくりそのままそこの組合員の給料になるものであるならば、給料と運転資金の間に明確な区別が設けられ本部が内部的に統一する等のことは右ビラに表示された組合の認識とは矛盾することであり、結局、右ビラの内容から推しても、被告人森原の前示証言は信用できないし、却つて給料額の決定等は形式にすぎないことを右ビラは明確に表明しており、なおその上に、そのようなことは被告人森原、木下、上野は之を認識していたということができるのである。

(3) 右(2)に論じたところから明らかなように、給料と運転資金の間にも明確な実質的区別のないことが認められる以上、右掲示のビラの公称する「独立採算制」とは、その事業所のすべての損益利害はその事業担当の組合員(それはそこの店舗、工場の主)に帰属する。つまり加入前の個人営業と全く同一の現金の管理があり流通であり還元であり、実質的に一切の損益を従前の個人が負担する制度の意義にほかならないといわざるを得ないのである。

第三点 昭和25、10月以降昭和27、11月頃迄の実態(いわゆる「現金プール」の期間

第一 被告人森原および同木下の現金プールを初めるにあたつての説明

〔一〕 ここでは現金プール(統一計算)をなぜ本組合が実行するようになつたか、現金プール実施の経緯については詳しくふれない。この点については、各出張所の現金プールの実態を認定した後に第一九節において論ずることにする。そこで本点では小倉に現金プールを初めるようになつた直接関係的なことだけを審究する。

〔二〕 説明の内容

(1) 証人仰木実の証言によれば、「何かの会合が浅野町の煙草会館であつたとき、森原から九原則の内容と九原則の実施の方法と九原則を厳守する様にという話があつた。(売上金の処理については)現金プールをすると云われた。現金プールというのはその月末日迄の日報上の手元残高金額を組合に持つてゆくことである。」のことが認められる。さらにその煙草会館の説明につき、同証人の調書によれば「昭和25、10月頃小倉市浅野町のたばこ会館で森原春一から九原則に関するパンフレットを渡されて説明をうけたが、出席者は二、三十名、組合からの出席者は、森原春一、木下仙友、横尾弥平太であつた。」ことが認められ、被告人森原のそのときの説明は「従来のように積立金と源泉所得税だけを組合に持つて来るのでは法人として認められないから月初めに前日の日報上の現金残高にあたる金を日報と共に組合に持つて来てもらい、その中から積立金と源泉所得税にあたる金を差引いて残金を還す。運転資金という名義になる金は小切手で還し、月給という事になる金は現金で還すと説明した。」のであることが認められる。

(2) 証人末田精の証言によれば、「私が加入(昭和25、7、12)してから二カ月たつた八月か九月頃九原則という国税局の通達があり、それに則つてやるということから共同計算が始つた。森原理事長か、支部長の木下仙友が憶えないが地区地区の評議員(証人末田精が当時評議員をしていたことは同証人の証言により明らかである。)を集めて九原則の各箇条に基いて説明を加えて説明した。そのときに初めて話がでて始められたと思う。前にはそういうことはしていなかつた。(その話の内容)は売上は毎日共同計算すべきだが手間をはぶく意味で毎月一回その月の売上を月末に締切つて全部組合に持つて行き給料を支払い事業資金を持つて帰るという話で、持つて帰る金は小切手で呉れた。それは計算したことを経理帳簿に記録として残す為めにするものだと私は思つていた。共同計算は普通現金プールといわれていた。」旨が認められる。さらに同証人の調書によれば、「何時の会議のときか記憶しないが支部長木下が“今度九原則がでることになつたので組合員の金はすべで組合に吸収して組合から組合員に月給なり運転資金をやつた様にしなければならないことになつた。しかし現金でやり取りするといつても後日に証拠が残らないので小切手で操作することになつたので了承してくれとの意味の説明が」被告人木下からなされたことが認められる。

(3) 証人三日月弘之の証言によれば、「現金プールの話は小倉の北九支部の組合事務所で木下仙友から聞いた。役員をしていた人達と一緒に聞いた。内容は憶えない。」旨のべており、さらに同証人の調書によれば、「現金プールのことについては小倉で評議員等に対し木下から説明があつた際土谷と一緒にゆき聞いた。木下の話は、“こういう線でないと企業組合が否認されるという九原則がでたので、こういう風に現金プールというやつをせねばならぬ”という説明であつたことが認められる。

(4) しかして、行橋地区協議会の回章綴の中「地区協議会開催のお知らせ」(証六三五―一九)は証人三日月の証言及び調書によれば、同人の書いたものであることが認められるところ、その日附、「昭和二十五年八月十九日三号」となつており「議案一、各事業場残高ヲ一応支部ニ吸上ゲ後更ニ各事業場ニプール(返戻)スル件。之ハ明二十日午後七時ヨリ小倉ノ事務所ニ於テ役員会開催コノ際討議サレル。」の記載のあることが認められ、証人三日月の前示会合の出席はこのときであつたことが右調書から認められるので、現金プールのことにつき、小倉地区においては昭和25、8末から既にその内容と実行方法につき論ぜられていたことが認められるのである。

〔三〕 以上、右認定した事実からすれば被告人森原及び同木下の現金プールを開始するに当つての説明の内容は現金プールとは、

(1) 毎月一回定められた日に日報上の本日現金残高を全部組合業務所に持つてゆくこと。

(2) 持つて行つた金の中から積立金と源泉所得税にあたる金を差引いて残金は組合員に還すこと。

(3) 証拠を残すという意味で小切手を使うこと。

(4) 現金プールを初めるようになつた直接の動機は国税局の九原則がでて、従来通りの記帳や現金の管理だと法人としては否認されるおそれがあるからその対策として実施するものであること。

などであつたことが認められる。

第二 現金プールの一般的実態

〔一〕 現金プールの一般的実態について

(1) 証人加茂武雄の証言によれば「(日報上の本日現金残高は)月末迄はそのまま家において、月末に一度月末迄の日報上の手元現金残高とその月分の日報とを持つて組合事務所に行つた。その現金の中から売上金額の二パーセントの金と、新聞代、日報代、源泉所得税等を引かれ、普通はその残額から月給と運転資金を呉れるのだが、私は運転資金はいらないので月給だけもらつた。差引かれた残額は全額呉れた。月給額にみたない残額のときも、残額をもらうだけで月給の全額は組合から貰わなかつた。現金プールのとき持つていつた金より多額の金を貰つたことはない。」旨のことが認められ、

(2) 証人山本保一の証言によれば、「現金プールには私が行つた。朝日新聞社前の組合の東部事務所に行つた。いくときは印鑑と日報と現金をもつていつた。そして、支部勘定を計算してもらつた。その現金には日報上の前日の手元残高現金をもつていつた。そして運営費、日報代をひかれ、差引かれた残額から月給という名目の金額を貰い、なお残額があればそれは運転資金として貰つた。月給は現金で、運転資金は小切手で貰つた。」旨のことが認められた。

(3) 証人竹永繁子の証言によれば「現金プールとは売上金を組合にもつていつて小切手を貰うことを云う。組合から売上金の集金に来たことがあるが今迄通りと変つたことはなかつた。」旨が認められ、

(4) 証人横内光隆の証言によれば、「現金プールには日報上の手元現金残高と判と金銭出納簿をもつていつた。」

旨が認められ、

(5) 証人谷本三郎の証言によれば「組合に手元現金残高をもつてゆき、その金銭の中から組合が運営費を差引いて、その残額から月給をもらい、更に残額があればそれを運転資金でもらつて来ていたので、運営費だけ貰つて来る金額の方が少なかつた旨。」が認められ、

(6) なお、証人横山好雄、門岡正登、中条元吉、近藤剛の各証言によれば右(1)(2)(5)と全く同趣旨のことが認められ、証人末田精の証言によれば、運営費について否認している以外右と同趣旨のことが認められ、証人上野辰夫の証言によれば稍々同趣旨のことが認められ、証人木田輝政の証言及び調書によれば全く右と同趣旨のことが認められる。

(7) また 証人横尾弥平太、仰木実、長岡竹男、佐藤松造、広岡金槌、竹水繁子の各調書によれば右(1)(2)(5)と全く同趣旨のことが認められる。

〔二〕 認定

(1) 右挙示の証言及び調書により認められる事実を綜合すれば、小倉における現金プールの一般的実態は、

(A) 毎月一回定められた日に、その前日の日報上の現金残高を組合業務所(事務所でない組合員の家でやつたこともあることについては後述する。)に持つて行く。そのときは右現金のほかに印鑑と日報を一緒にもつてゆくこと。

(B) 組合員の持つていつた右現金の中から、運営費、新聞代、日報代、源泉所得税相当額等を組合事務所では差引くこと。

(C) 右差引いた残金の中からその組合員の給料と定められた金員を払い、さらに運転資金を払う。しかしてその割り振りや、名目や、渡す順序にはきまつたものはないが、いずれにしても(B)に述べた組合事務所が差引くものを差引いた、残額は全額当該組合員に返していたこと。(運転資金名目の金には小切手を使つたり、逆に月給名目の金に小切手をつかつたりしていること。)

であつたことを認めることができる。

(2) もちろん、取調べた証人の中には右に反する証言をした証人もいる。しかしそれらの人の現金プールの一般実態についての証言は之を真実とは認め難い。それは右認定した事実に矛盾するばかりでなく、次に説示するように日報や組合帳簿の記帳事実とも合致しないからである。

第三 現金プールのときの日報上の本日現金残高より前示運営費等を差引き、その残額がその組合員の給料と定められた額より少額である場合の給料の支払のし方及び帳簿記載の内容

〔一〕 前提

(1) 証人三日月弘之の証言によれば、現金プールのときは組合員の名前を列記した表を作成して、組合員が持つて来た売上現金を運転資金で当該組合員に返していた。そしてその表とは支部勘定補助簿(証一五〇二“検証二五〇”)の中の京築地区の分であることが認められる。よつて右支部勘定補助簿は現金プールの内容を記載したものであると認めることができる。ところで同証人の証言及び調書によれば、同証人は被告人木下より現金プールのやり方をならい、また、京築地区の現金プールには小倉から同木下や事務員横尾多須子が手伝に出張して来たことがあることが認められるし、右支部勘定補助簿の内容を検討すると同帳簿は昭和26・3月分~昭和27・3月分迄が編綴されており、すべて同一紙質同一様式の一らん表になつており、それには小倉、京築、田川の各地区の分が存することが明らかに認められる。

以上のことから右支部勘定補助簿の小倉地区の分もまた同地区における各月の現金プールの内容を記載されたものであり、小倉地区における現金プールの数字は右記載のとおりであることを認めることができる。なお他の支部勘定補助簿(証一五〇三)は昭和27・4月~昭和27・10月分迄の現金プールの表であることは前の帳簿と対比して之を認めることができるがこの帳簿は証一五〇二の帳簿に継続するものとして同一性質のものであり、従つてその内容についても証一五〇二の帳簿と同一の要領で記載されたものであることが推認される。

(2) 次に日報の様式が和和25・10・1以降一変し、いわゆる横書になり、新に「支部勘定」欄が収入、支出の各部に設けられるようになつたことは、証人門岡正登、同横山好雄の証言により認められると共に、当裁判所が領置した多数の日報〔一例。証人横山好雄の昭和25・9月の日報(証九〇六―六)と昭和25・10月の日報(証九〇六―七)の対比〕によつても明らかに之を認めることができる。

(3) ところで、その「支部勘定」には何を書くかについては、証人横山好雄、今井良一、佐藤松造の証言によれば、支部(組合事務所)に送金したときに支出の支部勘定欄に、支部から入金したときに収入の支部勘定欄に書くようになつていたことが認められるし、「支部勘定」という勘定課目自体からもその欄の性質が右証言のとおりであるを肯認する事が出来る。しかし、右は、そのようになつていた仕組の説明であつて、証人今井良一の証言による「集金に来た場合でも支出の支部勘定に記載した」との供述によつて認められるように、そのように記帳したということと実際にどのように現金が動いていたかということは自ら別問題である。このことは「借入金」の処置についての認定のところで詳論することにする。

〔二〕 記帳の内容と現金流通の実態

(1) そこで次に、現金プールにおける組合員の日報の記帳と、組合事務所の支部勘定補助簿の記載と、組合員に渡された給料袋の記載の関係がその現金の流通、還元の実態とどのような関係になつていたかを便宜上、後記(3)の通り表示して審究することにする。

とくに現金プールのときにプールすべきであるその前日の日報上の手持現金残高が月給と決められた額より少額であつた場合の支部勘定補助簿の給料の記載及び給料袋の記載について論ずることにする。

(2) 左記一らん表の中、「支〓支」とあるのは「支出の支部勘定」を「収、支」とあるは「収入の支部勘定」をそれぞれ意味し、単に「証言」「調書」とあるのはいずれも、その枠内の証人名欄記載の証人の「証言」「調書」を略称したものである。

(3)

<省略>

〔三〕 支部勘定補助簿(証一五〇二、証一五〇三)記載の実態

(Ⅰ) 記載の様式に対する判断

(1) 本点第二、第三の〔二〕において詳細に認定した事実と支部勘定補助簿自体の記載の態様を検討したところを綜合して、同補助簿の記載の実態を究明する。

(2) 補助簿の様式は次のとおりである。昭和26年3月分~昭和27年4月分迄は同一様式である。昭和27年5月分、6月分には左の様式の中<3>と<4>の間に新に仮払の欄を設けた用紙を一部使用しており、昭和27年7月分~昭和27年10月分はこの仮払欄のある様式を使用していることが認められる。各表は藁半紙1/2枚であり、すべてガリ版刷りであつてペンで記載されている。

その様式は次のとおりである。

支部勘定補助簿 〔支部~事業所得関係〕

月分

<省略>

(イ) 給与欄は[A-B=C]である。Aは給料と定められた額であり、Cは実際に支給された筈の給料額である。

(ロ) また[B=G]であり、之はAに対する源泉所得税であつて、Gはその源泉所得税を事務所(支部)に差引くところから支部残高欄に記載されるものと認められる。(ハ) 収入Dは事務所に各組合員から送金された金額であつて、各組合員の日報では、現金プールの日の支出支部勘定として記帳されるものであることが認められる。よつてこの収入Dは日報の支出の支部勘定額と常に一致していることが認められる。

(ニ) 支部残高欄のHには事務所が差引くべき運営費、日報代、新聞代等が個別に記載されていたことが認められる。

(ホ) 支部勘定欄の現金支出E、小切手Fは組合員から事務所に記帳の上で送金された金額の中、運転資金の名目を以つて組合員に返され、当該組合員は之を当日か翌日の日報の収入の支部勘定に記帳していたことが認められる。なお、Fの場合はDの現金とは別個にFの金額に相当する現金を当該組合員から事務所に渡して小切手を受取つていた場合もあることが認められる。

(ヘ) 支部残高欄Kは[G+H=K]かときには[F+G+H=K]であることが認められる。又[G+H=K]のときは欄外に[F+K=N][K=N]の記帳が認められる。[F+G+H=K][F+K=N]であつて、[E+G+H=K][E+K=N]等がみあたらないことは、Eの場合は運転資金といつても直ちに現金を組合員に返還するか、現金を受取らずに記帳のみすれば済むが、Fは小切手であるので必らず現金を事務所は受取らねばならない。つまりKNは組合が実際に受取る金額の合計であることを示すものであつて、従つて、Eの加算されたKやNはないことが認められるのである。

(Ⅱ) [A(C)>D]の場合の給料支給の実態

(1) 本点第二〔二〕で認定した現金プールの一般的実態と、本点第三 〔二〕、(3)で詳論した具体的事実とを併せ勘案すれば、

(イ) 組合員が現金プールのために組合に一応手渡した金(組合員が事務所に持参する場合、事務員が取りにくる場合、一定の組合員の家に寄合いそこに事務員が出張してくる場合等あつたことが認められるがそのいずれたるを問わない。)は、その金額が当該組合員の月給と定められた額よりも多額にせよ少いにせよ、組合事務所が現実に受取る運営費、日報代、新聞代等を差引いた残額は全額当該組合員に返していたこと。つまり現金プール前と同様にその現金は当該組合員の事業所で還流するだけであつたこと。

(ロ) その場合[A(C)>D-(G+H)]のような場合でも事務所は、その月給額に不足した分を補うことをせず、不足のまま、当該組合員に返していたこと。つまり月給と定めた金額だけの金員は、当該組合員の現金プールに提出する金(それは結局日報上の売上金である)が少い場合は、当該組合員は貰えなかつたこと。

(ハ) それにもかかわらず、支部勘定補助簿の記載ではそのような場合でも月給と定めただけの金員は当該組合員に支給されたように記載されていたこと。

つまり「実支給額C」の中には、実際には支給されていないにかかわらず、支給されたように記載されている組合員の場合があること。

が認められる。

(2) 右に認定した具体的事例は、戸数の組合員の、しかも昭和25年10月~昭和27年10月の間になされた現金プールの回数からみれば少数であるかもしれない。しかしながら繰り返し述べたように、支部勘定補助簿の各表の様式は一定していてかつ長期間に亘り同一様式のこの表によつて現金プールの事務を処理していたことが認められ、前に認定した<1>~<12>の各欄に記載される各金額の性質及び相互の関係も一定していたことが認められるのであるから、その一定の相互関係から数式上導き出される結論は右補助簿の記載にあつてはすべて同一であるとこれを断定することができるのである。

それであるから前に具体的事実として認定した事実から導き出される数式は右補助簿の他の組合員の場合にも当然に妥当するということができるのである。

(3) そこで支部勘定補助簿の記載と、[A(C)>D]の場合の現金の流通の関係は次のとおりであつたことが認められる。

(イ) 決められた月給額Sとする。(一般的にはS=Aであることが普通であるがAはその月の総支給額であるから理論的に異る場合が考えられる。)

(ロ) S(A)-B>Dの現金Dを現金プールに提出すると、

(ハ) 事務所は、B(G)があればそれも合せ、B(G)+Hを差引いて受取る。

(ニ) 組合員に返されるのは

<省略>でする。

(ホ) 運転資金が小切手(F)で返される場合は、

P+Fが差引かれる。

但しFは必らず組合員に返される金である。

(ヘ) よつて組合員に返される金Pについては、

a) S(A)-B=C>Pである。

b) P=E P=d

P=F P=E+F+d

P=E+F

P=E+d

P=F+dの各式が成立つものとして

c) c>dであることも勿論である。

(ト) このDとCとの間には必然の関係はない。つまり補助簿の上ではCの月給が支給されたことになつているが実際はdという(その名目がなんであれ)現金(後に小切手のときもある)が組合員に返されていたということが認められるのである。

(4) もつとも、補助簿の記載の中には[C>D]の場合であつて、[D<E+F][D<F]の場合のあることが認められる。しかし、この場合には、前に読ましたように、Fの小切手の額面額の現金をDの現金とは別個に事務員に提出して小切手を受取つているのであつて、組合員が換出した金とは別個の金の小切手をその組合員に運転資金として支給したことを表示するものではないのである。または、他より一時まわされ直ちに現金化してその現金を組合に返還した分も含まれていることが認められるのである。

(5) また、[D<E+G+H][D<E+H]の場合の記載のあることも認められるが、この場合には、Eの運転資金の支給が実際と合致しないものであることは前示Cの記載と同一である。

〔四〕 給料支払明細書、月給袋の記載の実態

(1) 前示認定した事実からすれば、右のように月給と定められた額に達しない現金を返して貰う場合(前認定のdの金)又は、運転資金のみ返して貰つてd相当の金額は全く貰わない場合でも、給料明細書や月給料の支給額の記載は、月給と定められた額であつて実際に貰つた金額ではなかつたことが認められる。

(2) 結局、現金プールが開始された後の月給袋、給料支払明細書の記載も現金プールを初める前の記載と同様に真実に合致しない場合があつたことを認めることができる。そして真実に合致しない場合は支部勘定補助簿の記載の中[A(c)>D][A(c)>D-K]の場合であることも前示認定から認められるところである。

〔五〕 月給と定められた額に不足する現金を返したにすぎないにかかわらず事務所では所定の月給額を支給したようにしていた実態の本地区における状態

(1) 支部勘定補助簿(証一五〇二、証一五〇三)の各記載の中から京築地区、田川地区に所属する組合員を除き、小倉地区に所属する組合員について検討する。

右所属の区別は、組合員名簿(証二五九八―一一五)、人名簿(証一八八八)組合員従業員異動整理簿(証一五二二)により之を認める。

(2) 支部勘定補助簿(証一五〇二、証一五〇三)の記載から現金プールにおいて、「実支給額」通りの現金又は小切手を支給されなかつたと推認される組合員の数は、〔三〕の算定方法により算定すると次のとおりになることが認められる。

<省略>

(3) 右表のとおり認定した事実からすれば現金プールに際し定められた月給額を現実に支給されなかつた組合員は一月に稀少というようなものではなく、ほとんど半数に近い組合員が毎月そのような取扱いをうけ、昭和27、1月以降組合員が増加してからは半数以上の組合員がそのような取扱いを受けており、之に対し組合は現実に支払つたように補助簿を記載していたことが認められるのである。

そうであるならば、右のような月給額に満たない場合は月給額どおり支給されていなかつたというのは、被告人側が強張するが如く単に例外的現象とみるべきではなく、全く一般的状態であつたのであり、現金の流通、還元と組合の帳簿の記載の不一致が常態であつたといわざるを得ないのである。

(4) ここに、考慮すべきことは、給料の「前借」「仮払」「内払」と右記載と現金支給との関係である。真実に現金プール前に仮払を受けていて、現金プールの日に決められた給料額より少額の支部勘定を事務所に提出し、仮払を清算されて月給袋には清算された残額が入つており、記載は、決められた月給額である場合には之を不当とはいえないかもしれない。しかしながら支部勘定補助簿を検討するに、既に認定したように、同表に「仮払」欄が設けられたのは昭和27・5月分以降であり、先に認定した現金プールの具体的事実の各証人の場合、仮払を清算された旨証言しているのは、証人今井と証人末田であるが、その日報を点検すると両証人とも仮払の記帳は見当らない。「仮払」は日報の記帳の形式からいえば、組合の金であるはずの売上金が組合外の組合員個人に流出するのであるから、当然日報上に記帳されなければならない筋合のものである。現に証人末田の昭和26、9月分以前の日報には多数の「仮払」の記帳のあることが認められるのである。このことは日報の様式の変更とは関係ないことである。ただ日報記帳の技術として「仮払」を現金プールの場合と同様に「支出」の「支部勘定」欄に記載して現金を売上金から差引いていたのではないかとも一応は考えられるがかりにそうだとしてもそれは日報の当該欄の記載及び備考欄の記載により之を判断することができるところ、右両名の日報にはかかる記載も認められない。いずれにしても右両証人の証言は容易に信じ難く右証言を以つて、支部勘定補助簿の「実支給額」欄の前叙の記載の架空の場合のあることを否定することはできないと解する。

また右両証人のみならず、小倉地区に所属する組合員だつた証人等の日報の中、昭和25、10月~昭和26、3月分につきその記載に給料の「仮払」「内払」「前借」の記載があるかどうかを、収入の支部勘定欄、備考欄、支出の支部勘定欄、支出のその他欄、経費欄にわたり検討した結果、唯一点証人中山澄夫の昭和25、11、7(証九三四―七―七)に「給料の借入」の記帳が認められたほか、全くかかる記帳のなかつたことが認められるのである。

よつて右「仮払」の主張は事実に反するものであると認める。

なお検討した日報は、証人臼井、富島、市原、末田、今井、門岡、松井、仰木、藤井、成末、佐藤松造、横山、中原嘉一郎、中山澄夫、広岡、阿部清の各名義の証一五三四―六~一一、証一六〇三―五~一〇、証一五二九―一~六、証一五八四―四~九、証二六五四―一~六、証一五四〇―三~八、証二六六七―二~七、証一五三七―八~一三、証一六三六―七~一二、証一六二七―五~九、証二六七〇―三~八、証九二三―七―一二、証一六一二―七~一二、証九三四―六~一一、証九四一―二~七、証九四七―四~九、証九四五―五~一〇、証一五三六―六~一一、証一六一三―四~九、証九三一―八~一三、証一五四五―五~一〇証一五八六―五~一〇、証九〇六―七~一二、証一五三三―八~一三、証一六〇八―九~一四、証九三六―三~八、証一六二九―六~一、証一五二八―一~六、証一五三八―四~九の各日報である。

第四、現金プールの際に提出する現金(日報の支出の支部勘定、支部勘定補助簿の支部勘定の「収入」欄に記載の金額)から運営費等組合が差引く分を差引いた当該残額から、月給所定額運転資金などを控除してもなお残額がある場合の現金の管理、流通、還元の実態について。

〔一〕 本地区の一般的実態について

(Ⅰ) 具体的事例

(1) 証人門岡正登の証言によれば「(現金プールの時月給という名目の金額でもない、運転資金でもない現金を貰つたことないか。)あつたと思う。そのとき事務員は現金プールをして残高が何んぼあるといつて返してくれた。(この金は事務員からプールした事になつているから日報に書くなといわれて貰つて来たと調書に供述しているがどうか。)左様その通りである。その金は店の消耗品費や設備資金や仕入にも使つたが生活費にも多少使つた。」なる旨が認められる。なお、その詳しくは同証人の調書によれば、「昭和27、5月分のプール迄は月給は現金で貰い運転資金は小切手で貰つた。月給は月給袋の中に入れ袋の表に明細書が書いてありましたので、小切手も現金と一緒にして月給袋の中に入れてあつた、当日の現金残高が月給と決められた額より多くて残高がある場合でも必らず運転資金を呉れる訳ではない。運転資金を呉れた様にしているときはその額だけは日報の収入、支部勘定欄にその金額を記入していた。しかし、この場合でも残額全部を運転資金としてあるのではなく、その半額位か極く少い金額を運転資金として呉れた様にしてあることが多かつた。運転資金を呉れない様になつている時の日報の入金、支部勘定は○となつていますが、実際はその余分の金も月給と一緒にして、現金で月給袋の中に入れてあつたから月給袋の中に這入つている金と袋の表に記載されている金額とはいつも違つていた。月給以外の金で月報に計上してない余分の金を貰つて帰つたことが十五、六回ある」旨のことが認められる。

(2) 証人横山好雄の調書によれば「持参した私の日報上の現金残高が運転資金という名目の金額、月給と定められた金額及び組合に毎月納めなければならない運営費等の合計額等を超える場合は、その超えた丈の金額も全部私に還元して呉れた。この金額にはなんの名目もつけられて居らず、またこの金額は日報にも他の帳簿等にも記帳してなくてもよい金であり、勿論私の売上金の一部だから私の自由に使える金であるこのよう場合、組合はこの超えただけの金を組合に取り上げるとか他の欠損した組合員に廻してやるとかしたことは一度もない。月給名目額、運転資金、運営費等の合計額より多額を現金プールに持つていつたときは、月給及び運転資金という二つの名目のほかに何の名目もない多すぎた分の金の三つに形だけ区分されて戻つて来た。現金プールが始つてから昭和27、6月頃までは、運転資金は組合振出しの福岡銀行の小切手で還元され、残額は全部現金で還元されていたが、その後は月給も小切手になつた。多すぎた分の金はそれだけは現金で還元して呉れた。現在(昭和28、2、28)もこの方法で行われている。」旨のことが認められる。

(3) 証人近藤剛の証言及び調書によれば、

(A) 現金プールの際、運営費、日報代、新聞代、源泉所得税相当額を差引かれ、その残額を一部は月給名目で、一部は運転資金で、一部はなんにも云わず返してくれたこと。

(B) 右のうち、月給と運転資金は小切手で還元し、なんにもいわず呉れた分は現金だつたこと。

(C) 運転資金の名目で貰つた金は日報の収入の支部勘定に記載したが、何にもいわずに返して貰つた金は日報には書いていなかつたこと。

(D) 右の場合で差引かれた残額が月給額に不足する場合[C>D-(G+H)]二十四、五才の女の事務員から「月給は別に小切手で渡したことにして、月給相当額の小切手を一応渡しておくからその小切手は現金にして返してくれ、月給に充たないこの残金はそのまま返す」といわれて、小切手と残金に相当する現金を貰い、小切手はすぐ現金にして返すか、それを支払にあてたときは直ちに額面額の現金を返したこと。

(E) 同様に運転資金を小切手で貰い、(D)と同様に処理したことがあること、また「運転資金を帳簿上だけ現金を渡したことにしておく」といわれたこともあつたが、勿論その現金を貰つたことはないこと。

(F) なお、(D)(E)のように小切手を一応呉れたときは、事務員は「他の組合員の分を廻しておく。」と云つていたこと。

などが認められる。

(4) 証人藤井春雄の調書によれば、「現金プールでは(組合が引くべき金を引いた残額は)月給と決められた額と運転資金として返さるべき金を全額返されるのが原則であるが、時には返される金が、月給と決められた額、運転資金、帳面上だけ組合に取つたことになつた額の三つに分けて返されることが時々あつた。この場合帳面上だけ組合で取つた事になつている金は現金で呉れ、その時は事務員が“この金は帳面上は組合が吸い上げた事になつているからその積りでおつて呉れ”と云つていた。そして日報の支部勘定欄にはその金額だけ差引いた額が記入してあつた。しかしそのときでも貰つて皈る金に多い少いがないので黙つて貰つた。

現金プールをしたときは、私の売上額、運営費及び実際私に返した金を書いた明細書をくれた。“この明細書につきこの明細書は関係方面に知られると具合が悪いから焼却する等処分してくれ”と云つていた。」ことが認められる。

(5) 証人広岡金槌の調書によれば、「月末残高が月給高と同じ位か少し多いときは残額は現金で返してくれ運転資金は全然くれなかつた。この場合残額の現金は日報に書いてくれないから、私方の生活費につかつた。」ことが認められ、

(6) 証人山本保一の調書によれば、「月給額より現金残高が多い場合でも月給額を超過する分については一部を運軽資金という名目で返つて来たこともあり、それでも余る分は事務員が黙つて私に呉れ。」ていたことが認められ、

(7) 証人神谷伊代子の調書によれば、「私が持つてゆく現金残高が運営費等組合でとる金と月給額との合計より多い場合は、その多い部分の金はそのまま現金でなんともいわずに返して呉れた。中には運転資金の名目で小切手にして返して具れることもあつた。現金残高が組合でとる運営費等と月給ということに決められた合計額より多い場合は、その部分は私に返して呉れていた。之は売上は全部私の個人の金でありますから当然である。私の場合組合で日報や現金残高を受取り現金や小切手を渡して呉れたり又それに関しての説明等をして呉れた人は、加入当時から(昭和26、11、15)昭和27、6月頃迄は横尾という二十三、四才位の女の人でしたかその後は加来という二十才過ぎ位の男の人になつた。

(8) 本点第三〔二〕(3)の<3>の余分の五、〇〇〇円につき、証人佐藤松造の調書によれば、「余分の五、〇〇〇円は他の組合員に帳簿上ではまわしてやつたようにしてあるということを事務員から聞いた。結局日報上の現金残高を組合から月給と決められた額より多く持つていつたときは多い分は、やはり私が持つて帰り、少なく持つていつたときは月給と決められた額程も貰えずに帰つた。」ことが認められ、

(9) なお、事務員の説明につき月給額だけ貰わなかつた場合であるが、証人加茂武雄の調書によれば「そのとき事務員は私に“あなたの給料は足らんので他の黒字の組合員の分をあなたの方に廻した様に帳簿上はしてあるから”といわれたので私は帳簿上はそんなカラクリがしてあるのだなと考えた。」ことが認められる。

(10) 同様に(9)と同じような場合に証人仰木実の証言によれば、「このようなときは組合事務員が給料額よりも多い現金を持つて来た人の分を一部廻して私の月給金額を支払つたように帳簿上整理していると云つていた。」ことが認められる。

(Ⅱ) 認定

(1) 右(Ⅰ)の(1)~(8)の各事実を綜合すると現金プールに持参した日報上の金額が月給と定められた額より多い場合に、運営費等組合で差引くべき金額を差引いた残額を全部当該組合員に返還する際に、運転資金名義でもない、何の名目もない現金を返してくれたこと。

(2) 運転資金や月給が小切手のときであつても右無名目の金は現金であつたこと。

(3) 右無名目の金は日報上のどこにも記帳されていないこと。

(4) その金が組合員に返された後組合員の方で、は営業用のみならず生活費にも使用していたこと。

(5) その際に事務員が“この金は他の組合員に帳簿上廻したことになつている金であるから日報には記載しないで呉れ”なる旨の説明を当該組合員にした場合があること。

(6) いずれにせよ、月給額より日報の現金残高が多い場合名目はなんであれ、差引くべき金額以外はすべて当該組合員に返還されていること。しかしてその返還のし方の中に日報の記帳から落してしまう無名目の金があつたこと。

(7) その無名目の金は右具体的事実と、支部勘定補助簿の既に認定した記載の方法からすれば次の場合に生じそれが組合員に返還されていたことが認められる。

(イ) 一般的にはC<Dであり

C<D-(G+H)の場合に生ずる。

今D-(G+H)=Qとすると

最も普通には

Q-(C+E+F)=mという形において無名目の金が生じ、之が無名目のまま当該組合員に返還されていたことが認められる。

(ロ) C<Qの場合

m=Q-C m=Q-(C+F)

m=Q-(C+E)

m=Q-(C+E+F)にの形においてmが生ずる場合のあつたことが認められる。

(ハ) C〓Qの場合に(C〓Dの場合にも通ずる)

m=Q-E

m=Q-F

m=Q-(E+F)の形においても生ずることがあつたことが認められる。

(ニ) つまり上記の場合のmが前示認定した事実により認められる無名目の金であり、之は、日報上の収入の支部勘定に記帳されなかつたと共に支部勘定補助簿の中にも同上金額を記載する欄はないことは既に認定した同補助簿の様式自体よりして明らかである。

(ホ) よつて事業所の売上金の中でその事業所にも事務所の現金プールの明細書(補助簿)にも記帳されることなく組合員に還元されていた金(その使用方法はともかく)mが存することが認められるのである

〔二〕 支部勘定補助簿(証一五〇二、証一五〇三)の記載よりする本地区の全般的実態の判断

(1) ここで再び既に認定した点を繰返すと、現金プールになつても、現金プールに提出した本日現金残高の額のいかんにかかわらず、組合が差引くべき運営費、日報代、新聞代を差引いた残額が当該組合員に返還されていたことである。このことについては先に証拠により説示したが、さらにその点につき、昭和25、11月~昭和26、2月の間本地区の現金プールの事務を実際に担当し、指導していた、証人西島権一郎の証言によれば、「(検察官反対尋問=月末に事業所から売上残高をもつて来てその中から維持費と月給とを差引いて、運転資金をやるといつたが、運転資金はその事業所が持つて来た売上残高の範囲内でやるのか。)そうです。この事業所は残額がこれだけあるが、これだけしか残額はないが、これだけやるとかいう様に判断して運転資金をやるのが本当ですがまだそこまでは行つておらずに、残額をそのままその事業所に返しておりました(維持費、月給を差引いた残額をその事業所にではなく、他の事業所にやつたことがあるか。)ありません。そういう事をする必要もありませんでした」旨が認められるのであつて、組合員の各事業所間に運転資金の流通関係は全然なかつたことが認められるのである。つまり当該組合員の現金プールに持参した金は当該組合員にすべて還元していたことを西島事務局長代理は承認しているのである。

(2) 右に認定したように組合員が現金プールに持参した現金(日報上の本日現金残高=支出の支部勘定)はすべて当該組合員に返還されていたことと、支部勘定補助簿の記載のうちで、前叙認定の無名目の現金mの算定される場合の算定方法とから勘案して右補助簿の記載の中、最も普通にmの現金が存したと推認される。[C<Qの場合で、m=Q-C、m=Q-(C+E)、m=Q-(C+F)、m=Q-(C+E+F)]の場合を算定し、無名目のmの現金を受取つたと推認される組合員の数(組合員総数については既に認定したとおりである。)を次のとおり認定する。

<省略>

(3) 右に認定した事実より判断すると、現金プールに際し、無名目の現金を返還して貰つた組合員の数は、総組合員数の中、先に認定した月給と定められた金額だけ貰わなかつた組合員を除いては、ほとんどの組合員が無名目の金mの返還をうけていることが認められるのである。かつ、支部勘定補助簿の各組合員欄の記載を精査すると、月給額だけ貰わなかつた組合員と、右mの返還をうけた組合員は常に別区分されているのではなく、ある組合員のある月は右mの返還を受け、ある月は給料額だけ貰わなかつたという事実が認められ、各組合員の右プールにおける実態は右両者の場合が交錯していることが認められる。

つまり、ほとんど全員の組合員が月給額を貰わなかつたことも、右mの返還を受けたことも、少くとも、いずれかを、ときにはその双方の現金の還元と記帳とを実施していることが認められるのであつて、本地区の現金の流通、還元の実態は右認定したような状態が常態であつて、右の如き事実は本地区においては特殊な、例外的な事例ではないといわなければならないのである。

(4) さらに、考究すると、既に事例を挙げて認定したような現金プールにおける日報の各記帳と、支部勘定補助簿の各記載が、もしかりにその記載どおりに現金が流通し、記載の金額とその実態とが一致しているものであるとするならば、右無名目の現金mがたとえ右補助簿に生じても、月給と定められた金額に不足する「収入」を持参した組合員に、月給として支給したり、運転資金の不足する組合員に組合が管理して流通したりしたということも考えられないではない。しかしながら再三繰返して論ずるように当該事業所の売上金は当該組合員の所だけで還流する機構になつていた本組合にあつては、右の記載のようにmを生じた場合でも当該組合員に返還せざるを得ないし右に認定したように事実返還されていたのである。このことは、組合事務所が所定の月給額(補助簿の“実支給額”の記載額)を組合員に支給したように記載している限り、その組合員の提出した金額(補助簿の“収入”欄)と実支給額との差額(既に認定したとおり)に照応する組合自体の保留金額がなければ組合全体の収支計算のバランスが合わなくなる結果(組合は借入金勘定を立てる以外にない。)生ずる当然の反射的結果であつて、その組合の保留金額(他組合員に融通するために)に見合うのが右無名目の現金mであることが、会計原則からも充分に推認しうるのである。従つて、右mは帳簿上本来的に他組合員に融通されたことになつている。(給料、運転資金の名目はとわない)金であるので、それが当該組合員に返還されていても、その組合員の日報では収入の支部勘定としては受入れるべき金ではなく、かえつて、記帳されてはならない金にならざるを得ないのである。

かかる運営は、当該組合員の提出した現金を当該組合員に名目の如何をとわず全額返還する。(もつとも事業所費に一部控除はするが)という立前において、いわゆる現金を組合員間でプールするという方法をとろうとする限り、(プールするとは真実に現金が組合員間、組合と事業所の間を流通することをいう)陥らざるを得ない結果というほかはないのである。

このことは、当該組合員がいかに日報を正確に記帳していたとしても、売上、仕入、経費の各記帳とは直接的な関係はないのであるから、無名目の現金mを当該組合員に支給するために日報を不正確に記帳する必要はないのである。また組合員としては、日報の継続的記帳から現金を落して、いわゆる無名目の金にして別途に使用する場合にも、収入の支部勘定にかかないでよい。(従つて、補助簿上も支部勘定欄の“現金支出”“小切手”に記載のない)無名目のmの金にして貰つて呉ればよいわけだし(前に認定した証人神谷伊代子、同広岡金槌の場合がそうである)そのようにできる仕組になつていることが推認されるのである。

なお右無名目の現金mは日報支部勘定補助簿の記載から抹消された。(補助簿の記帳の中で強いて記帳されているといえば他組合員の架空の「実支給額」又は架空の「現金支出」「小切手」欄の中に入つていることになつているともいえるが、それは単なる数字にすぎない)現金であつて他に公表できないものであるので、このような現金を日報や支部勘定補助簿の記帳を操作して捻出して組合に返還していた事務員は、その金の性質も充分に知つて前示の如く操作しており、しかもそのことが売上の帳簿上からの意識的な故意の脱漏であることを充分に知つていたと認められるし、又組合員の方もそれが公表できない売上の記帳面からの脱漏された現金であることを知つていて受取つていたと認められるのである。この組合員の認識はその組合員が日報を正確に書いていたこととは矛盾をしない。正確に書いていても右無名目の売上金の脱漏額mが生じそれが当該組合員に返還される仕組、機構になつていたこと前示認定のとおりだからである。

(5) 以上詳論したところから、本地区の現金プールの中、日報、支部勘定補助簿の記載の操作から記帳には公表されていない売上額の脱漏が生ずることが非常に屡々あり、そのことは特別な組合員に限つて行われたのではなく、大多数の組合員が行つたことであり、却つてそれが常態であり、そのような公表できない売上金の脱漏が必然的に生ずる仕組になつていたことが認められるのである。

つまり、毎月の現金プールで事業所と組合事務所の記帳面からは抹消されて実質的には売上金の脱漏金である前記無名目の現金mが当該組合員に返還されることを組合員も現金プールを担当した組合員も知つていたことが認められるのである。

しかしてその無名目の現金の使用は、前に認定したように、全く当該組合員にまかせられており、その自由なる使用に放任されていたのである。

してみれば、本組合の営業が企業組合としての実質を具備していたにせよ、個人の営業であつたにせよ、売上金の脱漏が常態として毎月現金プールの際に行われるような機構であつたことは、疑いのないところであるといわざるを得ないのである。

第五、脱退時の現金プールの実態

(1) 本件事件においては昭和27、11、18に国税局の一斉手入が本組合に対して行われ、本件の捜査の端緒をそこに発していることは、明らかなところである。しかして本組合は、昭和28、9、30に解敢するまで存続し、その間に多数の脱退手続がとられている。しかし捜査開始後にとられたそれらの処置は、いかなる意味においても捜査前の少くとも本組合の常態においてなされた処置に比らべて、本組合の本質を証明する上においては後者よりも、信憑性が薄いといわなければならない。

そこで、捜査開始前に脱退した組合員の脱退手続に之を究明することにする。

(2) 証人仰木実(昭和27、5、31脱退)の証言および調書、証人上野辰夫(昭和27、5、31脱退)の証言および調書によれば、

脱退した日に組合に現金プールにいつたところ、組合では源泉所得税相当額、運営費、日報代、新聞代だけを取つて残金は還してくれた。証人仰木は、残金が月給所定額に不足していたか所定額を支払つたように記載した、給料明細書を貰つており、証人上野は残金が月給所定額を超過していたが、その超過分も全額返して呉れたことが認められる。

(3) 証人佐藤松造(昭和26、3、31脱退)の調書によれば、「やめた月の分は現金プールに行かなかつたので組合から運営費と源泉所得税にあたる金だけ取りに来たので支払つた」旨のことが認められる。

(4) 支部勘定補助簿(証一五〇三―九六)によれば証人仰木実証人上野辰夫の分の現金プールの記載があることが認められるがその内実は既に認定した補助簿の算定方法から、右掲記の(2)の供述も併せ勘案すればいつでも架空な内容であることが認められるし、備考欄の上野の分欄の「二〇〇〇入金」仰木の分欄「スミ」(同証人分については証一五〇三―九九に抹消された同一の記載があり、その備考欄には仰木の押印がある)はいずれも組合が現実に差引かるべき金(右(1)の供述)の支払を示す証左であるといえる。

また支部勘定補助簿(証一五〇二―一七〇)には、佐藤松造の三月分の現金プールの記載があるが、之が架空な記載であることは、前示証人佐藤の供述のとおりである。

(5) 以上認定したところから、脱退時において、現金の流通、還元の実態は、他の場合と同じく組合は差引くべき運営費等を差引いた残額をそのまま当該組合員に返していたことが認められる。

しかしそれが真実に組合の営業であるならば、差引額をひいた残額のうち運転資金に相当する現金は組合の資金の性格を有しているはずであるから、これをそのまま、脱退して個人営業に戻る者に渡すことはできない筋合のものである。それが右認定した上野辰夫の場合のように当人に返還されている事実は、端的にその金は組合の資金の性格を有したものではなく、本来的に上野個人の所有の金であり、組合員として従事していた当該事業所の営業も本来は上野個人の営業であつたことの有力な証拠であるといえるのである。

なお、支部勘定補助簿(証一五〇三)昭和27、5月分の中、九四~九六丁に同年5月~6月の脱退者の分が四〇名記載されているがその内前示認定の無名目の現金mを受取つたと記載から推認される者(証人上野はこの中に入らない)は二〇名あることが認められる。この場合の右mの金は前示認定と同様に個人になつた元組合員に返されているのであるから、それが給料とは認められない以上(補助簿の記載から給料と認められない)名目のつけられない金が個人に返されていると言わねばならないのである。この事実は右認定と同様に二〇名の従前の加入中の営業は本来的に個人営業であつたのであり、従つてその営業より生じた売上金も個人の所有であり、そうであればこそ、脱退に際しては組合に支払うべき運営費を支払つた残額は名目はなんであれ全額その個人に還元されたことの全く有力な証拠であるといえるのである。

第六、現金プールの結論

(1) 本点第一~第五において詳論したところを綜合すれば、

(A) 組合員の事業所より生ずる現金は従来どおり当該事業所でその組合員が管理しており、毎月一回「現金プール」をする仕組になつていたこと。

(B) この組合の「現金プール」とは、「組合員は日報上のその前日の本日現金残高に相当する現金を組合に持つてゆき、組合はその現金の中から運営費、新聞代、日報代、源泉所得税相当額を差引き、その残額を給料名目額、運転資金、無名目の金等の形で全額当該組合員に還元されること」であつたこと。

(C) また組合員の持参した現金より、差引くものを引いた残額が月給所定額より少い場合(種々の場合のあることは前認定のとおり)でも当該組合員は所定の月給額を貰うことはできず、不足のまま、その残額を返されるだけであるところ、支部勘定補助簿には所定額だけ支払つたように記載されており、組合員には中味のともなわない所定額を支払つたように書いた月給袋や給料支払明細書を渡していたこと。かつ、このような組合員は毎月約半数に近い数であり、現金プールを開始した昭和25、10月から昭和27、4月頃迄同様な状態が続いていて、それが本地区の常態であつたこと。

(D) また反対に組合員が持参した現金より組合が差引くべきものを引いた残額が、月給所定額、運転資金の合計額(この場合もいろいろの場合のあることは既に認定したところである)より多額である場合には、その現金を組合事務所に管理したり、その他の組合員にまわしたりすることなく、名目をつけない現金として、当該組合員に返しており、その際にその現金は日報に書かないように事務員はいつており、現に日報には書かれていなかつたこと。かつ、このように無名目の現金を貰つた組合員の数は、一定の月において前叙の月給所定額に不足する月給名目額を返して貰つた以外の組合員の大多数がそうであつたこと。つまりこのような記帳から脱漏した売上金を無名目のまま返されていたことも本地区の現金プールの常態であつたこと。

(E) 右のような、現金プールの際の現金の処理は脱退時においても少しも変らなかつたこと。

が認められるのである。

(2) 右のような現金プールの実態であるならば、日報上の現金残高を一応事務員に提出する(場所はとわない)点を除いては、現金プール実施以前の現金の管理、流通、還元の実態と全く同一であることが認められるばかりでなく、

かえつて、返還される残額が月給所定額と運転資金とに記帳上明確に二分されたために、月給所定額に不足する場合、不足する分は決して組合は補填して呉れなかつたことが明確になつた。また、日報、支部勘定補助簿の記帳の操作により、組合事務員と組合員の相互の認識の下に、売上金を記帳上から脱漏していたことが認められるに至つたのである。

このことは、組合員のいわゆる事業所の営業がその組合員の個人の営業であり組合事務員も之を諒し、各組合員も相互に認識しておればこそ、月給の所定額を貰えなくてもそのことを納得していたのであるし、日報に記帳のできない売上の脱漏額を貰つても不審に思わなかつたし、他の組合員が貰つてもいざこざは生じなかつたことが認められるのである。

之を要するに、現金プールの実態は、現金プール以前の現金管理と全然同一であり、組合事務所が現実に受取り処分することのできる金は運営費(積立金と同じ)日報代、新聞代、源泉所得税相当額(之以外に出資金加入金)のみであり、残額はすべて当該組合員に還元されていたのみならず、組合は帳簿、月給袋の記載を故意に糊塗して現金の、組合と組合員、組合員相互間の流通があつたように仮装しており、あまつさえ、売上金の脱漏を容認していたことが認められるといわざるを得ないのである。

(3) さればこそ、本項第二点、第三、(3)で論じた「共栄企業組合に加入しましよう」と題するビラと同一題名のビラであつて、被告人上野盛雄の供述により明らかに現金プール開始後の昭和25、10月以降(証三二六―四)昭和27、4月以降(証二四五〇―二三一)と認められるビラにつき内容を検討すると、(ビラの意義、用途等については前叙認定のビラと同一と認める)

(A) 証三二六―四(証六三七―三、証二九九二―二〇八、以上同文同紙、証二二五一―二〇同文異紙)

「この組合の特色は」

「(一―二省略)

三、いままでの工場または店舗は単位経営体として独立採算制でいままで通り運営される。

四、組合員は組合から給料の支払を受ける。

五、だから組合員の税金は給与所得税一本になり税金の負担は半減する。

(六―八省略)

要するに(中略)しかも組合員は従来の所得以上の収入を給料として支払を受けるところに大きな意義がある」旨の記載。

(B) 証二四五〇―二三一(証九六―一四五、同文同紙)

「この組合の特色は」

「(一―二 省略)

三、この場合、いままでの工場又は店舗は単位経営体としていままで通り運営される。

四、組合員は組合から給料の支払を受ける。

五、だから組合員の税金は給与所得税一本になり、個人に対する見込課税はなくなり、税金の負担は大幅に軽減される。

(六―八省略)

要するに、(中略)しかも組合員の所得はそのまま給料として支払を受けるところに大きな意義がある」旨の記載が認められ、この二つのビラの右内容は第二点の結論においてその内容を検討した同題名のビラの内容と全く同趣旨であり、特に右に抽出掲記した給料の実態についての表示は全然同一であることが認められる。

しかして、その現金の管理、流通、還元については、昭和25、10月以降は現金プールを実施するようになつており、一応右以前とは異つたいわゆる統一計算の形式を行つていたことは既に認定したとおりであるが組合外の加入希望者、又は説明聴取者等に対する加入勧誘につき使用されたと推認される右ビラの内容のうち、それらの人達にとつて最も重要な関心事であるべき売上金の処理、つまり、所得の帰属の態様について現金プールを実施する以前と以後につき、同一の説明をしていることは、右ビラを使用する側である組合の役員、職員は、現金プールの前後を通じ、売上金の処理の実態すなわち所得の帰属は全く同一であり、現金プールを実施したからその所得の収益の在り方が実施以前と異るようなことにはならないことを認識していたことが認められるのであり、かつ、第二点第三点において詳論したように現金プールを開始する前後を通じて、その現金の管理、流通、還元の実質実態は全然同一であつたことが認められるのであるから、本組合の本地区ではいわゆる現金プールを実施して組合が主体となつて各組合員の売上金を事務所に吸収し、それを各事務所に流通させるいわゆる統一計算の体裁はととのえていたものの、真実は全くそうでなかつたところから、加入の勧誘に使用されるために作成されたと認められる。(それは第三者に対する組合としての意思表示となる)右ビラに「所得はそのまま給料として」「従来の所得以上の収入を給料として」支払われる旨を表明したことは、単なる宣伝のための謳い文句ではなく、真実そのように支払われていたことの表明として認められるし、かつ、そのことを組合役員、職員は相互にその事実を知り合つていたことの証左でもあるといい得るのである。

(4) ところで、現金プールの事務処理に当つていたのは事務員であることは既に認定したところから疑いないところであるが、その事務員中に横尾多須子、西島権一郎、木村善一、三日月弘之がいたことは充分に認められるところであり、ことに横尾事務員は現金プール開始以来昭和27、4月頃迄は同事務に従事したことが認められ、証人三日月弘之、証人森高殖の各証言および各調書により横尾の筆跡であると認められた証拠物と支部勘定補助簿(証一五〇二)の中少くとも小倉地区組合員の筆跡とを対比検討すると同補助簿の記載は横尾事務員の記載であることが推認されるところから(之は昭和26、3月分~昭和27、2月分横尾が現金プール事務処理の中心になつてやつていたということができる。なお証人三日月弘之の証言および調書によれば、被告人木下は横尾と一緒に京築の現金プールの事務処理に来たことがあり、その際にガリ版刷りの支部勘定補助簿を小倉から持つて来たことが認められ、後退するように京築の現金プールは昭和27、3月分迄は小倉と同一様式であつたのだから、その京築で使用された支部勘定補助簿と同一である小倉地区の同補助簿の様式内容も被告人木下は知つていたと推認される。その上証人横尾弥平太の証言によれば右横尾多須子は同人の娘であり、現在木下仙友の妻になつていることが認められるから、少くとも被告人木下と横尾の関係は密接なものがあり、被告人木下が横尾の担当していた現金プールの内容を全く知らなかつたとは認められない。かえつて既に認定した証人未田精に渡された内容の架空な給料袋(証一五七四)には責任者として被告人木下が、取扱者として横尾がそれぞれ押印していることから横尾の現金プールの事務内容を木下は知つていたと推認することができるのである。

第四点 借入金の処理の実態

第一 借入金の日報の記載

日報を検討すると、借入金については、昭和25、9月分迄の縦書要式の日報には「借入金」欄があり、その後の横書要式の日報には「借入金」欄の外に「支部勘定」欄があるのでそれと借入金の記載の関係を検討する

(A) 昭和25、9月迄(縦書日報時代)

この点については「日報の書き方」(証二四五二―一四三~一五一)(之は証人高杉義行の所有であるが冊子になつており日報記帳の指導用として配布されたものであることが認められる。ほかに同一証拠物七点が領置されている。)によれば、

(a) 加入した際の組合に引継いだ現金の記帳につき

「資産棚卸表中の現金の運転資金はあらためて組合が各事業所に貸付けますので、かならず営業開始の日の日報の収入欄中借入金に記入して下さい」なる旨の記載からいわゆる引継いだと称せられる現金が組合から事業所に流されたとみるべき場合でも、勘定課目は「借入金」として処理していたこと、つまり事業所が事務所から運転資金を借りるものであることが右処理の方法から推認される。

(b) 借入金(組合事務所からであると第三者からであるとを問わない)をした場合は、収入の「借入金」欄に金額を記載し、備考欄にその氏名を記載する旨の記載。から、事業所の担当者が直接貸主と契約を締結するものであることが認められる。

(B) 昭和25、10月以降解散迄(横書日報時代)

(a) 日報の具体的記載例とこれに対する記載者の証言

<省略>

(b) つまり、日報の記帳は、借入した場合は収入の支部勘定欄に、返済した場合は支出の支部勘定欄に記載していたこと、日報上の「借入金」欄に記帳することは誤りとされていたことが認められる。

第二、借入金の借り入れと、返済の実態

(1) 証人長岡竹男、山本保一、中山澄夫、中条元吉、横尾弥平太、谷本三郎、三日月弘之、今井良一、石田猛、松本真事の各証言を綜合すると、一応

個人の信用で第三者から運営資金を借り入れ、それを組合事務所に貸しそれを又事務所から借りて使用し、その事業所の売上金から返済していたかのごとくである。

(2) しかるに、その実態は、証人横尾弥平太前掲山本保一のように、単に組合から借りたように日報の収入の支部勘定欄に記載するだけで直接之を使用し、直接売上金から返済した場合にも日報の支出の支部勘定欄に金額を書くだけで、実際に事務所を現金が流通しない場合と、証人長岡竹男、三日月弘之のように、直接借りた現金を一旦事務所に提出し、その金額相当の額面の小切手を組合から貰つて来て事業資金にする場合(この場合でも返済には事務所を現金は流通していない)とあつたことが認められる。そして、証人三日月の証言によれば、一旦事務所を通じて小切手にして渡したのは「個人名義で借入れて、そのまま自分で使うことにした場合には、それは組合の事業ではなく個人事業とみられるから」小切手を使用しただけであることが認められるのである。

(3) つまり日報上数多く発見せられる組合からの収入の支部勘定、組合に対する支出の支部勘定の各記載の中、現金プールの場合を除いては、実際に組合事務所から事業資金の流出を受けたり売上金を事務所に送金したものではなく、その実態は個人の信用で個人が契約の当事者になつて直接金員を借用し、そしてまた組合員が個人でその売上金から直接に貸主に返済していたものであつて、ただ日報の記帳上では、収入及び支出の支部勘定に記帳することにより、帳簿上組合事務所から当該資金の流出を受け、返済に際しては当該資金を事務所に送金したようになつていただけであることが認められるにすぎない。

(この場合個人で借受けて金員を組合に貸したことと、組合が再び個人に返済し、個人が貸主に返済したことは右日報の記帳のみでは不明であるばかりでなく、この関係を記帳したいかなる帳簿、証憑も存在しない。領置にかかる借用証は組合員個人が第三者の貸主との間に締結した契約書のみである。)従つて、前示証言中の「組合に貸す」「組合から借りる」という語句の意味は、単に日報の記帳を前示認定したように記帳していたことを示すのみであつて、組合事務所と組合員の間にかかる法律関係があつたことを意味するものでは毫もない。

借入金の実態は、結局、

個人の信用で個人が第三者から借受けて、営業に使用し、また個人がその売上金の中から返済したのであつて、債務者はあくまで組合員個人であり、そして、その金員による損益の帰属はその個人にあつたことが認められるのである。

(4) ところで、証人松本真事の証言では、「借りて来て実際には私の方ではその一部だけしか都合で使わなかつたことがある。(その返済には)組合に云つて、組合から貰つて、返したと思う」旨の供述があるが、既に認定したような本組合の現金の管理、流通、還元の実態及び右借入金処理の一般的実態から推認して、自己の必要で直接自己が借受けた資金を他事業所の資金として融通するようなことはなかつたと認められるから、右証言は容易に信じ難い。また同証人はその証言によれば、加入して営業を開始するに際し、組合から二十万円を借りたと称するが、之は証人山本保一の前掲具体的事例(1)及び「日報の書き方」から認められるように、加入に際しての松本の手持の資金二十万円を前認定同様に記帳上のみ「借りた」ことにしたものであることが推認されるので右証言も之を認めることができない。

(5) しかして、組合事務所から、各事業所に資金が放出されたことについては、

証人森高殖の調書によれば「本部から組合北九支部にプール資金の名目で現金を三十万円支出したことがある。しかし、之はそういう名目になつているだけで実際は小倉市の小倉炭坑の労働争議の際に同炭坑附近の組合員が争議員に売掛をするために回転資金として出したものであり、現金プールをする際の資金として出したものではない。この三十万円は三ケ月位後に返して貰つた」旨が認められ、

証人阿部清の証言によれば、「(被告人木下の反対尋問…小倉炭坑のストの際に組合から運転資金として資金の放出を受けたことはないか)五万円の放出を受けたことがある。(日報昭和26、10、3(証九四七)収入の支部勘定欄に五〇、〇〇〇円の記帳があることが認められるが、その展示に対し)そうです。之が小倉炭坑のストのとき放出を受けたのだ。その後組合に返還した」旨が認められるところから、昭和26、10月頃本部から北九支部(小倉出張所)に対し三十万円の資金が放出されたことはあるが、之はスト応援という特殊目的のため特定の組合員にのみ放出されたものであつて、一般の組合員の現金プールの資金として使用されたものでないことが認められるのである。

右以外には昭和27、4以降に本部から出資金の一部放出がなされたことが認められる。(之は本件既遂後になるので後に論ずる)ほか、小倉地区の事務所は組合員から差引く以外の別途の資金を第三者から借受けたり等して、運転資金又は給料として組合員に放出した事実を窺うに足る証拠は何一つ存在しない。

第五点 結論

第一 以上のとおり本項各点において認定した事実を綜合すると、小倉出張所の現金の管理、流通、還元の実態は次のとおり認定される。

(Ⅰ) 現金の実態

(1) 各組合員の事業所(従来の個人の工場又は店舗における現金(売上金、借入金)の管理、流通、還元の実態は、本組合が設立された昭和24、12初頃から一斉捜査が開始された昭和27、11月頃迄一貫して変らなかつたこと。昭和25、10月以降実施されたいわゆる「現金プール」も右の実態の実質的内容になんら変更を加えるものではなかつたこと。

(2) しかしてその実態の具体的内容は、本組合の組合員は加入前の工場又は店舗の営業をそのまま組合の事業所として担当し、その事業所より生ずる売上金(借入金を含む)は当該事業所において還流し、組合事務所との間においても、組合員相互間においても融通流通しない機構になつていたこと。すなわち、組合員は本組合の加入に際し出資金、加入金を払つたのちは、組合事務所に対しては、運営費(積立金)源泉所得税相当額、ときにより日報代、新聞代を支払う以外は、全然現金を送金することなく、残額全額を当該組合員の管理の下におき、その流通、還元に委ねられていたこと。之を組合事務所の側から云えば、事務所には右のような現金が組合員からの支払によりその管理の下におかれる以外は、組合員からの納入は全然なく、従つて各事業所の売上金を統制し、その利潤を現実に掌握できる立場にはなかつたこと。

(3) しかして組合員の管理に委ねられた残額は、月給と運転資金との名目に区分されており、月給は一定の額に定められていたが、残額を全額返還するということが現実的な且つ強力な立前であつただけで、従つてその残額が所定の月給額に達しない場合には(これに種々の態様があることは第三点において認定したとおり)残額の現金が全額返還されるだけで、所定額に対する不足額は当然に放置されたままで組合から実質的に補填されるようなことはなかつたと。すなわち、月給の額は実質を伴わない名目的なものにすぎなかつたこと。従つて、月給と運転資金(理論的には前者は組合外の個人に対する支給であり、後者は組合内部の営業上の資金の放出で、両者は本質的に相容れないものであるにかかわらず)の区分も名目的なものにすぎず、残額は実質的に全体として当該組合員個人に帰属していたものであること。

(4) 又一方、組合事務所から事業所に運転資金が放出されたことは前叙認定の小倉炭坑のストのときだけであつて、事業所に所要の運転資金は全く当該組合員個人の工面に委ねられていたこと。

之を要するに、本組合の各組合員の事業所(従来の個人の工場又は店舗)における現金(売上金、借入金)の管理、流通、還元の実態は、その組合員の営業面、家計面の区別なく当該組合員の全責任の下に委ねられており、その損失の危険の負担は当該組合員が負い、その利益の収得は当該組合員が享受する機構になつており、組合事務所は前叙の現金を徴収するのみであつたと断定することができる。

(Ⅱ) 実態と記帳

(1) 前叙所定の月給額に不足する残金を当該組合員に返還したときでも、月給所定額を支給したような月給袋を組合員に交付していたこと。また現金プール以前は積立金等を支払つた組合員には月給所定額の支払とは関係なく源泉徴収票、給料支払明細書を交付していたこと。

かつ、支部勘定補助簿などの組合事務所の帳簿にも、月給は所定額どおり支払つたような架空の記載がなされていたこと。

(2) さらに最も重視すべきことは第三点、第四において認定したように月給所定額でも運転資金名目でもない無名目の金が、組合事務員と組合員の合意の上で組合員に返還されており、この金額は組合事務所の帳簿にも、組合員の日報にも記帳されていない金であつたこと。つまりその事業所の帳簿(日報)から故意に脱漏された売上金があつたこと、しかして、この脱漏は日報上では日々の売上、仕入、経費の記帳がいかに正確になされていても、組合事務所に対し事業所から送金した形になつている支部勘定の記帳が存しその間において操作がなされる限り生ずる脱漏であつて、組合事務所は現金プールにおいてこの脱漏を生じるような操作をしていたこと。

(3) 借入金の記載についても、直接組合員が第三者から借受け、また直接弁済したものを組合事務所を通じたような記載を日報上していたこと。

之を要するに、組合事務所及び各事業所でなされていた記帳とその実態の間には甚しい懸隔があるのみならず、その実態を糊塗し、組合として統一計算をやつていたような架空な記載がなされていたと共に、売上金の記帳面からの脱漏が帳簿の操作によりなされていたこと。すなわち個人営業であることがその実態であるのに、企業組合としての企業合同を行いそのような統一計算を実施していたような形式をとつていたのみならず、その各個人の売上金の脱漏もまた行われていたことが認められるのである。

(Ⅲ) 実態と記帳とに関する関係者の認識

右のような実態と記帳の関係は、現金プールの事務を処理した事務員、横尾多須子、木村善一、西島権一郎は勿論、被告人木下仙友もその実態を知つていたことが認められる。

第二、附論

(Ⅰ) 右のような本組合の小倉出張所の実態であつたことを前提とした場合に、

(1) 「月給の決め方は形式であつた。」

「月給はどうでもよかつた。」

「月給で食わねばならないとは考えなかつた。」

(以上、証人近藤剛、竹永繁子、臼井貞子、中条元吉の各証言、証人加茂竹雄、木田精、木田輝政、藤井春雄、佐藤松造、谷本三郎の各調書)

(2) 「売上金が少いから月給額だけ返還されないのは当り前と思つて仕方がないと思つていた。」

(証人上野辰夫、横山好雄、臼井貞子の各証言)

(3) 「売上金は個人の金である。」

(証人近藤剛、佐藤松造、中条元吉の各証言)

(4) 「売上金から生活費を使つた。」

(証人竹永繁子、横山好雄、中条元吉の各証言、証人末田精、広岡金槌、仰木実、山本保一、上野辰夫の各調書)

(5) 「日報上の本日現金残高と実際の現金高は合つていなかつた。」

「現金プールのときは他から一時借りて日報の記帳に現金を合せて持つて行つた。」

(以上、証人中条元吉の証言、証人仰木実、上野辰夫、藤井春雄、長岡竹男、横内光隆の各調書)

(6) 「日報上の支出の支部勘定の記帳を操作してかくし所得した。」

(証人横山好雄の証言)

というような多数の供述は、裁判所、検察官に迎合し、又は圧迫されて述べられた架空のものではなく、いずれも真実の事実の表明であると認めざるを得ないのである。

(Ⅱ) またかかる実態であることを組合事務員が認識していたればこそ、

「昭和28、2、20か21日に榎本方で班会議があり組合事務員の一人と役員が一人出席し、組合員九名位が出席したところで、その組合から来た二人は検事の取調べに対する対策として、特に現金プールのことにつき“月給で生活していたと云わなければいけない。現金プールのとき月給に足りないときは組合から足してくれた。又月給分より多いときは、多い額を組合に置いていて月給高の分だけ買つて帰つていた。”といわねばならん。もし月給は形式だという様にいうと個人営業ということになり非常に不利になる旨の説明があつた。」(証人加茂武雄の調書)

と認められるように、現金プールの実態がかくのごときであつたに拘らず帳簿の記帳に組合員の証言を符合させてかかる実態を糊塗しようとした働きかけのなされたことが首肯されるわけである。

第四項 加入時における資産譲渡の実態

第一点 横尾弥平太の実態について

第一、横尾弥平太の本組合における立場

登記関係書類(証一七〇〇)、証人横尾弥平太の証言及び調書、同貝島彦一の証言、同仰木実の調書及び証言、被告人森原春一、同木下仙友の各調書を綜合すると、

横尾弥平太は、本組合設立以前から被告人森原、同木下と知り合になり、右両名から本組合の設立の内容、趣旨を聞いて之に賛同し、設立前の設立準備会、研究会、発起人会の会合のためには常に同人宅を提供し、自ら発起人の一人になり、既に認定したように設立と同時に監事に就任し、昭和25、3、31迄その職にあり、昭和25、5、8第二回通常総会により監事に重任し、昭和26、2、20迄その職にあり、その後は昭和28、9、30本組合が解散するまで組合員として脱退しなかつたこと。

加入に際しては、既に認定したように被告人森原、同木下から本組合の内容についての具体的説明を聞いており、それを充分に認識していたことが推設されること。本組合設立当初から同人宅を仮事務所としており、同人の娘横尾多須子は既に認定したように本組合認立早々より小倉地区の事務員として活躍しており、小倉地区の組合の具体的、実質的運営に通暁しており、かつ、同人は後に被告人木下の妻となつたところから同被告人は現在右横尾の娘婿であるとの密接な関係があることが認められるのである。

してみれば、横尾弥平太は、本組合における右のような経歴、地位、家庭の環境、親族関係から判断して、本組合の最も典型的な、且つ、最も組合の意図するところを諒知していた組合員の一人であつたということができるのである。そうであるから、横尾弥平太において認められる資産譲渡の実態は、本組合における最も典型的な具体的事実といわなければならない。

第二、証人横尾弥平太の資産譲渡についての証言

(1) 同証人の証人尋問は昭和30、7、11小倉市の福岡地方裁判所小倉支部会議室で傍聴人五、六名のいるところで行われた。小倉支部における証人調の第四回目の第一日である。なお、証言は稍々長いがそのまま全部左のとおり掲記することにする。

(2) 木下被告人(主尋問)

問、組合に加入するとき商品、備品、什器はどうしましたか。

答、棚卸して貸借対照表を作つて組合に売りました。

問、棚卸は証人一人でしたのですか。

答、いや、組合事務所の事務局の人が立会つていました。

問、什器、備品、売掛、買掛も棚卸したのですか。

答、はい。

問、それも組合に売つたのですか。

答、はい。

問、組合に売つた代金はどうなりました。

答、当時私の方は商売も小さく、組合に売つた金額も少なかつたので憶えておりませんが貸借対照表を作つて組合に売渡したと思う。

問、発起人会で話をした事だと思いますが組合に売つた代金はどうするか話がありましたか。

答、あつたと思います。

問、どうするという話がありましたか。

答、憶えておりません。

問、組合と証人との間に書類を取交しましたか。

答、はい。

問、組合から買上証、借用証を貰いましたか。

答、はい。

問、すると組合から貰う代金はどういうことになるのですか。代金は貰つてないでしよう。

答、私の方の商売は小さくて代金を貰う程の資産になかつたと思います。

(中略)

問、組合が解散して脱退するときには組合と証人の間で手続はどうしましたか。

答、組合対私の間で貸借対照表の手続をしたと思います。

問、脱退するときは組合に加入するときのような手続をしたのですか。

答、はい。

問、それは証人一人でしましたか。

答、いや、組合の立会でしました。

問、組合との間に清算はつきましたか。

答、まだいくらか私は組合から貰い分がありますが組合加入時の書類が国税局に持つて行かれているとかで仮清算しています。

有田検察官

問、組合に加入するとき棚卸をして書類を作りましたか。

答、貸借対照表みたいなものを作りました。いわば資産、什器、備品の明細を作りました。

問、それは誰が作つたのですか。

答、組合事務員と私とで作りました。

問、そのときはどの位ありましたか。

答、二万円か三万円かありました。

問、脱退するときどうなつておりましたか。

答、少し位増えていたかもしれませんが大差ありませんでした。

問、仮清算をして貰い分があるというのは何ですか。

答、仮清算をして計算しての私の方の貰い分のことです。

問、どういうことで組合から貰うのですか。

答、加入時に売つた代金と脱退するときの差額を組合から貰うのです。

問、加入時よりも脱退時の方が増えていた時も組合から貰うのですか。

答、そうです。

問、そうしてその代金は組合から貰いましたか。

答、組合には払う金がありませんので帳簿面で貸借対照表を作つているので、帳簿には上つております。

問、組合は代金を払わないのですか。

答、はい。

問、組合は帳簿に書くだけですか。

答、はい。

問、証人も組合から代金を貰う気持はなかつたのですか。

答、はい。

問、脱退するときはどうなるのですか。

答、加入脱退は自由で組合加入中に増えておれば、何らかの形で組合から貰う権利があると思います。

問、組合は代金を払わないのだと代金を貰う気もなかつたというが、商品、備品、什器は脱退するときどうするのですか。

答、私が買戻したことになつて、それは私が貰えます。

問、すると組合に加入するときには品物で返してもらえると思つておりましたか。

答、私はまさか現金で貰うとは思つておりませんでした。現金で貰つても品物で貰つても同じですが品物で返えつてくると思つておりました。

問、そういう話が加入前にありましたか。

答、ありました。

問、それは誰からありましたか。

答、組合の定款にも現金でかえすということは書いてないし、森原から品物でかえすという説明がありました。

問、それで脱退するときには加入時よりも増えていたものは貰い分があると前にいつたのですか。

答、増えていればそれだけ利益をあげておりますので、組合加入中増えた分は脱退時にはそのまま貰えると思つておりました。この利益は私のものです。

問、そうすると組合に加入して一生けん命仕事して加入時よりも多くなれば多くなつたまま脱退時には返しておるのですか。

答、はい、そうです。

問、組合に加入するときそういう説明がありましたか。

答、そういう趣旨の事は組合の定款にもうたつてあつたと思いますし、森原からもそういう説明があつたと記憶しています。

問、脱退するとき仮清算したいといいますが、現在は脱退時にあつたものは誰のものですか。

答、新栄企業組合のものになつています。

問、脱退するときはどういう手続をしましたか。

答、組合が解散になりましたので仮清算をしました。

問、脱退して財産は証人のものになりましたか。

答、はい。解散と同時に私のものになつて、それを新栄企業組合に売渡しました。

問、どういう書類ですか。

答、憶えておりません。

安藤検察官

問、加入するときには実際に貸借対照表を作つたのですか。

答、はい。貸借対照表を作りました。

(中略)

問、その貸借対照表のバランスが二、三万円になつていたのですか。

答、いや、全部の商品、備品、什器で二、三万円あつたのです。

問、それでバランスはどうなつておりましたか。

答、はつきりしませんが多少の黒字になつておりました。

問、商品、備品、什器が二、三万円あつたのですか。

答、はい。

問、それに対してマイナスになるものが何かありましたか。

答、商品等の未払代金がありましたが、それは二、三万円よりも少なかつたのでバランスは少し黒字になつておりました。

問、脱退するときも貸借対照表を作りましたか。

答、作りました。

問、そのときも黒字になつておりましたか。

答、はい。

問、加入時の黒字と脱退時の黒字はどうなつておりましたか。

答、加入時の黒字よりも脱退時の黒字の方が大きくなつておりました。

裁判長

問、加入時の黒字よりも脱退時に大きくなつていた黒字の分は組合から貰い分があるというのですか。

答、はい。

問、脱退時に商品、備品、什器は買戻したので自分のものになつたのですか。

答、はい。

問、加入時よりも脱退時に大きくなつていれば、買戻すときにはその分だけは組合に貰わんといかんのではないかと思われるが、証人はそうではなくて、その分は組合から貰えると思つているのですか。

答、はい、そうです。

問、証人のいうことが本当であれば本当に買戻したのではないのではないかと思われるが、本当に買戻したのではないのではないですか。

答、しかしですね、そういわれても、いわば私が加入するとき組合に引継いだときよりも加入中にふやしてやつておりますから、それに対して報酬をうける権利があると思います。

第三、認定

右のような証人横尾の証言よりすれば、加入時の資産の譲渡の実態は次のように認定できる。

先ず、

(1) 加入時の資産(商品、備品、什器)の処置については、組合の事務局の人が立会つて一緒に棚卸を行い、合計額二、三万円であつたこと。資産、売掛金、買掛金をあわせて貸借対照表を作成したこと。そのバランスは黒字であつたこと。それらは組合に売つたこと。代金は貰わなかつたこと。組合からは買上証、借用証を貰つたこと。脱退のときは加入のときと同様に組合の立会人と一緒に棚卸をして貸借対照表を作成したこと。そのバランスは黒字であり、それは加入時より増加していたこと。それらは仮清算し買戻したこと。そして貰い分があること。

などがその一般的な手続であつたといえる。しかしながら、「買つた」「買い戻した」という供述の具体的内容は、

(2) 組合は帳簿面で貸借対照表を作つて、帳簿上組合の資産として記入するだけであること。それで組合は代金は払わないものであること。横尾は加入のとき被告人森原から、脱退のときは品物で返すと聞いていたので、加入のときからまさか代金を現金で貰うとは思わず、従つて代金を貰う気持はなく、品物を返して貰うと思つていたこと。それで、脱退のとき資産が加入時よりも増加しておれば、その増加分は自分のものであるから、そのまま貰らえると思うこと。また森原からもその趣旨の説明を受けていたこと。それで脱退すると、前述のような手続をして横尾が買戻したことになつて同人が貰えること。そしてそのような手続をしたこと。

(3) 従つて右の事実は一般の「売掛け」の場合も含めた売渡行為とは、著しく法律的事実的態様を異にしており、右のような事実から判断すれば、横尾はその所有にかかる資産を単に組合に「あずけた」にすぎないとしか云い得ないのであつて、その供述にかかる「売つた」の意味はなんら内容を伴うものでなく、従つて資産の所有権は横尾が組合加入中も従来どおり横尾にあつたといえるのであつて、さればこそ、横尾は脱退のときには「買戻し」という言葉を使用しながら、「返して貰う」と供述していることの真意が認められるのである。

(4) このことは横尾の加入に際し、棚卸して貸借対照表を作成し、買上証、借用証を交付し、脱退の際にも同様な手続をとり、書類を作成したとしても、ことの実質を左右し得ないことは勿論であつて、正に「帳簿上組合の資産として記入するだけ」にすぎなかつたと断定し得るところである。

(5) 之を要するに、横尾はその供述に使用した言葉の如何にかかわらず、加入に際しその所有にかかる資産を組合に真実に売渡したものではなかつたといわねばならない。

第二点 本地区設立から昭和27、2月頃迄の資産譲渡の実態について

第一、序論

小倉出張所に所属する組合員であつた、既にその氏名を掲記した多くの証人達も、その証言及び調書によれば、その加入に際しては、本組合に対して資産の処理を実施している。その大部分の組合員の一般的手続は証人横尾について認定した第一点第三(1)の手続と略々同様である。そこで之等の組合員の資産処理につきその書類上の手続はともかく、実質的にはどのように処理されたか、端的にはその資産の所有権が組合に真実に移転していたかどうかについて組合員の助入年月日の順序に従つて之を審究することにする。

第二、各組合員の資産の処理(括孤内は加入の年月日を示すものとする。)

(1) 証人仰木実(昭和24、12、2設立当初から)

(A) 証言によれば本項第一点第三(1)の手続を被告人木下と一緒に行つたことが認められる。

(B) 調書によれば、「営業用資産の引継は私が一人で資産の目録を作成し、時価相場で評価して組合に提出した。二、三日して、組合から木下が店を見に来たが私が作成した目録について複写紙で書いたものを一部私に呉れただけである。営業資産の引継ぎといつても、本当に形丈で資産目録を組合に出すだけだつた。組合から代金の話はなく、私としても本当に組合に引継いでしまうのでもないから、代金の支払は要求しなかつた。」「脱退したときもそのままである。之は最初からの約束であり、私の所有だから組合に返済する必要はない。」「組合から借用証をもらつた。之は留守中組合から返して呉れといつて取つて帰つたようだ。」

(C) なお、仰木が加入時に被告人森原、同木下に聞いた組合内容の説明については既に認定したとおりである。

(第二項)

(2) 証人藤井春雄(昭和25、2、1頃)

(A) 証言によれば「書類にして組合のものになつた。売つたのだが組合は零細業者の集りで金が少いから一先ず預かろうということで預けたと思う。金を呉れぬから売る訳にはゆかない。預けたのである。本当に売るつもりはなかつた。」

(B) 調書によれば「二十三万二千円の資産を組合に売渡したことになつたが、そのときは買上証も何もくれなかつた。形式的な売渡だから之について何の不安もなかつた。」

(3) 証人横山好雄(昭和25、3、1頃)

(A) 証言によれば「一応組合に売つたことにしたのだが、代金は貰わなかつた。加入後も私の手元において私が使うという事でありましたので、代金は組合から貰わなかつた。」

(B) 調書によれば、「本当に資産を組合が買上げるのであれば、このようなあいまいな棚卸の仕方を組合がやるはずはないのだが、形の上だけで買上げたことにするだけだからこのようですんでいる。」

(4) 証人臼井貞子(昭和25、4、1頃)

(A) 証言は「代金は貰つていない。」と供述したのみで、「本当に売つたのかどうか。」という四、五回に亘る質問に対して口を緘して供述しておらず、ただ調書を調べてみればわかる旨供述している。そこぞ、調書のこの点については特に真実であると認め、

(B) 調書によれば「事務員が来て一緒に棚卸し、私が商品目録を作成した。どうせ本当に引渡すという訳でもないから体裁がよいように幾分高く評価した。この目録の一部を貰いましたが紛失して今はない。事務員は価格について何も文句をいわずかんたんに引継は終つた。」

(5) 証人阿部清(昭和25、6、1)

証言によれば、「資産を評価したのは、組合に提供する資産がいくらあるか評価したのだ。だがそれは組合に売つたのでも、ただでやつたのでもない。一応組合に出しているから組合の資産とみればみるが、私の資産でなくなつてしまつたのではない。だから組合のものであつても私の所有を全くはなれたのではない。組合から脱退するときは脱退時の資産がそのまま返えして貰えるのである。そういう条件がついていた。そうでないと皆加入はできない。だから組合に売つたのではない。」

(6) 証人門岡正登(昭和25、7、14)

(A) 証言によれば、「棚卸した。事務員が来た。買上証とか借用証とかつくらない。」

(B) 調書によれば、「今日迄代金も利子も支払をうけていない。之は当然なことであつて資産は本当に組合が買取るのではなく組合の事業所と見せかけるための仮装の手段だからである。」

「借金が十二、三万円あつたが之は組合に譲渡の形式はとつていない。」

(7) 証人末田精(昭和25、7、14)

(A) 証言によれば「藤原と二人棚卸した。代金は貰つていない。組合に後日金ができたら払つてくれる。それまで借りることにする。買上とか借用とかの趣旨の証書を貰つた。それには支払期日も利息もかいてなかつた。品物は自分で管理するので不安はなかつた。資産は二〇万円そこそこだつた。」

(B) 調書によれば、「藤原は値段に対して全然異議をいわなかつた。私としては棚卸は形式的に売渡のためにするのですから私の思うとおり全然商売気なしに行つた。借金買掛金合せて一三~一四万、売掛金五万円あつたが之も組合に形式だけ引継ぎました。」

(8) 証人広岡金槌(昭和25、8、1頃)

(A) 証言によれば、「棚卸して棚卸表をつくつて、合計いくらと書き上げてそれを組合に出した。買上証をもらつたが、どこにおいたかわからない。」

(B) 調書によれば、「組合に加入して二、三日して私方に組合の人が二人来て資産の評価をしたが私の時価でいつたのを組合の人が書きつけこれらの合計二万七千~二万八千円位につけだして帰つた。その後二、三日して組合から買上証を呉れたがどうせ買上げたことにして金も貰えない形式だけのものと思つたので買上証はそのご捨ててしまつた。」

(9) 佐藤松造(昭和25、8中頃)

(A) 証言によれば、「引継ぎ書類はつくらない。」

(B) 調書によれば、「木下は後日書類をつくつてこの機械を一応組合が買上げたことにしておこうといつて帰りましたが、その後書類をつくつたかどうか、私方にはそういう書類はもつてこなかつた。私どうせ本当に売却するのではなし気にもとめなかつた。」「昭和36、3未に脱退したがその際私方の営業用資産はそのままにしている。之も加入するとき組合に売渡したことにしたが、本当に売つたのではないから問題ないと思つている。」

(10) 証人上野辰夫(昭和26、4、1頃)

(A) 証言によれば、「棚卸用紙を貰つて帰り、立会人なしで一人で棚卸して、それには売掛、買掛もかき、貸借対照表を作り、それを事務所に持つていつて女の横尾事務員に渡した。」

(B) 調書によれば、「私が組合加入の手続を終り帰りかけると木下さんが規定により店の営業用の資産を組合で買受けた様にしなければならないから、その棚卸表を書いて組合迄持つて来て呉れといわれたので、私はその翌日自分一人で店の資産の評価を書いて棚卸表を作成し、組合に届けましたが、評価は勿論之は形式上作成したにすぎませんので、その評価も私一存で勝手な値段を記入した。」

(11) 証人近藤剛(昭和26、9、15)

(A) 証言によれば、「組合に買上げて貰つた形にした。それは売つたことにしたのだ。脱退は自由だからそのときは返るので一応買上げた形にするときいていた。組合から何か証言を貰つたが、組合をやめるとき組合関係の帳簿をまとめてかまどで焼いたのでわからない。組合を脱退して必要がなくなつたから焼いた。」

(12) 証人横内光隆(昭和26、9、15)

(A) 証言によれば、「棚卸用紙を貰い私が棚卸した。債権債務も組合に引継ぐ手続をした。」

今から考えると代金も貰えないので売つた形にしたと思うが、当時は売ることになつていたがいつでも買戻せると聞いていたので、本当に売つたかどうか憶えない。」

(B) 調書によれば、「評価するにしても自分のものを形式的にやるだけだという気があるので、最初から評価を正確にやろうという考えもなかつた。」「昭和27、6、30頃脱退したが、組合に売渡したことにしている資産はそのままになつて、現地私が使用しているが組合からなんともいつてこない。

(13) 証人長岡竹男(昭和26、11、1)

(A) 証言によれば、「現物出資にし、組合がそれを見積つて組合のものとなした。代金は貰わない。借用証も貫わない。財産目録の様なものを書きましたが、それ以外に何か書いたが記憶がない。」

(B) 調書によれば、「商品も負債も組合に引継いだかたちにした。しかし、本当に組合に資産を売却したのではない。ただそういう名目にしたので資産はいぜん私のもので負債も私が返済しなければならないものである。」借用証はもらわない。それは本当に私が組合に売却したのではなく、組合も買取るのではないという約束でしたから当然のことである。」

(15) 証人加茂武雄(昭和26、11、1頃)

(A) 証言によれば、「組合に売つた。売つても、その物は私がそのまま使うので代金は貰わんでもよいと、代金のことは頭においていなかつた。金もも引継いだ。借金は日報に書いて私の手で払つた。」

(B) 調書によれば、「資産の売渡しの形式になつた引継書を作つた。二、三日後買受けの受取の様なものを持つて来てくれた。無論代金は貰つていない。私は形式だけのものと知つていましたので何も之について不安はなかつた。」

(15) 証人木田輝政(昭和26、11、1頃)

(A) 証言によれば、「商品、備品、その他を棚卸して表をつくつて、組合に出した。代金は貰つていないが組合を脱退するとき、私の方が買戻すので、そのとき代金の清算をすると聞いていたと思う。代金を貰えば、組合から脱退するとき代金を私の方から払わねばならないので同じことだと思つていた。」

(B) 調書によれば、「自転車、リヤカーも引継いだが、名義をそのままにしていたのは実際に売渡す訳でもないからである。」

(16) 証人神谷伊代子(昭和26、11、15頃)

(A) 証言によれば、「電気ミシンは売る気はなかつた。代金のことはきめない。代金には関心なかつた。組合は登記するだけで脱退するときは返してやるといつた。電気ミシンは一応組合に預ける気持で加入した。」

(17) 証人竹永繁子(昭和26、11、20)

(A) 証言によれば、「資産は事実上私のところにあるのだから書類上だすことになる。売つたのではない。代金を貰つた訳ではない。売る気はなかつた。木下が来て時価相場で単価をつけて書類を作つてくれた。それは木下が持つて帰り、私の方には控も何も貰つてない。」

(18) 証人谷本三郎(昭和26、12、1)

(A) 証言によれば、「私は私のものだと思つていたが組合は組合のものだと云つていた。売渡してしまう考えはなかつた。売る買うの話は聞いていたが、名実共に売り買いするのではなく書類上の手続をとるだけだと私は感じていた。形式的に売つたのだ。債務二〇万円も貸借対照表に書いて出したが私自身が日報を通じてだした。」

(B) 調書によれば、「私方の店は私の個人営業で営業用の資産は私個人のものであるから昭和27、2、25(本組合加入中)営業一切を六万円位で姉森敏子に売渡し、その金は私が経営している現在の店を買う一切にあてた。」

(19) 証人中条元吉(昭和26、12、1)

(A) 証言によれば、「売渡すというのではなかつたと思うがはつきりしない。一応組合に売つてその代金を組合に貸付けた形になつていたようにも思います。代金を貰わなかつたのは組合が零細業者の集りで支払う金がないからでしよう。営業用資産は一寸組合に貸付けていたようにも思います。」

(B) 調書によれば、「営業用資産も組合で買取つた形式になつていたのであるが、本当に組合に売渡したわけではないから勿論代金の支払を受けない。」

(20) 証人山本保一(昭和26、12、24)

証言によれば、「棚卸表とか棚卸明細書とかを作成して、組合に出したが棚卸した営業用資産は組合に売つた憶えもなければ、無償でやつた憶えもなく、資料として出しただけである。私は控えもとつてない。売掛、買掛も引継いだ。引継いだとは之だけであるということを書いて出したのである。之らは一応組合のものにする様にしたと思うが私は組合のものにしてしまうつもりはなかつた。」

第三、認定

(1) 既に第二項で認定した、各認人の加入に際し、組合の役員、職員のなした本組合の具体的説明の内容や、第三項で認定した本組合における現金の管理、流通、還元の実態に徴すれば、前掲各証人の各供述は単なる誤解や無智に基づくものではなく、真実を語るものと解されるのであつて、以上のことからすれば、

形式的な手続としては、加入の際にその営業用資産の棚卸をして棚卸表を作成し、売掛金、買掛金も一緒に含めて貸借対照表を作成し、之れらを組合に提供し、組合は之に対し買上証と右資産の代金の借用証を組合員に交付し、以つて組合は之等を買上げたと称し、組合員は売渡したと称していたが、しかしながら、それらは、書類上単に資産の売買の形式を整えるためにやつたにすぎないのであつて、組合は真実之等を買上げて代金を支払う意思を有せず、各組合員もまた真実売渡し代金を受領する意思は毛頭有していなかつたのであつて、従つてかかる手続をとつたにせよ、その所有権は依然として組合員に存していたことが認められるのである。

(2) なお、代金の点につき審究するに、かりに真実の売買であるならば通常最も関心を示すべき筈である代金のことについて右認定のように唯一人として心にかけておらず、代金を貰う気のなかつたのは、第三項において認定した事実から認められるように、組合事務所には組合外から資金の借入をする以外には、各事業所からは右代金支払の資金となるべき売上金は事務所の諸経費を賄う程度の運営費が納入されるだけであつて右以外には一銭も納入されておらず且つ自由に掌握できず、かつ、将来においても納入されることのないような機構になつていたのであつて、「利益が上がつたら払う。」といつてもその利益は、各事業所毎に生ずる可能性はあつても、その利益はすべて当該事業所の組合員に帰属してしまい、組合事務所には納入されない機構だつたのであるから、そのような機構であることを知り、そのような機構の中で営業に従事することを決意して加入した組合員が、当初から「代金」を受領する意思を有せず、無関心であつたことは正に当然であると云わねばならない。たとえ、営業用資産を組合に「売つた」組合から「買戻した」と表現していてもそれは、右各証人の供述により認定した形式的な一連の行為を指称しているにすぎないことは、前叙横尾の場合と同様であつて、その表面的な手続の実態がすべて右のような内容である限り、右言葉の意味するところは真実に所有権を譲渡し、その対価として代金を受領することを内容としているものではなく、かりにそこに占有の観念的移転があつたとしても、(右証人中占有の移転つまり引渡したことを述べた証人はいない)せいぜい「預けた」程度のことであつたと云うことができるのである。

かくの如く、各組合員がすべてその所有にかかる営業用資産を組合に売つたのではないことが認められる以上、棚卸表や貸借対照表を作成して組合に提出した行為や、之を組合が買上げたように、又その代金を借用したように作成され交付され買上証、借用証は正に右架空事実を恰も真実であるかのように装うた仮装の行為であるといわねばならない。

(3) 前掲各証人は本組合の設立当初から昭和26、12月迄に加入した組合員であるが、その期間右資産処理の形式的手続には僅少の差異はあつてもなんらの本質的な変化はないし、各組合員の加入の時機は前後があつても右処理についての真意はいずれも前叙認定したところに一致している。しかして本地区が一つの機構を備えており、少数の事務員との間に加入者は加入手続を取つており、右期間中資産の処理に実質的にも手続的にも差異がなかつたことが認められる以上、右証人等と夫々時を同じくして加入した本地区の組合員は同一の手続をとつたと推認することができる。すなわち小倉出張所ではすべて加入に際し個人営業の資産は組合に真実に売渡すことなく単に形式的に棚卸表、貸借対照表、買上証、借用証を作成、交付したにすぎなかつたことが推認されるのである。

第三点 右以外の証人の証言に対する判断

(Ⅰ)

(1) 証人中山澄夫(昭和25、1、1)

証言によれば、「代金は貰わなかつたがそれは自己は組合員であるし、商品、その他すべて自分の手許にあるので組合が債務不履行している気持はなかつた。脱退するとき代金もらつてないのでそのままつかつている。つまり私自身としては品物は渡していなかつた。」旨、

(2) 証人成末アイ子(昭和25、7、1)

証言によれば、「営業用資産は、棚卸して組合に売渡したと思う。買上証、借用証もらつた。代金は貰わなかつた。脱退するときも貰わなかつた。その什器、備品、設備はそのままになつている。それは脱退と同時に買戻したことになつている。というのは金をまだ貰つていないから返して貰つたのだ。」

(3) 認定

証人成末は、同証人、証人中山澄夫の各証言によれば中山澄夫から本組合の説明を受けて加入しているので、右両名は、資産の処理について同一の考えでいたことが推認されるが、右各証言により認められるところは、中山は資産を「渡していなかつた。」のだし、成末は「返して貰つた。」のである。この意味するところは、第一、第二点において判断したように真実の「売渡し」ではなく、中山の場合、かりに売つたとしても品物の引渡をしていない限り、それらが同人の所有のままであつたことは当然に認められるし、成末の場合は単に「預けた」にすぎないことが認められる。

(Ⅱ)

(1) 証人中原嘉一郎(昭和25、2、26)

(A) 証言によれば、「(本当に組合に所有権を移す気はあつたか)あつた」とある以外資産の処理についての他の質問については全部忘れましたと述べている。

(B) 右以外に供述はないのでその真意は判明しないが、前示認定した証人藤井春雄の調書によれば、藤井は藤原から聞いた本組合の内容の説明(第二項に掲記)を中原に同様にしており、中原はその藤井の説明を聞いて、加入の可否を相談し、同月に加入し、脱退も藤井と行動を共にしておる。(支部勘定補助簿(証一五〇三―九六)共に昭和27、5、1であることが認められる。)ところから、藤井と本質的に異つた資産の譲渡をしたことは考えられない。よつて右供述が真実の売買を表明するものであるとは信じ難い。

(2) 証人富島昌義(昭和25、6、19)

証言によれば、「売渡した」「組合から買取つた」との供述があるが、この供述は前に認定したように単に言葉として、使われているにすぎないことが認められて、真実の売買を意味するものではない。

(Ⅲ) 証人今井良一(昭和25、9初)

証言によれば、前に認定したいわゆる形式的書類の手続のことが述べられており「売渡した」「買戻した」の言葉が使用されていることが認められる、

しかしながら、第二項第三点〔二〕おいて認定したいわゆる谷本方の説明会には右今井証人も組合側として出席し、そこで被告人木下の資産処理の説明(同上に掲記)をきき、且つ、自らも体験談を述べておる。(証人末田精の調書)ところからすれば右言葉の内容が真実に「売渡」「買戻」を意味することは解し難い。

(Ⅳ) 証人貝島彦一(昭和24、12、2)

その証言には「(証人は本当に組合と売買したか。)はい。」なる旨の供述があるが、前述認定の横尾弥平太、仰木実と対比し右の供述は信用できない。

(Ⅴ) 昭和27、3以降の加入者について

証人伊勢修(昭和27、3、1)同松本真事(昭和27、4月頃)の各証言によれば、叙認定した書類上の手続はとられており(松本証人は、加入時のバランスは負債が多い。)「売つた」「買戻した」の言葉がつかわれているが、繰返し認定したようにその真実の売買であることは両証人の場合とも認められない。

第四点 書類について

(1) 小倉地区の組合員の商品、什器、備品、機械等が組合の資産として記載されているものには、

財産目録(証一六三八)、資産棚卸表(証一六三九)、商品棚卸表(証二二八八)、商品棚卸明細綴(証二二九〇)、引継書類(証二二九三)、決算関係書類綴(証一五〇六)、貸借対照表(証一五一二)、棚卸表(証一五七九)、商品棚卸控等綴(証一六〇一)、組合資産の証(証一六〇九)、借用証(証九二四)、売渡証(証九二五)が存在することが認められる。

(2) しかしながら、之らの存在及び記載は、右認定したところから明らかなように、組合員が真実に之らを売渡し、組合が真実に之を買受けたことの証明にはなりえないといわねばならない。

第五点 結論

既に本項第一点の第三及び第二点の第三において論じたように、小倉出張所における組合員の加入の際における資産の処理の実態は、

一般的手続としては

加入に際し、組合事務員立会の下に(立合はない場合もある)商品、什器、備品、機械器具を棚卸して棚卸表を作るとともに、それに売掛金、買掛金を含めて、貸借対照表を作成し、それを組合に提出し、組合は組合員に資産の買上証、代金の借用証を交附し、以つて組合は之を買受けたと称し、組合員は売渡したと称していたこと。

脱退に際しては右と同様な書類を整えた上で組合員は買戻したと称していたこと。それら現物の一切はその加入した組合員の工場及び店舗に従来どおり保管管理使用されており、商品、原料、消耗品は組合員となつた従来の個人が之を販売し、消費していたこと。

しかしながらその実態は、

組合には現実に之を買受ける意思はなく、組合員が脱退するときは、その脱退時の資産の現状のままで当該組合員に返還することになつていたこと。

組合員にも真実に所有権を組合に譲渡する意思を有して右手続をとつた者はいないこと。

すなわち真実に組合に売つてしまう意思を有していた組合員はいなかつたこと。

その最も端的な現れは、代金を貰う気持はなく、また組合員は誰でも組合が代金を払えるような機構ではないこと、それは将来もそうであることを認識していたと認められる点にあると。脱退の際に資産をそのまま返して貰うことが右のような手続をする条件になつていたこと。一方脱退は自由であるからいつでも返えして貰えるという気持を持つていたこと。現物は従来どおり同一工場や店舗(事業所)に存置されたままであつて、ほとんどの組合員が組合のために保管し管理しているという考えは持つておらず自分が管理使用しているという考えの者が多かつたこと。組合のために保管していると考えていた組合員でも、売買によつて組合に引渡したものではなく、組合に「預けた」程度の認識を持つていたにすぎなかつたこと。「返して貰う」ということも現実の占有の移転を意味するものではなく、書類上組合の帳簿にのせられている資産を、再び書類上で整理をつける程度の意味であつたこと。

が認められるのである。

はたしてそうであるならば、

棚卸表、貸借対照表の作成を以つて組合は資産を買受けた称し、組合員は之を売つたから組合の資産になつたと称し、その実質を伴わないにもかかわらず買上証を作成交付し、代金は全然払う意思を有しないにかかわらず代金の借用証を作成交付し、組合の資産として帳簿等を整えており、その実、組合員も組合の役員、職員も、その実態において、真実は売買するものではないことを認識していたことが認められる以上右書類の作成、備付、交付はすべて右真実に売買されていない資産を、売買されたように装うための手段にほかならなかつたと謂わざるを得ないのである。

第六点 附論

第一、債権、債務の引継

(1) 資産の譲渡が右のような実態である以上、その資産とともに貸借対照表に記載せられることにより組合に引継がれたと称されていた債権、債務もその引継は真実を伴うものではなかつたことは自らの帰結として認めざるを得ない。

(2) 引継いだと称される債務はすべて当該組合員がその危険負担において、その事業所の売上金から弁済しており、債権はすべてその事業所の資金に繰入れられて事務所との間になんらの実質的現金の流通のなかつたことは既に第三項において認定したところであるから、その「引継ぎ」なる言葉如何にかかわらず、実質は当該組合員の負担において債務の弁済、債権の収益がなされていたことにはかわりはなかつたといわなければならないのである。

(3) さればこそ、組合と組合員との関係においては引継いだと称しながら、証人長岡竹男、佐藤松造、中条元吉、加茂武雄、末田精、木田輝政等が各証言するがごとく、債権者、債務者に通知した者はないことが認められ、その「引継ぎ」が単なる内部的な、観念操作にすぎなかつたことが認められるのである。

第二、固定資産の処理の実態

証人仰木実、佐藤松造、長岡竹男、横山好雄、加茂武雄、門岡正登、末田精、上野辰夫、木田輝政、広岡金槌、竹永繁子、横内光隆、山本保一、成末アイ子、中山澄夫、阿部清の各証言を綜合すると、

たとえ、店舗、工場を組合に貸すことにしたとはいえ、他人の借家である場合はほとんど転貸の承諾は受けていないこと。

いわゆる家賃は日報の経費欄に記帳して売上金から差引いたこと。

から推論すれば、組合が家賃を払うといつてもその実態は、組合員がその営業所の売上金から控除したにすぎず、組合が現金を支払うのではなかつたこと。つまり家賃の支払も畢意は事業所内における売上金の還流の一部分にほかならなかつたと云わなければならない。

第五項 小倉出張所の実態

加入希望者等に対する組合役員、職員の組合の具体的内容についての説明の実態は、第二項第五点結論において

本組合における現金の管理、流通、還元の実態については第三項第五点結論において、加入時の組合員の営業用資産処理の実態については第四項第五点結論において、それぞれ総括的に認定したとおりである。

右認定した事実からすれば、その他の多くの事象につき審究を加えるまでもなく、小倉出張所における本組合の実態は、組合員の事業所における営業は加入前の個人営業の継続であつて加入に際し、資産を組合に真実に譲渡して企業合同の中に没入するようなことをせず、従来の個人の所有のままであり、その営業による売上金についてはその損失の危険負担は当該組合員が負い、その利益の収得は当該組合員が享受する機構であつて、すなわち所得は実質的に個人に帰属していたにかかわらず、組合員の加入に際しては資産を組合が実際に買受けて企業合同したような帳簿、書類を作成、備付、交付し、現金の管理、流通、還元においても組合が統一計算を行うていたように帳簿書類を作成し、月給は所定額を支給していなかつたにかかわらず支給していたように帳簿、書類を作成し、その上、帳簿、日報の記帳を操作することにより組合員の売上金を記帳から脱漏させて、各組合員に帳簿外の所得を得させていたものであつて、右各実態は事務員は固より被告人森原春一、同木下仙友も知つていたことが認められるのである。

第三節 京築出張所

第一項 組織

第一点 組織の沿革

第一 組織

雑書類綴(証六三三)通達給与規定綴(証六三四)回章綴(証六三五)収支綴(証六二三)支部報告書綴(証一七四一―二〇)支部報告書綴(証一七四一―二〇)組合員名簿(証二〇九三―昭和26、6、30現在)組合員名簿(証一八七七=昭和27、6、30現在)登記関係書類(証一七〇〇)資産証卸表(証一六三九)廃業届綴(証六二九)並に被告人上野盛雄の証言、証人三日月弘之、梅田輝雄、斎藤栄道、土谷正、中野誠治の各証言及び調書(斎藤を除く)を綜合すると、

(1) 梅田輝雄は、昭和24、12、23小倉市米町横尾弥平太方に事務所があつた本組合(当時小倉市一円のみ)に行橋地区から最初の一人として加入し、昭和25、1、6の梅田方における説明会により数名の加入者があり(是石辰夫、上野虎象、宮永政難、大塚与曽吉“この中には加入月日を遡らせた者もいる”)一方土谷正も昭和25、1、2附で加入し、いづれも小倉市の本組合に直属しており、この地区にあつては福岡県京都郡行橋町魚町五七三番地土谷正方が行橋における連絡所となり、小倉の組合事務所から事務員(被告人木下仙友、横尾多須子)が事務処理に来ていたこと。以上が昭和25、3月迄の状態であつたこと。

(2) 昭和25、4~昭和25、5月迄は、本組合の本部は右横尾方にあつて、行橋地区は小倉地区に所属し、京都地区協議会と称していたこと、

(3) 昭和25、5、20に本組合の本部が福岡市下対馬小路一〇七番地に移転してからは、徒来の小倉地区は北九州地区協議会となり、行橋地区は京都地区協議会(昭和25、6月迄)京築支部へ昭和25、7月以降)と称していたこと。以上が昭和25、9月迄の状態であつたこと。

(4) 昭和25、10月に、右北九地区協議会が北九支部となるや、行橋地区は行橋出張所として同支部に所属していたこと、之が昭和27、8月迄の状態であつたこと、(事実上は行橋出張所は次の椎田出張所、吉富出張所の事務も含めていたようである。)

(5) 椎田地区は、昭和27、3、20に斎藤栄雄、久保三代吉の二名が小倉の本組合に直接加入し、爾後椎田地区協議会(又は築上地区協議会)と称したりして北九地区協議会に直属していたが、右北九支部の設立と共に椎田出張所(又は告富地区と併せて築上出張所)として同支部に所属していたこと(事実上は、行橋出張所と一緒のようである。

(6) 吉富地区では昭和25、6、1頃矢頭勇吉、松本芳平が加入したのが最初のように推認されるところ、その後吉富地区、中津地区から小倉の北九地区協議会に直接加入し、この地区を吉富班、又は吉富地区協議会と称しており、右北九支部の設置にともない吉富出張所と称して同支部に属していたこと。

(7) 昭和27、4月に、各県単位に県支部が設置され、その際に右三出張所は、北九支部の支配からはなれ、合併して京築出張所となり、福岡県支部に所属していたこと。

ただし、右県支部の設置により従来、京築地区に所属していた中津市在住の本組合員が大分県支部に属するか、京築出張所に従来どおり属するかが問題となり、結局中津地区は現金プール事務が独立して実施できるようになるまで京築出張所に属するようになつたこと(昭和27、4、4附土谷正より本組合本部宛端書=証六三二―六が認められる。

第二 京築出張所関係で取調べた証人のうち、役員、職員であつた者。

(Ⅰ) 土谷正(昭和25、1、2加入~解散まで)

登記関係書類(証一七〇〇)回章綴(証六三五)証人土谷正の証言及び調書によれば、加入後から同人宅を行橋地区の連絡所、地区協議会事務所としており、同人は事実上その長の地位にあり、昭和27、4月~昭和28、3月迄京築出張所長となつて京築一円の指導的地位にあり、昭和25、8~昭和27、5、25迄理事の地位にあり、また北九支部の評議員会にも出席する地位にあつたものであることが認められる。

(Ⅱ) 斎藤栄雄(昭和25、3、20加入~解散まで)

登記関係書類(証一七〇〇)証人斎藤栄雄の証言によれば、同人は、椎田地区で最初に加入した組合員であり、京築出張所に椎田地区が合併するまでは、同証人は椎田地区の長の地位にあり、昭和25、8~昭和262、20迄理事、昭和26、2、26迄監事の地位にあつたものである。ことが認められる。

(Ⅲ) 梅田輝雄(昭和24、12、23加入~昭和28、3、17脱退)

登記関係書類(証一七〇〇)証人梅田輝雄の証言及び調書によれば、

同証人は、行橋地区から加入した最初の組合員であり、被告人森原、同木下を招いて昭和25、1、6同人方で説明会を開く、その結果数名の加入者があり、行橋地区拡大の緒端をつくり、又昭和25、5、8~昭26、2、20迄理事の職にあつたものである。ことが認められる。

(Ⅳ) 職員

(1) 証人三日月弘之の証言及び調書によれば、同証人は昭和25、4月初頃から昭和25、12月末頃迄本組合の事務員であつて、木下、横尾に替り、行橋地区、椎田地区、吉富地区を担当していたものであることが認められる。

(2) 証人梅田輝雄の調書及び証言によれば、行橋に常駐していた右三日月以外の事務員は勤務年月はわからないが、桃山、福田、池田、井上一雄夫妻、後藤(女)等であつたことが認められる。

第三 組合員

(1) 賃金台帳(証二九七七)加入申込数(証六二五)、廃業届(証六二八、証六二九)名簿(証六三四―一八)組合員名簿(証一八七七、証二〇九三)支部勘定補助簿(証一五〇二)の各組合員の記載を検討し綜合すると京築出張所内の組合員数は次のとおりであることが認められる(昭和26、8月迄で記載しなかつた月は判明しなかつたもの、その後の記載のないのは記載しなかつたものである)

<省略>

第二項 設立の経緯及び役員、職員の組合内容の説明

第一点 梅田輝雄の加入と梅田方説明会における被告人森原春一、被告人木下仙友の組合内容の説明について、

〔一〕 証人梅田輝雄の加入(昭和24、12、23)

(1) 証人梅田輝雄の証言及び調書によれば、

(A) 同証人は、昭和24、12月頃過重な税金を課せられ、異議申立しても取り上げて呉れぬだろうと悲観的な見解に落ちていたところ、昭和24、12中旬頃小倉市馬借町の某金物店で他の者が「共栄企業組合」のことを話して居り、この組合に加入すると「税金も適当になつて、税金についての心配もなく云々」の話を聞いたので、耳よりな話と思いその者に本組合のことをさらに詳しくきこうとしたら、この組合の発起人である、鉄工所をやつている森原から聞けばわかると教えて呉れたこと。

(B) そこで昭和24、12、18 小倉市宇佐町の被告人森原宅を捜し訪ねたが同人は、本組合につき「共栄企業組合は中小企業等協同組合法に基いて設立された組合で、中小企業者を救うためにつくられたものである。組合はどんな職種の人ても加入することができるようになつているから、あなたも加入しようと思えばできる。組合に加入すれば組合員には加入前通りその営業を続けて貰うのであるが、組合員の営業場は組合の事業所ということになり、組合員はその事業所の従業員で月給取りということになる。それで加入後の組合員の税金は、加入前かかつていた事業所得税や事業税はかかつてこないことになり、組合が月給と決めた金額に対する源泉所得税を納めれば済むことになり、これまでの様に税金に苦しむことがないようになる。なお組合員の加入前有している滞納税金については、加入後は組合側から税務署に交渉して、いくらかでも組合員の利益になる様にしてやる。また組合加入後は組合の事業所の従業員ということになるのであるから、組合加入と同時に税務署に対して、廃業届を出して貰はねばならない。」旨のことを話し、詳しくは事務所に行つてくれと、小倉市米町の組合事務所を教えてくれたこと。

(G) 昭和24、12、20、帳簿を持つて行橋税務署に異議申立に行き、之が聞いて貰えねば、本組合の話を詳しく聞いて加入するか、どうか、決意していたが、右申立は取上げられなかつたこと。

(D) そこで昭和24、12、23、本組合を訪問し被告人木下に会い説明を求めたところ、木下は、「加入届を出して組合に加入すると組合員の店は組合の事業所ということになるので、組合員の手持の材料や道具等の営業用資産は組合に売渡して貰はねばならないが、組合には金もないので、代金の支払はしない。しかし脱退する際には店にある営業用資産は全部組合員のものとなり、脱退後の営業に困るようなことはない。組合加入後は積立金といつて毎月の売上の〇・〇二にあたる金額を組合に納めて貰わなければならない。この率は暫定的で、組合の成績が良くなければ率を引下げる。積立金は毎月一回事務員をあなたの家にやるから、月給と組合が決める額に対する源泉所得税と共に売上の中から事務員に渡して貰えばよい。」旨の説明し、同証人は右被告人森原、同木下の説明を諒了して、その場で加入申込書を書き加入金五〇〇円、出資金二、〇〇〇円を支払つて加入したこと。

(E) その際に、同証人は同人の妻に本組合の内容を説明して貰いたい希望があり、被告人木下には行橋方面に加入を勧誘したいという希望から、被告人森原と同木下が翌年早々行橋町の梅田方を訪れる約束をしたこと。

がそれぞれ認められる、

右のような経過を以つて、梅田は行橋地区で、一番先に本組合に加入したことが認められるのである。

〔二〕 昭和25、1、6梅田方の説明会における被告人森原、同木下の本組合内容の説明

(1) 証人梅田輝雄、是石辰雄、上田虎象、宮永政雄、大塚与曽吉の各証言及び調書並に事業所出納個人別日記帳(証一六六二―一)の記載によると、

(A) 昭和25、1、6(右日記帳に「一月六日交通費。行橋懇談会出席。二〇〇円」の記帳があるところから六日と認められる)福岡県京都郡行橋町門樋二五八四番地梅田輝雄方に被告人森原、同木下両名が来たり、宮永政雄、上田虎象、大塚与曽吉、木下聖太郎、是石辰夫、牧野渡の出席の下に両名は交々本組合の具体的内容を次のように説明したこと。

(B) その内容は、

(a) 共栄企業組合というのは、中小企業等協同組合法という法律に基いて中小企業者の生活を護るためにできた組合であつて、法人である。そこで法律に定められた通りやつてゆくと中小企業者の税金が安くなること。

(b) そのためには、組合に加入する者は自分の店の商品や備品や什器を組合に売渡し、組合員の店は組合の事業所となり、組合員はその事業所の責任者となり、組合からまかされて事業所の経営をやる。そして組合が決めた給料を払つて生活することになる。そうすると、源泉所得税だけ納めれば事業所得税や事業税を納めないで済むことになるので、従来より遙かに安い税金で済むわけである。

(c) このように営業用の資産は、組合が買取つたようにしなければならないのは、組合は法人であるからこのような形式をとるのであつて、本当に組合が買取つてしまうわけではない。従つて、組合は代金は払わない。ただ代金は組合が借用しているということにして借用証を組合員に渡すが、これは依然組合のものであつて、組合員には従来どおり自分の店で自分の営業をやり、売上も自分のものであること。

(d) ただ組合には色々の経費が要るので、売上金の中から商売によつて率が違うが一定の歩合で積立金を納めて貰わねばならぬ。この率は一歩か二歩だから大した金額にはならない。こと。

(e) 組合員の店は、組合の事業所ということになるから毎月の仕入れや売上を組合から渡す日報につけ十日毎に組合に持つて来て貰わねばならぬこと。

(f) 月給取りということになつているので、之に対する源泉所得税だけは納めて貰わねばならないが、積立金とこの源泉所得税相当額を月末に日報と共に組合事務所に出して貰えばこの分を除いた残りの売上金が月給と運転資金ということになる。組合は、積立金を貰うだけで、売上の残額は全部組合員のものであること。

(g) 組合が買取つたようにしてある営業用の資産については脱退時現在で組合員の店にある営業用の資産全部を組合員にまた譲渡したようにするので、脱退してもその後の商売に困るようなことはないこと。脱退は自由であること。

(h) 加入に際しては、加入金五〇〇円と出資金一口五〇〇〇円の内金二〇〇〇円を支払つて貰わねばならないが、脱退のときは出資金二〇〇〇円は全額返還する。加入金は返さないこと。

(i) 組合に加入したら従業の個人営業は廃業したという届を税務署や、財務事務所に出して置かねばならないこと。

(j) とにかく加入しても売上は組合員のもので、組合がとるのではないから、儲けたら儲けただけ組合員自身の儲けであり、損したら損しただけ組合員自身の損であることなどであつたことが認められる。

(2) 右のような話を聞いて、証人上田虎象と宮永政雄、木下聖太郎は、間もなく加入し、大塚与曽吉は、船津政夫、畠山種夫と共同事業をやつていたので、さらに同年三月下旬豊森方で被告人森原の説明を聞いて船津政夫名義で加入し、是石辰夫は当時税金にそれほど切実感をもつていなかつたので加入せず、昭和25、5、10頃右梅田方で被告人森原の右同趣旨の説明を他の一〇名位と一緒に聞き、他にも企業組合はあるのだから税務署の方にも認められるだろうと思い、「歩金だけで所得税や事業税を納めなくてもよいということになれば、税金が安くなるので、それが魅力で」昭和25、5、16に加入したものであることが認められる。

第二点 土谷正の組合内容の説明について

〔一〕 証人土谷正の証言及び調書によれば

(1) 証人土谷は、新聞、パンフレツト、雑誌をみて企業組合のことを知り、行橋商工会議所や計理士にきいたがわからないので福岡県庁の商政課に説明を聞きに行き、概念だけつかみ、小倉に企業組合があるときいたので、間もなく小倉の共栄企業組合の事業所にゆき、被告人木下仙友に会い、同人から組合の運営について詳細に話を聞いたことが認められる。

(2) 昭和25、1、1附で、本組合に加入してからは、再三行われた組合の説明会に出席し、ときには森原、木下と同行したりして組合の拡大に努力し、自然、京都郡及築上郡の指導的立場に立つようになり、説明会では、森原等から聞いたような内容を説明をし、その回数は数十回に及んでいることが認められる。

(3) 土谷の加入時の資産の処理に対する認識及び事実は、

「組合に加入するためには、組合員は従来個人営業に使用して来た営業用資産を組合に売り渡さねばならん。しかし、私の知つている限りではこの営業用資産の代金は支払われていない。組合には金がないので営業用資産の代金は支払えない。それで買上証と買上代金に対する借用証を組合員に渡すということで、代金の支払は組合ではしないということを承知して貰つて加入して貰つているのである」

であることが認められる。

その他の点については左記認定する土谷正の説明の内容と対比して、同証人の証言及び調書によれる点は不明確であるといわねばならない。

〔二〕 組合員に対してなされた土谷正の本組合説明の内容

証人花田厚治、亀田昱太郎、甲斐忠雄、椎木五郎、西村力太郎の各証言及び調書によると、

(1) 説明の年月場所

(A) 証人椎木五郎は、昭和25、3月頃行橋における事業所を兼ねていた土谷正方で。

(B) 証人西村力太郎は、昭和25、6月頃右土谷方で、

(C) 証人亀田昱太郎は、昭和26、9月頃右土谷方で、

(D) 証人甲斐忠雄は、昭和26、10月頃右土谷方で、

(E) 証人花田厚治は、昭和26、10月か11月に花田の自宅で、

それぞれ土谷正の説明を聞いたことが認められる。

(2) 説明の内容

(A) 土谷が自ら被告人森原がなしたと同一内容を説明したと述べているとおり、語句の相異内容の広狭、言廻しの巧拙はあつても、前記梅田方の説明会における森原、木下の説明と全く同趣旨であつたことが認められるが、さらに、具体的に説明の内容を検討すると、

(B) 証人花田の調書によれば

「店の営業用資産を組合に売渡す、法律で決つているから、営業用の資産を組合で買取る訳であるが組合には金がないので代金の支払はできない。しかし、組合えの加入脱退は自由で、脱退する際には脱退時に事業所にある営業用の資産は全部組合員にやるので爾後の営業に差支えるような事はない。」旨の説明であり、営業用の資産は組合が本当に買取るのでなく帳簿上買取つたことにするだけだという話はなかつた。しかしながら、土谷の話の模様から帳簿上買取つたことにするだけであることが了解できた。それで代金支払の時機等についても一切約束せずに加入した」ものであることが認められ、

(C) その他の前段掲記の証人の証言及び調書によれば、

「営業用資産は組合が買取つたという形式にするが、これもほんとうに組合が買取るわけではない。脱退は自由であり、脱退するときは組合で買取つたことにしてある資産は全部そのまま買取つて貰つた形式にする。だから代金は支払わない」趣旨の説明がなされたことが認められるところから、

(D) いずれにしても加入時の資産の処理についての説明には、その表現に多少のニユウアンスの相違はあつても、その本旨とするところは、「加入に際し資産を組合に売渡す手続をとるのは形式であつて、組合は本当に買受けるのではないからその資産は従来どおり組合員個人の所有のままである。」旨であることにかわりはなかつたことが認められるのである。

〔三〕 之を要するに土谷正も前叙認定した被告人森原、同木下がなした組合の内容の説明と同一趣旨の説明を、京築一円に亘り、数十回に及ぶ程なして来たことが認められるのであり。かつ少くとも昭和26、11月頃迄は同一内容の説明が繰返されていたことが推認できるのである。

(現金プールの説明については後述する)

第三点 事務員三日目弘之の説明

(Ⅰ) 証人、三日月弘之の証言及び調書によれば

(1) 同証人は、昭和25、4月から昭和25、11月末迄本組合の京築一円の事務員として勤めていたものであることが認められ、

(2) 同証人は、昭和25、3、24頃椎田町の久保畳屋で行われた本組合の説明会において被告人森原の、その二、三日後行橋町の山際染物屋で行われた説明会で、被告人森原、同木下の、本組合の具体的内容についての説明を聞いている。こと、

同証人はこれらの説明を聞いて本組合の内容を理解するに従つて組合の在り方に疑いを抱くようになり積極的に加入を勧誘することはなかつた。しかし加入希望者には、組合の内容を説明していたこと。

そしてその説明の内容は森原や、木下から聞いたそのままを伝えていたことが認められる。

(3) その内容は、前章認定の梅田方の説明会における被告人森原、同木下の説明と全く同一趣旨であつたことが認められる。

(Ⅱ) 証人中野誠治の証言及び調書によれば、同証人は築上郡吉富町の者であるが、昭和25、7月頃近所の友人である河野英雄方で右三日月弘之の組合内容の説明を聞き、その内容は右に認定した三日月の供述にかかる説明と同一内容の説明がされたことが認められる。

第四点 その他の証人の説明について

〔一〕 証人斎藤栄雄の証言によれば

(1) 右証人は椎田地区で指導的地位に立つて企業組合のことを研究し、行橋の土谷と連絡をとり、その話を人を介して聞き、また小倉の本組合の事業所及び事業所を調査研究し、被告人木下の小倉における説明会に出席してその組合内容を聞き、昭和25、3、20頃(既認定)椎田地区から畳屋の久保と二人で最初に加入したものであることが認められる。

(2) しかして、斎藤の証言から認められる加入時の資産の処理は、

「組合は加入するとき商品、備品、什器はどうすると云つたか)買上げるといつた。(その代金は組合はどうするといつたか)組合は代金は急には払えないから借りておくといつた。(組合は代金を払うのか払わんのか、いつ払うか説明があつたか)そこ迄は話はなかつたと思います。……

「組合に加入するとき財産を出す問題で不安は残つていた。しかし、「加入後も不安はあつたが自分達が財産は管理することが出来るということで段々不安はなくなつた。」

ということであつたことが認められる。

(3) この(2)に掲記したように斎藤が「売つた」と供述したにせよ、前示被告人森原、同木下、土谷、三日月の各説明と対比するとき、信を措くことは出来ないばかりでなく却つて、代金は払わないことになつていたこと、推認の根拠になることが認められる。従つて証人斎藤が「売つた」と供述してもそのことのみによつて斎藤のみが真実の売買と考え且之を他に説明していたと信ずることはできない。

〔二〕 証人山際久兵衛の証言によれば同証人は次男の山際潔から、証人豊守親の証言によれば、同証人も山際潔から、証人末松文蔵の証言及び調書によれば、同証人は山際久兵衛から加入に際しそれぞれ組合の内容説明をうけていることが認められる。

しかし右証人等による山際潔の説明内容については、具体的な供述は何もなされていない。証人末松文蔵の証言及び調書によれば、同証人が山際久兵衛から聞いた本組合の内容は前示土谷、三日月の説明と同一趣旨であつたことが認められる。

第五点 結論

以上認定したところよりすれば、京築地区においては、最初に行橋地区から加入した梅田輝雄に対してなされた被告人木下の説区を皮切りに、京築地区の現地で初めて行われた梅田方の本組合の説明会における被告人森原、同木下の説明、京築地区において数十回に亘り行つた。京築出張所の指導的地位にあつた土谷正の説明及び昭和25、4月から昭和25、11末迄京築地区の事務を担当しており、組合内容については被告人森原や木下から聞いて認識していた事務員三日月弘之の説明はいずれも全く同一趣旨であり、その具体的内容は右に列挙掲記したとおりであることが認められるのであり、椎田地区の指導的地位にあつた斎藤栄雄の証言も右証言と根本的に異つたものではなかつたことが推認できるのである。

してみれば京築地区における加入希望者に対してなされた説明はすべて、第一点〔二〕(1)(B)、(G)~(j)のとおりであつたといわれなければならない。

第三項 現金管理、還元の実態

第一点 序論

第一 本節 第一、二項及び第二節において認定したところから明らかなように、京極地区(名称組織がしばしば変つているので、昭和27、4月以降の京築出張所に属した地域をこのよう呼ぶことにする)は、小倉以外で最も早く組合員のできた地域であり、その後事務的にも小倉地区に所属しており、当初は、小倉地区の被告人木下仙友や横尾多須子が事務をとつており、昭和25、4月以降昭和25、11月迄は右両名や小倉の木村善一から指導をうけた三日月弘之が京築地区の事務を掌握しているのであるから、(第二節、本節で認定)その現金の管理流通還元の実際的な処理についても小倉地区の方法(第二節、第三項で認定)と同一であることが推認される。そこで本地区については小倉地区と異る点につき詳論することにし、その他の点は、簡明に説示することにする。

第二 本項においても、第二節第三項第一点第二にのべたと同一の理由により、組合員、従業員に対しては、月給額を決定し、之を支給していたこと。

組合事業所に積立金又は運営費と名ずけられた金を支払つていたこと。

を前提として本項を論ずることにする。

第二点 本地区における設立当初より昭和25、9月迄の実態

〔一〕 証人是石辰夫、宮永政雄、椎木五郎、中野誠治、西村力太郎、吉田要、豊守親、山際久兵衛の各証言、三日月弘之、大塚与曽吉、梅田輝雄、椎木五郎の各調書を綜合すると、

(A) 現金(売上金)各組合員が各事業所に終始保管していたこと。

(B) 売上金の何歩かに定められた積立金と、月給所定額に対する源泉所得税相当額を毎月まとめて月一回組合に支払つていたこと。

(C) 初めの頃は、小倉から被告人木下や横尾多須子が組合員宅を廻つて(B)の金を集金していたが組合員が増してからは、行橋地区では土谷正方、山際久兵衛方、豊守親方に椎田地区では斎藤栄雄方に告富地区では工家文子方に日を定めて、各組合員が日報や(B)の金を持つて集り、そこに小倉から集金に来ていた事務関係者(木下、横尾、三日月等)に計算して支払い、給料支払明細書を貰い、給支台帳に押印していたこと。

(D) 月給と定められた額は組合から支給せず、各組合員が自己の売上金の中から之を消費し、日報に経費として記帳していたこと。

(E) 運転資金名目の金のことは明確にきめられずにいたが要するに(B)(D)以外の金に帰着していたこと。が認められる。

〔二〕 之を要するに、各組合員の営業から生ずる現金は、各事業所内で還流し、各組合員と組合の間では組合員が右(E)の金を組合に支払う以外には、いかなる名目においても組合員が組合に、組合が組合員に(本部出資金の放出については後述)支払い又は融通する現金はなく、組合員相互間においても、本組合の名においてする現金の流通関係はなかつたといわなければならない。

第二 現金の管理、流通、還元の実態の記帳について

〔一〕 給料、積立金の日報について

(Ⅰ)日報の記載と、之に対する載記者の説明とを表示すれば、次のとおりである。

<省略>

(Ⅱ) その他の証人の日報の記載

右掲記も含めて、宮永政雄名義の昭和25、2月分~9月分(証七三二)是石辰夫名義の昭和25、5月分~7月、9月分(証七三五)推木五郎名義の昭和25、4月分~7月、9月分(証七三八)梅田輝雄名義の昭和25、2月分~7月、9日分(証七三〇)高田坂太郎名義の昭和257月~9月分(証七二九)西頭勝三名義の昭和25、6月分~9月分(証七三一)吉田要名義の昭和25、4月~9月分(証七三六)中野誠治名義の昭和25、7月、8月分(証七三七)上田虎象名義の昭和25、2月分7月、9月分(証七〇六)西村力太郎名義の昭和25、6月分~9月分(証七五四、証七五五)豊守親名義の昭和25、3月7月、9月分(証二六七三)山際久兵衛名義の昭和25、3月分~9月分(証二六七五)の各日報にも右(Ⅰ)掲記と同様な給料、積立金の記載が認められるいずれの記載もない月も多数見受けられる。

(Ⅲ) 認定

前示日報の記載内容とこれに関する証言からすれば、給料について日報に右のように記載して現実にはその組合員の売上の中から差引いて消費しており、積立金は右のように日報に記載して売上金の中から集金に来た事務員に支払うか、事務所にその金を持参して支払つていたことが認められる。

このことは前記日報用紙の様式の同一性その記載の劃一性から推して右(Ⅰ)(Ⅱ)の日報の記帳者に対してのみならず本地区右期間の全組合員についても右認定と同一であつたことが推認されるのである。従つて、昭和25、9以前においても売上金全額を事務所に持つていつた旨証言している。証人大塚与曽吉、梅田輝雄、土谷正の各証言はいずれも信用できない。

〔二〕 給料支払明細書、源泉徴収票の記載について

(Ⅰ) 証人是石辰夫の場合

同証人の証言によれば、「月給は手続上だけは貰つたことにしてあつたが、実際には組合から月給は貰わなかつたこと。その際には中程には切取り線のある紙片で、その上部に月給額と源泉所得税とが書いてあり、そこに判をおしておつた。それは給料支払明細書は、上田虎象の同明細書(証六六四―六―八)と同一のものであつたこと。その明細書を貰つたときには下部の切り取と書いてある分はくついていて、そこには売上げに対する積立金額が書いてあつたか、組合から積立金を納めれば必要ないから下部の切取りは破つて捨てろと云われたので積立金を納めて破つて捨てたこと。」が認められる。

(Ⅱ) 証人宮永政雄の場合

同証人の証言によれば、毎月給料支払の時に木下や横尾事務員が来て運営費や源泉徴収税を取り立てていつた。その日が給料日であつたこと。給料という名目の現金は呉れないで給料明細書だけ呉れていたこと。給料は本当は貰つてないが、受領の印を押していたこと。明細書を貰つた後売上金から給料相当額を控除して費消したこと。が認められる。

(Ⅲ) 証人西村力太郎の場合

同証人の調書によれば(現金プールをやりだした頃も含めて)三日月が日報綴りと積立金だけ徴収して月給はくれずに月給を呉れたという支給書を渡していたこと。

(Ⅳ) 証人上田虎象の同人の給料支払明細書、源泉徴収票(証六六四)については既に第二節、第三項、第二点 第二〔二〕(Ⅲ)において認定説示したとおりである。

(Ⅴ) 証人三日月弘之(事務員)の処理について、

同証人の証言及び調書によれば積立金集め給料計算書を渡し、日報の経費欄に給料を記入し、集金台帳か給料支払台帳に組合員の印を貰つていたこと。かつ、上田虎象名義の給料支払明細書の昭和25、6月~8月分(証六六四―六―八)は右三日月証人が記載したものであり、「本日の実績」の積立金の横に押した印は、三日月証人の父の実印であることが認められる。

(Ⅵ) 認定

右認定したところは、第二節において小倉地区の給料支払明細書の記載と交付につき論じた事実と併せ考えれば、給料支払明細書は所定の月給額、源泉徴収税額を切取線より上部に書き、その下部には、「本日の実績」として積立金が記載されており、その積立金の横に事務員が押印して、その明細書(現物は細長い一枚の紙片である)を積立金と源泉徴収税相当額を組合が徴収したときに交付していたことが認められる。給料に相当する現金は各組合員各自が自己事業所の売上金から控除する仕組になつていたのであるから、右明細書は給料の支払を表明するために交付されていたのではなかつたと云うことができる。

〔三〕 賃金台帳の記帳押印について

(1) 証人三日月弘之の証言及び調書によれば積立金を徴収し、給料支払明細書を交付し、その際賃金台帳に給料支払の印として各組合員に押印させていたことが認められる。

(2) しかして賃金台帳(証二九七七)の記載を検討すると、同帳には昭24、12日分~昭和25、8自分の各組合員の氏名と給料額とその支給月日と受領とを証する各組合員の押印とがあることが認められ、かつ右組合員中には京築地区の組合員名がほとんど全部列記されていることが認められる。

そこで、証人三日月が組合員に給料の受領印を押させたという賃金台帳は右証二九七七の帳簿であることが推認される。

(3) 右のことは、証人三日月の証言により同証人が作成したことが認められる。回章(証六三五―二〇)に、

「昭和25、8、8(回第四号)京都地区協議会開催通知、一、日時八月九日午後八時二、場所、行橋町稲荷座横ベニヤ山際久兵衛氏宅、附記七月分給料支払及積立金収集を致します故印鑑御持参下さい。」記載とされているところから、右回章に云うところの印鑑は、賃金台帳に、給料の受領印を押印するために持参させていたものであることが認められるのである。

第三 組合員の現金の管理、使用の実態

〔一〕 各組合員の場合

(1) 証人上田虎象

同証人の調書によれば、給料は形式だけで、ほとんど無関心であつたこと。形式的にもせよ余り安いと税務署から摘発される虞れがあるので昇給して貰つたことが認められた。

(2) 証人宮永政雄

同証人の証言によれば、実際は本当の月給取りではないことを知つていたことが認められ、

(3) 証人大塚与曽吉

同証人の調書によれば、売上金の中から積立金と源泉所得税相当額を支払つた残額より月給所定額を控除した分は一応運転資金ということになつていた、が所定の月給額では生活できないので、その都度売上金を費消していたこと。之は元来個人の金だから生活費につかつても問題にしていなかつたことが認められ、

(4) 証人椎木五郎

同証人の調書によれば、給料は世間態もあり、その筋さえ通つておれば、良いと思つただけで、之で別に生活するつもりはなかつた。生活費がこの所定額の範囲でたりないときは、組合より返して貰つた金で生活していたことが認められ、

(5) 証人中野誠治

同証人の証言によれば月給は組合から貰わずに売り上げ金をその都度自由に出して使うという仕方で生活していたことが認められ、

(6) 証人西村力太郎

同証人の証言によれば、

(A) 売上げ金と生活費の区別をつけず、自由にその都度売上金から生活費をつかつたこと。生活費は日報にかかぬこともあつたので日報の現金残高と実際の現金高が合わなくなつていたこと。

(B) 月給は前借りということで、売上げ金を使いこんでいたので、日報上は月給を貰つたことになつておるが、月給は貰つていないこと。

(C) かりに月給額をふやして貰つても、収益が上がらなければ何もならぬし、組合としては自分で働いて自分でせろという様な態度であつたこと。が認められ、

(7) 証人吉田要

同証人の証言によれば、

(A) 給料は、源泉徴収税がかからない位の程度できめられているようであつたこと。私の場合多少の同徴収税がひかれていたこと。給料はかりに高く決められても別に組合から支給されるのでなく、名目だけのものだからどのように決められても構わなかつたこと。

(B) 生活費は、店の売上金の中から、その都度出して使つていたこと。が認められる。

〔二〕 右以外の証人については、この点についての明確な供述は認められない。また右証人とは相反する供述も存する。しかし、既に第二項で認定したように、被告人森原、同木下、土谷正三日月弘之等が各組合員の加入に際して、

「積立金と源泉所得税相当額を月末に日報と共に出して貰えば、この分を除いた残りの売上金が月給と運転資金ということになる。組合は積立金を貰うだけで売上の残額は全部組合員のものである旨の説明していたことからすれば、この説明の内容と、右〔一〕において認定した諸事実とは表裏の関係に立つものであつて、この両者は本地区組合員の売上金の管理、使用の常態を示しているものと解することができるのである。 前掲各証人の事例を誤解、専恣その他の理由による特殊例外の場合とは断じ得ない。

第四 結論

以上認定したところからすれば、本点の期間における現金の管理、流通.還元の実態は、第一において認定したように、組合員の事業所を還流するだけであつて、組合に対しては積立金源泉徴収税額を支払うにとどまり、組合から組合員に放出融通される現金もなく、組合員相互間においても組合の名において交流する現金はなく、全くその事業所は個々に、従来の個人営業と同一の収入、支出の関係において、つまりその組合員の利害得失の危険負担において売上金の処理が行われていたものであること。そしてその実態に対する記帳の関係は、観念的には月給所定額と運転資金の区別はあつたにせよ、現実には、区別せず使用せず使用できる状態であつた。給料の支払については、組合は各目的形式的に給料支払明細書を組合員に交付し、賃金台帳に受領の押印をさせたこと。本点の期間では、組合は、積立金、源泉所得税相当額を徴収した残額についてはほとんど放任の状態であつたこと。

このことは第二項で認定したように被告人森原、木下、土谷、三日月の加入後の売上金の処理の説明どおりであり、右認定にかかる事実は右説明を充分に裏書するに足りるものであつたと認めざるを得ない。

第三点 昭和25、10月以降昭和27、10月頃迄の実態(いわゆる「現金プール」の期間)

第一 被告人森原、同木下の現金プールを初めるにあたつての説明

〔一〕 昭和25、8、19の地区協議会について

(1) 回章綴(証六三五)の中「昭和二十五年八月十九日、地区協議会開催のお知らせ“回第四号”」(証六三五―一九)は、証人三日月弘之の証言及び調書によれば、同証人の起案したものであるあることが認められ、それには「議案一、各事業場残高ヲ一応支部ニ吸上ゲ後更ニ各事業場ニプール(近戻)スル件」なる記載が存在し、証人是石辰夫、宮永政雄、椎木五郎、山際久兵衛、上谷正の各証言によれば、いづれもこの回章第四号を読んでおり、且右会合に出席したものもあることが認められる。

(2) しかして証人是石辰夫の証言によれば、右の会合において、組合側からなされた説明の要旨は、右のプールするとは、各組合員の日報上の手元残高の金額全部を持つてゆくと、支部はその金額の中からその人の源泉所得税と積立金とを差引いて、残額全部をその翌日か翌々日位に小切手で、それぞれ組合員に返すことであること。なぜそのようにするかというと、組合は法人組織の様にもつていているので、個人営業と違つて組合の中で、例えばAが赤字でBが黒字であれば、黒字のBから赤字のAに融資したように帳面上はしなければならないからであるが実際には黒字の店から赤字の店に融資する様なことはしないという話であつたこと。之に対し組合員は、手続が面倒になるとは云つていたが、実際にそういうことをしたからと云つて自分の金が減るわけでもないので、とかく云う人は居なかつたこと。が認められる。

(3) そうすれば、昭和25、8、19日頃には、京築地区においては、現金プールを行つたことにつき議論や説明が行われており、その内容は右(2)のごときものであつたことが認められる。

〔二〕 昭和25、9、21行橋地区総会について

(1) 回章綴(証六三五)の中「昭和二十五年九月二十一日“回第六号”共栄企業組合京築支部の組合員宛

行橋地区総会開催通知」(証六三五―一二)は、証人三日月の証言によれば、同人が起案したものであることが認められるところ、右文中には「一日時 九月二十一日午後七時、二、場所 行橋町新国道山際久兵衛宅、議案一、北九州地方評議員会報告、二、企業組合に対する国税庁、通達事項に関する件、四、現金プール(各事業所、現金残高を確認、現金を事務所より金融機会を経由各事業所に返戻)の件。」なる記載が認められ、右三日月証人の証言により、同証人が見て編綴したと認められる回章綴の中右通知に添附した「北九州地方拡大評議員会(証六三五―一四)には「一九五〇、九廿三、議題 3、現金プールの件議案要旨 (3)現金プールの件 (イ)九月卅現在の現金残高を点検す。(ロ)十月より月一回以上現金プールす」るなる旨の記載が認められ(同文同紙証六三三二―七)なお「北九州地方拡拡大評議員会報告」(証六三三―二六)によれば、右会合の場所は北九州地区協議会の事務所二階において行われており、その報告中「四共同現金計算の件 (1)九月卅日現在の現金残高の監査 (2)十月より現金の共同計算をする。六、総会開催の件、小倉廿六日、京都廿一日、築上二五日なる記載の存することが認められる。

なお証人宮永政雄、是石辰夫、梅田輝雄、椎木五郎、西頭勝三、山際久兵衛、豊守親の各証言によれば右回章第六号はいづれも見ており、かつ右の中右の地区総会に出席した者もあることが、認められる。

右認定した事実よりすれば、昭和25、9、20小倉市の本組合北九地区協議会事務所二階と北九州地方拡大評議員会が開催され、その会議において、現金プールを昭和25、10、1以降実施することが決議され、その点につき京都地区では同月21日に、築上地区では同月25日地区総会を開催すべきことが決議され、京都地区の組合員には、同地区の事務員三日月弘之が昭和25、9、20総会開催の通知の回覧を起案して各組合員の回覧に附し、右日時山際久兵衛方で地区総会が開催されたことを認めることができる。

(2) しかして証人椎木五郎の証言及び調書によれば、右会合には被告人森原春一、同木下仙友の二人とも出席したこと、そしてこの両被告人が現金プールのことにつき、今度国税庁から九原則がでるとかで、今迄の様に売上から積立金と源泉所得税だけを持つて来て貰うことはできなくなつたので、以後は月初めに日報上の月未現金残高を全部持つて来てくれ、実質は今迄と何ら変らない。積立金や源泉所得税や日報代を組合にもらつた残り全部は従来通り組合員に渡すが今度からはこの金は小切手で渡すことになる。ところでその場合組合員の中で赤字営業になつている人、現金残高が月給額に満たない人がある場合がそれを補填するか、組合が差引いた残高が月給額より多い人の分を廻してやるのが本当だが、そのことは仲々むずかしい問題で個人々々の問題であるから、実際に廻すことはむずかしいという旨の説明をしたこと。むずかしいとは、本組合の実体は各事業所とも事業主が営業主であり、各営業は個人事業であつて、売上金は個人のものであるから、之れを他人に廻すことは、むずかしいという趣旨の説明をなしたこと。本当の現金プールであればそのような場合余分な金を他の人に廻すことであること説明も受けたこと。を認めることができる。

(3) 右認定したところよりすれば、被告人森原、同木下の現金ブールについての認識は

(イ) 方法的には手持残高現金を一応組合事務所に持つて行くが、実質的には現金プールを実施する以前と現金(売上金)の管理、流通、還元はかわらない。

(ロ) 組合との流通には小切手によること。

(ハ) 月給額だけ売上のない事業所、赤字の事業所には、本来の現金プールであるならば、組合自体の金か又は余裕金のある事業所の金を廻してやるべきであるが、本組合の実体は各事業主が営業主であり、各営業は個人事業であるからそのことを考え合せるとなかなかむずかしい問題であること。

(ニ) このような現金プールを初めるようになつたのは直接的には九原則が国税庁からでるためであることであつたということができる。

〔三〕 しかして証人三日月の証言により同証人が起案したことが認められる回章綴の中「昭和二十五年九月二十六日“回第七号”現金共同計算(現金プール)日時変更通知」(証六三五―九)によれば「一、九月二十一日の総会で決定した現金共同計算日時十月一日午前九時から午後三時迄は……都合によりまして、◎十月二日(月曜日)午前九時から午後二時迄、場所、行橋町魚町土谷氏方当組合事務所にて実施のことと致しましたから御了承下さいなる旨の記載が認められるところからの地区総会において現金プールを実施することが可決され、第一回の現金プールを十月一日と決定していたところ十月二日に変更したことを認めることが出来る。

なお、証人是石辰夫の証言によれば右第一回現金プールの日時を変更したのは、十月一日月曜日であつて銀行が休みで、小切手をその日に振出し、その日に現金化するには日曜日は不便であつたことが推認できる。

第二、現金プールの一般的実態

〔一〕 一般的実態について

(1) 証人梅田輝雄の証言によれば、現金プールは日報上の手元残金を組合に持つて行くと組合はその中から積立金後に運営費となつたものとかなんとかをとつて、初めは月給として現金で、後には小切手で差引いた残額全部を返してくれた。組合で差引かれた残額が日給より多ければ、その多い額だけを運転資金で返したことが認められ、

(2) 証人中野誠治の証言によれば現金プールでは「手元残金を持つて行くと組合の人がそれを調べてその中から以前には積立金といつていた運営費を差引いてその残額を月給運転資金で全部返して呉れたことが認められ、なお、「多くもつていつても少くもつていつても運営費だけは差引かれた」ことが認められる。

(3) 証人宮永政雄の証言及び調書によれば、現金プールでは「プールの前日の日報上の現金残高を現金で組合に持つて行き、組合で源泉所得税、運営費、日報代、新聞代を差引いて残金は月給額を額面とする小切手と運転資金という名前になる金を額面とする小切手の二枚で持つて帰ることだと土谷から説明を受けたことが認められ

(4) 証人未松文蔵、甲斐忠雄、亀田昱太郎、椎木五郎、是石辰夫、花田厚治、上田虎象、大塚与曽吉の各証言及び各調書によればいづれも右(1)~(3)と同趣旨の事実が認められる。

〔二〕 認定

(1) 右(一)に認定した事実からすれば京築地区における現金プールの一般的実態は、

(A) 現金プールの日にその前日の日報上の現金残高を現金で組合事務所に持つて行くと、組合では源泉所得税(積立金の名称のかわつた)運営費、日報代、商工新聞代を差引くこと。

(B) その残額全部を月給、運転資金名目で返還していたこと、返還の方法としては、月給は初めは現金でのちには小切手で、運転資金も小切手又は現金で返還してくれたことであつたということができる。

(2) 右認定した京築地区の現金プールの一般的実態は、先に認定した小倉地区の一般的実態(第二節第三項第三点第二と全く同一である。

このことは既に認定したように京築地区は昭和27、4月に福岡県支部の設置により同支部に直属するまでは、小倉の北九支部に属していた点からも肯認できるし、京築地区の現金プールの事務を担当し、かつ指導していた三日月弘之、土谷正(いずれも各証人の証言による)は、小倉において現金プールの実際のやり方の指導をうけ、また小倉の現金プールの事務をとつていた。事務員横尾多須子は、支部補助簿(証一五〇二)の用紙に組合員の名前をかいて京築地区の現金プールに被告人木下仙友と共に事務の応援に来ていた(証人三日月の調書及び証言による)ことが認められることからも当然と云わなければならない。

第三 支部勘定補助簿(証一五〇二)の記載について(昭和26、3月以降 昭和27、3月迄の現金プール)

〔一〕 現金プールのとき事務所に持つていつた日報上の手持現金残高から運営費、源泉所得税等を差引いた残額が月給と定められた金額より少なかつた場合に月給所定額どおり支給されていたかどうかについて、

(1) 各証人の場合

(A) 証人上田虎象の証言によれば、「そのときは組合から積立金を差引かれて、その残額だけを月給として足らぬまま持つて帰つて居つた」こと、

(B) 証人末松文蔵の証言によれば「月給より少い売上金を持つて行つた場合月給所定額は貰つていなかつた。運営費は率通りひかれ、源泉税も引かれ、それらを差引いた残りを少いときは少い儘返して呉れていた。少いときは売上月給みたいなもので店の売上で生活していた。」

(C) 証人中野誠治の証言によれば「少いときは月給額だけは貰つていなかつた。それを変に思つたが、月給なんて形式的であつたのでどうでもよかつたし、形式的だから云つてみたところで、どうにもならぬので、云わなかつた」こと。

(D) 証人亀田昱太郎の証言によれば「そのようなときは、決められた月給額は貰つていないと思う。そのときでも運営費は引かれていた。月給所定額に不足する分は満して呉れなかつた。営業上赤字を出しているので貰えないと思つた」こと。

(E) 証人宮永政雄の証言によれば「少いときも運営費を引かれた。給料としては、足りない金額のまま持つて帰つたが、給料明細書には給料という名目の決つた金額が記載されていた。

給料は貰つたことにして賃金台帳に判をおした」こと。

(F) 証人梅田輝雄、西頭勝三の各調書によれば、「少いときは月給所定額どおりの金額は貰わなかつた」趣旨のこと。

が認められる。

(2) 右各認定したところを綜合すれば、現金プールの日に日報上の手元現金残高を持つてゆき、その中から運営費等組合が差引くべきもの差引いた残額がその組合員の月給所定額に満たない少額であるときは、その所定額どおりは支給されていなかつたことが認められる。

このことは先に現金プールの一般的実態として認定したように、現金プールに持参した現金は、その中から組合が差引くべき運営費等を差引いた残額は、月給、運転資金の名目で当該組合員に返還していた実態の中の一形態と認められるのであつて、すなわち、当該組合員に返還すべき残額が形式的に設定されていた、月給額に右の場合は不足していたにすぎないので、残額全部を返還するという趣旨においてはかわりはないのである。

要するに、組合員は、現金プールに際しては、組合員の持参した現金の中から運営費、源泉所得税相当額ときには、日報代、新聞代を差引き、残額を全部当該組合員に返還していたにすぎず、その残額が月給所定額に不足する場合でも組合は自身の金を補填しなかつたと共に、他の事業所の金を廻すこともしなかつた。つまり当該組合員の現金(売上金)は当該組合員の事業所のみで還流していたにすぎなかつたといわねばならない。

〔二〕 支部勘定補助簿(証一五〇二)の記載方法、その記載と実態の関係については、小倉地区の現金プールの判示の際に、第二節第二項第三点第三、第四において詳論しているとおりである。

ところで、右証一五〇二の支部勘定補助簿は昭和26、3~月昭和27、3月分の北九支部の現告プール実施表を編綴したものであつて、この中には、京築地区の右期間中の現金プールの実施表も併せて編綴されており、その様式、記載は小倉地区のそれと全然同一であることも右記載自体から認められる。かつ、既に認定したように京築地区は、右期間の間は北九支部に所属しており、北九支部と同一様式の現金プールを以つて開始しているのであるから、右同一様式の用紙を用い、同一様式で記載しておることが認められ、なおその上に第二と第三の〔一〕で認定した京築地区の現金プールの実態(この実態も小倉地区の実態と全然同一であることは既に認定したとおりである)及び証人西頭勝三の右補助簿の記載についての調書の供述も併せ勘案すれば右期間中の京築地区の現金プールに関する記帳と実態との関係は小倉地区の同関係と全く同一であると推認することができる。

〔三〕 そこで右支部勘定補助簿の記載の方法及びその記載と実態との関係については第二節第三項第三点第三、第四において、詳論したとおりで、右説示に基ずく方法により京築地区の組合員の現金プールの実態を、

(イ) 事務所に持つていつた日報上手持現金残高から、組合が差引くべき運営費、源泉所得税日報代、新聞代を差引いた残高が、月給所定額より少いために月給所定額どおり現金又は小切手を貰わなかつたにかかわらず、右補助簿の上では、所定額どおり支給されたように記載されている組合員と、

(ロ) 事務所に持つて行つた日報上の手持現金残高から組合が差引くべき運営費等を差引いた残額が多額であつて、その中から月給所定額及び運転資金名目額を控除してもなお残額が生じ、その残額は、月給名目でも又は、日報の収入の支部勘定に計上さるべき運転資金名目金でもなく、いわゆる無名目の金として当該組合員に返還されているにかかわらず、右補助簿の記載では、その無名目の残額は組合に保管されているか、他組合員に廻したようになつている組合員とを分類すれば次の通り認定することができる。

<省略>

〔四〕 認定

(1) 右の表からすれば、毎月の現金プールに参加した組合員のほとんどすべてが、(イ)か(ロ)かに属していることが認められる。しかして、右補助簿に列記の各組合員個々を検討するとある組合員で或る月は(イ)であるが他の月は(ロ)であり全組合員が(イ)の場合も(ロ)の場合もあつたことが認められるのである。

(2) 以上よりすれば、右昭和26、3月以降昭和27、3月迄の京築地区の現金プールの実態は、先に一般的実態の項で説示したとおり、各組合員の各事業所の現金(売上金)の管理、流通還元は当該事業所のみで還流していて他組合員との間にも、又組合との間にも(組合が差引くべき金額を除き)なんら流通、放出される現金はなかつたにかかわらず、支部勘定補助簿には月給所定額を実際支給していないにかかわらず支給したように記載されており((イ)の場合)又は売上の余剰金を実際は当該組合員に日報にも記載しない無名目の金として返還しているにかかわらずその分を組合に保留したか、他組合員の月給又は運転資金として返還したような記載がなされており((ロ)の場合)しかもその(イ)(ロ)の場合は京築地区の現金プールにおいては稀小なことではなく(イ)(ロ)のいずれかであることが常態であつたと断定することができるのである。

(3) さらに右の中で、(ロ)の場合につき論ずると、小倉地区の現金プールの説示のところで無名目の金mとして詳論したように、(ロ)において生じた金額は他組合員の月給又は運転資金として融通されたことになつている金額であるので当該組合の日報上では、たとえ運転資金として使用する場合でも之を収入の支部勘定欄にはかかないことになつており、実際は営業にも生活費にも費消されていたことは、小倉地区で判断したとおりである。なお(ロ)において無名目の余剰金として当該組合員に返還された金額と(イ)において支給されていないにかかわらず所定額の月給を支給されたようになつている。その不足額とを対比すると右余剰金は大部分他組合員の給料の補填分として補助簿に記載されていることが推認される。そうだとすれば、右余剰金は他組合の月給の不足分の補填として記帳上処理されているにかかわらず、当該組合員に返還されている関係上、組合の帳簿においても営業面の資金からは消え、当該組合員の日報上の支部勘定にも記帳されていないし、融通をうけたことになつている他組合員の日報にも記帳されない金額ということになり、つまり本組合のどの記帳からも消えてしまつた。売上金の脱漏であるということができるのである。

なお、右無名目の金が売上金の中から生ずることは、日報の記帳を不正に記載するということとは別問題であり、日報の売上、仕入、経費の各記帳をいかに正確に記帳していても生ずるのである。それは支出の支部勘定と収入の支部勘定の間で操作されることであつて、他の記帳とは直接的な関係はないからである。

之を要するに、前掲(ロ)の場合は現金プールを担当した事務員と当該組合員の間の双方の認識の下になされた当該組合員の事業所の売上金の脱漏であると断ぜざるを得ない。

第四 小切手による操作について(昭和27、6月~昭和27、10月頃迄の現金プールの実態)

〔一〕 昭和27、3月以降は本件とは直接には関係はない。しかしながな本組合は、昭和28、9、30に解散するまで一つの組織として存続した団体であるので昭和26年分の実態を判断するにつき昭和27年分の実態を究明することは極めて有力な判断の資料になりうるとと云うべきである。

そこで、その実態を、小切手帳控の記載、小切手の記載及び実際の受取人の各関係を次のとおり表示する。

記載使について

(1) 「支、支」とあるは、支出の支部勘定欄を収、支とあるは収支の支部勘定欄を意味する。

(2) 「証言」とあるは、最上部に記載した証人の証言を意味する。

(3) 「摘」とあるは、摘要欄を意味する。

(4) の各年月日はいずれも振出年月日を意味する

<省略>

〔二〕 結論

(1) 小切手の裏書と小切手帳控の記載について

(イ) 前段において多数の具体的事実を掲記して認定し、判断したように一枚の小切手にあつて、その控の摘要欄に記載されている小切手の受取人と勘定課目と実際の小切手の受取人(それは当該小切手の裏書人がほとんどである。)が相違している場合が昭和27・6月分~昭和27・9月分の現金プールにあつては前段に掲記のとおり存することが認められ、小切手帳控は組合に保管されるところ、その同一番号の小切手が誰に実際に手渡されたかはその控の下部欄外に記載されている名前によつて知ることができるようになつていたことが認められる。

右の事実から、小切手が持参人払であるから小切手控に記載された者が受取り、その者から裏書して現金を受取つている者に譲渡されたという主張は認め難い。なお、前記各証人の各証言及び調書から明らかなようにについては(小切手帳控に記載されている証人の場合)いずれも当該小切手を受取つていないことが認められ、については、(小切手に裏書した証人の場合)当該小切手を直接に受取つていることが認められ、の同一小切手の控と裏の各人の間には小切手の授受は勿論営業上の取引はなかつたことが認められるのであるから、右のような主張は到底容れる余地がない。

(ロ) 右のように控と裏書の記載の相違している場合は、単に前段に掲記説示した場合のみに限られるのではなく、小切手帳控(証六三八)の欄外の各記載により検討すると、各月現金プールに使用されたと推認される小切手帳控の中、控と裏書との記載の相違すると推認される小切手の数は次のとおりである。(一冊の小切手帳は五〇枚であるが各冊とも二四枚程度の書崩しが存する。なお左記の数には(二)に掲記した小切手も含まれている。

<省略>

なお、現金プール調査事績(証三〇〇四)によれば〔二〕のに相当する小切手を受取つた組合員の中には京築地区の指導的地位にあつた土谷正や、豊守親、西頭勝三(同証人の調書によれば右認定事実と同一のことが認められるも)そうであることが認められる。

(2) よつて、按ずるに昭和27・6月~27・9月分の各現金プールにあつては、

(イ) 組合員が月給所定額に満たない日報上の手元現金残高を組合に持つてゆくと、組合では、組合が実際に受取るべき運営費等を差引いた残額を、月給所定額に不足するまま当該組合員に返還していたにかかわらず、組合の帳簿では(小切手の控に支給したように記載されている以上組合の帳簿に支給したように記載されており、給料袋にも支給されたように記載されていたということは充分推認することができる。)

その不足分を組合が他組合員の余剰金を融通して補填したように記載されていたこと(この帳簿は、賃金台帳(証一七五五、証二九七七)の存在から前示期間にも賃金台帳が存在していたことが確認されるし所得税源泉徴収簿(証六三九)の存在からも推認できる。給料支払明細書の架空記載については、前示証人上田の調書により認められる。)

(ロ) 右(イ)と反対に現金プールに組合員が持参した手元現金残高から、組合が差引くべき運営費等を差引いた残額から、さらに当該組合員の月給所定額、運転資金を控除してもなお残金がある場合、その残金は(イ)の場合の他組合員の月給不足額の補填分として組合の帳簿上記帳されているにかかわらず、実際には当該余剰金は当該組合員に現実に返還されており、かつ、その金はその性質上、他の組合員の月給額として組合においても当該組合員においても形式上支給されたことになつている組合員においても記帳されていない関係上、いずれの記帳にもない無名目の金であつて、帳簿上(日報を含む)では売上金の脱漏を前記のように記帳を操作糊塗していたこと。

(ハ) 右のような操作は、土谷正、豊守親、山際久兵衛、梅田輝雄、花田等京築地区の幹部に属する者も含めて多数の組合員によつて行われていたことが充分に推認できる。

第五 昭和25・10月~昭和26・2月迄の現金プール

(1) 京築地区の現金プールは、昭和25・10・2に昭和25・9月分から開始されたことは既に設定したとおりである。

ところで昭和25・10月~昭和26・2月迄の現金プールについては右第三、第四においては、直接的には認定していない。

(2) しかしながら、証人三日月弘之の証言及び調書によれば

同証人は、昭和25・12月迄京築地区の現金プールの事務を担当しており、その事務に際しては支部勘定補助簿(証一五〇二)と同様な用紙にその内容を記載して処理しており、また小倉の事務員横尾多須子が現金プールの応援に来たとき、右支部勘定補助簿と同一の用紙に組合員の氏名を書いて持つて来たこと。

が認められたところから右期間の現金プールの実態も、第三において認定した昭和26・3月分以降の現金プールの実態と同様であつたと解することができる。

第六 結論(昭和25・10月以降昭和27・10月迄)

(1) 本点第一~第五において詳論したところを綜合すると、

(A) 昭和25・10・2以降は、各組合員の各事業所より生ずる現金は従来どおり、当該組合員がその事業所で管理しており、毎月一回「現金プール」する仕組になつていたこと。

(B) この「現金プール」とは、各組合員は日報上のその前日の本日現金残高に相当する現金を組合にもつてゆき。組合はその現金の中から運営費、源泉所得税相当額、日報代、新聞代等を差引き、その残額を給料名目額、運転資金、又は無名目の無記帳の金の形で全額当該組合員に還元されること」であつたこと。

(C) 右のように、残額を全部当該組合員に還元することを立前としていた関係上その残額がその組合員の月給所定額に不足する場合でも、不足するままその残額を当該組合員に還元するだけにあつたにかかわらず、組合における記帳支部勘定補助簿、給料支払明細書、小切手帳控、所得税源泉徴収簿等)では恰も所定額どおり給料が支給されていたように記載されており、組合員もその架空の所定額の給料を受領したように印を押していたこと。

(D) その反面、残額から当該組合員の月給所定額及び運転資金を控除して、なお余剰がある場合、当該余剰金も勿論当該組合員に還元されていたにかかわらず、その金は、組合では、(C)においてのべた他の組合員の月給不足額に融通補填されたように処理されているのが大多数であり、当該組合員に対しては他の組合員に廻したことになつているから日報にはかかないように指導し、右無記名目の余剰金を受取つた組合員も之を日報等には記帳しないことになつていたこと。つまり当該組合員にとつては実質上売上金の脱漏として之を受取り、その使用は、営業用のみならず生活費にも使用されていたこと。

(E) 右(C)。(D)の場合は、昭和25・10月以降昭和27・10月迄を通じて稀少な事例ではなく毎月の現金プール毎に(C)であるか(D)であるかが常態であつたこと。

第四の小切手による操作については、第四において説示した具体的事例は京築出張所の中の行橋地区の分についてであつたが、このことは行橋地区のみではなく、第一項でのべたように昭和27・4月以降は行橋地区、椎田地区、吉富地区、中津地区を含めて京築出張所となり同一事務員によつて右四地区の事務は処理されておつたことが認められ、又第三で説示した昭和26・3月~昭和27・3月迄の現金プールは右四地区をすべて含んでおり且、全然同一様式の支部勘定補助簿により事務が処理されて来ていたことが認められるのであるから、昭和27・4月以降の行橋地区以外の三地区の現金プールも又行橋地区と同一様式であつたということが充分に推認されるのであり、従つて右三地区においても小切手による操作が行われていたと断定することができること。

現金プールにおける右のような実際の現金の流通と記帳の不一致の実態につき京築地区の現金プールに参加した組合員及び事務員は互に充分に認識していたこと。

が認められるのである。

(2) 現金プールの実態が右(1)のとおりであつた以上現金プールを実施したからといつて組合員の現金の管理、流通、還元の実態は、現金プールを開始する以前の現金の管理、流通、還元の実態と本質において全然同一であり、組合事務所が現実に受取り処分することができる金は運営費(又は積立金)源泉所得税相当額ときに日報代、新聞代(之以外に加入のとき加入金と、出資金)にすぎなかつたのであつて、残額は名目はなんにせよ当該組合員の管理、使用に全く委せられていたと云うことができるのである。

それのみならず、組合は組合の帳簿、月給袋、給料支払明細書、源泉税徴収簿の各記帳を故意に糊塗して、恰も組合と組合員、組合員相互の間に給料名目、運転資金名目で現金の流通があつたように仮装しており、その上に、組合員と相通じて日報の支部勘定の記載支部勘定補助簿の記載小切手の記載を操作し、組合員の営業上の記帳から売上金の脱漏を容認していたといわざるを得ない。

第四点 借入金処理の実態

第一 借入金と日報の記載

(1) 日報の上での借入金の記帳方法については、日報の様式が本組合にあつては画一的な同一様式であるところからその縦書式(昭和25・9・30迄)のときの記載の方法も横書要式(昭和25・10・1以降解散迄)のときの記載も小倉地区についてなした判断(第二節、第三編、第四点、第一)と夫々同様な方法により記帳されていたことが推認できる。

(2) なおその点につき、日報の記載者の証言を徴すると、

(A) 証人椎木五郎の証言によれば

(a) 日報、昭和25・9・8(証七三八―五―八)「収入」の「借入金」欄……一〇、〇〇〇円

(b) 同昭和25・9・30(証七三八―五―二九)「支出」の「その他」欄「借入金返済二、五〇〇円」

同 「経費明細」欄に「借入金利子西日本九〇〇円」

(c) 同昭和25・10・7(証七三八―六―七)「支出」の「その他」欄「借入金返済五、〇〇〇円」

「備考」欄「その他支払五、〇〇〇円は九月八日の借入金返済」

の各記載につき、

「これは私個人が西日本無尽から借りた金の利子返済の記載と思う」旨のことが認められるところから、縦書様式の日報における借入金記載の方法が右のようであつたことが認められる(昭和25・10・7の「その他」欄の記載は、次にのべる記帳方法と異るが、この頃は日報の様式が変つたばかりのころであつて、右の記載は縦書様式の頃の記載方法により記帳されており、本組合において統一していた記帳方法ではなく、之は椎木証人の記載の誤謬と認められる。

(B) 証人甲斐忠雄の証言によれば

(a) 日報昭和27・8・2(証七五三―一〇―二)「支出」の「支部勘定」……五〇〇〇円

(b) 同 昭和27・8・31(証七五三―一〇―三二)「収入」の「支部勘定」……五〇〇〇円

「備考欄」……支部勘定の五、〇〇〇円は久保田様貸付金返還金

の各記載につき、

「八月二日の五〇〇〇円の支出は久保田に貸付けて八月三十一日に返えして貰いそれを収入勘定に記載したものであることが認められ

(C) 証人宮永政雄の証言によれば、

日報昭和26・1・2(証七三二―一二―二)「収入」の「支部勘定」……四五〇円

「支出」の「掛買現金支払」……二三、六七〇円

「備考欄」……手持現金を借し支払金は稲熊商店

の記載につき

「四五〇円は私の給料として貰つた金額の中から四五〇円を出して稲熊に払つたと思う。その記載からすれば私個人が組合に四五〇円貸したことになつている。ことが認められるところから、横書の様式になつてからは、借入れした場合は収入の支部勘定欄に(貸付金が帰つて来たときも同じ)返済した場合(貸した場合も同じ)は「支出」の支部勘定欄に記載していたことが認められる。このことは小倉地区において具体的事例につき判断したところと全く同一の様式であるといえる。

第二 借入金の借り入れと、返済の実態

(1) 証人梅田輝雄、一木三十四、綿井亀之助、一ツ松光雄、武内義路、泉正春の各証言によれば、一応は、借入金は

個人の信用で第三者から運転資金を借入れ、それを組合事務所に貸し、それを又事務所から借りて使用し、その事業所の売上金から事務所に返済し、事務所から又個人に返済をうけそれを第三者に返済していたかのごとくである。

そして、小切手帳控(証六三八)の摘要欄の記載や、証人甲斐忠雄の証言によれば、その金を一旦組合事務所にもつてゆき、事務所からは小切手で借りたようにしていたことが認められる。

(2) しかしながら、証人西頭勝三の調書によれば「昭和27・4・9に組合から私方が金十万円を借り入れた様にして組合から額面一〇万円の小切手一枚を貰つたが、之は私が同年4・3に行橋信用組合から一日三五〇円日掛貯金に加入と同時に現金一〇万円を私個人で借りて、この金を同年4・9に組合に渡し、それと引換に一〇万円の小切手を受取つたものであつて、実際は私が個人として行橋信用金庫から事業資金として借受けたものを、表面上だけ組合から一〇万円の事業資金を私の事業所に借入れたような形式を取つたものである。」ことが認められ、また、

事務員であつた証人三日月の証言によれば、一旦事務所を通じて小切手にして渡したのは、「個人名義で借り入れてそのまま自分で使うということにした場合は、それは組合の事業ではなく個人事業とみられるから」そのようにするにすぎないのであつて、小切手は単に形式的にその経過を記録するために使用されたものであることが認められる。

(3) さらに、(1)に列記した証人の中でも借入金の返済については、

(A) 証人泉正春の証言によれば「無尽を借りておつたので組合から事業所で払う様に云われ事業所で払つていた」ことを認められ、

(B) 証人武内義路の証言によれば事業所の成績が上つて払えるようになれば払う旨のことが認められるのである。

(4) 右(2)(3)の証言及び調書により認められる事実並に第一の日報の記載の様式からすれば、個人が第三者からその信用で所要の借入金をなし、その現金を一旦組合事務所に提出すると、事務所では、その金額に見合う小切手をその組合員に交付し、組合員はその金額を日報の収入の支部勘定欄に記載し、右小切手を現金化して費消し、之を返済する場合には、その組合員の事業所の売上金から直接第三者に返済し、そのことを日報には、支出の支部勘定欄にその金額を記載していたものであることを認めることができる。

従つて、組合の借入金の実態は、結局

組合員は、個人の信用で第三者から所要の資金を借受けて使用し、その返済は当該組合員がその事業所の売上金から返済していたにほかならないのであり、その債務者はあくまで組合員個人であり、その借入及び返済の責任はすべてその個人にあつたというべきであり、

(5) 日報は恰も組合事務所から融通され、また組合事務所に上納したように収入支出の支部勘定欄に記帳し、剰さえ、恰も組合事務所が資金を放出したかの如く、小切手の型態をとつて当該組合員に交付されていることは正に、証人三日月の証言するごとく全く「個人事業とみられること」を廻避せんがための方策であつたと断ずることができるのである。

第三 出資金の放出

証人土谷正、斎藤栄雄の右証言によれば、昭和27年の一斉捜査の前に理事会の決定に基き本組合の本部は出資金の中から資金五万円を京築地区に放出し、京築地区では之を仕入や運転資金に使用し、後本部に返還したことが認められる(第一八節で詳述する)

しかしながら、右出資金の唯一度の放出を除いては、昭和24・12月以降右一斉捜査に到るまで京築地区の事務所は、事務所自体で第三者から資金を借受けたりなどして、之を運転資金又は給料として組合員に融通又は支給した事実を認めるに足りる証拠は何一つ見当らない。

第五点 結論

第一 以上のとおり、本項点において認定した事実を綜合すると、京築地区における現金の管理、流通、還元の実態は、先に第二節第三頂第五点において小倉出張所の結論として述べたことと全く同一に帰着する。

前叙認定の如き現金の管理、流通、還元の実態と、記帳及びその両者の関係は、京築地区にあつて現金プールの事務を処理した横尾多須子、三日月弘之の各事務員は勿論、土谷正、豊守親、山際久兵衛、西頭勝三、梅田輝雄、花田厚治、斎藤栄雄の各組合員も又その実質を知つていたと認められる。

第二

右のような実態であつたればこそ。

(1) 「本当のところ組合の経営内容やら他の組合員の赤字を補填するなどについてはその当時全然考えていなかつた」(証人花田厚治の証言)

(2) 「売上金を自由に生活費につかつていた」(証人西村力太郎、吉田要、中野誠治の各証言)

(3) 「給料は源泉徴収額がかからない位の程度で決められているようであつた。(高く決められるがよくないか別に組合から支給されるのではなく名目だけのものだつたらどう決められようと構はなかつた」(証人吉田要の証言)(同趣旨、証人中野誠治の証言、証人上田虎象の調書)

(4) 「(残額か)少いときは売上月給みたいなもので店の売上で生活していた」(証人末松文蔵の証言)

(5) 「昭和25・9月に給料が一〇、〇〇〇円から七、三〇〇円に下つている)私の店の売上金額が少いので組合に持つていつた日報上の手許残高金額が少いために給料を下げて貰つた。それは実際は本当の月給取りではなかつたからである。」(証人宮永政雄の証言)

(6) 「給料だけでは生活できないので、組合から返して貰つた金で生活費に充当していた」(証人花田厚治の調書)

(7) 「私は別に月給というものの額は本当の月給取りになつたのではないからいくらにきまらうと大して問題ではない」(証人大塚与曽吉の調書)

(8) 「組合から決めてくれた月給等をはつきり知らないのも私の営業が私自身の営業でありますから、あまり関心がなかつたからである」(証人亀田昱太郎の調書)

旨の各供述はすべて真実を語つているものと解することができるのである。

第四項 加入時における資産処理の実態

第一点 組合員の加入時の資産処理の実態

第一 京築地区において加入した組合員につき、その加入年月日の順序に加入時の個人営業の資産、商品、(什器、備品、機械、器具)をどのように処理したかにつき判断する。(左記括弧の中は当該組合員の加入の年月日を示す)

(1) 証人梅田輝雄(昭和24・12・23)

(A) 証言によれば「本当に売るつもりでいたかどうかは記憶ない」旨の供述

(B) 調書によれば、昭和24・12・23小倉の本組合の事務所で加入し、その際被告人木下から棚卸表の用紙を貰い、帰宅して正月休みに一人で商品等の棚卸をやつて表をつくり、評価は私が見当でつけ、評価合計約四万円位あつた。

右表を昭和25・1・6、説明会のために私宅に来た被告人木下に渡した。木下や被告人森原は私のつけた通りの価格をなんにもいわず承認した。右資産は被告人木下から説明のとおり、組合に形式的に売渡したことにした。その売渡したことにした資産の買上証ともう一つの書類を組合から受取つたがこの書類の内買上証は紛失し、もう一つの書類は組合に返したとの趣旨の供述

(2) 証人上田虎象(昭和25・1・4)

(A) 証言によれば「資産は実際に売買するのかどうかわからぬまま、うやむやの中に加入した。」旨の供述(B) 調書によれば、「一応私の店の商品を棚卸したが、このときは小倉市の組合から女事務員が一人やつて来たので私と二人で商品を評価して目録を作つた。評価の基準は仕入価格でやり総評価々格は一万円余りあつた。」「私の気持としてはほんとうに商品を組合に引継いでいない。」「加入に際しては手持商品を組合に売渡したような形式にしているが実際には引継がず、私の商売に使つており、自転車修理要具、万力、ボール盤は加入のとき調査せず、従つて之等は組合に売渡したり貸したりした事にはなつておらず目録もつくらず、使用料も貰つていない。」との趣旨の供述。

(3) 証人宮永政雄(昭和25・1・3)

(A) 証言によれば「私だけで商品、備品を金額に評価して棚卸表を作り、組合から人が来たときに渡した。商品、備品が十万円位あつた。貸借対照表はつくらない。これらの営業用資産は組合に売渡す心算はなかつた。加入の時借用証を貰つたが脱退するとき組合に返した。」旨の供述。

(B) 調書によれば、梅田方で被告人木下に加入申込の手続をしたとき、被告人木下から営業用資産を引継いだようにするために、資産目録を作るようにいわれ、直ちに商品の棚卸をし、合計九万円位あつた。二、三日して被告人木下が来たのでその表を渡したら、木下は店の商品を眺めた位で一品毎の引合せはしなかつた。之に対する借用証はくれたが代金は貰つてない。この借用証には、商品や備品や什器の品目及び代金を記載し、合計額を借用すると書いて脱退の際には翌日から還すとかいてあつたと記憶している。これは脱退のとき現に、店にある商品や備品や什器は全部組合員のものになる約束であつた。だからこの代金については利息等は決めてなかつたとの趣旨の供述。

(4) 証人大塚与曽吉(昭和25・3・1)

(A) 証言によれば、菓子製造用具と原料を一応組合に買上げて貰らうようにするために、三人で時価で評価し棚卸表を作つて 組合に提出して組合に買上げて貰つた。組合から棚卸には立会はなかつた、組合から借用証をもらつた。しかし、組合に実際に売る積りはなかつた。私は、組合が法人であるので右の様にすれば当然組合のものになると思つていたとの趣旨の供述。

(B) 証書によれば、「棚卸について組合から評価の基準の指示もなければ立会もなかつたが、之は本当に組合が買取るのではなく、只形式上のことだから、組合でも我々にまかせてしまい別に重要視していなかつたのだと思う。勿論代金の授受はしない。組合からは借用証を貰つたが脱退した際に組合に返したとの供述。

(5) 証人吉田要(昭和25・3・15)

証言によれば「組合から全商品について棚卸表を作つて呉れといわれ用紙を貰つたが作らなかつた。組合は別に強く催促しなかつた。(つくらなかつたのは)私はどうせ形式的なものだからという気があつたからだ。貸借対照表も作らない。」旨の供述

(6) 証人椎木五郎(昭和25・4・1)

証言によれば、商品全部と備品、什器を私が自分で棚卸をして棚卸表をつくり組合に出した。その代金の借用証を組合から貰つたが利息の定めはなかつた。そのようなことで満足したのは、組合が脱退するときはそのまま返すというのでそれを信用していたし、形だけ組合に売つたことにするというような話を聞いた様な記憶もあるのて、それで出したのだと思う。」旨の供述。

(7) 証人是石辰夫(昭和25・5・15)

(A) 証言によれば、営業用の資産の棚卸はしたが、貸借対照表はつくらなかつた。それは書類上手続上、棚卸した資産の代金を出資したような形にした。それは手続上したのだから、組合から脱退するときはまた手続上返すということであつたとの趣旨の供述。

(B) 調書によれば、営業用の資産は組合に売渡したので、組合からは勿論その代金は貰つていないとの趣旨の供述。

(8) 証人西村力太郎(昭和25・6・26)

証言によれば、加入に際して資産の棚卸をした組合をやめるとき本人に買戻しさせるという条件付で売渡し、組合に売渡証をかき、預り証をもらつた。之に対し買い戻しが自由にできるし、売渡しは形式だけであつて代金は払わぬかわりあなたが自由にしてよいと組合から云われたので代金のことはなんとも思つていなかつたが、売渡証に判を押してからは、形式だけだと云つても、形式だけでは第三者には通らぬと思つたので、やめたとの趣旨の供述。

(9) 証人中野誠治(昭和25・7・15)

証言によれば、棚卸はしたが、営業用資産を組合に本当に売る気はなかつた。三日月の話では一応棚卸をして組合のものになるからと云われ、不安はなかつた。三日月の話の中に組合は買うという言葉はなかつたと思うとの趣旨の供述。

(10) 末松文蔵(昭和26・9・19)

(A) 証言によれば、代金は貰つていない。旨の供述。

(B) 調書によれば、「営業用資産の目録を小倉支所からきた二人の組合の人に渡したが、組合から来た人はこの営業用の資産は一応組合の財産ということにして登記するといつたので、私としては代金の支払も受けていないのに組合の財産ということで登記されては困ると不安な気もしたが、山際から営業資産は本当に組合がとるのではなく、従つて脱退する際には、いつでも返してくれるということを聞いていたので、これは組合が表面上買取つたという形にする為にこの様にしておかねばならないのだと考えた。

そのご組合員である人から電話を組合に引継いた事にしていた為、税金の滞納の差押の対象にならなかつた話をきき、組合は表面上買取つたという形にすることによつて、差押えの対象にならないようにしてくれるためだと合点がいつた。」旨の供述。

(11) 証人亀田昱太郎(昭和26・10・1)

証言によれば、事務員が来て呉れて、私と相談して機械器具、材料、テーブル、椅子等の備品を評価して棚卸し、棚卸表を作り一通を組合に出し、私も一通控を貰つた。買上げるとか、預るとかの書類は貰つておらないし、代金も貰つておらない。棚卸とも、組合がもつて行くとか、云えば不安を感ずるかも知れないが組合にはもつて行かぬし、私が使つていたので、全然不安はなかつた。つまり棚卸した資産は組合が買上げることになつており、売つた買つたという事にはしたが、そのころは書類上だけのことで将来組合が買つたということでその品物を勝手に処分出来るような効力を持つた、売つた、買つたでもなく、又私の方から云えば売つたという事で将来組合からもつてゆかれるような不安のある売つた買つたでもなかつたのであるとの趣旨の供述。

(12) 証人甲斐忠雄(昭和26・11・1)

(A) 証言によれば、貸借対照表は、私が加入に際して作つたもので一通を組合にその写を私が貰つていた。それに記載されている資産は商品や備品什器は一応組合に出資した形になるのだと聞いていたし、組合の財産になるから組合に登記しなければならぬといわれ、組合から来て右の表を作つたものであつて、そこらは一応組合に移すが、私が組合を脱退するときには、そつくり返してくれると云われた旨の供述

(B) 証言によれば、「(右の貸借対照表は)昭和26・11・1の午後小倉の事務員の阿部礼三が来て規定により一応店の営業用資産を組合で買取つたことにするからといわれたので、私が同人に立会つて店の資産の評価をしたが、その評価は単に私が適当な額で評価するのが同人に立会つて店の資産の評価をしたが、その評価は単に私が適当な額で評価するのを阿部が記帳したが全部で八万円近くあつた。之は私が単に組合に売渡した形式にしたにすぎないので、組合からはその様な金は全然受取つて居らず、又私から組合宛に売渡証を渡したりあるいは組合から買受証等も全然受取つていない旨の供述

(13) 証人花田厚治(昭和26・12・1)

証言によれば、薬品や器具等については看護婦と一緒に調査して棚卸表をつくつた。これらの資産は組合から名義は一応組合のものになるといわれた。しかし、私は実際にそれらの営業用資産を組合に売渡すつもりはなかつた、当時の手続については私は軽い気持であつたし、組合の方でもむつかしくはいわなかつたので、組合において適当に書類を拵らえてくれたと思うが記憶していない。もし本当に買上げるということだつたらもう少し考える。代金の決済はしていない。債権債務は書類だけ引継いだが、勿論第三者に通知していないとの趣旨の供述。

第二 認定

(1) 右に掲記し、一三名の組合員の加入時の資産の処理に関する供述は、手続に関する部分において、または、手続の意味に対する認識において多少の差異は存するが、右各供述と第二項において認定した、各組合員が加入に際し、本組合の役員、職員からうけた本組合の具体的説明内容(之は本組合の資産の処理についての組合側の意思である)と、第三項で認定した本組合の現金の管理、流通、還元の実態を併せて判断すると、

京築地区において、その設立の当初から昭和26・12頃迄においてとられていた加入時の資産の処理の方法は、

外観的な手続としては、加入に際し営業用資産を棚卸表を作成し、債権債務を含めて貸借対照表を作成し、一通を組合に提出し、一通の写を組合員が持つていたこと。右表掲記の資産の買上証と代金相当額の借用証を組合は組合員に渡し、営業用資産を組合は買上げたと称していたこと。

しかしながら、それは単に書類上資産の売買の形式を整えるためにとられたにすぎないのであつて、組合側は真実資産を買う意思はなく、各組合員は真実に売る意思はなかつたこと。従つて双方に代金授受の意思はなかつたこと。

が認められるのである。

(2) 代金については、第三項で説示したところ明らかなように、組合は組合員の売上の利潤を統制し、之を現実に組合の所有として掌握し、処分できる立場になかつたのであるから、組合外から資金の借入れをする以外には、右資金を仮りに買受けたとしても代金を実際に支払う術はなかつたのである。つまり代金は最初から支払えない機構になつていたのであり、各組合はかかる機構であることを知つて加入し、且つ第三項で認定したような現金の管理、流通、還元をその加入当初から本件の一斉捜査の開始された、昭和27・11・20頃迄反覆継続していたのであるから、組合が右代金を支払えない状態であつたことをも充分認識しており、そして第三項で認定したような現金管理の状態を継続してゆく限り将来においても代金が支払える体制にはならないことを知つていたことも推認できるのである。さらに、論ずれば、組合側は(1)において論定したように機構上支払えないのみならず、組合側の意思としても支払わない意思であつたことが認められるのである。

終始京築地区の指導的立場にあつた証人土谷正の調書によつても「私の知つている限りではこの営業用資産の代金は支払われていない。組合には金がないので営業用資産の代金は支払えない。それで買上証と買上代金に対する借用証を組合員に渡すということで代金の支払は組合ではしないということを承知して貰つて加入してもらつているのである」旨のことが認められるのである。

(3) かくの如く、真実に所有権を譲渡する意思がなく、また譲受ける意思がないのにかかわらず、之を買上げたように、またその代金を借用したように作成された買上証、借用証を作成して組合員に交付し、それを承如して受取つた組合員は、相互に相通じてその資産の処理につき売買を第三者に対して仮装したものであるといわなければならない。

証人吉田要のように当初からどうせ形式的だからというので貸借対象表も作らなかつた組合員もいるし、また証人西村力太郎のように、形式的にすぎないといつても第三者に対しては印を押した以上対抗できないかもしれないとこわくなつて脱退した組合員もおるが之れらは例外だとしても、究局的に資産を組合に売らなかつたことについては同じである)

(4) 右認定した具体的事実は昭和24・12月から昭和26・12月に亘つているがその期間、前記手続の面においても各組合員の資産処理に対する意思において年月的な差異にかかわらずなんらの変化も認められない。

従つて京築地区にて加入した組合員は年月的地域差異にかかわらず、前叙認定の各組合員と同一の手続及び同一の意思の下に加入時の営業の処理をしたことが推認できるのである。

(5) 証人綿井亀之助(昭和26・12月頃)豊守親(昭和25・1・1)山際久兵衛(昭和25・1・1)斎藤栄雄(昭和25・9・20)の各証言の中いずれも棚卸をして組合に売渡した旨の供述が認められる、しかしながら、右証人等の供述全体を検討するときは、特に代金等に関して前記供述と矛盾するか、趣旨不明の供述を繰返すのみで到底信用できないし敍上の各証言を覆すことは出来ないといわねばならない。

(6) 昭和27・3月以降の京築地区に加入した証人の中で

証人林一二三(昭和27・9・1)は「脱退したら当然返すという話が組合に加入するときあつていたので、当然返してもらうことを前提にして加入したのだから、私は脱退したら当然自分のものになつている。電話も含めて資産全部を書類で組合に書きだした、之は書きだしただけである。日報上、入金伝票上加入時に組合に営業資金の現金一万円を引継いだようになつているが、それは形式上そのようになつているとの趣旨を供述し、

証人竹尾国松(昭和27・7・1)は棚卸をして貸借対照表をつくり組合に出した、それに書いたものは一応全部組合のものになると言われた。組合のものになるとは、組合にやつたのではなく組合に貸したのである。私は組合に売つてしまうというような考えはなかつた。

脱退時にはそのときの姿で私のものになつた。組合からは書類上組合に売渡したようにはしても、組合の所有になるとは聞かない。組合の所有になるのであれば加入しない。加入後も自分のものであると思つていたとの趣旨を供述しているところからすれは同証人等は単に形式的に書類上だけ売渡したようにしても真実に売渡す意思もないし、又売渡しておらず、組合も真実に自分の所有にすることはいつていないことが認められる。

右二名はいずれも中津市所在の組合員であるが、同地区はずつと椎田地区を通じて京築地区に所属していたことは既に認定したところであるところであり、昭和27・9月に至つてもなお(1)に認定したと同様に資産の処理が実施されていたことを認めることができるのである。

(7) 尤も昭和27・3月以降に加入した証人の中

証人一ツ松光男、泉正春、武内義路、一木三十四はいずれも組合に売つた旨を供述しているが、右四名の各代金についての証言から勘案し、前記と同様売渡しを意味するものであるとは到底解し難い。

第二点 書類、証書について

(1) 京築地区の組合員の商品、什器、機械、器具等が組合の資産として記載されているものに財産目録(証一六三八)資産棚卸表(証一六三九)商品棚卸表(証二二八八)引継書類(証二二九三)商品棚卸明細書(証六五三)買上証(証六六二)組合資産の証用紙(証六六五)資産引継書類(証七五〇)商品棚卸明細表(証七五一)が存在することが認められる。

(2) しかしながら之らは第一点において認定したところから明らかに右書類自体はなんらその記載にかかる資産が組合の所有であることを証するものでないと、いわねばならない。

第三点 結論

第一点、第二点において認定したところよりすれば、京築地区における加入時の資産の処理は、第二節第四項第五点において論定した小倉地区の資産の処理と全然同一であつて、その一般の形態及び意思は第一点第二(1)に認定したとおりであり、代金については同(2)に述べたとおりである。

はたしてそうであるならば、

棚卸表、貸借対照表を作成して一通を組合が所持し一通を組合員が所持し、その資産に対する買上証を組合に交付することによつて、組合は真実に右資産の所有権を取得する意思がないのにかかわらず、之を買受けたと称し、組合員はそれが単に形式的な書類上げだけのことであることを如りながら売渡したと称し、組合は真実に代金を払う意思もなく、組合員は之を受取る意思もないのに、組合は代金についての借用証を組合員に交付し、組合員は之を受取り、それらを組合の資産であると称して第二点掲記の書類を整備備付けていたものであり、このことは京築地区に本組合が設立されて以来昭和27・9月頃迄一貫してかわらなかつたのであつて、右のような売買の仮装を組合員も、組合の役員も職員も知つていた以上、右のような手続による書類の作成備付交付等はすべて、各組合員の営業用資産を恰も組合が真実買受けて組合の所有としたことを第三者に装うための手段にほかならなかつたと云わざるを得ないのである。

第四点 附論

債権債務の引継、固定資産の処理の実態については、第一点挙示の各証人の証言及び調書によれば、第二節第四項第六点において小倉地区について論定した事実と全く同様な事実が認められる。

よつて同論定を京築地区の右の点の判断にそのまま引用する。

第五項 京積出張所の実態

第一項乃至第四項に亘り、京築出張所の沿革、役員、組織、加入希望者に対する組合役員、職員の組合の具体的内容についての説明、現金の管理、流通、還元の実態、加入時における資産の処理の実態につきそれぞれ詳論して来たところである。

右認定した事実を綜合すれば、京築出張所における本組合の実態は、各組合員は組合役員、職員等の前示認定にかかる組合内容の説明を納得して加入しており、組合員の各事業所における営業は、加入前の個人営業の継続であつて、加入に際し、営業用の資産を組合に真実に売渡して合同した単一の企業の中に没入することをせず、従来の個人の所有のままであり、その店舗又は工場等の事業所における売上金は、すべて個人の管理、流通、還元に放任されており、その損益の危険負担は当該組合員たる個人が負い、組合に対しては単に加入に際し出資金、加入金を払うほか、毎月運営費(積立金)源泉徴収税相当額又は日報代、新聞代を支払う以外には全然流通する現金はなく、すなわち所得は、実質的には全く個人に帰属していたにかかわらず、

組合員の加入に際しては、組合員の営業用資産を組合が買受けて企業合同したかの如き、帳簿、書類を作成備付又は組合員に交付し、現金の管理、流通、還元においても組合が統一計算を実際に行つていたかの如き、小切手を操作し、書類、帳簿を作成し、月給は所定額を支給していなかつたにかかわらず、所定額どおり支給していたかの如く帳簿、書類を作成し、組合員に架空の給料明細書を交付し、さらに、帳簿、日報、小切手等の記帳を操作することにより、組合員と相通じ、組合員の売上金をその記帳から脱漏させて各組合員に帳簿外(組合としての)所得を得させていたものであつて、右各実態は、京築地区の役員、事務員はもとより、被告人木下仙友も之を知つていたことが認められるのである。

第四節 田川出張所

第一項 組織

第一点 組織の沿革

証人吉村平策の証言及び調書、証人進野精生の証言(二回)登記関係書類(証一七〇〇)加入申込書綴(証四五五、四五六、四五七)加入者一らん表(証四六〇~五一)組合員名簿外雑書類綴(証四六一)組合員名簿(証四六二)給与台帳(証四六三)支部勘定補助簿(証四六四)の名記載を綜合すると

第一、設立

第二項において詳論するような経緯と内容の下に、田川出張所は、昭和26・3・1附を以つて発足し、小倉市の北九支部に所属し、設立当初の組合員は九名(氏名第二項に掲記)であつたこと。

事務所は取敢えず、田川市東区魚町二、一六七番地の吉村平策方としたこと。

第二、昭和26・3月終り頃、事務所を田川市魚町の井上漬物店に移転したこと。

第三、昭和7・4月の機構改正で、福岡県支部の田川出張所となり北九支部から独立し、県支部に所属したこと

第四、昭和27・1月頃から嘉穂郡稲築町、飯塚市からの加入者があつたが、それらは右機構改革によつても独立せず(昭和27・6・30現在においてはまだ独立していない)田川出張所は右地区嘉飯連絡所を設けてその管轄下に置いていたが、右嘉飯地区はその後昭和27・9・30頃迄には田川出張所から独立して嘉飯出張所となつてこと。

第五、昭和27・5月又は6月頃、事務所を田川市明治町、林隆則方倉庫に移転したこと。

が認められる。

第二点 役員

前掲挙示の証拠に第七回定期総会議事録写(証二三七―五二)証人松村清一、羽根了三の各証言も併せて検討すると

第一、進野精生は昭和26・3・1の発足以来、昭和28・9・30の本組合解散の至るまで一貫しており田川出張所の所長であつたこと。

第二、新井清は、昭和26・3・1発足のとき田川出張所選出の評議員となり、後監査委員となつたこと。

第三、吉村平策は昭和26・3・1の発足当時から、一斉捜査後脱退するまで一貫して田川出張所の会計係をしていたこと。

第四、羽根了三は、加入以来進野精生が出張所長をやめるまで福出張所長であつたこと。

第五、松村清一は、加入後福岡県支部評議員となり引つづき第七回定期総会(昭27・5・20)において理事に就任したこと。

第六、瓜生猛、佐々木山、吉武継夫、手塚島男はいづれも田川出張所の評議員であり且つ班長であつたこと。

が認められる。

第三点 事務員

加入者一らん表(証四六〇五一)証人吉村平策の証言及び調書、証人甲斐さだえの証言証人岩丸猛、佐々木山の各調書を綜合すると、

第一、甲斐さだえは第二項において認定するような経緯で本組合田川出張所の事務員となり、現金プール等の事務を担当し、解散まで在職していたこと。

第二、阿部礼三は昭和26・5月頃、本組合本部から派遣されて、田川出張所の事務員となり、一斉捜査当時迄はいたこと。

第三、相沢某は昭和27・9月か10月かに同じく田川出張所の事務員となつたこと。第四、木良一男も田川出張所の事務員であり昭和27・11・1当時事務長であつたこと。

宇佐見智子も昭和27・6月頃以降事務員であつたこと。

第五、田川出張所の発足当時の昭和26・3月からしばらくの間は小倉の北九支部から被告人木下、横尾多須子が現金プール等の事務の指導に来ていたこと。

第六、小倉の北九支部の事務局長木村善一も田川の事務の指導に来たことがあること。

が認められる。

第四点 組合員

支部勘定補助簿(証一五〇二、証四六四)組合員名簿(証二四九六、証四六二)加入者一らん表(証四六〇―五一)組合員名簿外雑書類綴(証四六一)加入申込書綴(証四五五、四五六、四五七)の各記載及び証人吉村平策の調書を綜合して各年月の組合数を左の如く認定する。

<省略>

第二項 設立の経緯及び役員、職員の組合内容の説明について

第一点 田川地区における設立の経緯

第一、証人吉村平策の証言及び調書、証人進藤精生の証言(二回)証人佐々木山の証言を綜合すると、

(1) 吉村平策は昭和25年初めごろ、税金に悩み、負担の軽減を図るため計理士に頼み合資会社にしようとしたが、同族会社となつて大して税金の軽減にはならないことがわかつたので断念したこと。

(2) そのころ、田川市東区川端町で染物屋をしている従兄弟の藤井紀文から、行橋町に藤井の同業者の染物屋で、共栄企業組合の行橋の出張所長をしている土谷の話によると共栄企業組合は共同組合式の法人であつて税金の安くなる組合であるから、生活に苦しければ入らんかという趣旨の話を聞いたこと。

(3) そのご、吉村は同業者である進野精生、佐々木山と田川の伊田青果市場で、共栄企業組合のことを語らい行橋の本組合を見にゆき、土谷から話を聞くことを相談したこと。

(4) 右三名は、昭和26・1月末か2月始めに行橋町の土谷正を訪問すると、土谷は「自分は共栄企業組合の行橋出張所長であることを前置して、組合の組織法について話をし加入、脱退は自由であること、商品、資産買掛等は一切出すと、出すとは棚卸表と貸借対照表等の書類に書いて出すことであること、加入に際しては出資金二千円、加入金五百円を出して貰うが、組合から脱退すれば、出資金は出しただけ全額そのまま返すこと、加入すると日報があるので一日中の売上、卸、売掛、買掛、仕入を書いて、厚票の方を組合に出すこと、税金は組合から納めるので月給に対する源泉所得税の組合員は納めるだけでよく、所得税や事業税は組合は法人だからかからなくなること、書類に書いて出して貰う営業用資産は一応組合で買いとるという事になるが、組合には金がないから、代金の支払は出来ない。然し脱退は自由であるから脱退した際には組合員の店に脱退のときにある商品備品什器等は全部組合員に返すこと。月に一回日報上の現金残高を組合に持参して貰うがその内から運営費、源泉所得税相当額、日報代、商工新聞代を引いた残りは全部返すこと、営業は自分でやれる等の趣旨を説明して呉れたこと。

(5) 右説明を聞き加入の希望のあることを述べると、土谷は加入希望者は集めて連絡してくれると日を決めて田川で組合の説明会をするといつたこと。

その際本組合の理事長は森原春一であり、小倉の支部長は木下仙友であることを聞いたこと。

(6) それから二、三日して吉村、進野は二、三名の者と一緒に小倉の本組合の事務所を訪れ、被告人木下から本組合について具体的内容について説明を聞き、二、三の組合員の事業所を訪問したこと。被告人木下の説明は前述の土谷正の説明と同じであつたこと。

そこで木下に対して加入させてくれと申出たこと。

が認められる。

第二、田川地区における本組合の設立に際しては、吉村、進野の右のような行動が中心となつているのであつてそのほかに設立に活動した者は認められない。

第二点 設立前の吉村平策方における説明会について

第一、右説明会開催の経緯

証人吉家平策の証言及び調書によれば

(1) 進野精生、吉村平策が主となつて伊田青果市場で同業者である進野コズエ(精生の実妹)村上正勝、渡辺繁子、新井清(同業者ではない)、瓜生猛、岩丸猛等に本組合のことを話し加入者を募つたこと。

(2) 昭和26・2・20頃、行橋の写真屋である豊森親から近く森原と木下が組合の内容の説明にゆく旨吉村に電話があつたこと。

(3) そこで所定の日に加入を希望する者や、説明を聞きたい者を集めたこと。

が認められる。

第二、説明会の内容

(1) 証人吉村平策、村上正勝、岩丸猛、瓜生猛、の各証言及び調書、証人進野精生、進野コズエ、新井清、湯元昇の各証言によれば

昭和26・2下旬午前一時頃から午後五時半頃迄に亘り、田川市東区魚町二一六七番地の吉村平策方の二階で本組合の具体的内容についての説明会が催され、それには本組合からは小倉の支部長であつた被告人木下仙友が説明のため出席し、聴く側としては、吉村平策、進野精生、村上正勝、瓜生猛、新井清、進野コズエ松尾誠、岩丸猛渡辺喜久造(繁子の夫)、湯元昇、坂口恒男等十四五名が出席したことが認められる。

(2) 証人吉村平策、村上正勝、岩丸猛、瓜生猛の各証言及び調書、並びに証人新井浩の証言を綜合すると

右説明会における被告人木下仙友の説明の内容は、

(A) 共栄企業組合は中小企業協同組合法に基いて設立された組合で、現在小倉市においてもその支部が組織されて運営されていること。

(B) 組合への加入脱退は自由であること。

(C) 加入すれば組合員には加入前通り組合員の個人営業を続けて貰うのであるが、組合は法人であつて、組合員の店舗はその事業所ということになり、組合員はその従業員ということになつて月給取ということになること。

(D) それで。組合員は加入と同時に税務署等に対して加入前の個人営業を廃したという廃業届を提出して貰わなければならないこと。

(E) 組合員の加入後の営業による利益は組合員のものであるが、組合員は組合の月給取りということにななつているから月給額に対する源泉所得税を納めて貰わねばならない。しかし、個人営業のときかかつていた事業税や所得税はかからなくなること。

(F) 組合員は組合の従業員となり、従来の店舗や工場は組合の事業所ということになるから組合員の従来の商品備品、什器等の営業用資産は棚卸をした上組合が一応買上げるということになる。しかし、組合には金がないのでその買上代金は組合が組合員から借りたようになり、代金は支払わない。それで組合員が組合から脱退する際には、その際組合員が有している営業用資産はそのまま全部組合員に返すことになつており、営業用資産のことについては組合との間にいざこざが起るようなことはないこと。

(G) また、組合員は毎日の売上、仕入、経費を日報に記帳して組合に出して貰わねばならないこと。

(H) また、組合員は現金プールといつて、毎月始めにその前日の手持現金を組合に持寄つて貰う。これは組合員に月給を払うようにするためと事務所の維持費、諸経費、事務員の給料等を運営費として貰うためである。

(I) 現金プールでは、組合員が持つて来た、現金の中から右の運営費、日報代、源泉所得税相当額等を差引いた残額は一部を月給、一部を運転資金という名目で還元し、月給を支払つたことにすること。

(J) なお、右名目で還元する以上に現金が余つた場合、そのプラスの分はその組合に預ける。之は脱退するときに退職金としてその人にやるものである。だから結局その人にやるものである。だから月給取りということになつていても生活に困るようなことはないし、之はいつでも使つてよい金であること。

(K) 組合員は、組合の事務所の諸経費を賄うために運営費を出して貰う。これは毎月の売上金に対する率でだしてもらうこと。

(L) 本組合に加入届を出して貰えばよく、加入金五〇〇円と、出資金として一口五〇〇〇円を加入の際おさめてもらうことになつているが、実際は出資金は、二、〇〇〇円だけ納めて貰いさえすればよい。脱退するときは加入金五〇〇円は返さないが、出資金二、〇〇〇円は全額返すこと。

等の趣旨の詳細なもので

その被告人木下の話は巧妙であつて、露骨なことはいないが、結局のところ組合に加入しても月給取りというのは名だけであつて、営業は従来どおり自分の個人営業を続けることができ、売上も組合員のものであつて、組合は運営費を組合から取立てる以外には組合員の営業には全然関与しないものであることがはつきりわかる」ような説明であつたことが認められる。

第三点 設立

証人吉村平策、村上正勝、爪生猛の各証言及び各調書、証人進野精生、進野コズエ、甲斐さだえ。

各の証言を綜合すると

(1) 右説明会に於いて被告人木下の説明を聞き、本組合に加入することになり、昭和26・3・1に同時に加入することを決議した。

(2) そこで当時、前掲藤井紀文の妻の友人で、失業して吉村平策方に一ケ月程いた甲斐さだえを事務員として雇入れるように、吉村が昭和26・2月末から3月初旬に交渉し、事務員として雇つたこと。

(3) 加入希望者(後述)は昭和62・3・1以前に棚卸等して棚卸表、貸借対照表を甲斐事務員に提出し、甲斐から小倉支部に送つてもらつたこと。

その用紙は甲斐が小倉にいつて貰つて来たものであること。

(4) 昭和26・3・1付を以つて、本組合小倉支部田川出張所として吉村平策方を事務所として発足したこと。

(5) 昭和26・3初め頃、田川市本町一丁目、渡辺繁子方で、

本組合理事長である被告人森原春一を招き、田川地区で右発足と同時に加入した組合員吉村平策、進野精生村上正勝、渡辺繁子、松尾誠、新井清、瓜生猛、岩丸猛、進野コズエ九名全員出席し、結成式を行つた事、が認められる。

第四点 昭和26・10中旬、香春町公民館における被告人森原春一の説明について

証人手塚島男の証言及び調書によれば

(1) 手塚島男は香春町の商工会の会員で役員であるが、その商工会の役員が青果市場で進野精生から聞いた本組合の内容を聞いたこと。

(2) 昭和26・10中旬頃、香春町の商工会の役員会で決議して本組合の説明を聞くため、被告人森原春一を招き、香春町公民館で本組合の説明会を開催し、組合側からは、被告人森原春一、田川出張所長の進野精生が出席し説明を聴く者は三十名位出席したこと。

(3) その説明会では、被告人森原及び進野が種々説明したが、被告人森原は、共栄企業組合の説明をした印刷物と中小企業等協同組合の条文を抜萃した印刷物を配布して同法を説明した上、共栄企業組合のことにつき、「共栄企業組合は中小企業等協同組合法に基いて設立された合法的な組合である。組合に加入すると、組合員の店は組合の事業所ということになり、組合員は月給取りということになる。それで源泉所得税だけ納むれば、所得税や事業税は納めなくてよい。それで、個人で営業をやつていたときよりも税金は少くてすみ、税務署と交渉する必要もなくなる。組合に加入するのであるから加入金五〇〇円を納め、出資金を一口二、〇〇〇円納めて貰わねばならぬ、職員の給料等に当てる為に売上の一%だけ組合に運営費を納めて貰わねばならぬ。その他には毎日の収支を日報につけて組合に出して貰えばよい。営業用資産は組合に引継ぐようにするが、代金は払わない。また各々組合員の売上を他の組合員に廻すようなことはしない。運営費をとつた残りはそのまま組合員に返す。この金は月給と運転資金ということになる。組合員の手持現金が月給所定額より少い場合も少い分を他から補つて貰うことはできない」「組合に加入するときは、現在の商品の棚卸をしてバランスを出して、それを加入届と一諸に組合に出す。そして廃業届を役場と税務署と財務事務所に出す」旨の説明を行つたのであり、

要するに、被告人森原の話はそれ程露骨ではないが、組合に加入しても、個人営業をやつてゆくことができ運営費を払えば売上は全部各人のものにすることができることが判るような説明であつたことが認められる。

第五点 阿部札三、甲斐さだえ各事務員の組合内容の説明について、

(1) 証人佐々木山の証言及び調書によれば、同証人は前示のように吉村、進野と共に行橋町の土谷正を訪れ、同人から本組合の内容の説明を受けた後、昭和26・9末頃、田川市魚町にあつた本組合田川出張所の事務所に行き、事務員阿部札三から本組合の具体的内容についての説明を聞いたこと。

(2) 証人田口ノブエの証言及び調書によれば、同人は昭和26・9下旬頃右事務所で、事務員甲斐さだえと前掲阿部礼三から本組合の内容についての説明を聞いたこと

が認められ、

(3) 右(1)(2)の証拠によれば、甲斐さだえ、阿部礼三の本組合の具体的内容についての説明は、前敍認定の被告人木下、同森原の説明の内容と全く同一であつたことが認められる。

第六点 本組合役員の組合内容の説明について

(1) 証人吉武継夫の証言及び調書によれば同人は、昭和26・11初め頃友人の瓜生猛(班長)から本組合の内容について説明をきき、その説明は前示被告人木下等の説明の内容と全く同一であつたことが認められる。

(2) 証人羽根了三の証言によれば、同人は吉村平策(田川出張所会計)から説明を聞き加入しており、証人松村精一、鶴我元生は進野精生(田川出張所長)からそれぞれ本組合の説明を聞いていることが認められるが、吉村、進野はいずれも本組合田川出張所の設立の当初より参加し、両名が中心となつて田川出張所を運営したことは前示挙止の各証拠により認められるところ、両名は土谷正、被告人木下仙友の各説明を聞いており、進野は森原と香春町までいつて、そこにおける説明会で森原の説明を聞いておるところからして、前述の被告人森原、同木下、土谷、阿部、甲斐と異つた説明をしたということは到底みとめられない。だから、右羽根、鶴我、松村の証言の中、前述の認定と異る点は信用することができない。

第七点 結論

以上認定した各事実よりすれば、田川地区において最初に本組合を知り、同地区における設立のために中心となつて行動した吉村平策、進野精生に対してなされた、京築出張所長の土谷正の説明及び田川地区における設立に際して、現地の田川市の吉村方で開催された説明会における被告人木下仙友の説明、昭和26・10中旬香春町の公民館で行われた被告人森原の説明、設立当初より、解散まで田川地区の事務員であつた甲斐さだえの説明、昭和26、5月頃から本組合本部から派遣されて田川出張所専任の事務員となつた阿部礼三の説明は、いずれも全く同一趣旨であつて、その具体的内容については既に認定したとおりである。

田川地区の指導的地位に終始立つていた吉村平策、進野精生がどのような説明を繰返して来たかを、之を明確にすることはできないが、後記第三項、第四項で認定する両名の所為と既に認定したような内容の説明を聞いて田川地区に本組合の出張所を設立したことを考え併せれば、前示認定と異つた内容の説明をして来たことは到底考えられない。しかも第一項で認定したような田川出張所は前示認定の九名で発足し、昭和26・4・1に羽根了三が加入して一〇名となり、昭和26・7月中に吉永清が加入して一一名となり前示(支部勘定補助簿)昭和26・7月迄は右のような小人数で運営されていたにすぎないのであるから、その後の加入者に対してなされた組合内容の説明も右発足当時の九名が聞いた内容と同一であつたことは充分に推認することができるのである。

されば、田川出張所関係における加入希望者に対する本組合の具体的内容の説明は、概ね前叙認定の事実と同一趣旨であつたと推断できるといわねばならない、

第三項 現金の管理、流通、還元の実態

第一点 序論

既に説定したように本組合田川地区の発足は、昭和26・3・1であるから、第二節及び第三節において認定した小倉地区、京築地区においてみられるような、日報の縦書時代つまり月給所定額を日報の経費欄に記帳して自己の売上金からその支給を受けたようにしていた時代は存在しない。後述するように田川地区の現金処理は当初からいわゆる「現金プール」を以つて始つているが、田川地区は、既述の如く北九支部に所属し、現金プールについても、北九支部の被告人木下、事務員木村善一、横尾多須子の指導を受けているので、北九支部つまり小倉地区においてとらわれていた現金プールの方法と同様な方法を以つて行われている。しかし、北九支部から独立してからは、他の地区とは異つた田川独自の方法で現金プールを行つている。そこで先ず、その田川独自の現金プールの実態を認定し、そのあとで、発足当初からの現金プールの実態につき論ずることにする。

第二点 昭和27・6月~昭和27・10月の間の現金の管理、流通、還元の実態

第一 序論

(1) 本点で認定する実態は、田川地区の現金プールにおいて使用された帳簿書類つまり、支部勘定補助簿(証四六四)、給料台帳(証四六三)、小切手控(証四六七、四六六)、現金プール調査事績表中の小切手(証三〇〇三)及び各組合員の日報の各記載の実態、右各記載間の関係及び右記載と現金との関係である。ところで右各証拠物の記載は簡単ではないので判断の便宜上、各証拠物の各欄の記載を左のように記号で現わすことにする

(2) 支部勘定補助簿(証四六四)

(イ) 証人甲斐さだえの証言によれば、同帳は甲斐が現金プールを実施する際に記帳していたものであることが認められる。かつ同帳を検討すると昭和27・6月~昭和27・9月分の間の田川地区(飯塚の6月7月8月分を含む)の現金プールの各組合員毎の具体的内容が記載されており、かつ右期間を通じて左の様な様式であつたことが認められる。そこで次のように之を表示する。

(様式)

<省略>

なお前示様式は第二節第三項において表示認定した支部勘定簿(証一五〇二、証一五〇三)の様式用紙大きさ共に全然同一であることが両者を対比すると明白である。

(ロ) 証人甲斐さだえの証言によれば、右各欄の記載の内容は次のとおりであつたことが認められる。

……事業所の従業員の分も含めて事業所に支給する給料の総額を書く。

……給料に対する源泉所得税を書く。

……綜支給額から税金を差引いた実際の手取給料額を書く。

……各事業所の売上残高である組合への送金額を書く。

……この欄は必要なかつたと思う。

……運転資金を書く

……源泉所得税を書く

……事業所に給料と運転資金とを払つた残りの金額を書いたと思う。

(3) 小切手帳控(証四六六、証四六七)

証人甲斐さだえの証言によれば、右小切手帳は同証人が現金プールのとき使用していたのであることが認められる。

小切手帳控の記載を左の如く表示する。

之には次の二様式が存する。

(様式)

番号

<省略>

(様式)

<省略>

(4) 小切手(証三〇〇三)

小切手の記載を左のとおり表示する。

(様式)

(イ) 表面

<省略>

(ロ) 裏面

<省略>

第二、具体例

以下に各組合員別に前叙第一の(1)の各関係を明白にすることとする。

(一) 具体例一(六月分)

(1) <省略>

(2) 前表記載の実態

(イ) 新井 清分の記載について説明

右記載によれば、新井清は昭和27・6月分の現金プールにおいては、日報の手持残高七三、一二六円(と合致する)を事務所に持参し、組合から源泉所得税一、一五一円と運営費等事務所が現実に受領する三、一七二、五円との合計四三二三、五円を差引かれ、新井清方の三名分の給料として、新井清分一四、〇三六円、新井美津留分八、二三九円、吉原隆(雇人であることは証人新井の証言による)分七、四七四円、合計二九、七四九円(と合致する)を小切手で受領し、運転資金として三四、七〇〇円(と合致する)を同じく小切手で受領し、残金四、三五三、五円()は、渡辺繁子の給料として二、六二〇円を小切手で同人(〇〇〇〇〇八)に一、七三三、五円を進野精生の運転資金及び給料として小切手で同人(〇〇〇〇二〇)に融通したかの如く窺われる。

(ロ) 進野精生の分の記載についての説明

前表の記載によれば、進野は昭和27・6月分の現金プールには五八、五八六、五円の現金を持つてゆき、事務所から六、三九六円の源泉所得税、運営費等()を差引かれ、別に自己及び雇人を含めた給料として二八、九二四円、運転資金二五、〇〇〇円、合計五三、九二四円の支給分として六枚の小切手(〇〇〇〇二一〇〇〇〇二二、〇〇〇〇二三、〇〇〇〇二四、〇〇〇〇二五、〇〇〇〇二〇)合計五三、九二六円(二円の差異は計算誤謬と考えられる)を組合から受領したかのように窺われる。(証人進野精生はその旨述べている。)

また、〇〇〇〇二〇の小切手分一、七三三、五円は進野が持参した現金()から()を引きを貰つたとした場合生ずる不足分の数額一、七三三、五円と一致し、その記載はであることが認められる。

(ハ) 合鑑番号の記載

(A) しかして、〇〇〇〇三五、〇〇〇〇〇八、〇〇〇〇二〇の各小切手の裏面にはいずれも91の数字の記載されているが認められる。

(B) しかして、証人中村進の証言によれば、

同証人は昭和24・11・9に元田川市伊田信用組合(後東田川市信用金庫)と称する金庫に勤務し、勤務当初より昭和28・6・20迄同金庫の当座予金係並びに計算係をつとめていたものであるが、その業務の内容である当座予金の預り、払出の手続方法については左のとおりであつたことが認められる。

(a) 客が持つて来て窓口に呈した小切手の形式が具備されておれば、呈示された小切手の裏面に算用数字で客に手渡す合鑑番号札と同一の番号を記入する。そして当座預金帳に記入して、上司の決済をとり、小切手の裏面記載の算用数字と同一の合鑑番号を持つている客に、その小切手の金額を支払うものであること。

(b) 客の呈示した小切手が数枚あるときは、その客には一枚の合鑑番号札を渡し、その数字をその数枚の小切手に同様に記入するものであること。

(c) このことは、その数枚の小切手が別人の裏書がしてあり、呈示者と裏書人が異る場合でも同様であつて、呈示者に対し一枚の合鑑番号札を渡し、その札の数字をその裏書の異る数枚の小切手の裏面に算用数字で記入し、その払出金額は呈示者に一括して交付するものであること。

(d) 合鑑番号札を小切手の裏面に書くのは、現金を支払う時、単に受取人の氏名を呼んだだけでは当人とは違つた他人が窓口に受取りにくるかも如れないので、そういう客を間違つて現金を支払う危険を防止するためであること。

(e) 合鑑番号札は同証人が窓口で保管し、絶対に他に持出して使用することはなかつたこと。

(f) 本組合員の小切手による払出しを受ける場合の特徴は、組合員で一人で何枚もの小切手を持つて払出しを受けに来る場合が多く、その場合に受取人本人の裏書のある小切手のほかに他人の裏書のある小切手を持つて払出しにくる場合があつたこと。

こういうことは、ほとんどないことであるが、本組合員の右のような呈示に対してはいつもの客であるので自信をもつて払出していたこと。

(g) 前記〇〇〇〇二〇、〇〇〇〇〇八、〇〇〇〇三五の各小切裏面の〔91〕は右にのべた合鑑番号の数字であつて、同証人が記載したものであること。

(C) よつて右証言からすれば、前表掲記の〇〇〇〇二〇、〇〇〇〇〇八、〇〇〇〇三五の三枚の小切手は裏書人である。新井清か渡辺繁子か進野精生の三名中誰れか一人が三枚を一括して呈示し、現金を受領していることが認められる。

(ニ) 右三枚の小切手の呈示並びに払受人

(A) 証人新井清の証言によれば、〇〇〇〇三五の小切手は昭和27・7・2に信用金庫で受取つた旨が認められる。

(B) 証人進野精生の証言(第一回)によれば〇〇〇〇二〇の小切手の裏書の字は、同証人の字ではないこと。なお同小切手を貰つたかどうか憶えないことが認められる。

(C) 証人甲斐さだえの証言によれば、〇〇〇〇二〇と〇〇〇〇〇八の小切手の裏書はいずれも同証人の筆跡であつて、押印はいずれも進野及び渡辺にさせたものであることが認められる。

(D) なお右〇〇〇〇二〇と〇〇〇〇〇八の小切手控の裏面には、いずれも鉛筆で「新井渡し」と記されていることが認められる。

(E) 認定

してみれば、右三枚の小切手は右三名のうち新井清が右三枚の小切手を一括して前示中村進に田川信用金庫の預金係窓口おいて呈示し、その預金を受領したものであることが認められる。

(ホ) 結論

(A) 以上認定したところよりすれば、支部勘定補助簿の備考欄()の数額は〔-()〕であり、つまり現金プールに持参した現金から事務所が現実に左引く金をとり給料と運転資金()を支給してもなお残額がある場合はその額を欄に「プラス」として記載し、不足する場合はその不足額を欄にマイナスとして記載したのであり、右欄の数額はそのような記載関係を示すものであること。

(B) ところで右表諸記載からのみすれば、のプラス金額はマイナスの組合員に小切手を以つて融通され、マイナスの組合員はその不足分を組合を通じ補填されたような関係になるのであるが、真実は、のプラスの金額はやはりその金額を持参した組合員が現実に返還を受けておりのマイナスの組合員は補填をうけることなく、前示にはみたない。その合計額からはだけ不足する額つまり自己の持参した金額からを差引かれた全残額のみそのまま補填をうけることなく返還されていたのであり、またプラスの場合でも返還されるべき名目はの三種類に分れているが〔〕の式から明らかであるように、結局マイナスの場合と同様に現金プールに持参した現金の中からを差引かれた残額は全額返還を受けていたのがその実態であること。

(C) 右のような現金の流通還元に拘らず支部勘定補助簿、小切手控、小切手には右のような一連の記載がなされており、その記載の巧妙さ、右記載が架空であることの発見の困難さ等からして、かかる記載は周到な意図の下に採られた真実を掩蔽するための仮装の形式であり手段であつたと断定することができること。

(D) 〇〇〇〇二五、〇〇〇〇二〇、〇〇〇〇三六、〇〇〇〇二一の各小切手帳控の摘要欄の記載にはいずれも、「運、給」とあつて、このことは運転資金と給料との両名目の金として当該小切手を振出し、交付したものであることが推認されるが厳密にいえば、事業所主任に交付さるべき運転資金と、主任たる個人に支給さるべき給料とは性質の異る金であるが、両者を一枚の小切手を以つて振出交付することは特別の事情のない限り諒承できるとしても支部勘定補助簿に運転資金として交付された旨の記載であるの金額は新井、進野いずれも日報の収入の支部勘定欄に記載されているところから新井も進野もの金額は記帳上では全額受領していることは勿論、右のような「運、給」の記載のある小切手の内訳はまず、運転資金は充足すべきものであることが、その記載からして推断され、従つて進野の場合のように〇〇〇〇二一の小切手の「運、給」はその額面三六、三九二、五円の中先ず運転資金二五、〇〇〇円を充足するものであると思考されるので同小切手の中給料の分の占める額は36,372.50円-25,000円=11,392.50円であるといいうること。

そうであるならば〇〇〇〇二一の小切手の中右一一、三九二、五円と〇〇〇〇二二~〇〇〇〇二五の四枚の小切手の合計一五、八〇〇円との累計二七、一九二、五円が給料分として支給をうけた(実際は持参の金を返還されたにすぎない)にほかならないこと。

しかるに支部勘定補助簿のには実支給額として二八、九二四円の記載があるところから右との差額(28,924円-27,192.50=1,731.50)一、七三一、五〇円(の一、七三三、五〇と同一と解する。二円は計算誤謬と推認する)は支部勘定、補助簿の記載からすれば、支給されたように記載されているが、実際には支給を受けていないのであり且つその不足分はに記載の額だけ支給を受けていないものであること。

従つて、支部勘定補助簿のとの関係につきいいうることはが「マイナスいくら」である場合はたとえに実支給額として金額が記載されていても、その場合の記載は架空なものであつて、恒にの「マイナス」額だけ不足したものを月給としては返還をうけていたものであるということができること。

よつてがマイナスの場合のの実支給額の記載はすべて架空なものであると推断すべきであること。

(E) また、渡辺、進野に融通補填したかの如く振出し、裏書されていて、その実新井が受領している小切手の控の方の裏にはいずれも鉛筆で「新井渡し」と記載されているところから、かかる小切手帳の裏の名前の記載は、この昭和27・6月分の現金プールにあつては、当該小切手を実際に受領した組合員の氏名を表示したものであることが、推認されること。

(F) 右のような実態からして不足の場合は他組合員か融通を受けていたと称する。証人進野精生の証言は全く信用に価しないものと云わなければならない。

(G) なお支部勘定補助簿(証四六四)の中昭和27・6月分の現金プールは、その一丁三丁であることが記載から認められるが、右帳簿の各組合員別の横欄の記載内容は同一帳簿の同一様式の下に記載されているところから、いずれも前掲の新井清、進野精生の場合と同一の意図の下に同様の計算と記載がなされたものであると推認できるし、その備考欄のプラスの場合は新井と同一の関係にあると認められるし、マイナスの場合は進野精生と同一の関係にあることが認められること。

従つて各組合員の備考欄に「プラス」マイナスの各金額が記載されている場合、プラスの場合は新井と同様にその金は当該組合員が小切手等の記載の如何にかかわらず自己の手に返還を受けているし、「マイナス」と記載されている場合、当該組合員はその組合員に支給されたような記載されている。月給実支給額と運転資金の合計額よりはその「マイナス」額だけ不足したまま返還を受けていたものであるが認められること。

しかし、その記載の面ではプラスとなり、マイナスとなるが、その実質はいずれも現金プールに持参した現金からを組合事務所が差引いた残額全額を持参者自身に返還していたものにすぎなかつたこと。

(二) 具体例二(六月分)

(1)

<省略>

(2) 前表記載の実態

(イ) 前表の記載からすれば

(A) -()=

25,7444円-8,100円-(22,884円+3,0000)円=-8,240円になることが認められる。

(B) しかして小切手帳の控からすればこのマイナスの八、二四〇円につき他組合員から、融通補填をうけるように窺われるが証人吉村平作は前示「〇七〇八二」の小切手をどうしたか「忘れた」旨供述している。

(ロ) しかしながら〔一〕において詳論したところよりすれば、右「〇七〇八二」の小切手控の裏面には「瓜生」の鉛筆書の記載が認められ、なお支部勘定補助簿の吉村平策の欄の欄外に「瓜」の字の記載があるところから推認して、右小切手は吉村平策の給料分八、二四〇円を補填したかのような記載であるにかかわらず、実際は組合員瓜生猛が右小切手を受領したものであることが推認される。

このことは、右瓜生の六月分の現金プールのは右補助法によれば「プラス一九、五二四円」であるし、また証人が瓜生猛の証言によれば同人は売上金を他に廻してやつたことはないか認められることからしても右のことが推認される。

してみれば〔一〕の場合の進野について判断したところと同一のことが右吉村の場合の記載及び現金の流通、還元の実態についても論断出来るといわなければならない。

(三) 具体例三(八月分)

(1)

<省略>

(2) 前表記載の実態

(イ) 証拠

(A) 証人中村進の証言によれば右〇〇六二五五、〇〇六二五六、〇〇四四七六の小切手の裏面の「41」の算用数字は、同証人の書いたものであつて、この三枚の小切手の金額は同一人に支払つていることが認められる。

(B) 証人松村精一の証言によれば、右〇〇四四七六の小切手の裏面の「田川市日之出町共栄松村事業所責任者松村精一の裏書及び名下の印については、同証人が裏書したものであり、印は同証人の印鑑であり、右小切手は同証人が信用金庫で払出しを受けたものであること。吉武継夫は組合員であることは知つているが、小切手をやりとりする立場にはない関係であつたことが認められる。

(C) 証人甲斐さだえの証言によれば

(ⅰ) 支部勘定補助簿(証四六四―一)の松村分の記載につき、

 八四、一〇五円は八月分として、それたけ送金した旨の記載がある。

 一九、六八三円は、それたけ月給を支払つたという記載である。

 四七、〇〇〇円は、それたけ運転資金をやつたという記載である。

 プラス一一、八〇〇円は松村事業所の売上残高の中から給料、運転資金、支部残高合計を差引いて松村事業所がそれたけ黒字になつたという記載であること。

(ⅱ) 〇〇四四七六の小切手控の記載につき、

「運、給」とあるのは、運転資金と給料であること。

(ⅲ) 前表の小切手、小切手控、支部勘定補助簿の相互関係と現金の流通につき、

前表のような各記載からすれば、〇〇六二五五と〇〇六二五六の小切手の合計二、八〇〇円は松村精一の黒字プラス一一、八〇〇円を吉武継夫と同春江の給料不足として融通補填したかのように見受けられるが、実際は右二枚の小切手は松村精一に交付されていたのであり、たた帳簿上だけ吉武継夫と春江に融通したように整理していたのであつて、実際には現金はその帳簿どおりまわつていないことは知つていたこと。

そのように支部勘定補助簿の記帳でプラスのところからマイナスのところにまわしたように整理することは被告人木下仙友や横尾多須子がしているのを見てそのとおり憶えたものであることが認められる。

(ロ) 認定

(A) 右列記の各証言において認められる事実を綜合すると、支部勘定補助簿(証四六四―一三)の中松村精一分の一一、八〇〇円は、八月分の松村事業所から生じた黒字であつて、同帳簿、小切手控、小切手の各記載からすれば、その黒字の金は組合員吉武継夫と春江の給料分として同人等に融通された記載に整備されているけれども、真実は右吉武継夫と春江に融通されたことになつている小切手二枚は松村精一に交付されていて、同人が返還された運転資金及び給料の小切手と一緒に現金化して受領しているのであつて右各記載は単に帳簿上そのように整理しているにすぎず、実体そのものをそのまま表明しているものではないこと。つまり右記載は(一)において論定したと同様に、その記載の複雑さ、真実の発見の困難さ、巧妙さ等から真実を糊塗せんとするための仮装の記載であることが認められること。

(B) 松村精一からすれば、備考欄の金を組合事務所に差出したことになつているが、実際は自己が受領しているのであり、支部勘定補助簿の記載からは〔-()=〕でありの金はすべて松村に返還されているところからすれば〔〕の計算方式上現金プールに持参した金から事務所が差引くべき金を引いた残額松村に返還されていたものであるということができる。なおこのことは支部勘定補助簿(証四六四)中八月分現金プール(一三丁―一九丁)の各組合員中がプラスとなつている者全部につき同様に推認することができるというべきである。

(C) 吉武継夫からすれば、同帳簿のでは二〇、五一二円の月給の支給をうけたことになつているが、前述のとおり、右の中少くとも小切手〇〇六二五五、〇〇六二五六の合計一一、八〇〇円は現実に受領していないのであるから右の記載は架空なものであるということができる。このことは、プラスの場合とは同様に右(B)のマイナスの各組合員全部について推認することができるというべきである。

(D) しかして、これらの記帳の事務をとつていた事務員甲斐さだえは自らかかる支部勘定補助簿の様式、記載方法を発明実行したものではなく、被告人木下仙友、小倉地区の事務員横尾多須子から教つたものであることが認められるのである。

(四) 具体例四(九月分)

(1)

<省略>

(2) 前表記載の実態

(イ) 証拠

(A) 証人羽根了三の証言によれば、〇〇六五八一の小切手の裏書は同人の筆跡であり、印影も同証人の印を押印したものであることが認められる。

(B) 証人吉村平策の証言によれば、〇〇四七四二の小切手の裏書は甲斐さだえが書いたものであり、印影は同証人が自己の印を押印したものであり、同証人は罪文が右裏書するのをみていたもであることが認められる。

(C) 証人中村進の証言によれば、右二通の小切手の裏面の〔76〕は同証人が記入した合鑑番号であり、右二通の小切手は同一に払出されていることが認められる。

(ロ) 認定

(A) 右(イ)に列記の証拠と(三)で述べた結論及び支部勘定補助簿(証四六四―二四)中、羽根の「プラス〓〓、九二一円」吉村のの「マイナス一一、九二一円」を綜合すると右二通の小切手はいずれも羽根了三が一括して田川市信用金庫で払出しを受けていることが認められる。

(B) 右事実からして前表各記載は現金の流通、還元を記帳したものではなく、仮装のものであることは〔一〕~〔三〕で論述したことと同様であるということができる。

(五) 具体例五(九月分)

(1)

<省略>

(2) 前表記載の実態

(イ) 証拠

(A) 証人中村進の証言及び同証人の作成にかかる証明書(証一、三八五―二)によれば、前表〇〇〇五五九、〇〇〇五六八九の三枚の小切手の裏面の(118)は同証人が書いた合鑑番号であつて、右三枚は同一人が田川信用金庫の出納口において呈示し、一括して現金の支払を受けていることが認められる。

(B) 証人瓜生猛の証言によれば、〇〇〇五六八の小切手の裏に裏書として同人名のゴム印を押し、印を押捺し、その現金を受取つていることが認められる。かつ他人の裏書した小切手を貰つたことがあるかもしれない旨が認められる。

(C) 証人吉武継夫の証言によれば〇〇〇五五九の小切手の裏書は「吉武継夫」になつているが、同人の字ではなく、判は同証人の印であることが認められる。

(D) 証人甲斐さだえの証言によれば、〇〇〇五五九の小切手の裏書は事務員である同証人が書いたものであることが認められる。

(ロ) 認定

前掲、証拠及(一)~(四)において認定した事実及び前表の各記載自体に徴すれば

(A) 前掲〇〇〇五六九、〇〇〇五六八、〇〇六五八九の三枚の小切手は瓜生猛が一括して信用金庫の預金係の窓口に呈示し、一緒に現金を受領したことが認められる。

(B) 従つて前掲の記載によれば、吉武継夫は、(一)の進野、(二)の吉村、(三)の同吉武の八月分、(四)の吉村と同様にこのときも帳簿の記載上は支給されたことになつている。給料九、八九七円を現実には受領していないし、中島輝夫も同様に帳簿上は支給されたことになつている。二二、〇一一円は現実に受領していないことが認められる。しかし之は既に認定したように日報の収入の支部勘定の記載からして「運、給」の記載にかかわらず、月給の支給として計算上認められるところからの記載に吉武、中島の場合いずれもの記載のマイナス額だけ少いし、その分だけ架空の記載であるといえる。

(C) 一方瓜生としては、〇〇〇五五九と〇〇六五八九の二枚の小切手を受領しているしその合計額は三一、九〇八円であつて、瓜生のプラスの金額と一致しているから、右小切手はのプラスの分として受領したことが認めらられるし、右表瓜生の欄に掲記した五枚の小切手(証四六七―三―一八~二二)の合計額はに合致するから、()の式がなりたち、瓜生は現金プールに持参した現金の中から事務所に実現にのこすべきを差引かれた残額を一部を給料名目()で一部を運転資金名目()で、さらに一部をプラスの金()として返還を受けたものであることが認められる。

証人瓜生猛は、給料を貰い、運転資金を貰い、なお残額がある場合には、その残額を貰つて来たと証言するが、敍上の認定にかかる事実を如実に物語るものと云うことができる。

(六) 具体例六(九月分)

(1)

<省略>

(2) 右表各記載の実態

(イ) 証拠

(A) 証人中村進の証言によれば、右表の小切手三枚(〇〇〇六五七六、〇〇六五六三、〇〇四七一三)の裏面の「41」は同証人が窓口でかいた合鑑番号札であり、右三枚は同一人に支払われていることが認められる。

(B) 証人甲斐さだえの証言によれば、〇〇六五六三と、〇〇四七一三の二枚の小切手の裏面の「篠原治恵造」「穴見亘」の各裏書は同証人が書いたものであることが認められる。

(C) 証人村上正勝の証言によれば、〇〇六五七六の裏書の印は同証人が同証人のものであることが認められる。右裏書の氏名はゴム印であることが一見明瞭であるから、右小切手は同証人において裏書したものであると推認される。

また同証人は、他人名義の裏書のある小切手を甲斐さだえから受取つたことがあり、その場合は甲斐さだえがその場で他人名義の表書をしてくれて「之は運転資金の足らない人に廻したようになつているが、あなたにやる」といつて渡して呉れたことが認められる。

(ロ) 認定

(A) 右(イ)挙示の証拠からすれば、右三通の小切手はいずれも村上正勝が甲斐さだえから直接受取り、田川信用金庫の窓口で中村進に三枚を一括して呈示し現金を受領したものであることが認められる。

(B) また〇〇六五六三、〇〇四七一三の小切手の額面合計額二五、九八九円はプラス二五、九八九円に合致するし、

証人村上正勝の証言及び小切手帳控の記載自体から同人に渡されたと認められる小切手(控による証四六七―四―二四~二八)の総計七八、〇八四円はとの合計額に合致するので[五]の瓜生猛と同様に村上についても()の計算方式が成立するし、村上はを差引かれた残額全額をの各名目で返還を受けたことが認められる。

(C) よつて[四]~[六]によれば、田川地区では昭和27、9月分も6月8月分と全く同様な方法により現金プールを実施していたということができるのである。

従つて[一]~[三]で詳論したことは、支部勘定補助簿中九月分(証四六四―二三~二八)の各組合員の各記載についても同様に論ずることができるといわねばならない。

第三、帳簿の記載について

〔一〕 支部勘定補助簿(証四六四)

(1) 同帳は、証人甲斐さだえの証言によれば、田川地区で実施した現金プールの各組合員毎の具体的内容を記載したものであり、僅少の部分を除きほとんど同証人が記載したものであることが認められるところ、

月帳を検討すると、昭和27、6月~昭和27、10月分迄の記載であつて、一丁~三六丁(多少メモ書もあるが之は除外する)が田川地区の関係分であり、三七丁~六〇丁が飯塚地区の昭和27、6月~9月分の同記載であることが認められる。かつ全丁を通じて各丁の株式は第一の(2)に表示した様式であつて全然同一であることも認められる。

また全丁の各組合員別の各項目の計算は既に認定したところと全然同一の方法によつて計算されており、の「プラス」「マイナス」の算出方法も各組合員及び各月を通じ全く同一である。

飯塚地区についても証人甲斐さだえの証言によれば、同証人が飯塚地区に出張して田川地区と同一の方法により現金プールをしていたことが認められるので、田川地区と同一であると推認できるしまだ同一の算式によりの「プラス」「マイナス」は算定できることが認められる。

(2) してみれば、田川地区にあつては昭和27、6月~同10月迄現金プールの方法は各月同様であり、また各組合員の間においても同様であつたということができる。

(前記第二の〔一〕の(2)の(ホ)の(D)、〔三〕の(2)の(ロ)の(B)、〔六〕の(2)の(ロ)の(C)参照)

〔二〕 給料台帳(証四六三)について

(1) 同帳によれば三丁~二一丁は、昭和27、9月分の田川地区及び飯塚地区の給料台帳であり、証人甲斐さだえの証言によれば同台帳は同証人が記載していたもので、田川出張所に備付けていたものであり「印」欄の印影は、同証人が右台帳を夫々本人にみせて押印せしめたものであることが認められる。

(2) そこで右台帳の記載と、支部勘定補助簿(証四六四)の中のの各記載と比較検討すると台帳の「差引支給額」欄に記載されている金額は支部勘定補助簿のつまり「実支給額」欄に記載されている金額と一致する(多少税金欄の記載により差異がある場合があることが認められるが大きな差異は認められない)ことが認められる。このことはが「プラス」であつても「マイナス」であつても同様であることも認められる。

〔三〕 現金プール調査事績表(証三〇〇三)について

(1) 第二の〔一〕~〔五〕において認定した具体的例は右表の中合鑑番号が「91」「41」「76」「118」「41」の五例であるが、右表所掲の小切手と証人中村進の証言(2)によれば、右五例のほか合鑑番号「28」「127」「56」の各場合も右五例と全く同様であることが認められる。また右表中二八―三〇―の手塚島男名義の表書のある小切手については、合鑑番号の記入はないが、証人手塚島男の証言によれば、記帳と現金の流通の関係は前掲の各場合と全く同様であることが認められる。

第四、結論

第一~第三において認定した事実を綜合すると

(1) 本期間の現金の管理、流通、還元の実態は組合員が現金プールの月に持参した現金(又は小切手)の中から事務所はの金を控除して受領する以外は、残額金額を当該組合員に還えしていたこと。

(2) その還元される残額の名称は給料名目、運転資金名目、プラスの金の名目の三つであるが、常にであつたこと、もつともが零の場合が零の場合、が所定額より不足する場合等それぞれであつたが右計算方式はわからなかつたこと。

(3) それであるから、諸記帳と現金の管理、流通、還元との関係は、支部勘定補助簿にあつては、右の式が成立することを前提にすること。

(イ) の場合はその組合員はの記帳額だけの給料は、現実には貰つていなかつたこと、しかしであるからであつて、つまり備考欄のがマイナスの場合は、その記帳からすれば、のマイナス分だけ、現実にうけとるは給料所定額より不足していたこと。

(ロ) の場合はであるから、当該組合員が受領すべき金額は備考欄ののプラスの分だけの合計額より多額であつたこと。

(ハ) 右(イ)(ロ)の関係は支部勘定補助簿の記載中備考欄のがプラスかマイナスの場合はすべての組合員に同様に認定されること。

(ニ) よつて(イ)の場合の同帳のの記載はの記載分だけ支給されていないにもかかわらず支給されたように、記載されているところから、明らかに架空の記載であること。

(4) 従つて給料台帳の記載も右の支部勘定補助簿の備考欄がマイナスになつている組合員については前述と同様に架空の記載であるにも拘らず、「印」欄に組合員の支給を受けたしるしとしての押印があるがこのことは本組合の対内関係では無意味の処置で組合外の第三者に対する関係で給料の支払を仮装するための処置と解するほかはないこと。(後記第四点参照)

(5) プラス、マイナスの金の関係は本期間にあつては、小切手によつて操作されており、その操作の具体的内容は既に詳論したとおり、極めて巧妙、複雑であり、小切手の操作自体からすれば、のプラスの金とのマイナスの金に融通したかの如く装われておるが、このような小切手の操作も本組合を第三者に対する関係で企業を合同した単一の事業体であるが如く仮装するための手段であると解しない限り、何故かかる複雑な作為がなされたか理解されないこと(同上)

(6) 以上の事務をとつていたのは甲斐さだえであるが、同人はこのような方法で現金プールをすることは、被告人木下仙友や横尾多須子から教わつたものであること。

が認められる。

第三点、昭和26、3月~昭和27、5月の間の現金の管理、流通、還元の実態

第一、支部勘定補助簿(証一五〇二)の記載について

(1) 月帳簿には昭和26、3月分~昭和27、3月分の現金プールの具体的内容が記載されているが、その様式、記載の方法、計算の方法はすべて証四六四の支部勘定補助簿のそれと全然同様である。

従つてその具体的内容も同一であると推認される。

(2) しかして右証一五〇二には既に第二節、第三節で認定した、小倉地区、京築地区の現金プールの具体的内容と全く同一の様式で記載され、一緒に編綴されているのが認められるが、右両地区の現金プールの実態も前叙第二点の結編中の小切手の操作の点を除き、全然同一であることが認められるところからも田川地区の右期間の現金プールの実態は、小倉地区、京築地区地点の現金プールの実態を本質においては同様であるということができる。

(3) ところで、証一五〇二の田川地区の各記載をみると、備考欄には常に証四六四の場合と同様にプラス、マイナスの金額の記載があることが認められる。(小倉地区、京築地区の分には必らずしも記載されていない)そしてその各組合員の各記載を計算してみると、右プラス、マイナスの計算方式は、第二点のの場合と全く同様であることが認められる。

(4) しかして証人甲斐さだえの証言及び証人吉村平策の調書によれば、甲斐は田川地区における第一回の現金プールのときから同プールの事務を担当していたのであるから、甲斐は第二点で認定したように証四六四を記載していたと同様に証一五〇二を記載したり、計算したりしていたことが推認される。

従つてこの点からも記載と計算の方法が証一五〇二と証四六四とは同一であることが推認される。

第二、田川地区における第一回現金プール(昭和26、3月分)について

〔一〕 証人吉村平策の証言及び調書、岩丸猛、瓜生猛の各調書、甲斐さだえ、進野コズエ、新井清の各証言並びに支部勘定補助簿(証一五〇二―一六八)の各記載を綜合すると、

(1) 田川地区における第一回の現金プールは、昭和26、4、1~4月頃、証人新井清方で組合員が集つて甲斐さだえが小倉から出張して来た被告人木下仙友及び横尾多須子の指導により、現金プールの事務を処理したこと。(北九州支部の総勘定元帳(証二九七六―一二七)「旅費」の中昭和26、4、4「田川出張旅費木下一五〇円」とあるのが認められるところからこのとき出席したのは木村ではなく被告人木下仙友であつたことが認められる)

(2) そのとき記載したのが支部勘定補助簿(証一五〇二―一六八)であること。

(3) その際に岩丸猛は事務所から月給所定額に対する源泉所得税相当額と、運営費と、日報代をひかれた残額は全額還元して呉れ、その中五、〇〇〇円は福岡銀行伊田支店宛、北九支部振出しの小切手であとは現金で計算違いすることなく還元してくれたこと、それ以外には、事務所から貰つていないこと。

(4) 瓜生猛は、この際に月給名目でも運転資金名目でもない現金を貰い、之につき事務員から「この金はあなたにあずけておくが、いずれ退職金名義か何かであなたにやる金だから、組合が返してくれというようなことはない。この金を仕入に使つたら日報に借入金をたてておいてくれ。」といわれたこと。

が認められる。

〔二〕 右支部勘定補助簿(証一五〇二―一六八)の各記載中、岩丸猛はがマイナスであり、瓜生猛はがプラスであることが認められるのであるが、前示のようにがマイナスのときの処理もがプラスのときの処理も第二点で認定した場合と同一であることからそのような処理をすることは、被告人木下仙友及び横尾多須子の指導によるものであつたことが認められる。

第三、本期間のがプラス又はマイナスの組合員の数について

(1) 支部勘定補助簿(証一五〇二―)の各記載を検討すると、田川地区の現金プールにおいて、プラスの金を貰つたもの(がプラスの場合)と、月給所定額どおり月給を支給されず、同帳簿上は支給したようになつている(がマイナスの場合)組合員の各数は次のとおりであることが認められる。

(丁数は右帳簿の丁数を示す)

<省略>

(2) 右表記載の如く各月毎にほとんど全部の組合員がプラスであるか、マイナスであるか、であつて、かつ各月の組合員を仔細に検討すると、ある組合員である月はプラスであるがある月はマイナスであるなどほとんどの組合員が右期間を通じてプラスもマイナスも経験しかつ実行していることが認められるのであつて、右のような事実からすれば、田川地区にあつては、現金プールにおいて、各組合員がプラスの金という無名目の金を記帳外において還元をうけていたか、または月給所定額どおりの支給はうけていなかつたかのいずれかであつたから、そのようなことは単なる例外的現象ではなく、右期間を通じての現金プールの状態であつたといわねばならないのである。

第四、現金プールに持参還元する「金」の内容について

証人吉村平策、村上正勝、岩丸猛、佐々木山、瓜生猛、野依幸子の各証言及び調書によれば

(1) 現金プールに持参する金は、当初は現金で日報の手元現金残高を持つていつたが、全組合員が昭和26、7月から田川信用金庫に当座預金の口座を設け、同金庫の集金人野依幸子らが各組合員の事業所を廻つて前日の売上金を集金し、各人の口座に振込むようになつてからは、各組合員が現金プールに持参するのは、その口座から一旦現金を引出して、従前どおり現金を持つていくか、又は小切手を手元現金残高に見合うだけ切つて持つてゆくようになつたこと。

(2) 運転資金名目で還元する金は当初より小切手であつたが(支部勘定補助簿中「小切手」=欄に記載されている)給料名目の金及びプラスの金は当初は現金で還元されており、昭和27、初め頃から伊田信用金庫の小切手により還元されるようになつたこと。

が認められる。

第五、結論

以上認定した事実を綜合すると、本期間における現金プールの実態は、第二点、第四の結論中(5)の小切手による操作の点を除き、現金の管理、流通、還元の実態も支部勘定補助簿の記載方法も全く右結論において述べたところと同様であることが認められる。

第四点、現金プールにおける現金の流通、還元の実態の仮装性に関する被告人木下及び事務員、組合員の認識

〔一〕 証人佐々木山、村上正勝、吉武継夫、平塚島男の各証言及び調書、並びに証人吉村平策、岩丸猛、瓜生猛の各調書を綜合すると。

(1) 現金プールにおいて、のプラスの現金又は小切手を貰つたときに右各証人は事務員甲斐さだえ等からそのプラスの金につき、

「この小切手は他組合員の月給不足分にプールした事に帳簿上なつているが、あなたのものだから日報その他の帳簿につける必要はない」

「このプラスというのは赤字の組合員に帳面上だけやつた事になつている金で日報にも帳面にもあげられないものですからそのつもりでおつて下さい」

「この小切手は、他の組合員に廻している様にしてある小切手はあなたの小切手だ」

(そしてこの小切手には他人の裏書がしてあつたこと)

「このプラスというのは組合の帳面上、他の組合員で赤字の出た人に廻したことになつている金だからあなたの日報にも帳面にはあげられない。しかし実際はあなたの金ですから日報や帳面にあげずに店の費用にでも使つて下さい。

「之は運転資金の足らん人に廻したようになつているがあなたにやる」

などの説明を受けたことが認められる。

(2) 現金プールにおいてのマイナス分だけ不足する月給を支給されたような形の場合同じく甲斐さだえ等から、各組合員は、

「月給に足らない分は他の組合員の分を廻したことにしておきましたから」なる旨の説明を受けたことが認められる。

(3) 右各事実からすれば、甲斐さだえ等事務員だけで叙上の記帳の操作により、プラスの金、マイナスの金を生ぜしめてその支給を仮装していたのみではなく、組合員に対しても前認定のように記帳上、書類上の記載と実際の現金の流通還元の実態が異ることを説明していたのであるから、各組合員もまたその記帳の仮装性を認識していたものというべきである。

〔二〕 しからばなぜ各組合員が相通じて右の如く記帳を糊塗したかといえば、正に岩丸猛の云う通り「税務署にわからぬようにするため」(証人岩丸猛の調書)であつたにほかならなかつたということができるのである。

そして運転資金や給料名目の金額を小切手によつて支給したようにしたのは、証人甲斐さだえの証言によれば、組合の現金の出入の裏付をするために、小切手を使つたのであつて、月給や運転資金をやつたことをはつきり残しておくことがその目的と認められるのであるから右の如き記帳が当初から行われていたことを考え併せれば、右小切手による支給は全く記帳上のみで相互に融通補填したように装うための手段として用いられたもので、そこにこそ目的があつたということができるのです。

〔三〕 しかして既に認定したように、証人甲斐さだえの証言によれば、プラスの金、マイナスの金を相互に融通補填したように操作し、支部勘定補助簿に架空の記載をすることは、小倉から指導に来ていた被告人木下仙友及び横尾多須子から教わつたことが認められるのであるから、田川地区の現金プールの実態は被告人木下仙友は充分に知つていたものといわなければならない。

第五点、借入金、処理の実態

(1) 日報の記載について

田川地区においては現金プールの判断のところで述べたと同様に、日報の縦書様式時代がなく、横書様式ばかりあつて、日報の記載の仕方については小倉地区、京築地区の記載様式と同一と推認されるし、領置してある田川地区各組合員の日報を仔細に検討するに、いずれも借入金の処理として収入支出の各支部勘定欄に記載されていることが認められる、すなわち、組合員が第三者から借用した場合は収入の支部勘定補助欄に記載し返済した場合は支出の支部勘定欄に、記載していたものということができる。

(2) 証人進野精生の証言によれば、借入金の処理につき個人で第三者から借りる場合に、組合から借りた様にしなければならないので一応組合が借り更に組合員が借りたようにしたことがある旨が認められるが、右証人進野精生は既に認定したように、田川地区にあつて発足の当初より解散に至るまで出張所長を勤め、終始田川地区の指導的人物であつたのであるから、田川全部につき右進野と同様な方法で借入金の処理が行われていたことは之を充分に推認することができる。

(3) 田川地区においては、組合事務所が自ら資金の借入れを行い之を各組合員に融通放出した事実を認めるに足りるなんらの証拠も存在しない。

(4) 之を要するに田川地区の借入金の処理の実態とその日報の記載の方法については、既に認定した小倉地区、京築地区の借入金処理の実態とその日報と根本的には同一であつたということができる。

第六点、結論

右のとおり本項各点において認定した事実を綜合すると、田川地区における現金の管理流通、還元の実態は、既に論述した小倉地区の結論(第二節第三項第五点)京築地区の結論(第二節第三項第五点)と本質的には全然同一であるということができる。

以上要するに組合事務所及び各事業所となされていた諸記帳は現金の管理、流通、還元の実態を実質的にはなんらの反映していないにかかわらず、それらの記帳のみからすれば、恰も企業を合同した組合として統一計算を実施しておるかのように記載されているのであるが、その実態は既に論述したようにその事業所の利害損得はすべてその組合員に帰属していたのであるから、かかる記載はそのうよな実態を掩蔽し、統一計算企業合同を仮装するためになされていたものであるということができるのみならず、右認定のように諸記帳を操作することにより組合事務員と組合員と相通じて当該事業所の売上金をそれらの記帳から脱漏させていたと断定せざるを得ないのである。

第七点、附論

〔一〕 昭和28、2初の頃福岡県支部評議員会について

(1) 証人吉村平策、佐々木山の各証言及び調書、証人村上正勝の証言によれば

(A) 昭和28、2初め項、福岡市高畑本町の本組合本部事務所で行われた福岡県支部評議員会には田川出張所から出張所長進野精生、福出張所長羽根了三、理事松村精一、事務員阿部礼三、同相沢某が出席したほか吉村平策、村上正勝、佐々木山が傍聴人として出席したこと。

(B) その会合では、地区別の脱退者数の調べ、税務署検察庁の取調べに対する対策、組合運営対策についての討論などがあり、取調べに対してはパーラレツトをくばつて組合は個人ではなく法人であり、各人は、本当の月給取りであることを検察庁の調べに対して主張するように教育してくれ、組合の運営については今迄の現金プールは具合が悪いから三月から初める新らしい現金プールの方法でやれば裁判に勝てるということを県支部長の筒口某が説明したこと。

(C) 証人吉村は筒口に対し

「我々が今迄貰つているプラスの金や実際は貰つていないマイナスの金は若し取調べを受けた際はどういう風に答えれば良いのか、税務署や検察庁で押えている書類で実際の事を知られてしまつているし、只貰つていない、貰つたとつつぱられる筈がないではないか」と質問したところ筒口は、「それは只組合員の団結の力で突つぱるよりほかに途はない」と実に無責任な返答をしただけであつたので、最後は組合でなんとかして具れると思つていたし、吉村、村上、佐々木の三名が傍聴にいつたのは右の点につき合法であるとの説明があるものだと思つて出席したのであつたから右の返事を聞き吉村は組合に見限りをつけたこと。

(D) 吉村は右の筒口の返答を佐々木、村上、瓜生猛に話し脱退を相談したところ、いずれも脱退に賛成してくれたこと。

(E) 吉村は帰路進野に田川出張所全員に無記名で投票させて組合に留まるか、脱退するかを多数決で決めようではないかと提案したが右会合の翌日頃、田川出張所の事務所でひらかれた評議員会の報告及び組合員教育の会には組合員はほとんど集めたが右吉村の提案は実行されなかつたこと。しかしプラスの小切手、現金マイナスの金について県支部長等の周而からは納得のゆく説明はなかつたことは進野から報告されたこと。

(F) そこで右会合の直後、吉村は岩丸と一緒に脱退し、続いて村上、佐々木、松尾誠等も脱退したが、その理由はいずれもプラスの金、マイナスの金の説明がつかないことにあつたこと。

が認められる。

(2) してみれば田川出張所にあつては一斉捜査後プラスの金、マイナスの金の合法的な説明に苦慮しており県支部や本部の説明に期待をかけていたところが、なんら合法的な根拠を説明して呉れなかつたことにより、田川地区の発足当時からの古い組合員が吉村を初めとして相次いで右県支部評議会の直後に脱退してしまつた(瓜生猛も同人の証言によればその当時脱退している)のであつて、右のプラスとマイナスの仮装性が之らの組合員の脱退の動機になつたことが認められるのであるし、福岡県支部としても之に対し組合員を納得せしめるに足りる理由はつけることができなかつたことが認められるのである。

〔二〕 昭和27、11月以降の現金プールについて

証人瓜生猛の調書によれば、昭和27、11月以降の現金プールにあつては、売上金を多く持つて行つたときはそれまでのように他の組合員に廻したようにせずに運転資金として渡しており、又月給所定額に足らない額を持つていたときは、月給額に達するまでプールの期日を引延ばして組合にプールにゆくようになり、プラスの金、マイナスの金はなくなつたことが認められる。

しかしこの方法も又〔一〕で述べたように県支部としては具合が悪いという批判をしていたことも認められるのである。

第四項 加入時における資産譲渡の実態

第一点、各組合員の加入時の資産処理の実態

第一、田川地区においては昭和26・3・1に発足した際組合員は九名であつたが

昭和27、9月末迄は僅か二名加入しただけであつたのに昭和26、10月頃から遂次増加している。しかしながら発足当時加入した九名の組合員は一斉捜査後までは、一人も脱退しなかつたばかりでなくいずれも田川地区の指導的地位にあつて田川地区の運営基準となつていたことが既に認定した事実から認められる。そこでそれらの組合員につき加入の手続を具体的に論述することにする。

(1) 証人吉村平策

同証人の証言及び調書によれば、被告人木下仙友等の証明により加入するには営業用資産を組合に売渡したことにする必要があるので昭和26、2、28、同証人宅一家総がかりで棚卸をやり(組合からは立会はない)その覚書を三月頃甲斐に渡し、甲斐から棚卸表貸借対照表を作成して貰い之を小倉の支部に送つて貰つた。それで資産を形式上組合に売渡した事になつたが、組合は買上証を昭和26、4月にくれただけで、代金の支払の取決はしていない。この売渡しは形式的なものであるから代金を支払わないことは初めから予想していたことであり不安を感じていなかつたことが認められる。

(2) 証人村上正勝

同証人の証言及び調書によれば、同人は昭和26、2月未頃、木下の立会の下に木下から貰つた用紙に棚卸の明細をつけ出した。それは木下のいうとおり、商品は仕入価額で、備品什器は時価の七割で評価した。之には売掛金八万円位、買掛金七万円位の外現金もつけ出した。

このようにして出来上つた棚卸表はその日に木下に提出した。しかし加入のときの木下の説明で組合は買上げるというが脱退するときにはそのまま返すということを聞いて実際は形式上組合が買上げたことにしているのと同じで結局は自分のものという気持があつたので、引継いだ営業用資産の合計額など気にしていなかつた。加入中代金は貰つていないし、決済はつかないままである。そして引継に対し組合から買上証とその代金の借用証を貰つたが借用証は紛失したことが認められる。

(3) 証人岩丸猛

同証人の証言及び調書によると、昭和26、2、28に一人で棚卸を組合の指示どおり商品は仕入値で備品や什器は時価で評価して資産棚卸表を作成し、甲斐さだえに提出した。之は本当に組合に売渡すのではないので売買契約書等を取交さず、只組合から買上証と営業用資産の代金の借用証をくれた。代金の授受をする気はないので、弁済期や利息のとりきめはしていない。代金は之れらの資産を私の店から他所に持つてゆくなら貰うつもりでいた。

買上証や借用証は、昭和27夏前に斯様なものを持つていると税務署から調査を受けたときに困るからといつて組合で回収したので出したことが認められる。

(4) 証人瓜生猛

同証人の証言及び調書によれば、営業用資産は本当に売り渡すのでもなく、代金を貰う訳でもないので昭和26、2、28に一人で組合の立合なしで棚卸をした。評価は被告人木下仙友から聞いたとおり商品は仕入値、備品、什器は時価でした。本当に売買するのであれば売買契約書を取交し、組合に売渡証を渡すのだが本当に売渡すのではないからそのようなことはせず、単に営業用資産の買上証と、その資産の代金の借用証を貰つたにすぎない。組合から代金の支払は受ける気持はなかつた。いつ払う約束も利息の取きめもしていないこと。この買上証と借用証は昭和27、3月現在組合が組合員全員から、組合員がこれらの書類を持つているのは具合が悪いということで回収したので契約書などを取交していないし、資産をとられることはないと思つてその回収に応じたことが認められる。

(5) 認定

右(1)~(4)の各組合員の加入時の資産処理の実態と、本節第二項で説示した、吉村方説明会における被告人木下仙友の加入時の資産の処理についての具体的説明とを綜合して勘案すると、組合(田川の場合は直接交渉の衝に当つたのは被告人木下仙友である)と、田川地区発足にあたつての九名の組合員とは各々相通じて

書類上の手続としては、加入に際し営業用資産を棚卸して棚卸表を作成し、債権債務もあれば之も含めて貸借対照表を作成し、それらを組合に提出し、組合は之に対し、それらの資産の買上証とその代金の借用証を組合員に渡していたこと。そしてこれらの手続と書類を整えることにより、組合は営業用資産を買上げたと称し組合員は売渡したと称していたこと。

しかしながら、右は単に売買の形式を整えるための単なる書類のみの整備であつて、組合側は真実に買う意志はなく、したがつて代金を払う意志はなく、組合員も真実に売る意志はなく代金を貰う意志はなかつたこと。

が認められる。

(6) 右四名と一諸に田川地区の発足に参加して加入した。証人進野精生の証言によれば、「棚卸をして棚卸表をつくり、買上証を貰つたがそのとき代金の契約はしなかつた」旨が認められるが、このことは前示(5)の認定と矛盾するものではない。証人進野コズエは「棚卸をして貸借対照表を作り、それらの資産を売つた代金は貰つていない。組合に金ができたら払うと思つていた」証人新井清は棚卸をした買上証をもらつた。組合に売渡し、代金については金がないから借りておく、出来たとき払う、資産は脱退のとき買取つて貰うとの説明をつけた。代金は貰つていないと各供述し一見組合に代金を支払う意思があつたかの如くであるが、真実とは前記(5)記載の通りであり、このことは第三項の現金の管理、流通、還元の実態から明かなごとく本組合は第三者から借入をしない限り、絶対に右代金の支払に当てるべき資金として組合員の各事業所の売上による利益を処分しうる機構でなかつたのであり、かつこのことは組合側も組合員もそれぞれ知つていたことからも明白なことであるから前記の各供述は信用することができない。

第一、その後の処理の実態

(1) 証人佐々木山(昭和26、10、1加入)

同証人の証言及び調書によれば、組合事務員二人の立会で営業用資産の棚卸をやり、棚卸表を作成して、組合に提出した。組合は之に対し単に買上証と営業用資産の代金に対する借用証を貰つただけであつて、代金については弁済期も利息のこともなかつた。これら書類を作成したことにより組合に売渡したことになつたが之は形式だけである。買上証、借用証を持つていると税務署から書類自体を差押えられるから組合に預けておけといつてきたので昭和27、2月頃組合に渡したことが認められる。

(2) 証人田口ノブエ(昭和26、10、11加入)

同証人の証言及び調書によれば、昭和26、10、12頃事務員阿部の立会で棚卸をして棚卸表を作成し、この表を組合に提出したことにより、組合に営業用資産を売渡したことになつた。そのほかに売渡しの書類は貰つていない。之は私が阿部に私の事業所にそのままおいておくので商売することも自由だから売渡しの書類は必要がないといつたからだと思う旨のことが認められる。

(3) 証人吉武継夫(昭和26、12、1加入)

同証人の証言及び調書によれば、昭和26、12、1事務員の甲斐と阿部それに進野精生も来て、棚卸をしたら、商品、備品の合計約五〇万円位、借入金が信用金庫や相互銀行などに約四〇万位あつた。之も棚卸につけ出した。この棚卸したことにより、営業用資産は組合に売渡したことになり、借金も組合に肩替りしたことになつた。之は形式的なものだから借入先には通知してない。買上証も何も貰つてない。

右加入の際に脱退は自由だと聞き、加入するときは一応商品陳列は売渡すが脱退する場合には組合はその代金を支払わないから自由に脱退してそのまま個人に返つてくるというので、そのような前提で組合に加入しているので、たとえば加入のとき、一〇〇万円あつて脱退するとき一二〇万円になつていたら二〇万円を組合に返すとか、脱退するとき八〇万円になつたから組合が二〇万円返すとかいうような話は全然聞いていない。儲けていれば儲けたなりに損していれば損したなりに返すと聞いていたのであるから、脱退してしまつた。今では精算の必要はない、そうだから私達は加入したのである旨のことが認められる。

(4) 証人平塚島男(昭和27、5、1加入)

同証人の調書によれば、営業用資産は棚卸表を作成して組合に引継いだことにしているが、組合は初めから代金は払わないといつているから、組合から代金をとる考えはなかつた。資産目録を組合に出しているだけで借用証は貰つていない。組合に引継いだ形にしてあるだけで資産も自分で持つているので脱退の際に返してもらうとか精算するような必要はない旨のことが認められる。

(5) 認定

右四名の組合員の加入に際しての資産の処理についての手続と組合側及び組合員の真意は第一の(5)で認定したことと全く同様であつて、そのことは加入年月日の相違、地域の相異にかかわらずなんら相違は認められない。

第二点、書類 証書について

(1) 田川地区の組合員の営業用資用が組合の資産として記載されているものには、第二節第四項の小倉地区の認定のところで挙示した帳簿類中にも存在するほかに、財産目録(証五〇六)棚卸目録(証五一九)総勘定元帳(証二九七六)が存在することが認められる。

(2) しかしながら、第一点において認定したところから明らかなように、右帳簿類の記載に拘らず資産が組合の所有であるとは認めることができない。

第三点、結論

第一点、第二点において認定した事実及び第二項で認定した組合の資産処理についての説明の内容とを綜合して要約すると

組合員は加入に際し、営業用資産の棚卸をして棚卸表、貸借対照表を作成して組合側に提出し、組合側は、組合員にその資産の買上証、代金の借用証等の一連の書類を作成交付するにとどまり、組合側は右資産の所有権を真実取得する意思がないのにかかわらず、かつ代金のことだけであることを知つており、代金を貰う意志はないのにかかわらず、之を売渡したと称し、組合事務所には第二点に掲記した各種書類を備付けていたのであり、このことは、田川地区に本組合が発足した昭和26、3月以来、昭和27年に至るまで一貫しており、そこに年月の経過による差異は認められず、以上の諸事実は、組合側つまり被告人木下仙友を含む、各事務員、役員、及び各組合員も知つていたのであるから、各組合員の従来の個人営業時代に所有していた営業用資産は従来どおり個人である各組合員の所有のままであつて、なんら組合の所有に移譲されたものはなかつたのみならず、却つて右のような作成、備付、交付した書類はすべて真実に売買された如く、第三者特に徴税官庁に対し、仮装するための手段であつたといわさるをえないのである。

第四点、債権債務の引継について

既に認定したように加入時に作成して組合員が、組合に提出した貸借対照表の中には債権債務の記載もあるのであつて、右表に記載し、それを提出することにより債権債務を組合に引継いだと称していたことは資産の譲渡の場合と同一であり、右貸借対照表の作成は、単なる形式にすぎなかつたのであるから債権の譲渡、債務の引受をなしたものでないことは明らかである。

第五点、固定資産の債貸借について

証人佐々木山、瓜生猛の各証言及び調書によれば

その家屋(店舗)を組合に形式上債貸又は転貸したようにして、その賃料は日報に経費として記載して売上金から差引いていたことが認められる。

このことは第三項の現金の管理、流通、還元の実態と第三、四点の資産処理の実態とを併せ考えてみると、店舗、工場、土地の債貸借も又形式的なものにすぎなかつたことが認められるのである。

第六点、附論

証人瓜生猛、吉武継雄(加入中に新設)進野精生の各証言及び吉村平策の調書によれば、以上の組合員は、それぞれ所有していた電話加入権の名義を本組合名義に変更していることが認められるが、証人吉村平策の調書によれば、

昭和27、7月頃、進野精生が「電話も組合名に切り換えた日報から電話料を経費として落すのに都合が良いから、切り換えたらどうか」といわれ、切り換えても、電話の所有権を組合から取られるわけでもないのですぐ切り換えたことが認められるところから右名義変更を以つて所有権譲渡の証左とするわけにはゆかない。

第五項 田川出張所の実態

第一項~第四項において詳論したところを要約すれば、

田川出張所における本組合の実態は、昭和26、3、1被告人木下仙友等の説明指導による本組合の実態を納得承知して発足し、各組合員の事業所における営業の実態は、全く従来の個人営業の継続であつて、営業用の資産を組合に真実に売渡す等して、企業合同した単一事業体の中に没入することをせず、すべて従来の個人の所有のままであり、その店舗又は工場等のいわゆる事業所における売上金はすべて個人の管理、流通、還元のまま、放任されており、その営業の損益の危険負担はその組合員たる個人が負い、組合員は組合側に対し、加入に際し出資金一口五、〇〇〇円中二、〇〇〇円、加入金五〇〇円を支払うほか、毎月運営費、源泉所得税相当額、ときに日報代、新聞代を支払う以外は全然現金提供せず、組合側(直接的には事務所)は右各金額を受領する以外には各組合員の売上金を統制掌握する権限を有せず、各事業所つまり従来の個人の店舗又は工場より生ずる全所得は実質的には全く個人であるその組合員に帰属していたにかかわらず、

組合の加入に際しては、その組合員の営業用資産を組合が買受け、組合員は売渡して企業合同したような帳簿書類を作成し、備付け、相互に取交しており、現金の管理、流通、還元についても、組合が統一計算を実際に行い、組合と各組合員の間、組合員相互間に現金(売上金、借入金)の融通流通があつていたように書類帳簿を作成し、小切手を操作し、月給を定めたものの、所定額どおりの支給(実質的には支給ではなくて個人の現金の還元にすぎない)が、なされていない場合でも、所定額どおり、支給していたように帳簿書類を作成し、小切手を操作し、さらに、帳簿、日報、小切手の各記載を操作することにより、組合(直接的には現金プールを担当する事務員)と各組合員には相通じて、各組合員の事業所の売上金を組合及び各組合員の諸記帳から脱漏させて、各組合員に記帳外の所得を得させていたのであつて(この田川地区における小切手による昭和27年中頃の操作は他出張所にまして巧妙を極めている)かかる一連の表面的形式的帳簿書類の整備は第三者をして一見企業合同し、統一計算を実施しているかの如き観を抱かしめるための仮装のものであつて、之らのことは田川地区の役員、事務員、組合員はもとより、被告人木下仙友も知つていたといわなければならないのである。

第五節 福岡出張所

第一項 組織、設立、及び役員、職員の本組合内容の説明について

第一点 本地区における本組合設立の経緯

第一 福岡市生活擁護同盟について(単に生擁同と略称する)

証人高杉義行、森高殖、吉岡照雄、山本市助、前崎卯吉、市川喜壮、高島常雄の各証言及び調書、並びに証人牟田茂雄、緒方明治、岩瀬浅次郎の各証言、生活新聞綴(証一七五三)の中の各氏名及び組織に関する記載事項を綜合すると、

(1) 福岡市には昭和24年頃には既に福岡市生活擁護同盟という任意組合の団体があつたこと。

(2) その主な仕事は、「業者の困つた問題、税務の指導帳簿のつけ方、決算の仕方、税務署との交渉の指導」「生活保護、医療法などの指導」「借家問題や土地問題の指導」にあつたこと。

(3) 会費は毎月一〇〇円であつたこと。

(4) 組織は、福岡市下対馬小路電停前に本部事務所を設け、大名、簀子、須崎、警固、御供所、春吉、千代、住吉、吉塚、西新、今宿(のち東住吉)の各地区に支部を設けていたこと。

(5) 役員、職員は(昭和25年春頃)

(A) 村田豊治は、副会長であり、のち福岡県生活擁護同盟連合会長(証人として尋問した村田豊治とは別人である)

(B) 青柳三郎会長でありのち会長

(C) 牧瀬慶博は副会長であり常任

(D) 岸本真は本部の事務局長

(E) 高杉義行は吉塚支部長

(F) 吉村善雄は警固支部長

(G) 安武謙二郎は本部書記

(H) 仲尾輝光は千代支部の常任(書記)

(I) 平尾某は吉塚支部の常任(書記)

(J) 梅津某及び門田某は春吉支部の常任(書記)

(K) 草場某は西新支部の常任(書記)

(L) 石内某は幹事

(M) 緒方明治はのちに幹事になり、会長

であつたこと。

(6) 毎月一回「生活新聞」という機関紙を発行し、その編輯人、発行人は岸本真、又は安武謙二郎であつたこと。

第二 被告人森原春一の生擁同会員に対する本組合の説明、及び生擁同役職員の本組合の説明について

〔一〕 証人高杉義行、森高殖の各証言及び調書、証人牟田茂雄、緒方明治の証言、生活新聞綴(証一七五三―四三三)の各記載を綜合すると、

(1) 被告人森原春一、木下仙友は昭和25、1月以降しばしば福岡に出張し、右生擁同に対し本組合えの加入方を勧誘したこと。

(2) 昭和25、2月頃、福岡市の県庁裏にある労働会館二階で右生擁同の総会があり、二、三〇名の会員(前示、岸本、仲尾、牧瀬、平尾、高杉等出席)の集会した席で、岸本から被告人森原春一は本組合理事長である旨の紹介があり、その席上で被告人森原は本組合の具体的内容につき、

「中小企業等協同組合法という法律に基いて、小倉で共栄企業組合を設立している。この組合は法人であつて、組合に加入すれば、従来よりはるかに税金が安くなる。組合に加入するためには自分の店の商品や備品を組合に売つて従来の店舗を組合の事業所となし、組合から月給をもらつて生活する給与所得者となるので源税を納めさえすれば営業所得税や事業税を納めないで済むからである。営業用の資産を組合に売渡すというのは、中小企業等協同組合法に企業組合を作る為には組合に加入しようとする業者は営業用の資産を組合に売つて組合の月給取りとならねばならない事に決つているので、事実は組合が買取るものではないが、組合が買取つた形式を履むのである。組合えの加入脱退は自由で組合を脱退する際には営業用の資産は組合員に還すのであつて、つまり組合加入中は利益を各事業所に蓄積し、脱退する際にはその利益をもつて脱退するわけである。加入する際には出資金五千円(二千円だけ払込めばよい)と加入金五百円を出してもらわねばならない。脱退の際には加入金は返還しないが出資金は全額返還する。なお毎月組合の経費や法人税の支払にあてるために卸売業者は売上の一%まで小売業者は売上の三%までの積立金を納めてもらわねばならないが、これは金額にして大したものではないので、従来よりもはるかに税金が安くなる訳である。組合員は組合に日報さえ出せば、その他には帳簿等一切つける必要がない、日報は簡単に出来ている帳簿の智識がない者でも容易につけることができる、積立金は組合の方から常任が月一回集める廻る。日報は常任が一週間に一回位集めに廻る。積立金や日報は組合員が自分で持つて来る必要がないからその方で時間をとられるようなこともない。この様に大した手間はいらないので、税金が安くなる共栄企業組合という組合を小倉でつくつているから同盟員を全部組合に加入させて呉れという趣旨の説明をしたこと。

(3) 証人高杉はそのご西中洲の商工会議所で、商工中央金庫の係官から企業組合の説明を聞き、企業組合を設立しても法人税の税率は一般法人とかわらないので租税軽減の利益はない、ただ商工中央金庫の融資の対象になることができるのが利益である旨の説明をうけたので、前示被告人森原の強く主張するところと異るので、共栄企業組合はなぜ租税負担が軽減されるかを被告人森原に質問したところ、同人は、

「黒字の組合員の利益で赤字の組合員の損失を補填するように帳簿上操作をするので組合員全体からみれば大して上つていないようになり、従つて組合が法人税を納めるのが少くて済む」旨を答えたこと。

(4) 生擁同の中ではこれらの被告人等の加入の勧誘に対し、賛否両論あつたが、大勢は加入する方に傾いたこと。

〔二〕 吉塚地区について

(イ) 証人高杉義行、村田保、只松栄二郎、野田虎男、小川砂男、東芳彦、西村正信、稲葉吉良の各証言及び調書を綜合すると、

(1) 生擁同吉塚支部(東部支部ともいう)では、本組合のことについて、昭和25、3月頃、吉塚公会堂(吉塚消防会館ともいう)二階で、生擁同の東部支部の総会を開いた際に同盟員に対し、支部長高杉や常任平尾が、本組合の具体的内容について前敍被告人森原から聞いたことと同趣旨の説明をしたこと。

(2) さらに昭和25、4月中旬頃、昭和25、5月頃に、二、三回に亘り、右吉塚公会堂で本組合の説明会を聞き、岸本、高杉、平尾も列席し、聴取者三〇~五〇名(同盟員が主であるが加入希望する非同盟員もいた。前掲証人も皆出席している)を前にして被告人森原春一は本組合の具体的内容について、

中小企業協同組合法という法律に基いて、四五ケ月位前から小倉市に共栄企業組合という法人を組織しているので、福岡の方でも之を設置したいと思い、皆さんの賛意を得たい。

組合に加入するには出資金一口五〇〇〇円のうち二〇〇〇円と加入金五〇〇円を納めてもらう、この出資金は脱退のとき金額返還するが、加入金はかえさない。

組合に加入すると、今迄の店や工場は、組合の事業所となり、組合の従業員ということになるので商品、備品、什器などの営業用資産を組合に売つて貰わねばならない。しかし、営業は、従来どおり皆さんが自由にやれ、利益も各自のものになるのであるから、売る買うといつてもこれは形式上組合の帳簿にのせるだけであつて実質上は依然として組合員個人のものである。

営業は組合の事業所ということになつているが組合員が従来どおり、自分の思う通りやれるのであり、組合は全責任を委せたことにして一切干渉しない。

組合に加入すると組合の月給とりということになるが、之も形式的なものである。しかし一応月給取りということになるので、所定額に対する源泉所得税相当額を納めてもらう、之も大してかからないように月給額を決める。従つて従来のように事業税や所得税はかかつてこなくなるから、税金はいままでにくらべて安くなる。

組合員は組合に対して組合を維持する費用として僅かばかりの積立金を納めて貰えばあとの売上金は月給と運転資金という名目になり組合員が自由に使用することができる。

加入、脱退は自由であり、脱退するときは、組合に売つたことにしていた営業用資産はそつくりそのまま返すからその後の営業に困ることはない。

組合に加入すると日報をつけて貰わねばならないが、これは簡単につけられるもので、日報以外は帳簿は要らないので、記帳に時間を取るようなことはない。日報は一週間か十日に一回、積立金は一回組合から集めに行く

加入すると組合の従業員で月給取りということになるから加入前の個人営業を廃止したという廃業届を税務署、財務事務所、市役所等に出して貰わねばならない。

営業用資産を組合に買上げたということにするため、加入のとき資産の棚卸をして棚卸表を出して貰わねばならない。

などの趣旨のことを巧妙な言廻しで、説明したことが認められる。

(ロ) 生擁同吉塚支部では被告人森原の右説明を聞き、さらに常任平尾の熱心な勧誘もあつて、相等数のものが本組合に加入したことが認められ、

生活新聞昭和25、525号(証一七五三―四)によれば同日迄に加入した吉塚地区の組合員は二六名であることが認められる。

(ハ) 証人金丸勝の証言及び調書によれば同人は昭和24年生擁同吉塚支部に加入し、常任平尾から本組合のことを聞き、同人のすすめで前示、東西村と共に、昭和25、4月頃下対馬小路の本組合事務所(生擁同、事務所の一部を借りていたもの)に行き、電車通りにあふれる程集つた人々と共に(岸本真も同席していた)被告人森原春一の本組合の具体的内容についての説明を聞いたが、その内容の重要な点は前示同被告人の説明と全く同趣旨の内容の説明をしたことが認められる。

(ニ) 証人田中末蔵の証言及び調書によれば、同証人は昭和25、3、20頃同人宅で

証人島田崎太の証言及び調書によれば、同証人は生擁同西新支部に所属している者であつたが昭和25、7上旬頃下対馬小路の本組合事務所を訪れたとき、

証人山田楠美の証言及び調書によれば同人は、生擁同の会員だつたが昭和25、5、8に福岡吉塚町東堅粕にあつた生擁同吉塚支部の事務所と一緒になつていた。本組合吉塚班の事務所にゆき、いずれも、

生擁同の常任と本組合の事務員とを兼任していた、平尾某から本組合の具体的内容の説明を受けたが、その説明は多少の語句の相違や、内容の広狭はあるが、いずれも根本的には前敍被告人森原の説明の内容と全く同趣旨のものであつたことが認められる。

(ホ) 証人岩瀬浅次郎は吉塚公会堂で右平尾の本組合の具体内容についての説明を聞いたがその内容は前記内容と異るが如く供述するが、当時(同証人は昭和25、1月~2月頃聞いたと称するが、前述のような経緯からして右公会堂での説明会は昭和25、3月以降であつたと推認される)同公会堂で行われた被告人森原高杉、平尾の説明は前述の如く一貫して同一趣旨であつたことが認められるから、他の者と一緒に平尾の説明を聞いた右証人のみ異る趣旨のことを聞いたと供述しても該供述は信用できない。

同様に証人比田勝達玄の証言によれば、昭和25年春頃は福岡市吉塚一丁目に住んでいて、知人の本村佐太郎から本組合のことをきき、さらに同人を通じて本組合の事務をとつていた平尾から同証人宅で本組合の員体的内容について説明を聞いたことが認められるがその説明内容がいかなるものであつたかを窺い知ることができる供述はない、しかし前段説示の理由により、同日頃右比田勝に対して、行つた平尾の説明も前敍認定の各内容と本質的に別異なものであつたとは考えられない。

〔三〕 千代地区について

(イ) 証人木下富士枝、高杉義行の各証言及び調書並びに証人緒方明治の説言と綜合すると、昭和25、4月5月頃福岡市千代町の千代消防会館で本組合の説明会が開かれ、聴取者三〇~四〇人位が出席し、(前掲の村田豊治、梅沢、仲尾、牧瀬が列席)その席上被告人森原春一は本組合の具体的内容につき、前掲吉塚公会堂における同被告人の説明と全く同趣旨の内容の説明をしたことが認められる。

(ロ) 証人松尾初枝の証言及び調書によれば、同証人は昭和25、4月頃千代町市場内で他の市場の一四~一五名位と一緒に牧瀬から、

証人塩足勝の証言及び調書によれば、同証人は、昭和25、3月以降ほとんど毎月のように千代町市場に来て、市場の者に本組合えの加入を勧誘していた、牧瀬、仲尾から、同市場内で、

証人貞好夫の証言及び調書によれば、同証人は昭和25、5中頃生擁同事務所で牧瀬及び仲尾から、

証人吉岡照雄の証言によれば、同証人は昭和25、5末頃右千代消防会館で四〇~五〇人の人々と一緒に仲尾から、それぞれ本組合の説明を聞いたが、右牧瀬、仲尾の説明は、前叙被告人森原が吉塚公会堂でなした説明の内容と全く同趣旨であることが認められる。

(ハ) 右挙示の各証言によれば右のような勤務と説明の結果、千代田市場を初めとして、千代地区からは多数の加入者が続出し、生活新聞、昭和25、5、25号(証一七五三―四)によれば、同日頃には約三〇名の加入者があつたことが認められる。

〔四〕 西新地区について

(イ) 証人森田伝、畑義体の各証言及び調書によれば

右同証人等は生擁同西新支部に所属するものであるが、昭和25、3月下旬頃、福岡西新町今川橋通り草場方(生擁同の連絡所)で開かれた生擁同の会合で、生擁同の話がすんだ後、草場は同席していた被告人森原春一を紹介し、同被告人はその席で一〇名位の生擁同会員に対し、本組合の内容の説明をしたが、その説明の内容は、同被告人が前示吉塚公会堂でなした説明の内容と全く同趣旨であつたことが認められる。

(ロ) 証人山本市助の証言と調書によると、同証人は生擁同西新支部に属するものであるが、昭和25、2月~3月頃武藤荒彦と共に小倉市の本組合事務所を訪れ、そこで被告人森原春一及び女の事務員から本組合の具体的内容についての説明を聴いたが、その趣旨とするところは、同被告人が前示吉塚公会堂でした説明と全く同様であつたことが認められる。

〔五〕 警固地区について

証人高島常雄の証言と調書矢野次八郎の証言、証人矢野恵美子の証言によれば、高島と矢野次八郎両名は昭和25、3初頃、生擁同警固支部事務所における同支部の会合で同支部長の吉村善雄から、本組合の説明を聞いた同人の説明は前示被告人森原春一の吉塚公会堂における説明と同趣旨であつたことが認められる。

〔六〕 春吉地区について

証人市川善壮の証言及調書によれば、同証人は昭和25、4初頃、生擁同春吉支部の会合で生擁同の常任門田某から本組合の説明を聞いたが、その趣旨とする根本的な点は前示被告人森原春一の吉塚公会堂における説明と全く同様であつたことが認められる。

〔七〕 生擁同本部関係について

(イ) 岸本真の説明

証人片山平作の証言及調書によれば、同証人は、昭和25、1月頃生擁同に加入していたが、昭和25、3月中旬頃、福岡市上名島町の三浦時計店で本組合の説明会があり、常任の末次が呼びに来たので出席したが、一四、五名位集つており、その席で岸本は本組合の内容について説明したが、その説明は、前示被告人森原春一が吉塚公会堂で行つた説明と本質的には全く同趣旨であつたことが認められる。

(ロ) 村田豊治の説明

(A) 生活新聞昭和25、5、1(証一七五三―三三)によれば村田豊治は同新聞に「企業組合とはどんなものか」という解説を発表している。その解説は四項目に分れていて要約すると、

「◇ 企業組合とは何か、

企業組合は“協同組合方式の株式会社”とでもいうか、組合員は出資者があるとともに、組合の企業ではたらく勤労者になるのである。だから税金も組合員には営業所得税にくらべて軽い勤労所得税がかかつてくるだけで、ほかには事業税も附加価値税も個人には一切かからない、税務署との交渉や差押えの苦痛などから一切解放されるから大助かりである。

◇ 営業は元のまま(この項原文のまま掲記する)

では組合運営の実態はどうか、共栄企業を例にとつてのべよう。

組合に加入するには加入申込書を出す。理事会にかけて許可にきまれば加入金五百円と出資金一口五千円の第一回払込二千円をおさめる。

商品あるいは設備それぞれ評価して組合が買上げるが、組合にはそれだけの資金はないので相当金額の借用証を個人に渡す(組合を脱退するときには商品も設備も個人に返される)こうして個人営業者から組合の店で働くサラリーマンになるが(共栄では月給最低千円から最高一万五千円としている)各店は独立採算制で各人はその店の責任者として従来どおりの看板で従来通り営業をやつていけばいいのである。ただ毎日の総売上高と仕入、諸経費明細を記入した『日報』を組合に出せば、その後の記帳などの事務は組合事務所でやる。

その店の収入が給料を超える場合は、のこりは運営費として組合からその店に貸付けるようになつているから、各店の所算は個人営業の場合と同じように保証されているわけである。

◇ 組合員の負担(原文のまま)

組合員は毎月、月給に応じた勤労所得税を組合を通じて払うほかに積立金として売上げの〇、五%ないし、二%(業種によつてちがう)を組合におさめる。これは組合の職員の給料その他の諸経費や組合にかかつてくる諸税にあてられるが、それを合せても個人営業の場合の税金に比べると、ほとんど半分以下ですむ、積立金は年度末にのこれば各組合員に返される。

◇ 企業組合のよさ

(1) 重税の苦しさから救われる

(2) 金ずまりからも救われる

(3) 営業成績からいつても従来の税金分だけ商品や加工賃を安くすればおとくいを増す。

文字どおり一石三鳥である。

なお詳細は同盟の本部または常任にお問合せねがいたい」

というのである。

(B) 証人林末次郎の証言及び調書によれば、同証人は、同証人が加入した昭和25、4月頃前示岸本及び村田から本組合の説明を受けたのであるが、右両名の説明は、

「共栄企業組合は組合法に基いて設立された中小企業者保護のための組合である。加入するとそれまでの店が組合の事業所になり、組合員は事業所の責任者になり、事業は従来どおりやつてゆける、営業用資産は組合が買取るのだが組合には金がないから代金は払わない。脱退は自由である。脱退のときにはその時にある営業用資産はそのまま脱退者に返すことする。組合員は月給取りということになるから、源泉所得税だけ納むれば良い。事業所得税や事業税は納めなくて済む。加入の時、出資金二千円を払込んで貰うが脱退の時には金額かえす。加入の時には税務署等に廃業届を出さねばならない。又加入後は取引等を日報に記載して組合に出してもらい毎月売上高の〇、五%乃至二%位の金を組合運営費として組合が徴収する」旨であつたことが認められる。

(C) 右生活新聞に掲載された村田の解説と、林に対してなされた同人及び岸本の本組合の具体的説明は本質において同一であり、前示の被告人森原が吉塚公会堂で行つた説明と同趣旨であつて、とくに営業用資産の処理については、「買上げる」が「代金は支払わない」で「借用証を渡す」脱退は自由であつて脱退のときは、商品も設備も」「そのまま脱退者に返す」というのであるから、その買上げは被告人森原が説明したように「帳簿にのせるだけで形式的なもの」ということができる。また売上金の処理についても「独立採算制」であつて「従来どおりの看板で従来どおり営業をやつて」ゆけるのであり、日報をかいて組合に出せばよく、各店の所得は勤労所得税と積立金を支払うほか、「個人営業の場合と同じように保証されている」のであるから、この点の説明も又前示被告人森原の積立金をおさめて貰えばあとの売上金は月給と運軽資金という名目になり、組合員の自由になる旨の説明と同趣旨であるということができるのである。されば村田は右のように被告人森原の説明と同趣旨のことを生擁同の機関紙である「生活新聞」に発表し、林にも説明したことが認められる。

(D) 証人四宮種美は、昭和25、4、1附で加入しそのころ、村田豊治から本組合の説明を聴いたがその内容については憶えていない旨供述するが同証言により明らかなように、同証人は前掲林末次郎と同業者であり、同じく同業者である緒方明治も含めて古本組合から一緒に加入していることが認められるから同証人に対する村田の説明も前示認定した内容と別異のものであつたことは考えられない。

(ハ) 安武謙二郎の説明

証人竹中七郎の証言及び調書によれば、同証人は昭和25、5、20頃、福岡市下対馬小路の本組合事務所において、事務員安武某(生活新聞証一五七三)の発行人欄や内容の記載中に昭和25年春頃に生擁同本部書記として安武謙二郎がいたことが認められるが、同証言の安武某はこの安武謙二郎と推認される)から本組合の説明を受けたが、その内容は前述の被告人森原が吉塚公会堂でした説明と同趣旨であつたことが認められる。

〔八〕 結論

被告人森原春一は吉塚公会堂、千代消防会館、草場方説明会における各説明において右認定したように一貫して同一内容の説明を繰返して加入を勧誘しており、また右被告人から説明を聴いた、生擁同の役員、職員である村田、岸本、安武、平尾、仲尾、牧瀬、吉村、門田等は、いずれも右森原被告人と全く同一趣旨を生擁同の会員は勿論会員外の者に対しても説明して加入を勧誘しており、とくに吉塚の常任平尾と、千代の常任仲尾牧瀬は、熱心に加入をすすめたことが認められる。

してみれば、福岡地区に本組合が発足するにあたり、指導的な役割を果した右生擁同の役員、職員の本組合の実態についての認式は、右被告人森原春一の認識していたことと全く同一であり、かつその認識は右森原の説明によつて得られたものであることが認められる。

また一方、右被告人森原及び生擁同の役職員の説明を聴いて納得して加入した組合員の本組合の実態に対する認識もまた右被告人森原の認識と同一であつたということができる。

証人牟田茂雄の証言によれば同証人は生擁同の地方の連絡係をしていた本部におり、被告人森原、岸本真から本組合の説明を聞いたことが認められるが、一人に対し別異な説明をすることは考えられず、牟田も又生擁同の役員であつたところから他の生擁同役職員と同様な認識を本組合に対して持つていたものと推認されるから、同証言中右認定と異る部分は信用できない。

第三、福岡地区における設立

右第一、第二の各認定事項、証人高杉義行、森高殖、林末次郎の各証言及び調書並びに生活新聞(証一七五三―四、三二、三三)の記載を綜合すると、

(1) 生擁同として既に認定したように昭和25、3月中旬から数回に亘り被告人森原春一等と研究懇談し、その説明をきき、その結果、同盟員の中から加入者がふえて来たこと。

(2) 福岡地区としては、昭和25、4、1附を以つて発足し、事務所を取敢ず福岡市下対馬小路の生擁同本部事務所の中におき、生擁同の事務員(常任)が本組合の事務員を兼任したこと。

(3) 生擁同幹部(村田、牧瀬、岸本)等の要望もあり、組合員を逐次拡大するためには、北九州本部をおくよりは、福岡県の県庁の所在地であり九州の中心である福岡市に本部を移転するのを適当であるとの考慮から被告人森原等は本部移転を承諾したこと。

(4) 本部移転の問題は、第二通常総会議事録(証一七〇〇―六五~七五)事務所移転登録記申請書(証一七〇〇―五七)によれば昭和25、5、8の第二回通常総会で可決され、昭和25、5、20に福岡市下対馬小路一〇七番地に移転した旨登記申請されていることが認められる。しかしながら、前掲挙示の証拠によれば、昭和25、5、4から昭和25、5、12頃にかけて事実上移転していたことが認められる。

なお右の住所は即ち生擁同本部事務所の住所であるから移転後の福岡市における本組合の本部事務所は、生擁同本部と同居していたということができる。

第四、本地区の発足当時における生擁同との関係

証人高杉義行、森高殖の各証言及び調書、生活新聞(、証一七五三―四、三二)登記関係書記(証一七〇〇)の各記載を綜合すると、

(1) 昭和25、5、8の第二回通常総会において役員の改選が行われているが、右総会で、生擁同としては、同事務局長の岸本真が本組合の事務理事となり、千代支部から川島重助、今宿から郡島工右衛門、春吉から海津環、西新から青柳三郎、簀子から藤原秀吉、当仁から村田豊治、大名から村野蔓雄、御供所から高島渡泉福工新町から四宮種美がそれぞれ本組合の理事となり(全理事二〇名中一〇名)西新から川手軍造、草ケ江から牟田茂雄、吉塚から高杉義行が本組合の監事に就任(全監事六名中三名)していることが認められる。生擁同からの右本組合役員えの大量就任は、本組合本部の生擁同本部えの移転と共に、生擁同の本組合に対する運営その他の面に対する影響の増大を物語るものと断ずることができる。

(2) この生擁同の本組合に対する関係は、生活新聞昭和25、6、1号(証一七五三―三二)中「戦う企業組合え」との題の下に「よそは別として福岡は同盟が先頭に立つてできた組合である。こんども同盟の組織を無視しては組合の運営は絶対にできないのである。いままでなん回となく福岡では擁護同盟が主導権を握つてもらいたい、握るのであるということが確認されて来た。さいきん同盟の会合にあまりでない人が、この確認を無視した発言をされるのは遺憾である。同盟の主導権が認められないならば、企業組合はいつぺんにおしつぶされ同盟自体もくずれてしまうだろう」と掲記されているところから本組合の福岡地区における設立が生擁同の組織と人に負うところが大であり、生擁同は本組合にあつて正に主導権を握ることを願つていたことが推認されるのである。

(3) さらに共栄企業組合変更登記申請書(証一七〇〇―八六~一一二)によれば、昭和25、6、11福岡市県労働会館で開催された(この開催日の認定については本目第十八節に詳論する)本組合第三回臨時総会において前示各理事は一応辞任し、更めて、岸本真と、川手軍造は、本組合代表理事(副理事長)となつたほか、青柳三郎、村田豊治が理事に重任され、牟田茂雄、仲尾輝光、牧瀬慶博、緒方明治(いずれも生擁同役職員である)が新に理事に就任しており、高杉義行は監事に重任し、角市多津蔵が新に監事に就任したことが認められるのであるが、前掲の生擁同各支部からの総花的な理事就任にかわり、福岡地区設立に際し熱心に加入を勧誘して廻つた生擁同千代支部の常仕である仲尾と牧瀬が理事に就仕していることは、生擁同の主導権を保つところにあるということができるのである。

(4) しかも生活新聞綴(証一七五三)の各記載中の氏名によれば、岸本は、右のように本組合の代表理事に就仕してもいぜんとして生擁同の事務局長を兼任しており、村田、青柳、牧瀬、仲尾等も同様に生擁同の役、職員を兼任していたことが認められるのである。

第二点、被告人上野盛雄の本組合の説明について

(1) 証人森高殖の証言及び調書並びに被告人上野盛雄の証言によれば、被告人上野盛雄は本組合本部が福岡市に移転する前から、福岡地区の事務員(総務部長)として積立金の徴収諸支払の事務等の会計事務をとつており、昭和25、5月末その事務の一切を小倉から本部の移転と共に移つて来た森高殖に引継いだこと、なお本部の移転は既に認定したように昭和25、5、4~昭和25、5、12頃だつたことが認められるのであるから、同被告人は少くとも昭和25、4月末頃には、本組合の事務所で分掌していたということができる。

(2) 石垣正八の調書によれば、同人は昭和25、5月下旬頃右本組合本部事務所で、証人宮崎強太郎の証言及び調書によれば、同証人は昭和25、7月下旬頃右事務所で、

いずれも被告人上野盛雄の本組合の説明を受けているが、その内容は前叙認定の被告人森原春一が吉塚公会堂で行つた説明と全く同趣旨であることが認められる。

(3) 証人森高殖の証言及び調書によれば、同証人は、昭和25、5月頃、本部に加入したいと訪れてくる人々に、被告人森原春一や同上野盛雄が本組合の内容につき説明しているのを数回きいたことがあるが、その具体的内容は被告人森原が前示吉塚公会堂で行つた説明と全く同一であることが認められる。

第三点、高宮地区の発足と本組合の説明について

(1) 証人森正市、吉村富男、秋山平作、山見常雄、堀源八郎、篠原隆、山見大造、の各証言及び調書を綜合すると、

右証人はいずれも福岡市高宮在住の業者であるが、昭和26、9月~10月にかけて山辺英達を主とする本組合加入の勧誘が行われ、右証人等は、右日時頃、秋山平作方、渡辺自転車店方榎本一成方、山内博保方等で屡々本組合の説明会が行われ、それらの会には高宮地区の業種が一〇~二〇名位宛出席し、組合側としては主として山辺英達又は筒口周二ときには被告人上野盛雄(渡辺方説明会のとき)や板谷淳一が出席して説明していることが認められるが、右山辺、筒口、被告人上野の各説明は、前示被告人森原が吉塚公会堂でなした本組合の具体的内容と全く同趣旨であつて、唯現金の処理につき、

日報をつけて貫い、月末にその日報上の手許現金残高を日報と一緒に組合に持つて来て貰うと、組合はその中から運営費と、月給所定額に対する源泉所得税相当額を差引き残額はそつくり全額返す(名目は月給、運転資金)との趣旨(前示証人中には被告人森原の説明と同一の現金処理の説明を受けた者もいるか、第二項で述べるように本質的にはかわらない)の説明であつたことが認められる。

(2) 証人木下一美の証言及び調書によれば、同証人は福岡市平尾在住であるが、昭和26、5月下旬頃、同人宅で筒口周二の説明を聴いているが、その説明も又前記の内容と同一であつたことが認められる(板谷事務員も筒口と一緒に木下方に行つていることが認められる)

(3) 右のような勧誘の下に高宮地区は昭和26、10月頃、福岡地区の一つとして発足したことが認められる。

第四点、馬出地区の発足と本組合の説明について

(1) 証入小森米治、志岐文雄の各証言及び調書によれば、小森証人は、大学市場組合の組合長であつたが、昭和26、10月初め頃本組合本部を訪れて、事務員池田某から、本組合の説明を聴き、さらに大学市場で、同人に説明して呉れるように要請し、その二、三日後、大学市場内で十数名寄つた(右志文雄、村田豊治=生擁同役員とは別人。各出席)ところで池田事務員は本組合の説明をしたが、その具体的内容は前示被告人森原春一が吉塚公会堂でした説明と同趣旨であつたことが認められる。

この説明の後大学市場から一〇名位加入し(昭和26、10、1附にさかのぼる)大学市場班を構成したことが認められる。

(2) 証人山田義人の調書によれば、同証人は昭和26、5月頃、本部事務所で

証人合瀬嘉太郎の証言及び調書によれば、同証人は昭和26、9月頃、事務員池田方で

証人平川勝の調書によれば、同証人は昭和26、10月中旬頃、自宅で、

証人安部為次郎の証言及び調書によれば、同証人は昭和26、10、25頃同証人宅で

証人田辺貞男の証言及び調書によれば、同証人は昭和26、10中旬頃、本部事務所で

証人三島義夫の証言及び調書によれば同証人は昭和26、11月末頃本部事務所で

証人占部伊三郎の調書によれば、同証人は昭和26、11月下旬頃本組合馬出支所の事務所で

それぞれ加入に際し、事務員池田某から本組合の具体的内容の説明を受けているが、その説明は前叙森原被告人及び上野被告人等の各説明の内容と本質的に全く同趣旨であつたということができる。

第五点、組織

(1) 沿革

前示認定した事実のほか、被告人上野盛雄の証言、登記関係書類綴(証一七〇〇)組合員名簿(証一九三二)によれば、福岡地区は前示各地区を含めて、昭和25、4、1福岡地区協議会として発足し、昭和25、11、6(事実上は昭和25、10、1から)福岡支部と称し、さらに昭和27、4、1の県支部の設置にともない、福岡県支部に所属する、福岡出張所となり、その管轄下に、東部、馬出、粕屋、中央、春吉、高宮、赤坂門、西新の八支所を有するに至つたことが認められる。

(2) 役員

(A) 福岡地区の設置当初の役員及び指導的地にあつた者等については既に生擁同との関係において論じたとおりである。

(B) 証人牟田茂雄、緒方明治、岩瀬浅次郎、高杉義行、四宮種雄、小森米次の各証言(高杉、小森は各調書も含めて)並びに登記関係書類(証一七〇〇)第七回定期総会第二三回理事会各議事録(証二三七―五二~五四)昭和28、2、21理事会議事録(証五六三―二二)福岡県支部の通達(証一六五五―一四、証一七二三―二四)組合員名簿(証一九三二、証二〇九三)共栄通信特報(証二七一八―三〇八)県支部全組合の皆さんに訴うと題する書面(証二九一七―一一六)を総合すると。

牟田茂雄は昭和26、2、20第四回臨時総会で理事に重任し、そのとき代表理事副理事長となり、昭和27、5月迄その地位にあり、また福岡支部長もつとめ

緒方明治は、昭和27、5、25第七回定期総会で理事に就任し、そのとき代表理事副理事長となり、その前昭和25、10月に福岡支部長に就任したが昭和26、4月病のため辞任し、昭和26、12月常任支部長となり、ついで昭和27、4月県支部の発足と共に福岡県支部長となり昭和27、11月までその職にあり

高杉義行は、昭和27、5、25右総会で再び理事に就任し、昭和27、11月はまだその職にあり、

四宮種美は、昭和27、12、9別府総会で再び理事に就任し、同月福岡県支部長となり、昭和28春頃はまだその職にあり、

林末次郎は、昭和26、2、20第四回臨時総会で監事に就任し、ついそ常任監事となり、爾後昭和28春頃はまだ重任してその職にあり

小森米次は、昭和27、5、25右総会で、理事に就任し、福岡県支部の発足と共に福岡出張所長をつとめ(昭和27、5)月同年9月頃迄その職にあり

若瀬浅次郎は加入後昭和25、10月頃脱退し、昭和26、4月又は9月に再び加入した後昭和27、12、9の第九回臨時総会で常任理事に就任し昭和27、10月に福岡出張所長となり、昭和28春頃迄その職にあつた。

ことが認められる。

なお右小森米次以外の各証人はいずれも福岡地区発足当初からの古い組合員であり、小森証人は既に認定したように、大学市場からの集団加入を指導した組合員である。

(3) 組合員

(A) 加入申込書(証一六七〇―一六七三、一六七五~一六七九)によれば

昭和25、4月中に一〇九名、昭和25、5月中に八七名、昭和25、6月中に二九名、このほか同期間中に少くとも一六名の加入者があり、その地域は、箱崎、吉塚、千代、御供所、春吉、大名、簣子、警固、西新、草ケ江、今宿、今津、古本組合関係、印刷関係に亘つていたこと。

(B) 昭和25年の事業報告書(証三〇三〇―一二~二五)によると福岡支部は昭和26、3月現在、組合員数は七七名に減少していたこと、

(C) 組合員名簿(証二〇九三)によれば昭和26、6月現在も同じく七七名であつたこと、

(D) 福岡支部報告(証一七四一―一一)によれば、昭和27、3、8現在の組合員は二四三名に増加したこと。

(E) 組合員名簿(証一九三二)によれば、昭和27、6、30現在で組合員数は三四八名に増加し、

(F) 福岡県支部報告(証二七四五)によれば、昭和27、8、27現在の組合員は三三六名で少々減員し、

(G) 福岡県支部報告書(証二四五〇―一八五~一八六)第二六回理事会(証二二五六)添附の組合拡大状勢(証二二五六―四七)によると、昭和27、10、19現在で五〇〇名に急増していたことをそれぞれ認めることができる。

第六点、結論

(1) 以上認定したところを綜合すれば、福岡地区の設立は、既に福岡市一帯に組織を有していた福岡市生活擁護同盟を強力な母体としてその組織を通じて昭和25、4、1に発足し、ついで昭和25、5月には本組合本部も小倉から移転し来たり、昭和25、4月~6月頃はその結果急激な加入者の増加をみ、生擁同の幹部が多数本組合役員を兼務し、事務員も生擁同の事務員が兼務していたのであるが、昭和26年度には組合員は減少し昭和26、10月頃から高宮地区、大学市場等から集団加入があり、昭和27年に入つてからは再び急激に組合員が増加し、一斉捜査直前には五〇〇名を擁する大地区に発展していたことが認められる。

(2) 本地区における幹部は既に列記したとおりであるが、その役員及び事務員も含めて、組合側(勿論被告人森原、上野を含む)が加入希望者に対して行つた。

本組合の具体的内容についての説明は、すべて被告人森原春一が吉塚公会堂で行つた。説明と全く同趣旨であり、このことは、昭和26年暮頃までも少しもかわつておらず、一貫して同一内容の説明が、被告人森原、同上野並びに役員、事務員によつて繰返されて来たことを認めることができる。

福岡地区にあつても説明をした組合側は勿論本組合の実態を認識しており、説明をきいて加入した者等もまた、その加入の当初から本組合の実態を認識して加入したといわねばならない。

第二項 現金の管理、流通、還元

第一点、序論

既に第二節乃至第四節において論じたと同様の理由により、福岡地区についても、営業における組合の管理、流通、還元の実態を、加入の際の営業資産の処理より前に論ずることにする。

本項においても、既に論じた地区と同様に、給料と積立金(運営費の問題を先ず前提として論究することにする。

第二点、本地区設立当初より昭和25、9月迄の実態

第一 現金の管理、給料名目額の支払、積立金、徴収の一般的実態

〔一〕 被告人森原春一の証言

第二節 第三項、第二点、第一、〔一〕において述べたとおりである。之を本地区についても引用する。

〔二〕 組合員であつた証人等の証言

証人栗川秀夫、吉岡照雄、稲葉吉良、高杉義行、緒方明治、岩瀬浅次郎、生田国次の各証言及び野田虎男帆足彦之助、西村正信、木下富士栄、田中末蔵、松葉春義の各調書を綜合すると、本地区の設立である昭和25、4、1から昭和25、9月迄の現金管理の実態は、

(A) 売上金等の現金は終始各組合員すなわち各事業所の保管、管理の下にあつたこと(当座予金の口座を銀行等に設て予金しいたものもいるが、その予金は当該組合員の保管、管理下にあつたことが認められるのであるから現金と同一視すべきであつて、別異の管理方法とは考えられない。)

(B) 月に一回組合事務員が各組合員の事業所を廻り、売上金に対する歩合によつて定められていた積立金と、給料所定額に対する源泉所得税相当額を集金したこと。ときには組合員の方から組合事務所に右金額のみを持つていつたこと。

(C) 右集金以外の売上金等の現金は、一貫してその事務所の保管下にあつたこと。すなわち組合事務所に対する組合員からの入金は、右(B)記載の集金額のであつて、他の現金の流通はなかつたこと。

(D) 給料所定額は、組合事務所から現金を支給するのでなく、各事業所の営業より生ずる現金の中から当該組合員が各自控除していたこと。

(E) (B)記載の集金額を控除した以外は全額をその事業所の運転資金という名目にしていたこと。

などが認められる。

〔三〕 証人森高殖の証言

証人森高殖の証言及び調書によれば、

(A) 組合員からの組合えの現金収入は、加入の際に加入金五〇〇円、出資金一口五〇〇〇円中二〇〇〇円右認定の積立金、源泉所得税相当額だけであつて、右以外組合事務所と組合員相互間を流通する現金は、なかつたこと。(特別的、一時的な特種の名目の金は例外である。)

(B) 右期間中の現金管理、流通、還元は右〔二〕のとおりであること。

(C) 積立金は本組合の事務員を兼任していた生擁同の常任が之を集金して廻つていたが、本地区発足から二三カ月の間は、右事務員等は集金した積立金の一割を控除して本組合に提出しており、本組合員の積立金の記帳は実際に入金された九割だけが記載されていたが、爾後は一応集金した金額を本組合に提出し、本組合はその中一割を右生擁同の常任に払戻すようにしたこと。このことは、昭和25、9月迄続き、昭和2510月からの現金プール開始とともに廃止されたこと、之の払戻す金のことを地区事務費といついたこと。

(D) 同証人は、昭和25、5、13頃に本部の福岡市移転と共に小倉市の旧本部から移転して来たのであるが、本地区にあつては右証人等の移転前から被告人上野が本地区の右積立金の受入加入金出資金の受領諸払等の会計事務を管掌しており、同月末頃上野被告人から右会計事務を引継いだこと。

などが認められる。

〔四〕 認定

よつて、右認定したところよりすれば、本地区における本期間の各組合員の事業所の営業から生ずる現金は、全く個々の事業所毎に還流していて、組合員と組合事務所の間では、組合員の方から加入に際して加入金五〇〇円出資金二〇〇〇円を支払つた後は、毎月売上金に対する一定率の積立金と源泉所得税相当額を支払う以外には相互に流通する現金はなく、また組合員相互間においては事業所という名義においても現金の流通関係は全くなく、しかも本地区は、生擁同の常任が本組合の事務所を兼任していたところから、積立金の一割を当該事務費名下に払戻していたので、事務所の積立金の入金高は、各組合員の支払額の九割であつたことが認められ、被告人上野は森高殖に引継ぐまで右会計事務を管掌していたことが認められる。

右は第二節第三項の小倉地区、第三節、第三項の京築地区の本同期間にける現金の管理流通、還元の一般的実態と全く同様であることが認められる。

第二、積立金、給料所定額と日報の記載

〔一〕 各組合員の場合について、

(A) 日報、昭和25、4、30(証二六〇六―一―三〇)の給料、同昭和25、9、1(証二六〇六―一)の積立金の各記載と、右記載についての証人野田虎男の証言

(B) 日報、昭和25、6、28(証二一一一―一―二七)の積立金、同昭和25、7、7(証二一一一―二―八)の給料の各記載と右記載についての証人帆足彦之助の証言

(C) 日報、昭和25、9、1(証一九四七―二―一)の給料、同昭和25、9、13(証一九四七―一〇)の積立金の各記載と、右記載についての証人宮崎強太郎の証言

(D) 日報、昭和25、8、13(証九〇〇―四―一三)の賞与、同昭和25、8、31(証九〇〇―四―三〇)の給料同昭和25、9、30(証九〇〇―五―三〇)の給料の各記載と、右記載についての証人比田勝達玄の証言

(E) 日報、昭和25、9、14(証二五二五―四―一五)の給料の記載と之に対する証人生田固次の証証言

(F) 日報、昭和25、9、30(証二一二五―二―三〇)の給料の記載と、之に対する証人山本市助の証言

(G) 日報、昭和25、7、2(証二九六九―四―二)の給料の記載と、之に対する証人石橋信の証言

を綜合すると、給料所定額は自己の事業所の売上金の中から之を控除して費消するが日報には、「経費明細」欄の「給料及仮払費」又は「給料」の項に所定額又は分割額を記載して記帳から落し、支給を受けたようにしていたこと。積立金も又自己の事務所の売上金の中から之を事務員に支払うが、日報には「支出」欄の「積立金」の項に記載して、記帳から落していたことが認められる。

〔二〕 既に認定したように、昭和25、9月迄の日報は縦書要式であり、昭和25、4月分以降要の式にはすべて「経費の明細」欄に「給料及仮払費」欄(前掲及び後掲の各日報を検討するとかかる記載欄の日報は、概ね昭和25、5月又は昭和25、6月頃迄であることが認められる。)又は「給料」欄が設けられていることが明らかに認められるが、右〔一〕の認定事実及び、「日報の書き方」(証二四五二―一四三、証二五九八―一三三、証八七七―四―一、証二五六四―三、証一四一六。夫々高杉義行、林末次郎、島田崎太、江口三九二、山田楠美の各所持にかかるもの中給料についての注意の記載並びに会計の一般原則からすれば、各「給料」又は「給料及仮払費」の項の設定は当該日報に営業の経緯を反映、記帳すべき事業所、すなわち、その組合員の当該事務所の、売上金中から日報の右欄記載の者(組合員及び当該事業所従業員)に給料を当該事業所の経費として記載して支給することを表示しているものであつて、かかる欄の設定及び記載は、当初より給料は当該事業所内で賄うことを前提としており、右要式自体からして給料につき組合事務所と各事業所との間に現金の流通は一切ないことを前提としていたということができるのである。しかも右要式の日報が全組合員に使用されていたことは前掲各証言及び日報により容易に推認されるので、かかる記帳と実態とは全本地区の組合員に通ずるものであるといわなければならない。

第三、日報における積立金、給料所定額の記載と現金の管理、流通、還元の実態との関係

〔一〕 日報の「給料」欄の記載、「積立金」欄の趣旨とするところのことは右のとおりであるが本地区所属の左記組合員につき現在する日報中給料、積立金の記載の有無につき精密に検討すると、次の表のとおりであることが認められる。

左記表は掲記の各組合員の昭和25、4~9分の日報についてであつて、便宜上「○」は「給料」欄に記載のあるもの「△」は「積立金欄」に記載のあるもの、「×」は右記載なきものをそれぞれ示すものであり、月は昭和25年の各月であり「厚」は日報厚票を「簿」は同じく簿票を意味するものとする。

<省略>

〔二〕 右記載から明らかな通り、日報にける給料の記載は、各組合員毎に極めてまちまちであり、なんら組合としての統一がとれておらず、(右記載のあるときでも各組合員間で同日に記載されているのは極少しか存しない。)組合員によつては何カ月も記載がない者があり、日報の簿票と厚票の記載が異るものがあり(複写が原則であるから異るということは、一方に作為されたか、形式的に書き加えられたものと推認される。)

何カ月分かをまとめて記載しているものがあることなどが認められるところからすれば、組合としては、日報の「経費の明細」欄に「給料欄を設けて、前示認定にかかる趣旨のとおりの記記載をする形式は整えていたが、実際上その日報の給料の記載は全く各組合員の恣意に放任されており、給料の支給という点からすれば組合にはなんら統制的なものがなかつたということができるのである。

〔三〕 さらに給料の右記載については、

証人松尾初枝、稲葉吉良、帆足彦之助、東芳彦、待島謙吉、高島常雄、矢野恵美子の各証言及び各調書、証人竹中七郎、村田保、吉村富男、山田楠美、塩足勝、長田嘉一、野田虎男、平野密蔵、西村正信、古部薫田中末蔵、石垣正八、小森米次、林末次郎、片山平作、木下富士栄の各調書を綜合すると、

(A) 給料額の決定は形式的なものであつて、給料額についてはなんら関心がなかつたこと、

(B) 給料はその所定額を基準として源泉所得税を課税されるので、なるべくそれが僅少ですむように決めたこと。

(C) 給料の額に無関心であつたのは、営業より生ずる売上金は、元来自分のものであつて、この中から積立金と源泉所得税相当額を組合事務所に支払う以外は、自由に使用してよいことになつており、生活費は売上金の中から給料と運転資金に区別せずに、その都度費消していたこと。そしてそのようにすることは加入に際しての組合との約束であつたこと。

(D) 多数の組合員が日報の記載を操作し、売上金を脱漏させていたこと、

を認めることができる。

はたしてそうであるならば、生活費(本来給料によつて賄われるべきもの)は日報の給料支給の記載とは無関係に必要に応じてその都度当該事業所の売上金の中から自由に費消されていたあというべきでつて従つて前掲表の各給料の記載は、その日に、売上金の中からその記載にかかる給料所定額を現実に現金で差引いていた実態を表示しているとはいえず、却つてたんなる形式的なものにすぎなかつたというほかはない。

〔四〕 積立金について

(1) 「領収証」(証二五四七―一一五)の記載及び証人江口三九二の証言によれば、右領収証は同証人が積立金の四月分五月分合計一一四八円を昭和25、6、16に組合事務所に支払い同事務所から同証人に交付されたものであることが認められる。

(2) 「領収証」(証二五四七―一七六)は右領収証の要式、記載の態様からして右江口証人が昭和25、7、10に六月分積立金五一五円を支払つたことに対する、組合の領収証であることが推認される。なお「共栄企業組合」なる角印の横の「上野」の丸印は被告人上野の印であることが推認される。

(3) 「領収証」(証二一〇八―二―三七)は、その記載自体及び添付個所から市川喜壮が昭和25、6、23に四月分積立金一一四九円を組合に支払つたことに対する領収証であり右市川は之を日報の裏表紙にはつていたものであり、「共栄企業組合」なる印の横に押捺されている。「上野盛雄」と読めるところから、被告人上野の印とあることが認められる。

同様に「領収証」(証二一〇八―三―三六)も右市川が昭和25、6、28に五月分積立金八二九円を支払つたものであり、上野なる丸印は被告人上野の印と認められる。

(4) 「領収証」(証二九〇五―四~六)三枚は、その記載自体からして、四宮種美が、昭和25、9、28に八月分積立金一、一七一円を、昭和25、10、20に九月分一、四三五円を、昭和25、10、21に一〇月分(源泉徴収欄に記載されているが、証二九〇五―二、三との対比からして、積立金の記載誤りであることが推認される)一、三六五円をそれぞれ支払つた旨の領収証であり、「森高」なる丸印は、森高殖と推認される。

(5) 「領収証」(証二四九九―一六)は、その記載自体からして栗川秀夫が昭和25、7、29に四、五月分積金二四六八円を、同証一七は同人が昭和25、8、14に四~六月分源泉徴収所得税相当額(源泉税と称する)二、四六九円と六月分積立金一、〇九九円を、同証―一八は、栗川ナツが昭和25、8、31に源泉税清算分として二七一円を、同証―一九は同人が昭和25、9、19に八月分積立金一、一六七円を、同証―二〇は、同人が昭和25、9、11に八月分源泉税六八五円を、同証―二一は、同人が、昭和25、8、31に七月分積立金一、一一四円を、同証―二二は、同人が昭和25、10、6に九月分源泉税六八五円と、積立金一、一九〇円を、それぞれ組合に支払つたことに対する領収証であり、押捺されている上野又は森高なる各丸印は前同様被告人上野又は森高殖の印であることが認められる。

(6) しかして、右各領収証((1)を除き全部同一形式同一用紙である)の要式、押印並びに前に認定したように組合員から事務所に流通する現金は積立金と源泉所得税相当額だけであつて他にはないという事実を併せ勘案すると、右領収証は、各組合員が現実に積立金又は源泉所得税相当額を組合事務所に支払つた場合に、組合からその領収の証として組合員に交付されたものであることが推認され、その事務をとつていたのは、昭和25、9月迄被告人上野盛雄又は森高殖であつたことが認められる。

してみれば、右領収証は、組合員と事務所の現金の流通の実態を最もよく表示しているということができる。

(7) ところで(1)~(5)の領収証中源泉税に対するものを除く十二枚につき、それぞれその記載の積立金の支払月日について、前掲各日報につき、同一月日の積立金欄の記載を検討すると、十二枚とも、その当該月日に対応する日報の月日には全然積立金支出の記載のないことが認められる。

(8) そうだとすれば、領収証の記載は右認定の如くであるから、日報における積立金支出の記載も又給料の記載と同様に単なる形式的なものであつて、現金の支出をなんら表示していないといわなければならない。

〔五〕 給料と右領収証の関係

(1) 栗川ナツ及び同秀夫名義の右領収証及び給与支払明細書(証二四九九―一~二五)の一連の各月の継続した存在からすれば、昭和25 4月~昭和25、9月分迄は領収証であり、昭和25 10月分以降は、給与支払明細書となつて要式が変つていることが認められる。右要式の変化からすれば、昭和25、9月分以前にあつては、右給与支払明細書は交付されていなかつたことが推認される。

また、本地区所属の全証人及び全証拠物中、昭和25 4、1発足以降昭和25 9月分迄に給料の支払を表明する給与支払明細書及び之に類するものを組合が組合員に交付していた事実を証するに足りるものはない。(小倉地区、京築地区で交付されていたことは既に認したところである。)

(2) そうであるならば、本地区においては、本期間は、組合から組合員に対し給料の支払を表示するに足りる明細書等はなんら交付されておらず、(前記領収証は単なる組合の現金の受領を証する書面であつて給与支払明細にはなりえないことは、その要式自体から明らかである。)各組合員毎の形式的な日報の記載に放任されていたということができ、かつその実態は、生活費は売上金を給料所定額と運転資金に区別することなく自由にその都度差引き費消されていたところよりすれば、第二節、第三項、第二点、第二、〔三〕(5)で論じたように、各事業所の営業より生ずる損益はすべて、その組合員に帰属することを組合が自ら承認していたことの有力な証拠であるといわなければならない。

第四 結論

右本点で認定した各事実を綜合すると、本地区の本期間における現金の管理、流通、還元の実態は、各組合員の事業所(従来の店舗又は工場)より生ずる売上金は、不組合加入前の個人営業のときと全く同様に管理され、流通されており、生活費等の支出も売上金から従来どおり自由にその必要の都度使用されており、組合に加入したことにより、組合事務所から又は他組合員から、給料名目においても、運転資金名目においても融通補填されるべき現金の流通は全然なく、生活費も運転資金も全く当該組合員の危険負担に帰属していたのであり、組合事務所に対する関係においては、唯毎月の売上金に対し一定の率をもつて算出される積立金と給料所定額に対する源泉所得税相当額を、売上金の中から組合事務員に支払うだけであつて、特殊な金(カンパ資金など)が例外的にある以外には、相互間に流通すべく義務ずけられた現金は全然なく、組合事務所も、右積立金と源泉所得税相当額を現実に受領した日にその旨の領収証を当該組合員に交付するだけであつたこと。

もつとも、各組合員の日報には「給料」又は」給料及仮払費」の欄で設けられており、各組合員は当該欄に夫々記帳していたことが、認められるが、その記帳はなんら現実の現金の支払を表示しているものではなく、単なる数字だけの形式にしかすぎず、積立金の記載も同様に現実の支払を表示していないのみでなく、その形式すらも整つていなかつたこと。

なお給料所定額の支払という点については、給料支払明細書を交付する等のこともなく、僅かに前示領収証中に「源泉税」なる記載の存在するだけであるが、之とても給料の支払を証する書面であるとはいえないことは明らかなところである。それであるから本地区にあつては、給料の名目額の支給で実質的に行われなかつたのみならず、形式的にさえも、給料支給の体裁は整つていなかつたと断定せざるを得ない。

また之らの積立金、源泉所得税相当額の領収証の発行には、昭和25、9月頃迄被告人上野盛雄も森高殖と共にたずさわつていたのであるから前敍認定の各事実は被告人上野は之を認識していたと推認することができる。

第三点 昭和25、10月以降 昭和27、11月迄の実態(いわゆる「現金プール」の期間)

第一 本地区における現金プールの一般的実態

証人竹中七郎、村田保、真末好夫、只松栄二郎、森正市、吉村富男、松尾初枝、市川喜壮、安河内芳子、小川砂男、東芳彦、宮崎強太郎、山見常雄、堀源八郎、平野密蔵、西村正信、稲葉吉良、吉田茂、山見大造、金丸勝、合瀬嘉太郎、田中末蔵、畑義体、小森米次、林末次郎、比田勝達玄、待鳥謙吉、鬼木田次郎、杉正男、安部為次郎、甲斐勇、片山平作、三宅正治郎、森田伝、高杉義行、篠原隆、藤野静枝、森高進、恵良宣雄、矢野恵美子の各証言及び証人長田嘉一、山田楠美、野田虎男、帆足彦之助、村田豊治、志岐文雄、木下一美、塩足勝平川勝、木下富士栄、小森米次、林末次郎、松葉春義、遠藤満、島田崎大、江口三九二、占部伊三郎、鈴木改蔵、高島常雄、吉岡照雄、田辺貞男、高杉義行、山田義人、矢野次八郎、石垣正八、古部薫、前崎卯吉、三島義夫の各調書を綜合すると、

本地区の現金プールの一般的実態は

(A) 福岡地区の現金プールは、昭和25、10月分から開始されたこと、

(B) 当初は福岡市下対馬小路の福岡支部事務所(本組合本部と同所)に本地区の全組合員が実施に行つていたが、昭和26年中頃から暮にかけて、右支部の下に各地区が出張所と称し、その出張所毎(昭和27、4月から支所となる)の事務所において実施したこと。

(C) 現金プールに持参するものは、日報上、現金プールする前日の「本日の現金残高」欄の金額を、当該日の日報の「支出」の「支部勘定」欄に記載し、その金額に見合う現金又は小切手と、当該日報及び印鑑であつたこと。

(D) 右金額を持つてゆくと組合事務所では、その中から運営費(もと積立金と称していたもの)源泉所得税相当額及びときには日報代、商工新聞代を差引くこと。しかして運営費は持参する現金の多寡に関係なくまず、必らず差引いていたこと。

(E) 右を差引いた残額は全額当該組合員に還元し、残額以外の金額を加算して返還することは全然なかつたこと。

(F) 還元する金額の名目は、給料、運転資金であり、ときには無名目の金もあつたこと。

(G) しかしその還元される金額は、当初は現金であつたが、遅くとも昭和26 2月以降は全部小切手であつたこと。

(H) 現金プールを実施すると、還元される現金の額とは関係なく、給料所定額の支払をした旨記載された給料支払明細書を渡したこと。

(I) 組合事務所と各組合員との間、各組合員相互間に融通補填し合う現金の流通は全然なかつたこと。

(J) 右のような現金プールの方法は、昭和25、10月以降昭和27、11月迄一貫してかわらなかつたこと。

などが認められる。

第二、現金プールと各種帳簿類の記帳との関係の実態

〔一〕 現金プールを実施するにあたつては、組合事務所では現金プール表なる帳簿(小倉、京築、田川地区の支部勘定補助簿に相当するもの)を作成記帳して各組合員毎の現金プール実施の具体的内泉を明らかにし、還元さるべき金額はすべて小切手であるところから小切手及び小切手控の記帳が存在し又各組合員の日報上に現金プールの記載が存在している。そこで之らの記載の相互の関係及びその実態を審究することにする。

(1) 記載について

(A) 日報

「支、支」とは支出欄の支部勘定の項の記載金額を示すものとする。

「収、支」とは、収入欄の支部勘定の項の記載金額を示すものとする。

(B) 現金プール表

左記表に掲記した現金プール表(証一八一三は表紙の表記は「支張所用事務備忘録池田泰章」と記載されているが、内容は他と同じく現金プールの具体的内容であるので、之も含めて現金プール表と略称する)の記載項目は細部には多少表記、配列について異なるところもあるが、すべて左の様式により記載されていることが認められる。から次の表においては左の通り略称及び計算方法を定める。

<省略>

同右の記載により各組合員の欄毎に

〔残高〕-〔給料+運営費+廻転資金〕= と略称する

しかして、上記の算式によるがプラスである場合<+>、マイナスである場合は<->で表記するものとする。

(C) 小切手及び小切手控

(a) 左記表の小切手の裏書にはすべて押印が存在することが認めるが之は記載を省留する。

(b) 小切手控の「摘」は、摘要欄の記載を示すものとする。

<省略>

(3) 右一らん表掲記以外の帳簿類について、

(a) 現金プール表

運営費計算書(証一七七八)は昭和25、11月12月分の福岡全地区、現金プール表(証一七七九、証一七八三)の二綴は昭和26、1月分~昭和26、12月分迄の福岡全地区、現金プール表(証一八二二)は、昭和27、1月分~昭和27、10月分迄の赤坂門支所関係地区、出張所用事務備忘録(証一八一三)及び「プール」と題する帳面(証一八一七)は昭和26、12月分~昭和27、10月分迄の馬出支所関係地区、プール台帳(証一八一〇、証一八一一)は昭和26、12月分~昭和27、10月分迄の春吉支所関係地区、プール表(証一七八六)は昭和27、1月分~昭和27、7月分の吉塚支所関係地区のそれぞれ現金プール実施の具体的内容を各組合員毎に列記した、いわゆる「現金プール表」であつて、その記載の要領は前掲一らん表に掲記した組合員についての記載と同一であることが、その様式、記載要領等から推認できる。

なお、昭和26、12月分迄は(馬出、春吉地区は、昭和26、12月分が重複記載されている)本地区全組合員の分を一つの表にまとめており、昭和27、1月分からは各支所関係地区単位毎に別冊子に記載されておりその様式も多少ながら項目の配列、表示の仕方、項目等に相異が認められ、このころから各支所関係毎に現金プールが各別に実施されるようになつたことが推認される。

さらに右掲記の各プール表の各組合員毎の記載及び前掲方法による算式による数字を精密に検討するとが<+>、又は<->になる組合員数(各組合員毎の末尾欄にいろいろな方法によりその旨が注意書されている場合もあるが、ない場合もある)は毎月(既に認定した小倉、京築、田川程ではないにしても)その月の現金プール実施総員に対して、決して稀少の数ではなく、相当数になることが認められる。

(b) 小切手

現金プール関係調査事績(証三〇〇二―一~三二二)は右のような関係にある小切手について、大蔵事務官大塚靖雄が実物を写真にとり、編綴したものであつて、ことに編綴されている小切手(前一らん表掲記の分も含めて)は、すべて右一らん表において明示したのと同様の記載関係にある小切手であることが推認される。

(c) 小切手帳

当座小切手帳(証一七七三―一~一三、証一七七六―一~六 証一七八二―一二九、証一七八七―一六六~三二六 証一七八八―一~一一、証一七九一―一―一四、証一七九六―一~九、証一七九七―一~一五 証一八〇二 証一八〇三 証一八〇四―一~一一 証一八〇五―一~一〇 証一八〇九―一~三 証一八一二―一~二三、証一八二五―一~九)は、本組合と福岡銀行平尾支店、同赤坂門支店、同渡辺通支店、同吉塚支店、千代田銀行渡辺通支店、佐賀中央銀行、西日本相互銀行中央信託銀行、福岡市信用金庫との各当座予金契約による当座小切手帳であるが認められるが、その記載内容を検討すると右は昭和25、11月初め頃から昭和27、11月初め頃までの間に振出されたものであり、かつ摘要欄に「給料」「支部a/c」「運転資金」の各記載が大多数であるところからすべて現金プールの際に使用されたものと推認され、かつ、現金プールにおいて給料、運転資金名義にて小切手で還元されたのは、昭和25、12月分があつたことが推認される。

〔二〕 認定

右認定した各事実を綜合すると。

(1) 本地区現金プールにおける、組合事務所、各組合の各帳簿間における記載の相互の関係を要約すると、左記一らん表の記載のとおりであり、かつこの相互の関係は昭和25、11月から昭和27、10月迄を通じて、一貫してかわらなかつたことが認められる。

(2) 各組合員が現金プールに持参した現金の中から、組合員がまず運営費を差引き受領し、その残額の方が少額であつて給料所定額(稀に廻転資金)に達しない場合(前表が<->のとき)に、組合事務所に備付けられていた現金プール表及び当座小切手帳控の記載のみからすれば、恰も不足する分を融通補填して当該組合員に給料所定額どおりを支給したかのような記載になつているが、真実にはその不足分(前表<->額)は融通補填されることなく、運営費を差引いた残額のみが給料又は運転資金名目で還元されていたにすぎなかつたこと。

(3) 各組合員が現金プールに持参した現金の中から、組合が先ず運営費を差引き受領し、その残額から給料所定額を還元し、さらに廻転資金(日報に記帳する分)を還元し、なお残額がある場合(前表が<->のとき)現金プール帳及び小切手帳控の記載からのみすれば恰も、その残額は組合事務所で管理保留し、事務所は之を以つて、右(2)のような組合員に融通補填したかの如く見受けられるが、真実はその残額(<+>額)も又当該残額を持参した組合員に還元されており、結局当該組合員はこのような場合、運営費を差引かれた残額を給料名目、運転資金名目及び無名目の金として全額還元されていたものであること。

〔現金プールにおける各帳簿類相互の記載の関係一らん表〕

<省略>

(4) しかし右無名目の金は他組合員の給料名目又はときとして廻転資金名目として、記帳上処理されているところから、当該組合員にとつては全く売上金の記帳からは落ちてしまつた金となり、従つて右無名目の金の現金の還元による管理は売上金の脱漏によるものであるということができるのであるし、それが他組合員の給料名目になつている場合は、組合の帳簿記帳の形式の上においてもその数額は同記帳上還元されていないところから、組合としての記帳上からいつても売上金の脱漏になるということができるのでありしかも現金プール全体から見てかかる給料名目として処理された場合が大多数である。などが認められるのである。

第三 その他の記表の実態

〔一〕 給与支払明細表

証人秋山平作、東芳彦、志岐文雄、吉田茂、木下富士栄、合瀬嘉太郎、畑義体、鬼木団次郎、山田義人の名証言及び証人只松栄二郎、木下一美、堀源八郎、木下富士栄、三宅正次郎、古部薫の各調書、並びに給与支払明細票(証五七〇、証八五五、証一八二三、証一四二二、証二一〇六、証二一二八、証二一六八、証二四九九、証二五六三、証二九〇五、証二九一八、証二九四五)の各存在と前示認定した事実とを綜合すると。

(A) 現金プールを開始した昭和25、10月分の給料名目の還元実施からは、従来の積立金の領収証にかえて給与支払明細書を各組合員、従業員宛に交付されるようになつたこと。

(B) その要式は、昭和27、10月分迄同一様式(表現の微差はあるが)の小紙片であつたこと。

(C) しかしながら、現金プールにおいては、各組合員の持参した現金から組合は運営費等を差引いた残額全部を給料所定額とは無関係に、その所定額に対し過不足の如何をとわず、そのまま当該組合員に還元していたにすぎなかつたものであるにかかわらず、明細表には、恰も給料所定額から諸税を控除した実支給額(この額は前提現金プール表の「給料」欄の額と対応するものである)を支給し、組合員は受領したような記載になつてたものであること。

などが認められる。

(D) この明細票は、「差引支給額」相当欄記載の金額を、給料の実支給額として、本組合から名宛の組合員従業員に支給した旨を証することとなるから、かかる明細票が授受されたことは、対等三者関係を考慮されたためであると解されること。

〔二〕 給与支払明細表(一らん表)

給与支払明細表(証一七九四、証一七九五、証一七九三、証一八〇六、証一八〇七、証一八一九、証一八九五、証一八四八、証一七八〇)の各記載は全く全示給与支払明細票と合致し、しかも各組合員が受領印を押捺しているところから、この明細表もまた組合と当該組合員が相通じて恰も真実に給料所定額に基ずく実支給額が授受された旨を表示するために作成されたものであることが推認される。

第四 現金プールにおける記帳の仮装性について

〔一〕 前敍の<+>又は<->についての事務員の説明

証人村田保、市川喜壮、安河内芳子、小川砂男、塩足勝、宮崎強太郎、山見常雄、畑義体の各証言及び証人竹中七郎、貞末好夫、只松栄二郎、山田楠美、帆足彦之助、秋山平作、東芳彦、村田豊治、志岐文雄、木下一美、平野密蔵、西村正信、稲葉吉良、吉田茂、松葉春義、待鳥謙吉、島田崎太、江口三九二、鈴木改蔵、甲斐勇、高島常雄、吉岡照雄、三宅正治郎、森田伝、矢野次八郎、石垣正八、恵良宣雄、矢野宣美子、三島義夫の各調書を綜合すると。

(A) 現金プールにおいて組合から運営費等を差引かれた残額を、給料名目運転資金名目以外の名目のつかない現金又は小切手で還元される場合、事務員等は当該組合員に対し、この金(現金又は小切手)は他の組合員の給料又は廻転資金として帳簿の上では融通補填したようになつているから、あなたの日報帳簿などには記帳しないでくれ、この金は何につかつてもよいとの趣旨を説明したこと。

(B) また反対に、組合から還元される残額が当該組合員の給料所定額に不足している場合事務員は当該組合員に対し、

給料に不足する額は、他組合員の余つている分を帳簿の上では、廻してあなたに支給したことになつているとの趣旨を説明したこと。

(C) しかして、かかる説明をしていたのは、現金プールの事務を処理していた組合事務員等であつて、その中には、筒口周二、板谷淳一、池田泰章、山辺英達、平尾清、樺島某、安武某(昭和26、10月以降にいた安武)も含まれていたこと。

(D) しかして各組合員は前示のような説明をうけて受領した無名目の金を生活費や仕入等に自由に費消していたこと。

などが認められる。

(E) 事務員の中には右のことを「他組合員にプールする…」という言葉で表現していた者のいたことが認められるが、このこと、証人鬼木団次郎の調書並びに前掲各現金プール表の各組合員欄の末尾に「プール」又は「(-)(マイナス)プール」の註記のある場合があることと併せ考えれば本組合関係で使用されていた、「現金プールする」という言葉は結局「プールしたことにする」意味に使用され決して実質伴つた現金のプール(相互間に融通補填をし合うこと)を意味するものでなかつたことを窺い知ることができるといわなければならない。

〔二〕 現金プールに小切手を使用した理由について

既に認定した本点第一第二の事実から明らかなように、たとえ現金プールを実施したにせよ、結局結果においては組合員に還元される金額は、どの組合員についても、またどの月にあつても、常に必らず組合が現実に受領する運営費等を控除した残額全部であつたのであるから、その残額を種々に小分けしてそれぞれ小切手で還元することは、特殊の事情のない限り無用の繁雑な手続であつたと云える。

しからばなぜかかる方法をとつたかにつき審究するに、証人高杉義行、緒方明治、片山平作、安河内芳子の各証言及び証人高杉義行、林末次郎、山本市助、帆足彦之助、篠原隆、松尾初枝の各調書を綜合すると、税務署、国税局に給料所定額の支給等を調査された場合に、組合員の売上金を相互に流通補填して給料をどの組合員にも所定額どおり支払つたように、又廻転資金も融資し合つたように、すなわち組合としての統一計算を実施した証拠として記録に残すためであり、その目的は全く税務当局の組合性否認に対抗する手段として考案し実行されたものであつたことが認められる。

第五 検察官等の取調べに対する対策の集会について

〔一〕 証人市川喜壮、帆足彦之助、松葉春義並びに石垣正八の各調書を綜合すると、

(1) 昭和27、12、25頃福岡市高畑新町の本組合本部(被告人上野盛雄方でもある)二階で集会を開き、その会合には、本地区の組合員が約二五名位出席し、組合側からは、被告人上野盛雄、筒口某、常任東某が出席し、その席上筒口が、国税局が現金プールのことを調べており、皆んなも之について聞かれるかもしれない、もしきかれたら、他人に廻したことに帳簿上なつている小切手を受取つている人は、自分の現金と組合の小切手を交換したものであるとあくまでつつぱつて呉れという趣旨の主張をなし、

(2) ついで昭和27、12、27頃再び右同所で会合を開き、組合員約三〇名位が出席し、組合側からは、被告人森原春一、同上野盛雄、筒口某、東某、それに熊本から来た四十才位の中背の肥つた男、春吉支所長生田固次等が出席し、その席、国税局や検察庁の取調べについての対策を協議し、その席で、

被告人森原は、国税局や検察庁が取調をしているのは組合員の一部についてだけであるから一部の組合員を調べた位では本当のことは判らない。全部の組合員を取調べることは絶対にできないことであるから、組合員全員が確つかり団結してさえくれれば組合の勝利に終ることは間違いないから皆んなしつかり頑張つてくれという趣旨の説明をなし、熊本からきた男は資産処理についてのいいのがれの方法を教え筒口は現金プールのからくりのいいのがれの仕方について、他の組合員にプールしてやつたことになつている人は、プールにやつた先の組合員の代理で小切手を現金化してやり、その現金は後でたしかにその組合員に渡しておると突張つてくれ、又プールをして貰つたことになつている人は、プールしてくれたことになつている人から確かにそれ丈の現金を貰つたと頑張つてくれ、組合の小切手は持参人払いの小切手であり、誰か現金化しても構はぬのであるから、このようにいつて頑張れば絶対大丈夫である旨の説明をなして、取調に対する答え方を教えたこと。

などが認められる。

〔二〕 証人高杉義行、只松栄二郎、安河内芳子、野田虎男の各調書、証人貞末好夫の証言及び調書によると、昭和27、12月初頃、吉塚の公会堂で被告人上野が、また同年暮同所で組合員三〇名位に対し、理事高杉義行、事務員池田某、今井某が、また昭和28、2月頃同じく吉塚公会堂で吉塚地区の本組合員に対し、一回は事務員板谷淳一が、二回目には被告人上野盛雄がそれぞれ、現金プールの操作についての検察官等の取調に対するいいのがれの答として、前述の筒口の説明と同趣旨のことを説明したことが認められ、

なお、被告人上野、筒口、板谷等は、現金プールにおいて小切手を操作して外観上のみ統一計算をしたように仮装したことは(どこで決められたかはともかくとして)既定方針であり、当然のような口振りであつたこと、

が認められる。

〔三〕 してみれば昭和27、11、18の一斉捜査後、検察当局の取調が行われるにつれ、被告人森原、同上野、筒口板谷等は、現金プールにおける小切手の操作による仮装性を曝露されることを惧れ、その対策にいかに考慮していたかを推認することができるというべきである。

第六 結論

第一~第五の認定事実を綜合すると、本地区におけるいわゆる「現金プール」なる各組合員の売上金等の現金の管理、流通、還元の実態は、毎月一定の月の日報記帳の手先現金残高に見合う現金を組合事務所に持参する点を除いては、現金プールを実態する以前と全く同様で、実質的には、組合事務所に対し、運営費(元積立金と称していたもの)源泉所得税相当額、ときには日報代、商工新聞代等を支払うだけであつて、右以外の現金は、従前と同様に、全額当該組合員が之を保管所持して、自由に生活費、営業費として使用していたのにかかわらず、税務当局から企業組合の実態を具備しておらず、個人営業の集団であるとの判定、つまり「否認される」ことを危惧し、その対策として、いわゆる「現金プール」なる名称の下に組合において統一計算を実施しているかの如く仮装するために、日報現金プール表、給与支払明細票、給与支払明細表の記載、備付、交付、の手段を奔し、その上その裏付の証拠として記録を残す目的で、小切手によつて給料所定の名目額を支払い廻転資金名目額を融通したかの如く装うなどの複雑な、記帳の操作を行い、しかも、それらの記帳の操作によつて、組合員と、組合側と相通じて、組合員の売上金を脱漏することを容認していたと解すべきであるから、被告人森原、同上野については勿論本地区の全事務員についても、また全組合員も右実態を充分に諒知していたものと断定することができるといわねばならない。

第四点 借入金

第一 組合員の借入金処理の実態

証人竹中七郎、野田虎男、秋山平作、平野密蔵、田中米蔵、比田勝達玄、安部為次郎、甲斐勇、片山平作、山田義人、矢野恵美子、石橋信、前崎夘吉、三島義夫の各証言を綜合すると、

各組合員は営業用の資金につき昭和25、4月以降昭和27、11月頃迄、各組合員の個人の信用で銀行その他の第三者から直接借入れ、自己の事業所の売上金の中から直接返済していたのであるが、日報には、縦書要式時代には、「借入金」欄にその旨記帳し、横書要式時代になつてからは、借入金の欄を設けていたにかかわらず借入れた場合は、収入の支部勘定欄に、返済した場合は支出の支部勘定欄にその数額を記帳して、組合事務所から融通を受け又事務所に返したような記載をしていたこと。

中には、営業資金を借り、売上金から返済しても日報には全然記入しなかつた組合員もあつたこと。

が認められる。

してみれば、本地区における借入金処理の実態も、既に認定した。小倉、京築、田川各地区と全く同様に、各事業所の営業資金の処理は一切当該組合員の個人の危険負担に帰属しており、個人の裁量に放任されていたのにかかわらず、昭和25、10月以降の日報の記帳では、組合事務所から借り同事務所に返済した形式になつていたということができる。

第二 組合事務所から組合員に対する融通

証人岩瀬浅次郎、林末次郎の各証言によれば、組合事務所から組合員に資金を融通したのは、昭和27、5月又は6月頃本組合本部から福岡出張所に、約二〇万円の出資金放出を受け、それを回収確実な組合員に貸付け後にその分は、回収されたことはあるが、本地区では、右以外には組合事務所から組合員に資金が融通されたことはなかつたことが認められる。

第五点 結論

以上を要するに、各組合員は営業面、家計面の区別なく、本組合加入前と全く同様に、その損益の危険は一切各自が負担する機構になつており、組合としては、単に組合員が加入する際に加入金、出資金を徴収する以外は毎月、事務所の各種費用に充当するための運営費(積立金)、源泉所得税相当額の外にときに日報代、新聞代等の金額を受領するのみであつて、実質的には各事業所の利益を現実に掌握できる立場にもなく、権限もなかつたのに拘らず、昭和25、4月から昭和25、9月迄は、日報には恰も名目的な給料を支払つていたかのような記載をなし、昭和25、10月から少くとも昭和27、10月迄は日報、現金プール表、給与支払明細票、給与支払明細表、小切手の各記載を巧妙複雑に操作することにより、恰も組合としての実質的な統一計算を行い、給料を所定額どおり支払い、廻転資金を融通していたかのように装い、以つて、税務当局から企業組合としてこの実質を否認され、各組合員の事業所の営業は個人営業であるとの判定をされることを免れるための対策としていたものであつて、以上のことは、被告人森原春一同上野盛雄を初め、本地区の事務員は勿論、高杉、小森、緒方、牟田、林、四宮岩瀬、秋山平作の地区の主要組合員は勿論現金プールに参加した全組合員も又之を知つていたと之を断定することができるのである。

第三項 加入時の資産処理の実態

第一 各組合員の処理の実態

第一項、第二項に認定した事実と、

(1) 昭和25、4月中に加入の分

証人松尾初枝、塩足勝、田中米蔵、片山平作、森田伝、高杉義行、牟田茂雄、高島常雄、森高進の各証言

証人 市川喜壮、野田虎男、平野密蔵、林末次郎、古部薫の各調書

(2) 昭和25、5月中に加入分

証人 小川砂男、西村正信、稲葉吉良、木下富士栄、金丸勝、杉正男、江口三九二の各証言

証人 竹中七郎、村田保、貞末好夫、只松栄二郎、山田楠美、山本市助の各調書、

(3) 昭和25、6月中に加入の分

証人 帆足彦之助、東芳彦、生田固次、吉岡照雄、待鳥謙吉、の各証言、

証人 松葉春義の調書及び矢野次八郎、石垣正八の各調書、

(4) 昭和25、8月中に加入の分

証人 宮崎強太郎の証言

証人 島田崎太の調書

(5) 昭和26、4月中に加入の分

証人 恵良宣雄の証言

(6) 昭和26、6月中に加入の分

証人 木下一美の証言

証人 山田義人の調書

(7) 昭和26、10月中に加入の分

証人 吉村富男、秋山平作、堀源八郎、山見大造、合瀬嘉太郎、小森米次、鬼木団次郎、鈴木改蔵、甲斐勇篠原隆、村田豊治の各証言

証人 平川勝、前崎夘吉、志岐文雄の各調書

(8) 昭和26、11月中に加入の分

森正市、富松七郎、山見常雄、吉田茂、安部為次郎、藤野静枝、田辺貞男の各証言

証人 長田嘉一の調書

(9) 昭和26、12月中に加入の分

証人 占部伊三郎の証言

証人 三島義夫、三宅正治郎の調書

(10) 昭和29、4月中に加入の分

証人 安河内芳子の証言

を綜合すると

(A) 各組合員毎には形式的な面では多少の相異があつたにしても、右掲記の六六名の証人(その所属する支所は本地区内のすべての支所に亘つている)が本組合に加入するに際し、その所有にかかる営業用資産については、

真実には組合側(理事長であつた被告人森原春一、同上野盛雄を初め、本地区の役員、職員)としては之を買受けて所有権を取得する意思なく、また代金を支払う意思なく、支払う能力もなく、一方組合員も之を組合に売渡す意思なく、代金を貰う意思なく、組合が支払う能力のないことを知つていたものであるのに、

形式的には、加入に際して各組合員は営業資産を棚卸して棚卸表を作成し、債権、債務及び手持現金があれば、之も含めて貸借対照表を作成し、之を組合に提出し、組合はその資産の買上証と、代金相当額の借用証を組合員に交付し、よつて、組合側では、之を「買受けた」「買上げた」と称し、組合員は之を「売渡した」「引継いだ」と称していたこと。

(B) 右のような実態は、昭和25、4、1の本地区発足当初から少くとも昭和27、4月頃まで終始かわらなかつたこと、が認められる。

第二 認定

右認定したところよりすれば、本地区における加入時の資産処理の実態は右のとおりであり、このことは、小倉、京築、田川各地区と全く同様に、本組合に加入した者(組合員)は、昭和25、4、1の発足当初から、少くとも昭和27、4月頃に至る間右のような手続を以つて資産の処理を実施しており、組合は之を以つて、その実態を具備していないのにかかわらず、恰も右資産を真実に買受けたかの如く装つていたものということができるのである。

第四項 結論

第一項乃至第三項において認定した各事実を綜合すると、本地区の実態も又、既に論じた、小倉、京築、田川の各地の実態と全く同様であつて、右三地区の結論として説示したところのことがそのまま本地区にも妥当とするということができる。

之を要するに、本地区においても本組合に加入した業者は、従来どおりの個人営業を継続し、その営業上の損失は自ら之を負担し、その利益を自ら享受し、その所得を実質的に収得していながら、本組合の組合員の名の下に、組合として企業合同をなし、組合として統一計算をなし、企業組合としての、実体を備えていたかの如く装つて、各種帳簿書類を作成、交付、備付けていたのであり、以上の諸事実は、被告人森原春一、同上野盛雄を含む本地区の役員、職員は勿論全組合員もまた、之を知つていたものと、認められるのである。

第六節 熊本出張所

第一項 本地区の沿革、組織及び役員、職員の本組合内容の説明について

第一点 熊本市民主商工会について、

証人益田藤平、船津由雄、下田順一の各証言及び調書、並びに証人金森一郎、小笠原嘉明、山田茂、内田益弥の各証言、被告人渡辺実信の証言を綜合すると、

(1) 熊本市には、昭和24年頃から、民主商工会という、組合員組織の団体があつたこと。

(2) 民主商工会とは所得税、事業税等の税金に対する異議申請の書類を作成したり、その他税務署との交渉をしてくれる団体であつたこと。

(3) 昭和25年初頃は、小笠原嘉明が会長で事務所は熊本市浄行寺の同人宅にあつたが、昭和25、4月頃、同市水道町分岐点附近の西里古物商の隣にあつた三成商会という食料品店に事務所を移し、そのころ会長は金森一郎にかわつたこと。

(4) 被告人渡辺実信は、右民主商工会の事務員を当時していたこと。

などが認められる。

第二点 本地区における本組合設立の経緯と被告人森原春一の説明について

〔一〕 被告人渡辺実信の証言、証人益田藤平、船津由雄、下田順一の各証言及び各調書、並びに証人金森一郎、小笠原嘉明、山内茂、田代義人、内田益弥の各証言の一部を綜合すると、

(1) 昭和25、2月又は3月頃、被告人森原春一が、右民主商工会に来て、益田等に対し、福岡の方では企業組合を設立している。この組合は個人で、税金斗争するより法律の枠内で組合として税金斗争ができる。従つて熊本においてその動きがあるなら熊本にも共栄企業組合の出張所を設けてはどうかとの話があつたこと。

(2) その後、昭和25年4月か5月初め頃、右水道庁西里古物商裏の民主商工会の事務所で、本組合についての説明会を開き、それには民主商工会員を主とする約四、五〇人の加入希望者や益田、船津、下田、小笠原、田代、内田、金森、被告人渡辺実信も出席し、本組合からは、被告人森原が出席し、その席上で同被告人は本組合の具体的内容につき、

(A) 中小企業協同組合法の抜萃やら、共栄企業組合の定款を抜萃したのやらを書いてある共栄企業組合の宴伝ビラを示して法律の説明及び共栄企業組合を福岡で設立した経緯を説明した上

(B) この組合に加入すると、いままでの個人の営業は組合の事業ということになり、従来の店舗などは組合の事業所ということになり、組合員は組合事業の従業員ということになり、組合から一定の月給を支払うという仕組になつている。

(C) しかしながら、1営業は個人のときと同様にやつてもらい、そこから生ずる売上金は、所定の月給額の多寡にかかわらず、全部当該組合員の収入になることは、従前とかわらない。

(D) ただ組合に対しては、売上の〇・五~二・〇%の組合費を収めて貰う。

(E) 税金は、組合は法人だから法人税がかかつてくるが、組合員は組合の月給取ということになり、従つて月給額に対する源泉所得税はかかつてくるようになるが、従来納めていた個人営業関係の税金は一銭も納めなくてすむ。

(F) 組合に加入するには、加入金五〇〇円、出資金二、〇〇〇円を支払つて貰う。

(G) 組合員の営業は組合の営業ということになるから、従来の個人営業用資産は一応組合に売渡して貰うことにするが、之は形式的に表面上そうするだけであつて、組合員個人の所有物であることにかわりはない。

組合のものだといえば、未納の税金の差押も出来なくなること。

(H) 代金は払わないが、借用証を入れておく、その組合員が脱退するときは、その借用証と引換えに営業用資金はそのまま返すこと。

など要するに組合には組合費さえ納めれば、あとは個人営業と同じ商売ができて、税金の問題からは解放されるとの趣旨の説明をなし、この組合は個人で税金斗争するより有利で法律の枠内で組合として税金斗争ができる。だから熊本にも共栄企業組合の出張所を設けて欲しい旨を宣伝したこと。

(3) その前後頃、熊本市練兵町九五番地の益田藤平や金森一郎方でも同様な説明会を開きその席上で被告人森原春一は(2)と同趣旨の説明をして本地区における設立と加入を勧誘したこと。

(4) その後、民主商工会ではそのままやつたがよいか、企業組合を設けたがよいかを議論し、結局共栄企業組合の出張所を熊本に設けることになり、昭和25、6、1を以つて、本組合熊本地区協議会として前記三成商会の中(民主商工会事務所の一角)に事務所を設け、民主商工会々員を主体とする三〇数名の組合員を以つて発足し、会長には益田藤平、副会長には民主商工会長の金森一郎が就任し、事務員は同会の常任が之を兼務し、事務局長は同会常任の清島某が兼任していたこと。

などが認められる。

〔二〕 右認定したところからすれば、第五節で論じたように、被告人森原等は、昭和25、4月から5月にかけて福岡市生活擁護同盟に対して加入勧誘を行い、福岡地区には右生擁同を母体として多数の加入者を得たが、それと前後して、右被告人森原は前敍のように右生擁同とその組織目的において酷似している熊本市の民主商工会に加入を勧誘し、その結果、前敍のとおり民主商工会を母体として熊本にも本組合の下部組織が発足したことが認められる。

しかして、その際に右森原被告人が、本組合の具体的内容として説明したことは既に認定した小倉、京築、福岡の各地区における同被告人の説明と全く同趣旨であることが認められるから、本地区の各組合員に森原被告人の右説明によつて本組合の具体的内容について既に認定した小倉、京築、福岡、田川の各地区の組合員がその加入に際し有していた本組合に対する認識と同趣旨のことを諒知して加入しかつ設立したということができるのである。

第三点 組織

〔一〕 名称、事務所

証人川上海智、益田藤平の証言及び調書、被告人渡辺実信の証言及び調書、同上野盛雄の証言並びに登記関係書類(証一七〇〇)事業報告書(証三〇三〇)の各記載を綜合すると、

(1) 本地区は、熊本地区協議会の名称で、昭和25、6、1前記三成商会の一角を事務所(民主商工会の事務所の一角である)として発足したこと。

(2) 昭和25、10、1右地区協議会から熊本支部となり、その頃事務所と右民主商工会の事務所から分離して、熊本市鍛屋町二三番地(同市唐人町島田下駄屋)に移転していたこと。

(3) 昭和26初頃(登記簿上では昭和26、3、1附)事務所を同市練兵町一〇番地に移転したこと。

(4) 昭和27、4月の機構改正で熊本県支部管轄下の熊本出張所となり、そのころ、事務所を同市花畑町六七番地に移転し、一斉捜査迄そのままであつたこと。

が認められる。

〔二〕 役員、職員

(1) 被告人渡辺実信

被告人渡辺実信の証言及び調書、証人益田藤平、川上海智の証言及び調書並びに登記関係書類(証一七〇〇)組合員連名簿(証一〇一三―五)総会理事会議事録綴(証二三七)の各記載によれば、右渡辺被告人は本組合の本地区設立以前から民主商工会の常任を勤めており、昭和25、6、1附で本組合に加入し、事務局長清島某の下で本組合の事務員を兼任し、集金等の事務にたずさわつていたが、昭和25、10月頃から事実上理事の仕事を担当し、昭和26、2、20の第四回臨時総会で理事に就任し、昭和26、3、1第一六回理事会で代表理事、副理事長に就任し、昭和27、5、25迄その地位にあり、理事は重任し且つ常任理事となり一斉捜査当時なおその職にあり、また昭和25、10月頃に熊本支部の事務局長に就任し、爾来継続してその地位にあり、昭和27、4、1熊本県支部の設立と共に同県支部の事務局長になつたことが認められる。

(2) 中尾俊男

証人中尾俊男の証言及び証人川上海智の証言及び調書、並びに総会、議事録綴(証二三七)の各記載によれば同証人は本組合に昭和25、9、1加入し、昭和26、6月熊本支部長となり、昭和27、5、25第七回定期総会で理事に就任し、同日第二三回理事会で代表理事、副理事長、常任理事に就任し、熊本県支部の設立と共に同県支部長に就任して、いずれも一斉捜査迄その地位にあつたことが認められる。

(3) 川上海智

証人川上海智の証言及び調書、証人中尾俊男の証言、並びに登記関係書類(証一七〇〇)、総会理事会議事録綴(証二三七)によると、川上海智は本組合に昭和25、9、1加入し、昭和27、4月熊本県支部の設置と共に同副支部長並びに会計主任、及び熊本出張所長に就任し、一斉捜査後までその職にあり、昭和25、10月頃から事実上、理事の仕事を担当し、昭和26、2、20第四回臨時総会で理事に就任し、爾来重任せられて一斉捜査当時その地位にあつたことが認められる。

(4) 内田益弥

証人内田益弥の証言、並びに登記関係書類(証一七〇〇)総会、理事会議事録綴(証二三七)の各記載によると、内田益弥は昭和26、2、20監事に就任し、昭和27、5、25迄その地位にあり、また昭和26、3月頃から本組合解散迄熊本出張所の常任をつとめていたことが認められる。

(5) 益田藤平

証人益田藤平、高橋銀蔵の証言及び調書並びに証人金森一郎の証言によれば、益田藤平は昭和25、6、1の本地区の発足と同時に熊本地区協議会々長となり、昭和25、10月に熊本支部となつてからは同支部長となり、昭和26、5月迄その職にあつたことが認められる。

(6) 金森一郎

証人益田藤平の証言及び調書並びに証人金森一郎の証言によれば、金森一郎は、本組合本地区発足当時は民主商工会の会長をしていたが、本地区の発足に際して地区協議会副会長となり、熊本支部となると共に同副支部長となり、昭和26年春頃までその職にあつたこと、一斉捜査後、川上海智の後を受けて熊本出張所長となつたことが認められる。

〔三〕 組合員

(1) 組合員連名簿(証一〇一三)組合員名簿(証一〇〇九)組合員労働者名簿(証一〇二七)、調査表(証一〇四九)加入申込書(証一三五七)の各記載によれば、

昭和25、6月迄の加入者五三名、同7月中の加入者二一名(累計七四名)、同8月中の加入者二三名(累計九七名)同9月中の加入者九名(累計一〇六名)

(2) 事業報告書(証三〇三〇―二五)によれば、昭和26、3月現在の組合数は七六名

(3) 組合員名簿(証一四一九―一―三~一五)によれば、昭和26、6月現在の組合員数は八二名

(4) 支部報告書綴(証一七四一―一七)によれば、昭和27、3、10現在の組合員数は二〇九名

(5) 組合員名簿(証一四一九―二―二七~三五)によれば昭和27、6、30現在の組合員数は二七六名

(6) 本部往復書類綴(証四二四―三一)によれば、昭和27、9、25現在の組合員数は三二五名

(7) 議事録等雑綴(証二二五六―四七)によれば、昭和27、10、19現在の組合員数は三四〇名であつたことが認められる。

第四点 被告人渡辺実信の本組合の具体的内容についての説明

〔一〕 その場所と時と相手方

(1) 証人木崎正の証言及び調書によれば、同証人は昭和25、5月~6月頃、前掲本地区の事務所で、

(2) 証人高橋銀蔵の証言及び調書によれば、同証人は昭和25、6月初め頃右事務所で、

(3) 証人長船勇の証言及び調書によれば、同証人は昭和25、6月頃右事務所で境某と一緒に、

(4) 証人今西太四郎の証言及び調書によれば、同証人は昭和25、6月頃、右事務所で、

(5) 証人弓削 悟の調書によれば、同証人は昭和25、8月頃

(6) 証人三原 茂の証言及び調書によれば、昭和25、9月頃右事務所で、

(7) 証人川上海智の証言及び調書によれば、昭和25、9月頃右事務所で、

(8) 証人深見 靖の証言及び調書によれば、同証人は、昭和26、1、3頃熊本市練兵町に移転した本組合の熊本支部の事務所で、

(9) 証人片桐栄一の証言及び調書によれば、同証人は、昭和26、1、6頃右事務所で、

(10) 証人宮坂政秀の証言及び調書によれば、同証人は、昭和26、2月中頃、同証人宅で、

(11) 証人平瀬正敏の証言及び調書によれば、同証人は昭和26、5月乃至6月頃、二回に亘り本組合の熊本支部の事務所で

(12) 証人福山葭江の証言及び調書によれば、同証人は、昭和26、6月終頃、右事務所で、

(13) 証人中村信一の証言によれば、同証人は、昭和26、6月頃右事務所で

それぞれ被告人源辺実信から加入に際し、本組合の内容について説明を受けているが多少の表現の相異内容の広狭はあつても、その根本的な趣旨とするところは、右一三名の証人全員に対し全く同様に

(A) 本組合に加入すれば、いままでの個人の営業は、組合の事業所ということになつて、組合員は、その責任者ということになるが、営業は従来通り個人の営業を継続してやれる。

(B) 組合に加入すると、組合の月給取りということになるので、税金としては、その月給に対する源泉所得税がかかることになる。しかしそのかわり今迄のような事業税や、事業所得税はかからなくなるから税金は安くなる。

(C) 個人の営業用資産は、組合に売渡して貰う。負債も組合に引継いで貰うが、之は本当にそうするのではなく、法人であるというところから、書類上そのようにするだけだから代金は払わない。脱退は自由であるが、脱退するときは、そのまま返すから心配はない。

(D) 売上金は毎月保管していてもらい、その中から組合に組合費を納めてもらうだけで、組合に対する出費はほかにない。すべて組合員のものである。

(E) (昭和25、10月以降の組合加入希望者に対しては)、売上金は毎月一回手許残高金を事業所にもつて来て貰うが、その中から組合は運営費を差引いて残高は全部その組合員に月給名目、運転資金名目で還元するから収入にはかわりはない。

(F) 加入に際しては加入金五〇〇円、出資金二、〇〇〇円を払つてもらうこと。

などの事を説明しているのであつて、要するに組合に加入しても営業は個人営業を継続でき、営業用資産も、従来どおり、その組合員の所有のままであり、営業の収入は、組合には加入のとき二、五〇〇円を支払うほか、毎月、組合費(維持費、運営費)を支払う以外はすべて従来どおり、その組合員の収入になるのであつて資産を組合に売渡すのも給料を定めるのも、組合は法人であるからそのような形式を書類上とるだけであるという趣旨の説明を右期間を通じて被告人渡辺は行つていたことが認められる。

〔二〕 右被告人渡辺の各組合員に対する説明は右被告人が民主商工会の事務所で聞いた被告人森原春一の説明と全く同趣旨であつたことが認められるから、右被告人両名の本組合の本質的実態についての認識は全く一致していたといわなければならない。

第五点、役員、職員の説明

〔一〕 金森一郎の説明

(1) 証人永田登の証言及び調書によれば、同証人は昭和25、6月初頃、熊本市水道町の本組合熊本地区協議会の事務所で

(2) 証人三原茂の証言及び調書によれば、同証人は、昭和25、9月頃、右事務所で

本組合の発足当時民主商工会の会長であつた金森一郎から本組合の具体的内容について説明をうけたが、その説明の内容は前敍被告人森原、同渡辺実信の説明と全く同趣旨であつたことが認められる。

〔二〕 桑村某の説明

証人今西政八の証言及び調書によれば、同証人は、昭和25、6月頃、同証人宅で、当時民主商工会の事務員で本組合、本地区協議会の事務員を兼任していた桑村某から、本組合の具体的内容の説明を受けたが、その内容は右森原、渡辺両被告人の説明の内容と。全く同趣旨であつたことが認められる。

第六点 結論

本地区は被告人森原が民主商工会に加入を勧誘した結果、同会の会員を母体として昭和25、6、1発足したものであるが、当初は生擁同と福岡地区の関係と同様に本地区にあつても、役員及び職員は民主商工会の役員、職員が兼任していたのであり、しかして、その発足当時における被告人森原の本組合の具体的内容の説明は既に認定した他、地区において行つた同被告人の説明の内容と全く同一であつたことが認められるのであるし、被告人渡辺実信の説明もまた右森原被告人の説明の趣旨と全く同一であつたことが認められるところから、右両被告人の本組合の内容についての認識は同一であつたといいうるし、また、その説明によつて本組合の実態を認識するに至つた本地区の爾余の役職員は勿論各組合員の認識も右両被告人の認識と同一であるし、それは既に認定した他地区の組合員の本組合に対する認識ともまた同一のものであつたと断定することができるのである。

第二項 現金の管理、流通、還元の実態

第一点 序論

他地区と同様に、加入手続における資産譲渡の前に論ずることにする。

本地区においても、一応給料名目額が決められており、積立金(組合費、維持費、運営費支部勘定等種々に称している)を決められていたことは後述のとおりであるが、他地区と同様にその形式、実質をとわず、このことを前提として論ずる。

なお本地区においては、今迄認定した地区と異り、後述するように、昭和27年に入つて「資金プール」と称する現金管理を行つているのであるが、この方法をとつていたのは「現金プール」と同期間であるけれども別個に論ずることにする。

第二点 本地区、設立当初より昭和25、9月迄の実態

第一、現金の管理、給料名目額の支払い、組合費(積立金)徴収の一般的実態

〔一〕 被告人森原春一、同渡辺実信の各証言、証人川上海智、船津由雄、木崎正、岡崎はる、の各証言及び調書証人長田登、中尾俊男、山内茂、内田益弥の各証言、証人益田藤平、下田順一の各調書を綜合すると、

(1) 昭和25、6、1の本地区の発足当時から昭和25、9月頃迄の現金管理の一般的実態は

(A) 売上金等の現金は終始各組合員が自己の事業所で保管、管理していたこと。

(B) 組合事務員が各事業所を廻り、売上金に対する歩合によつて定められていた組合費(組合維持費又は積立金)と、給料所定額に対する源泉所得税相当額を集金していたこと。ときには、組合員が組合事務所にゆき、右金額のみを支払つていたこと。

(C) 組合員から組合事務所に流通する現金は右全員のみであり、他に納入、支払う金は、個々の物品購入代金等を除いては全然なく、また、事務所から組合員に支給融通する現金も全然なかつたこと。

(D) 組合事務所から給料所定額の現金を支給するのではなく、当該組合員は自己の事業所の営業より生ずる現金の中から各自控除していたこと。

(E) (B)記載の集金額を控除した以外は各事業所の運転資金という名目をつけて夫々、仕入等に使つていたこと。

が認められる。

(2) なお被告人渡辺実信は、当時民主商工会の常任をしていたが、同会の常任は本組合から集金を頼まれており、つまり、民主商工会の担当地区にある組合の事業所の集金を行つていたことが認められるところ、第一項で認定したように同会の常任は本組合の事務員を兼任しており、また前敍の如く事業所からの集金は積立金以外にはないのであるから、被告人渡辺は、積立金の集金に各事業所を廻つていたということができる。

(3) また、加入者はその加入に際し加入金五〇〇円と出資金二、〇〇〇円を一括又は分割で組合に納入したことが認められる。

〔二〕 右認定したような現金の管理、流通、還元の実態は先に認定した四地区の実態と全く同様であるということができる。

第二 積立金、給料所定額と日報の記載

〔一〕 証拠

(1) 証言と日報

(A) 日報昭和25、6、30(証一一五九―一―二九)の「給料及仮払費」と「積立金」の記載と、之に対する証人船津由雄の証言

(B) 日報昭和25、7、31(証一二〇六―一―三一)の「給料」と「積立金」の記載と、之に対する証人今西大四郎の証言

(C) 日報 昭和25、6、30(証二七二九―一〇―三〇)の「給料及び仮払費」と「積立金」の記載と、之に対する証人山内茂の証言

(D) 昭和25、6、20(証二七三九―一〇―)の「給料及仮払費」の記載と証人内田益弥の証言

(E) 証人中尾俊男、岡崎はる、の各証言

(2) 日報

中尾俊男名義の昭和25、9月分(証一二三五―一)高橋銀蔵名義の昭和25、7月分~9月分(証一一三三―一~三)小笠原嘉明名義の昭和25、6月分~9月分(証二七二四―一~四)今西政八名義の昭和25、7月分~9月分(証一一八八―一~三)下田順一名義の昭和25、6月分~9月分(証一一九一―一~四)松崎満義名義の昭和25、8月分~9月分(証一一八四―一二)木崎正名義の昭和25、6月分~9月分(証一一六二―一~四)永田登名義の昭和25、6月、8月、9月分(証一一〇七―一、三、四)弓削悟名義の昭和25、9月分(証一一四六―一)、船津由雄名義の昭和25、7月~9月分(証一一五九―二~三)、岡崎はる名義の昭和25、6月~9月分(証一一三一―七~一〇)山内茂名義の昭和25、7月、8月分(証二七八九―八九)今西太四郎名義の昭和25、8月、9月分(証一二〇六―二、三)内田益弥名義の昭和25、7月分(証二七三九―九)

〔二〕 右証拠を綜合すると、給料所定額は自己の事業所の売上金の中から一応之を控除して費消するが、日報には「経費明細」欄の「給料及仮払費」又は「給料」の項に所定額又はその仮払、内払額を記載して記帳の上からは之を落し、記帳上では、その事業所の売上金から右額の支給を受けたようになつていたこと。また積立金も、自己の事業所の売上金の中から之を事務所に支払うが、日報上では、「支出」欄の「積立金」の項に記載して、記帳上は落していたものであることが認められ、かつ、右のような方法は、先に説示した四地区でも認定したように、日報記帳の劃一性、被告人森原の証言なども併せ考えて、右掲記の証人及日報の所有者のみならず、本地区の全組合員が右期間中同様な記載方法によつていたものであることが推認される。

第三 日報における右記載と現金(売上金)の管理、流通、還元、の実態

〔一〕 証拠

(1) 証人益田藤平の調書中「設立(熊本における)当初は組合に運営費を納めるだけで、残金は一応運転資金と月給とに決めていましたが、現実には運転資金と月給は各組合員のところでは混同しており、到底月給だけでは生活できないので、運転資金の方に喰いこんでいたに相違ありません。運転資金と月給とは明確に区別されていなかつたものと思います。またこの頃は監査しても形式だけで充分良く行われていなかつたのであります。当時の状況として、組合員は貧しい者が多く、私達もそういつた業者を救うため設立したものでありますが、その人達はほとんど皆前年度の税金は未払であり、生活費にも追われていたので運転資金に喰い込むのを止めるわるけには実際はできない相談でした。」なる旨の記載

(2) 証人川上海智の証言中「月給という名目の金額は自分で勝手にその額だけとつておりました。それも日報上では一度に月給をとつた形でおとしておりましたが、実際には必要の都度何度にもわけて売上金の中からとつておりました。」「売上金と個人の金とは実際は一緒にしておりましたが、帳簿上ではいつでも区別できるようにしておりました。」「月給をきめるについては)被告人渡辺は源泉所得税は高く払つても馬鹿らしいし、月給は高く決めても税務署が認めてくれないといいました」との供述部分、同証人の調書中「月給は源泉徴収税のかからぬ様に配慮してきめておりました。私が加入した当時から出張所長になるまでは組合の法人性は形式的にも全く認められず、給料の支給方法にしても額を確定しただけで組合が直接組合員に支払う形式さえもととのつていませんでした」なる旨の記載

(3) 証人船津由雄の証言中「実際は売上の中から生活していて形式的な給料とりだつたので辞令書などは問題にしていませんでした」「(店員のものは辞令どおりに給料を貰つていたか)組合に加入してからも個人営業時代と同様に店員も見習いも住込みで食ぶちを引いて三千円程度の小使をやつていただけで、給料などというものはやつておりませんでした。だから組合から店員の給料を決めて貰つても実際に給料を貰つているとは思つておりませんでした」「私は個人営業だと思つていたから上べはともかく売上の中から使うのがあたり前だと思つていました」なる旨の供述部分。

(4) 証人木崎正の証言中、「売上金は自分で処理していました。給料として決めて貰つた金は月末にもらうようになつていた。名目上は給料を貰つたようにしてありましたが実際は売上金の中から生活していました」「売上金は自由に生活につかつていた」旨の供述部分。同証人の調書中、「月給は渡辺被告人が決めてくれたが之も売上金は組合維持費を取つた後は自分のものだから形式だけにすぎない。しかし日報の記載は給料額に符合させるため実際の売上よりも余計にかきたしたことが度々あつた」旨の記載

(5) 証人長船勇の調書中、運営費として千円前後の金を持つていつた以外は、運転資金の金と生活の金とを区別が明確でなかつた趣旨の記載、

(6) 証人三原茂の調書中、売上金は運営費をひいたら残額は全部かえすということになつていたのでら月給額は名目だけのものと考えていた旨の記載、

(7) 証人岡崎はる、の証言及び調書中右(6)と同趣旨の記載、並びに「自分の金と店の金とはごつちやにしていた」旨の記載

〔二〕 右〔一〕掲記の証拠及び第一項で認定した事実を併せ勘案すると、各組合員は生活費(本来ならば、いわゆる給料として賄わるべきもの)を必要な都度、いわゆる事業所の売上金の中から自由に?従来どおり使用しておつたのに拘らず、その実態は日報に記載しなかつたため単に一定の日に決定額のみを記帳した日報の記帳の記載とはなんら関係はなかつたことが認められるのである。

なお、以上の事実は前記第二の認定事実に本地区の発足と同時に本地区協議会の会長になつた。証人益田藤平の前掲証言を併せ考察すれば本地区の組合員の一般的状態であつて決して例外的事実ではなかつたことが認められるのである。

第四 給与支払関係の書類について

〔一〕 給与支払簿

(1) 給与支払簿(証一〇二〇)によれば、昭和25、6月~9月分の給料は所定額どおり支給になつているように記載(秘扱になつている)され、

(2) 昭和26年度、給与支払簿綴(証一〇二九)中、昭和25、7月~9月分の給料は所定額どおり支給になつたように記載されて、かつ昭和25、8月分9月分については、各組合員においてその額を受領したように「受領印」欄に押印(秘扱になつている)されているが、

右記載と一致している各組合員の日報の給料の記載がなんら実態を伴わない数字だけの記帳である以上、右給与支払簿の記載及び存在は組合員に給料を支給していたことの証拠とはなりえないといわなければならない。

〔二〕 給料支払明細書

給料支払明細書(証一一二九、証一一五七、証一〇九四、証一二一六)の中には昭和25、6月~9月分の給料に関する各記載が存在するが、証人山内茂の証言によれば、右のような給料支払明細書と称する細長い小紙片を積立金の集金に来た事務員が組合員に渡していたことが認められ

前敍各認定からすればかかる右小紙片を組合が各組合員に交付していたことを以つて給料を支払つていたことの証左にはならないといわねばならない。

第五 結論

本点で認定した各事実を綜合すると、本地区の本期間における現金の管理、流通、還元の実態は、組合員の各事業所より生ずる売上金は本組合加入前の個人営業のときと全く同様に管理され、流通されており、生活費等の支出も売上金から従来どおり自由に、必要な都度差引いて使用されており、組合に加入したとは言つても組合事務所又は他組合員からの融通補填さるべき現金はいかなる名目においても全然なく、生活費も運転資金も各事業所のみで還流し、全くその組合員個人の危険負担に帰属していたのであり、組合事務所に対する関係においては、唯毎月の売上金に一定の率を以つて算出される積立金(組合費組合維持費)と給料所定額に対する源泉所得税相当額を売上金の中から、組合事務員に支払うだけであつて、他には相互に流通すべく義務づけられた現金は全然なかつたこと。

しかるに組合事務所では給料支払簿を備付け、昭和25、8月からはその支払簿に所定額の受領印を組合員に押捺させ、かつ、積立金を受領した際には、各組合員、従業員毎に明細を記載した給料支払明細書と称する小紙片を交付し、かつ、日報には「給料」又は「給料及び仮払費」欄を設け、各組合員が当該欄に自ら記帳するか、事務員が積立金を受取つたときに記載していたことが認められるが、之ら一連の書類の記載及び存在はなんら現実の給料所定額の現金の支給を表示しているものではなく、単なる数字の記載だけの形式的なものにすぎなかつたのであつて、かかる記載及びその存在は給料所定額支給の証左にならないのみならず、かえつて、右実態を糊塗し、給料を支払つていたかのように、仮装するためのものであつたということができるのである。

第三点 昭和25、10月以降、昭和28、2月迄の実態(いわゆる「現金プール」の期間)

第一、序論

本地区における右期間の現金プールの方法は、記帳の仕方において、後述のように、昭和27、4月の前後によつて異つているし、また既に認定した福岡県支部の四地区の方法とも異つている。

しかして、第一項で認定したように、証人川上海智は、昭和25、9月頃から事実上理事としての行動をとつており、昭和27、4月に熊本出張所長となると共に熊本県支部の会計主任となつて、経理事務を担当した者であり、かかる立場にあつて同人の証言及び調書並びに証人内田益弥の証言によれば、同川上が出張所長になるまでは、法人としての形式さえも整つていなかつた本地区を、せめて形式的な書類上だけでも法人としての体裁を整えるために、現金プールにつき仕訳伝票を使用するようになり右川上証人がその帳簿類の記載を指導していたものであることが認められるところから、昭和27、4月以降の本地区における事務所としての現金プールの統一的処理、つまり帳簿類の記載及び現金の流通、還元の処理の実態については、右川上証人が最も詳しく知つており、しかして、右期間の現金プールは昭和25、10月分より行われていた。現金プールよりは、より整備されていたことが推認されるから、まず、右昭和27、4月以降の現金プールの実態及び各帳簿類の記帳の関係を審究し、ついで右昭和25、10月分よりの実態につき判断することにする。

第二、昭和27、4月~昭和28、2月頃迄の現金プールの実態

〔一〕 現金プールにおける各記帳相互間の関係

イ 記帳とその趣旨

(1) 日報(証一二三〇ほか)

証人川上海智の証言によれば

現金プールする日の前日の「本日の現金残高」は現金プールする日の「支出」欄の「支部勘定」と一致し、その金額が現金プールに持参される建前になつており、「収入」欄の「支部勘定」の金額は、事務所から運転資金としてもらつて来た数額を記帳するのであつて、事務員が記入してやることもあつたことが認められる。

(2) 仕訳伝票(証一二六五―一~九)

証人川上海智の証言によれば

(A) 借方「現金」、貸方「支部勘定」の数額

各組合員の日報の「支出」欄の「支部勘定」すなわち、その前日の「本日の現金残高」の数字に一致する数額を書くこと。

(B) 借方「給料」貸方「当座預金」の数額(小切手の番号のあるものあり)給料の所定額であつて税額ごみであること。

(C) 借方「支部勘定」貸方「当座預金」の数字(小切手の番号の記載のあるものあり。各組合員の「収入」欄の「支部勘定」の数字に一致する数字であること。

(D) 借方、貸方とも課目空白の欄の数額

組合が受領すべき運営費の金額であること。

が認められる。

(3) 受領証(証九六二)

証人川上海智、益田藤平の各証言によれば

この「支部勘定」の数額は当該組合員の「支出」欄の「支部勘定」の数額と一致していたことが認められる。

(4) 現金プール表(証一二五八―一二)

(A) 「収入」の「支部勘定」は当該組合員の日報の「支出」欄の「支部勘定」の数額と一致することと。

(B) 「支出」の「支部勘定」は当該組合員の日報の「収入」欄の「支部勘定」の数額と一致すること。

(C) 「支出、給料」の数額は仕訳伝票の「給料」の数額と一致していることが推認される。

(D) 「摘要」の「肥後銀行小切手」の番号の表示は仕訳伝票の、(B)(C)の下部に記載されている番号と一致すること。

(E) 「源泉所得税」「市民税」の数額は仕訳伝票の同課目の数額と一致することが各推認される。

(F) なお、運営費に相当する数額の記載は存在しない。

(5) 給与支払簿(証一二六一、証九六一、証一〇二九、証一〇二〇)

証人川上海智、三原茂、畑野亥作、倉重元貞の各証言によれば「本給」と「家族手当」の「計」の数

ロ 右認定の関係を図示すると左の表のとおりとなる。

〔日報〕

<省略>

〔仕訳伝票〕

<省略>

<注> この記載については〔ニ〕で述べる。

〔現金プール表〕

<省略>

〔受領証〕

<省略>

〔給与支払簿〕

<省略>

〔給料支払明細書〕

<省略>

〔備考〕

1) 上記各態様は必要項目のみ図示したものである。

2) ローマ字はそれぞれ同一数額を示すものとする。

額と前示仕訳伝票、現金プール表の「給料」の数額とは一致していること、末尾に印が押捺してあるのは受領の表示であることが認められる。

(6) 給料支払明細書(証一一三五―三 証一一二九、証一一五七、証一〇九四、証一二一六、証一二四一の各数額を前示各給料額と対比して検討すると、いづれも前示の額と一致していることが認められる。

ハ 右掲記のような各記載のみからすれば、各組合員は現金プールに際しては、その前日の本日現金残高に相当する現金Aを組合事務所に持参し、その際支部送金を表示する日報の支出欄の支部勘定にAを記載し組合はそのAを受領するや当該組合員にAを受領した旨の受領証を交付し、仕訳伝票、現金プール表にそれぞれその受領額Aを記帳し、一方当該組合員(当該事業所の従業員の分も含む)の給料所定額(税込のまま)Cを小切手m番で支給し(源泉所得税Eだけは現金で別途に支払つて貰う)その際に給料支払明細書(右CからEを控除した額を支給したようになつているもの)を交付し、かつ給料支払簿に支給を受けた旨を証する受領印を押捺し、また廻転資金として組合事務所はBを当該組合員に小切手n番で支給し、その旨を仕訳伝票、現金プール表に記載し、当該組合員の日報には支部からの送金を意味する収入欄の支部勘定にBを記帳し、または事務員に記帳してもらつていて、右各数額間においては(A〓C+B)の関係にあるところから組合員の持参する現金には一切無関係に事務所は給料を所定額どおり支給し、またその事業所に必要な運転資金Bを融通しており、以つて組合員相互の統一計算が完全に実施されていたかのように窺われる。

〔二〕 右数額に対する現金流通の実態

イ Aについて

(1) 証人川上海智の証言によれば、現金プールにはその前日の日報上の手元現金残高を持参すべきであるが、現金の運搬に危険があるので日報上の手元現金残高と実際の現金が合つていればそれでよいということで運営費と月給に対する源泉所得税の概算を現金プールにもつて来らせていたこともあること。組合員が現金プールにもつて来らせていたこともあること。組合員が現金プールの時金を持つてこない時一万円につき十円か、千円につき十円かの手数料をとつて金を貸し、組合員はそれを日報上の手元現金残高として組合に入れ、月給と運転資金との小切手を貰い、その小切手を現金化して三姿事務員に返していた。しかしそれには金がなくてもつて来ない人と、金はあつても途中の紛失をおそれてもつて来ない人もあつた。同証人も二、三回これをやつたことがあること。その場合でも積立金に相当する金だけは自己の売上金からもつてきていたこと。

そして、その実際に持つて来た現金については、金種に応じ千円札いくら百円札いくら拾円札いくらというように当該組合員についての仕訳伝票の裏に鉛筆で書いていたこと。

(前表のKがこれである)

右記載は同証人が組合事務員にいいつけて書かせていたものであること。小切手を持つてくる者もいたが、そのときはその小切手を一度振込んで又振り出していたこと。之は仕訳伝票九冊全部そうであること、がみとめられる。

(2) 証人中村信一の証言によれば、現金プールには売上残金は全部組合に持つてゆかずに、その合計欄Gに足るだけの金を何時も持つていつたこと。売上金を全部もつてゆかないで、給料と支部勘定及び運営費だけを持つてゆくことは年とつた事務員からそう云われていたからであること。

が認められる。

(3) そこで仕訳伝票(証一二六五―一~九)の各裏面を見ると、右の証言のような記載のない場合金種の記載なく、唯金額だけの記載の場合など種々あるが、大半には川上証人の証言によるような記載の存在することが認められる。(右伝票は昭和27、7月分~昭和28、2月分の期間のものである)

(4) よつて前表のAとKとの金額を各伝票毎に仔細に検討するとKが小切手である場合にたまたまAと同額である場合を除いてKとAとが同額であることはほとんどないことが認めなれる。

その場合は、

(A) KがAより多額である場合は、その差は決して大きくなく、Aを稍々超過する程度であるのがほとんどである。少数ではあるが中にはGを賄うにたりる額であるためAより相当多額の場合もあることも認められる。

(B) KがAより少額である場合には、

(a) 僅かに少額にすぎない場合、つまり端銭位の違いしかない程度の場合

(b) Aと相当の差はあるが〔K>C+B+E+F〕程度の場合、

(c) さらに相当の差があり〔K≒E+F〕程度の場合

のあることが認められる。

つまり、結局、AとKとの関係は〔A〓K〕であつて、たまたま一致する場合があつても全体的にAとKとを対比するときは両者は無関係であるということがいえる。

(5) してみれば、現金プールに持参する建前になつており、前表に実際に持つてきたとして記載されかつ組合事務所は受領証まで発行しているAという数額は、真実は各組合員が現実に持参したKという現金と全く無関係であり、その数額は全然Kの金額を表示していない、単に数字だけのものであるといわなければならない。

(ロ) C、B、D、E、F、Gについて

(1) まず、KとGとの関係を仕訳伝票について審究すると、この両者の関係も〔K〓G〕の関係にあることが認められる。

(2) 証人川上海智の証言によれば、前敍の如くFは組合事務所が現実に受取るべき運営費であり、Eは給料所定額に対する源泉所得税相当額であつて、之も熊本地区では現実に事務所が受取つていたものであるから、右仕訳伝票の記載E、Fはいずれも現実の現金の流通を表示していることが認められる(Dも記載のあるものは同様である)

(3) また仕訳伝票のC、Bの各数額も小切手になり、一応は現実に当該組合員に交付されていたことが同証人の証言により認められるから、いずれも現実の現金の流通を表示しているということができる。

(4) 従つて、右〔C+B+D+E+F=G〕の関係にあるGもまた一応は現実の現金の流通を表示していたものであるということができる。

(ハ) KとGとの関係の実態

しからばKもGいづれも現実の現金の流通を表示しており、かつその間には〔K〓G〕の関係があるとすれば組合では現実に組合員が持参する現金とも無関係に、C、Bを支給していたかということが究明されなければならない。

(1) 〔K>G〕の場合

仕訳伝票を右のような関係にある場合につき検討すると、Kが多額の場合は、ほとんど全部百円台の少額であつて、釣銭的性格の金額にすぎないことが認められる、右以外に多額のKを持参したと推認される組合員は絶無である。この場合証人川上の証言からその釣銭程度の残額も当該組合員に現金で返還されたことは明らかである。

(2) 〔K<G〕の場合

(A) 仕訳伝票全部を検討すると〔K<D+E+F〕になるような場合、つまり組合が現実に受領する。運営費、源泉所得税相当額(ときに市民税)の合計額より小額の現金を持参した組合員はみあたらない。すなわち現金プールにくる組合員は、最少限度右のように組合に支払う現金は持参し、組合は受領していたことが推認される。

(B) 〔D+E+F<K<G〕の場合

(a) この場合には、二通りあることが認められる。つまり〔D+E+F≒K〕のような場合と、そうでない場合とである。

つまり前敍川上証人の証言のように、〔D+E+F≒K〕になるようなKを持つて来た組合員、組合に現実に納入すべき金額程度しか持つてこなかつたのであつて、CもBも考慮に入れていないことが推認される。他の場合はその程度は種々である。

(b) しかしこの場合、仕訳伝票の右下欄外に〔<不>N〕の数額の記載があるが(前表参照)証人川上の証言によれば〔G-K=N〕の関係になる数額を右のように欄外に記載したものであることが認められるが、そこで仕訳伝票全部を検討すると右〔<不>N〕の記載のある場合はかならず〔G-K=N〕の関係が成立し、また単に〔N〕の記載があつて<不>の字のない場合でも右数式が妥当することが認められ、かつ右のような場合は後述するように決して少数ではないことが認められる。

(C)(a) この場合、証人川上の証言によれば、右不足額も含めて、C、Bの二通の小切手を当該組合員に交付するが、その組合員は之を現金化して、家にもつてかえつた後で、すぐ必らず組合にN額だけ返して貰つていたこと。この下足分Nを返しにこないと受領証をやらなかつたこと。

(b) なお証人木崎正、長船勇、内田益弥の各証言、並びに高橋銀蔵、深見靖、三原茂、下田順一、小川続雄、松崎満義、今西政八、片桐栄一、今西太四郎、岡崎はるの各調書によれば、現金プールが初つて小切手を貰うようになつてから持参した現金(K)から組合が現実に受領する運営費等(DE、F)を差引いた残額〔K-(D+E+F)〕が運転資金(B)と給料所定額(C)の合計額に不足する場合〔K-(D+E+F)<C+B〕でも組合は、C、Bに相当する小切手を二枚くれたが、各組合員は、それを銀行で現金化して、直ちに不足分N〔K-G(C+B+D+E+F)=N〕に相当する現金を組合事務所に返しにいつたことが認められる。

(c) 以上認定したところよりすれば〔K<G〕の場合、一応は現金の流通としては、CもBも当該組合員に小切手を以つて現実に支給されるが、不足分Nを必らず組合に返還していたのであるから、結局当該組合員が現実に実質的に還元される金額は〔K-(D-E+F)〕であつて、之は〔K>G〕の場合と同性質の実態であるということができる。

しかしてその場合〔K≒D+E+F〕で〔K-(D+E+F)<B〕の場合はC、Bの各記帳はすべて実質を伴わない数字だけの記載にすぎないということになり〔B<K-(D+E+F)<C〕この場合は、Bについては当該組合員の収入欄の支部勘定にB額は記帳されるから、その意味ではB額は実質を伴つていると目することができるのに比し、Cについてはその不足分Nは実質的には支給されないのだから、Cについての記帳のみは数字だけの記載にすぎないということになる。

従つてかかる場合の現金プール表、給与支払簿、給料支払明細書の各Cの記載は、その意味ではすべて数字だけの形式的な記載であり、書類上での操作にすぎなかつたといわなければならない。

(3) 以上を要約すれば、数額的には〔K〓G〕の式にあつて、一見無関係のようにみえるが、その関係の如何にかかわらず、常に〔K-(D+E+F)〕の金額がCやBの額の多少にかかわらず、当該組合員に返還されていること。すなわち、現金プールにあつては、当該組合員がプールに持参した現金(又は小切手の中から、組合に運営費F、源泉所得税相当額E、ときに市民税Dを支払う以外の残金は給料名目、運転資金名目で全額当該組合員に還元されていたものであつて、この残額は給料所定額Cとは全く関係く、還元されていたことが認められるのである。

〔三〕 A、K、Gの関係の実態

イ 証人内田益弥の供述に対する判断

(1) 証人内田益弥は前示不足分は当該組合員が売上金を使い込み、日報上の手元現金残高額Aと現実の手元現金高(之をこのまま現金プールに持つていくとすれば之がK′になる。以下之をKで表示する)との間に生じた差額であつて、現金プールでは一応事務上の理由でこの分も補填して給料所定額どおり小切手で支給するが〔A-K′=N′〕は当該組合員にすでに支給したことになつているのだから、その不足分N′を小切手を現金化して組合に返還させていたものであつて、形式的な仮装をなしていたものでない旨供述している。

(2) しかしながら、右内田証人のいう事例はまず〔A>K′〕であつて、かつ〔A=G>K′〕の場合にのみ考えられるが(他の場合は既に認定したように仕訳伝票等の数式が一定して画一的であるので考えられない)かかる場合は仕訳伝票を仔細に検討した結果、全く絶無であることが認められる。

次にその場合を含んでいるのではないかと考えられるのは〔A>G>K′〕であるが、この場合は〕N′>N〕となりNは現実に返還する額であるのに、N′の額の返還は内田証人の供述からすれば不問に附されているという結果になり、同証人がNを返還する理由として主張したことは矛盾することになり、意味をなさなくなる。従つてこの場合は含んでいないということができる。かつ仕訳伝票を検討した結果は、不足額Nを返還している場合は右のような場合よりは〔A〓K<G.A<G〕の場合であつて、この場合は、全部、不足額Nを返還していたことが推認されるし前示証人木崎正の場合も、この場合であることが認められる。

(3) よつて内田証人のような意味で不足分を返還していたひとは、俄かに信用することができない。

(ロ) いわゆる無名目の金について、

(1) 〔A>K.A-K=M〕でかつ〔K≧G〕の場合Gは金額Kにより賄うことができるとともに、その差額(この差額がどの場合も大した額でないことは、既に認定したとおりである)もまた現金で当該組合員に返還されていたことは右に認定したところである。

(2) ところでAは日報、受領証、仕訳伝票の各記載を通じて記帳上、事務所に送金ずみになつている金額である。またGの中Bは事務所から各組合員に運転資金として記帳上送金されたことになつており、当該組合員の日報上受入れられているので、記帳上では明確な数額である。

(3) しからばMは、組合員の記帳からも、事務所の記帳からも落されたまま、組合員の事業所に残つた現金ということになるといわなければならない(この場合、現金が現金のまま現金プール当時存在していたかどうかということは問題ではない。なぜならば、Mがそれまでに、何かに使用されていたとしてもそれは給料所定額の使い込みでも運転資金の仮受でもない。このMは組合の記帳上では現金プールの日に給料所定額に不足する分として持参した以外の組合員に融通補填したことになつているものの数額の中に包含されていることが推認されるからである。)

(4) 従つて右のMは既に認定した福岡県支部の四地区に於けるいわゆる無名目の金又はプラスの金と同性質のものであるということができるのである。

(5) 仕訳伝票九冊を検討するに右無名目の金Mが記帳の操作によつて生じたと推認される組合員の数は次のとおりであることが認められる。

<省略>

右表からすれば前述のような記帳の操作により、売上金の脱漏である無名目の金として、残金の還元を受けていた事例は本地区にとつて稀少な場合ではなく、現金プールにおいては次に認定する(〔四〕(ロ)の表参照)給料所定額に不足する場合その不足するまま残額全部を還元されていた場合と共に、一般的常態であつたことが認められるのである。

(ハ) 証人川上海智の証言に対する判断

(1) いわゆる「現金プール」ということが実質的な統一計算を意味するものであるならば、そのために設けられている一切の帳簿類の記載はすべて現金の流通をあるがままに正確に表明していなければならないことは自明の理である。

(2) しかるに証人川上の〔二〕(イ)(1)の証言、及び日報上の手許残高と実際の残高が喰い違う場合は、当該組合員に月給を支払うのは形式的にも月給に相当する金額だけのものは組合員から調達して来ないと組合は月給が支払えず、組合が月給を支払うという形式がこわれてしまうから、なんとか調達させていた趣旨の証言(仕訳伝票中AはGに比して極めて少額であるが、KはGと等しいか、稍々多額である場合がこのような場合に当ると推認される)からすれば、証人川上は、Aに相当する現金が各事業所に現実に保管、管理されているかどうかということは関心事ではなく給料相当額、運転資金名目額を小切手を各組合員に振出すためにのみ(なぜ小切手を使用するかは後述する)少くとも小切手金額に相当する現金を調達させて(調達不能の場合、事務員が手数料をとつて現金を組合員に貸すというナンセンスな方法まで採られている)持参させることに努力していたこと。それは全く書類上で形式を整えるためのみになされたことであつて、形式を整えることができるなら、あえて右手段を固執せずして実質上組合に支払う源泉所得税相当額と運営費のみを持つてくることも許容しており、かつ自らも二、三回実行していたことが認められるのであつて、既に認定した福岡の四地区の現金プールにあつては、少くとも〔A=K〕が原則であり、売上金を生活費に喰いこんだ場合だけに〔A>K〕という現象が生じ、その場合にもやはりAをKにあわせて持参していたことが認定されたのであるが、熊本地区における現金プールにあつては、右のように〔A〓K〕という事実が認められる。以上の各事実を彼此勘案すると、熊本出張所長であつた川上海智の現金プールにおいて意図したところは、当初から統一計算を実質的に実施することではなく、只管書類を整備することのみにより恰も統一計算を実施していたかの如く装うことにあつたことは明らかであるといわねばならない。

〔四〕 現金プールの一般的実態について

(イ) 証人川上海智、弓削悟、平瀬正敏、片桐栄一、内田益弥、岡崎はるの各証言、

証人 長船勇、永田登、高橋銀蔵、船津由雄、木崎正、深見靖、三原茂、宮坂政秀、下田順一、小川続雄福山葭江、今西太四郎の各調書を綜合すると、

本地区における現金プールの一般的実態は、

(1) 売上金は、各組合員がその事業所で保管所持していたこと。

(2) 月一回その売上金を組合事務所に持参し(このAとKとの関係はすでに詳論したとおりである)その中から運営費、源泉所得税相当額、または市民税相当額を支払い、残額は全額給料名目、運転資金名目の二枚の小切手で還元したこと。

(3) その場合、給料所定額に不足する現金を持つてゆき、その不足額も含めた小切手を貰つた場合は直ちに銀行で現金化した上その不足分を組合に返還にいつていたこと。

(4) 結局持参する現金が給料所定額より多額であると寡額であるとをとわず、給料所定額とは無関係に、その現金から(2)掲記の金額を支払つた残額のみを全額還元し、組合員は右以外に組合事務所に保留する金額はなく、組合事務所から組合員に対し、その持参した金額から右控除徴収した金額以上に融通補填することはなかつたことが認められる。

(ロ) なお、右不足分の金額を返還した場合を仕訳伝票(証一二六五―一~九)につき検討すると、次表のとおりになることが認められる。

<省略>

(なお、昭和27、11月以降は裏面のKの記載がない場合増加し、検討不可能な組合員も現金プールを実施した組合員数に加えたものである。

〔五〕 認定

右〔一〕~〔四〕において認定した各事実を綜合すると、本期間における現金プールの実態は、

(1) 各帳簿にAを記帳はするものの、その記載は現金プールに各組合員が現実に持参した現金の額を表示していないこと。

(2) 仕訳伝票を使用していること。

(3) 一応給料相当額の小切手を当該組合員に交付し、当該組合員が銀行等で之を現金化するが、その組合員が実際に持参した現金から運営費等を支払つた残額との差額は、現金で直ちに組合に返還していたこと。

(4) いわゆる無名目の金は記帳から落され〔A>K≧G〕になるようなKを持参することにより〔A-K=M〕だけの無名目の金を収得できるようになつていたこと。

を除いては、その実態も各種記帳の形式もすべて既に認定した四地区と全く本質的には同一であること。以上の事実は川上海智は勿論、右期間の現金プールの事務に従事した全事務員も之を知つていたことは充分に認められるところである。

第三 昭和25、10月~昭和27、3月迄の現金プールの実態

〔一〕 現金の管理、流通、還元の実態

証人川上海智、長船勇、永田登、船津由雄、弓削悟、平瀬正敏、宮坂政秀、片桐栄一、福山葭江、岡崎はるの各証言及び調書、証人中村信一、倉重元貞、中尾俊男、内田益弥の各証言、証人益田藤平、高橋銀蔵、木崎正、深見靖、三原茂、下田順一、小川続雄、松崎満義、今西政八、今西太四郎の各調書を綜合すると、

(1) 本地区における現金プールは、昭和25、10月から開始されたこと。

(2) 当初は各組合員は持参した現金の中から、運転費、源泉所得税相当額を組合事務所に支払う以外は、その残金全額を給料名目や運転資金名目に区別せず、現金で、還元されていたこと。

ただ日報の「収入」欄の「支部勘定」に運転資金名目の数額を自ら記帳するか、または組合事務員が記帳してくれていたこと。

(3) まもなく、右還元される金額は、給料名目と、運転資金名目の二枚の小切手になつたこと。

(4) 右(3)の場合、給料所定額と日報に記載する運転資金名目の金額の合計額より、右残額の方が多額である場合でも、右給料所定額とは関係なく残額全部を(3)のように二枚の小切手で還元していたこと。

(5) 右(3)の場合、右合計額より右残額が少額である場合には、運転資金名目の小切手と給料所定額に相当する金額の小切手と二枚を交付するが、当該組合員は右小切手を直に現金化、右不足の差額分を必らず組合に返還していたこと。

(6) ところで現金プールに各組合員が持参する現金と、その日の日報の「支出」欄支部勘定の金額との関係については、生活費をその都度、売上金の中から使つていたので、右記帳額と手持現金が合わない組合員が相当あり、この場合、その合わないまま現金を持つてゆく者、記帳額とは関係なく給料所定額の小切手が貰えるように一時他から現金を工面して持つてゆく者などがあり、また、記載額を実際の取引より不当に水増してそれに他から工面した現金を合わせて持つて行く者、または記載額も現金も給料所定額を超過するが現実に支払う運営費等以外は右所定額と日報に記載する運転資金に見合う現金の合計額のみ持つてゆく者など多様であり、要するにいわゆる現金プールとは日報記載の支出欄支部勘定の記載額を持つてゆくのではなく、現実に組合に支払う運営費等に見合う金額以外は給料所定額の小切手が(5)のようにならずに持参した現金からまかなえるような現金を持つていくことであつて、記載と現金との間には実質な関係はなかつたこと。そしてこのような状態を組合事務所は諒承していたこと、がそれぞれ認められる。

〔二〕 証人川上海智、内田益弥の各証言によれば、仕訳伝票を現金プールで使用するようになつたのは、昭和274月頃からであつて、それまでは現金プールの具体的内容を一つの表にしたものだけ書いていたとが認められる。

しかしその表とは現金プール表(証一二五六―一二)、現金プール集計表(証一二八四)の記載及存在からしてこれに類する表であつたことが推認される。

〔三〕 給与支払簿(証一二六一、証一〇二九、証一〇二〇)、給与支払明細証書(一一三九、証一一五七、証一〇九四、証一二一六、証一二四一)、及び証人川上海智、三原茂、畑野亥作、倉重元貞の各証言によれば前段と同様に、本期間においても、組合は右支払簿を備え給料支給の実態を備えたように各組合員に受領印を押捺させ、かつ明細書を交付していたことが認められる。

〔四〕 認定

右認定した事実からすれば本期間の現金プールの実態及び記帳は、昭和27、4月以降と比較して、仕訳伝票を使用しなかつた以外は全く同様であつたということができる。

第四 現金プールに小切手を使用した理由

証人川上海智の証言によれば、組合が金銭を管理していることを明らかにし、第三者に対して、その証明がつくからであつたことが認められる。かつ福岡地区で現金プールに小切手を使用した理由と同一であつたということができる。

第五 結論

本地区における現金プールの実態が第二、第三において認定したとおりであつた以上、いわゆる現金プールを実施したからと云つて、組合員の現金の管理、流通、還元の実態は、右実施以前の実態とその本質において変化なく、各組合員は組合事務所に運営費、源泉所得税相当額を支払う以外は、自己の事業所の売上金により自己の責任と危険負担において営業を行い生活をしており、組合事務所は右金額を受領する以外は各組合員が現金プールに持参する現金の多寡如何にかかわらず、組合員から実質的に徴収する金員はなく、また組合員に実質的に融通支給する金員はなかつたにもかかわらず、組合事務所では前記の現金プール表、給与支払簿、受領証、仕訳伝票、小切手、給料支払明細書、日報等の各記載を前認定のように複雑、巧妙に操作し、以つて恰も真実組合を主体とする統一計算を実施していたかの如く装い、あまつさえ右操作をもつて各組合員に売上金を脱漏する(無名目の金M)ことを容認していたものであるといわなければならない。しかして以上の事実は本地区の事務局長であつた被告人渡辺実信をはじめ川上海智、内田益弥など組合事務所にあつて現金プール及び現金処理の事務にたづさわつていた全職員並びに右現金プールに参加した各組合員が相互に認識していたということができるのである。

第四点 資金プールの実態

〔一〕 証人川上海智の証言及び調書、証人金森一郎、中尾俊男、山内茂、田代義人、内田益弥、今西政八の各証言、証人小川続雄の調書、並びに資金プール票(証一二一二)、資金放出要求処理簿(証九九四、証九九五)、現金プール出納明細日計表綴(証九九六)、資金プール予選票(証一二八五)、プール票(証一二七九)、第一回資金プール仮決算と題する書面(証九五一)の各記載及び存在を綜合すると。

(1) 川上海智の発案で、昭和27、6月頃から頼母子講と同性質のいわゆる資金プールを本地区内の希望する組合員にだけ実施したこと。

(2) 集金は一口いくらと定めた日掛で各組合員の事業所から、組合事務員が集金していたこと、そして事務所にはこの係として三人事務員を雇つていたこと、組合員は右日掛金を支払つたときは日報の「支出」欄支部勘定に記載していたこと。

(3) 放出については、資金放出処理委員会(委員長志水春一ほか川上海智も委員である)が設置されていて、抽選や詮衡の方法により放出をうける組合員を決定していたこと。右委員会には被告人渡辺実信や中尾俊男らが立会つていたこと。

(4) 放出を受けた組合員は、その金額を日報上「収入」欄の支部勘定に記載していたこと。

(5) 放出を受けるには一人が数口の場合は、組合外の第三者を身元保証人として立てていたこと。

(6) 右資金プールに参加していない組合員には放出されたことはないこと。

(7) 右放出金の返還は掛戻しの方法によつていたこと。

(8) 昭和27年秋頃本部から二八万円の出資金の放出を本地区に受けたが、之は資金プールの資金として組合員に放出したこと。

(9) 資金プールの会計は組合事務所の一般会計とは全然別個で、独立しており、相互に現金を融通補填し合うことはなかつたこと。従つて資金プールと現金プールとはなんら関係がないこと。

がそれぞれ認められる。

〔二〕 資金プールの実態が右のとおりである以上、資金プールにより組合員が他組合員の事業所の売上金から営業資金の融通を受け、また本組合本部から本地区に放出になつた出資金が資金プールの資金の一部として使用されたとしても、そのことは本組合の組合としての統一計算とは全く関係のないことであり、本組合が実質的な統一計算を行つていたことの証左とならないことは言を俟たないというべきである。

第五点 借入金の実態

〔一〕 証拠

(1) 振替伝票(証一二六七―一―一三)の記載と之に対する証人川上海智の証言

(2) 日報 昭和25、10、31(証一一四六―二―三一)の借入金の記載と之に対する弓削悟の証言、

(3) 日報 昭和27、4、30(証二七二七―一―三〇)の支出欄支部勘定の記載と之に対する証人田代義人の証言、

(4) 証人片桐栄一の証言、証人川上海智、船津由雄、今西太四郎の各調書、

(5) 日報(証一二三五、証一一三三、証二七二四、証二七三一、証一一八八、証一一九一、証一一〇七、証一一四六)等における支部勘定の記載

〔二〕 認定

右証拠を綜合すると、

組合員が第三者から営業資金を借入れる場合は、組合員個人が自己の信用で第三者から所要の借入金をなしその現金を一たん組合事務所に提出すると、事務所では、その金額に見合う小切手をその組合員に交付し、組合員はその金額を日報の収入欄の支部勘定に記載し、右小切手金を自己の用途に費消し、之を返済する場合はその組合員の事業所の売上金から直接当該組合員が貸主に返済し、日報には支出欄の支部勘定にその金額を記載していたこと。が認められる(ときには小切手によらず日報の記載のみの場合もあつたことが認められる。)

そうだとすれば、右貸借関係の債務者はその組合個人であつたことは明白であるのに拘らず、日報に右のように記載し、その上事務所から実質的に資金を融通したかの如く小切手を交付していたことは個人営業と目されることを糊塗するための方策にほかならなかつたといわなければならない。

〔三〕 組合からの組合員に対する資金の融通

第四点で認定したように昭和27年秋頃本組合本部から本地区に対して出資金二十八万円位が放出され、本地区ではこの金員を資金プールの資金としたのであるが、それ以外に組合本部や他地区から本地区に、また本地区事務所から各組合員に営業資金または、給料名目において現金の融通、放出で行われたことを証する証拠は見当らない。

第六点 結論

本項各点で認定した諸事実を綜合すると、本熊本地区における現金の管理、流通、還元の実態は、本地区発足の当初より一斉捜査後に至るまで、各組合員はその加入に際して加入金五〇〇円、出資金二、〇〇〇円を納入した後は事務所の各種費用に充当するため、毎月、運営費(積立金)、源泉所得税相当額の外、ときに日報代、新聞代等を事務所に支払うだけであつて、生計面、営業面の区別なく、加入前と全く同様に一切の収支をその売上金借入金等から賄い、その損益は実質的に全く各組合員が負担する機構になつており、組合は、前記金員を受領する以外は実質的に各組合員の利益を掌握できる立場にもなく、権限もなかつたのにかかわらず、また資金を組合の本部から放出したのは、昭和27年秋頃唯一回にすぎなかつたのにかかわらず、本項各点で詳論したような各種の帳簿、書類を備え、かつその記載を周到な意図の下に巧妙複雑に操作し、以つて恰も企業合同をして組合を主体とする事業を行い、実質的な統一計算を実施し、各組合員に給料を所定額どおり支給し、運転資金を融通補填していたかの如く装つていたものであつて、この実態は被告人渡辺実信、内田益弥、川上海智など事務を処理していた者を初め、本地区の役職員及び現金プールに参加し、右のような行為を継続していた各組合員も又充分に認識していたことが認められる。

第三項 加入時における資産処理の実態

第一点 本地区発足にあたつての資産処理に対する組合側の意志

前認定のように本地区の発足前から世話役となり発足と同時に本地区協議会の会長となつた証人益田藤平の調書によれば

営業用資産は、本来ならば評価をして棚卸をし、之を買受けねばならないところであるが、組合には金はなく借用証位しか渡せず、その財産を担保として銀行から融資をうける見込みたたず、中金から融資もないので、その問題には困つていた。しかし脱退は自由に随時できるということになつているので、もし幹部に不正事実があれば、その情報が入ると同時に脱退の手続をとれば、組合員の財産に影響を及ぼすことはないという考えから、右資産の引継ぎは売買という形式をとるだけにした。従つて、組合としては脱退する際にはそのままその資産は組合員に返ると認識していたことが認められる。

第二点 各組合員の加入時の資産処理の実態

〔一〕 証拠

(1) 昭和25、6月中(発足当時)に加入した組合員

(a) 証人船津由雄の証言、証人木崎正の証言及調書

(b) 証人益田藤平、永田登、下田順一の各調書

(2) 昭和25、7月中に加入した組合員

(a) 証人今西太四郎の証言と調書

(b) 証人高橋銀蔵、今西政八の各調書

(3) 昭和25、8月中に加入した組合員

(a) 証人長船勇の証言と調書

(b) 松崎満義の調書

(4) 昭和25、9月中に加入した組合員

証人川上海智、三原茂の各証言及び各調書

(5) 昭和26、1月中に加入した組合員

(a) 証人片桐栄一の証言(父栄名義で加入)

(b) 証人深見靖の調書

(6) 昭和26、2月中に加入した組合員

証人宮坂政秀の調書

(7) 昭和26、7月に加入した組合員

(a) 証人中村信一の証言、証人平瀬正敏の証言及び調書

(b) 証人福山葭江の調書

(8) 昭和26、8月中に加入した組合員

証人岡崎はる の証言

(9) 昭和26、9月中に加入した組合員

証人畑野亥作、倉重元貞の各証言

(10) 昭和26、10月中に加入した組合員

証人小川続雄の証言及び調書

〔二〕 右〔一〕に掲記した二二名の組合員の加入の際における所有にかかる営業用資産の処理に関する各供述加入手続に関する組合側の真意をいかに解したか、その理解の程度に深浅の差異は存するが)と第一項第二項で認定した諸事実さらに第一点の本地区発足における本地区の幹部の意思も併せ勘案すると、右掲記の各証人一人一人が、外観的な手続としては、加入に際し、営業用資産を棚卸して棚卸表を作成し、債権債務現金を含めて貸借対照表を作成し、これを組合に提出し、ときには売渡証を書いて之も組合に提出し、組合は右表掲記の資産の買上証と、代金相当額の借用証を組合員に交付し、右一連の手続を以つて右資産を買上げたと称していたが、真実は単に書類上売買の形式を整えるためにとられた手続にすぎなかつたのであつて、組合は実際に右資産を買う意志はなく、各組合員も真実売る意思はなかつたのであり、従つて右双方に代金を授受する意思はなかつたことが認められるのである。

第三点 昭和27、4月以降の資産処理の実態

昭和27、4、1に本地区の出張所長となり、熊本県支部の会計主任も兼務し、かつ理事であり、第二項で認定したように現金プールや資金プールの実施に主導的役割を果していた。証人川上海智の証言及び調書によれば、

(1) 昭和27、4月以降の加入者の営業用資産の処理については同証人が昭和25、9、1加入したときと同様な手続を事務員にとらせていたこと。

(2) 棚卸には事務員を立会せていたが、之も形式的なものにすぎず、事務員には資産を適正に評価する能力はなく、棚卸はその組合員の一方的評価であつたこと

(3) 同証人が出張所長になつてからは売渡証も買上証も作成していなかつたこと。

(4) 組合としては真実に買上げる意思はないから勿論代金を支払う意思もなかつたし、組合には支払出来るような代金の生ずる余地は全くなかつたこと。

(5) したがつて同証人は組合が買うとはいわずに、単に「引継く…」と称していたこと。

(6) 債権債務現金も書類にかかせたが、之も形式的な引継ぎであつて実質を伴つたものではなかつたこと。

(7) 組合の元帳では、右のような書類上だけの売買による代金を未収金勘定として計上し、そのまま放置していたこと。

(8) このように加入に際してとつた手続の意味するものは、書類上だけの形式的なものであつて、その所有権はいぜんとして組合員個人にあることは、組合員自身も知つていたと思われること。

(9) 組合員の脱退に際しては、同証人が出張所長になる前迄は、そのまま当該組合員に手続きせずに返していたが、昭和27、7月、8月頃から脱退に際しても棚卸をするように主張し、事務員を立会せて棚卸をさせ表を作成していたが、加入時の資産と比較して多額になつていても、それはそのまま未収金としておき、資産は脱退時のまま全部当該組合員に返還したこと、それは加入当初からの約束であつたからであること。

が認められる。

第四点 結論

(1) 右第一点乃至第三点において認定した各事実からすれば、手続的な面において或る時期に売渡証を作成していた点を除いては、本地区の発足当時から昭和27年暮に到るまでの間に加入した本地区の組合員は加入の時機は異つても前叙掲記の各組合員と同様な手続及び同様な意志の下に加入時の資産の処理をなしたこと、そしてその実態たるや、既に認定した福岡の四地区におけるそれとその本質において全く同一であることが認められるから、右四地区で論定した資産処理の実態についての結論をすべて引用する。

(証人金森一郎、中尾俊男、渡辺末男、小笠原嘉明、山内茂、田代義人、内田益弥は、資産を「売つた…」と供述するが、その証言たるや全般的にあいまい不明確であり、現金管理の組合機構に関する前記第二項の認定をくつがえし得るものとは解し難く、右売つたとの供述が真実の売買を意味するものとは到底信じ難い)

また押収にかかる証拠物中本地区に関する多数の棚卸表、貸借対照表、領収証、買上証、借用証の各記載及び存在もまた前叙認定したところから明かな如く、営業用資産が真実に本組合の所有であつたことを証する証拠とはなりえないといわなければならない。

(2) なお、第二点掲記の証人の中には被告人渡辺実信から加入手続を処理して貰つた者も多数いることがそれぞれの証人の前掲各証言及び調書から認められるが、同被告人において、その手続の形式のいかんに拘らず、その実態を充分に認識していたことは、叙上の各認定によつて言を俟たないところである。

第五点 固定資産の処理の実態

右第二点掲記の証人の各証言若しくは調書によれば、各組合員はその店舗又は工場を本組合に賃貸又は転貸したことにしてその賃料は日報の経費欄に記載し、自己の売上金から差引いていたことが認められるが、第二項の売上金の管理、流通、還元の実態及び本項第四点の資産処理の実態から判断して、右のような賃貸又は転貸が実質を伴わない形式的なものにすぎなかつたことは明らかである。

押収にかかる組合と組合員との間の賃貸借契約書は単に右の形式を整えるためのものに過ぎないと解されるから右認定を妨げるものではない。

第四項 熊本出張所の実態

第一項乃至第四項において論述したところを要約すれば

本組合の熊本出張所の実態は、被告人森原春一の勧誘により、熊本市の民主商工会を主体として、昭和25、6、1発足したのであるが、組合員の営業の実質は加入前の個人営業と何等変るところはなかつたにかかわらず、加入の際における資産処理及び加入後の現金(売上金、借入金)の管理、流通、還元の実態と組合の各種記帳との関係において、既に詳論したような周到な意図のもとに、複雑巧妙な操作を発足の当初から一斉捜査後に到るまで反覆継続し、以つて本組合の名の下に恰も企業を合同した単一事業体であり、組合が主体として事業を行い、統一計算を実施し、給料を所定額どおり支給していたかの如く仮装していたのであつて、被告人渡辺実信をはじめとする、役職員は勿論、各組合員も右本地区の実態は充分に認識していたということができるのである。

第七節 鹿本、隈府、玉名、各出張所

第一項 右各地区の設立の経緯組織、役職員の本組合の内容についての説明。

第一点 設立の経緯と役職員の組合の内容についての説明

第一 鹿本地区

〔一〕 証人広重正男、宮本強、平山知夫の各証言及び調書、証人高口親、牛島昭三の各証言、証人益田藤平の調書、並びに報告書(証三四六―一三)の記載並びに座談会記事(証一七七四―一〇四、一一七、一一八)の記載及び之に対する証人金森一郎、森高殖の各証言を総合すると

(1) 牛島昭三は、第六節第一項で認定した。昭和25、4月又は5月頃、熊本市の民主商工会事務所で開かれた本組合の説明会に出席して、前敍認定にかかる被告人森原春一の詳細な本組合の具体的内容について説明を聴いたこと。

(2) 牛島は、熊本県鹿本郡山鹿町にあつて同市の生活擁護同盟の事務をとつていたが、熊本における発足と同様な趣旨の下に山鹿地区においても、本組合の同地区における設立が論ぜられ、右牛島はこのことを本組合本部に紹介したこと。

(3) そこで、昭和25、6月初頃、右牛島の斡旋で、同人が案内人となり、宮本勝、高口親、右田静雄等六、七名で福岡市下対馬小路の本組合本部に到り、被告人森原春一同上野盛雄、森高殖から本組合の具体的内容について説明を聴いたこと。

そのときの被告人上野の説明の中本質的な点は、

(A) 営業用資産は棚卸をして報告すればよい。右資産の組合に対する引継ぎは形式的なものである。

(B) 従来の営業は、組合の事業となるが、従来どおり個人で営業できて、組合に対しては運営費を納めるだけである。

との趣旨であつたこと。

(4) かかる経過の下に昭和25、6月初め頃、鹿本地区協議会として、山鹿新天地松葉方を事務所とし、組合員一〇名(会長宮本強、事務員牛島昭三)を以つて発足したことが認められる。

〔二〕 牛島昭三の説明について

証人広重正男、松尾敏男、宮本強、渡辺忠雄、平山知夫、広田熊男の各証言及び調書並びに証人牛島昭三の証言によれば、

(1) 牛島昭三は本組合の鹿本地区の発足前から昭和28、1月頃まで(途中一時不在の期間はあつたが)終始、指導的立場にあつて組合の事務を処理し、かつ指導してきた者であること。

(2) 右掲記の証人等は宮本強を除き、いずれも牛島昭三から加入に際し、本組合の具体的内容の説明を聴き、かつその聴いたのは、昭和25、6月頃から昭和26、1月に亘つているが、牛島はどの組合員にも、

(A) 営業用資産は一応組合で買上げるが、組合は金がないから代金は支払わない。そのかわり代金の借用証をやる。脱退は自由であつて、脱退するときにはそのときの状態のままで資産は全部かえす。つまり買上げたようにはするが真実、組合には買う意思はないこと。

(B) 営業は加入前と全く同様にやれること。組合には運営費を納めるだけでよいこと。

(C) 加入すれば一応月給取りということになり、税金はそれに対する源泉所得税だけ納むればよいことになり、従来のような重い税金はかかつてこなくなるから所得の面で得であること。

(D) 加入のときだしてもらう出資金の二、〇〇〇円は脱退のときは全額返還すること。などを説明して加入を勧誘していたことが認められる。

〔三〕 その他の説明について

(1) 証人平山知夫の証言及び調書によれば、同証人は本組合発足当時前示宮木強から

(2) 証人中原定一の調書によれば同証人は、昭和26、2月頃後理事及び鹿本出張所長になつた渡辺忠雄から説明をうけ、証人野中松太郎は昭和27、6月頃右中原から、それぞれ本組合の具体的内容の説明を受けているが右宮木強の説明は前段牛島昭三がなした説明と全く同趣旨であることが認められ、渡辺忠雄の説明も又同趣旨であつたことが推認される。

第二 隈府地区

〔一〕 証人菊淵敬助、宮本勝、萩尾灌の各証言及び調書によれば

(1) 昭和25、5月又は6月頃、熊本県菊地郡隈府町立町の妙蓮寺で本組合の説明会が開かれ、菊淵、宮本等一二、三名の出席者に対し、牛島昭三は、本組合の具体的内容につき、

(A) 本組合に加入を勧誘するビラを見せ、

(B) 組合に加入すると月給取りとなり、組合自体が法人税を払うから、個人としては、源泉所得税がかかるだけで他の所得税や事業税は一切かからなくなること。

(C) 営業用資産は棚卸をして、組合は之を一応買上げるが、代金の支払はしない。そのかわり買上証をやる。脱退は自由であつて、脱退するとき、買上証を組合に返せば、脱退時の状態のまま右資産は返えることになる。つまり書類上買上げたことにするわけであるが、その書類によつて組合が右資産を勝手に処分するようなことは絶対ないこと。

(D) 営業は加入前と同様に自分でやれて、組合に対しては積立金を納むるだけでよいから所得の点は加入前と比べて得であること。

(E) 加入のとき出して貰う出資金は脱退のとき全額かえすこと。

などを説明したこと。

(2) その結果、隈府地区から一〇名位、本組合の鹿本地区協議会に加入したが、まもなく宮木勝一人を残して脱退してしまつたこと。

などが認められる。

〔二〕 本地区におけるその他の説明について

(1) 証人脇坂由雪の証言及び調書によれば、同証人は昭和25、10、1に本地区三人目の組合員として加入したが、その際に宮本勝の紹介により、牛島昭三から、自宅で、

(2) 証人萩尾灌の証言及び調書によれば、同証人は昭和25、10、1に本地区で加入したが昭和25、8月又は9月頃、宮本勝、中川春雄から、また昭和25、10、1頃山鹿地区協議会事務所で、右脇坂、松山と三人で牛島昭三から

(3) 証人渡辺等の証言及び調書によれば、同証人は昭和25、11、30本地区に加入したが、昭和25、10、10同証人宅で牛島昭三から

それぞれ本組合の具体的内容について説明を受けているが、右牛島や、宮本等の説明は前段妙蓮寺の説明会における牛島の説明と全く同趣旨であつたことが認められる。

第三 玉名地区

〔一〕 証人泉田真一の証言、並びに記録(証三二五―一)雑書類綴(証三二一―二)記載によれば

(1) 証人泉田真一は、昭和25年夏に山鹿町公民館で本組合の説明会が開催され、その席上被告人森原春一から本組合のその具体的内容を聴き、

(2) 同証人はその後税金の負担が重く営業が困難になり、同証人外二名が発起人、高崎不破之が世話人となり、同証人はかねて懇意にしていた牛島昭三を招き、昭和26、11、24熊本県玉名郡玉名町新町光浄寺で本組合の説明会を催し、熊本地区からも出席し、一般来聴者一二名に対し、牛島が本組合の具体的内容につき説明し、同日夜設立準備懇談会を開き、本組合鹿本支部(鹿本地区協議会は後記の如く改称)の下部組織として、班長を横田隆(玉名では出張所長と改称)事務員を高崎不破之、事務所を当分の間、右横田方と定め会員八名を以つて発足することに決定したこと。

(3) 昭和26、12、1右構成を以つて発足し、昭和26、12、13夜、玉名の設立祝賀会を催し、同会には熊本支部長中尾俊男、理事川上海智、鹿本支部事務員、倉原博子が出席し、同会で拡大強化が決議されたこと。

が認められる。

〔二〕 事務局長高崎不破之の説明について

証人上田保隆、神山清人の各証言及び調書によれば

右上田は、昭和27、5、1に本組合に加入しているが、その少し前同人宅で、神山は、昭和27、4、1に同じく加入しているが、その頃同人宅で、それぞれ高崎不破之から本組合の内容につき説明を受けたが、その内容は前敍牛島昭三の説明と同趣旨であつたことが認められる。

第二点 組織と役職員

第一 組織

証人川上海智、広重正男、宮本強、菊淵敬助の各証言及び調書

証人牛島昭三、泉田真一、井上繁信、倉原博子の各証言、被告人上野盛雄の証言、並びに登記関係書類(証一七〇〇)事業報告書(証三〇三〇)雑書類綴(証三二一―二)本部往復書類綴(証四二四―八一、九八)端書(証三四七―二七)組合拡大状勢一覧表(証三二九―七)の各記載を綜合すると、

(1) 本三地地区の発足の経緯は前段認定のとおりであるが、鹿本地区協議会は、昭和25、11、6)事実上は昭和25、10、1から)鹿本支部(隈府地区はまだこの組織に含まれている)となり、玉名地区もまたその一班として発足したが、昭和27、2、2玉名支部として独立し、昭和27、4、1の本組合全般の機構改革で、それぞれ熊本県支部下の鹿本出張所、隈府出張所、五名出張所となつたこと。

(2) 鹿本地区の事務所は当初、熊本県鹿本郡山鹿町新天地、松葉方にあつたが、昭和25、9月末頃、同町大宮通二〇三番地、末永方に移り、さらに昭和26年秋頃同町花見坂出口方に移り、解散までそこにあつたこと。

(3) 隈府地区の事務所は、同県菊地郡隈府町正院丁池上方にあつたこと。

(4) 玉名地区の事務所は同県玉名郡玉名町高瀬四六一番地にあつたこと。

が認められる。

第二 役員、職員

証人広重正男、宮本強、川上海智、菊淵敬助、宮本勝、倉原博子、上田保隆の各証言及び調書、証人高口親、井上繁信、牛島昭三、泉田真一の各証言、並びに登記関係書類(証一七〇〇)総会、理事会議事録(証二三七―五二)の各記載を綜合すると、

(1) 鹿本地区協議会長(のち鹿本支部長)には、発足に宮本強、昭和27、1月に右田静男がなり、昭和27、4月初めに高口親(この月に鹿本出張所となる)が出張所長になり、昭和27、7月渡辺忠雄が代わり、昭和28、3月迄その職にあつたこと。

(2) 隈府出張所として同地地区が独立する前は、宮本勝が鹿本支部の隈府班長であり、出張所となつて、その所長に菊淵敬助がなり、一年後に片山―がなり、解散前半年間は井上繁信がなつたこと。

(3) 玉名支部長(のち玉名出張所長)には発足当時から横田隆がなり、昭和27、10月頃、泉田真一がなつたこと。

(4) なお、昭和26、2、20第四回臨時総会で、宮本強が理事に、高口親が監事にそれぞれ就任し、昭和27 5、25までその地位にあり、同日の第七回定期総会で渡辺忠雄が理事に就任したこと。

(5) 鹿本地区では、発足前の世話役であつた牛島昭三が発足と同時に事務局長となり、組合事務全般をほとんど独断的に処理し、倉原博子、古家信次、荒木トキ子等が、同地区(独立する前の隈府地区も含めて)の事務員であつたこと。隈府地区では池上竜が、同出張所の事務局長であつたこと。玉名地区では高崎不破之がその発足前から組織化に参画し、発足と同時に事務局長となり、西尾太志が同地区の事務員であつたこと。

第三 組合員数

本地区の各時期の組合数は左の通りである

<省略>

第二項 現金の管理、流通、還元の実態

第一点 序論

第一項で認定したように、地域的には、鹿本、隈府、玉石の三地区となり、それぞれ一ブロツクを形成していたのであるが、隈府の事務は鹿本地区の牛島、倉原各事務員が主として処理しており、玉名地区もまた当初は牛島の具体的な事務処理の指導によつて処理していたことは既に述べていたところであり、本三地区は現金の管理、流通、還元の実態において、同一組織になつている(詳しいことは後述)。よつて本三地区については之を区別することなく論ずることにする。

第二点 設立当初より昭和25、9月迄の実態

第一、現金の管理、給料名目額の支給及び積立金徴収の一般的実態

〔一〕 被告人森原春一、同渡辺実信、証人牛島昭三、広重正男、宮本勝の各証言、証人松尾敏男、倉原博子の各調書及び証言を綜合すると、

(1) 右一般的実態は

(A) 売上金等の現金は各組合員が終始自己の事業所で保管、管理していたこと。

(B) 組合事務員が手分けして各組合員宅を廻り、月報を集めると共に売上金に対する歩合によつて定められていた(組合費、維持費とも称する)と所定の源泉所得税相当額を集金していたこと。もしくは組合員が組合事務所にいき右金額のみを支払つていたこと。

(C) 組合員から組合に支払う現金とは右金額のみであり、また一方事務所から各組合員に現金を支給又は融通することは全然なかつた事。

(D) 組合事務所から給料所定相当額の現金を現実に各組合員に支給するのではなく、各組合員は自己の事業所より生ずる売上金、又は借入金等の現金の中から各組合員の責任において適宜生活費を費消していたこと。

(E) (B)記載の集金額を控除した以外はその事業所の運転資金という名目をつけて仕入等に使われていたことが認められる。

(2) 加入に際しては、加入金五〇〇円、出資金二、〇〇〇円を一括又は分割して組合に納入していたことが認められる。

〔二〕 右実態は第六節第二項第二点で認定した熊本地区の一般的実態と全く同様であることが認められる。

第二、積立金、給料所定額と日報の記載

〔一〕 証拠

(1) 宮本強の昭和25、6月~9月分(証三八六―一~三、証三八九―一~四)。平山知夫の昭和25、6月~8月分(証三七九―一~三)。松尾敏男の昭和25、7月、8月(証三五七―一~二)。宮本勝の昭和25、8月(証三五六―一)、広重正男の昭和25、6月~8月(証四五三―一~三)。

(2) 証人広重正男、松尾敏男、宮本勝、倉原博子の右各日報の給料、同内払、同仮払、積立金の各記載についての証言。

〔二〕 右証拠を綜合すると、既に熊本地区その他の地区で認定したと全く同様に、給料所定額は各組合員自身において、自己の事業所の売上金の中から控除して費消するが、日報には「経費明細」欄の「給料」の項に所定額、仮払又は内払額を記載して之を落し、記帳上では、その事業所の売上金から右額の給料を、当該組合員に支給したようになつていたこと。また積立金は事務員が徴収に来たときなどに売上金を計算し、一定の率を以つて、積立金額を算出して、その額を日報の「支出」欄の「積立金」の項に記載して同額の支払を受けていたことが認められる。

右事実は、右掲記の本地区組合員全員についても、本期間の処理は右と同様であつたことが推認される。

第三、日報の右記載と現金処理の実態

証人広重正男、松尾敏男、野中松太郎、宮本勝、倉原博子の各証言及調書並びに右第一、第二、第一項第六節第二項第二点において認定した諸事実を綜合すると、

(1) 給料名目額はその額の多寡の如何にかかわらず、常に自己の売上金の中から賄わねばならない仕組になつていたから、給料の支給といつても、実質は自己の危険負担において売上金で生活することであり、結局、給料額の決定ということは、形式的なものであつたこと。

(2) 従つて、日報における給料の記載も、実質を伴つた支給を表示するものではなく、組合事務所に対する単なる報告に過ぎなかつたこと。

(3) 従つて、実質上は生活費は必要の都度売上金から費消しているにかかわらず、日報上では一括して月末に所定額を記載した組合員(広重正男)もあるし、給料額が高くてもそれだけ組合が呉れるわけではなく、源泉所得税相当額が多くなるだけであるから店の利益でその額を賄える程度にその額を決めた組合員(宮本勝)もいるし、生活費を所定の給料額の範園内からだけ支弁するというようなことはなく、毎日の売上金の中から生活費、事業費等区別しないで使用していたこと。

(4) 右のような実態は、組合員の加入に際してなされた牛島の説明より当然にその発生を予想し得ることであり、その説明と右実態とはまさに表裏の関係をなすところからすれば右は単なる例外的現象ではなく、右期間の本三地区の一般的実態であることが推認される。

第四、給与支払関係書類について

〔一〕 証人倉原博子、高口親の各証言、並びに給料支払明細書(証二七七五、証二七七八)の各記載及び存在を綜合すると、

(1) 積立金は日報を集めるときなどに、皆で手分けして徴収していたが、そのとき、各事業所にいき、売上金を日報上集計した上一定率で積立金を算出し、その額を日報に書いてやつたりしていたが、給料の記載はその日にしなかつたこと。

(2) 右積立金の徴収に対しては、領収証は出さなかつたこと。

(3) 事務所では給料支払明細書と称する紙片を月一回だけ積立金を徴収するときに各組合員に渡していた。

(4) しかして、鹿本地区では交付していた給料支払明細書は、昭和25、6月~8月分(証二七七五―七~九)は、既に認定した小倉、京築地区で使用されていた同明細書と同一紙質様式の細長い紙片であり、中央稍々下部に切取線があつて、その下部は「本日の実績」となつており、「積立金」「所得税」の欄があつて金額を記入するようになつていたこと。

が認められる。

〔二〕 右認定した事実と、さらに小倉、京築地区において右と同一の明細書の交付について、認定した事実及び福岡地区において、右のような明細書を交付せず、ただ積立金に対する領収書を交付していた事実を綜合推考すると、本地地区においては、給料支払明細書を毎日組合員に交付はしていたが、そのことは同書記載の給料を所定額どおり支給したことを表示するものではなく、単に積立金の徴収に対する領収証程度の意味しかなかつたものであるということができる。したがつて、給料の支払という点からすればかかる明細書を交付することは、単に形式的なものに外ならなかつたといわなければならない。

第五 結論

右第一~第四において認定した事実を綜合すると、本期間の現金の管理、流通、還元の実態、及びその記帳との関係は給与支払簿についての説示を除き、熊本地区で述べた結論(第六節第二項第二点第五)と全然同一であるということができるので同認定を引用する。

第三点 昭和25、10月より昭和27、10月迄の実態(いわゆる「現金プール」)

第一 序論

証人牛島昭三の証言によれば、本地区においてもいわゆる現金プールを昭和25、10月から実施したことが認められるが、以下詳述するように鹿本地区、隈府地区は同一様式であるが、玉名地区は稍々記帳の点において異る点が認められるので、先ず鹿本、隈府二地区を論じ、玉名地区を次に論ずることにする。

第二 鹿本、隈府二地区の昭和27、9月、10月の現金プールの記帳と実態について、

〔一〕 現金プールにおける各帳簿類の記帳相互間の関係

証人菊淵敬助、広重正男、牛島昭三、倉原博子の各証言、並びにプールカード(証四二五―証四二六)、現金プール計算表(証四三〇)当座小切手帳控(証四四四―一~四)給料支払明細書(証四三六、証二七七八―一七、一八)を綜合すると、

(記帳関係図表)

<省略>

(備考)

(1) 上記図表は関係項目のみ記載したものである。

(2) ローマ字は同一数額を示す。

(1) 現金プールにおいて、日報の左記記載は、組合員自身で記帳するか、事務員が記帳してやり、現金プール表は、事務員が現金プールの具体的内容を一らん表にして各組合員毎に、計算関係を明瞭にし、プールカードは各組合員毎に事務員が作成して現金プール関係を明瞭にし、給料支払明細書は、現金プールの際に給料所定額を支給した証として組合員に交付し、当座小切手は右給料又は運転資金を支給する際に小切手によつて支給していたものであり、以上の各記帳間の関係を明瞭にするため便宜上左記符号をもつて図示する。

(2) 各記帳間の関係の説明

(A) 給料Cとは給料所定額である。

(B) 仮払金Hとは現金プールの日迄に日報上給料名目額の一部を仮払費として控除した金額である。

(C) 右昭和27、9月10月分にはいずれも所得税額の記載は存在しない。

(D) 給料Pとは(C-H=P)の算式による数額である。

(E) Nとは(A<D+F+P)の場合であつて〔(D+F+P)-A=N〕の算式による数額であつていわゆる(一)の場合である。

(F) 右Nの数額の記載のある場合はBの記載はない。

(G) Mとは[A-(D+F)>P+B]であつて[A-(D+F+P+B)=M]の算式による数額であつて、いわゆる(+)の場合である。(この記載はプールカードのみの数額の記載があり、現金プール表九月分にはなんらの之に対応する記載はなく一〇月分には単に「<+>」の符合の記載があるのみであるが、右算式によればMの生ずる場合があること)

(H) プールカードでは運営費には、無名目の欄に、またはまれに所得税の欄に記載され、

(I) どの組合員の場合でも[A-(D+F)=P+B+M(又はN)]という算式が成立すること。

が認められる。

(3) 右の各記載自体のみからすれば、組合事務所は組合員が現金プールに持参する現金(A)の額の如何にかかわらず、常にどの組合員にも給料所定額(C)を実際に支給し、必要な組合員には運転資金(B)を支給し以つて実質的に統一計算を実施していたかの如く窺われる。

〔二〕 右記帳に対する現金の流通、還元の実態

前段〔一〕掲記の証拠によれば

(1) 前表Nの〔一〕額の生ずるような現金を持参した組合員にもPに相当する金額の小切手を給料として当該組合員に交付するが、之を受領した組合員は右小切手を現金化した後、右N額、すなわち、当該組合員が現金プールに持参した金額から、運営費等を徴収された残額を超過する額に相当する現金を事務所に返還していたこと。

またはNの〔一〕額の生ずるような現金Aを持参した組合員に対しては、給料Pに相当する小切手を一旦振出すが、事務員が裏書し、之を現金化し、その中からNを控除し、当該組合員には右残額に相当する現金のみを交付していたこと。

(2) Mが生ずるような場合、つまり現金プールに持参した現金Aから組合事務所が運営費等を徴収し、さらにP、Bをそれぞれ小切手にして当該組合員に交付した後、なおMという余剰金がある場合は、事務所はそのMに相当する現金を持参した当該組合員に還元していたこと。

しかして、このMとして還元された現金は日報に記帳しなくてもよいこと(いわば無名目の金になつていたのであつて、かかる操作はすべて牛島の指図によつて倉原等が実施していたこと。

(3) すなわち、どの組合員の場合でも、現金の流通、還元の実態には[A-(D+F)=P+B+M(又はN)]の関係が成立し、

要するに残額全額がいずれの場合でも各組合員に還元された反面いずれの組合員に対しても右残額以上に融通補填されなかつたこと。

が認められる。

〔三〕 記帳の一般的態様

前段〔一〕掲記の証拠によれば

(1) 前記の現金プール表は鹿本出張所来民班の分であり、広重正男がその昭和27、10月分を記帳したものであり、同9月分の用紙は同一形式の印刷したものであり倉原はかかる形式の現金プール表を現金プールのとき作成しており、隈府出張所においても、同一様式のものが作成されていたこと。

(2) プールカードは右掲記の分は鹿本出張所の分であるが、隈府出張所でも同一様式のカードが作成されていたこと。

(3) 右掲記の給料支払明細書は鹿本出張所の分であるが、隈府出張所でも同様に作成交付されていたことが各推認される。

〔四〕 認定

右〔一〕~〔三〕において認定した各事実を綜合すると、鹿本、隈府地区における昭和27、9月及び10月の現金プールの実態は、各組合員が現金プールに持参する現金の多寡如何にかかわらず、事務所ではその中から運営費等、直接的に事務所の必要とする金額を徴収する以外の残金は金額之を当該組合員に還元し、反面組合事務所からは右残額以上の現金を融通補填することはなく、従つて各組合員は自己の事務所の売上金等の現金により、自己の責任と危険負担において営業を行い生活をしており、組合事務所は、右金額を受領する以外は各組合員の売上金を統制徴収するようなことはなく組合から放出する現金も全然なかつたにかかわらず、組合事務所では日報、現金プール表、プールカード、小切手、給料支払明細書等の各記載を前叙認定したように複雑巧妙に操作して、以つて恰も組合を主体として真実統一計算を実施していたかの如く装い、あまつさえ右操作によつて組合員に売上金を脱漏することを容認していたものであつて、以上の事実は直接右現金プール事務を担当した倉原、広重は勿論、牛島昭三、菊淵敬助をはじめ、右現金プールを実施した各組合員が相互に認識していたことが認められるのである。

第三 鹿本隈府二地区の昭和25、10月以降昭和27、8月迄の現金プールの実態

〔一〕 一般的実態について

証人広重正男、松尾敏男、野中松太郎、渡辺忠雄、中原定一、菊淵敬助、渡辺等、脇坂由雪、宮本勝、広田熊男、萩尾灌、倉原博子の各証言及び調書、証人宮本強、牛島昭三、高口親の各証言、並びに第二に掲記した各証拠物を綜合すると。

(1) 実態について

(A) 売上金は各組合員がその事業所で保管所持していたこと。

(B) 毎月一回定められた日に、その前日の日報上の手許現金残高に相当する現金を組合事務所又は定められた場所に持参し、その中から事務員に運営費など組合事務所が実質的に使用する金額を支払い、その残金はいかなる場合でも全組合員が、給料名目又は運転資金名目の各小切手で、ときには右小切手以外に無名目の金を現金で還して貰つていたこと。

(C) その場合、給料所定額(仮払費を控除した場合も含む)を還元されるためには不足する現金を持つてゆき、事務所から、その不足する分も含めて給料名目の小切手を貰つた場合は之を銀行で現金化した後その不足額(前段認定のNに相当する金額)に相当する現金を組合に返還していたこと。

(D) 右(C)のような場合、当該組合員の給料名目で所定の給料額どおりの小切手を振出すが、之を事務員が自ら現金化して、当該組合員には残額相当の現金を給料名目で所定額からすれば不足するまま還元していたこともあること。

(E) 右残額を還元される場合、給料名目、小切手名目の小切手以外の無名目の現金が還元される場合は、その金額は日報などには書かなかつた。

(F) 組合事務所は右残金全額を組合員に還元する以外に事務所自体から実質的に現金を融通補填することは全然なかつたこと。

(2) 帳簿類記帳について

(A) プールカードは、少くとも昭和27、5月頃までは使用していなかつたこと。

(B) 現金プール表は前段認定と同一様式のものを作成していたこと。

(C) 給料名目額、運転資金名目額を小切手で還元するようになつたのは、現金プールを実施しはじめてから間もない頃からであつたこと。

(D) 給料支払明細書は、前段認定と同一様式の小紙片であつて、昭和25、10月以降同一様式のものが各組合員に交付されていたこと。

(E) しかして右記帳の実態は前段認定の実態と全く同様であること、

(3) 現金プールの場所について

(A) 隈府地区は出張所として独立するまでは、鹿本支部から事務員が隈府まで出張し輪番で各組合員宅を現金プール実施の場所として、同地区の組合員が集会し、現金プールを実施していたこと。そして主として出張して来たのは牛島昭三、倉原博子であつたが、時には古家信次、荒木トキ子も出張していたこと。

(B) 来民班の現金プールも事務員が右同様に出張していたが、事務員が来ないときは広重正男が現金プールの事務を処理していたこと。出張していたのは倉原、牛島等であつたこと。

(4) 現金プールに対する認識

(A) 菊淵敬助は現金プールが昭和27、4月に隅府が鹿本から独立しても、そのやり方は、以前と全く同様であることを知つていたこと。

(B) 広重正男は「現金プール」ということの本来の意味は持参する現金の多寡にかかわらず、組合が主体となり、実質的に各組合員に給料所定額を支給し、運転資金を配分する等の統一計算を実施することであることを知つていたが、本地区におけるいわゆる「現金プール」では実質的に右のような意味の統一計算をしていなかつたことを認識していたこと。

(C) 倉原博子は「現金プール」するということは、実質的に右のような統一計算をすることではなく、ただ帳簿の記帳だけ統一計算をしたかの如くすることであることは認識していたこと。

しかして、同女がそのような操作をしたのは、牛島昭三の指導と指図によるものであること。

(D) 脇坂由雪は前段認定のMに相当する金を貰つたときに、牛島からこの金は給料額に足らない現金を持つて来た組合員某に帳面上融通したようになつている旨の説明を受け、現金プールの操作の実態を知つたこと。

(E) 広重正男、野中松太郎、菊淵敬助、宮本勝等はいずれも給料の決定が形式的名目的なものにすぎないものであることを認識していたこと。

がそれぞれ認められる。

〔二〕 認定

右認定した事実によれば、昭和25、10月以降昭和27、8月頃迄の現金プールの実態は、プールカードが昭和27、5月頃迄は使用されていなかつた点を除き、本点第二〔四〕の認定の部で述べたところと全く同一の記帳と実態であつたことが認められ、かつこのことは牛島、倉原、広重等の現金プールの実務を処理した事務員は勿論本地区の現金プールに参加した全組合員がそれぞれ相互に認識していたことが充分に推認することができる。

第四 玉名地区の現金プールの実態

証人上田保隆、神山清人の各証言と調書、証人泉田真一の証言、現金ープル出納明細日計表(証三二一―六八~七二)、当座小切手帳控(証三二三)、上田保隆の日報(証三四三―一~六)、神山清人の日報(証三四一―一六)、大蔵事務官北河茂光作成にかかる「共栄企業組合玉名出張所、当座小切手に基づく銀行調査書」と題する書面及び国税査察官未永範雄作成にかかる「当出張所当座預金元帳写」と題する書面を綜合すると、

〔一〕 帳簿の記帳関係

(1) 本地区の現金プールにおける特徴を左の通り図示することが出来る。

(2) Xは組合員のみならず、従業員についても記載されていて、個人毎に給料名目額を一枚の小切手で支給していた形式をとつていることが認められる。之は京築、田川と同様な方法である。

(3) D、Eは額は僅少で小切手の数額の算出には考慮されていないことが認められる。

(4) 現金プール出納明細日計表(昭和27、5月~7月)の中[A<C+C]となるような、A額を持参した組合員に対してCとC額の小切手が交付されている場合、その小切手の裏書人は、Xではなく、高崎不破之、西尾太志、共栄企業組合、玉名出張所、立川初次等、現金プールの事務を処理する側の名義になつている場合が大多数であることが認められる。

(関係図表)

<省略>

註 1) ローマ字中 X、Yは氏名を他は数額を表示する。

(5) また[A>B+C+C′]になるようなAであつて、その差が一、〇〇〇円以上の相当多額である場合のあることが認められる。

〔二〕 実態について

(1) 現金プールでは前段隈府、鹿本地区で認定したと同様に組合員の持参した現金額の多寡にかかわらず運営費等を差引いた残金は全額還元されていたこと。

(2) 前段[A<C+C′]のような場合は、給料所定額だけの現金は支給されず、右残金を現金で還元してくれるだけであり、組合事務所からは実質的な融通補填はしなかつたこと。

(3) 前段[A>D+C+C′]のような場合、当該組合員に給料名目、運転資金名目の小切手のほかに無名目の小切手又は現金が還元される場合があつたこと、

(4) 右(3)のような場合、事務員高崎不破之は右無名目の金は帳簿上では赤字のでた他の組合員に渡したようになつていると説明していたこと。

がそれぞれ認められる。

〔三〕 認定

本地区の現金プールの実態は、給料所定額に不足する現金を持参した場合、事務所は一応当該組合員の給料所定額の小切手を振出すが、之を当該組合員に交付することなく、事務員が之を裏書して現金化して、当該組合員にはその不足分を控除した額つまり本人持参額から運営費等を控除した残額全部を給料所定額にみたないまま給料名目で還元していた点を除いては、前段認定した鹿本、隈府二地区と全く同様の記帳と実態であつたということができる。なお本地区の以上の実態につき、事務員高崎不破之、西尾太志、を初め現金プールに参加した組合員が相互に認識していたことは、叙上の各認定の経緯に徹し明白である。

第五、結論

本三地区における昭和25、10月以降昭和27、10月迄のいわゆる現金プールの記帳と実態は、記帳の形式に多少の相異はあるが、その実質的内容は第一の〔四〕で認定したところと全く同様であることが認められる。

第四点 借入金の実態

〔一〕 証拠

(1) 日報昭和27、5、8(証二六八―三―八)、昭和27、5、10(証三六八―三―一〇)、昭和27、6、25(証三六八―四―二五)の各記載と、之に対する証人中原定一の証言

(2) 日報昭和27、2、24(証三五四―一四―二四)の記載と之に対する証人渡辺等の証言

(3) 証人菊淵敬助、倉原博子、脇坂由雪、萩尾灌の各証言

(4) 端書(証三四八―三)、手紙(証三四九―八―一一、証三四八―九、証四二三―一二三)の各記載及び存在

〔二〕 認定

右証拠を綜合すると

(1) 本地区における借入金処理の記帳と実態は、第六節第二項第五点〔二〕で認定した熊本地区の実態と全く同様であることが認められるので、同認定を本地区についても引用する。

(2) 本地区における右のような借入金の記帳と実態は、本組合本部の被告人上野盛雄の昭和26、3、30になした指示に基き昭和26、4月から実施するようになつたものであることが認められる。

(3) 個人で借入れた現金を一応事務所に提供し、事務所ではそれを一応借入金として入金し、入金伝票を切り、銀行に預け入れその組合員には月額の小切手を振出し、出金伝票を切る方法つまり「銀行を通す」方法をとるようになつたのは、本組合本部の森高殖の指示と、監事高口親の示唆によるものであつて、その目的は組合から融通した形式を整え、その証拠を残すためであつたことが推認される。

(4) 右のような借入金の処理については、事務所が組合員から借入された証として、出張所名義の当該組合員に対する借用証を事務員倉原博子が作成していたが、之は当該組合員に交付せず、事務所において保管していたことが認められる。

第五点 脱退時における出資金の返還

事務員であつた証人倉原博子の証言によれば、脱退者にはすべて加入時の説明通り出資金は出資した金額の二〇〇〇円を返還していたことが認められる。

第六点 結論

本項各点で認定した事実を綜合すると、本三地区における現金の管理、流通、還元の実態は、本鹿本地区の発足した昭和25、6、1以降少くとも昭和27、10月頃に至るまで、本三地区の各組合員はその加入に際し、出資金二、〇〇〇円、加入金五〇〇円を納入した後は毎月積立金(又は運営費)と称する金等を組合に支払うだけであつて売上金、借入金等は自己の事業所で終始保管々理し、自己の責任と危険負担において、その金員を以つて加入前と全く同様に営業を継続すると共に生活費を支弁し、損益は一切その組合員個人に帰属しており、組合は実質的に各組合員の営業より生ずる利益を吸収掌握できる立場にはなく、また組合員に実際に融通補填する現金は全然なく、営業は全く組合員個人の責任と裁量に放任されていたものであるにかかわらず、前叙各点で認定したような各種帳簿、書類を整え、その記載を巧妙に操作し、以つて組合が主体として営業を行い、現金(売上金、借入金の統一管理、統一計算を実施し、よつて実質的に企業を合同していたかの如く装つていたものであつて、この実態は、牛島昭三、倉原博子、高崎不破之、菊淵敬助、広重正男を初め、本地区の各役職員、各組合員は充分に知つていたことが認められるのである。

第三項 加入時の資産処理の実態

第一点 各組合員の個々の実態

(A) 証人上田保隆、松尾敏男、野中松太郎、中原定一、渡辺等、脇坂由雪、宮本勝、萩尾灌の各証言及び調書

(B) 証人広重正男、広田熊男、井上繁信の各証言

(C) 証人神山清人、宮本強、渡辺忠雄の各調書、

によれば、右証人等は、昭和25、6、1以降昭和27、5、1に亘り本地区に加入した本組合であるが、右組合員が各自の加入に際し、その所有にかかる営業用資産を、真実組合に売渡す意志を有せず、組合も之を買取る意思も、従つて代金を支払う意思も有しなかつたにかかわらず、作成された書類のみによれば恰も両者の間に右資産の売買が行われたかの如く作為されており、かつことの真相を右証人等はいずれも認識していたことが認められる。

第二点 本三地区全体の実態

前項に認定した各組合員個々の資産処理の事実の外

(1) 本節第一項において認定した各役職員の本組合の具体的内容についての説明の事実、

(2) 本節第二項において認定した本三地各組合員及び事務所の現金の管理、流通、還元の事実

(3) 証人倉原博子、菊淵敬助、宮本勝の各証言

を綜合するときは、

単に前点掲記の証人だけではなく、その加入の年月日を問わず本三地に加入した全組合員が、前点に認定したと同一の手続と意思とを以つて、加入時にその所有にかかる資産の処理をしたと断定することができるのであつて、このことは組合側(牛島、倉原、高崎の各事務員を初め第一項掲記の役員)も全組合員もその実態を充分に認識していたものであるといわなければならない。

第四項 本三地区と被告人森原春一、同上野盛雄との関係

〔一〕 証人倉原博子、高口親、牛島昭三、泉田真一の各証言、並びに雑書類綴(証四二三―一~一八六)の各記載と存在さらに第一項~第三項において認定した事実を綜合すると、

(1) 牛島昭三は、本組合の具体的運営について、被告人上野盛雄から説明を受けていること、かつ同人は常に福岡等の諸会議等に出席し、被告人森原、同上野等と接していたこと。

(2) 昭和25秋頃、被告人森原春一は山鹿の公民館で本組合について説明を行い、本地区の役職員及び組合員と懇談していること。

(3) 雑書類綴には、本地区に宛てた明らかに被告人上野盛雄の作成したと推認される手紙(証四二三―二、二〇三一、四一、七一、七二、八二~八八、一〇七、一〇九、一二四―一二六、一二八、一二九、一三二、一三五 一三六、一四九、一六一、一六六、一六七、一八四)が見受けられ、その内容は加入時資産の処理、現金プールの方法、その帳簿整理の方法、借入金処理の方法、帳簿整備、税務署との交渉の方法、決算対策、事務連絡等多岐に亘り、本地区の運営全般に関し細部の指示をなしておること。(しかして、それらは概ね本地区からの質問に対し答えられたものである。)

(4) 玉名地区は、現金プールの方法につき鹿本、隈府地区とは異り、プール表の記載方法小切手処理の方法は全く熊本地区と同様であり、同地区からの指導によるものであることがそれぞれ認められる。

〔二〕 はたしてそうであるならば、被告人上野盛雄、同森原春一は、本地区の運営の実態を認識していたものと推認することができるのである。

第五項 結論

第一項乃至第四項において認定した各事実を綜合すると、本地区における運営の実態は実質的にも、形式的にも既に論述した五地区の各実態と全く同様であるから右五地区の結論を本地区について引用する。

第八節 八代出張所

第一項 本地区の設立の経緯、組織と役職員の本組合についての説明

第一点 本地区設立の経緯と被告人森原春一等の説明

証人小島次平、上水芳雄、上田光好、長谷川正次、伊藤健一の各証言及び調書並びに第一二回理事会報告(証二四五二―一五)

を綜合すると、

(1) 税金の過重な負担に苦しんでいた小島次平、長谷川正次、上水芳雄、河本、丸山、清田、松林、野尻、村松等約二〇名は、昭和25、4月頃八代市迎町一四〇〇番地小島方に集会し、斎藤平も出席し、租税軽減の方法を論議し、本組合への加入を論じた結果、結局斎藤を通じて本組合本部から被告人森原を招き説明を聞くことになり、

(2) 昭和25、5月上旬頃、同市遠山新五郎で本組合の説明会を催し、小島次平、長谷川正次、上水芳雄等十数名が出席し、斎藤平が被告人森原春一を紹介し、その席上で、同被告人は、本組合の具体的内容につき、

(A) 共栄企業組合は法律に基いて組織されている合法的な法人である。

(B) 本組合に加入すれば法人の給料とりということになり、税金は給料に対する源泉所得税を納めるだけで済み、従来課税されていた所得税や事業税はかかつてこなくなる。

(C) 営業は法人の営業となり、従来の店舗は組合の事業所となる、それで加入前所有していた営業用資産は、組合に売渡して貰わねばならない。しかし、組合には金がないから、代金は支払わない、組合が代金を借りたことにしておく、そのかわり加入脱退は自由であるから、脱退するときはそのまま返すことにしている

(D) 加入後の営業は従来と同様にやつてゆける、ただ組合の営業となるのであるから日報を毎日つけて貰わねばならない。

(E) 組合事務所を運営してゆくために売上金に対する歩合で定めた積立金を毎月組合に支払つて貰う。

(F) 売上金は右積立金を支払つた後は給料と運転資金ということで使用してよい。

(G) 加入するためには、加入金五〇〇円と、出資金二〇〇〇円を支払つて貰えばよい。

(H) 加入すれば個人営業を廃業するのであるから、所管官庁に廃業届を出して貰う。

ことなどを詳細に説明したこと。

(3) さらに昭和25、5月中旬頃右遠山方で再び説明会を催し、右集会に出席した者等約十数名が出席し、被告人森原、及び斎藤が前回の被告人森原の説明と同趣旨の説明をし、その場で、小島次平を初め約十名が加入を決意して、即時加入金五〇〇円を支払い、之を斎藤平が取まとめたこと。

(4) さらに昭和25、5月下旬頃右小島方に集会し、本地区の発足につき種々討議し、その席で斎藤平は新規加入希望者のために、前述被告人森原春一の説明と同趣旨の説明をしたこと。

(5) 右会合の結果、昭和25、6、1本地区は本組合の八代地区協議会として会長小島次平、事務局長斎藤平、事務員藤本覚太郎、組合員約二〇名をもつて発足し、事務所を右小島方と定めたこと。

(6) 右の如く発足はしたものの、日報を記載するだけで実質的には個人営業の継続であるところから、組合員間に、この組合をはたして徴税官庁が認めるかどうか疑問があり、また営業用資産の処理の手続と実態について不安があつたので、三度被告人森原の説明を要請し、その結果、

昭和25、6中旬頃、被告人森原春一は、右小島宅において、右組合員等の質問に対して、

(A) 本組合は法的根拠があつて設立されているので、税務署等から絶対に否認されることはない。

営業用資産の譲渡は、結局書類上形式的に売買の手続をとるだけであつて、組合が本当に買うのではないから決して損等をかけるようなことはしない。

等の点を強調して説明したこと。

(8) しかしながら本地区の組合員にはなお不安の念を抱いている者がいたので、被告人森原春一のすすめにより昭和25、6、21福岡市内県労働会館で行われた第一二回理事会に小島次平、村松昇、清田五夫が出席して傍聴し、その席で右被告人森原の説明にかかるような運営をしていても法人として合法であるとの説明を受けて、その旨を本地区の組合員に報告したこと。

などが認められる。

第二点 事務局長斎藤平、出張所長小島次平の説明について

証人満塩清、志垣義雄、上田光好、山中忠雄、柳田正男、森本清彦の各証言及び、調書、証人河本潔の証言を綜合すると、

(1) 右各証人は昭和25、6、1から昭和26、3、1の間に本地区において本組合に加入した組合員であるが、その加入に際し、いずれも斎藤平から本地区事務所又は各証人宅で、志垣義雄は小島次平からそれぞれ本組合の具体的内容について説明を受けたこと。

(2) 斎藤平、小島次平の各説明は相手により多少の相違はあつても要旨は同一であり、

(A) 共栄企業組合は法律によつてできた合法的な法人である。

(B) 本組合に加入すると、組合の給料とりということになり、税金は給料に対する源泉所得税だけおさめればよく、所得税や事業税はかかつてこなくなる。

(C) 加入すると店舗は組合の事業所となるから、加入前に所有していた営業用資産は組合が買上げることになる。だが之は真実に買上げるのではなく、ただ書類上形式的に買上げたことにするだけだから代金は支払わない。ただ代金を借用したという形式にして借用証を渡す。加入、脱退は自由であるから、脱退するときはそのまま返す。

(D) 加入後の営業は、加入前と同様に個人でやれる、ただ組合には日報を書いて報告して貰えばよい。

(E) 事務所の費用として一定率の積立金を毎月組合に支払つて貰う。

(F)(a) 売上金は積立金を支払つたあとは給料と運転資金ということで使用できる。

(昭和25、9月以前の組合員に対して)

(b) 売上金は一定の日に締切つて、それを事務所に持つて来てもらう。組合はそのうちから運営費を徴収しその残額は給料と運転資金名目で還元する。

(G) 加入に際しては加入金五〇〇円と出資金一口五、〇〇〇円を支払つて貰わねばならない。

(H) 加入すれば個人営業を廃業するのだから所管官庁に廃業届を出す。

(I) 出資金は、脱退のときは払込金額を返還す。

(J) 所得税は個人の営業ではなくなつたのだからその申告はしなくてもよい。

ことなどをそれぞれ説明していたことが認められる。

(3) 右斎藤平、小島次平の本組合の具体的内容についての説明は、前段認定した被告人森原春一の説明や、さらに既に第二節乃至第七節において認定した被告人森原、同上野、同木下、同渡辺を初めとする各地区の役員、職員の説明とも同趣旨であるということができるのである。

第三点 組織

第一 組織

証人小島次平、品田種代、長谷川正次の各証言及び調書、被告人上野盛雄の証言並びに登記関係書類(証一七〇〇)の各記載、さらに右第一、第二点において認定した事実を綜合すると、

(1) 本八代地区は前点認定した経過を以つて昭和25、6、1八代地区協議会として発足し、昭和25、11、6(事実上は昭和25、10、1から)八代支部と改称し、昭和の機構改革により、熊本県支部八代出張所となつたこと。

(2) 事務所は、右発足当初は単に日報と積立金を集めるだけであつたので、前掲小島次平方を連絡所としていたが、昭和25、10月から現金プールを実施するようになつたため、八代市船大工町の斎藤平方二階に移り、昭和26、3月、同市徳淵町魚市場前徳永セキ方二階に移り、昭和26、6月同市本町一丁目柳田正男方二階に移り、昭和27、12月迄そこにあつたが、以降は事務所は設けられなかつたことが認められる。

第二 役員

証人小島次平、品田種代、森本清彦の各証言、並びに登記関係書類(証一七〇〇)、総会理事会議事録写(証二三七)を綜合すると、

(1) 小島次平は前叙認定のように斎藤平と共に本地区にあつて発足前より主導的立場にあつたが、昭和25、6 1発足と同時に八代地区協議会長となり、その名称の変更にともない、八代支部長、八代出張所長となり、昭和28、2、19脱退するまで、その地位にあり、なお昭和26、2、20第四回臨時総会で理事に選任され、昭和27、5月迄その地位にあつたこと。

(2) 森本清彦は、昭和27、5、25の第七回定期総会で理事に選任され、昭和27、11月までその地位にあつたこと。

(3) 丸山金左衛門は、右森本に次いで理事となつたこと。

(4) 清田五夫は前示第四回臨時総会で監事に選任され、昭和26、6、19迄その地位にあつたこと。

(5) 河本潔は、右昭和26、6、19第五回通常総会で監事に選任され、昭和27、5月迄その地位にあつたこと。

(6) 丸山金左衛門は昭和27、5月第七回定期総会で監事に選任され、昭和27、11月迄その地位にあつたことが認められる。

第三 職員

証人小島次平、品田種代、長谷川正次、斎藤平の各証言によれば、

(1) 斎藤平は本地区の発足前から、本組合本部との交渉連絡を行い、前段で認定したように小島と共に本地区にあつて専ら組合側に立つて指導的立場にあり、本地の発足と同時に事務局長となり、以後、昭和28、2、19の集団脱退頃その地位にあつたこと。

(2) 藤本覚太郎は本地区の発足当時から三、四ケ月の間、木村某女は昭和25、10月~昭和26、2月迄、品田種代は昭和26、3月から右集団脱退迄、矢代幸子は昭和26、11月~昭和27、9月迄、長谷川正次は昭和27、10月以降右集団脱退迄それぞれ本地区の事務員であつたこと。

が認められる。

第四 組合員の数

本地区の各年月の組合員数を左記証拠により次の如く認定する。

<省略>

第二項 現金の管理、流通、還元の実態

第一点 本地区設立当初より昭和25、9月迄の実態

第一、一般的実態

証人小島次平、品田種代、志垣義雄、上水芳雄、長谷川正次、伊藤鍵一の各証言を綜合すると、

本期間における一般的実態は、第七節第二項第二点第一において認定した鹿本隈府各地区の同期間の現金の管理、流通、還元の一般的実態と全く同一であることが認められるので、右認定を本地区についても引用する。

第二 積立金、給料所定額と日報の記載

〔一〕 証拠

(1) 日報昭和25、6月分(証六二―一)の給料、積立金の各記載と、証人小島次平の証言

(2) 日報昭和25、6月分(証六六―一)の仮払費、積立金の各記載と、証人長谷川正次の証言

(3) 日報昭和25、6月分(証七九―一)の積立金、給料の各記載と給証人伊藤鍵一の証言

〔二〕 右の証拠によれば、積立金、給料、同仮払の日報における記載とその意味は、第七節第二項第二点第二において認定した鹿本、隈府各地区における事実と全く同様であるから、右認定を本地区についても引用する。

第三 日報の右記載と現金処理の実態

〔一〕 証人志垣義雄、上田光好、長谷川正次、河本潔、森本清彦の各証言、証人小島次平、満塩清、上水芳雄、伊藤鍵一、山中忠男の各調書を綜合すると、

(1) 本期間の実態は、結局、積立金を毎月事務所に支払い、日報に売上、仕入を記載してその数字を報告する以外は、加入前の個人営業と全く同一の実態であることを各証人とも認識していたこと。

(2) 従つて給料といつても自己の事業所の売上金から常に賄わねばならない仕組になつていて、その危険負担は、その組合員個人にあつたから、給料額の決定には無関心であり、形式的なものであると各自が知つていたこと。

(3) 従つて各組合員は、必要の都度売上金を生活費として使用し、運転資金がたらぬときは、給料に当つべき金を支払に充てる等実質的には給料名目の金と運転資金名目の金を区別していなかつたこと。

(4) かかる機構の下では、右両者を区別することは出来ないことを各証人は知つていたし、区別せよという組合側も区別出来ないことを知つていたこと。

(5) 従つて日報における給料の記載は真実支給したとの事実を表示するものではなく、組合事務所に対する単なる報告の意味しかなかつたこと。

などが認められる。

〔二〕 右のような記帳と実態は、第一項で認定した被告人森原や事務局長斎藤平の本組合の具体的内容についての説明を実行すれば当然に生ずる結果と言うべきであり、換言すれば右の説明と実態とは表裏の関係にあるが故に右実態は前掲の証人個人個人の実態のみではなく他の組合員についても同様であつたことを推認することができる。

第四 給与関係書類について

〔一〕 給料支払表

給料支払表(証一九)の記載及び押印の存在並びに証人小島次平、品田種代の各証言を綜合すると、

(1) 右支払表の五七丁~六四丁は本地区各組合員に対する昭和25、6月分~9月分の給料支払とその受領を証する各組合員の押印があるが、右押捺されている各組合員の印影は昭和25、10月分~昭和27、10月分(同証―一~六六)の支払表中各組合員の末尾に押捺されている印影と全く同一であることが検討の結果推認される。

(2) 事務員品田は右支払表末尾の押印は、各組合員の印鑑が事務所に備付けてあるので、その印鑑を適宜押捺した旨述べているところからすれば、右昭和25、6月分~9月分の印影も又事務員が右印鑑を右同様押捺したものと推認される。

(3) 前段認定の如く日報における給料の記載が形式的なものにすぎないと同様にかかる給料所定額を支給し組合員は之を受領したかの如き記帳及び押印のある給料支払表の記載及び存在も、給料を支払つたとの事実を表示するものではないのみならず、前述のような事務員による受領印の押捺の如きは、右給料支払表が当初から第三者に対し本組合が恰も給料所定額を毎月実質的に支給し、組合員は確実に之を受領していたかの如く仮装する意図の下に作成され事務所に備えつけられていたものであることを証するに充分であるといわねばならない。

〔二〕 給料支払明細書

給料支払明細書(証六九)の記載及び存在、並びに証人小島次平の証言によれば、現金プールの実施後は証六九のような給料支払明細書を現金プールの際に組合は組合員に給料を支給した証として交付していたが、それまではかかるものは交付されていなかつたことが認められる。

しかして、現金プールの実施は次に述べる如く昭和25、10月からであるから、本期間は右給料支払明細書は交付されていなかつたということができる。

第五 結論

右第一~第四において認定した各事実を綜合すると、

本地区の本期間における現金の管理、流通、還元の実態は、既に認定した熊本地区(第六節第二項、第二点、第五)、鹿本、隈府地区(第七節、第二項、第二点、第五)において述べた結論と全く同様であるが、さらにその記帳の態様は、日報に前叙の如く記載されていたこと。給料所定額を支給していたかの如く仮装する意図の下に給料支払表を作成して事務所に備付けていたこと以外は福岡地区と同様に組合員に給料支払明細書を交付しなかつたのであつて、この点は福岡地区において論じた(第五節第二項第二点第四)のように本地区においては実質的にも形式的にも、組合員から積立金を徴収するだけで給料支給の体裁さえも整つていない地区であつたといわなければならない。

第二点 昭和25、10月より昭和27、10月迄の実態(いわゆる「現金プール」)

第一 昭和26、8月より昭和27、10月迄の現金プールの実態

〔一〕 現金プール関係各帳簿類の記帳の相互間の関係

証人小島次平、品田種代の各証言と、現金プール表(証三七)、給料支払明細書(経費差引明細書を含む)(証二二、三一、五〇、六一、六九)給料支払表(証一九)、当座小切手帳控(証六三)を綜合すると

(1) 現金プール表(証三七―四~三五)の記載について

同表の各欄の記載の内容は次の表のとおりであることが認められる。

各欄の意味

(現金プール表の記載)

<省略>

<1> 組合員名

組合員の氏名を書く。

<2> 名目プール

各月の末日の日報上の手元残高現金額を記載する。従つてこの欄の金額が現金プールに持参すべき金額である。

<3> 実際プール

現金プールに実際にもつて来た現金額を記載する。

<4> 税引給料

給料所定額から源泉所得税を控除した金額である。

<5> 賃貸料

組合員の店舗を組合の事業所として組合が借り、その賃貸料である。

<6> 廻転資金

翌月分の事業所の運営資金を記載する。

実際プールから給料を支払つてその残額を廻転資金にあてていたので、その残額がなければ廻転資金がないわけである。この欄の記載がないのは残額がでるだけ実際プールを持つてこなかつたのである。

<7> 合計 [b+c+d+e=B]である。

<省略>

<8> 積立金

組合事務所の経費に充当するため組合員から徴収する金額を記載する。(この額は、当初売上額に対する歩合で算出し、のち、何月かは一定し、その一定額をときどき変更していた。)

<9> 源泉

給料所定額に対する源泉所得税を記載するのであるが、この欄の記載のないのはその税のかからない者である。

<10> 新聞代

組合で徴収する新聞代の額を記載する。

<11> その他(この欄は月により、新年宴会費、バッチ、共済費、出資金の分割払等各種の欄からなつている。)

いずれも組合事務所が実際に徴収する金額を記載したのである。

<12> 合計[f+g+h+k=C]である。

<13> [A-C]K、実際プールの金額から組合が実際に差引くべき合計金を引いた金額である。

<14> [(A-C)-B]M

右<13>の金額から給料及び廻転資金等の合計<12>を差引いた金額を記載する。この場合黒字はプラスの場合であり赤字はマイナスの場合である。

(2) 前掲各帳簿の記帳相互間の関係

各帳簿の間にはその記帳につき左の如き関係があることが認められる。

(一らん表)

<省略>

備考

1.各様式は必要欄のみ掲記する。

2.各ローマ字は前表各欄の金額と同一金額を示す。

〔二〕 右記帳に対する現金の流通、還元の実態

(イ) 前段〔一〕掲記の各証拠及び証人満塩清の証言によれば、

(1) 昭和26、8月、9月は現金プールに小切手を使用していなかつたが、この期間においては、[A-C=K]のKの額が[K〓B]にかかわらず、全額を当該組合員に還元し、その還元する額の多寡とは関係なく前掲表の如く記帳された給料支払明細書と、Cの内訳を記載した経費差引明細書をその組合員に交付していたこと。

(2) 昭和26、10月以降小切手を使用するようになつてからは前二表で[(A-C)-B=M]<0]の場合、つまりMが赤字になる。現金を持つていつた場合はその組合員にもbに相当する(Cがある場合はCも含めて)金額の小切手を給料(及び賃貸料)として、当該組合員に交付するが、之を受領した組合員は右小切手を現金化した後、右[(A-C)-B=M]のM相当額、すなわち当該組合員が現金プールに持参した金額から、C額(積立金等)を徴収された残額を超過する額に相当する現金をすぐに事務所に返還していたこと。

(3) 前二表で[(A-C)-B=M>0]の場合、つまり、Mが黒字である場合は、b(cがある場合は之も含め)及びdの各小切手で還元される以外現金でMの金額の返還を受け、かつこのMの金額は日報に記載しないでもよいことをプール事務担当者は当該組合員に説明し、その使用はその組合員の自由にまかせたこと。

(4) 右(2)、(3)のいずれの場合でも組合は(1)と同様に給料所定額から源泉所得積相当額を控除した額を記載した給料支払明細書を当該組合員に交付し、同時に組合が現実に徴収する諸経費Cの内訳を記載した経費差引明細書を渡し、一方事務所備付の給料支払表に右同額を記載し、事務員自ら事務所備付けの各組合員の印鑑を押捺していたこと。

(5) 要するに、前二表の複雑な記帳及び現金の流通にかかわらず、本期間の現金プールにあつては右(2)、(3)の通り、毎月どの組合員の場合でも常に、その持参する金額Aの多寡に関係なく、〔(現金プールに持参した現金)-(事務所が現実に徴収する積立金等)=(当該組合員に還元される現金…給料、回転資金、名目、無名目)〕の式が成立するのであつて、要するに前表Cを徴収した残金は常に全額当該組合員に還元される反面、組合はどの組合員に対しても右残額以上に補填しなかつたこと。

がそれぞれ認められる。

(ロ) なお前掲現金プール表の記載を検討すると

(1) 「名目プール」と「実際プール」の各金額を比較すると、毎月相当数の組合員は「実際プール」の金額が少いことが認められるが、本地区の現金プールでは前叙の如く「実際プール」の金額つまり現実に事務所に持参した現金を基準として前段認定の如き操作がされたのであつて、[a-A]の差額は全く等閑に附せられていたのであり、かつこの差額は日報等にも記帳されていなかつたのであるから、結局その組合員の売上金の脱漏ということができるし、かつその分を当該組合員が費消していたことは言を俟たないところである。

(2) また、[(A-C)-B]の記載を仔細に検討すると、本期間全部を通じて、ほとんどの組合員が、赤字か又は黒字の記載であつて、すなわち給料所定額に不足する現金を持参したか、日報に記載しないいわゆる無名目の金の還元を受けていたかいずれかであつて、右の実態が本地区の一般的状態であつたということができる。

このことは第四節田川地区で認定した支部勘定補助簿の各組合員の備考欄にほとんど<+>又は<->の記載があつたこととその趣旨も実態も酷似しているといわなければならない。

(ハ) 証人品田種代の証言及び調書によれば、同証人が初めて現金プールの事務を採るようになつた昭和26・4月頃、給料支払明細書の記載方法につき、斎藤平から、「この給料支払明細書には実際の支払額を書いてはいけない。組合で決められた各人別の給料表があるから其の表によつて算出、記入して呉れ、そしてこのことは外部の者には絶対に云つてはならぬ。」との説明と注意をうけ、同証人は前掲現金プール表給料支払明組書、給料支払表、経費差引明細書、小切手帳などを現金プールのとき記載し、現金はそれら記載とは別途に前敍の如く処理したが、これらは一切右斎藤平の指示命令に依るものであることが認められる

〔二〕 各組合員個々について

証人小島次平、柳田正男の各証言及び調書、証人満塩清、志垣義雄、上水芳雄、上田光好、長谷川正次、河本潔、山中忠男、伊藤鍵一、上野正明、森本清彦の各証言によれば、

右各証人の現金プールの実施にあたつては、いずれも前段〔一〕において詳論したような現金と記帳の操作を組合と相通じてなしていたものであることが認められる。

〔三〕 認定

右〔一〕、〔二〕において認定した各事実を綜合すると、本地区の昭和26、8月~昭和27、10月迄の現金プールの実態は、各組合員が持参する現金の多寡にかかわらず、組合事務所ではその中から積立金等現実に事務所自体が必要とする金額を徴収する以外の残額は、全部之をその組合員に還元し、その反面右残額以上に現金を実質的に融通補填することはなく、従つて、各組合員は給料の決定額等を意に介することなく、自己の事業所だけの売上金等の現金によつて、自己の計算と危険負担において営業を行い生活費を支出しており、よつてその事業所の損益は一切その組合員個人に実質的に帰属していたのであるにかかわらず、組合は各組合員と相通じ、日報現金プール表、小切手、給料支払表、給料支払明細書等の各記載を前敍認定したように巧妙複雑に操作し、恰も組合が主体となつて、真に統一計算を実施し、現金プールに持参する金額に関係なく給料を所定額どおり支給していたかの如く仮装しており、それのみならず、右操作によつて各組合員に売上金を記帳から脱漏して収得することを組合は許容していたものであつて、このことは本地区の例外的現象ではなく、全く一般的実態であつたのであり、しかして以上の記帳と実態は、斎藤、品田の各事務員は勿論現金プールに参加した本地区の全組合員が知つていたものであるということができるのである。

第二 昭和25、10月より昭和26、7月迄の実態

〔二〕 証人小島次平、品田種代、上田光好、伊藤鍵一、森本清彦の各証言並びに現金プール表証(六―一一~一三、証三七―六七)給料支払明細書(証六九)、給料支払表(証一九)の各記載と存在を綜合すると、

(1) 現金プール表の記載

その様式は左のとおりであり、仔細に検討した結果右「プール金額」Aは現金プールの際に、当該組合員が実際に持参した現金であり、差引残高はその金額から組合が現実に徴収する金額を差引いた数額であり、

<省略>

(2) 日報の記載は昭和25、10月からいわゆる横書様式となり、現金プールの日の記載要領は前段認定と全く同様であり、

(3) 給料支払表の記載及び受領印の押捺についても前段認定と全く同様であり、

(4) 給料支払明細書は、昭和25、10月から現金プールの日に各組合員に交付されるようになつたが、その記載要領も又前段認定と全く同様であることが各認められる。

〔二〕 本期間の一般的実態

本点第一〔三〕挙示の各証人の各証言並に調書によれば、同所の認定事実中(1)(2)(4)(6)の点は本期間についてもそのまま妥当することが認められるので之を本期間につき引用する。

〔三〕 認定

結局本期間の現金プールの実態は、昭和26、8月9月とは事務所における現金プール表の記載様式が異つただけであり、昭和26、10月以降とは右記載様式と、組合員に小切手をつかわずに現金のまま還元していたことが異つただけでその他の点は全く第一の〔五〕に認定した昭和26、8月以降の実態と全く同一であることが認められる。

第三 結論

要するに、昭和25、10月以降昭和27、10月迄のいわゆる現金プール実施期間における現金の管理、流通、還元の実態はその記帳につき多少の変動はあるものの、その実質的内容は全期間を通じ第一の〔五〕で認定した事実と全く同様であることが認められる。

第三 借入金の実態について

証人上水芳雄の調書によれば、個人の信用で借受けて日報の収入欄の支部勘定に記帳していたことが認められるので、その実態は第七節第二項第四点で述べた鹿本、隈府、玉名地区の実態と同様であつたことが推認される。

第四点 結論

右第一点乃至第三点で認定した各事実を綜合すると、本地区における現金の管理、流通、還元の実態は、本地区が発足した昭和25、6、1以降少くとも昭和27、10月迄は第七節第二項第六点結論において論定した鹿本、隈府、玉名三地区の実態と全く同様であることが認められるので、同論定を本地区の結論につきそのまま引用するかつ、この実態は現金プール事務にたずさわつた斎藤平、品田種代を初め、本地区の各役職員及び全組合員は充分に知つていたということができる。

第三項 加入時の資産処理の実態

第一 証拠

(1) 証人品田種代、満塩清、志垣義雄、上水芳雄、上田光好、河本潔、森本清彦の各証言

(2) 証人小島次平、長谷川正次、山中忠男、柳田正男、伊藤鍵一の各調書

(3) 借用証、買上証綴(証一〇)の記載及び存在

(4) 既に認定した六地区における各加入時の資産処理の事実

(5) 第一、第二項において認定した事実

第二 認定

(1) 右証人等は、(品田を除く)昭和25、6、1以降、昭和26、2、1に亘り本地区に加入した組合員であるが、各組合員がその加入に際し、その所有にかかる営業用資産を、真実組合に売渡す意思を有せず、組合側も之を買取る意思を有せず、従つて代金を支払う意思も有しなかつたにかかわらず、作成された書類(棚卸表、貸借対照表、買上証、借用証)のみによれば、恰も右両者の間に右資産の売買が実際に行われたかの如く記載されていることが認められるところ、真実は既に論述した福岡、熊本等の地区の具体的事実と全く同様であることが認められるので、右認定を本地区にそのまま引用することにする。

(2) 加入時に所有していた債権、債務、現金の組合に対する譲渡も右(1)と同様にすべて形式的な書類作成だけであつて、真実の譲渡ではなかつたことが認められる。

(3) 右(1)(2)のような実態は、〔一〕掲記の組合員についてのみならず、本地区に加入した全組合員についても同様であつたことが充分に推認される。

(4) 借用証、買上証(証一〇)は右各組合員が加入の際棚卸した資産を組合が買上げたとの内容になつている証書、及びその代金を組合が借用し、請求のあつた翌日に支払うようになつている。被告人森原春一の作成名義と押印のある証言であり、組合事務所に保管されていて各組合員が所持していたものではないことが認められ組合員の中には自己宛の右証書を見たことのない者さえあることが認められるが、本来真実の売買であるならば売却した側にとつては最重要な書類であるべき筈の右証書類を買受側である組合に保管をして貰つていたこと自体単なる形式的書類にすぎなかつたことを物語つていると言うことができる。

(5) 本地区におけるかかる実態は、加入手続をとつた斎藤平、品田種代等の事務員は勿論、本地区加入の全組合員も認識していたことが認められる。かつ、かかる手続とし実態は本地区の発足にあたり小島次平をはじめ相当数の加入者について、右資産の処理の真相につき組合側の意思を表明した被告人森原春一の説明の内容とも全く合致することが認められるから同被告人も本地区のかかる実態を認識していたものであることが推認される。

第四項 結論

第一項~第四項において認定した各事実を綜合すると、本地区における実態は実質的にも形式的にも、既に論述した六地区の各実態と全く同様であることが認められるから、右六地区の結論として説示したところのことを、そのまま本地区の結論として引用するものとする。

第九節 水俣、本渡、各出張所

第一項 本二地区の設立、沿革、組織及び役員、職員の説明について

第一点 設立の経緯

第一 水俣地区

証人鶴田松之助、森田秀治の各証言、並びに森田秀治より本組合本部宛手紙(証一二九一―四~六)、加入申込書綴(証一三五六)の各記載を綜合すると、

(1) 昭和25、3月下旬頃、森田秀治、鶴田松之助等は水俣において被告人森原春一の企業組合についての説明を聞き、

(2) さらに、昭和25、4月中旬頃再び被告人森原春一が来て説明し

(3) 昭和25、5月末頃、水俣市大字浜七四〇番地の森田秀治方で三度目の説明会を催し、森田、鶴田等十数名が出席し、その席上で、被告人森原春一は本組合の具体的内容について説明し、

(4) 昭和25、6、1附を以つて、森田、鶴田、中村等一〇名が加入し、本地区は水俣地区協議会として、森田秀治が同会長となり、事務所を同人方に設置して発足したことがそれぞれ認められる。

第二 牛深地区

証人的場文雄、鈴木準三の各証言及び調書、証人南里繁雄、森田秀治の各証言によれば、

(1) 的場文雄は、昭和26、7月又は8月頃同人宅で取引関係のあつた水俣市の南里繁雄から本組合のことを聴き、

(2) その後一ケ月位して熊本県天草郡牛深町の益城屋旅館で説明会を催し、的場文雄をふくめ、四、五人の者が出席し、南里繁雄が説明し、

(3) さらにその後再び右益城屋旅館で説明会を催し、的場文雄、原田正、真鍋一義、古川末喜、佐々木正喜等四、五名が出席し、水俣から本組合水俣支部長の森田秀治、同支部の事務員堀をふくめて三名、及び南里繁雄が出席し、その席で、森田、堀、南里が友々本組合の具体的内容について説明し、

(4) その結果、昭和26、10、1附を以つて、原田正、的場文雄、真鍋一義、岩崎豊光等五名が加入し、本地区は水俣支部の牛深出張所として、原田正が所長となつて事務所を同人方に設置して発足したこと。

がそれぞれ認められる。

第三 本渡地区

証人布井寛治、森田秀治の各証言によれば、

(1) 布井は熊本県天草郡本渡町に居住のまま、昭和25、8月頃水俣地区に加入し、

(2) 昭和25、8月から昭和26、11月頃までは、本渡地区の本組合員は右布井寛治一人であり、

(3) 昭和26、11月頃、本渡地区において加入者があり、事務所数が七、八ケ所になつたので、本地区は水俣支部の本渡出張所として右布井が所長となつて発足したこと。

が認められる。

第二点 組織

第一 沿革

証人布井寛治、森田秀治、南里繁雄、鈴木準三、的場文雄、島田兼重の各証言、被告人上野盛雄の証言、並びに登記関係書類(証一七〇〇)、報告(証一三四六―七、証一三五五―三、五、六)、組合員名簿(証一四一九―一~四〇)の各記載を綜合すると、

(1) 水俣地区は前認定の如く昭和25、6、1に水俣地区協議会として発足したが昭和25、11、6(事実上は昭和25、10、1附)に水俣支部となり、昭和26、10、1に発足した牛深出張所(事実上は班程度のもの)を包含し、さらに昭和26、11月頃に発足した本渡出張所もその管轄下においていたこと。

(2) 昭和27、4月の機構改革で、右水俣地区、本渡地区はそれぞれ熊本県支部の木水出張所、本渡出張所となり、牛深地区は組合員数が少く同地区のみで事務員を賄うことが困難であるとの理由により、水俣出張所管轄下の牛深連絡所となつたこと。

(3) 右昭和27、4月頃加入者のあつた鹿児島県伊佐郡山野町は水俣出張所に属していたこと。

(4) 水俣地区の事務所は発足当初は前記森田秀治方にあつたが、昭和26、6、27頃事実上、水俣市桜井町田口昌信方に移転し、さらに昭和27、3、1同市大字浜鷺一一番地の通称中央マーケツト内に移転し、

(5) 牛深地区の事務所は前敍原田正方二階にあり、

(6) 本渡地区の事務所は、当初本渡町中南長島方にあつたが、のち同町諏訪神社の近くに移り、さらに移転したこと。

がそれぞれ認められる。

第二 役員

証人森田秀治、南里繁雄、布井寛治、鈴木準三の各証言、登記関係書類(証一七〇〇)、総会理事会議事録写(証二三七)の各記載によれば、

(1) 森田秀治は水俣地区協議会発足と同時に同会長となり、同地区が支部となると共に支部長となり、後橋本要作とかわり又、昭和26、2、20の第四回臨時総会で理事に就任し、昭和27、5、25第七回定期総会までその地位にあり、同総会で監事に就任し、

(2) 南里繁雄は本組合解散前半年乃至一年位水俣出張所長を勤め、

(3) 布井寛治は本渡地区が出張所になつたとき同所長となり、爾来解散までその地位にあり、昭和27暮以後において理事になつたこともあり、

(4) 原田正は牛深地区の発足とともにその長となり、爾後一斉捜査頃までその地位にあつたこと。

がそれぞれ認められる。

第三 職員

証人鈴木準三、布井寛治、森田秀治、南里繁雄、島田兼重の各証言によれば、

(1) 水俣地区の事務員には、堀某、滝川某(女)、橋本某等がいたこと。

(2) 牛深地区の事務員には、当初佐々木隆義がなつたが病気で辞め、昭和27、1月頃から昭和27、11月末迄鈴木準三がなり、その後磯崎がなつたこと。

(3) 本渡地区の事務員には、小浦某、長島竜造、米岡等がいたこと。

が認められる。

第四 組合員

本三地区の各年月の組合員数は左のとおりである。

<省略>

第三点 役職員の本組合についての説明

第一 森田秀治、南里繁雄、堀事務員の各説明について

〔一〕 日時、場所

(1) 証人的場文雄の証言及び調書によれば、同人は前示認定の如く牛深地区の発足に当り益城屋旅館で催された説明会に原田正等と共に出席し、その席上で主として森田秀治、堀事務員、補足的に南里繁雄から、

(2) 証人林野寅市の証言及び調書によれば、同人は昭和27、4月中頃、水俣出張所の前記事務所で堀事務員から、

(3) 証人竈元生の証言及び調書によれば、同人は昭和27、7、5頃、右事務所で同じく堀事務員から、

それぞれ本組合の具体的内容について説明を受けていることが認められる。

〔二〕 しかして、右各証拠によれば、右各説明の内容を要約すると、

(1) 組合は法人であつて加入すると、従来の店舗は事業所となり、組合員は組合の月給取りとなつて税金は月給に対する源泉所得税だけ納むればよく、事業税などはかからなくなる。

(2) 加入するには、従来の営業用資産を組合に売渡して貰い、債権、債務、現金も組合に引ついで貰う。しかし組合には金がないから、代金は支払わない。そのかわり加入脱退は自由であつて、脱退するときにはそのときの状態でそのまま全部を当該組合員に返還するようになつている。そのときは、脱退届と棚卸表さえ出してもらえばよい。つまり営業用資産の売買や、債権、債務の引継は書類上だけで形式的にそうするにすぎないものである。

(3) 各事業所の売上金は月末に一応全部事務所に持つて来てもらうが、その中から組合の維持費や法人税の引当としての積立金(又は運営費)を支払つてもらう以外は残金全部を給料及び運転資金として返還すること。

などであつたことが認められる。

第二 原田正、鈴木準三の各説明について

証人鈴木準三、佐々木アサエの各証言によれば、

〔一〕 日時、場所

(1) 佐々木アサエは、昭和26、10月頃、原田正、古川未喜の両名から、牛深で、

(2) 鈴木準三は、昭和27、1月頃、牛深地区の事務員となるに際し、原田正方で、同人から、それぞれ本組合の具体的内容について説明を受け、

〔二〕 右説明の内容は、右原田も、古川も、出席した益城屋旅館の説明会における前段認定の森田等の説明の内容と実質的に全く同趣旨であつたことが認められる。

〔三〕 なお原田は、事務員である鈴木に対し、加入時の営業用資産の処理にあたり、書類の形式上からも代金を支払わなくてよいように、正味資産がある場合には之に見合う負債を書類に計上して収支のバランスをとること。もし負債がないときは架空の借入金でもよいから記載して、バランスを合わせるようにすることを命じたことが認められる。

〔四〕 また右鈴木は、右原田以外に水俣の事務所で堀事務員からも本組合の具体的内容についての説明を受けており、牛深地区の加入希望者に対して説明する場合には、右原田や堀から聴いた内容と同様なこと、つまり前段認定の内容と全く同趣旨のことを説明しており、特に資産処理については、前敍原田の命じたことと同様なことを説明していたものであることが認められる。

第三 長島竜造、米岡某、小浦某の各説明について、

証人島田兼重、武田新具、松下森作、平島義令、村上新作の各証言及び各調書によれば、

〔一〕 人、日時、場所、

(1) 松下森作は、昭和27、3月中旬頃、同人宅で事務員小浦某から

(2) 平島義令は、昭和27、9月下旬頃、同人宅で事務員長島、及び米岡から、

(3) 村上新作は、昭和27、9月下旬、本渡出張所の事務所である右長島方で、米岡から、

(4) 島田兼重は、昭和27、10、22頃、同人宅で右長島竜造、及び米岡から、

(5) 武田新具は昭和27、10頃右長島方で同人から、

それぞれ本組合の具体的内容について説明を受け、

〔二〕 右三人の説明の具体的内容は、要約すると、

(A) 組合は法人であるから、本組合に加入すると、店舗は組合の事業所となり、組合員は組合の従業員ということになり、給料を貰つて生活するということになるから、税金は、給料に対する源泉所得税だけ納むればよく、今迄のように事業税や事業所得税はかからなくなる。

(B) 組合の事業所となるために、従来所有していた営業用の商品、備品、什器は組合に売渡して貰うことになるが、之は組合から実際に代金を支払わないかわりに取上げるようなことはしない。つまり形式上そうするだけだから安心してよい。

(C) 負債も右と同様に表面上組合に引継いで貰う。

(D) 店舗は組合の事業所ということになるから賃貸借をしたようにする。

(E) 営業は、加入前と同様に自分でやれる。

(F) 毎日の取引は日報に書いて貰う。

(G) 売上金は毎日保管しておき、毎月一回事務所に持つて来てもらう。そうすると、組合はその中から運営費を差引き残額は全部返還する。

その返還するのは給料名目、運転資金名目である。

(H) 加入するには加入金五〇〇円、出資金二、〇〇〇円を支払つて貰う。しかし脱退するときは出資金は出しただけ返還する。

(I) 加入脱退は自由であること。

などであつたことが認められる。

右説明の内容は第一、第二で認定した各説明の内容と本質において全く同趣旨であつたということができる。

第四、被告人森原春一の説明

〔一〕 証拠

(1) 森田秀治が、加入申込者に対してなした説明の内容は前叙認定のとおりであるが、証人森田秀治の証言によれば、前叙の牛深における説明も、また本渡の布井寛治になした説明も、ともに水俣発足にあたり被告人森原春一から三回に亘り聴いた説明の内容と同趣旨のことを説明したことが認められる。

(2) 第八節第一項第一点において認定したように、八代地区の発足に際しての、昭和25、5上旬、同中旬の二回の説明会において被告人森原春一は本組合の具体的内容につき、前段第三にて認定したと全く同趣旨のことを説明していることが認められる。

(3) 一方本渡地区で布井寛治の下で同地区の組合事務を処理していた小浦、長島、米岡の各事務員の説明も前示森田の説明と全く同趣旨であることが認められる以上、布井は右同趣旨のことを森田から聴き、之を右各事務員に説明したものであることが推認できる。

(4) かつ、「共栄企業組合に加入しましよう。」と題するビラ(証一二九二―二九)を検討すると、

(A) このビラは、第二節第三項、第三節第三項で説示した、同題のビラと、全く同一様式であり、(ただし。裏面は白紙である。)

(B) 説明内容の中、「本組合の特色」に関する部分を要約すると、

(a) この組合に加入すると従来の工場又は店舗は単位経営体として独立採算制で従来どおり運営されること、

(b) 組合員がその工場又は店舗で能力に応じて得た所得は全部そのまま給料として支払われること。

(c) だから組合員は給与所得一本となり、その他の税金の心配はなくなる。

というにあることが認められる。

(C) しかしてこの表面の印刷の内容、形式は左記末尾の部分をのぞき証六三三―一九、証一七六〇―八七証二五六二―三一、証二五六四―二五、証二六一七―三の各ビラと全然同一であることが認めれる。

(D) なお末尾は、

<省略>

なる記載になつているところからすれば、本ビラは水俣地区の発足の前後頃つまり、被告人森原春一の右森田方における三回の説明会と前後して作成印刷されたものであることが推認される。

(E) しからば、被告人森原の水俣地区における説明の内容も右ビラに記載されている内容と同趣旨であつたことが推認される。

(5) はたしてしからば、証人鶴田松之助、森田秀治の各証言により一応のことが認められる被告人森原春一の水俣地区発足に際し、森田秀治方における説明会で述べた説明の具体的内容は、各組合員の個々の営業上の本質的な点について、第一乃至第三で認定した本三地区の各役員、職員の各説明の内容と同趣旨であつたと云うよりも前記の各役職員は被告人森原春一の説明に則つて叙上認定したような各説明をしたと観ることができるといわねばならない。

第二項 現金の管理、流通、還元の実態

第一点 水俣地区設立当初より昭和25、9月迄の実態

第一、一般的実態

証人鶴田松之助、森田秀治、南里繁治の各証言によれば、

本期間における一般的実態は、要約すれば、

(1) 売上金等の現金は、各組合員が自己の事業所において保管所持し、営業に使用していたこと。

(2) 生活費は必要な都度売上金から自由に控除して費消していたこと。

(3) 売上金に対する一定の%によつて算出される積立金を、組合事務所に支払つていたこと。

(4) 事務所に対しては右積立金以外に支払つたり徴収されたりする金はなく、また事務所から給料名目、運転資金名目、借入金名目などその名目のなんたるを問わず融通補填される金はなかつたこと。

(5) 積立金は事務員が集めに来たり、組合員が持つていつたりしていたこと。

などが認められる。

第二、給料、積立金と日報の記帳について

〔一〕 証拠

(1) 証人鶴田松之助、森田秀治、南里繁雄の各証言、

(2) 森田秀治名義の日報昭和25、6月~9月分(証二七三一―一~四)の「給料及び仮払費」「積立金」の各記載。

(3) 南里繁雄名義の日報、昭和25、8月9月分(証二七三二―一、二)の右同各記載

(4) 鶴田松之助名義の現金出納帳(証二七五二―一~一四)の「仮払費」「積立金」の各記載。

〔二〕 右各証拠を綜合すると、給料については毎日「仮払費」として日報の記帳から落し、月末に給料の清算の記帳をして「仮払費」を「給料」とし、

積立金についても当初は毎日その記帳があること、を除いては右記載の意味するところは、第七節第二項第二点において認定した鹿本地区と全く同様であるから右認定を本地区についても引用する。

第三、給料支払明細書について

〔一〕 記載について

(1) 給料支払明細書綴(証一三三三―一~四二)を検討すると、水俣地区所属の五名の組合員名義の給料支払明細書であるが、その中鶴田松之助名義の昭和25、6月分、7月分は紙質、印刷、形式ともに第七節第二項第二点で判断した高口親名義の支払明細書で、従つて小倉地区、京築地区で既に判断した同時機に発行されていた支払明細書と、同一のものであることが認められる。

(2) ところで右鶴田名義の昭和25、6月分、7月分(証一三三三―一八、二〇)は、切取線以下の「本月の実績」がそのまま存在しているものであることが認められる。

〔二〕 記載の実態について

証人鶴田松之助の証言によれば、

給料の所定額は、右明細書に記載されているとおりであるが、切取線より下段の「本月の実績」欄の「積立金」と「所得税」との合計額だけ関心があつて、右給料所定額には関心がなく、右合計額のみの現金を組合に支払うか集金に来ており、右「本月の実績」とは組合が右合計額を受領したという証明であること。

が認められる。

それからすれば、少くとも昭和25、6月、7月頃までの給料支払明細書はその名とは相違して実質は積立金等の受領書程度の性質しか持つていなかつたということができる。

第四、給料額決定について

〔一〕 本組合本部から水俣地区協議会宛の手紙(証一三四〇―二〇、二一)は被告人上野盛雄の筆跡であることは明らかであるが、之によれば、(昭和25、7、10附)

「給料の決定が一般に安い様に思われます。

給料はあくまで生活を基準したものではなくてはなりません。

勿論福岡と水俣とは事情が違うと思いますが、

対外的な問題もありますが、貴地協で大丈夫という自信があれば差支えありません。」

なる記載が認められる。

〔二〕 右被告人上野の手紙の文意は、水俣地区の給料の所定額は安い。給料額の決定は第三者からみて生活を維持することができると首肯される程度の額でなければならないが、しかし、第三者から批判されてもその額でよいという自信があるならば、いまのままの安い所定額でもよい。旨を述べているのであつて、結局、右手紙からすれば、本組合の本部も水俣地区も、組合が主体として実質的にいかに決定するかということは念頭にはなく、その額を専ら組合外の第三者から怪しまれない額に決定することをのみ考慮していたことを推断することができるのである。しかして、この事実に前叙鶴田松之助の右認定と同旨の供述を綜合するときは、この鶴田の給料額決定の真相に対する認識が、決して本地区にとつて例外的なものでないことを推断し得るところであり、このことは既に認定した七地区における同期間の給料額決定の真相についての各組合員の認識もまたほとんど右鶴田と同様であつたことも併せ考えると、ますます右認定を確実にすると言うことが出来る。

第五 結論

右第一~第四において認定した各事実を綜合すると、

本地区の本期間における現金の管理、流通、還元の実態は、既に認定した小倉、京築、鹿本、隈府、福岡、八代各地区と実質的に全く同様であることが認められるので、之らの認定を本地区についても引用する。

第二点 昭和25、10月以降、昭和27、12月頃迄の実態(いわゆる「現金プール」の期間)

第一、水俣地区

〔一〕 証人鶴田松之助の証言、福貴島、溜、林野、寅市、竈元生の各証言及び調書によれば、

(1) 現金プールの一般的実態は、

(A) 現金プールは日報の様式が横書にかわつたころ、九原則の話を聞いた後に初まつたこと。

(B) 現金プールには日報とプール日の前日の日報上の手元現金残額とを組合事務所に持つてゆくと、組合はその金額の中から組合が差引くべき運営費(積立金)等を差引き、その残額全部を月給と運転資金として各小切手で貰つて来ていたこと。

(C) その組合費に、雇人がいる場合はその雇人の給料は別個の小切手を切つていたからこの場合は三枚の小切手を呉れていたこと。

(2) 現金プールに持参する現金から運営費(積立金)等を差引いた残額がその組合員の給料所定額より少額である場合

(A) 所定額どおりの小切手を貰い、その小切手を銀行で現金化して、その中から、現金プールに持参した現金から組合の差引き分を控除した残額全部を月給として還元を受け、その額との差額つまり右残額を超過する現金は直ちに組合に返還していたこと。

(B) このような場合でも組合は必ず右運営費等を徴収していたが、運転資金名目の金は還元しなかつたこと。

(3) 現金プールに持参する現金から運営費等を徴収し、給料所定額と、運転資金名目の小切手を切つても、なお残金がある場合には、

(A) その残金全額を名目のない、いわゆる無名目の金として現金のままか小切手で還元してくれたこと。

(B) この場合、右給料名目額、運転資金名目額、右無名目の金を合計すると結局、右現金プールに持参した現金から運営費等を控除した残額と一致し、その残額は常に全額返還していたこと。

(C) 右無名目の金を還元する場合は、事務員は右金を日報には書かないように説明しておつたこと。

(D) 右無名目の金の還元を受けた組合員は之を自由に生活費や営業に使用し、しかも営業に使用する場合は日報上では本来自己の手元にある金であるにかかわらず、之を借入金として計上したこと。

(4) 現金プールの事務をとつていたのは堀事務員や橋本事務員であつたこと。

(5) 鶴田は現金プールをやつてもその実質は現金プール前と同じことであり、結局は組合に運営費を支払うだけであることを認識していたこと。福貴島は給料は名目的なものであり前示無名目の金もふくめて組合に運営費を支払つた残額は自分の所有と思つており、自由に使用していたこと。竈は結局組合には組合費(運営費)を支払つていただけであると認識していたこと。林野は売上金を自由に使いこんでいて日報記帳額どおり現金がないために、現金プールのため第三者から一時現金を借用し、現金プール後その現金を返還していたこと。鶴田も売上金を自由に生活費に費用していたことは右林野と同様であつたこと。

などが認められる。

〔二〕 証人森田秀治の証言によれば、

同証人は日々の売上金を当座預金にしていたが、その口座には自分の他の個人の金も区別することなく預入れていたことが認められる。

第二、牛深地区

〔一〕 証人鈴木準三、佐々木アサヱ、的場文雄の各証言及び調書によれば、

(1) 牛深地区の現金プールの一般的実態は、前段認定の水俣地区の一般的実態と全然同様であることが認められるので之を引用する。(本地区では、組合が差引く金としては運営費、源泉所得税相当額、失業保険料などであつたことが認められる。)

(2) 前段(2)(3)のような場合の具体的方法についても、本地区の実態もまた水俣地区と同様であつたことが推認されるので、右認定を引用する。

(3) 本地区の現金プールの事務を処理していたのは事務員鈴木準三であつたこと。

(4) 佐々木は、当初から給料取りという考えはなく、売上金を自由に生活費に使つていたこと。的場は、給料や運営費についても前叙認定した益城屋旅館における説明会における森田等の説明のとおりであることを知り、自己の事業所の売上金を他の組合員に廻されたり、組合に吸収されたりするようであれば加入しないと考えていたこと。

(5) なお賞与を貰つたことになつているが、之を現金プールの日に小切手で還元することを実施しなかつたのは、そのようにすれば、各組合員がマイナスの者ばかりになるからであつたことが認められる。

〔二〕 証人鈴木準三の証言及び調書によれば牛深地区の事務員であつた同人は、

(1) 現金プールの具体的な方法を牛深の当時出張所長であつた原田正や牛深の役員達や水俣の事務員堀から教わつたこと。

(2) 第一の〔一〕(2)のような小切手による操作もまた前記の者から教わり、このように操作するのは表面上給料所定額を支払つているかの如くみせかけるためにやるものであることの説明も原田から受けていたこと。

(3) 組合員相互及び組合から組合員に対し、それぞれ実質的に融通補填される現金は全然なく、いわゆる現金プールの計算の結果は各組合員毎にのみはつきりしていたこと。

(4) 牛深は出張所でないので、徴収した運営費、源泉所得税相当額、失業保険料等の中から牛深出張所に必要な運営費を控除した残額を送金明細書と共に水俣地区の事務所に送金していたこと。

(5) 牛深でも現金プール明細書を作つており、その様式は上段に組合員の名前を横に列記し、左方に、売上金の受領、給料、経費、源泉所得税、失業保険、運営費、運転資金等の各欄があり、さらに差引「プラス」又は「マイナス」を書く欄も設けてあつたこと。

(6) 現金プールの日に各組合員より給料の受領書に押印してもらつていたこと。

(7) また同日組合員に給料支払明細書を交付していたこと。

(8) 前段認定のような残金が給料所定額に不足する場合と所定額どおりの小切手を当該組合員に渡す場合には、「決められた給料を小切手で渡すが、銀行から受取つたら組合に戻して呉れ」と説明していたこと。

この返還のことは現金プール表にはかかなかつたので、同表をみただけではわからないこと。

(9) 昭和27、1月末の現金プールで右認定のような実態から、このままでは疑われるだろうから怪しまれないように改良しなければいけないと感じていたこと。

などが認められる。

第三、本渡地区

〔一〕 証人布井寛治の証言によれば、昭和25、10年以降昭和26、10月迄本地区には組合員は布井一人であつて水俣支部に属していたが、遠方であり、やつても形式的であるという理由で、昭和25、9月迄と同様な方法で現金の管理、流通、還元の方法を実施していたが、第一項第一点で認定したように昭和26、11月頃に事業所が七、八ケ所になつて、本地区が出張所となつたのでそのときから現金プールを実施したこと。

〔二〕 証人島田兼重、武田新貝、松下森作、平島義令、村上新作の各証言及び調書並びに熊本相互銀行普通預金支払請求書用紙(証一三三六)の存在を綜合すると、

(1) 本地区における現金プールの一般的実態は、運営費等を差引いた残額全部を給料名目と運転資金名目でその金額を熊本相互銀行普通預金支払請求書用紙に記入して各組合員に交付し、組合員は之を銀行で現金化していたことを除いては、水俣地区、牛深地区の一般的実態と全く同様であることが認められるので右認定を本地区につき引用する。

(2) 現金プールに持参する現金から組合が事務所の費用や、法人税の引当として差引く運営費を差引いた残額が当該組合員の給料所定額より少額である場合には、

(A) 組合員は所定額の記載のある右支払請求書を貰い、之によつて銀行から現金を受取り、その中から現金プールに持参した現金から組合が差引いた額を控除した残額全部を給料名目で還元を受け、その金との差額つまり右残額を超過する現金は直ちに組合に返還していたこと。

(B) または、所定額に不足するままの残額全部を、給料名目で右支払請求書に金額を記載して交付をうけ之によつて銀行から現金を受取つていたこと。

(C) 以上、いずれの場合でも運営費等は必らず徴収したこと。

(3) 現金プールの事務をとつていたのは、長島、米岡、木浦の事務員であつたこと。

(4) 島田は、売上金を生活費につかつていたこと。武田は自己事業所の売上金を他事業所に廻されたりするなら加入するつもりはなかつたこと。平島は月末に給料所定額だけ現金がのこつたことがないので、現金プールには運営費等組合に実質的に支払う分だけ持つていて支払い、給料は、売上金が日報上残つているときに貰つたようにしていたが、之は給料は名目的なものであるからであること。武田は給料が名目的なものにすぎないことは第一回の現金プール(昭和27、11月末頃)ですぐ認識したこと。

がそれぞれ認められる。

第四、認定

(1) 牛深地区について第二において認定した事実は、証人鈴木準三は同地区の事務員であり、同人に現金プールの具体的処理を教えた原田正は同地区の出張所長であつたところから、右認定にかかる実態は特段の事情のない限り前叙各人に共通するだけでなく牛深地区全般の実態であつたことが推認される。

(2) 水俣地区については、証人鶴田は同地区発足当初から森田と共に組合員となり、昭和27、11、30迄加入していた古い組合員であり、また、証人鈴木は現金プールの方法について水俣地区の事務員堀から指導を受けており、その鈴木が処理した現金プールの前記実態は、前同様同地区全般の実態であつたことが推認される。

(3) 本渡地区についても、昭和26、11月から昭和27、4月迄は右水俣地区(当時支部)の管轄下にあつて、具体的事務の指導等を受けており、かつ第三で認定した実態は実質的には第一、第二の各実態となんら異らないところからすれば、前段認定の本渡地区の実態も前同様同地区の実態であることが推認される。

(4) 牛深地区においては、現金プール表を作成し、その末尾には計算の結果が「プラス」又は「マイナス」になる旨を記載する欄が設けられていたことが認められるが、之は、田川地区の支部勘定補助簿の末尾の(十)又は(一)の記載、及び隈府、鹿本地区の現金プール表、プール、カードの(十)又は(一)の記載の趣旨と全く同一に解すべく、牛深にてかかる記載の方法をとつていた以上、同地区を指導し、かつ同地区を少くとも一斉捜査後まで管轄下においていた水俣地区においても同様な方法がとられていたことは充分に推認されるところである。

(5) 本渡地区においては第一の〔一〕(3)及び第二の〔一〕(2)において認定したように無名目の金(小切手又は現金)の還元を受けたことを認定できる直接の証言はないが、しかしながら、第一の〔一〕(2)及び第二の〔一〕(2)において認定したように給料所定額に不足する現金を持参した場合、所定額どおりの小切手の交付を受け、その中から持参した現金(いわゆる「残額全部」)を超過する現金を事務所に返還する手段として普通預金に対する預金支払請求書を小切手と同様に使用していたのであつて、その場合組合に返還される現金は事務所の手持の現金ではなく、他の組合員の余剰金であることは明らかであり、かつ右現金は本組合としての記帳では返還した組合員の給料額として計上されるべき筋合のもので、返還を受ける組合員については組合の帳簿上及び日報上計上できない金であることは算数上明らかであり、また無名目の金の還元について既に認定した全地区についても同様な方法がとられていたのであるから、右余剰金が組合から当該組合員に還元されるときは給料名目でも運転資金名目でもないいわゆる無名目の金として還元されていたことは充分に之を推認することができるのである。

さればこの点についても本渡地区は水俣、牛深二地区と同一方法を実施していたものと推認される。

(6) 給料支払明細書(証一三三三―一~四二)は第一点において認定した分を除くと昭和25、10月分以降昭和27、10月分迄(途中ない月分が少々ある)存在し、いずれも一枚の小紙片であつて、鹿本、隈府地区と同様な体裁であることが認められる。しかし、証人鈴木の証言によれば既に認定したように、牛深地区においては現金プールの際に給料支払明細書を交付していたことが認められるが、それはこの証一三三三と同一の用紙体裁であろことが推認されるし、水俣地区においては、この明細書は現金プールの際に交付されていたものであろことが推認される。しかして右明細書に記載されている給料額は所定額であつて実質的に受領した残額でないことも明らかである。

(7) 給料支払明細表(証一二九四、証一三〇一)の記載、及び証人鈴木準三の証言によれば、右明細表は昭和26、1月より昭和27、3月迄の、水俣、牛深、本渡三地区の各組合員に対する給料所定額を支給したことを証明するためのものであろことが認められるがその用紙、形式は全く熊本地区の明細表と同じであろことが認められる。

第五 結論

右第一乃至第四において認定した各事実によれば本各地区の現金プールの実態は、各組合員が現金プールに持参する現金の多寡にかかわらず、組合事務所では、その中から運営費、源泉所得税相当額、失業保険料等実質的に受領する金額を徴収する以外は残額全部を当該組合員に還元し、かつその還元に際しては、右残額以上に組合から実質的に融通補填せず、従つて各組合員は給料の決定額等にかかわることなく、自己の事業所だけの売上金等の現金によつて、自己の責任と危険負担において営業を行い、生活費を賄つていたのであつて、すなわち、各事業所の損益は一切当該組合員個人に実質的に帰属していたにもかかわらず、本渡地区では預金支払明細書を水俣、牛深地区でに既に認定した多くの地区と同様に小切手を操作することにより、かつ、給料支払明細書を組合員に交付し、或は給料支払明細表を事務所に備付けることにより、恰も組合を主体として実質を具備した真の統一計算を実施し、各組合員の売上金に関係なく給料を所定額どおり支給していたかの如く仮装し、それのみならず右操作により各組合員に売上金を記帳から脱漏して収得することを組合は許容していたものであつて、このことは本各地区一般の実態であり、かつ以上の実態は本各地区の事務員及び現金プールに参加した全組合員が知つていたものであろということができるのである。

第三点 借入金処理の実態

〔一〕 証人鶴田松之助、的場文雄、島田兼重、鈴木準三の各証言を綜合すると、

水俣、牛深、本渡三地区とも

(1) 組合員がその事業所の営業資金に不足を生じた場合は、該当組合員自身の信用と責任により、第三者から必要な資金を借入れて仕入や支払等に使用し、元利は該当事業所の売上金から支払い、組合事務所が自己の金を組合員に融通したり組合事務所自体がその信用で借入金を斡旋したり、借入れて組合員に融通したりしたことは全然なかつたこと。

(2) の場合

(A) 右借入れた現金を一旦組合事務所に持つてゆき、組合から同額の小切手を提出して貰い、之を銀行で現金化して使用していたこと。または組合事務所と銀行を通さずに直接使用していたこと。弁済するときもいずれも同様にしていたこと。

(B) 右のいずれの場合も、借入れたときは日報の収入欄支部勘定に記載し、弁済したときは支出欄支部勘定に記載していたこと。利息は経費の明細欄に記載したこと。

(C) 組合事務所は(A)の前段の場合、組合員に借用証を入れていたこと。この借用証は組合員が弁済のため現金を事務所に持つて来た、同額の小切手を組合員に渡したときに事務所に返していたこと。

(3) 借入金を右のようにして処理することは、鈴木準三は水俣の事務員堀からきき、的場は南里から説明を受けたこと。

〔二〕 右のような借入金処理の実態は、既に認定した他地区の借入金処理の実態と実質において全く同様であろといえる。

第四点 結論

以上の事実を綜合すると、本各地区における現金の管理、流通、還元の実態は、水俣地区の発足以来、本渡、牛深地区の発足も含めて全地区が少くとも昭和27、12月迄は既に認定した七地区の各実態と本質的には全く同様であろということができるので、右認定を本地区の結論についても引用する。

第三項 加入時の資産処理の実態

第一 証拠

(1) 証人鶴田松之助、福貴島溜、島田兼重の各証言

(2) 証人平島義令、村上新作、的場文雄、林野寅市、竈元生の各証言及び調書

(3) 証人松下森作、佐々木アサヱの各調書

(4) 第一、第二項において認定した各事実

(5) 既に認定した七地区における各加入時の資産処理の諸事実

第二 認定

(1) 右鈴木を除いた各証人は、昭和25、6、1以降昭和27、10、31に亘り本各地区において本組合に加入のた組合員であるが、加入の際におけるその所有にかかる営業用資産の組合に対する処理については、形式上の手続について多少の異るところがあるものの、第八節第三項第二(1)乃至(3)において認定した八代地区の実態と全く同様であることが認められるので、同地区の認定を本地区についても引用する。

(2) 水俣地区においても買上証、借用証を事務所に保管していたことが認められるが、かかる保管の方法は、右八代地区の認定(4)と同一に論ずることができるので右認定を引用する。

(3) 牛深地区では鈴木が事務員になつてからは借用証を組合員に渡していなかつたことが認められる。

(4) 以上のような実態は第一項で認定した被告人森原春一をはじめ、各役員、職員の本組合についての説明の内容と合致することが認められる。

第四項 被告人等と本地区との関係

証人鶴田松之助、的場文雄、南里繁雄の各証言、連絡(証一三三二―二、証一三四〇―一一)の各記載を綜合すると、被告人上野盛雄は昭和26、3月頃水俣支部に事務指導に来ており、被告人森原春一は昭和26、8月頃水俣市で行われた水俣支部総会に出席しており、また昭和27年になつてから牛深地区に赴き、懇談会を催しており、その結果牛深地区は加入者が増加しており、また被告人渡辺実信も中尾俊男等と共に牛深地区に二、三回赴いて懇談会を催して説明をしておることが認められる。

第五項 結論

第一項乃至第四項において認定した各事実を綜すると、本各地区における各組合員の営業の実態は、実質的にも形式的にも、既に詳論した七地区の各実態と全く同様であろということができるから右七地区の結論として説示したところをそのまま本地区の結論として引用する。

しかして、右の如き実態については、被告人森原、同上野、同渡辺を初め本地区の役職員は勿論、本地区の全組合員が知つていたと断言することができる。

第一〇節 延岡出張所

第一項 本地区の設立の経緯、組織、及び被告人木下仙友、同森原春一を含む役員らの本組合の記明について

第一点 設立の経緯

〔一〕 結成準備

証人佐藤勝、出平政人、丸川伯司、牧野光男の各証言及び調書、証人内山勇一の証言によれば、

(1) 昭和25、4月頃、佐藤勝、馬場夘三郎、出平政人、内山勇一、三島太郎、古川万次郎、丸川伯司、竹内某、牧野光男、永野某等の間で企業組合を設立しようという気運があり、

(2) 同年4月中旬頃、延岡市の商工会議所で企業組合の結成準備会を催し、約三、四十名の業者が出席し、その席上佐藤勝が企業組合の説明をなし、

馬場夘三郎は共栄企業組合が小倉市に設立されていることを知つており、同組合の加入申込書、貸借対照表用紙、日報用紙、組合定款等を持つて、同組合のことにつき紹介し、

また右共栄企業組合に既に加入していた塩谷正一も右集会に出席し、本組合のことにつき紹介し加入をすすめ、

(3) そこで延岡地区のみで独自の企業組合を設立したがよいとするものと、本組合に加入したがよいとするものと意見が対立したこと。

が認められる。

〔二〕 被告人木下仙友の本地区来訪

(1) 証拠

(A) 証人森高殖の調書

(B) 金銭出納簿(証九四―一)の「加入金」の項目中、「昭和25、4、29に加入金を十六名分八、〇〇〇円専務理事木下氏に渡す。」との記載

(C) 事業所別出納個人別日記帳(証一六六二―九)の中「昭和25、4、29加入金延岡十六名八、〇〇〇円入金」の記載及び「昭和25、4、30旅費延岡出張木下一、〇六〇円支出」の記載、

(2) 右証拠から判断すると、昭和25、4、29前後頃、小倉から当時の本組合の専務理事をしていた被告人木下仙友が本組合の説明及び加入の勧誘に来たり、〔一〕に認定したような議論もあつたが、ともかく、本組合に加入するということになり、加入金として十六名分八、〇〇〇円を木下被告人に手渡し、

(3) しかしながら本組合の下部組織として運営するにしても、その具体的方法がわからないので結成準備会から佐藤、出平、被告人馬場夘三郎の三名が小倉の本組合本部を訪問し、説明を聴き、種々調査することにしたこと。

が認められる。

〔三〕 本組合本部(小倉)訪門

(1) その年月日

(A) 証人森高殖の調書によれば、同証人は右三名が小倉に来たときは、まだ小倉の本組合事務所にいたこと。右証人が福岡市の本組合事務所に転勤したのは、昭和25、5、12頃であること。

(B) 事務所出納個人別日記帳(証一六六二二―一〇)によれば「五月五日、会議費、延岡のための連絡会議支出三〇〇円」「五月六日、加入金、延岡田内シカヨ外四名、収入二、五〇〇円」なる各記載。

(C) 金銭出納簿(証九四―二五)の旅費欄、「五月二十二日、小倉。5、5―7、5―三日間旅費五、九一五円」なる記載。

(D) 旅費支給明細表(証一〇一―三八七)の「五月二二日、小倉。5、5―5、7馬場、出平、佐藤。事務連絡、五、九一五円」なる記載。

(E) 金銭出納簿(証九五―四一)旅費欄「五月一四日旅費仮払。小倉行、佐藤、出平、馬場、支出、一〇、〇〇〇円」「六月二二日旅費精算。佐藤、出平、馬場。五、九一五円」なる各記載。

右各証拠を勘案すると右三名が小倉の本組合事務所を訪れたのは昭和25、5、5~昭和25、5、7であつたことが認められる。

(2) 小倉における説明

証人佐藤勝、出平政人の各証言及び調書、証人森高殖の調書によれば、

(A) 被告人木下仙友と出会い、同被告人が小倉市魚町の本組合事勝所につれていつてくれたこと。

(B) そこで被告人森原春一に会い、同被告人から説明を聞いたところ、

組織を拡大して税金闘争をするようなことが主たる話題であり、企業組合としての経理の単一化、営業の一本化等に関する具体的なことは余り話題にならなかつたが、

(a) 本組合の組織を拡大し、組合員を多数獲得することは、被告人萩原の終結的希望であつて、本組合の傘下組合となれば、延岡地区協議会では対税務署関係はなくなり、各組合員の営業所には税務署がこなくなく、税務署が来たら共栄企業組合の看板をかけておいて組合本部で一括経理しておるから小倉に行つて調べてくれといえばよい。それで本部さえ強ければ税金闘争は楽だということ。

(b) 税金のことは中小業者の死活の問題であるから、之を標傍しておれば加入者を相当獲得できること。

(c) 事務としては日報を組合員にかかせて、それを集計して送つて呉れればよいこと。

(d) 積立金は地区協議会で使用してよいが、加入金と出資金は本部に送ること。

の説明を受けたこと。

(C) 森高殖は右三名に、被告人木下の依頼により日数の集計方法等具体的事務を教えたこと。

が認められる。

(3) 加入

前掲〔三〕(1)(3)及び(2)の各証拠によれば、

右三名は被告人森原春一の右説明を聴き、本組合の下部組織として運営することを決意し、さらに加入金五名分二、五〇〇円を支払つたことが認められる。

〔四〕 設立

前掲各証拠並びに組合員名簿(証八九―五四~五五)共栄企業組合延岡地区協議会運営規定(証八九―九四)によれば、

(1) 右三名は延岡に帰つて小倉における調査の結果を報告し、賛同を得、

(2) その結果、実際は昭和25、5月中旬であつたが、事業年度のかわる昭和25、4、1附を以つて延岡地区協議会の名称で、昭和25、4、1附に通つて加入した者一三名、昭和25、5、1に遡つて加入した者一二名計二五名、会長兼事務専従者を佐藤勝とし、事務所を延岡市船倉町に設置して発足したこと。

(3) 右設立にあたつては、本部から被告人上野盛雄が来て具体的な事務の指導を行い、その指導に基づき手続をし運営を開始したことが認められる。

第二点 組織

第一 沿革

被告人上野盛雄、馬場夘三郎の各証言、並びに事業報告書(証三〇三〇)、登記関係書類(証一七〇〇)、報告及び通知(証八九―一四)組合拡大状勢(証一〇二―五七)の各記載収文綴(証八九)の中、事務所の記載を綜合すると、

(1) 本地区は事実上は昭和25、5月中旬頃、形式上は昭和25、4、1附を以つて、本組合の延岡地区協議会として発足したことは第一点において認定したとおりであるが、昭和25、11、6附(事実上は昭和25、10、1)にて延岡支部となり、さらに昭和27、4、1附を以つて宮崎県支部管下の延岡出張所となり、

(2) 事務所は当初延岡市船倉町に設置されたが、まもなく同市柳沢町四六番地に移り、昭和25、12月中頃には同市博労町一〇〇一番地岩井方に移転し、ついで昭和26、3、1附で同市山下町三九六三番地に移りさらに昭和27、4月以降において同市瀬の口石飛方に移転し、一斉捜査当局同所にあつたことが認められる。

第二、役員

証人佐藤勝、丸川伯司、牧野光男の各証言、被告人馬場夘三郎の証言並びに登記関係書類(証一七〇〇)、総会、理事会議事録写(証二三七)、収文綴(証八九―三、四)の各記載を綜合すると、

(1) 佐藤勝は昭和25、5、8 第二回通常総会で理事に選任され、昭和25、11、20 本組合を脱退するまで、同地位にあり、また延岡地区協議会発足と同時に同会長に就任し、同時に事務専従者(常任)となり、支部になると共に支部長に就任し、前記脱退までその地位にあり、

(2) 被告人馬場は、昭和25、7月末頃、事実上佐藤勝と理事を交替(登記簿上は佐藤名義のまま)したが同被告人は昭和25、7月末事実上本組合を脱退(復帰後この期間を脱退と見做さないことにした)ので右理の件もそのままとなり、昭和25、12、22復帰し、翌日永野繁知についで支長部に就任し、昭和27、4、1の機構改革で宮崎県支部長及び延岡出張所長になつたこと。また復帰と同時に事実上理事の仕事に従事していたが、昭和26、2、20第四回臨時総会で理事に選出され、爾来一斉捜査後まで同地位にあつたものであること。

(3) 丸川伯司、牧野光男はいずれも一斉捜査当時、前後一年位延岡の副出張所長であつたことが認められる。

第三 職員

証人佐藤勝、丸川伯司の各証言、発文綴(証八八)、収文綴(証八九、九〇)の中事務員についての各記載を綜合すると、

(1) 昭和25年度中、佐藤等が脱退するころまでは、佐藤勝、花田某、津島絹江、新井春子、畦原目紗夫等がいたこと。

(2) 加藤亮は発足当初より少くとも昭和27年中までいたこと。

(3) 浜田エミ子、矢野エミ子、柳田某、林田某等も本地区の事務員を勤めていたことがあること。

が認められる。

第四、組合員

本地区各時期の組合員数は左のとおりである。

<省略>

第三点 被告人馬場夘三郎、及び役、職員の説明について

第一、被告人馬場夘三郎の本組合の具体的内容の説明について

〔一〕 その日時、場所と相手方、

(1) 証人田崎康雄の証言及び調書によれば、同証人は昭和26、11月同被告人方で同被告人から、

(2) 証人浜田虎雄、西谷実の各証言及び調書によれば、右両名及び松井清一は、昭和27、1、5 証人浜田方で、内山、事務員のいるところで同被告人から、

(3) 証人竹林トミ子の証言及び調書によれば、同証人は、昭和27、3月下旬頃、同証人宅に同被告人と事務員加藤が来たり、同被告人から、

それぞれ本組合の具体的内容について説明を受けたことが認められる。

〔二〕 ところで前掲記の各証拠によれば、右被告人馬場の説明の要旨は、

(1) 本組合は法人なので加入するとみんなの店舗は組合の事業所ということになる。

(2) みんなは組合の従業員ということになり、給料とりという立前になる。それで組合では月給を決めるので、税金は月給に対する源泉所得税だけ納むればよく、従来かかつていた事業所得税や事業税はかからなくなる。

(3) 組合の事業所とするので、従来所有していた商品、備品、什器の営業用資産は組合に引継いで貰うことになるが、之は法人組織だからそのようにすることになつているので即ち書類上そのようにするだけで、実際に組合で買取るわけではないから代金は支払わない。名義上組合の所有にするだけである。この際に預金、債権、債務も引継いでもらうことになる。

(4) 営業は従来どおり個人でやれるが、組合の事務所ということでやつて貰う。

(5) 月給を支給する形をとらねばならないので、売上金は組合の日報に書いて貰い、毎月一定の日にその日報上の手許現金残高を組合の事務所に持つて来て貰う。すると組合ではその中から運営費を控除し、残額は全部月給や、運転資金の名目でみんなに還元する。

(6) 加入に際しては加入金五〇〇円、出資金二、〇〇〇円を納めて貰う。

(7) 加入後は右のごとく毎月一定の運営費だけを組合運営のため納めて貰えばよい。

(8) 加入、脱退は自由である。

等であつたことが認められる。

第二、佐藤勝の説明について、

〔一〕 その日時、場所と相手方

(1) 証人三島太郎の証言及び調書によれば、同証人は昭和25、5中旬の加入に際し、佐藤勝から、

(2) 証人飛松利夫の証言及び調書によれば、同証人は昭和25、8月中頃、延岡市柳沢町の組合事務所で佐藤勝から、

それぞれ本組合の具体的内容について説明を聞いたこと。

(3) 証人佐藤勝の証言によれば、同証人は右三島、飛松の他にも加入の勧誘を行つたこと。

が認められる。

〔二〕 右各証拠によれば佐藤勝の本組合についての説明の要旨は、

(1) 組合は法人であるとの組合のあらかたの説明をして、月給を決め、一応之に書いて呉れといつて用意している加入手続に必要な貸借対照表、加入申込書等を渡し、之を記入せしめ、地区協議会で引継書を作り之に本部で理事長印を押捺して貰い、ついで日報の用紙を渡し、

(2) 加入申込者の中には営業用資産をそのようにして引継ぐと最後には組合に持つて行かれるのではないかと心配してその点を質す者もあつたが、それらの者に対しては、単に数字上書類上のことだけであるから心配なく、将来問題になることもないと言明し、

(3) 組合加入後の商売について質問する者に対しては、商売は現在のままで各自がいいように続けてよいが、数字だけは組合のものになるので数字を上げて呉れと答え、

(4) 売上金は日報に書いて、組合に出せば、組合の数字になるのだから、その数字によつて積立金と源泉所得税とを差引いて残りが組合の数字になり、(売上金は元々組合員個人のものであるから、売上金そのものが組合のものになるとは説明し得なかつた。)

(5) 加入中も営業は個人の営業であり、日報をつけるだけでよい。

(6) 毎月売上金の何歩かを積立金として出して貰う。

(7) 加入に際しては出資金二、〇〇〇円と加入金五〇〇円出して貰うが、脱退のときは出資金は全額返還する。

(8) 加入脱退は自由であり、脱退は、届一本出すだけでよい。

等であつたことが認められる。

第三、事務員加藤亮の説明について、

〔一〕 その日時、場所と相手方

(1) 証人藤川松蔵の証言及び調書によれば、同証人は、昭和27、4月初頃、組合事務所で同事務員から、

(2) 証人興梠覚の証言及び調書によれば、同証人は、昭和27、4月下旬同人宅で同事務員から、

それぞれ組合の具体的内容につき説明を受けたことが認められる。

〔二〕 右掲記の証拠によれば、同事務員の本組合についての説明の内容は、第一において認定した被告人馬場の説明の内容と全く同趣旨であつたことが認められる。

第四 結論

右第一~第三において認定したところよりすれば、昭和25年頃佐藤勝がなしていた説明と、昭和27年において被告人馬場夘三郎及び事務員加藤亮がなしていた説明とは、現金処理の方法に若干の相違はあるが、組合員個々の営業上の本質的な点においては全く同一であることが認められる。

しかして右三名ともに加入希望者に右のような説明をなしていた以上、本組合の具体的実態がその説明の通りであることを認識していたものであることは充分に之を推認することができる。

第二項 現金の管理、流通、還元の実態

第一点 本地区設立当初より昭和25、9月迄の実態

第一、一般実態

証人出平政人、丸川伯司、三島太郎、飛松利夫の各証言を綜合すると、

右期間における現金の管理、流通、還元の一般的実態は、

(1) 売上金、借入金等の現金は一切、加入前と全く同様に管理所持し、営業と生活に自由に使用していたこと。

(2) 組合事務所に対しては売上金に対する一定の%によつて算出される積立金、及び給料所定額に対する源泉所得税相当額、日報代、新聞代等の諸経費を支払うだけであつたこと。

(3) 右諸経費は、組合からとりに来たり、事務所に持つていつたりしていたこと。

(4) 右以外にいかなる名目においても組合員が組合に支払い、事務所が組合員に融通補填する現金は一切なかつたこと。

が認められる。

第二 給料積立金と日報の記帳について、

〔一〕 証拠

(1) 前段掲記の各証人の証言

(2) 赤田光信名義の日報昭和25、5月分~9月分(証二八〇〇―一~三、証二八〇一―一~六)、牧野光男名義の日報、昭和25、5月分、7月分(証二七九九―一、二)出平政人名義の日報、昭和25、5月、7月、8月各分(証二七九七―一~三)の「給料」「給料仮払」「積立金」の各記載

(3) 延岡地区協議会分日報昭和25、4月分(証二七八七)、昭和25、6月分(証二七八八)昭和25、9月分(証二七八六)の右(2)と同様な記載。

〔二〕 右各記載及び各証言を綜合すると、給料及び積立金に関する日報の記載とその実態とは、第九節第二項第一点第二において認定したところと全く同様であるので右認定を引用する。

ただし、右日報の給料、積立金の記載は、日報厚票においては例外なく、ペン字によつてカーボンによる原始記帳が訂正されていることが認められる。

第三 現金の管理、流通、還元の実態と日報の給料、積立金に関する記載との関係

〔一〕 証拠

(1) 証人出平政人の証言によれば、「加入してもなんら得にならない。加入中支払う諸雑費を計算すれば結局加入前と利益はかわらない。」との趣旨の供述

(2) 証人丸川伯司の証言によれば「日報の記載は、はじめは正確でない。生活費は給料のかたちで売上金から使用した。」なる旨の供述、同調書中、「結局給料を支払うということは名目であつた。」の趣旨の記載。

(3) 証人三島太郎の証言によれば、「加入前と加入後とは日報を書くことがかわつただけで加入前と全く同様に生活していた。売上金は自分のものであり、給料の決定は名目にすぎない。」「日報に給料の記載をするのも名目だけである。」「給料は日報の記載上貰つていたが、現実にはその都度使つていてその合計は所定額をこえていた。そのようなときは組合の津島女事務員が来て日報を書いてくれていたが、経費という名目で超過分を書いて操作していた。」との趣旨の供述。同調書中、「組合では日報を正確に書くように言つていたが之はそうしないと積立金額が減るからである。」「結局、組合には積立金を収めるだけであり、日報に書いて組合に渡したのも数字を渡しただけである。之は加入するときからの約束であつた。之は全組合員がそうであつたとの趣旨の記載。

(4) 証人飛松利夫の証言によれば、「給料といつても実際に現金を貰うわけではなく日報に書くだけであつた。」旨の供述。同調書中の、「売上金から〇・一%の積立金を払い生活はそののこりの収益でやつていた。給料は名目である。」旨の記載。

(5) 証人牧野光男の調書中の、「給料は生活が出来る範囲内で源泉所得税が高くならない額が至当と事務員にいわれそのように決めた。」旨の記載。

〔二〕 右各証拠によれば、日本上の給料支払の記載はなんら支払の事実を表示していないことが認められる。かつ、右各証人はいずれや給料額の決定は名目的なものであり、右の如く記載して記帳より落すことは、数字上だけのことであつて、売上金から毎日の生活費を支出することは無関係なものであることを知つていたものというべきである。

第四 事務員佐藤勝の右事務処理の実態

証人佐藤勝の証言によれば、同証人は前にも認定したように本期間中、組合の事務を処理していたものであるが、同証人は、右期間の各組合員の現金の処理につき次のように処理し且認識していたことが認められる。

(1) 売上金は店舗で保管していて事務所に渡すことはしなかつたこと。

(2) 月末に各組合員は手許にある日報の控で各人が自分で積立金を計算し、その積立金だけを組合に持つていつて支払つたこと。

(3) 給料は決つていたが、組合から現金はやらず日報から月給額をおとさせていた。つまり組合は、給料という名目の数字だけやるわけであつたこと。

(4) 日報の落し方としては、その月の二五日から三〇日の間に落させていたが、その前でも必要なときは仮払いでおとすこともあつたこと。

(5) 初めのころは、月末に月給を日報に書くことだけが他の日の日報の記載と違うだけで運転資金などというものはなかつたこと。

(6) 給料は少く決めるように本部から指示があつていたのでそのように決めたこと。

(7) 給料支払明細書又は給料支給表を各組合員の間を廻して、給料を受領したというしるしに組合員及び従業員各自に押印させ、そのときにメモを交付し、源泉所得税相当額を徴収していたこと。

(8) 本組合の組合員は個人の責任と信用で、借入金をして資金をつくり、営業をしているのであるから、その売上金は個人の金である。だから日報に数字は計上されても、売上金は組合員のもののままであり、組合のものになるとはいえないこと。

(9) 要するに各組合員は加入前と同様に個人営業を継続しており、企業の合同はしていなかつたこと。このことを佐藤は勿論被告人馬場を初め本期間に本地区に所属していた全組合員は充分に知つていたこと。

を認めることができる。

第五、領収書(証二八一五)

右領収書の控を検討すると、積立金、源泉所得税相当額、日報代についても領収書を交付していたことが推認される。

第六 結論

以上認定した各事実を綜合すると、本地区の本期間に所属した全組合員は、本組合に加入後も、加入のときの組合との約束に従つて、月給の所定額の如何にかかわらず、加入前と全く同様に個人の信用と危険負担において営業を継続し、売上金から生活しており、すなわち、その組合員の店舗又は工場から生ずる一切の損益はその組合員個人に実質的に帰属していたものであるところ、組合は各組合員に日報の記帳から給料名目で所定額を数字上落させ、給料支給簿等に恰も給料を支給したかの如く押印せしめて給料を支給したと称していたのであつて、組合員は事務所に売上金に対する一定率の積立金と、給料所定額に対する源泉所得税相当額のほかに日報代、新聞代等の諸経費等を支払い、事務所が右支払に対し領収書を組合員に渡す以外には、組合員が支払うべき現金も、事業所が融通補填すべき現金も全然なかつたのであつて、各組合員に給料支払明細書をも交付することをしなかつたものであることが認められるし、結局、各組合員は、加入前と同様に、実質的には個人営業を継続して実施しており、日報の給料の記載も給料支払簿の押印も形式的なものにほかならないことは被告人馬場夘三郎、佐藤勝を初め本期間の全組合員が充分に認識していたものであると断定することができる。

第二点 昭和25、10月以降昭和27、11月頃迄の実態(いわゆる「現金プール」の期間)

第一、昭和25、10月以降昭和26、11月頃迄の実態(いわゆる「数字だけの現金プール」の期間)

〔一〕 証拠

(1) 証人佐藤勝の証言及び調書により認められる、

(A) 佐藤勝は第一点において認定したような現金の管理、流通、還元の実態が、実質的には勿論、形式にも企業合同の態様を具備していないことを認識し、昭和25、8月頃後になつて(後述)本組合がしたような現金プールをすることを提案したが、各組合員は、自分の金と他人の金とが混同されては困るとの理由で否決されたこと。

(B) 昭和25、8、9頃本組合専務理事岸本真が本地区に来たときに、佐藤は岸本に対し、実質的には、各組合員個々の営業であつても、現金プールをやれば、表面上は企業合同の形を整えることができるので税務署に対しても都合がよい。だから現金プールをやるべきである旨を申し述べ、それがための支部設置を要請していること。

(C) その後第十四回理事会、第一回支部代表者会議等の申合せ(以上の点については、後に詳論する)等を経て本組合として全地区において現金プールを実施することになり、昭和25、10、1を以つて実施のときと定めたこと。(この点については既に京築地区等で詳論したところである。)

(D) しかしながら、本地区においては、既に認定した他地区のようにいわゆる現金プールすることは、右佐藤が脱退した昭和25、11月頃までは行われないで、第一点において認定したような現金の管理、流通還元の状態を継続しており、ただ右佐藤は各組合員の提出する日報の数字のみにより、収入、支出各欄の支部勘定の各記載につき既に他地区で認定したような記載方法を行い、その数字を操作することによつて、いわゆる数字だけの現金プールを実施していたにすぎなかつたこと。(証人佐藤は本組合が全体として現金プールを実施する以前、つまり昭和25、9、31以前において、本地区では既に右のような数字だけの現金プールを実施していたように述べているが、既に各地区で認定したように、支部勘定欄が設けられたのは日報が横書様式になつてから即ち昭和25、10、1からであること。その上に本地区の昭和25、10、月分日報(証二七八五―一~七一三)を検討するに、同10月分につき横書要式の日報を使用しているのは、本地区の組合員中約半数程であつて、他は従前の縦書要式の日報を継続して使用しており、それらには証人佐藤の供述にかかるような記載はなんら認められないこと。従つて右佐藤の数字だけの現金プール実施の時期についての証言は採用できない。)

(E) しかして、本組合の実態が、各組合員が加入に際して第一項において認定したような説明を聞き、それに基いて、本組合に対する認識をその説明のように抱き、かつ第三項で認定するような加入手続を経て加入し、右迄に論じたような現金の管理、流通、還元を続継しているものである限り、その実態の発展的改良、つまり実質的な企業合同をするということは全く不可能であつて、根本的な改革と認識の変更がない限り、到底実質をともなつた現金プール、つまり組合を主体とする統一計算を実施することは不可能であつたことを右佐藤は認識していた事実。

(2) 共栄企業組合延岡支部の事業所事務規定(支部印、佐藤印あり)(証八九―二八)及び事業部事務処理要領(証八九―二九)により認められる。右規定及び要領は昭和25、10、1から実施さるべく定められたと推認されるところ、右いずれにも、各事業部は月一回備付帳簿をその日の現金と共に事務所に提出し照合しなければならない旨の条項があるところから、いわゆる現金プールを昭和25、10月から実施し、現金を事務所に持つてゆくことは、本地区の各組合は認識していた事実。

(3) 昭和25、11、20附、被告人上野盛雄から本地区に宛てた手紙(証九二―一―二三~二七、証九八―一二~一六)により認められる、被告人上野は支部代表者会議の結果を本地区に報告しており、そしてその決議の中で重要である点を列記し、その一つとして、

「(三)統一計算の件(現金プール)

毎月末各事業所の現金残高を各支部に吸収し、給料を支払い組合の運営費を差引いた残額を回転資金として各事業所に廻す。その際に回転資金は必らず銀行を通すこと」として現金プールの方法を教えている事実。

(4) 昭和26、9、25附被告人上野盛雄から本地区事務員加藤に宛てた手紙(証九七―一一四~一一六、証九二―一―一~三)により認められる。右手紙は加藤の質問に対する返事であり、その中に、

「三、現金プールの件、

前日の八幡企業組合における事務責任者会議で討議された通りです。

やり方は先ず各自の日報を計算して、月末に現金残がいくらあるかだします。その現金を支部事務所に持つて来て貰い、そこで積立金等を計算して残額を支部a/cとして事業所(運転資金)へ返します。その際給料を計算し源泉税を差引いて本人に支給します。その全部を支部として計上したらよいわけです。」なる記載。

(5) 事務員加藤から本組合本部宛の手紙(証九一―一―一四)の記載。

(6) 昭和26、10、23、被告人馬場卯三郎から被告人上野盛雄宛の手紙(証九一―一―六~一〇)

(A) 「現金プールに現金を持つてくる方法はまだ実行されていませんが今月から極力実行するよう努力します。」

(B) 「給料の月二回位の前払(内払、仮払)を認めて貰らいたい。現金プールの折月末に多額の現金を用意しておることは仲々苦しい。ほとんど今の業態で不可能に近い。甚だしい人は給料五万円も三万円もの人がある。そんな現金をプールにもつてくることはできない。実状は給料を何回も分割払しているし住込みの店員の場合は毎日の生活費が給料となつているから毎日給料を払つていることになる。だから各事業所はまとまつた金を月末までに保存することは困難である。」

旨の記載。

(7) 被告人上野盛雄から被告人馬場卯三郎宛の、昭和26、10、8の手紙(証一二一―八四)により認められる、

(A) 被告人上野が本地区に来て昭和26、10、2に福岡に帰つて来たこと。

(B) 未収金(証一二一、証九七、証九八、証九九、等の各書類綴によれば、本地区においては積立金の滞納が多額にのぼり、本部でも問題にしていたことが認められるので、この未収金とは積立金等組合事務所が組合員から現実に徴収する諸費のことを指していると推認される)は現金プールを完全に実施すればなくなることを教えている事実。

(8) (6)記載の手紙に対する被告人上野の返信と認められる、昭和26、10、30の手紙(証九七―一―三、証一二一―八)の

(A) 積立金の滞納があるようだが、現在このようなことは他支部ではない。これは現金プールが形式的に行われていたのと、組合員に積立金は納めるだけ損だという悪習が残つているためだと思われる。

(B) 給料の二回払の件については、原則として翌月初め一回になつているが、支部として十五日と月初め二回に支給して差支えない。その場合は面倒でもプールの形式をとつて給料を払つた(仮払でなく)としておくこと。

なる旨の記載。

(9) 赤田光信名義の日報昭和25、11月12月分昭和26、1月~11月分(証二八〇〇―一~三、証二八〇一―七、証二八〇二―一~一一)鴨林弁治名義の日報昭和26、10月~12月分(証二八二〇―一~三)内山勇一名義の日報、昭和25、11、12月分、昭和26、1月~3月分(証二七九六―一~五)、丸川伯司名義の日報昭和25、11月12月分、昭和26、1月~3月分(証二七九八―四~八)の各支部勘定の記載。

(10) 証人丸川伯司の調書により認められる現金プールにおいて現金を実際に事務所に持つてゆくようになつたのは、昭和26年からであつた事実。

(11) 第一点において認定した事実。

〔二〕 認定

右各証拠によれば、

(1) 本地区の昭和25、10月乃至昭和26、11月頃迄の現金、流通、還元の実態は、既に認定した他地区と異り佐藤勝の言を借れば、いわゆる数字だけの現金プールを繰返していただけであつて、日報の支部勘定欄に事務所への送金として数字は記載するが単なる記載のみで、現金は依然として、従来どおり各組合員が各事業所で管理しており、その融通、還元の実態は、右以外の諸記帳も含めて第一点で認定した事実と全く同様であることが認められる。

(2) 右のことは被告人馬場から被告人上野に知らされており、右両被告人はこの延岡地区の右実態を充分に知つていたことが認められる。

第二、昭和26、12月以降昭和27、11月頃迄の実態(一般的「現金プール」の期間)

〔一〕 現金プールの一般的実態

(1) 証人丸川伯司、塩月徳太郎、竹林トミ子、藤川松蔵、興梠覚、富山満、浜田虎雄、飛松利夫、田崎康雄、西谷実の各証言及び調書を綜合すると、

本期間の現金プールの一般的実態は、

現金プールには、日報と、その前日の日報上の手元現金残額を組合事務所に持つてゆくと、組合はその現金の中から組合が差引くべき運営費、日報代、新聞代、源泉所得税相当類等を差引き、残額全部を給料名目又は運転資金名目若しくはその両方の名目で、当初は現金で後には小切手で当該組合員に還元していたのであり、

(2) 右実態は第一において挙示した被告人上野が加藤に教示した現金プールの方法と同一であることが認められる。

〔二〕 日報記帳の手持現金残高額と実際の手持現金の不一致について。

(1) 証人竹林トミ子、藤川松蔵、浜田虎雄、西谷実の各証言によれば、

現金プールの日に、日報記帳どおりの現金残高は実際には手許になかつた。それは売上金から自由に生活費を支出したり、日報に書けない支払をしていたからである。だが現金プールのときには記帳額どおり持つて行くことになつていたので、第三者から一時現金を借りて、記帳額に現金を合わせて持つて行き現金プール後、右借入金を第三者に返していたことが認められる。

(2) 右のような実態は、第一に挙示した被告人馬場の手紙及び後述する諸実態から推して、現金プールにおける特異な現象ではなく、相当数の組合員に共通していたことが推認される。

(3) だから、本地区の現金プールでは既に論じた八代地区のように(同地区では「名目プール」と「実際プール」とあつた。)右不一致のまま現金プールに現金を持参するものはなかつたといえるが、右両者が一致していたということは記帳額どおり常に現金を保管していたことを表わすものではなく、却つて(1)のように現金の不足を弥縫的な手段で糊塗していたからであり、保管にかかる現金が自己の所有であることの認識があればこそかかる手段を弄して辻棲を合せていたにすぎなかつたということができるのである。

〔三〕 現金プールに持参した現金が給料所定額に不足する場合について

証人塩月徳太郎の証言及び調書、証人丸川伯司、藤川松蔵、富山満、浜田虎雄の各調書並びに賃金台帳(証一五四)昭和27、3月分現金プール表(証二八〇八)当時小切手帳(証二八〇九~証二八一三)の各記載、及び同記載に対する証人内山勇一、山崎梅八の各証言を綜合すると、

(1) 持参した現金から事務所で運営費、日報代、新聞代を徴収し、残額全部をそのまま小切手で当該組合員に還元していたこと。

(2) その還元する小切手額は給料所定額に不足するまであることは勿論だが、この場合、内払、前払、仮払等ですでに給料名目額を日報上落して(支出欄の支部勘定に記載)現金を使用していた場合もあるのであるが、その額を現金プールのとき精算して、なお所定額に右残額が不足する場合、右小切手を給料名目(右精算した場合は給料残額名目)で還元されたときは結局、所定額に不足するままの給料名自額を支給されたという形式になつていたこと。

(3) また右小切手が運転資金名目で還元され(この額は日報上収入欄支部勘定に記載される)給料名目額については全然支給の形をとらない場合もあつたこと。

(4) 右(3)の場合は給料名目額は、全く内払、前払、仮払(いずれも日報上支出欄支部勘定でおとす)で、各組合員が現金プール実施以前に行つていたと同様に売上金から直接使用する方法にまかせられていたか、または日報上の手許現金残高が給料所定額に見合うようになつたときに、その現金を事務所に持参し、給料所定額の小切手を以つて還元されていたこと。

(5) (2)の場合でも不足する分は、現金プール後に、右(4)の各方法によつて補つていたこと。

が認められる。

〔四〕 賃金台帳と給料支払明細書について

証人塩月徳太郎、竹林トミ子、藤川松蔵、浜田虎雄、西谷実の各証言、証人飛松利夫の調書、並びに賃金台帳(証一五四)の各記載を綜合すると、

(1) 賃金台帳の給料の記載は所定額であるが、現金プールのとき、その受領印欄に各組合員は押印していたこと。

(2) 昭和27、8月頃から給料支払明細書と称するものを現金プールのとき各組合員に交付するようになつたが、それまではかかるものを交付することなく唯前掲賃金台帳に押印するだけであつたこと。

(3) 賃金台帳は、昭和27、1月分から昭和27、12月分迄で各組合員毎に(本項ですでに挙示した証人で組合員である者の分もすべて存する。)一枚になつた表であつて全組合員につき給料所定額どおり支給され、そのとおり受領した旨の押印があること。

(4) なお賃金台帳中、明らかに組合員と推認される六四名につき検討すると、源泉所得税がかかるような額に給料を決められている者はその内二一名であること。

が認められる。

〔五〕 本期間における現金の管理、流通、還元の実態に対する各組合員の認識。

(1) 証人丸川伯司の証言によれば、給料とは結局名目的なものであつたこと。

(2) 証人塩月徳太郎の証言によれば、給料は形式だけであるからどうでもよいと考えていた。雇人の給料も名目的なものであつたから、組合で決めたとおりには支払つていなかつた。給料は貰わぬが、もらつたような給料支払明細書だけ受取つていたにすぎない。結局個人営業を継続していたことは間違いないこと。

(3) 証人竹林トミ子の証言によれば、売上金は自分の所有である。昭和27、10、31で脱退したのは、個人営業であるのに現金プールするだけ面倒であつたからであること。なお同証人の調書によれば、給料の決定は安すぎると名目的であることがわかつてしまうので、生活が一応できると考えられる程度で源泉所得税のあまり高くかからない額に決めたこと。

(4) 証人藤川松蔵の証言によれば、日報に記載しない売上金があつたのでそれで生活した。個人営業だと考えたこと。同証人の調書によれば、給料所定額だけで生活するなら加入しない。給料については組合と日報だけで決済したにすぎない。日報上現金残高のあるときに給料をおとした。しかしないときはどこまでも繰越していたこと。

(5) 証人富山満の証言によれば、給料とは数字だけのことで実際に貰つたことはない。給料は生活できない額に決まつていたこと、同証人の調書によれば売上金を生活費につかつたこと。

(6) 証人浜田虎雄の調書によれば、自分の努力で得た利益を全部組合に渡す馬鹿なことはやらぬと考えていたこと。

(7) 証人飛松利夫の証言によれば、再加入したのにまた脱退(昭和27、2、1~昭和27、8月)したのは、組合のやり方が良心的でなかつたからである。つまり本当の組合なら現金を統一すべきであるの単に帳簿上でごまかしているに過ぎない点などがあつたからであること。

(8) 証人西谷実の証言によれば、給料は名目的だから源泉所得税がかかつても高くない範囲で決めた。生活費は売上金から自由につかつた。之は給料とりになつたという気持はなかつたからであること。

が夫々認められる。

〔六〕 昭和27、3月分現金プール表(証二八〇八)の記載について、右表の記載様式は左のとおりである。

(様式)

<省略>

(1) 現金プールした組合員数…47

(2) A=B+C+D+d であつてB、C、の記載があるもの…17

(3) A=B+D+d であつてCの記載のなきもの…23

(4) A=D+d であつてB、Cの記載なきもの…3

(5) d だけのもの…1

(6) A=D+d でB、Cの記載なくD未納なる者…1

(7) A=B+C+D+d でCの未納なるもの…2

(8) 支部長印欄には、被告人馬場卯三郎の押印がある。

備考 証人内山勇一の証言により、「期首資金」とは運転資金のこと。「プール」とは運営費のことであることが認められる。

〔七〕 認定

右〔一〕~〔六〕にて認定した各事実を綜合すると、本地区の本期間における現金の管理、流通、還元の実態は、現金プールの日に現金を組合事務所に現実に持参するようになり、昭和27、8月から給料支払明細書を交付するようになつた点を除いては、実態も記帳も第一〔二〕の認定と全く同様であつたことが認められる。

かつこのことは被告人馬場卯三郎を初め本地区の現金プールに参加した全組合員が知つていたことが認められる。

第三点 借入金処理の実態

証人丸川伯司、田崎康雄、内山勇一の各証言、証人浜田虎雄、西谷実の各証言及び調書を綜合すると、

(1) 本地区において、営業用資金を組合員が第三者から借入れ、又弁済するについての現金の流通及び還元の実態及びこれに対応する組合及び各組合員の帳簿の記帳の仕方は第九節第二項第三点〔一〕(1)(2)((C)を除く)において認定した水俣、本渡地区の実態と全然同一であることが認められるので、右認定を本地区につき引用する。

(2) しかして事務員加藤亮は借入金については右のような、つまり組合事務所が営業資金を融通補填したような形式をとらねばならないことを組合員に説明し、その説明に基いて右のように処理していたことが認められる。

第四点 結論

右第一点乃至第二点において認定した各実態を綜合すると、本地区における昭和25、4、1(事実上は昭和25、5月中旬頃)以降昭和27、11月頃迄の現金の管理、流通、還元の実態は、現金プールを実際に実施するようになつた時期と、現金プールにおける現金と記帳の操作が現金プール実施前とほとんど同じであつた点を除いては、既に説示した八地区の結論と全く同様であるということができるから、右各説示を本地区の結論につき引用する。

第三項 加入時の資産処理の実態

第一 証拠

(1) 証人佐藤勝の証言により認められる、

(A) 右佐藤勝は本地区の発足当時から昭和25、11、20に脱退するまで、本地区における加入者及び脱退者の資産の処理を組合側として担当していた事務員であること。

(B) 発足当初は唯とにかく、その所有にかかる営業用資産を棚卸をして棚卸表をつくり、債権、債務、手持現金があれば、それらも計上して貸借対照表を作成し、それらの資産を一切無償で組合に移譲した形にしたこと。しかしながら代金弁済の問題があつて結局右資産を組合が買上げるという形にしたこと。

(C) そして組合は真実に買取る意思はないが、本部で発行していた買上証と称する用紙に、事務員津島絹江をして右資産中棚卸資産額を書かしめて組合員に交付し、また同じく借用証という用紙に右買上額と組合に引継いだようになつている現金の合計額を書かしめて交付し、以つて営業用資産を買上げ、その代金は組合が借用しているという形式を整えていたこと。

(D) しかしながら佐藤は、各組合員が組合本部に提出した貸借対照表は紙切れ一枚の誠に不合理なものであり、買上証も借用証も形式的でさえ裏付のない書類であるから、表面上の形式的なものをかためねばいかぬと思い、少くとも書類上だけでも法人としての態勢を整えないと、税務署に対しても変だし、一応の節度をつけたいと思い、同一が資産の引継ぎ証明書や之に関する一切を発案して延岡地区協議会で作り、昭和25、8月に本部にいつた際に被告人森原春一に右趣旨を説明し、同被告人もその旨を諒承して、右佐藤の作成にかかる書類に理事長の印を押捺し、又は佐藤が借りて押捺し、佐藤は右書類の発行月日を各組合員の加入したことになつている年月日に遡らせて、之を一部各組合員に交付し、一部を本部に、原本を本地区事務所においていたこと。

(E) 買上証、借用証はいつ本部から来たかわからぬが少くとも右引継証明書より前に発行していたこと。

(F) 代金の決済は何もしていないこと。

(G) 佐藤の在任中は店舗、工場につき組合と組合員間で賃貸借契約を結ぶようなことはせず、家賃を経費として日報上おとすようなことはなく、組合から家賃を貰うようなことはなかつた事実。

(2) 証人丸川伯司、三島太郎、塩月徳太郎、藤川松蔵、興梠覚、浜田虎雄、飛松利夫、田崎康雄の各証言及び調書、

(3) 証人竹林トミ子、鴨林弁治の各証言、

(4) 証人牧野光男の調書、

(5) 本節第一、第二項において認定した各事実、

(6) 第二節乃至第九節において認定した資産処理の各事実、

第二 認定

手続的な面で、昭和25年8月頃に引継証明書を作成し、被告人森原春一がその作成の趣旨を諒承して理事長印を押印し、右証明書を各組合員に交付した点を除いては、本地区の発足当時から少くとも昭和27、7月に到るまでの間に加入した本地区の組合員は、加入の時期は異つていても、且右手続についての認識の程度に多少の深浅はあつても、実態と手続の本質においては、既に認定した八地区の加入時の資産処理の実態と全く同様であることが認められるので、右各地区について論じた認定を本地区についてすべて引用することにする。

第四項 結論

等一項乃至第三項において認定した各事実を綜合すると、本地区における営業の実態はその実質においても形式においても、既に詳論した八地区の各実態と全く同様であるということができるから、右各結論を本地区についても引用する。

かつ、被告人馬場夘三郎、同上野盛雄、同森原春一を初め本地区の役職員及び全組合員は右実態を知つていたものであるということができる。

第一一節 都城出張所

第一項 本地区の設立の経緯、組織及び役職員の本組合の説明について、

第一点 設立の経緯

〔二〕 証拠

(1) 証人佐藤勝、出平政人の各証言、

(2) 証人梅北武彦、田中武輝の各証言

(3) 証人中村徳一、竹松謙次の証言及び調書、

(4) 「共栄企業組合に加入しませう」と題するビラ(証一六七―九、証九六―一四五)の各記載、

(5) 加入申込書綴(証一五七―一~二四)の各記載、

(6) 金銭出納簿(証九四―二五)の中「昭和25、5、23、都城行、佐藤勝五〇〇円支出」の記載、

(7) 都城支部設立報告(証八九―一七二)

〔二〕 認定

(1) 昭和25春頃、梅北武彦は北九州からの連絡で小倉市に本組合が設立され運営されていることを知つており、竹松らに対し本組合に加入すると税金が軽くなることを説明、北九州から送つて来た小本を見せたこと。

(2) その後、宮崎県北諸県郡山田町中霧島三二一九の梅北武彦方に竹松謙次、田中武輝、横山重雄、永山満夫等が集り、その席上で梅北は(1)と同様に本組合のことを話し、同地区でも本組合の組織を設立することを勧めたこと。

(3) 昭和25、5初頃、梅北は延岡地区で設立を世話し、その会長となつていた佐藤勝に本地区に来て本組合の具体的内容についての説明を頼んだこと。

(4) 昭和25、5、23頃右梅北方で説明会を催し、加入希望者が二〇~三〇名出席し、延岡地区から佐藤勝、出平政人が出席し、主に佐藤が本組合の具体的内容について説明したこと。

(5) 右佐藤の具体的説明の内容は、

(A) 佐藤は右梅北方の説明会で延岡から持参した「共栄企業組合に加入しましよう」と題するビラを出席者に配布して、それにつき説明したが、梅北証人に展示された「証一六七―九」と「証九六―一四五」はいずれも表面末尾の各地区の記載から勘案して佐藤が配布したビラと同一とは解し難い。しかしながら、第九節水俣地区の第一項第三点、第四、(4)において説示した「証一二九二―二九」と表面全文同一の同題名のビラ「証六三三―一九」(同一紙証一七六〇―八七、証二六一七―三、証二五六二―三一、証二五六四―二五)は同紙末尾の地区の名称から判断して右佐藤が説明した頃既に作成されていたビラであることが認められ、同ビラより前に同題名のビラが作成されていたとは認められないところから、右「証六三三―一九」と同一文のビラが配布されたこと、従つてそのビラの内容は第九節第一項で掲記した「証一二九二―二九」と同一文字であることが推認されること。

(B) 右説明会の前後頃右佐藤は第一〇節第一項第三点第二において認定した内容の説明を繰返していたこと。

(C) 後述するように右説明会の前後頃、梅北武彦は右(B)と同一の内容の説明を加入希望者にしていたこと。

(D) しかして右(B)(C)の内容は本質的には(A)のビラの内容と同一であるということができること。

(E) よつて、前掲各証拠と右(A)乃至(D)の各事実によれば、右説明会における佐藤の説明の具体的内容は同人が延岡で行つていた説明(右(B))や梅北の説明(後述)と同趣旨のものであつたことが推認されること。

(6) その後、二、三回前記(2)の者及びその他四、五名の者が、梅北方に集り、都城地区の設立を相談し、その結果、税金にも生活にも苦しんでいる人々だけ二〇名が加入することになつたこと。

(7) 昭和25、5、25頃二〇数名の加入者が連名で昭和25、5、1附で加入届を出したこと。

(8) よつて、昭和25、5、1附で都城地区協議会の名称で、事務所を右梅北方に設置し、組合員二二名で会長に右梅北武彦がなり、当初の事務員には、梅北方の看護婦早迫美智子がなり、本地区は発足したこと。

が認められる。

第二点 組織

第一 沿革

被告人上野盛雄の証言、証人梅北武彦、竹松謙次、小野総一郎、又木浅蔵の各証言、総会理事会議事録(証二三七)移転通知(証九六―四)の各記載によれば、

(1) 本地区は事実上は前記の如く昭和25、5、25頃、形式上は昭和25、5、1附で本組合都城地区協議会として発足、昭和25、11、6附(事実上は昭和25、10、1頃)で都城支部となり、さらに、昭和27、4、1附を以つて宮崎県支部都城出張所となつたこと。

(2) 事務所は発足当初から昭和27、8末頃迄前示梅北方にあつたが、ついで昭和27、9、15日都城市松元町三三五二又木浅蔵方車庫二階に移転し、昭和27、12月頃迄同所にあつたこと。

第二 役員、職員

前掲の各証拠によれば、

(1) 梅北武彦は本地区の発足と同時に、地区協議会長となり、前示のように組織の変革につれて、都城支部長同出張所長に就任し一斉捜査後までその地位にあり、また、一方昭和26、2、20第四回臨時総会で監事に選出され、昭和27、5、25第七回定期総会で重任し、一斉捜査後までその地位にあつたこと。

(2) 事務員は、発足当初は前示のように梅北方看護婦早迫美智子がなり、その外に梅北方に同居していた外山辰夫も手伝い、ついで梅北の妹梅北トキ子(後八代地区事務局長斎藤平の妻となる)がなり、昭和26、9月から昭和27、3月迄小野総一郎がなつたが他に就職したためついで本野重人夫婦がなつたが不馴れであつたため、昭和27、4月~昭和27、9月初め頃迄小野総一郎が再び事務を処理し、ついで金丸陽一がなつたこと。

が夫々認められる。

第三 組合員

本地区各時期の組合員数を左の如く認定する。

<省略>

第三点 本地区の役員、職員の説明について、

第一 梅北武彦の説明

〔一〕 その日時、場所と相手方、

(1) 証人竹松武雄の証言及び調書によれば、同証人は都城地区協議会が発足するころ、右梅北方の集会で、右梅北から、

(2) 証人池田三子の証言及び調書によれば、同証人は同じ頃梅北方及び池田方で梅北及び早迫から、

(3) 証人石崎杉夫の証言及び調書によれば、同証人は昭和26、11月末頃、右証人宅で梅北及び小野総一郎から、

(4) 証人小野とみ子の証言及び調書(当房とみ子名義)によれば、同証人は昭和27、2月頃、右梅北方で、梅北から、

(5) 証人又木ミギ、又木浅蔵の各証言及び調書によれば、同証人等は昭和27、5月頃、右梅北方で、梅北から、

それぞれ本組合の具体的内容について説明を受けていたことが認められる。

〔二〕 説明の内容

右掲記の証拠によれば、右梅北武彦の説明の要点は、

(1) 加入すると組合員は組合の月給取りということになり、税金は給料に対する源泉所得税だけ納むれば、よく、従来課せられていた事業所得税や県税等はかからなくなること。

(2) 加入にあたつては、各人が所有していた営業用資産を組合に買上げて貰う(又は引継いで貰う)が、之は形式的に書類上だけそのようにするのであつて、真実に買上げるのではないから代金は払なわい。脱退するときは、いつでもそのときのままの状態で全部書類上返すこと。

(3) 組合に対しては、日報を書いてだすこと、組合の運営のため組合費(又は積立金、運営費)を支払つて呉れるだけでよく、営業(仕入、販売、売上金の使用など)は加入前と同様に個人でやれること。

(4) 加入脱退はいつでも自由にできること。

(5) 加入するには加入金五〇〇円、出資金一口五、〇〇〇円のうち二、〇〇〇円を支払つて貰う。脱退のときは加入金は返さないが出資金はだしただけ返すこと。

(6) 加入すると法人の営業ということになるから、個人営業の廃業届を関係官庁に出して貰う。

などの趣旨であつたことが認められる。

第二 その他の役員、職員の説明について、

〔一〕 その日時、場所と相手方

(1) 証人鮫島益男の証言(二回)及び調書、田中武輝の証言並びに加入申込書綴中鮫島益男名義の申込書(証一五七―九)の記載によれば、鮫島は、昭和25、5月中頃田中武輝から、

(2) 証人畑中ナミの証言及び調書、田中武輝の証言によれば、畑中は昭和25、5月の加入前頃、早迫美智子及び田中武輝から、

(3) 証人西村鉄の証言及び調書によれば、同証人は昭和26、12、1の加入の一年位前に、鮫島方で、鮫島益夫から、またその一週間位前に金丸陽一から、

(4) 証人石崎杉夫の証言及び調書、小野総一郎の証言によれば、同証人昭和26、11月末頃自宅で小野総一郎から、小野とみ子もその頃同人から、

(5) 安楽司登子の証言及び調書によれば、同証人は昭和27、4月末頃、同証人宅で本野事務員から、

それぞれ本組合の具体的内容の説明を受けたことが認められる。

〔二〕 説明の内容

右田中武輝、早迫美智子、鮫島益男、小野総一郎、本野事務員の各説明の内容は、昭和26年頃以後に加入した者に対し、売上金の処理につき、いわゆる現金プールの説明として、毎月一定の日に売上金全額を事務所に持つて来て貰う。するとこの中から組合は運営費を徴収し、残額を全部給料名目、運転資金名目で返還する趣旨の説明を加えたほかは第一掲記の梅北武彦の説明の内容と全く同趣旨であつたことが認められる。

第二項 現金の管理、流通、還元の実態

第一点 本地区発足当初より昭和25、9月迄の実態

第一 各帳簿の記帳について

〔一〕 補助簿(証一六二―三五)

(1) 給与支払明細書と題する項目の各組合員の五月分乃至九月分の各給料額の記載からみれば、右記載の金額が本地区協議会事務所から各組合員に対し給料が支給されていたかのように窺われる。

(2) なお右記載によれば、五月分乃至九月分の各組合員の給料額が同額か又は漸増した者、各月毎に額の異る者、減少している者などのあることが認められる。

〔二〕 給料支払明細書(証二七八九)

(1) 右「証二七八九」を検討すると、右は既に認定した京築地区、小倉地区、鹿本地区、(高口親の分)水俣地区(鶴田の分)と同一紙質、同一印刷の切取線の下段に「本日の実績」欄のある給料支払明細書であることが認められるから、之は本地区で独自に作成印刷したものでなはく本部から送附されたものであることが推認される。

(2) 右明細書が本地区の昭和25、6月分乃至9月分の組合員、従業員に恰も所定額の給料を支給したかのごとく表示するための記載であることは、既にこの点に関し他地区において認定した通りである。

(3) ただし、右「証二七八九」にあつては各月毎にクリツプで綴つてあり、「本日の実績欄」が一枚も切取られてなく「印」欄には他地区と異つて各組合員の印が押捺されており、かつ一括して差押え当時本地区事務所に保管されていたことが認められるところから、右「証二七八九」は一応他地区と同様な様式で記載はされたが、之を組合員、従業員には交付することなく本地区事務所に保管されていたことが推認される。

(4) 既に認定したように、小倉、京築各地区では同様な明細書が、実質的には積立金の受領証として交付されていたのであるが、本地区では現実に各組合員に交付されずかつ積立金の下部「印」欄に組合員の(他地区では組合印)押印があるとこからすれば、右明細書の記載と存在は、給料を支給したとの事実は勿論積立金を組合が受領したことをも表明していないと推認される。

〔三〕 日報

(1) 証拠

(A) 証人梅北武彦、村岡重実、田中武輝、池田三子の各証言

(B) 梅北武彦名義の日報昭和25、5月~9月分(証一六〇―一~五)外山辰夫名義の日報昭和25、6月~7月分(証二八二二―一)竹松兼次名義の日報昭和25、5月~9月分(証二〇四―一~五)田中武輝名義の日報昭和25、5月~9月(証二八二七)鮫島益男名義の日報昭和25、7月分(証一九五)の各「給料」「仮払費」「米代」の各記載部分、

(2) 他地区と同様に生活費は日報に記載し売上金を控除する方法によつていたが、本地区の日報とは「米代」などの記載も見られ、該記帳自体からも「給料」という認識が稀薄であつたことが推認される。

第二 現金の管理、流通、還元の実態について

証人中村徳一、竹松兼次、池田三子、村岡重実、畑中ナミ、竹松武雄、鮫島益男の各証言、並びに本点第一掲記の事実を綜合すると、

本期間の現金の管理、流通、還元の実態は、

(1) 各組合員の事業所の売上金処理の実態は、各組合員の加入前の個人営業時代の実態と全く変りなく、仕入には、勿論、生活費にも必要な都度に、必要なだけ自由に使用していたこと。

(2) 給料の所定額と、各組合員が売上金から使用する生活費の額とは無関係であつて、各組合員は給料所定額に拘束されることなく自由に売上金を使用していたこと。

(3) 日報の収支の記載は本地区ではほとんど正確ではなく、営業上の現金の流通、還元の実態を正確に表現したものではないこと。

(4) 前叙のように売上金を生活費に使用した場合は日報に「給料」「仮払」又は「米代」等の課目で経費として記載して記帳から落すか、全然記載せずに使用していたこと。

(5) 毎月売上金に対する一定の歩合で、事務所の経費、事務所の給料、法人税の引当等にする目的で組合費(又は積立金、組合維持費)を事務所に支払うようになつており、右組合費を月に何回か事務員が集金に廻つたり、組合員が事務所に持つていつたりしていたこと。しかしながら右歩合どおりの組合費が支払えない組合員がいたこと。

(6) 右以外に組合員から事務所に支払う金はなく、事務所から各組合員に融通補填する現金は全然なかつたこと。

(7) 各組合員は右のような実態につき、

加入前と加入後の営業が異るのは日報を書くことと、組合費を事務所に支払う点だけであつて、給料の決定は、名目だけのものであり、組合から貰わずに、生活費は自己の所有である売上金から加入前と同様に賄つており、日報の給料の記載は単なる数字だけのものであり、仕入、販売等営業における現金の流通、還元もすべて自己の営業を経営しているものであると認識していたこと。

(8) 各組合員がかかる認識を有するに至つたのは、本地区発足当初の説明会における佐藤勝の説明や、第一項で認定した梅北等の説明によつてであり、かつその説明のとおりに実際にも実行しているからであること。

(9) 従つてかかる認識は前掲記の七人の証人のみならず、本期間本地区に所属していた全組合員についても同様であつたことが充分に推認されること。

(10) よつて、第一掲記の各記載はいずれも全くの形式を保つためのみの記載以外の何ものでもなかつたことが認められるのである。

第三 積立金の支払について

第二掲記の各証拠、補助簿中積立金入金簿(証一六二―一一~一三)の各記載及び証人外山辰夫の証言によれば、

(1) 同記載は昭和25、5月分乃至9月分の各組合員毎の積立金の支払一らん表であることが認められること。

(2) 7月分~9月分は二回又は三回の分割払の記載になつていること。

(3) 前掲給料支払明細書(証二七八九)の各組合員の積立金額の記載、及び前掲日報の各積立金の記載と対比すると、本帳簿の各月の記載とは必らずしも一致せず、本帳簿の記帳額の方がすべて小額であり、中には記帳のないものもあるところから本帳簿の記載は、実際に組合に支払われた額であり、積立金の所定額が比較的に大であつたため、相当程度の積立金の未納があつたことが推認される。

(4) 積立金の支払については領収証及びそれに類似するものは、各組合員に交付されていなかつたことが認められる。

(5) 以上からすれば、本地区にあつては積立金さえも満足に支払らわれていなかつたといわねばならない。

第四 認定

以上認定した各事実によれば、本地区の本期間の現金の管理、流通、還元の実態は、日報を記帳することと売上金に対する一定の歩合による積立金(組合費)を事務所に支払う立前になつていた点を除いては、加入前と全く同様で、営業の面でも生活の面でも、全然変化がなく、従つてその事業所の営業より生ずる一切の損益は実質的に各組合員に帰属していたのであるところ、組合の形態としても、日報の記帳も全く、個人営業であるとの認識の下に記帳されており、積立金の支払も満足になされておらず、給与支払明細書も交付されず、他地区に比較して、形式的にさえも組合の形態をなしてなかつたものであつて、右のことは、全組合員が充分に認識していたものであることが認められる。

第二点 昭和25、10月乃至昭和27、11月頃迄の実態

第一 昭和25、10月乃至昭和26、3月頃迄の実態

〔一〕 証拠

(1) 証人竹松兼次の証言及び調書

(2) 証人鮫島益男(二回)竹松武雄、田中武輝、外山辰夫、安楽司登子、池田三子、畑中ナミの各証言

(3) 第一点認定の各事実

(4) 畑中ゆきえ名義の日報厚票昭和26、1月~3月分(証二八三二―一~三)田中武輝名義の日報厚票昭和26、1月分(証二八二九―一~三一)鮫島益男名義の日報厚票昭和26、1月乃至三月分(証一九六―一~三)の各支部勘定欄の記載と、その記載が他の数字の記帳のようにカーボン紙による複写によらずペンによる記入であること。

(5) 竹松兼次名義の日報簿票昭和25、10月乃至昭和26、3月分(証二〇六―一~六)田中武輝名義の日報簿票昭和25、10月乃至昭和26、3月分(証二八三六―一~六)の記載のうち、10月11月分につき経費欄又は備考欄の給料の記載を抹消して支出の支部勘定欄にペン又は鉛筆にて同額に近い数字が記入されていることと、昭和25、12月乃至昭和26、3月分の各月末に鉛筆を以つて支出の支部勘定の記載があること。

〔二〕 認定

右各証拠を綜合すると、少くとも昭和25、10月から昭和26、3月迄の各組合員の事業所における現金の管理、流通、還元の実態は、

既に認定したように他地区では昭和25、10月からいわゆる現金プールが実施されていたのであるが、本地区は延岡地区と同様にまだ現金プールを実施せずに、第一点で認定したと全く同様な形態を依然として継続していたものであるところ、ただ日報の様式が昭和25、10月から横書様式となり、給料欄がなくなつたので組合員が経費欄又は備考欄に給料を記載していたのを、事務員が抹消し、給料相当額を、支出の支部勘定欄に記入し、以つて他地区において現金プールをする際の記帳と一致せしめて、現金プールの形態をとつていたように糊塗すると共に、給料の支給を日報上形式を整えていたことが認められる。

第二 昭和26、4月~昭和27、11月頃迄の実態(いわゆる「現金プール」の期間)

〔一〕 現金プール開始の時機

日向興業銀行谷頭支店竹森作成の共栄企業組合都城支部梅北武彦名義の当座勘定元帳写(証一三七二)の各記載、証人小野総一部、鮫島益男の各証言及び証人竹松兼次の調書によれば、右元帳写には、昭和26、42右口座の新規開始の記載があり、かつ各月の現金の払込み、払出の状態が、昭和27、5月以後と酷似しているところから、現金プールにおける現金の出し入れであること、従つて早くとも右昭和26、4月初頃は現金プールが実施されていたことが推認される。

〔二〕 現金プールにおける記帳

(1) 日報

証人小野総一郎の証言によれば、現金プールの際には、その前日の日報上の「本日の現金残高」を組合事務所に持参する立前になつており、従つて日報には支出の支部勘定欄にプールすべき金額を記入し、運転資金として還元する分は収入の支部勘定欄に記入する立前になつていたことが認められる。

(2) 現金プール帳(証一六三)

(A) 現金プール帳(証一六三)の各記載と、証人小野総一郎の証言を勘案すると、右各記載間には次のような関係があることが認められる。

月分現金プール

1952年 月 共栄企業都城出張所

<省略>

〔記載〕

(1) 〔プール〕 A、は現金プールに持参する立前の金額、当該組合員の日報上、支出の支部勘定欄の金額と一致すべき数額である。

(2) 〔運転資金〕D、は当該組合員に運転資金として支給される金額で、日報上収入の支部勘定欄に記載されるべき数額である。

(3) 〔総給料〕C、には税額は含まれない。dの記載は全期間を通じて存在しない。

〔記載関係〕

(1) a+b+B+C=Kである。

(2) A-K=Mである。この場合M<0の場合はMの数字を〔(-)〕で表示するか、赤インクで記載されている。

(3) M>0であつてM>Dの場合が相当ある。またM>0であつてM<Dの場合もある。

(4) M<0であつてもDの記載も必らずある。

(5) 各月のMの全組合員の合計とDは常に一致している。

(B) 右記載のみからすれば、各組合員はほとんど全員毎月定まつた日に、現金プールのために組合事務所に日報上のその前日の本日の現金残高に相当する現金を持参し、組合事務所は日報代機関紙代積立金をそれぞれ徴収し、各組合員の持参した現金を統一して、各組合員に所定の給料を支給し、所要の運転資金を融通していたかのように窺われる。

(C) なお右現金プール表は昭和27、4月乃至昭和27、11月迄の分であるが、昭和26、4月に現金プールを開始した後も右と同様な方法で実施していたかのように窺われる。

〔三〕 現金プールの実態

(1) 「現金プール」についての一般組合員の認識

証人安楽司登子、竹松兼次、石崎杉夫、小野とみ子、又木ミギ、村岡重実、又木浅蔵、畑中ナミ、畑中ゆきえ、田中武輝、梅北武彦の各証言によれば、

現金プールとは、

「一定の日の(月末か月初め)日報上の手元現金残高を全額組合事務所に持参し、その中から運営費(又は積立金)や日報代等を支払い、残額を全部給料や運転資金名目で小切手でもつて還元してくれること。」

と認識していたことが認められる。

(2) 昭和26、4月以降においても現金プールに現金を持参せずにそれ以前と同様な方法を継続していた組合員について、

(A) 証人小野総一郎、安楽司登子、竹松兼次、石崎杉夫の各証言に、前掲当座勘定元帳写(証一三七二)の各記載と、現金プール帳(証一六三)の各記載を対比した結果を併せ勘案すると、

(a) 昭和26、4月に現金プールを実施するようになつても、なお依然として手元現金を事務所に持参することをせずに、唯運営費等のみを別途に売上金から組合に支払う組合員が相当いたこと。

(b) 右当座勘定元帳写には昭和26、12月乃至昭和27、4月迄は全然小切手の発行も、入金もないが、本地区では他に取引銀行を設けなかつたのであるから、右期間は、全組合員がいわゆる現金プールを実施せずに右(a)のような形態をとつていたこと。つまり昭和26、4月以前と同様な実態であつたこと。

(c) 本地区においては、現金プールを実施した場合でも、組合が差引くべきものを唯引いた残金全部を給料や運転資金の名目に小分けせずに、一括して一枚の小切手で当該組合員に還元していたことが認められるから、右元帳写についてみれば、氏名の記載のない小切手一枚は一人の組合員に還元され、従つて小切手の枚数により各月の現金プールを実施した組合員数を容易に判断できるところ、右元帳写による組合員数と、第一項第二点で認定した組合員数又は現金プール帳の組合員数とを対比すると、昭和26、4月乃至昭和26、11月迄は、4月が半数以下であるほか他の月は、五分の四程度は、現金プールを実施しているが、昭和27、4月以後にあつては、各月とも五乃至七名程度の実施者があるのみで、大部分の組合員は現金プールを実施せずに、依然としてその現金の管理、流通、還元の実態は昭和26、4月以前と全く同様であつたこと。

が認められる。

(B) 現金プールを実施しない組合員がいた理由についての考案

前掲各証拠によれば、

(a) 営業について、加入前と全く同様で売上金を必要な都度必要なだけ使用することができ、元来売上金は個人の金であるとの認識が各組合員にあり、

(d) 従つて現実に所持する現金が日報上の現金残高額と一致せず寡少であるため、現金プールを賄うことができず、

(c) または、現金プールの日に給料所定額を小切手で還元されるように現金を保有しておくことが困難であり、日報の記帳額も現金額も、到底現金プールを賄うことができず

(b) 事務所としては、現金プールを実施することを組合員に要請するだけであつて、実施しない組合員があつても放任していたためなどにその理由があつたと推認することができる。

(C) 現金プールを実施しない組合員関係の記帳について、

前掲各証拠及び〔二〕掲記の証拠によれば、

(a) 現金プールを実施しない組合員の日報上の支出及び収入の各支部勘定欄の記載は単なる形式的な書類上の数字にすぎなかつたこと。

(b) 現金プール帳の各記載の中、現金を持参しない組合員についての各記載は、(a)と同様に形式的なものであつて、数字の遊戯にほかならないこと。

が認められる。

(3) 現金プールに現金を持参した組合員について、

(A) 具体例について

昭和27、4月分の現金プールにおける、現金の実際の流通とその記帳との関係は次のとおりであることが認められる。

<省略>

(B) 判断

(a) 昭和27、4月分の現金プールにおいて実際に現金を持参した者は十五名中五名にすぎないこと。

(b) 右五名とも日報上の手元現金残高額(「プール額」)とは異つた現金を持参していること。

(c) 組合が現金に徴収する立前になつている日報代、機関紙代、運営費についても、鮫島及び、竹松(兼)横山、竹松(武)のうち何名かは、全額を支払つていないこと。

(d) 要するに、現金プールにおいて現金を持参した者については、その現金から、右(c)の課目につき徴収できるだけの全員を徴収し、残額は全部、給料、運転資金名目で一枚の小切手により還元していたこと。

(e) しかし右現金の流通、還元の実態と前表において算定したように現金プール帳の各記帳の金額とはすべての点において一致せず、結局この帳簿は右の者等についても又なんら現金の流通、還元の実態を表示していない形式的なものであること。

(f) 従つて、右現金プール帳の給料、運転資金の記載も単なる形式的なものであり、結局給料額の決定も、その支給もまた形式的なものに外ならなかつたこと。

が認められる。

(C) 一般的実態

(a) 証人小野総一郎、竹松兼次、又木ミキ、村岡重実、畑中ナミ、鮫島益男、竹松武雄の各証言、及び前掲当座勘定元帳写(証一三七二)現金プール帳(証一六三)の各記帳を綜合すると

現金プール実施後、現金プールに現金を持参した組合員についての記帳と実態の関係はすべて前掲(B)の判断において認定したところと同一であつたこと。

(b) しかして右実態は、一般組合員が共通して現金プールとして認識していたものと合致することが認められる。

(c) 之を要するに現金プールに現金を持参して小切手で還元されていた組合員についての、記帳と実態との関係は、現金を持参しなかつた組合員の現金管理の実態と実質的にはなんら異らないということができるし、現金プールを実施した組合員も給料の所定及びその支給は形式的なものであり、売上金は自分の金であることを認識していたということができるのである。

〔四〕 現金プール帳に対する判断

(1) 本部の指導

証人小野総一郎の証言及び第一項で認定した本部役員が本地区の指導に来た事実を勘案すると、

(a) 本地区は他地区に比較し、現金プールさえも満足に実行されなかつたので、出張所長梅北及び事務員小野等は本部から指導に来た役員と共に研究し、その方法を錬り、また、現金プールにおける小切手の使用方法も細かく本部から指示があつていたこと。

(b) ところで本部から指導に来たのは被告人森原春一、同上野盛雄、森高殖等であつたのであるから右指導も右三名のうちのいずれからかなされたこと。

(c) 事務員小野総一郎は本地区の運営につき、被告人森原、同上野、同渡辺、同馬場と話合つたことがあること。

(d) 現金プール帳の記載の様式やその要領も右指導に基づくものであること。

が各推認され、

(2) ところで現金プールでは各組合員が現実に日報上の手元現金残高に相当する現金を持参したとしても、組合が現実に徴収すべき日報、機関紙代、積立金の合計額を差引いた残額は全部当該組合に還元することを立前としていて、各組合員相互間、組合と組合員の間には実際の現金の流通はないことが、本地区のみならず全地区について認定したところのことである。

(3) そこで第二〔二〕(2)の表の記載につき、その中A、a、b、Bの各記載額がそれぞれ現実に現金を表示していると仮定すると、

(A) 〔M>0、M>D〕の場合は、記載上では〔M-D=m〕のmだけが組合に保管されたことになるが、右mも当該組合員に還元さるべき性質の金であるから、既に他地区で認定したようにこのmはいわゆる無名目の金として、組合及び組合員の記帳からは抹消された金になる筋合だということができる。

(B) 〔M<0〕の場合は、現実に還元される現金は〔A-(a+b+B)=C-M〕 に相当する現金(いわゆる残額全部である)であるところ、記帳によればCも全額支給され、かつ、Dも別途に支給されたことになつておるので、この場合は給料の支給は架空の記載ということになり、日報の収入の支部勘定で受入れる運転資金の金額も現金を伴わない架空の数字になる立前になつていることが容易に推認される。

(4) してみれば、かりに本地区において現金プールに際し、各組合員が現実に日報上の手元現金残高に相当する現金を組合に持参していわゆる現金プールを実施したとしても、本部の指導に基づく方法によつてはその記帳と実態との関係は、結局延岡を除く他地区で認定したと同様に、「無名目の金」が生ずるような記帳の操作となるだけであつて、決して実質を伴つた統一計算が可能な方法ではなかつたことが認められる。すなわち本部の現金プールの指導とは右のような操作をすることであつたことが推認されるのである。

〔五〕 賃金台帳、給与台帳、給料支払明細書

証人小野総一郎の証言によれば、現金プールのとき給料、所定額を形式上受領したことにするため、給与台帳に各組合員の受領印を押捺させたこともあるが、押捺させなかつたこともあり、また給料支払明細書又は之に類似するものは組合員には交付していなかつたことが認められる。

第三 結論

本期間にあつて、現金プールを実施した組合員もある程度の現金を組合事務所に持参し、ある程度の支払をして残額全部を一枚の小切手で還元されていた点を除いては実施しなかつた組合員の実態と全く同様であつたといえるところ、恰も現金プールを実施したような記載になつている日報の各支部勘定欄の各記載及び現金プール帳の各記載は、全く形式的な数字の羅列以外の何ものでもなかつたことが認められる。

かつ、本地区の全組合員は、かかる実態に対して営業は個人の営業であり、給料の決定は形式的なものにすぎなかつたことを認識していたのであり、本地区のかかる実態につきその事務の指導に来た本部役員すなわち被告人萩原春一、同上野盛雄、森高殖等の所期する現金プールの具体的な実施の方法は、仮にそれが完全に実行できたとしても、延岡を除く他地区で認定した程度の、実質を伴わない統一計算であつたことが認められるのである。

第三点 借入金処理の実態

証人小野総一郎、小野とみ子、梅北武彦、西村鉄の各証言によれば、借入金の処理については、

(1) 組合事務所から実質的に現金を各組合員に融通したことは全然ないこと。

(2) 各組合員は個人の信用で営業資金を他から借受け、元金も利子も当該事業所の売上金から支払つていたこと

(3) この場合日報上組合事務所から融通され或は、事務所に返還したように支出又は収入の支部勘定欄に当該借入又は弁済の金額を記入したこと。

(4) 梅北、小野等、組合役職員は右のようにすることを本部からの指示に基づき指導していたことが認められる。

第四点 出資金、加入金の納入及び脱退における出資金の返還

証人中村徳一、竹松兼松、西村鉄、石崎杉夫、小野総一郎、池田三子、又木ミギ、村岡重美、又木浅蔵、鮫島益男、梅北武彦、畑中ゆきえ、田中武輝、外山辰夫の各証言及び補助簿中加入金支払済(証一六二―三)同第一回払込金額(出資金)二、〇〇〇円日掛(証一六二―二七、二八)の各記載部分を綜合すると、

(1) 発足当時の各組合員を含めて本地区に加入した全組合員が加入金五〇〇円を加入に際し本組合に支払つていること。

(2) 出資金については、発足当時に加入した二十二名の組合員は、昭和25、5、25から、二〇円乃至三〇円の日掛によつて支払い、大半は昭和25、8月~9月頃迄かかつて支払つているが、中には第一回払込分二、〇〇〇円を支払わなかつた者もいることが認められること。

(3) 昭和26年昭和27年に加入した者でも分割して支払つた者がいること。

(4) 一斉捜査前に脱退した者については、出資金は払込んだ分だけ全額本部からの送金を受けて支払われていること、

が認められる。

第五点 結論

本地区における昭和25、5、1(事実上は昭和25、5月下旬頃)以降、昭和27、11月頃迄の現金の管理、流通還元の実態は、現金プールの実施につき他地区に比較し極めて杜撰幼稚であり、かつ、実施者が極少数であつた点を除いては、既に説示した九地区の結論と全く同様であるということができるから、その結論を本地区の結論につき引用する。

かつ本地区における右のような実態は被告人森原春一、同上野盛雄は知つていたということができる。

第三項 加入時の資産処理の実態

第一、各組合員

〔一〕 証拠

(1) 証人中村徳一、又木浅蔵、安楽司登子、竹松兼次、西村鉄、石崎杉夫、池田三子、小野とみ子、又木ミキの各証言

(2) 証人村岡重実、畑中ナミ、竹松武雄、畑中ユキエの各調書

(3) 第一項において認定した役、職員の本組合の具体的内容の説明についての事実。

(4) 第二項においてて認定した現金の管理、流通、還元の実態

〔二〕 認定

(1) 右掲記の各証人は又木浅蔵を除き、本地区発足当初から昭和27、10月末迄に加入した本地区の本組合員であるが、

加入の際にその各所有にかかる営業用資産(正味資産のほか債権、債務、現金を含む)の処理については各組合員は加入に際し正味資産を棚卸して棚卸表を作成し、同表には債権、債務、現金も記載した上、同表を組合に提出していたが、同表の作成提出につき各組合員の認識には、多少の深浅の差はあつても、いずれも右棚卸表に掲記した正味資産を組合に真実に売渡し、債権、債務、現金を真実に引継ぎ、また代金を貰う意思を有しておらず、組合も真実に買上げ、又は真実に引受け、代金を支払う意思を有していなかつたこと。

(2) 組合員は、組合が第二項で認定したような現金の管理、流通、還元を継続することをやめて、根本的に右現金管理の方法を改革し、組合自体が各事業所の利益を実質的に所有しうるようにならない限り、右営業用資産を真実に買上げて代金が支払えるようには絶対になり得ない組合の組織であることを各組合員が知つていたことが認められる。

第二、事務員

証人小野総一郎の証言(二回)によれば、

(1) 右証人は昭和26、9末本地区の事務員になつたものであるが、その際に梅北武彦、及び本組合八代地区の事務局長斉藤平(梅北武彦の妹時子の夫)から梅北方で本組合の具体的内容の説明を受けたこと。

(2) 右説明のうちで加入時の資産処理の点について、小野は、右説明により、営業用資産は形式的に買上げるものであること、負債を引継ぐのも帳簿上だけで引継ぐのであることを知つたこと。

(3) 右小野は加入者に対する資産処理についての説明では、組合が買上げるが金がないから未払ということにしておく旨、など真実に買うのではないという真意が相手方に通ずるように話していたこと、

(4) 組合の決算貸借対照表の負債欄に、組合員からその所有にかかる営業用資産を買上げたことになつている代金が未払金として記帳されているが、之も形式的な書類上だけの未払金であること。

(5) 組合員が加入するときは、営業用資産の棚卸をして棚卸表を作成し、債権、債務、現金等もあれば記入した貸借対表を作成し、之を組合に提出させたほかに書類及び手続はなかつたこと。

(6) 組合員が脱退するときも右と同様な書類を作成したこと。

(7) しかして右(5)(6)の増減につき脱退時が増である場合は、組合としては未収金勘定として計上していたが、この未収金は帳簿上だけの数字であつて、当該組合員から現実に取立てる意思もなく、また取立てることができるような実際の権利はないことを知つていたこと。

(8) 脱退した組合員は(6)の書類を作るだけであつて、資産の所有権は加入中も個人にあつたのであるから脱退後もなんら変化がないこと。

第四項 結論

第一項乃至第三項において認定した各事実を綜合すると、その実質的な点においては既に詳細した九地区の各実態と全く同様であるから右九地区の結論を本地区につき引用する。

形式的な面においては、他地区に比較し、書類的な整備においても、日報の記載においても、現金プールにおいても、積立金の支払さえも、既に認定した如く、幼稚、杜撰であつて本地区は形式的にさえも組合の形態を整えていなかつたということができ、

以上の点につき、本地区の全組合員及び役職員特に被告人森原、同上野、森高等も充分に認識していたということができる。

第一二節 鳥栖出張所

第一項 設立の経緯、組織並びに役職員の本組合内容の説明について、

第一点 設立の経緯

〔一〕 証人牟田正二、楢林栄の各証言、証人天本峯蔵の証言及び調書、並びに金銭出納簿(証三〇一三)のうち、本地区への本部役員の出張に関する各記載部分を綜合すると、

(1) 牟田正二は、佐賀県三養基郡鳥栖駅前で「富士屋」と号する旅館を経営していたが、たまたま、泊客から本組合の概要の説明をきき、さらに福岡でもきいたこと。

(2) そこで楢林栄に本組合の趣旨を説明し、鳥栖においても設立することを慫慂したこと。

(3) さらに右鳥栖町旭町七一二番地天本峯蔵方で、天本、楢林、瀬島、光安、山津の集つている席上で牟田は、本組合が福岡にあることを紹介し、鳥栖における設立をすすめたこと。

(4) よつて福岡における本組合の運営の状況を調査、見学することを決め、牟田、楢林、天本等五乃一〇名の者が昭和26、11月頃、福岡に赴き、福岡市川端町、同柳町の本組合員の店舗を見学、調査したこと。

(5) 同日、福岡市下対馬小路一〇七番地の本組合本部を訪れ、同所で被告人上野盛雄から、本組合の具体的内容につき、詳細な説明を聴いたこと。

(6) 右上野の説明は

(A) 共栄企業組合というのは政府が法律によつて認めた法人であること。

(B) 加入すると組合員ということになる。

(C) 加入すると、理事会できめた額で月給取りということになるから、それに対する源泉所得税を納めて貰うようになる。そのかわり、従来のような事業所得税や事業税はかかつてこなくなること。

(D) 組合員のいままでの店は、法人である組合の事業所ということになり、法人の営業になるから、個人営業は廃止したという廃業届を出して貰うこと。

(E) 組合の事業所になるのであるから、今迄の店で使つていた商品、備品、什器等一切は組合に売渡さねばならない。しかし金は支払うことはできないし実際の引渡しはしないこと。

(F) 事業所での営業は加入前と同様に、組合員個人の考えどおりやつて貰うこと。

(G) 毎日の売上、仕入、経費等は一切日報に記載し、組合に出して貰う。組合はそれによつて組合の帳簿を整理すること。

(H) 組合員から毎月、組合の人件費、文具代にするため売上の業態に応じた歩合で運営費を支払つて貰うこと。

(I) 売上金は毎月月初めに、前月分の日報上の現金残高額の現金を現金プールといつて、組合事務所に持参して貰う。すると組合では控除すべき運営費等を差引いた残額を全部月給又は運転資金名目で組合員に返すこと。

(J) 加入するには、加入金五〇〇円と、出資金二、〇〇〇円を出して貰うこと。

(K) 加入、脱退は自由であつて、脱退するときは出資金二、〇〇〇円は全額返えす、売渡して貰つたようになつている営業用資産は、金を払つてないから、その組合員が買戻したということにして、そのまま全部返還するから問題は何も起らないこと。

であつたこと。

(7) 楢林は、鳥栖で頼母子講会の総代をしていたので、その会の集会の席上で、右福岡での調査の結果を報告し鳥栖でも、本組合の下部組織をつくることを決議したこと。

(8) しかして、右鳥栖地区に設立するとの動機の中心点は、税金が安くなるという点にあつたこと。

(9) その結果、昭和26、12、1附を以つて、本組合の鳥栖支部として、組合員約二十数名で、支部長を楢林栄とし、事務所を右鳥栖町駅前新興市場内瀬島方に設けて発足したこと、

が認められる。

〔二〕 前掲各証拠、並びに証人緒方覚の証言及び調書議事録(証二三九)によれば

(1) 被告人森原春一は昭和26、11、16日鳥栖に来ていること。

(2) 牟田正二は、昭和26、11、25に、出資金加入金合計二、五〇〇円を一人だけ支払い、鳥栖地区の他の組合員は、昭和27、1、25に十八名分、昭和27、2、6に四名分の出資金が本組合本部に入金されているところから牟田だけは、一人先に加入していたこと。

(3) なお、昭和26、12、1に福岡地区の事務員、板屋某、安武某が鳥栖に出張して加入手続の応援をしたことが各推認される。

(4) 昭和26、12、7頃、昭和26、12、25には、被告人森原春一が鳥栖に来て、発足当初の鳥栖地区の指導及び説明に来ていたこと。

(5) 昭和27、1、12頃昭和27、1、14頃、昭和27、1、23頃、被告人上野盛雄が鳥栖地区に来て、指導していること。

(6) 昭和27、1、24の鳥栖地区第二回総会には、本部事務員の木村が出席して、事務上の具体的な点を指導していること。

(7) さらに昭和27、1、28頃には、被告人上野盛雄、事務員安武、木村、山辺がそれぞれ本部から出張して指導していることが各認められる。

よつて、本地区の設立当初から鳥栖地区に対する本部の指導は極めて具体的であり活溌であつたことが認められる。

第二点 組織

第一、沿革

証人牟田正二、楢林栄の各証言、被告人上野盛雄の証言、並に総会、理事会議事録写(証二三七)事業報告書(証三〇三〇)佐賀県支部報告(証二三八―九〇)組合拡大状勢一覧表(証二三八―一〇一)を綜合すると

(1) 本地区の発足は、前認定のとおりであるが、昭和27、1、25の第二〇回理事会で、玉名、下関、大分と共に本組合の従たる事務所として支部登記することに決定し、昭和27、2、2事務所の所在地を佐賀県三養基郡鳥栖町大字鳥栖七一二番地として、鳥栖支部の名称で登記し、ついで昭和27、4、1の機構改革で佐賀県支部鳥栖出張所となつたこと。

(2) 本地区の事務所は前点の認定どおり、発足当初から一斉捜査当時迄、前瀬島方にあつたこと。

(右(1)の登記上の所在地と瀬島方とは同一個所である)

が認められる。

第二、役員

第一掲記の各証拠及び昭和28、2、14理事会議事録(証五六六―二二)中牟田出席の記載によれば、

(1) 楢林栄は、牟田正二と共に本地区の発足当時から指導的地位にあつたものであつて支部発足当初、支部長となつて以来、右機構改革によつて佐賀県支部長となり、昭和28、3月の脱退までその地位にあつたものであること。

(2) 牟田正二は、楢林と共に本地区の設立を指導し、多数の業者に加入を勧誘し、佐賀、有田、唐津各地区に出張して本組合の具体的内容を説明して、加入を勧誘し、佐賀県下にあつて指導的地位にあつたものであつて、昭和27、5、25第七回定期総会で理事に選任され、爾来、少くとも昭和28、2、14の理事会頃迄はその地位にあつたこと、

が認められる。

第三、事務員

第一掲記の各証拠並びに証人白浜浩の証言、給料台帳(証二八一)の事務員の記載によれば

(1) 昭和26、12月頃には、於保一郎、猪俣良雄、上原博子の三名の事務員がいたこと。

(2) 昭和27、1月には白浜浩、中村弘が事務員に加わり、右猪俣はやめたこと。

(3) 昭和27、2月~6月迄は右白浜と上原の二人であつたこと。

(4) 昭和27、7月8月は右二人のほかに井上造明、内田鹿雄が雇われていたこと。

(5) 昭和27、10月には、白浜、内田、上原の三名が本地区の事務を処理していたこと。

が認められる。

第四、組合員

本地区の各月の組合員数を左の如く認める。ただし六月分以降には、事業所を持たない組合員が存することが推認される。

<省略>

第三点 役職員の本組合の具体的内容についての説明

第一、牟田正二の説明

〔一〕 その日時、場所と相手方

(1) 証人緒方覚の証言及び調書によれば、同証人は、昭和26、11、12月頃、前掲鳥栖町駅前新興市場内の寄合で七、八名の者と一緒に、また右証人の自宅で牟田正二から、

(2) 証人中島関造の証言及び調書によれば、同証人は昭和26、12月未頃本地区事務所及び同証人の自宅で牟田正二及び白浜から

それぞれ本組合の具体的内容の説明をうけ、加入を勧められ、

〔二〕 説明の内容

前〔一〕掲記の証拠によれば、牟田の説明の内容は

(1) 前段認定した被告人上野の説明の内容と本質的に全く同一であつたこと。

(2) とくに、営業上の本質的な点について、

(A) 加入すると、従来の個人の滞納税金は、組合の方で税務署当局に団体交渉して分割払にするか、免税になるようにしてやること。

(B) 加入に際しては、法人の事業所ということになるので、営業用資産を組合に売渡して貰わねばならない。しかし之はただ書面上だけであつて本局に組合が買取るわけではない。組合は法人ということになつているから、そのような形式をとるだけである。それで組合は真実に買取るのでないから代金は支払わないこと。

(C) 従つて組合の給料取りになるということも名目上そのようにするのであつて、給料だけで生活するわけではない。加入しても営業は従来どおり個人でやれるので、働いてえた収益はすべて各組合員の所得になる。その反面、給料所定額だけの利益が上らない場合には、組合はその不足分を支給しない。

旨を説明したことが各認められる。

〔三〕 なお、証人牟田正二の証言によれば、同証人は「共栄企業組合に加入しましよう」と題するビラを読んだことがあるが、その内容につき矛盾を感じなかつた旨が認められる。ところで、右題名のビラの中「本組合の特徴は」という個所は既に各地区でそれぞれ詳論したように、その表現において僅少の差があるが、営業の本質的な点については、いずれも一致しており、その趣旨とするところは、

(A) 店舗又は工場は独立採算制であつて、加入してもいままでどおり運営されること。

(B) 税金の負担は半減されること。

(C) 組合員の所得はそのまま給料として支給をうける。従つて組合員は従来の所得以上の収入を給料として支払を受けることがあり、組合員が工場又は店舗で能力に応じて得た所得は全部給料として支払を受けること。

(以上、証一六七―九、証三二六―四、証一二九二―二九、証六三三―一九、証九六―一四五、証二七一八―七三より認定)

であることが認められるから、牟田は右ビラの趣旨を充分に認識して前〔二〕のような説明をしていたことが推認される。

第二、その他の役職員の説明

〔一〕 その日時、場所の相手方

(1) 証人、竹下万太郎の証言及び調書によれば、同証人は、昭和27、1、4~5日頃、同証人宅で於保事務員から、

(2) 証人桜井勇雄の証言及び調書によれば、同証人は、昭和27、2、25~26日頃、同証人宅で、副支部長の瀬島浅栄から

(3) 証人松隈助次の証言及び調書によれば、同証人は、昭和27、2月頃本地区事務所で、白浜事務員から、

(4) 証人立石直典の証言及び調書によれば、同証人は、昭和27、6月初頃右本地区事務所で白浜事務員から

(5) 証人吉松悟の証言及び調書によれば、同証人は、昭和27、7月頃、佐賀県三養基郡田代町田代、丸山松太郎方で五~六名の者と一緒に、井上造明事務員から、それぞれ本組合の具体的内容につき説明を受けたことが認められる。

〔二〕 右各説明の内容

前〔一〕掲記の各証拠によれば、

右瀬島、井上、白浜、於保の各説明は、加入時の資産処理の点につき、前掲の牟田正二の説明の程度に明確に、売買は書類上形式的にするだけであつて、組合は真実に買取るのではないことを言明していたほかはすべて前掲被告人上野盛雄及び牟田正二の各説明と全く同趣旨の説明をしていたことが認められる。

第二項 現金の管理、流通、還元の実態

第一点 本地区発足当初より、昭和27、6月迄の実態(いわゆる「現金プール」の期間)

〔一〕 証拠

(1) 証人桜井勇雄、吉松悟、竹下万太郎、立石直典、松隈助次、緒方覚、天本峯蔵、中島関造の各証言及び調書

(2) 証人牟田正二、楢林栄、原田政雄の各証言

(3) 給料台帳のうち、昭和26、12月分乃至昭和27、6月分(証二八一―一四~四九)の各記載及び「受領印」欄の各押印

(4) 本組合本部の金銭出納簿(証三〇一三)のうち「昭和27、1、19事務指導のため、鳥栖出張、木村」なる記載

(5) 緒方覚名義の昭和26、12月分~昭和27、6月分(証二九七―一~七)牟田正二名義の同期間(証一九〇一―一~七)楢林栄名義の同期間(証一九〇二―一~七)天本峯蔵名義の同期間(証二九九―一~七)松隈助次名義の昭和27、3月分~6月分(証二九八―一~四)原田政雄名義の同期間(証一九〇六―一~四)桜井勇雄名義の同期間(証三〇〇―一~四)緒方格平名義の昭和27、5月6月分(証一九〇三―一二)の各日報の各支部勘定の記載

〔二〕 認定

(1) 本地区におけるいわゆる現金プールは、本部から出張して来た木村善一の具体的な指導を受けて、昭和271、20に初めて実施されたこと。

(2) 本期間の現金の管理は、加入前と同様に各組合員が各事業所で保管々理し、加入前と同様に自由に、仕入販売に使用していたこと。

(3) 本地区の「現金プール」の具体的方法は

(A) 月初め、または月末の一定の日に、その前日の日報記帳の手元現金残高に相当する現金(預金しているときは全部引出して合算する)を日報、印鑑と共に組合事務所に持参する。

(B) すると組合事務所では事務員が右現金から売上金に対する一定率によつて算出される額、または固定している一定額の運営費とその他事務所が実質的に支払をうけるべき金額を徴収する。

(C) そして残額から、本人及びその事業所の従業員の給料所定額の合算額を給料名目で、更に残額があるときは、これを全部運転資金名目でそれぞれ持参した組合員に還元する。

(はじめは現金で、のちには小切手で還元した)

(D) 日報の収入の支部勘定欄に事務員が右運転資金名目額を記入する。

(E) 各組合員及び従業員名義の給料支払明細表を交付し、給料台帳の「受領印」欄に組合員が自己の分及び従業員の分(印鑑はあずかつて来ている)を押印する。

ことであつたこと。

(4) 右現金プールに持参された現金から事務所が運営費等を控除した残額が、その組合員及び従業員の給料所定額の合算額に不足する場合でも、事務所からはその不足分を融通補填することなく、所定額には不足するまま、すなわち右控除した残額全部をそのまま還元するにすぎなかつたこと。

(5) また持参された現金から運営費等を控除した残額から、さらに給料所定額の合算額を組合員に還元し、なお残額が生ずる場合には、その残額全額を運転資金名目で当該組合員に還元し、事務所に保留したり、他の事業所に融通したりなどは全然しなかつたこと。

(6) 右(4)のような場合、不足分については仮払名目などにしておき、当該組合員の事業所で売上金に余裕が生じたとき、右不足分を売上金から控除し、日報の支出欄の支部勘定に右金額を記載していたこと。

(7) 給料台帳の差引支給額の記載数額は全員につき本期間を通じて給料所定額(源泉所得税のかかる者はこの分を控除した額)であり、各支給日は現金プールの日であり、「受領印」欄には右所定額の受領を表する押印がなされていることが認められるが、右(4)、(6)のような組合員については右台帳の記載と押印は実際に現金の流通があつて、その事実を表示するためのものではないこと。

(8) 組合事務所では、右(4)のような現金の還元になることをさくるため、現金プールには給料所定額を還元できるような額の現金を持参することを各組合員に要求していたこと。

(9) それで組合員の中には、現金プールに持参すべき現金が手元に多く残るように、その日が近ずくと支払を差控えたりして操作していたこと。

(10) また、日報の記帳どおりの現金がない組合員は他から一時借りたりして記帳額にあわせて持参したこと、あわないのは多くが生活費などに費つていたためであること。

(11) 各組合員は、それぞれの加入に際して受けた説明の内容(本節第一項にて認定)と右のような現金プールの実態から、給料の決定並びにその支給は名目的なものにすぎないことを認識していたこと。

などが認められる。

〔三〕 結論

右〔二〕に認定した事実並びに既に認定した一〇地区の現金プールの実態を併せ考えると、本地区の本期間の現金の管理、流通、還元の実態は、月一回組合事務所で、いわゆる現金プールを実施するが、その実質は、既に認定した他地区の現金プールと全く同様に、各組合員が組合事務所に持参する現金の多寡にかかわらず、事務所ではその中から事務所の諸経費に充当する運営費、その他諸雑費等実際に受領する金を徴収するだけであつて、右徴収した以外の残金は必らず金額を、給料名目又は運転資金名目で還元しており、その反面還元に際しては右残額以上に組合事務所から、実質的に融通補填することは絶体なかつたのであつて、従つて各組合員は給料の決定額等にはかかわりなく、自己の事業所だけの、売上金等の現金によつて、自己の責任と危険負担において営業を行い、生活費を賄つていたのであり、結局その実態は、各事業所の損益は一切その組合員個人に実質的に帰属していたということができるのであつて、なんら加入前の実態とかわるところがなかつたのである。

従つて、給料の決定もその支給も形式的な実質のないものであり、給料を支給し、之を受領したような記載になつている前記給料台帳の記載も結局単に形式を整えていたにすぎないといわなければならない。

しかして、右のような実態は、本地区の現金プールが、本部の事務員である木村善一の指導によつて実施されたところから、右木村は勿論知つており、また右実態は被告人上野の説明(第一項で認定)の内容と一致しかつ右被告人は頻繁に本地区の指導に出張してきている(第一項で認定)ところから、右被告人を知つていたことが推認されるし、本地区の役員、職員及び全組合員も当然知つていたと認めることができるのである。

第二点 昭和27、7月乃至昭和27、11月迄の実態(いわゆる「毎月現金プール」の期間)

第一、毎日現金プールを実施した理由

証人牟田正二、楢林栄の各証言によれば、本地に限つて「毎日プール」を実施するようになつた理由は、

(1) 現金を各事業所に保管していては不正を誘導するおそれがあるため、

(2) 組合員の団結のため、

(3) 企業組合という法人に加入しているという認識をたかめるため

であつたことが認められる。

第二、毎日現金プールを実施するようになつた時機

〔一〕 証拠

(1) 証人牟田正二の証言、並びに同証人名義の日報、昭和27、6月分~8月分(証一九〇一―七~九)の支部勘定の記載うち、昭和27、7月分からはほとんど毎日支出欄支部勘定に記載があること。

(2) 楢林栄名義の日報、昭和27、6月分、7月分(証一九〇四―七、八)武富未喜代名義の日報、昭和27、6月分、7月分(証一九〇七―五、六)の各7月分の支出欄支部勘定には連日または隔日に記載があるに反し、各6月分には一、二回の記載しかないこと。

(3) 原田政雄名義の日報、昭和27、7月分、8月分(証一九〇六―五、六)緒方格平名義の日報、昭和27、7月分、8月分(証一九〇三―三、四)緒方伊作名義の日報、昭和27、7月分、8月分(証三〇一―一、二)各8月分には、右(2)の7月分と同様な記載が存するが各7月分には一、二回の記載しかないこと。

(4) 印鑑筆蹟簿(証二九六)の各組合員の届の年月日の記載によれば、昭和27、7月初め頃から同8月にかけて、右印影と筆蹟の届を、各組合員が事務所に対してしていること、

(5) 佐賀中央銀行発行の普通預金通帳を支部勘定明細簿として使用しているもので、小林吉蔵名義分(証二五八―三)は、昭和27、8、4から豊増清吉名義分(証二五八―一)は昭和27、8、5から、緒方覚名義分(証二五八―三)は昭和27、7、8からそれぞれ記帳がなされており、いずれも事務員井上の押印があること。

(6) 右(1)~(5)の各記載はいずれも後叙第三、第四の認定事実から毎日現金プールに関係することであること

〔二〕 認定

以上の各事実からすれば、本地区の毎日の現金プールは、一部組合員については、昭和27、7月から実施されたが、その他の組合員については、昭和27、8月から実施されたことが認められる。

第三、毎日現金プールに関する各記帳相互間の関係

〔一〕 証拠

(1) 証人桜井勇雄、松隈助次、緒方覚、中島関造、原田政雄の各証言

(2) 佐賀中央銀行発行の普通預金通帳を代用した支部勘定明細簿(証二五八―一~三)

支部勘定明細簿(証二五六―一~三、五~一一)の各記載

(3) 伝票(入金、出金、支払)(証二六五―一~六、証二六六、証二六七、証二六八、証二七七―一~八、証二七八)の各記載

(4) 印鑑筆蹟簿(証二九六)の各組合員の印鑑と筆蹟の各記載

(5) 吉松悟名義の昭和27、8月分~11月分(証三〇二―一~四)竹下万太郎名義の昭和27、8月分~11月分(証三〇三―一~四)中島関造名義の昭和27、8月分~11月分(証三〇四―一~四)立石直典名義の昭和27、8月分~11月分(証三〇五―一~四)緒方覚名義の昭和27、7月、8月分(証二四一―三一〇)松隈助次名義の昭和27、7月分~11月分(証二九八―五~九)天本峯蔵名義の昭和27、7月分~11月分(証二九九―八~一二)桜井勇雄名義の昭和27、7月分~11月分(証三〇〇―五~九)緒方伊作名義の昭和27、7月分~11月分(証三〇一―一~五)牟田正二名義の昭和27、7月分~11月分(証一九〇一―八~一二)楢林栄名義の昭和27、7月分~11月分(証一九〇四―八~一二)緒方格平名義の昭和27、7月分~11月分(証一九〇三―三~七)原田政雄名義の昭和27、7月分~11月分(証一九〇六―五~九)武富未喜代名義の昭和27、7月分~11月分(証一九〇七―六~一〇)の各日報の各支部勘定の記載

〔二〕 認定

以上の各証拠を綜合すると、毎日現金プールにおける、日報、入金伝票、出金伝票、(支払伝票)支部勘定明細簿、印鑑筆蹟簿の各記載の間には次の表のような関係のあることが認められる。

(後記「関係表」のうち、支払伝票の様式は省略せずに全部之を掲記するが、その他は必要な項目のみ便宜掲記する。同一ローマ字は、同一金額又は同一氏名、又は印を示す)

(関係表)

<省略>

第四、毎日現金プールにおける現金の管理、流通、還元と記帳との関係

〔一〕 証拠

(1) 右第三〔一〕掲記の各証拠

(2) 証人吉松悟、竹下万太郎、天本峯蔵の各証言及び調書

(3) 証人立石直典、緒方伊作、武富未喜代の各証言

(4) 証人桜井勇雄、松隈助次、緒方覚、中島関造の各調書

(5) 右第三〔一〕掲記の支部勘定明細簿中「支部勘定規定」の記載

(6) 給料台帳(証二八一―一~一四、証二八二)の昭和27、7月分乃至昭和27、10月分の各記載と「受領印」欄の印影の存在

〔二〕 認定

(1) 各組合員の事業所における現金(直ちに取立のできる小切手、利札、郵便為替を含む)は原則として、毎朝その前日の分全部を組合事務所に持参し、事務所で之を保管していたこと。

(2) 毎日、右の実行できない組合員は、隔日か数日おきにまとめて、組合事務所に持参していたこと。

(3) 佐賀県三養基郡基里村、同田代町、同基山町の各組合員は、組合事務所が遠方であつて、毎日、現金をもつてゆくことが不便であるので、従来どおり月一回の現金プールをする者が多かつたこと。また、毎日現金プールに参加しても、(2)のような実施の方法であつたこと。

(4) 各組合員は、プールに関する請求書、諸届書に使用する印鑑を一定し、筆蹟と共に組合事務所に届出していたこと、

(5) 各組合員は、当初は市販の、のちには事務所で印刷作成した入金伝票及び支払伝票又は出金伝票(複写のものと、そうでないものとある)を事業所に備付けていたこと。

(6) また、毎日現金プールするようになつてから、支部勘定補助簿(当初は佐賀中央銀行の普通預金通帳を以つて代用している)を備付けていたこと。

(7) 組合員が売上金を事務所に納入するには、先ず日報の支出欄の支部勘定にその額Aを記帳し、ついで入金伝票に、その額Aを記載し、摘要欄に金種(現金か小切手かなど)を記入し、事業所責任者欄に自筆し(ときにはゴム印等押捺している場合もある)届出している印鑑を押捺し(ときには指印のときもある)現金と右入金伝票と支部勘定明細簿とを事務所に提出していたこと。

(8) すると事務員が右伝票の署名、印影を届と照合し、右現金を受取り、その組合員の支部勘定明細簿の「支部勘定(受)」欄(代用通帳のときは「預り金額欄」)に右A額を記入し「係り証印」(代用通帳のときは「預り証印」欄)に認印を押印して組合員に右明細簿を返していたこと。

(9) 組合員が右組合事務所に保管して貰つている金から、引出す場合には、日報の「収入」欄の支部勘定に当該金額Bを記帳し、支払伝票(又は出金伝票)の金額欄に右Bを、摘要欄にその内訳を記入して、事業所責任者欄に右(7)のときと同様に署名押印し、右伝票を組合事務所に持参したこと。

(10) すると、組合事務所では、右伝票の署名、印影を届と照合した上で、右B額を右伝票を持参した者に支払つたこと。右支払は現金又は小切手によつたこと。

(11) しかして、右伝票を持参するときと同時か、またはその翌日に右組合員は支部勘定明細簿を事務所に持参し、右Bを「支部勘定(払)」欄(代表通帳のときは「払戻金額」欄)に記載して貰い、事務員は右(8)と同様に認印を押捺し、差引現在高を整理していたこと。

(12) 組合員の中には、仕入の支払については一切、仕入先に右支払伝票を交付して、仕入先をして組合事務所で小切手又は現金を受領せしめていた者もいるが、組合員自身が支払伝票を右(10)(11)のように事務所に提出して現金を引出した上、仕入先又は諸経費の支払をしていた者もいたし、または一旦、組合事務所に納入しても直ちに現在高をほとんど全額引出して、爾後現金を自ら保管して営業していた者もおり、必らずしも組合員の諸払一切を組合事務所でしていたのではないこと。

(13) 給料名目額については、右支部勘定明細簿の差引残高額が、当該組合員及びその雇人の各給料所定額の合算額を超過しているときには、各組合員は、右(9)(10)(11)と同様な方法により事務所から現金又は小切手で引出していたこと。

(14) 組合事務所では右給料名目額を、袋になつた給料明細書に入れて交付しており、かつ給料台帳に受領印をとつていたこと。

(15) なお、右の場合、支部勘定明細簿には赤インクで「支部勘定(払)欄」(代用通帳のときは「払戻金額」欄)に右金額を記載していたが、右赤インクの数額は、簿記上のマイナスを意味するものではないこと。

(16) 運営費についても、右給料名目額と同様な手続により、組合員が引出し、事務所に支払つていたこと。この場合の支部勘定明細簿の記載要領は、右給料名目額と同様であつたこと。

(17) 支部勘定明細簿の「支部勘定(払)」欄に「<コ>」のしるしのある赤インクによる数額の記載が存する分があるが、之は天本峯蔵、楢林、牟田、光安、緒方(覚)、豊増等十六名で組織し、天本の妻が世話人をしていた講会の掛金であつて、右掛金を、便宜組合事務所から各組合員宛小切手で振出して、講元に一括交付し、各組合員の右支部勘定明細簿に右のように記載していたこと。しかして、この講金については各組合員の日報の「収入」欄支部勘定には記載されていないこと。

(18) また支部勘定明細簿の「支部勘定(払)」欄に「TAX」のしるしのある赤インクによる数額の存する分があるが、之は楢林、天本、中村、豊増、光安等が共同して開業を予定していたタクシー業用の自動車購入金の掛金であつて、之も右(17)の講金と同様で、組合事務所で集金を担当しており、それを右のように明細簿に記載し、かつ、日報には記載していなかつたこと。

(19) すなわち、右明細簿の「支部勘定(払)」欄の赤インクによる記載は、当該組合員の預け入れの分から支出することは、他の青インクによる記載の分とかわらないが、前者は日報の「収入」欄の支部勘定欄には書かない金額であること。

(20) 支部勘定明細簿の「差引現在高」欄は日ごとに算定記帳され、各組合員が事務所に預け入れた現金の残高がいくらであるか、常に直ちに各組合員毎に判明するようになつており、各組合員の入金、出金の差引は計算が合うようになつていたこと。

(21) 入金、出金は各組合員の全く自由にまかせられており、なんら制限はなかつたこと。この点は、銀行における普通預金と全く同じであつたこと。

(22) 支払の限度はあくまで、当該組合員の「差引現在高」の範囲内であつたこと。ただし、非常な例外として「差引現在高」が零であつても、後日確実に返還できる組合員に対してのみは短期間だけ融通していたこと。この場合融通を受けた組合員は必らずその額を自己の事業所の売上金から返還せねばならなかつたこと。

(23) 本組合で作成された支部勘定明細簿の二枚目に記載されている「支部勘定規定」の文章は、佐賀中央銀行発行の普通預金通帳を代用した支部勘定明細簿の二枚目に記載されている「普通預金規定」の文章に酷似しており、かつその内容は全く同趣旨であること。

(24) 右「支部勘定規定」の

4、の後段は

「御届の印鑑と照合し、相違なしと認めて御取扱を致しました上は、印章の盗用、その他どのような事故がありましても出張所は一切その責を負いません。」

5は、

「此の明細簿又は印章を喪失された時若しくは改印、改名、転居等の時は直ちにその旨を出張所に御届出下さい。御届出以前に生じた損害、事故については出張所は一切その責に任ぜません。」となつていて(前示普通預金規定の4、6は右と全く同一文章である)手続の不備による危険負担は、その現金を預け入れている組合員に帰属し、事務所は一切責任を負わないことを言明しているのであり、このことは、一般普通預金者と銀行の関係は全く同一であること。

(25) 組合事務所は組合員から納入された現金を、佐賀中央銀行鳥栖支店の当座預金に振込んでいたこと。

などが認められる。

第五 結論

〔一〕 以上、認定した第一乃至第四の各事実を綜合すると、

(1) 本地区の本期間の現金の管理、流通、還元の実態は、既に認定した他地区と異り、原則として、毎日、各組合員は事業所の現金を組合事務所に預け入れ、事務所において、之を保管(当座預金に振込む方法により)していて、各事業所では保管々理していなかつたこと。

(2) しかしながら、各組合員と、組合事務所の関係は、手続的にも法律的にも一般普通預金者と銀行との関係と同一であつて、組合事務所は右受取つた現金につき、いわば私設銀行の如き役割を果していたにすぎなかつたこと。

(3) すなわち、各組合員の売上金等の事務所に対する入金出金は全く組合員の自由であつて、事務所は入金を強制したり、出金を制限したりする権限はなかつたこと。

(4) 組合事務所では、各組合員が入金した現金を一括して銀行に当座預金にしていて、恰も組合事務所が主体となつて現金の管理、流通を掌していたように窺われるが、実際は、各組合員の入金高は組合事務所に各組合員毎に常に明確に判明しており、(各支部勘定明細簿の「差引現在高」である)組合事務所は各組合員が右入金高を限度として、その出金、入金をするについて、単にその仲介をした程度にすぎず、右預金の主体者であるとはいえないこと。

(5) 極めて稀に、入金高以上に支払をしている場合があるが、この場合でも常に融通を受けた額は、組合を通じて融通して呉れた他組合員に対する債務として存在しており、その返還は当該組合員の事業所の売上金によるか、借入金によるか、いづれにしても、その組合員個人の危険負担においてなされねばならなかつたのであるから、実質的な統一計算による組合事務所を主体とする融通補填ではなくて、右事業所を仲介とした組合員相互間の単なる消費貸借関係にすぎなかつたこと。

(6) 之を要するに、以上の如き形態をとつたにしても、組合を主体とする統一計算は、実質的にはなんら行われておらず、各組合員は依然として、給料の決定額等にかかわりなく、自己の事業所だけの売上金、及び自己の裁量による借入金等の現金によつて、自己の責任と危険負担において営業を行い、生活費を賄つていたものであつて、結局、各事業所の損益は一切その組合員個人に実質的に帰属していたのであり、その実態は、加入前及び昭和27、7月以前の実態となんらかわるところはなかつたということができるのである。従つて、給料の決定もその支給も、昭和27、7月以前と同様に形式的なものにすぎず給料台帳の記載、押印、給料明細書の交付もなんら給料支給の実質を証するものではないといわねばならない。

〔二〕 証人牟田正二の証言によれば、本地区における右のようないわゆる毎日現金プールは、他地区の現金プールの実態とは稍々趣きを異にするため、理事会でもその可否が論ぜられ、之に対して被告人森原春一も意見を表明していることが認められるから(詳しくは後述する)

右実態は右被告人は充分に知つていたと推認することが出来る。

第三点 借入金処理の実態

〔一〕 証拠

(1) 証人桜井勇雄、吉松悟、竹下万太郎、原田政雄、武富未喜代の各証言、

(2) 鳥栖支部の議事録(証二三九)中、昭和27、1、24第二回総会の記事の中「<7>事務討論(木村氏説明)」の個所の各記載

(3) 第二点掲記の日報、入金伝票、支払伝票、支部勘定明細簿のうち、借入金に関する各記載

〔二〕 認定

(1) 各組合員が営業資金に不足した場合は、当該組合員個人の信用と責任により、第三者から必要な資金を借入れて使用し、元利をその組合員の事業所の売上金から支払い、組合事務所が自己の金を融通したり、事務所自体がその信用で借入金を斡旋したり、借入れた組合員に融通したようなことは全然なかつたこと。

(2) その場合、昭和26、12月から昭和27、6月迄は、既に認定した他地区と同様に、日報の「支出」「収入」の各支部勘定の記載を操作して支部(組合事務所)を通じて支部から借りたように、また支部に返済したような形式をとつていたこと。

(3) 昭和27、7月以後は、第二点において認定した売上金と同様に日報、入金伝票、支払伝票、支部勘定明細簿の各記帳を操作して、(2)と同様に組合事務所から融通を受け、また同事務所に返済したような形式をとつていたこと。

(4) 右のような形式をとることは、本部事務員の木村善一の指導によるものであつて、その実態は、既に認定した他地区の借入金処理の実態と実質において全く同様であるといえる。

第四点 結論

右第一点乃至第三点において認定した各事実を綜合すると、本地区の発足以来、昭和27、11月迄の現金の管理流通、還元の実態は、昭和27、7月以降において他地区ではみられなかつた毎日現金プールを実施していた点が異つているほかは、各事業所の収益の帰属の関係及び記帳の形式性において、本質的には既に認定した一一地区の各実態と全く同様であると認められるので、右各認定を引用する。

第三項 加入時の資産処理の実態

第一 証拠

(1) 証人桜井勇雄、吉松悟、竹下万太郎、立石直典、松隈助次、緒方覚、中島関造の各証言及び調書

(2) 証人牟田正二の証言

(3) 証人天本峯蔵の調書

(4) 本節第一項、第二項において認定した各事実

(5) 既に認定説示した一〇地区における各加入時の資産処理の諸事実

第二 認定

(1) 右各証人は、本地区の発足当初から、昭和27、8月頃迄に本地区において本組合に加入した組合員であるが加入の際における、各人の所有にかかる営業用資産の処理については、債権債務も含めて、本地区では買上証借用証が各組合員に作成交付されていない点を除き、右資産を各組合員は真実に組合に売渡し、代金を受取る意思を有せず、また債権債務を真実に引継ぐ意思を有せず、組合は之を買受け又は引受ける意思を有せず代金を支払う意思を有しなかつたにかかわらず、棚卸表、貸借対照表を作成し、右資産が組合の資産であるような帳簿を作成するなど恰も右両者間に真実に売買又は引継ぎがなされたかの如き外形を装つていたこと

(2) 右のような実態は、本節第一項で認定した被告人上野盛雄を初め牟田等の役員、職員の本組合についての説明の内容と合致するところから、かかる実態は、右上野被告人を初め本地区のすべての役員、職員、組合員が知つていたこと。

が認められる。

第四項 結論

第一項乃至第四項において認定した各事実を綜合すると、本地区における各組合員の営業の実態は、実質的にも形式的にも既に詳論した一〇地区の各実態と同様であろということができるから、右一〇地区につき結論として論述したところをそのまま本地区の結論として引用する。

しかして、本地区の右の如き実態は、被告人森原春一、同上野盛雄をはじめ、本地区の役員、職員は勿論、全組合員が知つていたと断定することができる。

第一三節 下関、防府出張所

第一項 本地区の設立の経緯、組織及び本部の指導

第一点 本地区の設立の経緯

証人茂木良一、神辺義雄の各証言、並びに第一九回理事会議事録(証一六九八―七)総会理事会議事写(証二三七)を綜合すると。

(1) 下関市において茂木良一等一〇数名の者は、本組合が小倉市にあるときいて、そのうち、茂木、藤本、山本の三名が本組合北九支部を小倉市に訪ね、理事会を傍聴し、被告人森原春一から説明をきき、小倉市所在の事業所を見学したこと、

(2) 右傍聴した理事会

昭和21・11・9 小倉市室町四丁目松文堂印刷所で開催された第一九回理事会の前後には小倉市内で理事会が開催されていないし、傍聴者として茂木良一、山本利平、藤本泰喜の記載のあるところから右(1)の事実も併せ考えると前記理事会とは右昭和26・11・9の第一九回理事会であつたこと。

(3) 右理事会には、被告人森原春一、同上野盛雄、同木下仙友が出席していたこと。

(4) 茂木等三名は下関市に帰り、一〇数名の加入希望者を集めて、右小倉市訪問の結果を話し、さらに、本組合に加入するにはなおよく具体的に本組合の内容を聴くこととし、本部にその説明を求めたこと。

(5) そこで、被告人森原春一、同木下仙友、木村事務員(当時北九支部に所属)が下関市に出張し 右加入希望者に本組合の具体的内容を説明したこと。

(6) その結果、一〇名近い者が本組合に加入し、北九支部の一出張所のような形で、昭和26暮に発足したことが認められる。

(7) なお第一九回理事会においては、北九支部の報告として、昭和26・11・9の組合員数を「下関を含めて一二八名」と報告されていることが認められるので、右茂木等の加入とは別途に、右日時以前に既に本組合に加入し、北九支部に属する組合員がいたことが推認される。

第二点 組織

〔一〕 沿革

前点掲記の証拠、並びに、事業報告書(証三〇三〇)組合報告(証一七四一―四八)山口県支部事業所名簿(証二二六五)報告書(証二二五五―四〇)第二一回理事会以後の報告(証二二五五―三八、三九)、本部報告(証四六〇―八五)山口県支部報告(証二四五〇―一八二~一八四、証二二五六―五二~五五)

組合員名簿(証一四一九―二)の各記載、証人三牧年の証言、被告人上野盛雄の証言を綜合すると。

(1) 第一点で認定したような経緯で発足した本地区は、昭和27・2・1の第二〇回理事会で下関支部として独立し(登記は昭和27・2・2)、昭和26暮に発足していた本組合防府地区を防府出張所として、その傘下に包含し、ついで昭和27・4・1の機構改革で、山口県支部下関出張所並びに同防府出張所となつたこと。

(2) 本地区の事務所は、発足の当初より一斉捜査後頃迄下関市外浜町三五番地にあり、山口県支部の事務所も右同所にあつたことが認められる。

〔二〕 役員

前〔一〕掲記の証拠によれば

(1) 茂木良一は、本地区が下関出張所となると共に、同出張所長となり、かつ、昭和27・5・25第七回定期総会で理事に選任され、一斉捜査後頃まで、その地位にあつたこと。

(2) 神辺義雄は、前段認定のように、本地区が支部に昇格すると共に、下関支部長となり、昭和27・4・1の機構改革と共に山口県支部長となり、昭和27・9月頃迄その地位にあつたこと。

(3) 土肥義雄は、右神辺の後任として山口県支部長になつたこと。

(4) 天野健一は、防府地区の発足以来、昭和27・4・1の機構改革後、少くとも一斉捜査頃まで、防府地区の長の地位にあり、かつ、右茂木と同日理事に就任し、右一斉捜査頃までその地位にあつたこと。

が認められる。

〔三〕 職員

前段〔一〕掲記の各証拠、並びに証人松本昌員、吉原キミノの各証言、一人別給料簿(証二二二五)の各記載を綜合すると、

(1) 奥田芳治は、本地区発足当時から本地区の事務員であつたが、昭和27春頃、宇部出張所の事務員となつたこと、

(2) 槌尾鶴一は、昭和27・4・10 下関出張所の事務局長となり、藤本春喜の退職した昭和27・8月頃から山口県支部の事務局長となつたこと。

(3) 藤本春喜は、本地区の発足当時から事務員として勤務し、昭和27・4・1の機構改革で山口県支部事務局長となり同年春頃まで同地位にあつたこと。

(4) 下岡出張所としては、岡本里美、植松泰子、水城和哉等が事務員であつたこと。

(5) 山口県支部の事務員は、向尾文雄、梶マス子であつたこと。

(6) 防府地区は、昭和26暮から一斉捜査当時迄、事務責任者は萩原正であり、その他に宇都宮安江、ついで池田勝一がいたこと。萩原は、後に下関出張所の事務を担当したこともあること。

が認められる。

〔四〕 組合員数

本地区の各年月の組合員数(事業所数)は次のとおりである。

<省略>

第三点 本地区に対する本部役員、職員の指導

〔一〕 前点掲記の各証拠並びに本組合本部の金銭出納簿(証三〇一三、証二二五四)の中、本地区に対する各役員職員に関する各記載を検討すると、

(1) 既に認定したように、本地区の発足に際しては、被告人森原春一、同上野盛雄、並びに当時北九州支部の事務員であつた木村善一が出張して、本組合の具体的内容を説明すると共に、加入手続を指導していること

(2) 昭和27、2、14 被告人森原は防府出張所の総会に出席し、翌15日に下関支部の総会に出席していること

(3) 昭和27、2、26 本部事務員となつた木村善一は、下関支部に経理事務講習のため、出張して来ていること。

(4) 昭和27、3、18 下関評議員会に被告人上野盛雄が出席していること。

(5) 昭和27、3、22 下関総会に、被告人森原春一が出席していること。

(6) 昭和27、3、25 木村善一が本地区に出張して来ていること。

(7) 昭和27、4、20 被告人森原春一が本地区に出張して来ていること。

(8) 昭和27、4、26 木村善一は、経理事務指導のため本地区に出張して来ていること。

(9) 昭和27、5、8 山口県支部総会に被告人上野が出席していること。

(10) 昭和27、6、24頃 被告人森原が本地区に出張していること。

(11) 昭和27、7、31 木村善一は経理指導のため本地区に出張していること。

(12) 昭和27、8、22 被告人上野及び緒方は、下関評議員会に出席していること。

(13) 昭和27、8、25頃 上野被告人は本地区に出張していること。

(14) 昭和27、9、10頃 上野被告人は本地区に出張していること。

(15) 昭和27、9、13頃 筒口某、被告人森原春一は本地区に出張していたこと。

(16) 昭和27、10、30 被告人上野盛雄は下関出張所の班長会議に出席していること。

がそれぞれ認められる。

〔二〕 右の如き事実からすれば、本地区に対する本部の、とくに被告人森原春一、同上野盛雄木村善一の各指導が密接になされていたことが認められる。

第四点、役職員の本組合の具体的内容についての説明

〔一〕 証人松本昌員、林嘉一、林レイの各証言及び調書を綜合すると、

事務員奥田芳治は、加入希望者に対し、本組合の具体的内容のうち、営業の本質的な点については、

(1) 組合は法人だから、税金は給料に対し源泉所得税だけとなり、従来のように事業税、事業所得税はかからなくなること。

(2) 給料とりといつても、それは形式的なものであること。

(3) 営業は、実際は各業態によつて売上総額に対する一定の歩合による組合費と若干の用紙代を事務所に納入して貰えば、加入前と全く同様に営業ができること。

(4) 加入に際しては、営業用資産を組合に売渡して貰うが、之は形式だけそのようにするのであつて、実際に組合が買取るのではないこと。

(5) 加入、脱退は自由であること。

などの趣旨を説明していたことが認められる。

〔二〕 証人永山敏照の証言及び調書によれば、同人は槌尾鶴一から本組合の具体的内容の説明をきいて、昭和27、6月頃本地区に加入した者であるが、右説明の結果同人は、本組合は計理士のような仕事をするものであつて、営業はあくまで従前どおり、個人営業をするものであることを認識したことが認められるところから、右槌尾の説明もまた、右奥田と同一趣旨の内容であつたことが推認される。

〔三〕 証人吉原キミノの調書によれば、昭和27、6月中頃、本地区の事務所で若い事務員から、本組合の説明を聞いたが、その内容は、前敍奥田の説明と同趣旨であつたことが認められる。

第二項 現金の管理、流通、還元の実態

第一点 本地区における現金の流通と小切手の使用について

第一、記帳相互の関係

〔一〕 証拠

(1) 当座小切手帳控(証二二三四、証二二三五、証二二五三―一、二)の各記載

(2) 当座勘定入金帳(証二二五二、証二二三三)の各記載

(3) 伝票、小切手綴(証二一八四、証二一八五)の各記載

(4) 豊浦信用金庫唐戸支店作成の当座元帳(証二二八六―一、二)の各記載

(5) 給料明細書(証二二一七、証二二四二、証二二七二、証二二七八)の各記載

(6) 永山敏照名儀の昭和27、5月分~11月分(証二一六九―二~五 証二一七四、証二一八〇、証二二七一証二一八三―五)、鶴川虎一名義の昭和27、1月分~11月分(証二一七〇、証二一七一、証二一六九―一、証二一七二、証二一七三、証二一七五、証二一八七―一~三)、木村清名義の昭和27、9月分 10月分(証二一八一、証二一八三―三)茂木良一の昭和26、12月分~昭和27、8月分(証二八八三―一~九)松本昌員の昭和27、8月、10月分、11月分(証二一七七、証二一八三―六)林レイ名義の昭和27、8月、10月、11月分(証二一七八、証二二四五)吉原キミノ名義の昭和27、10月、11月分(証二一八三―四)八尋六郎名義の昭和27、10月分(証二一八三―二)の各日報の支部勘定の各記載

(7) 証人梶原道雄の証言

〔二〕 表示上の相互関係

便宜上各記載を左の通り図示する。

関係一覧表

<省略>

〔三〕 記帳関係の実態

(Ⅰ) 一般的記帳関係

(1) 本地区が下関市の豊浦信用金庫、唐戸支店との間に当座預金契約を締結し、口座を開始したのは、昭和27、2、28であり、そのときは共栄企業組合下関支部長、神辺義雄名義であり、右口座は、昭和27、10月頃、共栄企業組合山口県支部長土肥義雄名義に変更になり、昭和28、8、1に残高を普通預金に振替へ、右口座を閉じていることが認められる。

また、右口座とは別個に、右支店との間に共栄企業組合下関出張所長茂木良一の名義を以つて、昭和27、9、1に新に当座預金契約を結び口座を開き、右口座も昭和28、8、1に閉じていることが認められる。

従つて、本地区では、昭和27、9、1以降は、当座預金の口座を同一金庫に二つ開いていたことが認められる。

(2) よつて、<3>、<12>の名義は、右認定の三個の名義のいずれかであり、

(3) ところで<1>、<2>、<5>の各番号はいずれも同一であり、

(4) また<4>には、収入済印(赤インクで丸印)が振替印(青インクで角印)か、いずれかが押捺してあるが、之と同一番号の控の方にも同一の押印のあることが各認められる。

(5) しかして、振替印の場合は、控の方は単に「振替」とのみ記載されているが、票の方には「振替」の下段に「当座予金」の押印があることが認められ、かつこの場合、控と票との間には<26>のような割印のあることが認められる。従つて控の方の「振替」もまた「当座預金」であることが推認される。

(6) ところで右<4>が「振替」のときは<13>には、裏書人の署名押印はなく

(7) <24>には、当該Aについての内訳及び名目が細部に亘つて記載されていて、同一入金票の<24>に給料名目と運転資金名目、加入金名目、出資金名目等が雑然と一諸に列記されていることが認められる。

(8) <5>の梶原の印は、右唐戸支店の当座予金係の梶原道雄の印であつて、同人が本口座の入金を処理していたことが認められる。

(9) <8>の名義は、<13>に裏書人の署名押印のある場合は、一致しているが、<13>に裏書のない場合は、<8>によつて、同小切手の振出相手方(<6>と<10>とは一致している場合)を推認することができる。

(10) <9>の記載は、給料名目、運転資金名目であるが、同一の小切手に右両名目が列記されている場合が多数に認められる。

(11) 給料明細書は昭和27、1月分、2月分は袋になつていて<20>の名義が共栄企業組合北九支部となつており、之をそのままにしているのと、之を抹消して共栄企業組合下関支部のゴム印を押印しているのがあり、昭和27、3月分以降昭和27、11月分迄は前表図示のような記載となつていることが認められる。すなわち下関地区の組合員に対しても、山口県支部名義の明細書が交付されていたことが認められると共に、山口県支部の他の出張所にも右と同一の明細書が交付されていたことが推認される。

(12) 日報の<22><23>の各記載はほとんど全部、当該日報の他の記載の筆蹟及びインクと異り、各異る記載者によつて記入されていたことが推認され、当座小切手帳控と対比した場合、<9>に運転資金の記載のある場合、その組合員のその年月日の日報の収入欄支部勘定に同一金額の記載があることが認められる。

(13) <9>が給料名目であるとき、<19>にも同一金額の記載があることが認められる。

(Ⅱ) 当座元帳と現金の流通

(1) 入金票の<4>に「振替、当座予金」のゴム印の押印のあるような入金の場合は、右入金の小切手については裏書がなく、唯その控の方には右小切手の渡先と、その内容(給料名目や運転資金名目)が摘要欄に記載され、

(2) 右のような小切手による入金は、自己振出小切手の自己口座への振込みであつて、入金と支払が同時になされる筋合となり、当座勘定元帳には、入金にも、出金にも記帳される(常に同額である)が、右のためには、第三者の記帳だけで済み、右小切手又は入金票に記載されている金額に相当する現金は、必要でないことが認められる。

(3) すなわち、右のような操作をするためには、現金は必要としないのであつて、従つて、入金票及びその控に「振替」のゴム印の押捺のある入金の場合はすべて現金が右記載どおりに流通せず、唯右三者の記帳だけがなされていたことが認められる。

(4) 昭和27、2、28―昭和27、6、4間の入金票控(証二二五二―一、二)及び入金票(証二一八二―二~二六)の記帳を検討すると、多数に右のような「振替」のゴム印のあることが認められる。

(5) ところで、右入金票と当座元帳とを対比すると、右のような入金の場合は、元帳の記載に非常に特徴があり、常に前表〔Ⅱ〕のような記載になつている。もつとも〔Ⅱ〕のような形の記載全部がそうであるとは限らない(後述)。また〔Ⅱ〕の場合の<16>の借方の記載小切手番号毎に個別的になつているが、入金の<17>の借方の記載は一括である場合もあるが、この場合でも、<16>の合計は<17>に必らず合致することが認められる。

(6) また入金票(証二一八五―一)と当座元帳(証二二八六―三)の対比及び小切手七二枚(証二一八五―二~七三)の各記載及び証人梶原の右記載に対する証言から、当座元帳の昭和27、9、12の記載のうち、<17>一、三三〇、〇〇六円、<14>小切手七二枚、<16>一、三三〇、〇〇六円の記載は、本組合が七二枚の小切手を一括して自己口座に振込み、右金庫の方では、右振込みと支払は前敍したような現金の流通のない記帳であつて、差引残高には影響がないので、右七二枚の支払を一枚毎に当座元帳に記載する手数を省き、右<14>のように一括して記帳したものであることが認められる。

(7) かつ右七二枚の小切手の右上には鉛筆で氏名及び「残」「運」等の記載があるが、第一項掲記の名簿と対比すると、右はいずれも本地区組合員名であることが認められ、右小切手は、それぞれの右記載の組合員に対する給料名目又は運転資金名目で振出されたものであることが推認される。

(8) 当座元帳のうち、各<14>の記載の中で、昭和27、11、5の「七七一九~七七三二(一四枚)」、昭和27、11、6の「九七〇六~九七二一(一六枚)」、昭和27、11、7の「九七三四~九七四五」、昭和27、12、5の「一一三九―一一五〇」、昭和27、12、6の「五七〇~五八五」の各記載は、右(6)の事実と証人梶原の証言からすれば、いずれも(6)の一括記載と同一内容の場合であることが推認される。

(9) すなわち、前表当座元帳〔Ⅲ〕のような記載の場合にも、〔Ⅱ〕と同様に現金の流通はなく、単に小切手、入金票、当座元帳の書類上だけの記載にすぎないことが推認される。

(10) また、(4)(5)と対応する小切手帳控(証二二五三)のうち、<8><9>の記載によれば、現金の流通してない、つまり自己口座への振込みになつている裏書のない小切手は、それぞれ本地区組合員に対する給料名目、又は運転資金の名目の支給、融通となつていることが認められる。

(11) 右、(6)(7)(10)の認定事実からすれば、(8)のように元帳に記載されている小切手も、それぞれ、現金の流通は全然ないのにかかわらず、各組合員に給料名目額の支給、又は運転資金名目額の融通を小切手によつて行つたかのような形式になつていることが推認される。

(12) ところで一方、<4>に「収納」のゴム印のある場合は実際に、該入金票、記載金額に相当する現金又は他店振出の小切手を振込んだものであると認められるが、当座元帳を一見するに、その入、出金の記載には前表〔Ⅱ〕の形態による記載が実に多数であることが認められる。かかる形態による入、出金は、たとえ現金が流通したとしても、当該金額に相当する現金を入金と同時に出金しているものであつて、右金員につき、単に右金額を通したにすぎず、実質的にはなんら金庫を通さない場合と限らないというべきである。すなわち、既に認定した各地区の現金プールにおける小切手の使用から判断すると、右の如き場合は、組合員が一定金員を組合に提出し、組合はその金員を金庫の口座に振込むが、それと同時に該組合員は、組合から右金員に相当する小切手の交付をうけ、直ちに現金化したものであることが充分に推認される。

しかして、右〔Ⅱ〕の形態は同一日時に多数の同様な記載があるところからすれば、各組合員毎に入、出金を繰返していたことが認められる。また右の形態であつて、<17>は一括記帳であり<16>は多数に分れているがその合計は<17>と合致する場合があるが、このような場合でも右認定と同一のことを二人以上の組合員が行つたにすぎないと推認される。

第二 認定

以上認定した諸事実を綜合すると、

(1) 本地区においては、いわゆる給料名目、又は運転資金名目の支給、又は融通には、昭和27、2、28以降一斉捜査後まで、小切手を使用しているが、その小切手の中には、現金の流通を伴わない、且不渡りではない自己口座振込の小切手があること、かつ、かかる小切手は、本地区の運営においては稀なことではなく、昭和27、3月から昭和27、11月にかけて多数にあることが認められる。

(2) 右の小切手についても、名目的には、各組合員に給料、若しくは運転資金を支給した形になつているが、かかる小切手は、その名宛人の組合員に交付すらされず、該額面どおりの現金が当該組合員に支給されなかつたことは勿論のこと、右小切手は組合事務所と右金庫の間で処理されるだけであつて、右小切手の記載及び存在、之に基づく小切手控の記載、入金票の記載及び存在、当座元帳の記載はいづれも現金の流通を表明しないのみならず、却つて、かかる複雑にして無意味な記載と操作を繰返していたことは、真実に給料名目額を支給せず、運転資金名目額を融通しないのにかかわらず、恰もそうであるかの如き体裁を右記録によつて仮装せんとしたものであることが明らかに推認されるところである。

(3) 従つて、右記載に照応する該組合員の日報の支部勘定の記載、並びに給料支払明細書も記載及びその交付もまた、右(2)と同趣旨に出たものであることが充分に推認出来る。

(4) よつて、右のような小切手を交付されたことになつている組合員と組合事務所の間には、右小切手に相応する現金の流通は組合事務所から組合員に対しては勿論のこと組合員から組合事務所に対しても全然なかつたことが断定できる。

(5) 次に該組合員に給料名目、又は運転資金名目の支給として現実に交付される小切手であつて、当該組合員が之を右金庫で現金化して該現金を受領している場合も相当多数にあるのであるが、そのほとんどは、当該組合員が現金化しているだけであつて、当該組合員にとつては実質的には、自己が組合に提出した現金の還元を受けているにすぎず、それを小切手を使用し複雑、巧妙に操作して恰も組合が主体として給料を支給し運転資金を融通していたかの如く仮装していたものであることは、前認定の現金の流通を伴わなかつた小切手の操作の場合と全く同趣旨であると断言することができる。

第二点、本地区におけるいわゆる現金プールの実態

第一、証拠

(1) 証人松本昌員、吉原ミキノ、林レイ、永山敏照、林嘉一の各証言及び各調書

(2) 前第一点認定の各事実

(3) 既に認定した一一地区の各現金プール及び借入金処理の各実態の各事実、

第二、認定

(1) 売上金、借入金等は各組合員が自己の事業所に保管して、加入前と同様に自由に営業に使用していたこと

(2) しかして月一回、概ね月初めに、日報上のその前日の本日手元現金高に相当する現金に日報とを組合事務所(長府地区では、林嘉一方)に持参し、右現金の中から、売上金に一定の率を掛けて算定した運営費及び日報代等を支払つた残額は、給料所定額に対する過不足にかかわらず、その全額を給料名目及び運転資金名目で、当初は現金で、昭和27、3月からは小切手で還元して貰つていたこと。その際に組合事務所から右残額以上に融通補填して呉れることは絶対なかつたこと。

しかして日報の支出、収入各欄の支部勘定は事務所の方で記入していたこと。

(3) 之に対し、組合員の中には右現金プールに売上金全額を組合事務所に持参するようなことをせずに、単に運営費、日報代等現実に組合に支払うべき現金だけと日報のみを持参し、日報の支部勘定は支出、収入各欄とも事務員に記帳して貰い、右現金だけを支払つていたにすぎない組合員もいること。

すなわち、前点で認定した自己口座振込みの現金の流通しない数字だけの小切手は、右のような組合員に対する給料支給又は運転資金融通の各名義で振出されていたものであること。

(4) 右 (2)(3)の場合を問わず、どの組合員にも給料を所定額どおり支給したようになつている給料支払明細書の小紙片を交付していたこと。

(5) 借入金も、組合員各自が自己の信用で之を借受け、之を組合に一旦提出し、組合から恰も運転資金の融通をうけたような形式で、右同額の小切手の交付を受け、之を現金化して使用し、返済するときは直接に自己の売上金から返済しており、日報上はいずれも支部勘定に記載していたこと。

(6) しかして、各組合員は、右のような現金の流通、還元の下に、それぞれの生活費は、

加入前と同様に、給料の所定額にかかわらず、自己事業所の売上金から賄つていたこと。

がそれぞれ認められる。

第三点 結論

以上、各認定事実からすれば、各組合員は、組合事務所に対し、単に運営費、その他日報代等を支払う以外は加入前と全く同様に自己事業所の売上金及び自己の信用による借入金だけで営業を行い、生活費を賄い、その事業上の収益一切を所得としていたものであるにかかわらず、巧妙周到な小切手等の操作によつて、恰も組合が主体となつて実質的な統一計算を実施して、各組合員に給料を所定額どおり支給し、運転資金を融通補填していたかの如く装つていたことは、既に認定した他地区の現金プールの実体と同様であることが認められる。

第四点、出資金の脱退者に対する返還について、

金銭出納簿(証二二二一)の記帳によれば、昭和27、4、1出資金加入金返済二、五〇〇円昭和27、5、6同上、昭和27、7、8返金二、〇〇〇円、昭和27、8、18出資金返済二、〇〇〇円、昭和27、8、19同上、昭和279、5同上、昭和27、9、6同上、昭和27、9、8同上 昭和27、10、1同上、昭和27、11、12同上の各記載の存するところからすれば、脱退者に対しては出資金は払込金額二〇〇〇円全額を脱退の日時如何にかかわらず、常に返済していたことが推認される。

第三項 加入時の資産処理の実態

第一、証拠

(1) 証人松本昌員、吉原ミキノ、永山敏照の各証言及び各調書

(2) 証人林嘉一の調書

(3) 第一、第二項認定の各事実

(4) 第二節乃至第一二節の加入時の資産処理についての各事実

第二、認定

本地区においても、他地区と同様に組合員は、本組合に加入に際し、その所有にかかる営業用資産につき、棚卸を実施して、同表をまた債権債務、現金を含めて貸借対照表をそれぞれ作成した上、組合事務所に提出していたが(本地区では買上証、借用証は作成されていない)右作成提出にする各組合員の認識には多少の差異はあつてもいずれも右表掲記の資産を組合に真実売渡し、債権債務、現金を真実に引継ぎ、代金を受領する意志を有しておらず、組合も真実買上げ、引受け、代金を支払う意思を有せずその上各組合員は右資産を、組合が買上げても代金が支払えるようには絶対になりえない組合の機構であることを知つていたことが認められる。

第四項 結論

第一項乃至第三項において認定した各事実を綜合すると、本地区は実質的にも形式的にも既に認定した各地区の各実態と全く同様であるから、本地区の結論に右各地区の結論を引用する。

なお、右のような本地区の実態は、本地区の全組合員及び役職員、特に被告人森原春一、同上野盛雄、木村善一も充分に知つていたということができる。

第一四節 大分、別府、竹田、各出張所

第一項 右各地区の設立、沿革、組織及び役職員の説明

第一点、右各地区の設立の経緯

第一 証拠

(1) 証人下村才造、佐藤矢、三田新一、木村一男、竹内秀吉、木戸義満、青木正義、橋本俊太郎、仲山恒幸の各証言、被告人上野盛雄の証言、

(2) 加藤雅武名義の照会(証七五九―三八~四〇)、松田二郎名義の連絡(証七五九―三七)、電報(証七五九―三五、三六)、竹田出張所名義の照会(証七五九―三二~三四)、高木竜夫名義の第二回支部定期総会報告(証七五九―一四~一六)

(3) 便箋複写簿(被告人上野盛雄筆蹟の手紙)(証七五八)

(4) 高木竜夫が所持していた金銭出納簿(証七七六)の各記載

(5) 本組合本部の金銭出納簿(証三〇一三)のうち、

(A) 「昭和26、12、9北九支部長大分へ出張旅費」

(B) 「昭和26、12、25旅費、別府、大分、水俣(出張、理事長)」

(C) 「昭和27、1、14仮払、大分、別府出張旅費、上野」

(D) 「昭和27、1、29旅費 別府、熊本、鳥栖出張、森原」

(E) 「昭和27、2、4加入金、大分支部からの加入金 七〇〇円」

「昭和27、2、4本部a/c 大分支部からの送金 二二〇円」

「昭和27、2、4出資 大分支部出資金 六名 一、一〇〇〇円」

(F) 「昭和27、2、10出資 大分支部から出資金 五口 九、〇〇〇円」

「昭和27、2、10加入 大分支部から加入金 五口 二、五〇〇円」

「昭和27、2、10加入 大分支部からの加入金戻し 二、〇〇〇円」

(G) 「昭和27、2、21旅費、大分、別府(支部設立出張、上野」

(H) 「昭和27、3、10旅費 大分、延岡、経理講習会出席、木村」

の記載

(6) 組合報告(証四二四―七四)のうち

(A) 「昭和27、2、17 大分支部総会、支部役員の選出、今後の方針決定、上野出席」

(B) 「昭和27、2、27 大分支部、経理事務講習会、木村出席」

の各記載

(7) 総会、理事会議事録写(証二三七)、事業報告書(証三〇三〇)、重要記録書類(証七七五)、共栄通信第一号(証二四五〇―三五)の各記載

第二 認定

(1) 昭和26、11、28頃、本地区の古賀某と、本組合本部との間にはなんらかの連絡があつていたこと。

(2) 昭和26、12、9に、当時本組合北九支部長であつた、被告人木下仙友が、大分市内の理髪店に来たり、本組合の説明会を催し、約一〇名の出席があつたこと。

(3) ついで昭和26、12、25頃、大分市に被告人森原春一が来たり、同市外濠のしやく浄寺で懇談会を催し、青木乙義等が出席して、右森原の本組合の説明を聞いたこと。

(4) 大分市所在の古賀政夫、別府市所在の松田二郎は遅くとも、昭和27、1、4迄に本組合に加入して、事実上大分支部を組織していたこと。

(5) ところで一方、別府市所在の加藤雅武は、昭和26年暮に、延岡市において、被告人馬場卯三郎から本組合についての説明を受け、さらに昭和27、1、1詳しく具体的内容の説明を本部に照会し、かつ本地区で説明会を催すための本部からの出張を要請したところ、被告人上野は前記松田及び古賀を紹介したこと。

(6) かつ被告人上野盛雄は右要請に応じ、昭和27、1、15、別府市松田方に来たり、翌16日、大分市の労働会館で懇談会を催し、本各地区から、青木乙義、木戸義満、木村一男等が出席し、その席上で右上野被告人は本組合の具体的内容について説明したこと。

(7) なお、松田三郎は昭和24、1、24 大分県直入郡竹田町魚町の橋本俊太郎方に赴き、約一〇名出席の下に懇談会を催し、本組合の具体的内容を説明し 本組合への加入を勧誘したこと。

(8) その結果、昭和27、1、25迄に、大分、別府、竹田三地区から一五名の者が出資金、加入金の支払を完了したこと。

(9) 当時、本各地区の事務は、高木竜夫、古賀政夫、松田三郎、児玉某等が処理していたこと。

(10) しかして、昭和27、1、25 別府市鉄輪、辰己屋旅館こと木村一夫方で開催された、本組合第二〇回理事会において、本三地区を併せて、大分支部とし、事務所を別府市大字別府二七八(通称同市桜町東京電気ネオン社内)に定めることが決議され、右支部登記は昭和27、2、9に完了したこと。

(11) 右(1)乃至(10)の一連の大分、別府、竹田地区の事実上の設立への行為は、一律に昭和27、2、1附を以つて加入年月日と定め、名称を大分支部とし、竹田地区はその出張所として発足したこと。

(12) ついで、昭和27、2、17 被告人上野盛雄も出席して、大分支部の設立総会を開催し、支部長を橋本俊太郎、支部評議員に加藤雅武、松田三郎、青木乙義等、監査員に木村一男がなり、なお今後の方針を決定したこと。

(13) しかして、右昭和27、2、1当時の組合員数は約二〇名であつたこと。

がそれぞれ認められる。

第二点 組織

第一 沿革

〔一〕 証拠

(1) 前点掲記の各証拠

(2) 組合員名簿(証一四一九)の各事務所役員の記載

(3) 組合拡大状勢一らん表(証二二五六―四七)の記載

〔二〕 認定

(1) 本各地区の発足は、前点で認定したとおりであるが、昭和27、4、1の機構改革で、本各地区は大分県支部の別府、大分、竹田の各出張所になつたこと、

(2) 大分支部当時の事務所は、前点認定のとおりであるが、右昭和27、4、1の各事務所は、別府出張所が別府市松原区御幸町一丁目(大分県支部事務所と同所)、大分出張所が大分市堀川町木戸電機内、竹田出張所が大分県直入郡竹田町魚町、橋本印刷所内にそれぞれ設けられ、いずれも一斉捜査当時迄、同所にあつたこと、

が認められる。

第二 役員、職員

右掲記の各証拠によれば

(1) 橋本俊太郎は、大分支部の発足と同時に同支部長となり、右機構改革と共に大分県支部長及び竹田出張所長となり、一方、昭和27、5、25 第七回定期総会において、理事に選任され、いずれも一斉捜査当時迄その地位にあつたこと。

(2) 青木乙義は、本各地区の発足と同時に支部評議員となり、右機構改革と共に大分県副支部長になつたこと

(3) 木戸義満は、右機構改革と共に大分出張所長となり、昭和28、2月頃の脱退まで、その地位にあつたこと

(4) 加藤雅武は、大分支部発足当初から、評議員であつたが、右機構改革と共に、別府出張所長となり、一斉捜査当時その地位にあつたこと。

(5) 高木竜夫は、昭和27、1月頃から、既に本各地区の事務を処理し、大分支部の事務責任者となり、右機構改革と共に大分県事務局長となり、一斉捜査当時、その地位にあつたこと。

(6) 古賀政夫は、本地区において最も早く本部と交渉を持ち、事務を処理しており、右機構改革と共に大分出張所事務局長となり、一斉捜査当時その地位にあつたこと。

がそれぞれ認められる。

第三 組合員

本地区の各年月の組合員数は次のとおりである。

<省略>

第三点、役員、職員の本組合についての説明

第一 日時、場所とその相手方

〔一〕 事務員古賀政夫の説明

(1) 証人下村才造の証言によれば、同証人は、昭和27、2、20の加入前に自宅で、右同人から、

(2) 証人佐藤矢の証言及び調書によれば、同証人は、昭和27、2、1の加入前に右同人から

(3) 証人松尾正の証言及び調書によれば、同証人は、昭和27、4月頃の加入前に自宅で右同人から、

(4) 証人御筆一生の証言及び調書によれば、同証人は、昭和27、6月頃の加入前に自宅で右同人から、

〔二〕 事務員高木竜夫の説明

(1) 証人竹内秀吉の証言によれば、同証人は、昭和27、2月頃の加入の前に前示組合事務所で右同人から

(2) 証人北川正二の証言によれば、同証人は、昭和27、3、1の加入前に右同人から、

(3) 証人春藤玉喜の証言によれば、同証人は、昭和27、4、1の加入前に自宅で右同人から、

(4) 栗田磧の証言及び調書によれば、同証人は、昭和27、4、23の加入前に別府市旭通りの某所で行われた集会で約一〇人位と共に右同人から、

〔三〕 役員橋本俊太郎の説明

証人管清定の証言及び調書によれば、同証人は、昭和27、6月末頃、竹田出張所事務所で右同人から

〔四〕 事務員児玉某及び河野清馬の各説明

(1) 証人三田新一の証言によれば、同証人は、昭和27、2、1の加入前に右両名から、

(2) 証人宮崎長兵衛の証言及び調書によれば、同証人は、昭和27、6、1の加入前に、右両名から、

〔五〕 役員青木乙義の説明

証人下村才造の証言及び調書によれば、同証人は、昭和27、2、20の加入前に右同人から、

それぞれ本組合の具体的内容について説明をうけていることが認められる。

第二 右各説明の具体的内容について、

〔一〕 前段掲記の各証拠並びに証人青木乙義の証言によれば、右各役員、職員等の各証人に対する説明は、之を集約すると、一般的には、

(1) 本組合に加入すると、税金は給料名目額に対する源泉所得税だけ納むればよいことになるので、従来に較べて軽くなる

(2) 加入に際しては、その所有にかかる営業用資産を棚卸して、一応組合に引継いで貰うが、加入、脱退は自由であり、脱退したら、そのときの状態のままで直ちに当該組合に返還する。

(3) 営業は、当該組合員が、加入前となんら変わることなく自由にできる。当該事業所の利益はすべて、当該組合員の所得になる。

(4) 出資金は脱退したら直ちに出資した全額を返還する。

(5) 脱退のときは脱退届だすだけでよい、ほかに手続は何もいらない。

こと等であつたことが認められ、

とくに、営業用資産については、引継ぐとか称しているが、その真実は、書類上だけ組合に売渡したような形式にするだけであつて、実質的には所有権が移転するものではないことが各組合員に理解できるような説明であつたことが推認される。

〔二〕 なお証人北川正二の証言によれば、高木竜夫は、営業成績の良い者ばかりでなく、悪い者も加入させると計算上利益がとんとんになつて税金を納めなくてもよいようになるから負債が多く、成績の悪い者も加入させるのであることを説明していたことが認められる。

〔三〕 また証人佐藤矢の証言によれば、古賀政夫は、毎月現金プールして貰うが、組合はその中から運営費等控除した残額は、全部給料名目及び運転資金名目で還元する。そして、このいずれも、つまり給料名目額は勿論、運転資金名目額も結局はその組合員の所得である趣旨のことを説明していたことが認められる。

〔四〕 大分支部竹田出張所発本組合本部宛照会(証七五九―三二~三四)の記載、並びに証人橋本俊太郎の証言によれば、右照会文は竹田出張所の事務員児玉某が作成し、昭和27、2、8に本組合本部宛に郵送されたものであるが、それによると右地区の加入者の間では、加入により備品什器、商品及び負債等一切の財産は私有をはなれて、組合の財産となることは、法律上そうなつておるのに対し、脱退に際しては、財産を返して貰い、個人営業を継続したいのに、その返還については、出資金の返還は定款に規定しておつて、法的根拠があるが、右資産等については、法律定款等に明文がないので、確実に返還してくれるかどうかを疑問にしている。之に対し、右児玉等は「返すことになつている」「実際は今まで脱退して財産を取上げられた例がない」「貸借対照表以外に、外に売買や譲渡手続をしていないから、財産は当然もとにかえる」等説得しているが、組合員は納得できないでいる。それで脱退の場合財産がかえつてくることを法的根拠を示して回答して欲しいとの趣旨のものであることが認められる。してみれば、竹田地区の発足当時の組合員等はいずれも、加入に際し、貸借対照表を作成して一応組合に営業用資産を引継いだ格好にするが、真実に所有権を移転する意思を有し、組合としても右資産を真実買上げて、代金を支払い所有権を取得する意思を有しておらず、脱退する際には必らず書類上引継いだ格好になつている資産を返還するものであることを説明したが、法律にも本組合定款にもそのことが明文化されていないので、当地区の組合員は、右口頭による説明のみでは組合を信用せず、法的根拠の提出を要求したものであるということができる。

第四点 被告人等と本地区との関係

(一) 証拠

(1) 本項第一点に掲記した被告人森原、同木下、同上野、木村の本地区への出張の事実

(2) 本組合本部の金銭出納簿(証三〇一三)、ならびに、第二一回理事会以後報告(証一六九二―二)の各記載より認められる。

(A) 被告人上野盛雄は 昭和27、10、16頃本地区に出張しており

(B) 緒方明治は昭 27、4、10の大分地区の総会に出席しており

(C) 木村善〓は、昭和27、4、27乃至昭和27、7、7、乃至昭和27、7、15の二回に亘り本地区の経理事務を指導しておる各事実

(二) 認定

本地区に対する被告人森原、同上野、同木下、木村等の本部役員、職員の指導は、密接なものがあつたことが認められる。

第二項 現金の管理、流通、還元の実態

第一点 いわゆる現金プールの実態

第一 証拠

(1) 証人下村才造、栗田磧、佐藤矢、春藤玉喜、三田新一、管清定、松尾正の各証言及び各調書

(2) 宮崎長兵衛、竹内秀吉、青木乙義、御筆一生の各証言

(3) 金銭出納簿(証七七六)予金出納簿(証七七八)の各記載

(4) 当座小切手帳控(証七七七―一~八 証七八二―四)の各記載、

(5) 入金、出金、振替各伝票綴(証七六一、証七六二―一~四、証七六三―一~四、証七六四―一~三)の各記載

(6) 春藤玉喜名義の昭和27、4月分~9月分(証八二五―一~六、証八二六―一~六)、栗田磧名義の昭和27、4月分~6月分(証八九七、証八九八、証八〇〇―一、証八〇三―三、四)、下村才造名義の昭和27、2月分~12月分(証八〇六―一~一一、証八〇五―一~七)、松尾正名義の昭和27、4月分~11月分 (証一~八、証八一三―一~四)、佐藤矢名義の昭和27、2月分~12月分(証八二一―一~六、証八二二―一~一〇)、木村一夫名義の昭和27、2月分~11月分(証二八三九―一~一〇)、竹内秀吉名義の昭27、2月分~11月分(証二八四二―一~一〇)、御筆一生名義の昭和27、6月、7月、11月、12月分 (証二八五五―一~四)、木戸義満名義の昭和27、3月分~11月分(証二八四六―一~四、証二八五〇―一~九、証二八五一)、青木乙義名義の昭和27、3月、6月、9月分~12月分(証二八五三―一~六)、橋本俊太郎名義の昭和27、2月、3月分(証二八五八―一、二)、仲山恒幸名義の昭和27、2月、3月分(証二八六六―一、二)の各日報の各記載

第二 認定

右掲記の各証拠を綜合すると、本各地区における昭和27、2、1発足以降昭和27、12月迄の現金の管理、流通、還元の実態

(1) 各組合員の事業所における売上金、借入金の現金は、その組合員が保管し、自由に仕入販売に使用していたこと。

(2) しかして、いわゆる現金プールの方法は、本各地区とも毎月一回月末か翌月初めに、日報と、その前日の手元現金残高に相当する現金(当日の日報の支出欄支部勘定に記載する)と、印鑑とそれぞれ、各地区の事務所に持参する。すると各事務員は、売上金に対する一定の歩合によつて算出される運営費(組合の維持費)源泉所得税相当額、日報代、新聞代等組合が現実に受領すべき金額を徴収した残額は、どの地区も常に金額を当該組合員に還元していたこと。

(3) ところで、その還元の方法は、大分地区では、第一回の現金プール(昭和27、3月初)から一応、現金プールに来た組合員及びその事業所の従業員毎に、右残額の多寡にかかわらず、給料所定額に相当する、西日本相互銀行大分支店宛の小切手、又は運転資金名目額の右小切手を振出して、当該組合員に交付すると、その組合員がまたは交付せずに組合事務員がそれぞれ右小切手を右銀行にて現金化する。そして右現金を再び事務所に持ち寄り右(2)の残額に相当する現金全額を受領していたこと。

(4) 右の場合、組合から還元を受けるのは、右残額全額だけであつて、それが給料所定額に不足する場合でも事務所からその不足額を融通補填することはなく、反面、給料所定額及び運転資金名目額(この額は、小切手に記載された額であり、日報の収入欄、支部勘定に記帳される額である)の合計額より多額であつても、その超過分を事務所に保留するようなことはなかつたこと。すなわち還元される金額と、先に一応支給融通されたことになつている小切手額との間には関連性がなく、従つてかかる小切手の組合員に対する交付はなんら実質を伴つた給料又は運転資金の支給を証するものではなく、かかる現金の流通、還元の実質的内容は名目のなんたるを問わず、組合は単に運営費等を徴収するだけであつて、当該事業所の利潤はすべて実質的にその組合員に帰属していたことの有力な証左であるといえること。

(5) なお、超過額が多額に達する場合、その超過分について組合事務員から、その分は他事業所に廻したことになつているから、日報に書かなくてもよい旨の説明を受けて受領し、営業又は生活費に使用していたことすなわち他地区で屡々認定したいわゆる「無名目の金」が当地区でも還元されていたということができること。(この「無名目の金」の性質、及び記帳との関係についての認定は、他地区の認定を引用する)

(6) その上各組合員は、右現金プールの際に、右給料として所定額どおりの支給を受けたような記載になつている給料の精算簿に受領印を押捺し、同様な記載になつている給料袋を貰つていたこと。

(7) 現金プールにおいて、右(3)のような小切手の操作をすることにつき、大分地区の事務員田原某及び立川義人は、組合員に対し、各事業所からの所得金額を組合が全部受入れたという証拠を正規の金融機関から証明して貰う為にかような手続をするものであることを説明していたこと。

(8) 大分地区では、各組合員がそれぞれ売上金を個人の用に利用していたこと。

(9) 別府地区においても、昭和27、3月初の第一回現金プールのときから別府信用金庫宛の竹田地区も同時期から大分合同銀行竹田支店宛の小切手をそれぞれ使用していたが、その使用の仕方はともかくとして、小切手の記載及び交付と実質との関係は右大分地区と全く同様であること。

(10) 別府、竹田両地区においても、右(6)のように給料の関係帳簿に押印し、給料袋を貰つていたこと。

がそれぞれ認められる。

第二点 借入金処理の実態

〔一〕 証拠

(1) 証人下村才造、栗田磧、春藤王喜、宮崎長兵衛、管清定、竹内秀吉、青木乙義、橋本俊太郎の各証言

(2) 第一掲記のうち、(4)(5)(6)掲記の各証拠

〔二〕 認定

右〔一〕掲記の証拠によれば

(1) 各組合員は個人の信用と責任で第三者から、所定の営業用資金を借入れ、之を組合に貸したような形にして、一旦組合に入金し、該金員を組合から運転資金として融通して貰つたようにして還元をうけて使用していたこと。

(2) 右の場合、組合は之を当座予金に預け入れ、該組合員には運転資金名目で小切手を交付し、組合員は之を現金化して使用する形態をとつていたこともあること。

(3) 右借入金を弁済する場合は、当該組合員が、その責任においてその事業所の売上金から直接第三者に弁済するか、一旦現金を組合に提供し(2)と同様に小切手の交付を受け、之を第三者に交付するか右小切手を現金化した後弁済していたこと。

(4) 右借入れ弁済は、日報上それぞれ収入又は支出の支部勘定欄に記載していたこと。

がそれぞれ認められる。

第四 結論

本項第一、二点で認定した事実を綜合すると、本三地区における現金の管理、流通、還元の実態は、既に認定した他地区と全く同様に、加入後も各組合員は自己の事業所で生じた売上金及び自己の責任と信用で工面した借入金だけで営業を営み、生活費を賄い、その事業所の利益は一切、実質的にその組合員が収得し、組合に対しては単に組合事務所の諸経費を賄う運営費と、若干の日報代等の雑費などを支払うのみであり、組合も各組合員に対しては右を受領する以外に各組合員の利益を把握統制する権限を有せず、かつ事務所の責任において実質的に資金や給料を融通、支給するなどのことは、全くなかつたにかかわらず、小切手を巧妙に操作し、それに合わせて諸帳簿を記載、整備し、以つて恰も組合事務所が主体となつて実質的な統一計算を実施し、給料を所定額どおり支給し、運転資金を補填していたかの如く仮装していたものであり、かつこのことは本地区の役員、職員は勿論、全組合員が知つていたことが認められるのである。

第三項 加入時の資産処理の実態

第一、証拠

(1) 証人下村才造、佐藤矢、松尾正、木戸義満、青木乙義、御筆一生の各証言(以上大分地区)

(2) 証人栗田磧、春藤玉喜、木村一男、竹内秀吉、北川正二の各証言(以上別府地区)

(3) 証人三田新一、宮崎長兵衛、管清定の各証言(以上竹田地区)

(4) 本節第一、第二項において認定した各事実

(5) 第二節乃至第一三節において認定した各地区における加入時の資産処理の各事実

第二 認定

右掲記の各証拠を綜合すると、

(1) 右掲記の各証人は本三地区において発足の当初から昭和27、7月頃迄に本組合に加入した組合員であるが、その加入に際しては、いずれもその所有にかかる営業用資産の棚卸を実施し、棚卸表を作成し、それに債権債務、現金も含めて貸借対照表を作成して、組合に提出したこと。

(2) しかして、かかる二表の作成提出についての各組合員の認識には多少の深浅はあるが、いずれも右表掲載の営業用資産を真実組合に売渡し、債権債務、現金を真実組合に引継ぐ意思は全然なかつたこと。

(3) また組合側も、右を真実買受けて代金を支払うとか、真実引受けるとかの意思は有していなかつたこと。

(4) 各組合員は、本組合の機構では根本的に現金処理の実態を改革されない限り、代金が支払えるようにはならない組織形態であることを知つていたこと。

などが認められる。

第四項 結論

以上、第一項乃至第三項において認定した事実を綜合すると、本三地区における実態は、その形式的な面においても、実質的な面においても、既に認定した他地区の結論と本質的に同様であることが認められるので、本三地区の結論に引用する。

本三地区の発足から初期の組織、運営、加入手続、説明については、すべて本組合本部役員である被告人森原春一、同上野盛雄、同木下仙友、木村善一の指導を受けていたのであり、しかして、その指導に基づく本三地区の実態が前敍認定したとおりである以上、右三被告人は右本三地区の実態を知つていたことが充分に推認されるし、本三地区の役職員は勿論、本地区の全組合員もまた右実態を知つていたということができるのである。

第一五節 門司、八幡、若松各出張所

第一項 沿革

第一点、本三地区の発足について

第一、証拠

(1) 支部勘定補助簿(証一五〇二、本帳簿の記載については、既に小倉、京築、田川の三地区の現金処理の認定のところで充分に論じているので右各認定を引用する)の記載を検討すると。

(A) 昭和27、2月分の編綴のうちに、門司班七名についての記載(証一五〇二―三六)があること

(B) 同じく昭和27、2月分の中に若松班四名についての記載(証一五〇二―五一)があること

(C) 昭和27、3月分共同計算と題する一らん表(証一五〇二―一)のうちに、若松班八名、門司班二一名についての各記載があることがそれぞれ認められる。

(2) 支部勘定補助簿(証一五〇三、記載内容については右証一五〇二と同様に右三地区でした判断を引用するの記載によれば

(A) 昭和27、4月分(証一五〇三―一四二~一四五)の中には、若松一一名、戸畑一〇名、八幡一八名についての各記載があること。

(B) 昭和27、5月分(証一五〇三―一一五~一二〇)の中には若松一八名、戸畑一四名八幡二七名についての各記載があること。

(C) 昭和27、6月分(証一五〇三―七六~八〇)の中には戸畑一六名、八幡三五名についての各記載があること。

が認められる。

(3) 北九支部木下仙友名義の森原理事長宛、3月6日附報告書(証一七四一―二〇)によれば、当時の北九支部の組織範囲の中には、門司、若松、戸畑が含まれており、門司は右支部管轄下の出張所であつたこと。且つ「三、拡大の特長―集団加入―の動き」の項には、「門司、小原市場(三五名)柳市場」の記載が存することが認められる。

(4) 門司出張所の組合員名簿(証二六三六)の記載によれば、本地区から最初の加入は、柳善三次は同テル子の昭和26、10、15であり、次に鈴木武伸の昭和26、12、9であり、ついで昭和27、1月に四名加入し、昭和27、3月に一五名加入し、爾後漸次増加していることが認められる。

(5) 証人奥本一生、山県迪彦の証言のうち、門司出張所設立についての各証言によれば、奥本は門司市の小原市場内で営業していたが、同市大阪町五丁目、山県方で本組合北九支部の事務員筒口某から本組合の説明を聞き、小原市場内業者全部が加入の気運になり、次いで被告人木下仙友からも説明を聞き、さらに右市場事務所二階で説明会を催し、被告人森原春一が約三〇名位の出席者に対し、本組合の具体的内容を説明し、その結果右市場から約一〇数名の者が加入し、且奥本が出張所長になつたことが認められる。

(6) 本組合本部の金銭出納簿(証三〇一三)によれば、昭和27、3、3項被告人森原春一は、門司に出張しており、右日時の前後頃には門司に行つていないことが認められる。

(7) 証人塩川三郎の証言によれば、同証人は八幡地区から昭和27、1月に北九支部に加入しているが、八幡地区は発足した当時は北九支部に属し、そこで事務を処理しており、それから半年程して八幡出張所として独立したことが認められる。

(8) 現金プール帳(証一六四七)は八幡出張所の昭和27、7月分~昭和28、1月分の現金プールの具体的内容を明記したものであるが、右のうちに戸畑地区も含まれていることが認められる。

(9) 証人小西勇雄の証言によれば、若松は出張所としては、昭和27、3月頃できたことが認められる。

(10) 組合員名簿(証一四一九―二)によれば、昭和27、6月には右三地区は、それぞれ福岡県支部下の門司、八幡、若松の各出張所に独立していることが認められる。

(11) 被告人上野盛雄の証言によれば右三地区は、昭和27、4、1の機構改革で、それぞれ福岡県支部下の門司、八幡、若松各出張所になつたことが認められる。

第二 認定

以上の各事実を綜合すると、

(1) 門司地区は、昭和26、10月から昭和27、1月迄に同地区から個別的に加入した者が七名あつて、北九支部(この支部の組織、沿革については第二部で詳論した)、門司出張所を組織していたが、昭和27、3月頃、奥本一生外約一五名の者が門司市小原市場から加入し、右七名と合流し、昭和27、4、1の機構改革で北九支部から独立して福岡県支部の門司出張所となり、奥本一生が同所長になつたこと。

(2) 若松地区は、昭和27、2月頃より同地区から個別的に北九支部に加入して若松班を組織していたところ、昭和27、4、1の改革で北九支部から独立して、福岡県支部の若松出張所となつたが、昭和27、5月分迄の現金プールの事務は小倉出張所で処理していたこと。

(3) 八幡地区(戸畑を含む)は、昭和27、1月頃から同地区から個別的に北九支部に加入して、それぞれ八幡戸畑の各班を組織していたところ、昭和27、4、1の機構改革で両班を併せて福岡県支部の八幡出張所となつたが、現金プール事務は、昭和27、6月分迄は小倉出張所事務所で処理していたことが認められる。

第二点 組織

本三地区の組合員数、役員名、事務所所在地は次のとおりである。

第一組合員数

<省略>

第二、役員事務所

<省略>

第二項 実態

第一 証拠

(1) 支部勘定補助簿二冊(証一五〇二、証一五〇三)の中に、門司、若松、八幡(戸畑を含む)の各地区の現金プールについて、具体的記載が各月に亘つて存在することは、前項認定のとおりであるが、右補助簿には小倉京築、田川の各地区の現金プールについての具体的記載が存在しており、かつこれらの地区の右記載の具体的実態については、第二節乃至第四節において詳論したとおりであり、なお前三地区の記載の要領は全然右三地区の記載の要領と同一であることが認められること。

また、門司地区については昭和27、2月分、3月が若松地区については、昭和27、2月分~5月分が、八幡戸畑地区として、まとまつた区分になつているのは、昭和27、4月分~6月分がそれぞれ右に編綴されているところからすれば、昭和27、3月頃は、いずれも北九支部小倉地区で右三地区の現金プールの事務を処理していたことが、推認されるし、昭和27、4月以降においても右編綴の月分はなお小倉出張所事務所で処理していたということができること。

(2) 現金プール帳(証一六四七―一~九二)は八幡出張所の昭和27、7月分~昭和28、1月分迄の現金プールの具体的内容を記載したものであることが認められるが、その記載様式は前掲支部勘定補助簿の様式に対比して「支部勘定」欄と「給料」欄が順序が逆になつただけで内容は全く同一であることが認められること。

(3) 支部勘定補助簿(証一六四五―一~二一)は若松出張所の昭和27、6月分昭和27、12月分迄の現金プールの具体的内容を記載したものであることが認められるが、その記載様式及び内容は前掲支部勘定補助簿(証一五〇二、証一五〇三)の様式及び内容と全然同一であることが認められること。

(4) 門司出張所奥本一生名義の当座小切手帳(証一六五八―一~七、証二六三八、証二六二九)の存在及び記載同名義の当座勘定振込帳(証二六三二、証二六三〇)、当座勘定入金簿(証二六三一)の存在及び記載

(5) 八幡出張所から発行されたと推認される「共栄企業組合に加入しましよう」と題するガリ版刷りのビラ(証三〇五〇―六八、証二七一八―七三)並びに戸畑支部長大川正夫名義の同題名の同刷りのビラ(証三〇五〇―八三)の記載によると、本組合の特色として、

(A) この組合は昭和24年に制定された中小企業等協同組合法に基いている。

(B) 加入すると、給与所得一本となり個人に対する課税は当然なくなる。

(C) いままでの工場、店舗は単位経営体としていままで通り運営される

(D) 今迄やつてきた職業を生かして、自分が今持つている財産をへらすことなくやれる。ことを表明して本組合への加入を勧誘していることが認められること。

なお、右ビラには本組合は発足して三年を経ている旨の記載があるので作成されたのは昭和27年秋頃以後であることが推認されること。

(6) 第一項で認定した本各地区発足の経緯に関する各事実

第二 認定

以上認定した事実からすれば、右門司、若松、八幡三地区の現金の管理、流通、還元の実態すなわち、現金プールの実態は、右三地区の組合員が個々に北九支部に所属していた期間のみならず、昭和27、11月頃迄、既に認定した小倉地区などの各実態と実質的に同様な内容であつたこと。昭和27、1月~3月の間に北九支部小倉地区に加入した右三地区に属する組合員の加入時の資産処理の実態は、既に認定した小倉地区の右期間の加入者の実態と全く同一の形式と実質であつたことを推認することができる。

このことは前掲八幡及び戸畑でその後発行されたビラの内容からも確認することができるといえる。

つまり、之を要するに、本三地区の実態は、第二節乃至第四節で認定した小倉など旧北九支部傘下の各地区の実態と同様なものであつたというべきである。

第一六節 昭和27、3月以降設立の各出張所

第一項 直鞍出張所

第一点 沿革

第一 本地区の発足

〔一〕 証拠

(1) 第二一回理事会以後の報告(証四二四―一〇〇、一〇一)の中の

(A) 「昭和27、3、17 直方懇談会、理事長出席」

(B) 「昭和27、3、26 直方懇談会 理事長 緒方出席」

(C) 「昭和27、4、2 直方総会 理事長 緒方出席」

(D) 「昭和27、5、16 直方総会 筒口出席」

の各記載

(2) 諸会議々事録綴(証五六五)の中

(A) 第一回総会議事録、2/4 書記東雲<印>」のうち「出席組合員一三名中七名、事務所直方市古町二丁目名称、直鞍地区出張所 同所長 安川鞆之助、職員 東雲関」旨

(B) 昭和27、4、20附 第三回定期総会における現金かん査の件の決定

(C) 昭和27、5、16附 第四回定期総会における運営費%計算を行う旨の討議

(D) 昭和27、5、30附 第二回評議員会議事録における現金プールについての決定

の各記載

(3) 証人田口博道の証言のうち、本地区設立の経緯及び右議事録綴(証五六五)についての各供述

〔二〕 認定

昭和26年頃から、直鞍地区においても企業組合設立の気運があり、田口、安川、村上、中島等、税金の滞納で差押を受け税務署や財務事務所で知り合つた七、八名の者が中心となり本組合への加入を研究し、安川中島が小倉地区の本組合(北九支部)を見学して本組合の具体的内容の説明を受け、ついで昭和27、3、17本地区で懇談会を開き、それには理事長の被告人森原春一が出席して説明し、ついで昭和27、3、26、同様に懇談会を開いて、再び本右被告人が出席して、ようやく本組合加入を決定し、昭和27、4、2、被告人森原及び緒方の出席の下に、創立総会を開き、福岡県支部の直鞍出張所として、組合員一三名、安川鞆之助を同所長とし、事務所を直方市古町二丁目に定めて発足したことが認められる。

第二 組織

組合員名簿(証一四一九―二)、組合拡大状勢一らん表(証四二四―五)、昭和27、6、25附、筑豊商工ニユース(証九七―二〇)、福岡県支部報告(証二四五〇―一八八)、諸会議々事録綴(証五六五)のうち組合員数の各記載及前段認定の各事実によれば、昭和27・4月頃乃至昭和27・10月頃迄は

(1) 出張所長 安川鞆之助

(2) 事務所 直方市多賀町

(3) 事務員 東雲定雄、田尻澄子、野村某

(4) 組合員数 昭和27、4月頃 二二名(事業所数一四)

昭和27、5月末頃 (事業所数二一)

昭和27、6月頃 四六名

昭和27、10月頃 五六名(事業所数四二)

であるあることが認められる。

第二点 実態

第一 証拠

(1) 証人祝 直人の証言及び調書

(2) 諸会議々事録(証五六五)のうち、加入時の資産処理について(証五六五―二六)並びに組合の拡大しない理由のうち「事業所開設時の買上商品を閉鎖するときに返してくれないのじやないかと考えてためらつている」旨の記載(証五六五―五〇)

(3) 小倉地区、福岡地区の各実態、並びに竹田地区における、加入時資産処理の実態

(4) 前点本地区設立の経緯に関する各事実

第二 認定

右掲記の各証拠を綜合勘案すると、加入時の資産処理の実態が全く他地区と同様であることが認められるところから本地区の運営の実態も他地区と実質的には同様であつたことを推認することができる。

第二項 久留米出張所

第一点 沿革

第一 本地区設立の経緯

〔一〕 証拠

(1) 組合報告(証四二四―七四、七五)のうち

(A) 「昭和27、2、15、久留米組合説明会、上野理事出席、一〇名位参加入の見透しあり」

(B) 「昭和27、2、22、大牟田説明会開催 上野理事出席」

(C) 昭和「27、3、2、久留米より組合視察団五名来所、緒方福岡支部長と懇談」

の各記載

(2) 第二一回理事会以後の報告(証四二四―一〇〇、一〇一)のうち

(A) 「昭和27、3、23 久留米懇談会 上野出席」

(B) 「昭和27、4、5 久留米創立総会 上野出席」

の各記載

(3) 本組合本部の金銭出納簿(証三〇一三)のうち右(1)の(A)(B)、(2)の(A)(B)に符号する各旅費支出の記載

(4) 鳥栖出張所の出張所書類綴のうち「久留米市荘島町明治商店街五五共栄企業組合」の肩書のある久留米出張所作成の久留米出張所内現勢報告(鳥栖出張所長楢林の認印が押捺されている)(証二三六―六)「四月組合員数四名(届出その他終了の分)」「五月組合員数十名(届出その他終了の分)「六月一日現在、事業所、十事業所、組合員十名従業員五名」の各記載

(5) 昭和27、6、9附、久留米出張所より佐賀県支部宛報告書(証二三六―一)による「久留米出張所長田中正広、事務長大島俊文、事務員堤エミカ」の各記載

(6) 被告人上野盛雄の証言

〔二〕 認定

右各事実を綜合すると、本地区に対する前示のような三回に亘る被告人上野盛雄の現地における説明や懇談及び本地区からの本部の視察などを経た結果、本地区における設立となり、昭和27・4・1、本地区の創立総会を開き、福岡県支部管轄下の久留米出張所として、組合員四名で所長を、田中正広、事務長を大島俊文とし、事務所を久留米市荘島町明治商店街五五番地において発足したことが認められる。

第二 組織

〔一〕 証拠

(1) 久留米出張所の事務要領(証二九九二)のうち

(A) 昭和27、8、15 同出張所より福岡県支部に対する報告書(同一六九丁)

(B) 昭和27、9、30 同じく組織報告書(同一四二丁)

(C) 昭和27、10、12 同じく組織状況報告(同一一一丁)

(D) 昭和27、10、23 同じく状況報告(同九四~九九丁)

(E) 昭和27、11、1 同じく支所設置に関する件申請(同八四丁)

の各記載

(2) 昭和27、6、30附、「共栄久留米ニユースNo.3」(証二七一八―一四九)のうち、大牟田地区事業所開設の記載

(3) 昭和27、9、10附「同No.6」(証二七一八―七八)のうち「昭和27、6、9、大牟田第一回組合員総会」「柳川市事業所開設」の各記載

(4) 組合員名簿(証一四一九―二)

(5) 組合拡大状況一らん表(証二七一九―六六)

(6) 昭和27、11、8付「共栄久留米出張所特報」のうち「組合員紹介、十月三十一日現在」の記載

(7) 証人光安朝吉、林時義の各証言

〔二〕 認定

(1) 組織の拡大の状況

(A) 昭和27、6月頃、久留米地区の事務員大島の組織拡大の説明と運動の結果、大牟田地区では、林時義ほか一〇名位の者が加入し、久留米出張所管轄下の大牟田連結所を組織したこと。

(B) 昭和27、7月頃、佐賀県三養基郡北茂安村皿山から佐藤勇等が本地区に加入し、北茂安連絡所を設けたこと。

(C) 昭和27、9、16附で右大牟田地区は、柳川地区の組合員も含めて、大牟田支所に昇格し、石渡賢之助を事務員に雇入れ、支所長に林時義がなり、事務所を大牟田市本町二丁目に定めたこと。

(D) なお、昭和27、9月頃より、福岡県浮羽郡吉井町から本地区に加入者があり、連絡所が設置されたが昭和27、10月頃から同郡田主丸町の重松隆雄を初めとする一括加入があり、昭和27、11、1附を以つて吉井町田主丸町は一体となつて浮羽支所を組織し、右重野が支所長となり、事務所を吉井町新馬場、尾花伊三方に設けたこと。

(E) 昭和27、11月の頃の本地区の組織は、久留米出張所として、久留米市周辺の組合員が直属するほか、大牟田支所(大牟田地区、柳川地区)、浮羽支所(田主丸地区、吉井地区)、北茂安連絡所をその管轄下に含めていたこと。

が認められる。

(2) 役員、職員

(A) 田中正広は、久留米出張所設立当初より一斉捜査当時なお同出張所長であり、光安朝吉は副出張所長であり、林時義は大牟田支所長(当初連絡所長)、重松隆雄は浮羽支所長であつたこと。

(B) 大島俊夫は右田中と同期間久留米出張所の事務長であつたこと。

堤エミカは右出張所の、石渡賢之助は大牟田支所の事務員であつたこと。

が認められる。

(3) 組合員数

<省略>

第二点 本地区の実態

〔一〕 証拠

(1) 鳥栖出張所、所持の出張簿(証二八四)の記載、押印により認められる。

(A) 昭和27、5、7、昭和27、5、12、昭和27、5、21、昭和27、9、17にそれぞれ鳥栖出張所の事務員白浜浩が、現金プールその他の事務のため、久留米出張所に出張していたこと。

(B) 昭和27、5、21、昭和27、6、20には同じく鳥栖出張所の事務員井上造明が久留米出張所に出張していること。

(C) 昭和27、6、21には、鳥栖出張所長楢林栄と牟田正二が同出張所に出張していること。

(D) 昭和27、9、17には、同じく事務員内田鹿雄が事務連絡のため同出張所に出張していること。

(2) 佐賀県支部の受払簿(証二八五)を検討すれば、本帳簿は同県支部傘下の各出張所から県支部に対し、昭和27、5月乃至昭和27、8月に亘り、日報代等の維持費の入金を各出張所毎に記帳したものであることが推認されるが、そのうちに久留米出張所からの入金の記載が存すること。

(3) 久留米出張所の事務要領(証二九九二)及び鳥栖出張所の出張所書類綴(証二三六)をそれぞれ検討すれば、久留米出張所から佐賀県支部に対する報告、連絡の書類及び同県支部から同出張所に対する示達の書類が多数に存すること、かつそれらの書類には、両者間の現金の支払関係に関するものも存すること。

(4) 本組合本部の金銭出納簿(証三〇一三)の各記載及び証人森高造の調書により認められる本部の事務員である森高殖は、昭和27、3月末から昭和27、4月末にかけて前後八回、昭和27、8月中に三回、昭和27、10月中に一回、事務指導又は連絡のため出張していること。

(5) 本地区組合員が使用していたことが認められる支部勘定明細簿(証二九九四~証二九九六)を検討すれば右は鳥栖出張所の作成にかかるものであり、第一一節において認定した鳥栖出張所の毎日現金プールに使用されていた支部勘定明細簿(証二五六)と全く同一であり、その記帳要領も同一であること。

(6) 証人光安朝吉、林時義、楢林栄の各言証の一部。

(7) 本部報告(証二七四四)のうち「昭和27、7、9久留米出張所福岡県支部移管打合せ(鳥栖)上野、筒口の記載。

〔二〕 認定

以上認定した各事実を綜合すると、本地区はその設立から運営の初期にかけては、被告人上野盛雄、森高殖の具体的指導及び説明を受けて発足したが、組織上は福岡県支部に所属していたものの、事実上の事務所の運営並びに組合員の事業経営については佐賀県支部に所属し、同支部並びに鳥栖出張所の密接な指導の下にあつたのであることが認められるところから、本地区の加入時の資産処理や現金の管理、流通、還元等、組合員の事業経営上の本質的な点は、既に第一一節で認定した鳥栖出張所の実態と同様なものであり、根本的に異る点はなかつたことが推認される。

第三項 佐賀、唐津、有田各出張所

第一点 沿革

第一 本三地区設立の経緯

〔一〕 証拠

(1) 組合報告(証四二四―七四)の中

(A) 「昭和27、2、22 佐賀より組合視察団来所 上野理事と懇談」

(B) 「昭和27、2、28 佐賀市にて組合懇談会、理事長出席、大量加入の動き」

の各記載

(2) 第二一回理事会以後(証四二四―一〇〇、一〇一)の中

(A) 「昭和27、3、27 佐賀懇談会 理事長出席」

(B) 「昭和27、3、28 有田懇談会 理事長出席」

(C) 「昭和27、3、30 同31、佐賀設立準備 上野出席」

(D) 「昭和27、4、1 佐賀創立総会、上野、牟田、瀬島、外出席」

(E) 「昭和27、4、10 唐津懇談会 上野出席」

(F) 「昭和27、4、11 伊万里懇談会 上野出席」

(G) 「昭和27、4、16 唐津懇談会 上野出席」

(H) 「昭和27、4、16 伊万里懇談会 上野出席」

(I) 「昭和27、4、27 有田発会式(七名) 上野出席」

の各記載

(3) 組合報告“第二四回理事会”(証二四五〇―二三九)の中

(A) 「昭和27、6、2 唐津懇談会、伊万里、有田幻灯会、佐賀県支部井上氏出席」

(B) 「昭和27、6、9 伊万里懇談会 上野理事出席」

(C) 「昭和27、6、10 有田、佐賀懇談会 上野理事出席」

の各記載

(4) 本部報告(証二七四四)のうち

「昭和27、7、18~昭和27、7、20 有田、伊万里、唐津、経理指導、木村」

の記載

(5) 鳥栖出張所備付の出張簿(証二八四)のうち

(A) 「(日付なし)佐賀設立準備委員会出席 高尾昇」

(B) 「昭和27、3、10 佐賀設立準備説明会 白浜浩」

(C) 「昭和27、3、17 同18 右 同」

(D) 「昭和27、3、26 同27 有田出張所設立準備会 牟田正二」

(E) 「昭和22、4、1 佐賀出張所設立発会式参加 牟田正二、瀬島浅栄、高尾昇」

(F) 「昭和27、5、27 唐津、有田出張所牟田正二」「同日 同所及び佐賀、井上造明」

の各記載

(6) 昭和27、6、7、佐賀県支部井上より本部宛報告(証一九三〇―四)のうち、有田出張所、唐津出張所に関する記載

(7) 佐賀出張所備付の議事録(証一九〇九)の記載と、之に対する証人林正夫の証言

(8) 証人渡辺綱雄、林正夫、野崎健三郎、水田保の各証言の中、本各地区の設立及び組織についての証言

(9) 証人牟田正二の本三地区に対する本組合の説明についての証言

(10) 被告人上野盛雄の組織についての証言

〔二〕 認定

(1) 佐賀地区は、前示のような被告人森原春一、同上野盛雄の本組合の具体的内容についての説明を数回に亘つて聴き、かつ鳥栖支部の牟田、白浜等からも説明指導を受けた結果、昭和27、4、1被告人上野、牟田、出席の下に創立総会を開き、佐賀県支部の佐賀出張所くして、組合員約二二名、同出張所長陣内光雄、副出張所長林正夫として発足したこと。

(2) 有田、伊万里地区も右同様に被告人上野盛雄、並びに鳥栖出張所長の牟田、井上等の強力な説明指導の結果、実際には昭和27、6、1から組合員八名を以つて佐賀県支部、有田出張所として発足したこと。

(3) 唐津地区も同様に、被告人上野並びに右牟田等の説明指導の下に昭和27、5月頃、組合員四名を以つて佐賀県支部唐津出張所として発足したこと。

がそれぞれ認められる。

第二 組織

〔一〕 証拠

(1) 組合員名簿(証一四一九―二)組合拡大状勢一らん表(証二三八―一〇一)佐賀県支部報告(証二三八―九〇~九二)佐賀県現況(証四六〇―九五)の各記載

(2) 前段認定の各事実

〔二〕 認定

本三地区の組合員数、役員、職員名、事務所所在地を次のとおり認定する。

<省略>

第二点 本三地区の実態

〔一〕 証拠

(1) 前点において認定したとおり、本三地区は被告人上野盛雄、同森原春一、並びに鳥栖地区の牟田、白浜の各密接な指導の下に設立されたものてあること。

(2) 鳥栖出張所の出張簿(証二八四)の各記載により認められる有田、唐津、佐賀共に、各種の事務につき、特に現金プール等経理事務の処理につき、鳥栖地区の事務員である白浜浩、井上造明及び役員牟田正二に昭和27、11月頃迄指導されていること。

(3) 佐賀出張所備付の共同計算書綴(証一九一七)を検討されると、いわゆる「現金プール」の組合員毎の明細書であることは一見して明らかであるが、その上部に「鳥栖支部」と印刷してあるところから、右は佐賀出張所独自のものではなくて、鳥栖支部において使用していたものと同一のものを本地区でそのまま使用していたと認められること。

なお、右計算所の各欄の設け方は、既に論じた小倉地区の支部勘定補助簿(証一五〇二、証一五〇三)の欄の設け方と同様であり、その上に末尾に各組合員毎に「プール残額(+)(-)」の欄が設けられており、昭和27、4月分、5月分については、該欄に記入の存することが認められるが、この(+)(-)の意義は、既に他地区で認定したところの(+)は無名目の還元金、(-)は給料所定額に不足する額を記載したものであるし、かつ記載することを計画して設けられた欄であることが認められること。

(4) 昭和27、9、13附、第八回常務理事会(証二四五〇―二四四)のうち、佐賀県支部関係についての被告人上野盛雄の報告

(5) 第一一節で認定した鳥栖地区の組合員の営業における具体的家態の各事実

(6) 証人牟田正二の本三地区に対する指導に関する証言

〔二〕 認定

以上の各事実を綜合すると、本三地区における組合員の加入時の資産の処理、加入後の現金の管理、流通、還元、特に現金プールの実質的な内容等、その営業の所得の帰属についての本質的な点は、第一一節で認定した鳥栖地区の組合員の実態と全く同様であり、形式的な書類作成整備の点については、鳥栖地区程は整備されていなかつたことが推認される。

第四項 宮崎出張所

第一点 本地区の発足、組織

〔一〕 証拠

(1) 証人日高二三夫、楠本勝茂、小西徳太郎、佐藤美濃太郎の各証言の中、本地区の設立及び組織、説明についての供述部分

(2) 昭和27、5、2附日高二三夫より被告人馬場卯三郎宛「組合の組織情況並びに活動についての報告」(証九七―五七~五八)昭和27、4月初め頃の右日高より右被告人宛連絡(証九七―六四~六六)被告人馬場卯三郎より日高宛連絡(証一一五―七八)の各記載

(3) 宮崎出張所報告(証四六〇―九四)の記載

(4) 宮崎県支部の「八月度支部報告」(証四六〇―九三)の記載

(5) 組合員名簿(証一四一九―二)組合拡大状勢一らん表(証四二四―五)の各記載

(6) 総会理事会議事録写(証二三七)の各記載

(7) 被告人上野盛雄の組織についての証言部分

〔二〕 認定

(Ⅰ)本地区の設立

昭和27、3月頃、被告人馬場卯三郎は、宮崎県において本組合の説明会を催し、その結果、日高、楠本等少数の者が加入したが、少人数なので延岡市の延岡支部に所属していたこと、事務一切は延岡支部事務員加藤良が処理し、かつ指導していたこと。昭和27、3月下旬頃から児玉武夫を事務員に採用したこと。しかして漸次加入者が増加し、昭和27、4、22現在で一〇名に達したので、昭和27、4、27、宮崎市橘通四丁目一〇一番地日高方で本地区の出張所としての第一回総会を開催し、同日附で宮崎県支部、宮崎出張所に昇格し、同所長は日高二三夫、事務員児玉武夫、事務所を同市南広島通一丁目に定めて発足したことが認められる。

〔Ⅱ〕 組織

(1) 日高二三夫は、昭和27、5、25、第七回定期総会で理事に選任され、

(2) 沢重徳は、本地区の顧問であり、後に宮崎県支部の事務局長になつたことが各認められる。

(3) 本地区の組合数は左のとおりである。

なお、括孤の数字は事業所数を示す。

<省略>

第二点 実態

(1) 証人日高二三夫、佐藤美濃太郎、楠本勝茂、藤井進の各証言の一部

(2) 宮崎出張所報告(証四六〇―九四)のうち

「現金プールは、七月末からはじめたが、最初実行した者は数名にすぎなかつた」旨の記載

(3) 前点に認定したように本地区は発足の当初、延岡支部に所属し、かつその後も右延岡地区からの指導を常に受けていたこと。

(4) 第九節で認定した延岡出張所の実態に関する各事実

〔二〕 認定

(1) 加入時の資産処理の手続と実態は、延岡地区と全く同様であること。

(2) 現金プールについては、昭和27、7月末にようやく初めて実施したが、それも二九事業所のうち、数個所にすぎない程、現金を事務所に持参することが不徹底であつたこと、すなわち、本地区における現金の管理、流通、還元の実態は他地区の昭和25、20月以前の実態、つまり、運営費を事務所に支払うだけで売上金、借入金の一切を組合員自ら保管し営業と生活に使用する体の形態を昭和27年になつてからも行つていたこと。しかして、他県の主張所に比して、この現金プール実施の遅延と不徹底さは延岡都城と同様であり、実施された現金プールの実態も第九節で認定した延岡出張所の現金プールの実態と同様であることが推認されること。

之を要するに、本地区の組合員の営業の実態は、延岡地区の組合員の実態と同様であつたということができるし、他県の出張所に比較し、形式的にも整備されていなかつたこともまた延岡、都城と同様であることが推認されるというべきである。

第五項 南部出張所

〔一〕 証拠

(1) 証人、鳥越助人の証言

(2) 組合員名簿(証一四一九―二)組織拡大状況一らん表(証四二四―五)の各記載

(3) 大分支部報告(証一七〇九―一〇)の記載

(4) 第一四節と認定した大分、別府、竹田各地区の実態

〔二〕 認定

(1) 昭和27、5月頃迄に大分県南部の、佐伯市、臼杵市、津久見市からそれぞれ大分県支部に加入者があり、この地区を一括して同県支部管轄下の南部出張所を設立し、鳥越助人が出張所長となり、昭和27、6月頃の組合員数は六名であり、津久見市徳浦の鳥越方を事務所を定めたこと。

(2) 昭和27、10月頃は組合員数一二名(事業所数一一)に増加したこと。

(3) 本地区の組合員の加入時の資産処理の実態、現金の管理、流通、還元の実態は、第一四節で認定した大分、別府、竹田各地区所属の組合員の実態と同様であつたこと

がそれぞれ認められる。

第六項 中野、大田各出張所

〔一〕 証拠

(1) 本組合本部の金銭出納簿のうち

(A) 「昭和27、3、12 仮払 東京出張旅費仮払 森原、渡辺、木村、二四、〇〇〇円」

(B) 「昭和27、3、22 仮払 東京出張旅費仮払戻入、森原八、〇〇〇円」

「同日 旅費 東京出張旅費精算、森原、八、八六〇円」

「同日 通信 東京へ日報加入用紙、送料、一一五円」

(C) 「昭和27、4、14 仮払 東京出張仮払戻入、木村、渡辺、八、〇〇〇、一六、〇〇〇円」

「同日 旅費 東京都支部設立工作出張、木村、渡辺、四二、二六〇円」

(D) 「昭和27、6、2 仮払 東京出張旅費仮払、森原、一八、〇〇〇円」

(E) 「昭和27、6、23 仮払 東京出張旅費仮払戻入、森原、一八、〇〇〇円」

「同日 旅費 東京出張旅費精算、森原、一四、八三〇円」

(F) 「昭和27、7、21 旅費 東京出張旅費精算、森原、七、六七〇円」

(G) 「同日 同 東京からの出張者旅費仮払、一〇、〇〇〇円」

(H) 「昭和27、9、13 同 東京からの出張者旅費仮払戻、一〇、〇〇〇円」

「同日 旅費 東京からの出張旅費、宮外一名、一七、二七〇円」

(I) 「昭和27、10、6 旅費 東京出張旅費、森原、一二、三一〇円」

の各記載

(2) 第二四回理事会における組合報告(証二四五〇―二三九)の中

「昭和27、6、12~昭和27、6、19 東京都支部指導 森原理事長」の記載

(3) 昭和27、9、13附 第八回常務理事会報告(開催は昭和27、9、9)(証二四五〇―二四四~二四九)の中

「東京報告」の項の新家常任書記、宮出張所の各報告、東京対策の各記載

(4) 「共栄中野ニユース 第二号、昭和27、8、27」(証九六―一五五)の各記載

(5) 「共栄企業組合中野出張所報告書 10月15日現在」(証二三八―八一~八三)の各記載

(6) 「東京都支部太田出張所報告(10月15日現在)」(証二三八―八四)の各記載

(7) 「共栄中野週報」の記載

(8) 組合員名簿(証一四一九―二)組合拡大状勢一らん表(証四二四―五)の各記載

(9) 証人斉藤信一、山崎語一の各証言

(10) 証人宮敬三の証言の一部

(11) 被告人上野盛雄の組織に関する証言

(12) 既に認定した各地区の具体的実態の各事実

〔二〕 認定

〔Ⅰ〕 組織

(1) 中野地区は、被告人渡辺実信、同森原春一、木村善一の説明と指導の下に昭和27、3月、一〇事業所で発足したこと。

(2) 大田地区も、昭和27、4月頃、右三人の指導を受けて発足したこと。

(3) その組織は次のとおりであること。

<省略>

〔Ⅱ〕 本地区の実態

(1) 本二地区とも、その設立に際しては被告人森原春一、同渡辺実信、木村善一の本組合の具体的内容の説明及び指導を受けて発足しており、特に本地区は手続及び書類の作成等は一切本部の方針どおりにしたこと。

(2) その後も被告人森原春一は本地区指導のため屡々上京し、副理事長中尾俊男も出張し来り、また本部事務員山辺英達も本二地区指導のため上京し、その際に拡大のため各地で説明会を催し、本組合の性質、運営方法特に福岡における本組合成長の事実を詳細に説明したこと。

(3) しかし、本二地区の具体的運営では、中野地区は現金プールを実施するものが約七〇%程度であり、太田地区は組合員が個別的であつて、現金プールも出来にくい状態であつてその他の書類整備なども不徹底であるため、昭和27、9、9の常務理事会から本組合に対する認識を高めることを要望されたこと。

(4) 運営費は発足当時より、昭和27、9、9頃迄一銭も本部に上納されておらず、経理の面が不充分であることをも右会から指摘されておること。

(5) 中野と大田はそれぞれ右昭和27、9、9頃迄別々に孤立していたこと。

(6) 加入時の組合員の営業用資産の処理については、組合員は真実売つて代金を受領する意思を有せず、組合側は真実に買上げる意思を有しなかつたこと

が認められる。

〔三〕 結論

本二地区に要する本組合員の各事業所の所得の帰属について、その本質的な点は、既に認定した九州、山口の各地区と同様であつたと推認することができる。

第十七節 昭和27、10月現在における本組合の機構

第二節乃至第一六節において認定した各出張所の組織及び組合拡大状勢一らん表(証四二四―五)により、昭和27、10月現在における本組合の組織を次のとおり認定する。

<省略>

第一八節 本部

第一項 本部の住所

第一、後記第三項(3)認定によれば、創立当初は、本部事務所を小倉市米町二八番地横尾弥平太方に設けたこと。

第二、後記第三項(20)の認定事実及び第五節第一項の認定事実並びに登記関係書類(証一七〇〇)の記載によれば、昭和25、5、8の第二回通常総会で、本部事務所を福岡市下対馬小路一〇七番地、福岡市生活擁護同盟事務所内に移転することが決められ、昭和25、5、4乃至昭和25、5、12、頃に事実上右同所に移転し、その旨昭和25、5、20に登記したこと。

第三、後記第三項(154)、(156)、(158)の各認定事実によれば、昭和27、8月下旬頃右同所から、同市高畑新町一番地に移転したことが、

それぞれ認められる。

第二項 本組合における被告人等の地位

第一、認拠

(1) 被告人森原春一、木下仙友、渡辺実信、馬場卯三郎の各証言及び調書、同上野盛雄の証言

(2) 登記関係書類(証一七〇〇)総会、理事会議事録写(証二三七)議事録(証一六九八、証一六九九)第一二回理事会報告(証四二三―六)第八回常務理事会報告(一六六三―一六三)の各記載

(3) 共等通信(証二〇四六―二)の記載

(4) 被告人上野盛雄名義の加入申込書(証一六六七―二三)

(5) 本目第二、第五、第六、第一〇各節各第一項の認定事実、及び次の第三項(36)(41)(46)(47)(49)(52)(60)(181)(87)(100)(138)(148)(154)の各事実

第二、認定

(1) 被告人森原春一

右被告人は、被告人木下仙友と共に本組合創立前から、その準備に関し主導的立場にあつて他を指導し、設立に際しては発起人の一人となり、昭和24、12、2創立総会において理事に就任し、同日第一回理事会において代表理事、理事長になり(昭和24、12、9附で登記)爾来本組合の解散に至るまで、その地位にあつたこと。

(2) 被告人木下仙友

右被告人は前示森原被告人と共に、前記の如く本組合の創立前から、その設立につき主導的地位にあり、昭和24、12、2、創立総会において理事に就任し、同日第一回理事会において専務理事となり、昭和25、5、8第二回通常総会迄その地位にあり、なお理事としては、昭和27、5、25、第七回定期総会までその地位にありその間昭和25、11、2第一回常務理事会乃至昭和26、10、12第九回常務理事会頃迄常務理事をつとめ、一方昭和25、9月頃北九支部の支部長となり、昭和27、3月末までその地位にあり、昭和27、4、1、機構改革によつて福岡県支部が設置されるや同副支部長になつたものであること

(3) 被告人上野盛雄

一右被告人は、昭和25、4月末頃から本組合本部の総務部長に就任し、本部の一般事務すべてを掌握し、昭和26、2、1、に組合員として加入し、昭和26、2、20、第四回臨時総会で理事に就任し、昭和26、7、4、第八回常務理事会において岸本の辞任に伴い事務理事の事務取扱となり、昭和27、5、25、第二三回理事会において専務理事となり解散までその地位にあつたものであること

(4) 被告人渡辺実信

右被告人は昭和25、6、1、本組合に加入し、熊本地区の事務員を兼任し、昭和25、10月頃から、事実上、理事の仕事を担当し、昭和26、2、20、第四回臨時総会で理事に就任し、昭和26、3、1、第一六回理事会で代表理事、副理事長に選ばれ昭和27、5、25迄その地位にあり、昭和27、6、28、第二四回理事会で常務理事となり、爾来同地位にあつたほか、昭和25、10月頃熊本支部事務局長として、同支部の事務を執行し、昭和27、4、1、熊本県支部の設置と共に同支部事務局長となり、解散まで同地位にあつたものであること

(5) 被告人馬場卯三郎

右被告人は、本組合に昭和25、5月中旬頃(名目上は昭和25、4、1附)加入し、昭和25年7月末頃一時事実上の理事(登記面では佐藤勝名義)となつたが、同月末頃、事実上本組合を脱退(復帰後この期間は脱退していなかつたことにした)したので右理事のこともそのままとなり、昭和25、12、22、本組合に復帰後、ただちに事実上理事の仕事をしていたが、昭和26、2、20、第四回臨時総会で理事に就任し、爾来解散迄、同地位にあり、一方右復帰後まもなく延岡支部長となり、昭和27、4、1の機構改革による組織変更にともない、宮崎県支部長及び延岡出張所長となり解散まで同地位にあつたことが、

それぞれ認められる。

第三項 本部における実態 その一

第一点 序論

(1) 本組合名義又は、理事長被告人森原春一名義等を以つて本部から各地区宛(地区協議会、支部、県支部、出張所)役員宛(理事、監事、支部長、出張所長、県支部長)職員宛(事務責任者、同担当者、事務局長、常任者)各組合員宛配布された書類及び本組合から発行された新聞、ニュース、通信等により、本組合において実施されていた各種会議の内容、通達、指令の内容を検討し被告人等を中心とする本組合の基本的性格についての認識が、割立以来昭和28、3月頃迄どのような経過をたどつたかを次の通り認定する。

(2) 左記認定においては、被告人森原春一を、同上野盛雄を、同木下仙友を、同渡辺実信を、同馬場卯三郎を、を以つて表示する。

(3) 会議については、開催された年月日を、通達、指令、連絡、通信等については、本部等より発行された年月日を示す。

第二点 認定

(1) 左記各証拠の外これらに関する

証人森高殖、牟田茂雄、高杉義行、林末次郎、小森米次、筒口善見、貝島彦一、三日月弘之、川上海智、金森一郎、中尾俊男、内田益弥、菊淵敬助、鶴田松之助、斎藤平、土谷正、斎藤英雄、佐藤勝、丸川伯司、小野総一郎、日高二三夫、牟田正二、宮敬三、梅比武彦の各証言も併せて次のとおり判断する。

(2) なお、証番号の中文書が二校以上に亘る場合でも、特別の場合を除き最初の丁数のみを掲記することとする。

<省略>

第四項 本部における実態 その二

第一点 被告人上野盛雄が文書を以つて指導した本組合の具体的事務処理の内容について

〔一〕 証拠

(1) 昭和25、8月頃宮崎県児湯郡地区協議会宛本組合名義を以つて発せられていた右被告人の手紙(証八八―一―一七~二〇)の

「組合に加入される場合は、今迄の個人営業を廃業して、組合の営業所となる訳ですから、税務署、町村役場県財務事務所に別封の通りの廃業届を出します。また加入と同時に前述の通り組合営業所となるのですから、その人の資産と商品を組合が一応買上げる事になり、組合員の方は組合より給料を貰うことになり、従つて、別封の通りの資産、商品の棚卸を本部に提出して下さい。商品資産の棚卸価格の見積は時価の仕入価格の七割に見積つて下さい。前述の給料は一応組合から支払う形になりますが、実際は今までの商売と同様に自分の所得の中から給料として毎月貰う事になるのです。この給料は毎月固定給ですので別紙給与規定によつて地区協議会で協議の上各組合員の給料を決定して知らせて下さい」なる旨の記載

(2) 昭和25、6、24附有村某に対する同被告人の手紙(証八八―一―二八)の

「加入の手続は別封の加入申込書に記入され申込まれれば良いです。加入と同時に五百円の加入金と出資金一口五千円、第一回払入二千円が必要ですが、出資金は二千円一回に出来ない方は分割納入も出来ます。そのほかは、毎月の売上の二%の積立金を組合に納めます。積立は組合に対する税金の積立金と経費として納めて頂くのです。従つて組合に這れば毎月の積立金と源泉徴収税金を納めて頂ければよいわけです」なる旨の記載

(3) 昭和25、11、20、延岡支部に対する右被告人の手紙(証九二―一―二三~二七、証九八―一二―一六)によれば、右手紙は、支部代表者会議(前第三項(42)の事実)の報告を右支部になしたものであることが認められ、特に重要とされる点として列記された中に、「統一計算の件(現金プール)毎月末各事業所の現金残高を各支部に収吸して給料を支払い、組合の運営費を差引いた残額を回転資金として各事業所に廻す。その際廻転資金は必らず銀行を通すこと」なる旨の記載

(4) 昭和26、3、3、鹿本支部に対する同被告人の手紙(証三四九―八~一一)の

「月末プールの件、整理としては資金の足りない処え、余つた処から廻すことが九原則に基いて正しいので本組合も是非そうせねばならないのです。それでやり方が悪いと混乱しますから、一応プールした人は別の帳簿を作つて誰から誰にいくらプールしたと記帳して置けば良いと思います。この帳簿は対外的にはみせないで下さい。借入金の処理の件、借入金は一応組合支部が借入れて事業所え、支部a/cとしてプールする訳です、それで組合が個人(事業所責任者の場合でもよい)に対して借用証を出して置けば良い訳で、面倒でも以上の手続をしないと九項目にひつかかります」なる旨の記載

(5) 昭和26、3、30、鹿本支部に対する、同被告人の手紙(証三四九―一三~一五)の

「新加入の商品の件、新加入の際、設備、商品等は買上げますが、組合に金がないため未払となつています。即ち、商品を組合が仕入れたけれど金がないため未払となるので、未払金の対手科目は仕入です。従つて商品の未払でなくて商品を買つた金がないから未払金になつていると税務署には云つて良いのです。確信を以つて斗つて下さい。支部勘定(a/c)の件〇月末現金プールの際各事業所の現金残を支部勘定として入金し、積立金を差引き、給料を払い、その残りを支部a/cとして支出すれば良い訳です、それと各事業所の日報により伝票を切り元帳に記帳すれば一応支部a/cは積立金だけの分が残ることになり之は年度末までに整備します」なる旨の記載。

(6) 昭和26、9、25、延岡支部事務員加藤宛の右被告人の手紙(証九七―一一四~一一六)の

「現金プールの件、前日の八幡企業組合における事務責任者会議(前第三項、(93)の会議と推認する)で討議されたとおりです。やり方は先づ各自の日報を計算して月末に現金残がいくらかを出します。その現金を支部事務所に持つて来て貰い、そこで積立金等を計算して残額を支部a/cとして事業所(運転資金)え返します。その際給料を討算し、源泉税を差引いて本人に支給します。その全部を支部として計上したら良い訳です。現金(月末)を支部事務所に集めることが重要です」なる旨の記載

〔二〕 認定

右に認定した被告人上野盛雄の文書による、本組合の具体的事務についての指導の内容の趣旨とするところは、第四節乃至第一七節において認定した各地区における右被告人の本組合の説明の具体的内容と一致するものであることが認められる。

第二点 廃業届について

〔一〕 証拠

(1) 第二節乃至第一四節の加入時の資産処理の項に掲記した各証人の証言

(2) 経理事務処理要領(証三〇七二)の中、「加入及事業所開設の手続」の「5、個人営業の廃業届作成、三通作成し、一通は税務署長、一通は県知事、一通は市町村長」なる記載、

(3) 加入関係書類(証三〇七三)の中「廃業届」の活版刷りの用紙の存在

(4) 廃業届(証二三一、証三五二、証六二八、証六二九、証八〇四、証八一二、証八二七、証一二八八、証一六八二、証一六八四、証一六八八、証一九二七、証一九二八、証一九二九、証二五八九、証二六二四、証二六二五、証二六二六、証二六二七、証二六七六、証二六七七、証二六八六、証二六八七、証二七一六、証二七一七、証二七二〇、以上鳥栖、隈府、京築、別府、熊本、福岡、佐賀、有田、唐津、小倉、八幡、門司、田川、直方、飯塚、久留米、八代各地区分)の各存在。

〔二〕 認定

加入に際しては、個人営業を廃業し、本組合の従業員になつた旨の届を、税務署長、(国税関係)県知事(県税関係)市町村長(市町村税関係)に、それぞれ提出するように組合は指導し、その用紙を交付し、加入した組合員はすぐに右三個所に廃業届を出し、個人営業は廃業した旨を表明していたものであることが認められる。

第三点 組合員の脱退に際しての出資金の払戻しについて

〔一〕 証拠

(1) 本目第二節乃至第一六節の各第一項又は第二項において、認定したように、加入の勧誘についての本組合の役員又は事務員の具体的説明の中、出資金については、脱退したら払込んだ額(ほとんどは二千円)を、全額払戻する旨の説明をしていたこと。

(2) 証人小野総一郎、川上海智、森高殖の各証言により認められる、脱退者には、右(1)のような約束になつていたし、又払込んだ全額を払戻していたこと。

(3) 証人池田ミネ、大塚与曽吉、椎木五郎、中野誠治、西村力太郎、佐藤松造、藤野静枝、脇坂由雪、秋山平作、平川勝の各言により認められる右証人等は本組合から昭和25、10月項乃至昭和28、1月頃の間に脱退した組合員であるが、いづれも、出資した額(ほとんど二千円)だけ払戻を受けたこと、

(4) 証人長谷川正次、満塩清、志垣義雄、上水芳雄、河本潔の各証言により認められる。八代出張所では昭和28、2、15、頃同地区の組合員が一斉に脱退しているが、出資金は脱退したら払込んだ二千円全額払戻す条件であつたので、本部に送金することになつていた現金を右脱退にあたり、脱退者の間で一人六百円宛右内金として受領したこと。

(5) 登記関係書類綴の中、昭和26、6、20、監事八名の記名捺印による証明書(証一七〇〇―一八三)の記載と、之に対する証人森高殖の証言により認められる。昭和25、4、1から昭和26、3、31迄の間に八二名の脱退者(一人一口で合計八二口)があり、右脱退者全員に払込額と同額の二、〇〇〇円を、合計一六四、〇〇〇円を払戻したこと、

(6) 本組合本部の金銭出納簿(証三〇一三)のうち、出資金の脱退者に対する払戻について次のような、支払の記帳があること、

<省略>

(7) 総合総勘定元帳(証三〇〇七―一一三)の出資金勘定の記帳及び、之に対する証人森高殖の証言により認められる、昭和25、11、29に福岡支部から脱退者に対する払戻出資金一〇九、九〇〇円を請求して来たので、右同日に右金額を支払つたこと、

〔二〕 認定

右各事実を綜合すると、

本組合の定款や経理事務処理要領の各規定によれば、脱退者に対しては、年度末の決算の結果、その持分に応じた(持分は出資口数に比例する)払戻しをすることが定められているが、本組合の実態はかかる規定にかかわらず、出資金について本組合の役員(被告人等を含む)職員は、組合員のその加入に際し、出資金は一口五、〇〇〇円のうち第一回払込みとして二、〇〇〇円を払つて貰うが、脱退は自由であつて、脱退するときには、ただちに右一、〇〇〇円を全額返還する旨を説明しており、かつ本組合としてもその運営の全期間を通じて、右説明のとおりに、脱退者には、その脱退の時期を問わずいつでも当該脱退組合員の払込金額を全部本部から払戻しており、決算のとき持分計算などはしなかつたことが認められる。

もつとも、証人佐藤勝の証言によれば、同証人は昭和25、10月頃本組合延岡支部から脱退しておるのに出資金の払戻をうけず、そのご被告人森原が延岡に出張し、右佐藤等の全額返還の要求に対し、それに応えず再加入を要請したことが認められるが、このことは佐藤等の脱退の特別事情に基くものであつて、右認定を覆す理由とならない。

また証人末田精、阿部清、仰木実、横内光隆、山本保一、藤井春雄の各証言によれば右証人等は、昭和27、5月及び6月頃本組合小倉出張所から脱退した者であるが、いづれも出資金の返還を受けていないことが認められる。しかしながら、前敍第三項(143)の事実にもあるように右証人等は中山栄三郎、末田精を中心として別個に小倉企業組合を設立する目的で三〇数名の者とともに脱退したのであつて、本組合は之等の者を分派行動の裏切者と称して、除名問題も起し、また定款等を楯にして規約により脱退手続を強要していることが認められるところからすれば、円満脱退した他の組合員に対する手続と異つた手続を求められたのであつて、本事案も特別な事情に基いて出資金を払戻さなかつた場合に属するということができ、前示認定を覆す理由とはなりえないといわなければならない。

第四点 現金プールを実施した理由

証人高杉義行、森高殖、川上智、林末次郎、佐藤勝、仰木実の各言及び調書並びに本目第二節乃至第一七節の認定事実を綜合すると、

(1) 本組合では、設立の当初から、役員、職員等は、組合員の所得について税務当局から、法人の所得でなく組合員個人の事業所得であるとして、法人所得を否認される虞れがあることを皆認識していたこと。

(2) 昭和25、8月頃、国税庁からいわゆる九原則が通達として出されることがわかり(九原則が正式に発表されたのは、第一款第三節第一項で述べたとおり、昭和25、10、24であるが、同所で認定した九原則の発表のいきさつ、及び本節第三項の認定事実よりすれば、本組合では、昭和25、8月頃、九原則の内容を知つていたことが推認される)之に対する措置が論ぜられ、種々討論の結果、本組合は否認を免れるために九原則に沿つて運営することが決議されたものの、九原則の中、形式的又は附随的条項についてはともかく、企業組合としての根本的要件、すなわち企業合同の大前提をなす右九原則中の第四項(第一款第三節第一項に認定)及び第八項(同上認定)等については、本組合は発足以来理事長である被告人森原春一以下被告人木下仙友、同上野盛雄等を含む役、職員が、組合員は個人営業をやつてゆくものであることを説明していたし、かつ実際にそのような組合運営の実態であつたので、この運営の方法を根本的に改革しない限り、右九原則の中の本質的要件に合致した形態にはなりえないことを知つていたこと。

(3) 従つて、組合としては真実に企業合同した形態における組合を主体とする統一計算は、到底実行することは不可能であるが統一計算をやらないと右九原則によつて組合の法人としての所得を否認されて、個人課税をされる虞れがある以上、否認を免れるために、すなわち企業合同して統一計算を実施しているように装うためにいわゆる「現金プール」を実することを決議したこと。

(4) かかる目的の下に考案された「現金プール」は、昭和25、10、1から全地区で実施されることになつたが帳簿上では、組合が主体として、各事業所の売上金を毎月一回組合事務所に吸い上げ、それを黒字の事業所と赤字の事業所とに関係なくいわゆる「プール」して各組合員及び従業員に所定の給料を支給し、所要の廻転資金を融通し、組合運営費を徴収したかの如くなつているが、その組合員の売上金等の所得については、実質的には組合の運営費、源泉徴収税額、雑費等を差引いた残額は、全額給料とか運転資金とかの名目をつけて当該組合員に還元するのであつて、その実態は現金プールを実施する以前となんら異るところはなかつたものであることを根本原理とし、その方法の細部は各支部、各出張所にまかせられたこと。しかし、給料の支給、運転資金(借入金による場合も含めて)の融通は、之を第三者に主張する証拠を残すために小切手によつて操作することを決議したこと、

(5) 組合の議事録(証一六九六、証一六九七、証一六九八、証一六九九)は初めは被告人木下仙友が、昭和25、6、11の第三回臨時総会以後は被告人上野盛雄が記載していたのであるが、この議事録を一見しても組合が企業合同していない、従つて実質を伴つた統一計算はしていないと思はれるような記載が存しないのは、組合が絶えず否認される危険を感じていたからであつて、「現金プール」の実態が右(4)のようであつたにかかわらず議事録では、そのことを明示せず単に漠然と「現金プールを実施する」とのみ記載していただけであつたこと

(6) なお、現金プールにおいて小切手の操作をどのように実施するかその細部については理事会では決定されず事務局に委ねられ、各地区における実施上の手続的な相違は第二節乃至第一六節で詳述したとおりであるが、右認定にかかるような、黒字の事業所の余剰金を恰も赤字の事業所の給料又は運転資金として小切手を以つて、支給融通したかのように装い、真実その小切手を黒字の事業所が実質的に受領していた小切手の欺罔的操作については、被告人上野盛雄、同森原春一、同木下仙友、同渡辺実信、同馬場夘三郎はいづれも之を知つていたこと。

(7) 従つて、右被告人等をはじめ、本組合の役員、職員は、かかるやましい経理の状態の下で、表面的な九原則えの合致の故に、常に税務当局の法人所得の否認を虞れ、この否認から本組合を防衛するためには、書類の整備ではなく、斗争にあることを強調し、その手段として組合員の増加による組合の拡大強化と税務当局に対する先制攻撃を主体とする税斗争をその方策として決議し、かつ強力に実行したこと。

がそれぞれ認められる。

第六点 決算についての被告人等の認識

証人森高殖の証言によれば

組合の積立金というものは、組合事務所の経費に使用するのと、法人税の引当にするものであることが定款及びその他の規約で定められ、また加入する者にもそのように説明していたが、本組合の運営の全期間を通じて積立金の中から法人税の引当として別途に積立てたことは一度もない。之は昭和25、6月乃至8月頃、被告人森原春一、同木下仙友、同上野盛雄、専務理事岸本真から、本組合の本質は、決算において、黒字も赤字も出ない様にするのが理想だから、組合を理想的に経営すれば法人税を納めなくて済む、従つて、法人税を納める為の積立をする必要がない、もしどうしても収めなければならなくなつたら、組合員に割当てて負担させればよい旨の説明を受け、帳簿の記帳を操作すれば右説明のようにできるところから、以後法人税の引当はしなかつたことが認められる。

第七点 本部からの資金の放出について

証人森高殖、林末次郎、川上海智の各証言及び調書、証人中尾俊男、土谷正、金森一郎、斎藤英雄の各証言、並に本節第三項の中、(94)(116)(118)掲記の各証拠を綜合すると、本部から各組合員に実質的に資金が融通されたのは、

(1) 昭和26、8、23、第一八回理事会で小倉炭坑ストを支持し、石炭坑にある本組合の三事業所に掛売資金として本部から一〇万円を支出することを決議し、北九支部を通じて右一〇万円を融通し、後に回収したこと。

(2) 昭和27、3、10及び同11日の第二一回理事会で本部保管の出資金の中から、回収確実な地区に運転資金として支出することを決議し、そのころ、福岡出張所に約二〇万乃至三五万、熊本出張所に約二〇万乃至三〇万、小倉出張所約二〇万、京築出張所に約五万等を放出したこと、の唯二回だけあつて、本組合設立以来一斉捜査に至るまで右を除き、いかなる名目においても資金の融通はなされていないこと、

が認められる。

第一九節 総括的結論

第一項 共栄企業組合の基本的性格

第一節乃至第一八節において認定した各事業を綜合すると。

〔一〕 被告人森原春一、同木下仙友は、その設立の当初から、被告人上野盛雄、同馬場卯三郎、同渡辺実信は、本組合加入のときから、その他の役員、職員もそれぞれの立場で、本組合の基本的性格として左の如き認識を有していたことが明白である。即ち中小企業等協同組合法によつて設立運営される企業組合は、一般には、経済団体であり、議決権等を除いては、利潤を追求する一般の営利法人だと解釈している。もちろん、企業組合を組織するに当り、個々の業者が個人営業を廃業して、その所有にかかる資材設備商品一切を組合に投入して、単に一従業員の立場で組合の事業を推進し、自己は一個の給料生活者となる点においては、企業組合は経済団体であり、一般法人と同様であるといえかもしれない。

しかしながら、右中小企業等協同組合法による企業組合法は、中小企業者が資本主義システムを破壊し、なんらかの生きる道を打門しない限り、経済的圧迫の下に死をまつほかはないという切迫した環境の中にあるとき、改良主義的協同組合理念に基いて、資本主義体制の擁護のために、その体制の枠内において業者が自ら民主的に企業整備することを合図して立法化されたものである。従つてかかる立法趣旨に基ずく法律によつて組織される企業組合が右のような趣旨の下に運営されるだけであるならば、一時的な税金に対する障壁位にはなつても、所詮独占資本主義体制を擁護し強化するための役割を果すのみであつて、企業組合を組織すれば何か救われるというのは幻想である。

しからば、企業組合を如何に組織すべきか。

独占資本を打倒し、それに替る我々自身の手による、我々のための政府をつくり、我々自身のための政治を行う道を切り拓くために団結し協力するというところに、中小商工業者の真に発展し、生きる道があることを認識し、その認識の下に企業組合を組織しその法人組織という合法的に戦える利点を最大限に利用し、斗争を主体とする生活防衛であり、労働組合的運動として組織されねばならない。かかる観点において組織され団結されるならば、企業組合は有用な業者の武器となるのである。従つて、企業組合を零細企業者が交に資力、技能、労働力をすべて組合に投入して、経営規模を引上げ、経営を合理化し、以つて公正な経済競争に堪えうる経済的地位を自ら確保することを主眼とした営利法人として組織することを放擲し専ら前叙認定のような、観点において企業組合を組織し、運営せんとする以上

(A) 加入せしめる組合員の所得が問題ではなく、いかに中小企業者の大多数を組織し、その生活を守るためにいかに斗うかということが問題である。加入者の所得を問題とすることは、組合を税務官庁の解釈するように一般法人化することを前提としているものである。

(B) 組合員の利益を擁護し、その生活を守ることが主目的であるから、必然的に経営の主体が組合員の個々にあることが特徴であつて、従つて、利益の配分を別として相交信頼と相交扶助の基本精神に立つ事業所の独立経営すなわち、個々の事業所の独立採算制が主軸になるのも当然である。

(C) 企業組合は、利潤を追求する企業体ではないから、課税対象にはなりえない。組合の実態は数字を胡麻化さなくとも決して黒字にはならない。統一計理が行われる限り、必らず赤字になるのは、組合員の生活を向上されることが組合に与えられている任務である限り当然のことなのである。

(D) 課税当局に対しては、常に先制攻撃を行い、実力を以つて斗はねばならない。

(E) そのために、何よりも組織の拡大強化が行われねばならない。敵(課税当局)の圧力に実力を以つて対抗し勝利を得るためには何よりも組織を拡大することである、そのために組合員の量の獲得の質の向上、地域の拡大が必要なのである。

(F) かかる観点において組合員の帳簿は整備され組合事務は処理されるべきである。従つて拡大運動の障害とならないように、法人としての最低の事務をとればよいのである。

(G) 課税当局を敵とする斗争は、組合独立で斗うのではなく、生活擁護同盟、民主商工会その他の民主団体、労働者、農民を含めた広範な共同斗争を行うことが必要である。

共栄企業組合の基本的性格は正に右の通りであり、かかる基本的認識に立つて、被告人等は、終始本組合を運営し、且指導していたということができるのである。

〔二〕 九原則に対する組合の態度と方策

被告人等五名を含む本組合の指導的地位にある役員、職員は、本組合の基本的性格を前叙のように認識していたものの、企業組合が事業協同組合等とは全く法型態においては異り、最少限度、組合が主体として事業を経営しなければならず、そのために、組合員の店舗を組合の事業所とするためには、当該組合員の所有にかかる商品備品、什器類を組合の所有としなければならないこともまた認識していたのである。この要件すらも充足しない以上はも早や企業組合とはいえないことを知つていたのである。しかしてかかる認識を有しながら、設立当初より昭和25、9、30迄の運営の実態は、次の第二項で述べるような形態を取つていたものであるところ、第一款第三目第一項で認定したような経過を以つて国税庁から九原則が通達として発表されるや、

(1) 右発表当時は、九原則を適用されて本組合の法人格否認され、組合員個々人に課税されることを虞れ、之を免れるために、九原則の各項目は、いずれも書類上技術的に処理すことが可能であるとして九原則に則つて運営の型態をとることを決議した。

しかしながら既に第一款第三目で論じたように右原則のうち、第一、二、三、五、六、七、九の各項目は、いずれも企業組合の運営にとつて必らずしも本質的要件をなすものではないのであるが(本組合においても被告人等は同様な観点から、同原則のうち第四項の資産譲渡の点を除いては、第一項乃至第三項、第五項乃至第九項に該当する運営方法につき、本組合創立以来、しばしば論議されたが、その都度それに合致した運営を行うことは、前叙本組合の基本的性格に基ずく運営に反するという趣旨から故意に放任されていたものであることが認められる)第四項は本質的根本的要件であり、第八項もまたそれに準ずる重要な要件であるのに、本組合においては、右第四項の要件については、次の第三項で論ずるような形態において組合員の営業用資産を買受けた旨強弁し、第八項については、本目第一八節第四項第五点において論じたように現金プールを実施することにより、右第四項第八項共に九原則に則つて運営していたかの如く仮装したのをはじめ、他の項目についても、それぞれ単に書類上のみ操作、表面的形式のみの整備を行い、以つて恰も九原則を遵守して、実質的な企業合同に立つて運営を実施しているかの如く装うことに努力したのである。

(2) ところが昭和26、8月頃から、法律に基き登記され法人格を附与されている以上、通達にすぎない九原則によつて法人格を否認し、組合員個人にその所得を事業所得して課税することはできないとの観点から、従前の方針を批判し、課税当局の否認を虞れ、経理体系を強化し、一般法人化されねばならないとして、帳簿書類の整備統一計算の強化を行い、業者に面倒な帳簿書類の作成を強要したことは、組合法の改良主義的な面だけが日和見主義、経済主義、組合主義的に取上げられたのであつて、方法の誤謬を犯したのである。組合は、帳簿書類の整備のみては圧到的な課税当局の圧力に対抗できない。之に抗し得るのは政治に影響を与えられる程の鞏固な団結と自覚と意識に燃えた強力な組織である。それがためには、事務処理は法人とし要求される最低限度に簡素化を図り全力を挙げて組織の拡大強化を図らねばならぬと被告人等の認識が移行し、以後かかる認識の下に組織の拡大強化、と他団体との共斗、しかして課税当局に対する税斗争が尖鋭化したことが認められるのである。

第二項 本組合の実態

〔一〕 第一節乃至第一八節並に右第一項において認定した事実によれば

被告人等五名をはじめ役員、職員は既に認定したような本組合の具体的内容を説明し、加入希望者はその説明を諒承して、加入金五〇〇円、出資金一口五〇、〇〇〇円の内金第一回払込額として二、〇〇〇円を支払い、以つて本組合の組合員となり、加入に際してはその所有にかかる営業用資産(債権、債務、現金、を含む)を棚卸して棚卸表、並びに貸借対照表を作成して、組合に提出し、組合は右資産を買上げた証として買上証を、その代金を借用した証として借用証(この二通の証書は、作成していなかつた地区もある)を当該組合員に交付し、以つて組合は右資産を買上げ債権債務、現金を引継いだと称し、組合員は之を売渡し、又は引継いだと称していたが、それは、第三者をそしてその旨を誤信せしめるための通謀した虚偽の意思表示であつて、組合は右資産を真実買受けて代金を支払う意思を有せず、債権等を真実に引受ける意思を有せず、組合員は、その資産、債権等を真実売渡したり代金を受領したり引継いだりする意思を有せず、それらの資産は従前通り当該組合員の所有に属し、その組合員は従前の店舗又は工場を組合の事業所の形式として、従前どおり個人の営業を営むにかかわらず、税務署県知事、市町村長に対し、それぞれ個人営業を廃業して、本組合を設立した、または加入した旨の廃業届を提出して、その旨を仮装し、本組合設立当初から昭和25、9、31迄は、各事業所より生ずる売上金及び借入金一切はその事業所の組合員が管理所有し、組合からの給料の決定額には関係なく加入前全く同様に個人の信用と危険負担においてその営業を継続し、その売上金から自由に生活費を支出し、雇人の給料を自己の責任において支払つており、すなわち、その組合員の事業所(店舗又は工場)から生ずる一切の損益は、当該組合員に実質的に帰属し、組合に対しては積立金、雑費等の金額を支払う以外は実質的に支払う金額はなく、また組合から実質的に支払う金額はなく、また組合から実質的に融通される金額は全然なかつたにもかかわらず、恰も組合から給料所定額を支給され、運転資金を融通を受けたかの如く諸帳簿、書類を作成記帳しており、昭和25、10、1からは、国税庁から九原則が出されるのに対応して、同原則に基く否認を免れんがために、実際には前叙の如き運営の実態を根本的に改革しない限り、右九原則に規定する企業合同の実質は具備出来ないのにもかかわらず、右の如き実態は、そのままにしたまま書類、帳簿の技術的操作によつて右九原則に則つた企業合同を恰も実質的にも実施しているかの如く糊塗せんために、加入時の資産処理については、前叙の諸書類の作成を強力に実行し、現金の管理については、特に組合を主体とする統一計算を実施しているかの如く装う目的で、いわゆる現金プールを実施するようになつたが、右現金プールを実施するようになつたが、右現金プールの実態は、毎月一回売上金を(鳥栖出張所のみは、昭和27、7月以降は原則として毎日)組合事務所に持参する点を除いては、実質的に現金プールを実施する以前と売上金、借入金の管理、流通、還元の実態は全然同一であつたにもかかわらず、小切手を主体とする各種書類を巧妙複雑に操作して、恰も各組合員に給料所定額を支給し、廻転資金を所要に応じて融通していたかの如く装うていたものであり出資金については、加入に際し、第一回払込金として二、〇〇〇円を支払つた後は、本組合解散迄残金三、〇〇〇円の払込を総会又は理事会等の会議で議題にしたことすらなく、また脱退は、定款の規定にかかわらずいつでも自由に出来るようになつており、脱退の手続は、脱退届と棚卸表を作成して提出すればよく、出資金はその際に払込金額全額を返還する立前となつていたものであつて、本組合の組合員個々の営業の実態がかかるものであることは、被告人五名を初め、全役員、職員及び本組合に加入して実質的に営業に携わつた全組合員が之を知つていたということができるのである。

〔二〕 本組合の実態が右〔一〕の如きものであつたところから、

(1) 組合の信用において組合を主体とした銀行、信用金庫からの借入金は、設立から一斉捜査当時迄鳥栖地区の一部を除いては、実現出来なかつたのであつて、組合員の借入金は、すべて当該組合員個人の信用と責任によつて、補填することを余儀なくされたのであるが、かかる方法をとらざるを得なくなつたのは、他に原因があるのではなく、本組合の右の如き実態に起因するものであるといわなければならない。

熊本地区で実施されていた資金プールや、福岡地区の一部で行われていた定期積立金を担保とする融通や、各地の頼母子講も、本組合の事業主体としての運営ではなく、結局、組合員個人の危険負担において組合内部において自己資金を融通し合つていたのにほかならないのであつて、之もまた本組合の実態からする当然の帰結であるといわねばならない。

(2) いわゆる共同購入(企業組合が合同した一個の企業体である限り共同という表現自体に矛盾がある)についても、加入金、出資金、積立金以外に組合員からの入金のない組合が主体となつて実施することは到底不可能なことであつたのであり、組合員としては組合員相互の引合の斡旋程度しか事業には関係できず、かつ組合自体、共同購入、共同販売については極めて不熱心であつて、僅かに鳥栖地区において、組合員個人の危険負担に基ずく共同販売が実施された以外にみるべきものがない。昭和27、4月以後に作成されたと推認される<秘>取扱になつている福岡出張所の「共同購入規約案」(証二四五〇―二三四)によつても、購入手数料を依頼組合員から徴収するところのいわゆる事業協同組合的運営の規約内容であり、組合員個々の危険負担と収益の帰属を前提とする規約業であり、企業組合を主体とする事業計画からは遙かにはなれたものであつて、かかる規約を制定し、之を従つて共同購入を実施せんとした程度に組合員の事業所は個々に損益が独立していたことが認められるのである。

(3) 右〔一〕認定のような組合の実態からすれば、積立金、(運営費)の実質は組合員に賦課された組合員と認められ、且つ各組合員にとつてその賦謀の度合が重大な関心事であつたところから、右積立金の率及び額が常に各種会議で論議の対象となつたことが認められるのである。

積立金(運営費)を組合費と認定する限り、その組合員えの賦課が違法であることはいうまでもない。

(4) 出資金は名目は一口五、〇〇〇であるが実際に払込んだのは、設立当初から解散まで二、〇〇〇円だけであり、その上組合員数を形式的に増加するために支払つた増口分の出資金は当該組合員の事業所に直ちに廻転資金として還元されているから支払わなかつたのと実質的に同一である。右出資金の額は、資本金としても寡少にすぎ、残額三、〇〇〇円の払込については放置されたままであつたところから、右二、〇〇〇円は、むしろ出資金というよりは、加入証拠金程度の意味しかなく、加入を容易ならしめるための手段として定められていたと断定することができるのである。

(5) 本組合には定款をはじめ各種の規約規則、会則要領等が存するが、それらの作成所定はなんら右〔一〕の認定の実態を覆す理由になりうるものではないといわねばならない。

第三項 本組合の組織の拡大強化と、税斗争

〔一〕 拡大強化について

本目第一節乃至第一八節の各認定事実ならびに本節第一、第二項の認定の各事実によれば、

(1) 本組合の基本的性格を前叙第一のように認識していた被告人森原春一、同木下仙友等は、本組合創立直後の昭和24、12、26第三回理事会、ついで昭和25、1、25第一回臨時総会で、組合の組織を拡大強化することを決議し、行橋、椎田、宮崎、福岡、都城、熊本、八代、水俣、鹿本と相次いで組織を拡大することに狂奔したこと。

(2) 被告人上野盛雄、同渡辺実信、同馬場卯三郎も本組合に加入するに当り、本組合のかかる基本的性格を認識し、前示被告人等と相共に組織の拡大強化を図つたこと。

(3) 昭和25、11月頃から昭和26初の頃にかけては、現金プールの実施等のため、一時組合員数が減少したが、昭和26春から夏にかけて、いわゆる組合内の日和見主義、経済主義、組合主義が批判され、課税当局の否認に対抗し、之に勝利をうるためには、帳簿書類を整備することではなく、政治に影響を与える程の鞏固な団結と自覚と意識に燃えた強力な組織であることを本組合存立の中心眼目とすることが再確認され、従来も法人として最低の事務処理であつたのに更に事務員の拡大強化の運動を容易にするため、その障碍となる一切の事務的なことは廃止され、組合全部の機能を挙げて組織の拡大強化を図り、被告人森原同上野が中心となつて未開拓の各地に加入の勧誘に出張し、既存の地区においても倍加運動等を起して組合員の増大を図り、その結果各地において昭和26暮頃から急激に組合員数が増加すると共に大分、別府、竹田、鳥栖、佐賀、唐津、伊万里、下関防府、下松、門司、八幡、若松、直方、飯塚、久留米、大牟田、玉名、東京の各地に組織が拡大されたこと。

(4) 創立当初からの各種会議でも組合の拡大状況が報告され、その強化が図られたが、右昭和26春以後の総会理事会、事務員の会議、その他各種会議においては、会議の中心眼目は如何に拡大強化するかという点にあつたのであつて、組合の事務一切は、拡大強化のためにとられていたのであり、組合員に対しては新聞、ニユース・パンフレツトを以つて拡大の状況と、その必要なる理由を繰返し、指導しており、各地区の拡大の進捗状況は、各種会議の際詳細に報告されていたものであること。

(5) その結果、昭和27、10、19現在において、九州、山口、東京に亘り、県支部、七個所、出張所三七個所、事業所数二四三〇個所、組合員数は之を遙かに上廻る人数に拡大され、昭和27度中に、地域的には広島、大阪、名古屋、東京に拡大し、組合員数一万五千に増大することを目標にしていたものであること。

がそれぞれ認められるのである。

(6) なお、証人牟田正二の証言、第二五回理事会経過報告(証四二四―四三、証二四五〇―二一八)及び本目第一二節鳥栖出張所の現金プールに関する認定事実によれば、鳥栖出張所では、唯一個所、他地区と異つて、昭和27、7月から毎日現金プールを実施していたのであるが、この方法が昭和27、8、27同28日の第二五回理事会において牟田正二理事から報告されたのに対し、被告人森原春一は、経費がかかり事務所の束縛になるので拡大の邪魔になるのと反対し、被告人上野盛雄、渡辺実信、同馬場卯三郎を含むその他の理事も事務員の負担が過重になり拡大を阻止するという意見で、同会議においては結局この方法は鳥栖出張所だけに限定して採用することになつたことが認められる。

右鳥栖の毎日現金プールは、その実質的内容において他地区の実態と異らないにせよ、形式的には支払等を組合事務所が自ら行う方法へ発展する萠芽を示しており他地区の方法に比し稍々実質を伴う方向に向つていたものとも解し得られるのであるのに、右被告人等を含む理事等は、拡大という本組合の基本的性格に支障を生ずるものとして反対したところに現金プールを含むすべての事務は拡大強化という主目的にとつて単なる手段にすぎなかつたことを充分に認めることができるのである。

〔二〕 税斗争

右〔一〕掲記の各証拠によたば

(1) 本組合の基本的性格は被告人森原春一、同木下仙友等にとつて、税斗争を主体とする中小企業者の生活防衛体として認識されており、被告人上野盛雄、同渡辺実信、同馬場卯三郎もその加入に際し右の基本的性格を承知して加入しており、かつ、その観点から本組合は指導されて来たこと。

(2) この課税当局に対する斗争は前示〔一〕の拡大強化と表裏一体をなしていたものであつて、課税当局から法人所得を否認され、組合員個人の所得として課税されることを免れるため、すなわち、課税当局を敵とする斗争に勝利を得るため、前示の拡大強化が図られたのであつて、右拡大強化は、広義の税斗争の一型態ということができること。

(3) 狭義の税斗争としては、組合創立以来一斉捜査に至るまで、

(A) 税金の負担が軽くなることをスローガンとして加入を勧誘し、

(B) 組合員の大半もまた過重な租税から免れる気持で加入し、

(C) 組合事務所は組合員の加入前の滞納税金について課税当局と交渉して、その免減分納を獲得することに努力し、

(D) 七月予定申告、確定申告、事前減額承認申請事業税の滅免分納の申請に関し、その方法、交渉等を指導し申告については自主申告を、承認等の申請についてはその承認をそれぞれ獲得することを目標にしてしばしば課税当局に団体交渉する等のことを行い、

(E) かつ常に課税当局の本組合に対する態度、方針を探索看視して、先制攻撃をかけることを意図し、かつ実行し、

(F) 課税当局の調査に対しては、その応待、接渉の方法を各組合に指導し、役員、職員がその接渉に当る手段をとり、組合員に直接調査に当ることを極力拒否し、

(G) 組合員の店舗及び工場での調査を不能にならしめるための一切の帳簿書類を組合本部に送らしめ、

(H) 本組合が孤立することが、ないように他の諸団体等と共同斗争を組むことを意図し、かつ実行し、

(I) 各地区の税斗争の内容は諸会議、新聞、ニユース、通信を以つて他地区に報告され各地区の税斗争には、被告人森原や同上野が本部から指導、応援に屡々出張し、

(J) 課税当局の実力に対しては、組合もまた強力な組織による実力によつて対抗する以外にないことを繰返し各組合員に教示指導しており、組合員の自覚と団結を要請していたものであることが

それぞれ認められる。

(4) なお本組合が課税当局の動向特に、本組合に対する意向如何に注意深く探索していたかは一斉捜査が実施された昭和27、10、18の直前である同月15に「17日頃当局に弾圧の計画あり、十分の態勢を整えられたい」旨の文書が管下各出張所に送附された一事を以つてしても、充分に之を窺い知ることができるといわねばならない。

第二目 犯意並びに共謀

第一節 被告人等の犯意並びに共謀

第一款及び本款第一目で認定した全事実を綜合して判断すると

被告人森原春一、同木下仙友は、昭和24、7、1法律第一八一号を以つて中小企業中小企業協同組合法が制定施行せらるるや、同法所定の企業組合の法的性格はともかくとして、同法を利用し、課税当局に対する税斗争を主眼とした生活防衛体として企業組合を組織することを意図して、前叙認定の通り組合としてはなんらの事業も営まず、組合員に対しては、その加入前と全く同様に、自己の計算と危険負担において各自の個人営業を営ましめ、その営業から生ずる一切の損益を実質的に各組合員個人に帰属せしめながら、その加入に際しては、恰も営業用資産、負債をすべて組合に引続いで企業を合同し、加入後は組合から給料を受くる単なる給支所得者となるものの如く仮装し、右組合法所定の実質をなんら具備しない共栄組合を設立し、かつ、前目に認定した運営を継続し、

被告人馬場卯三郎、同上野盛雄、同渡辺実信はいずれも本組合の右の如き基本的性格及びその運営の実態を諒知して加入し、加入後は、かかる実態の本組合を発展させることに努力し、

右被告人五名は、相互に共謀して、かかる基本的性格の本組合を拡大強化することに努め、課税当局に対する税斗争に努力し、

以つて、本組合に加入した各組合員をして、それぞれの組合員と共謀して、右組合の右の如き組織と運営を利用して、各組合員は、それぞれ加入前と全く同様に個人営業を継続し、その営業より生ずる収益一切を、自己の事業所得として収得し、従つて当然にその所得については、之を事業所得として、所得税法所定の確定申告をなすべきであつたにかかわらず、各組合員を本組合の給与所得者であるかの如く装わしめ、よつて組合員個人の所得に対する所得税を不当に免れさせていたことを充分に知つていたのであることが認められる。

第二節 被告人等と犯罪表記載の加入者との各別共謀について

第一項 序論

(1) 本組合は既に認定した如く、企業組合としてはなんら実質を具備しない、組合員個人の事業所得に対する所得税を免れしめる目的の仮装法人であるが、他面税斗争を主眼とする生活防衛体として組織され、有機的な団体的統制の下に運営を継続していた組織体でもあるのである。

被告人等五名は、いずれも本組合の役員であつて、主要な地位を占めていたとはいうものの、本組合を右五名が独断専行して運営していたものではなく、右被告人等五名を含む役員及び職員を以つて本部及び各地区の事務所を構成し、本部と各事務所の間は各種の往復文書や会議、本部よりの現地えの出張などにより常に運営についての意思の疏通連絡を図つており、各組合員は、各地区の事務所に所属し、その指示に従い事務所を中心として本組合としての運営にたずさつていたものであつて被告人等役員の意思は、各地区の事務所えの文書又は、現地出張を以つて通じ各組合員の意向は事務所を通じ、上達されていたのであつて、

前目において認定したように本組合全地区における各役員や職員の加入希望者に対する説明の具体的内容が被告人等五名がなしていた説明の具体的内容とその時期及び場所を異にしながら本組合の本質的な点においては全く一致していた一事を以つてしても、被告人五名を含む、役員並びに職員の本組合の実態に対する認識において相互に意思が疏通していたことが断定できるのである。

はたしてしからば、本組合に加入するに際し、被告人等から直接に本組合の具体的内容の説明を聴き、その実態を諒知して加入した者は勿論、右以外の役員又は職員から同様に右説明を聴き、その実態を諒知して加入した者も含めて、加入に当つての営業用資産負債の譲渡引継が単に書類上の形式的なものでなんら実質を伴つたものでなく、個人営業の廃業届の課税官庁に対する提出が真実にそはないものであり、組合員としての給料の決定やその支給が単なる形式的な空虚なものであり、本組合に加入した後の営業が、従来同様な個人営業にほかならないことを知りながら、本組合の組合員として、その組合の給料所得者になつていることを利用して、組合の指導により、実際は当該事業より生ずる所得も含めて実質的に収得した所得税は、より大であることを知つていたに拘らず年度中途の加入者にあつては、所得税の確定申告期限迄に、加入後の収益を事業所得とすることなく、それより遙かに低額な名目的な給与所得と、加入前の事業所得と合算して、寡少な所得の確定申告をなし、年度初めに加入した者にあつてはその事業より実質的に収得した収益を事業所得とすることなく、それより遙かに低額な給与所得者であるとして、所得税の確定申告期限迄、その収得にかかる事業所得につき所得税の確定申告をしなかつたのであるが、これらの組合加入者は、被告人五名との間に、所得税を不法に免れる意思の疏通があつたというべきであり、従つて両者は、それぞれ所得税の逋脱を共謀したものであると断ずることができるのである。

(2) 生計を一つにし、日常の起居をともにしている親族のうちで、誰が当該店舗又は工場から生ずる事業所得について、その帰属者になるかについては、第一款第二目で説示した実質所得者に対する課税の原則によつて判断されねばならない。しかして右原則によれば、当該事業に要する資金の調達をなし、その他当該事業経営の方針につき、支配的影響力を有すると認められる者が、その事業より生ずる収益の実質的な帰属者として当該事業の主宰者であると解するのが相当である。しかしかかる主宰者が判定ができない場合は、その生活を主宰する者がその収益の収益者として納税義務者であると云うことができる。

このことはその主宰者が本組合の組合員としては、親族その他の者を形式上名義だけ組合員としており、真実は自己が組合員としてその事業を主宰している場合でも同断に論ずることができるといわねばならない。

第二項 認定

(1) 右に述べたような観点において、第二論犯罪事実の中、犯罪表に掲記した者について、当該所得に対する逋脱の犯意、並びに被告人等五名との各別の右逋脱の共謀につき次の表のとおり認定する。

(2) なお、本論第三款の右者についての逋脱税額認定の各第一表の収支計算書の中、その本組合えの加入の年月日脱退の年月日、職業、逋脱当時の住所についても同様に次の表のとおり認定する。

(3) また右の者が、その所得につき期限迄に寡少の確定申告をした。または申告をすべきであつた税務署は、その営業地を管轄する税務署であることは、所得税法に定められているところであり、その税務署の名称と管轄区域は昭和24、5、31大蔵省令第三七号を以つて公布施行された大蔵省組織規程(ただし、昭和25年度については昭和26、2、8大蔵省令第三号による第三一次改正迄を適用し、昭和26年度については昭和27、1、29大蔵省令第三号による第五一次改正迄を適用する)第一三九条規定の別表第一〇表に規定されているところであるので同表に基き当該税務署も併せて次の表に掲記する。

(4) 被告人馬場卯三郎については、申告した。または申告すべきであつた税務署は延岡税務署であるほかの点については、既に認定したところであるので更めて認定することをしない。

<省略>

第三目 通脱額の算定

第一項 序論

〔一〕(1) 所得については、被告人及びそれと各別に共謀した納税義務者において、たとえ正確にその数額を知らなくても、個人の所得は原則としてその全部に課税せらるべきものであるから、いやしくも所得の寡少申告によつて税金を免れようと図り、または所得が存するにかかわらず税金を免れる意図を以つて申告することなく、詐偽行為によつて現実に所得税を免れた以上、右免れた所得についてのみならず、全部の所得について脱税の犯意があるといわなければならない。

(2) 従つて、逋脱額の算定については、その所得につき申告すべき年度において適用される所得税法に基き、当該納税義務者が正当に申告すべきであつた、総所得金額及び課税総所得金額に対する寡少申告又は無申告の所得及び税額との対比において算出されるべきであつて、その一部との対比において逋脱額を求むべきでない。

(3) 本件においては、前叙した各納税義務者が所得の一部を給与所得であるとしてその限度における寡少申告をなし又は申告を全くなさなかつたものであるが、右申告にかかる限度の所得及びそれに対する税額は、課税官庁に対する正当な申告の意思表示として逋脱額の算定にあたり当然に考慮さるべきであるし、無申告の場合でも申告すべき所得の一部を給与所得として、それに対する源泉徴収税を徴収義務者となつていた本組合に納入し、または納税すべき債務を負つていた場合は、右税額は逋脱額の算定につきまた考慮されねばならないところである。

(4) また右納税義務者にその営業による事業所得以外の配当、譲渡、退職、雑など各所得が存する場合には前叙した理由により、それらを事業所得に合算した所得につき逋脱額を算定すべきである。

(5) 前叙した如く逋脱額は納税義務者が正当に申告すべきであつた客観的な総所得金額及び課税総所得金額及び課税総所得金額につき算出される所得税を基準として算定さるべきであるから、当該年度に対して適用される所得税法に基ずき、控除さるべきすべての金額はその控除の理由が存する限り、申告のあるなしにかかわらず当然に控除されねばならない。

〔二〕 逋脱額算定につき適用される法律

(1) 昭和26年度(昭和26、1、1より昭和26、12、31まで)

(A) 昭和31、3、31法律第五五号、同第五六号所得税法の一部を改正する法律(第七次、第八次改正)による改正前の、昭和30、6、30法律第三四号右同称の法律(第六次改正)による改正前の、昭和29、4、3法律第五二号右同称の法律(第五次改正)による改正前の、昭和28、8、7法律第一七三号右同称の法律(第四次改正)による改正前の、昭和27、3、31法律第五三号右同称の法律(第三次改正)による昭和26、3、30法律第六三号同称の法律によつて改正された所得税法(以下之をA法と称する)並びに昭和26、11、30法律第二七三号所得税法の臨時特例に関する法律を適用すべきものとする。

(B) 確定申告書の提出期限は、A法第二六条により、昭和27、2、1から昭和27、2、29までである。

(2) 昭和25年度(昭和25、1、1より、昭和25、12、31まで)

(A) 右A法による改正前の昭和25、3、31法律第七一号所得税法の一部を改正する法律によつて改正された所得税法を適用すべきものとする。(以下之をB法と称する)。

(B) 確定申告書の提出期限は、昭和25、12、20法律第二八二号所得税法臨時特例法第二条により昭和26、2、1より、昭和26、2、28までに変更されたことが認められる。

(3) 確定申告書の提出期限については、証人政栄政明の「一日乃至二日申告期限を経過して申告されたものは、期限内申告として処理しました」との証言からも認められる如く、提出期限に近接した一、二日の遅延は、右所定の提出期限内に申告書を換出する意思を有していたものと認められるから、之を所定の期限内に確定申告書を提出したものと解して取扱うのが相当と解する。

〔三〕 収支計算書について

第二項判断における各納税義務についての逋脱算定の第一表は当該所得に関する収支計算書であるが、右計算書の各欄の根拠は左のとおりである。

<省略>

〔四〕 その他の記載について

(1) 経費一らん表については、勘定課目の直下に記載してある証拠は、その勘課目だけの証拠であるし、左側各月毎に表示した証拠は、その月分のみを証拠を示す。但し、右両方に証拠の記載があり、かつその標目の異る場合には、当該勘定課目の当該月分は、その全標目により認定したものとする。

(2) なお、(加)と表示してあるのは、その額を年間小計額にさらに加算することを示す。(シ)とあるのは、その金額のみ「証言」により認定したことを示す。

第二項 認定

第一論犯罪事実の中犯罪表掲記の各逋脱税額につき、次のとおり認定する。

<省略>

第一 算定の方法

証言による前野証人のとつた、財産増加の方法を妥当と認め、同方法により算定する。

第二 資産の部

〔一〕 土地建物

(1) 昭和25、1、1現在(以下単に年初と略称する)

証言により、ないことが推認される。

(2) 昭和25、12、31現在(以下単に年末と略称する)

証言により、前野証人が佐賀銀行福岡支店を調査して算定した八五、〇〇〇円を肯認する。

(3) よつて差引増滅額は八五、〇〇〇円の増加であることが認められる。

〔二〕 機械器具

(1) 年初

証言にもとずき、財産棚卸表(証一八九七―五六)の昭和25、3、31現在の機械器具高は、四五、〇〇〇円と認められるところ、証言によれば年初においても同額が存していたことが認められるので、年初の額として四五、〇〇〇円を肯認する。

(2) 年末

(A) 同上の四五、〇〇〇円は年末にも存していたことが証言により認められる。

(B) 証言により四宮ふく子名義の毛糸小売業の分もまた四宮積美の営業であるから(既述)毛糸関係の機械器具も加算すべきところ、証言によれば引継書類(証二八八五―一五)に記載の四宮ふく子の欄の二〇、〇〇〇円は、その開業の備品什器代であることが認められるので之を年末の器具在庫高として計上するのは妥当と認める。

(C) そこで年末高は45,000円+20,000円=65,000円になることが認められる。

(D) よつて差引増滅額は

65,000円-45,000円=20,000円の増加であることが認められる。

〔三〕 棚卸資産

(1) 年初

証言にもとずき、財産棚卸表(証一八九七―五六)の昭和25、3、1現在の商品在庫高四八〇、〇〇〇円から、年初も同額であると認め、年初商品在庫高として四八〇、〇〇〇円を肯認する。

(2) 年末

(A) 古本の方は証言にもとずき、商品棚卸表(証一八三三―一二八、二九)の昭和26、3、31現在の商品在庫高三五五、九三〇円から年末も同額であると認め、年末商品在庫高として三五五、九三〇円を肯認する。

(B) 毛糸の方は証言により80,000円を認める。

(C) よつて年末合計額は355,930円+80,000円=435,930であることが認められる。

(3) よつて差引増減額は、

435,930円-480,000円=-44,070円であつて、四四、〇七〇円の減であることが認められる。

〔四〕 売掛金

(1) 年初

以上と同様に、証言により財産棚卸表(証一八九七―五六)から一八、五八〇円と認める。

(2) 年末

証言にもとずき年初とかわらなかつたことが認められるから一八、五八〇円を肯認する。

(3) よつて差引増減額は、0であることが認められる。

〔五〕 出資及び証券

(1) 年初

証言にもとずき、前野証人が調査した結果算定したと認められる、西日本公正商店街三〇、〇〇〇円、新天町公社五八、五〇〇円合計八八、五〇〇円を肯認する。

(2) 年末

証言によれば、年末には、同上の八八、五〇〇円を算定したほか、本組合に対する出資金二、〇〇〇円を計上しているので之を肯認し、合計額を九〇、五〇〇円と認める(本組合に対する出資金がいわゆる出資及び証券の性質を有するものであるかどうかはしばらくおくことにして、所得額算定の方法としては、出資金の名目で、二、〇〇〇円が支出され、かつその金は本組合においても脱退時には二、〇〇〇円全額返還されることになつていることは、既に認定したとおりであるから、之を資産の一部として計上することは妥当であると認める。)

(3) よつて差引増減額は、

90,000円-88,5000円=2,000円の増であることが認められる

〔六〕 預、貯金

(1) 年初

証言により、前野証人が下記銀行を調査して算定したと認められる。下記金額を肯認する。

帝国銀行天神町支店に一一一、六六六円、千代田銀行福岡支店に二一七、三四六円

合計三二九、〇一二円

(2) 年末

前同様に、証言による前野証人の銀行調査の結果の下記算定を肯認する。

佐賀中央銀行福岡支店に当座預金残六四、八二七円、普通預金九八、〇〇〇円、帝国銀行天神町支店に当座預金残が一一〇、四五一円、普通預金が八八、七四八円

以上三六二、〇二六円

(3) よつて差引増減額は

362,026円-329,012円=33,014円であることが認められる。

〔七〕 現金

(1) 年末、年初共に証言により、一五、〇〇円と認める。

〔八〕 以上合計額

従つて

85,000円+20,000円+(-44,070)円+0+2,000円+0+33,014円=95,944円の資産の増加であることが認められる。

第三 負債の部

〔一〕 買掛金

証言によ右差引増減額は一〇、〇〇円の増加を認める。

〔二〕 未払金

(1) 年初

証言により0であることが認めれる。

(2) 年末

証言により三三、二〇〇円を認める。

(3) よつて差引増増減額は、三三、二〇〇円の増であることが認められる。

〔三〕 滅価償却引当金

証言により期末で五、七六二円を認める。

〔四〕 以上合計額

10,000円+33,200円+5,162円=48,962円の増加であることが認められる。

第四 総所得額算定の部

〔一〕 純資産増加額

第二の(八)と第三の〔四〕から純資産の増加を次のとおり算定する。

95,944円-48,962円=46,982円であること認められる。

〔二〕 生計費

(1) 証言にもとずき、家計当座帳(証三〇六九)の記帳を検討すると、昭和27.1月分=38,175円 2月分=37,298円、3月分=43,816円、4月分=37,268円になることが認められる。之を考慮勘案して、昭和25年分の生計費を各月平均二五、〇〇〇円と算定した、前野証人の算定額は妥当であるから、年間生計費累計額を次のとおり算定する。

25,000円×12=300,000円

(2) なお、証言にもとずき生命保険掛金を領収証(証三〇五八―六二)により九九六〇円と認める。

(3) よつて年間生計費累計額は、

300,000円+9,960円=309,960円と認められる。

〔三〕 運営費

証言にもとずき、下記のとおり認める。

<省略>

〔四〕 諸税金

(1) 証言により領収証綴(証三〇五八)から所得税を一七、〇〇〇円と認める。

(2) 証言により、領収証綴(証二九二四)から市民税を二三、七〇〇円と認める。

(3) よつて年間諸税金の累計額は、

17,000円+23,700円=40,700円であることが認められる。

〔五〕 差引事業所得

以上〔一〕~〔四〕から昭和25年分総所得金額を次のとおり認める。

46,982円+309,760円+9,012円+45,710円=411,664円

<省略>

第一 菓子、果物関係

<省略>

第二 運送関係

<省略>

第一 菓子、果物関係

〔一〕 仕入金

(1) 証言による増田好男証人の算定方法を妥当と認める。

(2) 一月~三月分は売上帳(証二五〇三―一―三)の仕入の記帳により別表二のとおり日々の仕入額を認定し、各月の集計額を算定する。

(3) 四月~一二月分については日報(証二四八七―一二、証二四八五―一~八)の現金仕入及び掛買の記帳により別表二、三のとおり日々の仕入額を認定し、各月の集計額を算定する。

(同上売上帳には4月~12月分の仕入の記帳が存在している。それなのに日報により認定したのは、日報の仕入記帳と照合してみると売上帳の仕入記帳は日報の現金仕入と掛買発生の合計額で、その合計額は相互に一致していることが認められる。

それであるから、その内容が会計原則上区別が明瞭である。日報により認定した。)

(4) 同上の各記帳には、証言によれば脱漏のなかつたことが認めれる。

(5) 従つて年間仕入累計額は、別表2、3のとおり八四二、九六六円であろことが認められる。

〔二〕 棚卸額

(1) 年末棚卸額は証言にもとずき増田証人が財産棚卸表(証一八九七―一〇九)の昭和25、4、1現在の商品高一九、一三一、八〇円を参考にして二〇、〇〇〇円と算定したのを妥当と認め、同額を年末棚卸額と認める。

(2) 年初棚卸額は証言により年末と同額であつたことが認められるので二〇、〇〇〇円を計上する。

〔三〕 収入金

(1) 証言によれば、同上売上帳及び日報の売上記帳による年間合計額は一、〇二八、一四四円になるが之は、荒利益率により検討してみると脱漏のあることが認められる。そこで証言によれば増田証人は、仕入金額から荒利益率により逆算して算定していることが認められる。之の方法は妥当であると認められるから、同方法により算定する。

(2) 荒利益率は証言により増田証人が売上伝票(証二五〇五―三)を参考にして算定した、〇・二二五を妥当と認める。

(3) 同上のように年末、年初各棚卸額は、同額であるので仕入金と売上原価とは、同額である。

(4) 従つて年間売上累計額は、

842,966円÷(1-0.225)=1,087,698円になることが認められる。

〔四〕 諸経費

(1) 公租公課は証言により自転車税二〇〇円固定資産税六七四円事業税二四、九六〇円合計二五、八三四円を計上する。

(2) 修繕費、消耗品費、雑費は四月~一二月分につき日報(証二四八七―一、証二四八五―一―八)の継費記帳により、同上合計額を別表四のとおり認める。一月~三月分につき証言によれば、売上帳(証二五〇三)の経費記帳によつたと称するが、同帳には、経費の課目毎の記帳はなく唯欄外に一括して記帳してあるにすぎないので課目毎の検討のためには、採用できない。そこで同上三課目はいずれも恒常費であるところから同上の合計額の月平均額により推計するのをもつとも妥当と認め別表四のとおり年間合計額を算定する。

(3) その他の経費課目は証言により別表四のとおり認める。

(4) 従つて年間諸経費累計額は、別表四のとおり七八、九七三円であることが認められる。

第二 自動車運送関係

〔一〕 収入金

(1) 証言によれば、自動車関係入金出金帳(証二四八八―一二―一九)の売上記帳には、脱漏がなかつたことが認められるし、同帳簿を検討すると、克明に継続して明記してあることが認められる。

(2) そこで、同帳により別表五のとおり日々の売上額を認定し、各月の集計額を算定する。

(3) 従つて年間売上累計額は別表五のとおり二四六、四〇〇円であることが認められる。

〔二〕 仕入金

証言によりないことが認められる。

〔三〕 諸経費

(1) 修繕費、消耗品費、雑費は、自動車関係出金入金帳(証二四八八―二―四)の記帳により別表六のとおり各年間額を算定する。

(2) 公租公課は、証言により自動三輪車税三、四五〇円を認める。

(3) その他の経費課目は証言により別表六のとおり認める。

(4) 従つて年間諸経費累計額は別表六のとおり一一〇、四五〇円であることは認められる。

第三、論告における、給与所得について

検察官の論告においては給与所得として三七、五六八円を計上していることが認められるが、栗川の昭和25年分所得税確定申告書(証一八七三―一)によれば同上の所得は福岡陸運からの給料を意味するものであると認められるところ、証人栗川秀夫の証言によれば、同人は月に三、〇〇〇円の名義料を福岡陸運に払い諸経費を差引いた残額は全部同人の収入になつていたことが認られる。しかしその収入金はすべて前述のとおり運送関係の栗川の所得として計上しているのであるから、栗川の運送関係についての収入は他に存在しない。検察官が計上した給与所得は栗川が名義上福岡陸運の従業員であるところから名義上定められていた給料であつてなんら実質を伴はないものであるし、且之を計上することは前述の実質的収入の計上の重複するのであるあつて極めて不当である。

よつてこの給与所得は、計上加算すべきはないと判断する。検察官の論告は理由がない。

<省略>

別表2表の4(菓子、果物の分)

<省略>

別表 2表の6

<省略>

【編者注】 各納税者ごとの脱税額の算定の方法は、以下同型式であるから省略する。

情状及び法令の適用

第一目 情状

被告人等は、昭和24年から昭和26年にかけて、日本経済並びに社会情勢を被告人等の世界観に立つて分析し、既に詳論したような基本的認識に立つて企業組合法を敢えて曲解し、その法人組織であるという合法的に戦える利点を税斗争に最大限に利用して、本組合を税斗争を主眼とする生活防衛体として組織し、既に詳論したような実態において運営し、一意組織の拡大強化に狂奔し、税斗争に終始して、圧倒的な量的増大と地域的拡大によつて結集された団結により課税官庁に対する勝利を得ることに努力していたものであるが、かくの如きは、国家の租税体系を混乱せしめ、正当な課税を不可能にし、徴税事務を麻痺せしめ、善良な納税義務者の納税意欲を減退せしめるものであつて、かかる組織が急激な速度を以つて量的、地域的に拡大強化されつつあつたことは国家財政上決して看過し得なかつたと言うべきであり、被告人等の判示所為は国家の法秩序に挑戦した悪質な租税の逋脱行為であるといわなければならない。

もつとも、右当時の中小企業者が、租税の負担に喘ぎ、売行不振に悩み、生活の圧迫に深刻な危機を覚えその解決策に苦慮しつつあり、一方課税当局の中小企業者に対する徴税態度や徴税技術にも妥当を欠ぐものがあり、一般業者は企業組合制度につき甚しく無智であり、これらの事情が本件組合拡大化の一素因となつたことも認めなければならない。又被告人等がその世界観に立つ情熱を以つて、右窮状の打開のために努力したその心情は大いに諒とすべきものがあるが、前記所為は厳然たる国家の法秩序の中にあつては許さるべきでない。

本組合の組織内部にあつては、被告人森原春一は創立前から解散まで一貫して最高指導者の地位にあつたものでその影響力は最も大であつたと認められるので最も重い責任を負うべきであり、被告人上野盛雄、同木下仙友、同渡辺実信はいずれも本組合の指導の中枢に参画し、本組合全般に亘つて影響力を及ぼしたものとしてその次に責任を負うべきであり、被告人馬場卯三郎は宮崎県一円に影響力を持つていたが局部的範囲でありその他情状憫諒すべきものがあり、執行猶予に附するを相当と認める。

第二目 法令の適用

被告人等の判示犯罪表中第三、第四表の各所為は、昭和三一年三月三一日法律第五五号による改正前の、昭和三〇年六月三〇日法律第三四号による改正前の、昭和二九年四月一日法律第五二号による改正前の、昭和二八年八月七日法律第一七三号による改正前の、昭和二七年三月三一日法律第五三号による改正前の、昭和二六年三月三〇日法律第六三号によつて改正された所得税法(昭和二六年一一月三〇日法律第二七三号所得税法の臨時特例に関する法律の適用を含む)第六九条第一項刑法第六〇条、第六五条に該当し、判示犯罪表中第一、第二の各所為は右昭和二六年三月三〇日法律第六三号による改正前の昭和二五年三月三一日法律第七一号によつて改正された所得税法第六九条第一項、昭和二五年一二月二〇日法律第二八二号所得税法臨時例法第二条、刑法第六〇条、第六五条に該当し、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから、最も重い犯罪表第四表の一の罪につき懲役刑をそれぞれ選択し同法第四七条により併合罪の加重をなし、その刑期の範囲内で、被告人上野盛雄、同渡辺実信、同木下仙友、同馬場卯三郎をそれぞれ懲役八ケ月に処し、被告人木下仙友に対し、同法第二一条により未決勾留日数中三〇日を右本刑に算入し、被告人馬場卯三郎に対し同法第二五条により本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

無罪

第一項 公訴事実

検察官は

被告人第五名は、第一論犯罪事実において認めたような認識を以つて

(一) 昭和二十五年分の所得に関し、

後記別表記載の1乃至5の者と各別に共謀して同人等の同年分の総所得金額が同表各(ヘ)欄記載の通りでその税額が同表各(ト)欄記載のとおりであつたにかかわらず前記の如き組合利用の方法により同表各(チ)欄記載の年月日頃同表各(ル)欄記載の所轄税務署受付を以つて政府に対し故さらに同年分の総所得金額が同表各(リ)欄記載の通り、その税額が同表各(ヌ)欄記載の通り虚偽の所得税確定申告書を提出し、以つて詐偽の行為をなし、よつて同表各(チ)欄記載の通り昭和二五年分所得税額の一部につき所得税を免れ、

(二) 昭和二十六年分の所得に関し

別表6乃至9記載の者と各別に共謀して、同人等の同年分の総所得金額が同表各(ヘ)欄記欄の通り確定申告をなすべき義務があつたに拘らず前記の如き組合利用の方法により確定申告義務がないものとして昭和二七年二月二九日までの確定申告書提出期限内に確定申告書を政府に提出せず、以つて不正の行為により同表各(オ)記載のとおりこれに対する所得税を免れたものであると、

いうにある。

(別表)

<省略>

第二項 認定

第一点 (1) 西村一市(起訴状別表第一の二三、第四の二三)については、証人西村正信の証言及び調書をはじめ全証拠を以つてするも西村一市と被告人等五名との間に起訴にかかるような共謀があつたと認めるわけにはゆかない。

(2) 市原為四郎(起訴状別表第四の三七)については、証人市原為四郎の証言をはじめ全証拠によつても右西村と同様に被告人五名との間に起訴にかかるような共謀の存することは認められない。

第二点 (1) 木崎正(訴因変更前の起訴状別表第一の四七)については、証人城戸、悟の証言により逋脱税額がないことが認められる。

(2) 渡辺忠雄(訴因変更前の起訴状別表第四の七〇)については、その逋脱税額の算定の立証はなんらなされていないので、起訴にかかる逋脱税額は認められない。

第三点 松葉春義(起訴状別表第一の五)、成末アイ子(起訴状別表第一の三八)、平山知夫(起訴状別表第一の四九)、中山澄夫(起訴状別表第四の四三)については、左記の如く当裁判所が全証拠を検討した結果いずれも起訴にかかる逋脱税額は存しないことが認められる。

<省略>

本項目では上記伊藤順造の証言は単に之を「証言」とのみ略称する。

〔一〕 収入金

(1) 証言及び証人松葉春義の証言によれば日報の記帳は正確になされていたことが認められる。よつて4月~12月分につきその日報とその日報から転記したことが明らかである日報集計表により、また1月~3月分について証人松葉の証言により同人が作成したことが認められる確定申告書(証一八七三―五)により、それぞれ収入金を算定した伊藤証人の算定方法は妥当と認められるから、同方法により算定する。

(2) 1月~3月分につき昭和25年分所得税確定申告書(証一八七三―五)の収入金額欄の記帳により三五七、一〇〇円と認める。

(3) 4月~8月分については、日報集計表(証一八八九―四九、証一八九〇―一〇九、証一八九一―八五、証一八九二―一〇六、証一八九三―九〇)のそれぞれ現金売上の記帳により、また9月~12月分については、日報(五六七―一~四)の現金売上及び掛売の記帳により、別2、3表のとおり日々の売上額を認定し各月の集計額を算定する。

(4) 従つて、年間売上累計額は別表2、3のとおり一八五四、七〇〇円五〇であることが認められる。

〔二〕 棚卸額

(1) 証言により年末棚卸額は伊藤証人が引継書類(証一八四二―五五)の中昭和26、9、30現在の商品高六、四七〇円を参考にして算定したと認められる六、五〇〇円を妥当と認める。

(2) 年初棚卸額は証言により年末と同額であつたことが認められるから六、五〇〇円を計上する。

〔三〕 仕入金

(1) 証言にもとづき4月~12月分については売上金と同様に同上日報集計表及び日報により別表4、5のとおり日々の仕入額を認定し、各月の集計額を算定する。

(2) 1月~3月分については、同上確定申告書の中必要経費欄の記載から三一一、二七二円と認める。

(3) 従つて年間仕入累計額は、別表3、4のとおり一、六四八、一六六円、五〇であることが認められる。

〔四〕 諸経費

(1) 公租公課、広告宣伝費、雇人費、減価償却費は、証言により別表6のとおり認める。

(2) その他の経費のうち1月~3月分については、仕入金の同期間の認定の基礎とした同上確定申告書の必要経費欄の記帳は単に仕入のみならず一般必要経費も包含されていることは、同確定申告書の記載自体に徴して明らかであるから、あらためてここに計上することをしない。

4月~8月分については売上、仕入の認定の基礎とした同上日報集計表により各月集計額を別表のとおり認定する。(之には経費課目の記載はないから課目ごとの仕訳はしない)

9月~12月分については日報(証五六七―一~四)の経費記帳により別表6のとおり同期間の集計額を算定する。

(3) 従つて年間諸経費累計額は別表6のとおり一七五、六八三円であることが認められる。

<省略>

別表191表の6

<省略>

本項目では上記王丸宗三郎の証言は単に之を「証言」とのみ略称する。

〔一〕 収入金

(1) 成末アイ子の昭和25年分の収入の帳簿は日報以外になく証言及び証人成末アイ子の証言によれば、日報の記帳にも脱漏のあることが認められるが、証言によればその脱漏分を成末の供述及び他の資料等により王丸証人は妥当に算定していることが認められるから、同証人の算定方法により算定することにする。

(2) 7月~12月分については日報(証一六二七―二~七)の現金売上欄の記帳により別表2のとおり日々の売上額を認定し、各月の集計額を算定する。

それによれば上記期間の記帳にもとづく集計額は別表2のとおり五三八、一五六・五〇円であることが認められる。

(3) ところで、上記日報には記帳せずに売上金を直接に支出した分として、証言によれば自家消費分が月に一、〇〇〇円、雇人費が七、五〇〇円あることが認められるので之を7月~12月分合計すると

(1,000円+7,500円)×6=51,000円 になることが認められる。

(4) よつて7月~12月分売上集計額は

538,156円50+51,000円=589,156円50 になる。

(5) 1月~6月分については証言及び証人成末アイ子の証言により7月~12月分の月平均額により算定するのを妥当と認めるから、上記五八九、一五六円五〇が1月~6月分売上集計額と認められる。

(6) なおまた、上記売上金から記帳せずに別途に使用した分として証言により昭和24年分所得税納付額二八、〇四〇円と前夫との手切金其の他で一〇、〇〇〇円合計三八、〇四〇円があることが認られるので、之を売上金に加算する。

(7) 従つて年間売上累計額は

589,156円50+38,040円=1,216,353円 になることが認められる。

〔二〕 年末棚卸額

証言により一〇、〇〇〇円と認める。

〔三〕 仕入金

(1) 証言にもとづき7月~12月分を上記日報により、1月~6月分をその月平均額により算定するのを妥当と認める。証言によれば仕入の記帳には脱漏のなかつたことが認められる。

(2) 7月~12月分は日報(証一六二七―二~七)の現金仕入及び掛仕入の記帳により別表3のとおり日々の仕入額を認定し、各月の集計額を算定する。

よつてその集計額は別表3のとおり四三四、八四九円七五であることが認められる。

(3) 従つて証言によれば1月~6月分は7月~12月分と同額であるといえるから、年間仕入累計額は、

434,849円75×2=869,699円50 になることが認められる。

〔四〕 諸経費

(1) 雇人費、減価償却費、支払利子、火災保険料は証言にもとづき別表4のとおり認める。

(2) 公租公課は証人王丸宗三郎が調査した額を妥当と認め五二、二一五円を計上する。

(3) その他の経費課目については日報(証一六二七―二~七)の経費欄の記帳にもとづき経費課目に仕訳して各月毎の集計額7月~9月分の合計額を別表4のとおり認定する。1月~6月分については証言により7月~9月分の集計額の月平均額を以つて推計する。

(4) 従つて年間諸経費累計額は

〔五〕 年初棚卸額

証言により九、六七一円と認める。

<省略>

別表192表の4

<省略>

本項目では上記木場初の証言は単に之を「証言」とのみ略称する。

〔一〕 収入金

(1) 証人平山和夫の証言によれば同人の日報(証三七九―一~六)の記帳には書き落しや不正確なものはないことが認められるので加入後の分につき日報により算定するのを妥当と認め、加入前の分につき証言による木場証人の算定方法を妥当と認め、同方法により算定する。

(2) 昭和25、6、12~12月分については同上日報の現金売上の記帳により別表2のとおり日々の売上額を認定し各月の集計額を算定する。

それによれば同上期間の集計額は二七七、二一三円になることが認められる。

(3) 6月分については証言にもとづき、12日~31日分の集計額一七、一五四円から平均額を

17,154÷19=9,029円 と計算し、

1日~11日分を 902円84×11=9,931円 と推計する。

(4) よつて6月~12月分集計額 277,213円+9,931円=287,144円 になることが認められる。

(5)(A) 1月~5月分については証言によれば昭和25年分の1月~5月と6月~12月の売上の比率は昭和26年分の同期間の売上の比率と同率であることが認められる。そこで木場証人は昭和26年分の比率を以つて昭和25年1月~5月の売上額を推計していることが認められるが、之は妥当な方法と認められるので、同方法により算定することにする。

(B) 昭和26年1月~5月分売上集計額は既に認定したとおり別表一七一表の二から二三三、一三五円と認められる。同年6月~12月分売上集計額は既に認定したとおり別表一七一表の二から五〇六、一九〇円と認められる。よつて前者の後者に対する比率は、

233,135円÷506,190円=0.4605 となる。

(C) よつて昭和25年1月~5月分売上集計額は

287,144円×0.4605=132,229円 になることが認められる。

(6) 従つて年間売上累計額

287,144円+132,229=419,373円 であることが認められる。

〔二〕 棚卸額

(1) 年末棚卸額は証言によれば資産棚卸表(証四三九―九六)の中昭和26、3、31現在の商品高二一、一六七円を参考にして木場証人が算定したことが認められる二〇。〇〇〇円を妥当と認める。

(2) 年初棚卸額は証言にもとづき年末と同額と認められるので二〇、〇〇〇円と認める。

〔三〕 仕入金

(1) 証言にもとづき売上金と同一の方法により算定する。

(2) 6月12日~30日の仕入小計額は別表三のとおり五、八〇三円と認める。よつてその一日平均額は

5,803円÷19日=305円40 になる。

よつて6月1日~11日分は

305円40×11=3,359円 になることが認められる。

(3) よつて昭和25、6月~12月分仕入集計額は別表三、四のとおり一五六、四四八円になることが認められる。

(4)(A) 証言によれば1月~5月分の仕入額算定についても売上金算定と同様に昭和26、1月~5月分仕入金と同6月~12月分仕入金の比率を以つて昭和25、6月~12月分仕入額から推計していることが認められる。またその比率は証言によれば売上金の場合と同一の比率(証言によれば、〇・四五八七である)であることを述べているが、検討の結果次のとおり売上金の場合の比率とはやや異つている。しかしながら6月~12月分の月平均額により推計することは平山の場合は機械的すぎて不合理であることは木場証人の証言しているとおりであり、荒利益率による逆算によるとしても結局は証言による方法と同一に帰する。よつて証言による方法により算定するのを妥当と認める。

(B) 昭和26、1月~5月分仕入集計額は既に認定したとおり別表一七一表の三から一六九、一〇九円六〇と認められる。又同6月~12月分仕入集計額は同別表三、四から二七〇、三五九円五〇と認められる。

(B) よつて前者の後者に対する比率は

169,109円60÷270,359円50=0.6254 になることが認められる。

(D) そこで昭和25、1月~5月分仕入集計額は

156,448円×0.6254=97,842円 になることが認められる。

(5) 従つて年間仕入累計額は

156,448円+97,842円=254,290円 であることが認められる。

〔四〕 諸経費

(1) 公租公課は証言にもとづき事業税一八、〇〇〇円を認める。

(2) 組合費は日報(証三七九―一~六、証二七六二)の記帳により別表五のとおり6月~12月分を認定するが1月~5月分については売上の比率によるよりは月平均額によるのを妥当と認め別表五のとおり年間額を二、二二八円と認める。

(3) 水道光熱費、交際費、消耗品費、雑費は同上日報の記帳により6月~12月分を別表五のとおり算定する。しかして1月~5月分については上記の課目は概して売上額に比例する恒常費と認められるので証言にもとづき売上金算定と同一の比率つまり〇・四六〇五によつて推認するのを妥当とする。

(4) 広告宣伝費、雇人費、火災保険料については同じく日報の記帳により別表五のとおり算定する。之につき証言によれば(3)と同様に1月~5月分を前記同様の比率により推計していることが窺われるが、これらの課目については日報の記帳からみて平山の場合恒常費とは認められない。よつて1月~5月分はなかつたものと認め、之を推計計上することはしない。

(5) 減価償却費は証言により別表五のとおり認める。

(6) なお6、1日~11日分につ、証言によれば6月12日~30日の全経費から推計していることが窺われるが、日報(証三七九―一)の記帳を仔細に検討すると、日々の恒常費として推計の基礎となり課目は消耗品費だけと認められる(雑費は月一回集金の新聞代であり、交際費七五〇円は組合会費と総会費である)よつてそれにより日平均額を計算すると、

750円÷19=38円60 になる。

よつて6月1日~11日分経費は 38円60×11=424円 であることが認められる。

(7) 従つて年間諸経費累計額は別表五のとおり七四、五二一円になることが認められる。

<省略>

別表193表の5

<省略>

本項目では上記井上博の証言は単に之を証言とのみ略称する。

〔一〕 収入金、仕入金

(1) 証言により、1月~12月の年間を通じ日報が存在するので、日報の記帳により売上、仕入の額を算定したことが認められる。井上証人の算定方法を妥当と認め、同方法によることとする、(日報が正確であることは既述の如く証人中山の証言による)

(2) 日報(証九三四―九~二〇、2月分についてはさらに証九三一―一二を適用する。)により、売上については現金売上、掛売の欄の記帳により、仕入については現金仕入及び掛仕入の欄の記帳により、売上については別表二三のとおり、仕入については別表四、五のとおり、それぞれ日々の売上又は仕入の額を認定し、各月の集計額を算定する。

(3) それによれば年間売上累計額は一、二九一、八五六円になることが認められ、

年間仕入累計額は別表四、五のとおり九八四、〇三〇円であることが認められる。

証言によれば同上の日報による年間売上累計額は一、四三六、〇七七円年間仕入累計額は九三五、一六八円であることが窺われるがいずれも集計誤謬と判断されるのでその額は肯認できない。

〔二〕 年末年初棚卸額

証言により年末棚卸額は八五、〇〇〇円、年初棚卸額は四五、〇〇〇円と認める、

〔三〕 諸経費

(1) 公租公課、雇人費地代家賃、支払利子、減却償却の各支出を証言により別表六のとおり認めたほか、上記日報の経費欄の記帳にもとづき経費課目毎に仕訳して日々の支出を認定し、別表六のとおり各月の集計額を算定する。

(2) 従つて年間諸経費累計額は別表六のとおり三六〇、一二六円である。

<省略>

別表194表の6

<省略>

第三項 判断によつて、前掲九項目については証拠が不十分であり犯罪の証明がないから刑事訴訟法第三三六条に基づき、被告人等に対し無罪を言渡すべきものとする。

公訴棄却の主張に対する判断

公訴棄却の主張に対する判断

被告人等並びに弁護人等は、本件公訴の提起はその手続が規定に違反しているから公訴は棄却されるべきである旨種々理由を附して主張しているがその理由のいずれもが肯認できないことは以上公訴事実につき判断したところから明らかである、

よつて右申立は之を許容するに由ないものである。

よつて訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第一八一条第一項第一八二条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 塚本富士男 裁判官岩村溜、同石丸俊彦は転任のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 塚本富士男)